- このスレッドは終了し、閲覧専用となっています。
- コメントの投稿、最新コメントの閲覧はこちらの最新スレッドをご利用ください。
掲示板のコメントはすべて投稿者の個人的な判断を表すものであり、
当社が投資の勧誘を目的としているものではありません。
-
-
【こんな話もある 花見④】
ソメイヨシノは、「オオシマザクラ」と「エドヒガン」の交配によって作られた雑種であると推定されているが、雑種であるために正常な種子を残すことができない。そのため、ソメイヨシノは挿し木によって増やされてきた。つまり、全国に植えられているソメイヨシノのすべてが、一本の個体を分身させて作ったクローンなので、同じ遺伝子を持っていることになる。だから、同じ環境であれば同時に開花し、いっせいに散るのである。
春になると南から桜前線の北上が伝えられるが、全国で開花時期の比較ができるのは、北のソメイヨシノも南のソメイヨシノも同じ遺伝子を持っているからにほかならない。
華麗に咲き、散っていくサクラの花は、ただでさえ日本人のこころをとらえていた。ところが、葉が出ることなく花だけがいっせいに咲き、そしていっせいに散っていくソメイヨシノのこの特性は、日本人に新たな価値観をもたらした。
「咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のため」(「同期の桜」編詞 帖佐裕)、そう軍歌に歌われたように、サクラの散るように潔く死ぬことを尊しとする価値観が生まれたのである。そして、軍国主義に傾倒したこの国で、サクラの花の散るように多くの人たちが尊い命を犠牲にしていったのだ。それはサクラにとっても日本人にとっても暗い影を落とした時代といってもいいだろう。…(略)…
死を覚悟して見るサクラよりも生命の息吹を感じて見るサクラのほうが美しい。共に逝く者どうしが酌み交わす酒よりも、生きる喜びを共に分かち合う酒のほうがサクラの花にはふさわしい。毎年、お花見シーズンになると、友人や同僚どうしで羽目を外してバカさわぎする光景が見られるが、それもよかろう。きっとサクラもこんなのんきな時代がいつまでも続くことを願っているはずである。(終わり)
(稲垣栄洋) -
【こんな話もある 花見③】
昔の暦は大陰暦だったから、同じ月日でも実際の季節は年によって前後した。うるう年などは一年が一ヵ月多く、十三か月あったほどである。そのため、毎年決まった農作業のスケジュールを暦を頼りに決めることはできない。そこで、毎年、決まった時期に花を咲かせる植物に着目し、「種まき桜」や「苗代桜」のように、サクラの開花を農作業のスタートの目安にしたのである。しかも「種まき桜」や「苗代桜」はどの桜でもよいわけでなく、特定の木を指標としていた。当時のサクラは、現在、一般的に見られるソメイヨシノではなく、ヤマザクラである。ヤマザクラはいっせいに咲くソメイヨシノと違って、木によって開花の時期がまちまちなのだ。
個体によって開花の時期がばらばらになるというのは、自然界ではごく当たり前なことである。花が咲くのは昆虫に花粉を運んでもらうためだから、ある程度同じ時期の咲く必要がある。しかし、いっせいに開花した場合、もしその時期に嵐が来たり、寒い日が続いたりすると、すべての花がダメになってしまう恐れがある。つまり、ある程度ずらして開花したほうが、危険が分散できるのだ。そのため野生の花々は、開花時期を少しずつずらして開花期間が長くなるように工夫しているのである。しかし現在、私たちが花見をするソメイヨシノはいっせいに咲いて、わずかな開花期間でいっせいに散ってしまう。花見ができる期間は本当に短い。
ソメイヨシノは江戸時代の末期に染井村(現在の東京都豊島区巣鴨)の植木職人によって作り出されたという。ヤマザクラは葉が出てから花が咲くが、ソメイヨシノは葉が出ずに花だけがいっせいに咲く。その美しさからソメイヨシノは大ヒットし、全国に広がっていったのである。
このソメイヨシノ、もともとは有名な「吉野の桜」として売られていた。現代でもときどき産地偽装が問題になるが、東京産のソメイヨシノもしっかり産地を偽装して売られていたのである。その後、明治になってから吉野のサクラと区別するために「染井吉野」と名付けられた。(続く) -
【こんな話もある 花見②】
上流階級でのウメのブームはさておいて、日本では古くから、サクラは聖木とされてきた。サクラの花は稲作の始まる時期に決まって咲く。人々はそこに稲作の神の姿を見たことだろう。そして、人々は満開のサクラに稲の豊作を祈り、花の散り方で豊凶を占ったという。
サクラの「サ」は田の神を意味する言葉である。「さなぶり」や「さおとめ」「さなえ」など、稲作に関係する言葉に「サ」がつくのと同じだ。さらに、サクラの「クラ」は依代(よりしろ)の意味である。つまり、サクラは田の神が下りてくる木という意味だったのである。
昔から日本には神さまと共に食事をする「共食」の慣わしがある。正月の祝い箸が両端とも細くなって物がつかめるようになっているのも、神さまといっしょに食事をするためである。そして春になると、人々は神の依代であるサクラの木の下で豊作を祈り、飲んだり歌ったりした。もちろん、これは神への祈りだけでなく、これから始まる過酷な農作業を前に、人々の士気を高め、団結をはかる実際的な意味合いもあったのだろう。まさに新年度を迎え、歓迎会をかねて行う現代のサラリーマンの花見と同じである。いつの時代も庶民の楽しみは変わらないのだ。やがて、農村の行事であった花見は江戸の庶民の娯楽として普及し、現代へとつながっていく。(続く) -
【こんな話もある 花見①】
花見といえば、いわずもがなサクラである。ところが、意外なことに、かつて花見といえばウメの花のことであった。
ウメは遣唐使の時代に中国から日本に持ち込まれたといわれている。当時、日本にやってきたばかりのウメを人々は珍しがったに違いない。古代の日本人にとって先進的な文化を持つ中国は羨望の的だった。その中国で、寒さの中に咲くウメの花は「花の中の花」と称えられていたからたまらない。日本の貴族たちはこぞってウメの花を愛でたのである。
『万葉集』にはウメを詠んだ歌が百十八首ある。これに対して、サクラを詠んだ歌は四十三首に過ぎない。
ところが、それまで中国の先進的な文化を日本に伝えていた遣唐使が廃止されると状況は一変した。その後、撰述された『古今和歌集』には、サクラと恋の歌集と呼ばれるほどサクラの歌が多く、ウメを詠んだ歌はわずかになってしまった。ウメとサクラの人気は逆転してしまったのだ。
この遣唐使廃止を建議したのが、かの菅原道真である。道真のせいでウメはその地位を失墜させられたのである。しかし、何の因果か、こんどは道真が藤原氏によってその地位を奪われ、九州の大宰府に左遷されてしまった。このとき、都落ちした道真を慕って、京都のウメが一夜にして大宰府まで飛んでいったというのが、有名な「飛び梅伝説」である。しかし、真相はどうだろう。ウメは自らの地位を奪った道真をそんなに慕っていたのだろうか。「何とかしてくれ」と恨み節の一つもこぼしながら、再就職口でも頼みにいたのではなかろうか。実際に、その後、ウメは天神様のご神木に採用されて人々の信仰を受けることになり、地位を失墜されたものどうし、天満宮に祭られるようになったのである。(続く) -
【こんな意見もある】
「普段はケチケチしてもいいけど、たまにはパッとしたい」という人もいるが、これはかなり危険な思想である。たとえば、毎日100円節約して、たまにはパッと5万円を使った場合、次のようになる。
100(円)×365(日)-5万(円)=△1万3500円(△はマイナスを示している)
残念ながら赤字である。こういう人は非常に赤字を出しやすい性質(たち)なので、経営者には向いていない。節約した気になっているだけで会計を見ていないのである。
(山田真哉)
~~~~
パッといくときには、気が大きくなって奮発するからだろう。 -
【こんな意見もある】
…どの商売でも少なからず、在庫を減らそうと躍起になっている。
たとえば、デパートなどでは衣料品のバーゲンセールが年がら年中行われている。これはどうしてかというと、安くしてお客さんをたくさん集めたいというよりも、なにがなんでもシーズン中に商品を売り尽くしておきたいからである。では、なぜバーゲンの対象として衣料品が多いかというと、ファッションはめまぐるしく流行が変わり、時代遅れになる危険性が非常に高いからである。家電製品のバーゲンがあまりないのは、それだけ流行の移り変わりが遅いということだ。
また、虫食いなどでモノそのものが傷んでしまう可能性も極めて高く、衣料品という商品は、総じて在庫コストがかかる。移転や改装にともなう在庫一掃セールというのも、基本的に衣料品のバーゲンと同じ考えだ。商品を新しいお店に移動する引っ越し費用がかかるから、なるべくその前に売っておきたいというわけなのである。
《その他の在庫減らしの代表例》
●福袋
●「店長のオススメ」「シェフのオススメ」
●新装開店セール(在庫一掃セールの残りがよく使われる)
(山田真哉) -
【こんな意見もある】
インデックスファンドが、プロの運用するポートフォリオと同じか、それを上回るパフォーマンスを上げ続けている。
(バートン・マルキール)
~~~~
最近、「金融のプロにおまかせ」という金融商品が多くなっている。金融のプロといわれても人によって運用能力に違いがあるだろうし、さらに「AIにおまかせ」ということになっても、AIの能力がさっぱりわからないし、何を信じてよいやら………。 -
【こんな意見もある】
他人から押し付けられた教育は、自分で熱心に努力して得たものほど身につかない。自らの汗と涙で勝ち取った知識だけが、完全に自分の所有物となる。
…(略)…
知識の価値とは、どれだけ貯えたかではなく、正しい目的のために、どれだけ活用できるかにある。
(サミュエル・スマイルズ) -
【こんな話もある】
この日(1961年5月16日)早朝ソウルの空は銃声でふるえた。張勉総理は革命的な不吉を直感すると、身支度もそこそこにどこかへ逃亡した。軍がクーデターを起こしたのである。去年李承晩の独裁を倒して民主的な政府ができたはずだが、政界は腐敗し、経済は好転せず、それに一部には北鮮との協調をとなえる政治家もいる。これでは李承晩よりなお悪い、というので軍が立ち上がった。18日に逃亡していた張総理は姿を現わし、内閣の総辞職を発表し、軍事委員会は大統領から政権をゆだねられることにより、合法的に政権を承継した。アメリカも日本もこの政権を承認した。1963年民政移管のための総選挙の結果、朴大統領(パク・チョンヒ)が選出された。日本はこの政権と日韓交渉を再開した。
(古谷綱武編)
~~~~
次期大統領選で、想定されている現候補者の中から誰が選ばれても、いずれ大統領に対する退陣要求のデモが発生するような気がする。 -
【こんな話もある】
徹底した日本ぎらいで、1920年頃上海に朝鮮独立の臨時政府のできたときはその大統領に推された李承晩は、太平洋戦争終結と共に韓国初代の大統領に成って多年の宿望を達した。
大統領になってからの李承晩は次第に独裁権力を強め、ついに永久独裁を目ざして憲法を改悪し、反対党へは死刑を以て望むの強圧で12年も政権の座にあった。そして1960年の大統領選挙は未曽有の大弾圧で当選したが、間もなくソウル市内には李承晩辞職せよ、というデモが続いた。そのデモが4月19日に警官隊に銃撃されるや、26日には爆発的な大デモとなって、全ソウル人口の四分の一約50万がそのデモに参加した。こうなると警官も軍隊も手が出ない。27日ついに李承晩は辞職を決意したのである。
その後動揺を続けた韓国の政治も1963年朴大統領(パク・チョンヒ)のもとに民政に戻った。
(古谷綱武編) -
【こんな意見もある】
新聞やテレビの株式に関するニュースは、気にしないほうが良い。財務報告に注意しすぎる投資家は、ニュースを気にしない人々よりも成績が悪いからだ。
(ゲーリー・ベルスキー、トーマス・ギロヴィッチ)
~~~~
特に好材料のニュース? -
【こんな意見もある】
物事は、程度を過ぎると必ず、そこに余弊が生じてくる。
(本多静六) -
【こんな話もある】
投資運用の世界では、あるものが今年人気を博したからといって、それは翌年も人気が出るということを意味しない。
(ダニエル・A・ストラックマン) -
【こんな話もある】
男子は結婚によって女子の賢を知り、女子は結婚によって男子の愚を知る。
(長谷川如是関) -
【こんな話もある】
女は結婚したら、夫に変わってほしいと思う。でも、夫は変わらない。
男は結婚しても妻に変わらないでいてほしいと思う。でも妻は変わる。
男と夫は同じものではない。同様に女と妻もおなじものではない。(H・エリス) -
【こんな話もある】
流行のカッコいい服を着ると、“あなたって流行にふりまわされて軽率”と言われる。
流行のカッコいい服を着ないと、“あなたってダサくて恥ずかしい”と言われる。
待ち合わせに30分遅れていくと、“30分も待たせるなんてひどい”と言われる。
自分が30分遅れると、“30分くらいなによ”と言われる。
話を聞きながら発言すると、“黙って聞いてよ”と言われる。
話を黙って聞いていると、“なにか言ってよ”と言われる。
そうだねと賛成すると、“自分の考えがない人ね”と言われる。
そうじゃないと反対すると、“理解がない人ね”と言われる。
やきもちをやくと、“しばられるのはいや”と言われる。
やきもちをやかないと、“もう愛はないのか”と言われる。
たびたび部屋を訪ねると、“もっと一人の時間がほしい”と言われる。
あまり部屋を訪れないと、“二股かけているのか”と言われる。
彼女に夜の関係を求めると、“体だけが目的なのか”と言われる。
彼女に夜の関係を求めないと、“ほかに女がいるのか”と言われる。
女というものは、どこまでが天使で、どこからが悪魔なのか、はっきりわからぬものなのだ。(ハイネ) -
【こんな話もある】
組織に貢献してくれるのは「優秀な者」よりも「能力は並の上だが、忠実な者」のほうだ。(織田信長)
~~~~
高い能力を期待されながも、プライドが高かったり、融通が利かなかったりして組織になじめない人もいる。 -
【こんな話もある】
「何を笑うかによって、その人の人柄がわかる」(パニョール)
「笑い方にも人間性が表れる。どんなふうに笑うか。それには人間性がはからずも表れている。たとえば、人の失敗をおとしめて笑っているのか、意味あいのおかしさを笑っているのか、洗練された機知をおもしろがっているのか、ということだ。」(ニーチェ) -
【こんな話もある】
戦国大名・福島正則は平素は慈悲深い人だが酒乱の悪癖から乱暴者とされた。夜中、大酒を飲んで忠臣を惨殺し、翌朝目がさめてから「そういうことがあったか」と嘆いていた話がある。
「酒は飲むべし、飲むべからず」という日本らしい諺がある。また「初め人、酒を飲み、中、酒が酒を飲み、ついには酒、人を飲む」という暴飲の戒めもある。飲んでゆくうちに目つきが異様にかがやいて、上司同僚の大悪口を言い、「あいつは酒乱の相がある」と言われる人などの酔いっぷりを見ていると、なるほど、この戒めのとおりに進んでゆくな、と感心することがある。
株の方でこれをもじって、「人、株を買い、株、株を買い、ついに株、人を買う」という話が戦前の相場指南書に出ている。はじめ投資家が株を買う時は冷静だ。欲も大きくない。中長期で考えている。やがて「株、株を買う」というのは、信用取引とか、株式相場につられて株を買う段階である。株、人を買う、というのは熱気にあふれて株高につられて人間が買われている風景である。バブルがいよいよ膨らむ1987-89年のような相場だ。
……要は、異常な相場はいつまでもは続かないということだ。
(林どりあん)
読み込みエラーが発生しました
再読み込み
mos・mos 2017年1月8日 20:39
【こんな意見もある】
有能はなかなか認められないが、無能は1年であらわれる。
(藤沢周平)