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  •  モーやんとは別の意味で異彩を放っていたのは永淵です。日生球場の外野席で寝転がって観戦していたところ、チャンスで打てなかった永淵を近くにいたおっちゃんが、「あそこで打たんかいっ!」とやじっていました。ライトの守備位置にいた永淵はゆっくりと近寄ってきて、ここへ降りてこいと手招きをしました。ちっちゃな坊主頭の選手でしたが、鋭い眼光で射すくめられたおっちゃんは、「打ってほしいから応援してるんやないけ」とたじろいでいました。あの頃のバファローズは本当に弱いチームで優勝など考えもしませんでしたが、個性的な選手が多く試合以外に楽しめました。

  • 小2の時、日生球場に南海対近鉄のWヘッダーを父に連れて行かれました。第1試合で小川さんがライトにホームランを打ったんですが運悪く観客の子供の頭にボールが当たってしまいました。ざわつくスタンドに身を乗り出して南海のライトの島野選手(のはず)が気を失った子供を抱きかかえてホームまで連れて来ました。両軍の選手や審判が心配そうにホームに集まって覗き込んでいました。子供はそのまま玉造の岩木病院に搬送されました。救急車の音を今でも覚えています。その後、第2試合は大差がついたので退屈してしまった私は父に頼んで第2試合の途中で帰ることにしました。家が布施でしたので環状線の森之宮駅で電車を待っていると、ベンチに小川選手がションボリ座っていました。父が「お見舞いですか」と訊ねると「ハイ」と答えられました。「こんな時にすいませんが子供にサインしてやってもらえないでしょうか」と頼むとイヤな顔もせず私の小学校の黄色い帽子にサインして下さいました。小川さんの人柄に惹かれて以来ずっと近鉄バファローズを応援していました。

  • >>13

     ニックネームの通り、モーやんはもっさりした選手でしたね。長嶋、杉浦、本屋敷を輩出した立教大出身とは思えない風采でした。長打力もないし肩も弱かったけど、ミートがうまくヒットを打ちまくっていました。学生時代に障害をもった友だちをおぶって通学したというエピソードもあり、好きな選手でした。

  • >>3

    もーやん 小川さん懐かしいですね。11年前夏の終わり 球団消滅を覚悟して見納めに大阪ドームのロッテ戦を観戦しました。日曜のデーゲームで礒部のサヨナラ本塁打で勝ちましたが、新今宮の安いホテルに泊まっていたので、観戦前に藤井寺球場に行きました。
    少年野球の練習が行われていましたが、そこで練習指導していたのが小川さんでした。
    人懐っこい日焼け顔。今のプロ野球には興味無いと言っていました。球団消滅後、どうしてもオリックスに吸収されてしまったBSを応援できず、楽天ファンになりました。
    日本一を経験できましたが、デーブ嫌いの為、今は熱く応援するチームはありません。
    近鉄ファン歴は11年ほどでしたが、近鉄ファンで良かったと今も思います。

  •  投手では鈴木、清、神部、佐々木、野手では土井、永淵、小川、伊勢、辻といった時代からの近鉄ファンです。何度も日本一を達成して撤退した阪急と違い、近鉄は負け犬のまま球団を手放しました。そのことが腹立たしくてしばらくファンを止めていましたが、試合前のトークショーで土井さんがバファローズの名前だけでも残って良かったと言っていたように、今はオリックス・バファローズの日本一を夢見ています。しかし、いつ夢は実現するのでしょうかね。

  • バッファローズと書いてる時点で大したファンじゃないという意見があるが そうは思わへんな!!
    私も大阪に住んでいた時に鈴木が300勝を達成した藤井寺での阪急との試合をこの目で見た7000人のうちの一人だし その日の帰り道に藤井寺駅で買った300勝達成記念乗車券を未だに大事にしているし 西本さんが最後に指揮を取った日生でのダブルヘッダーに駆けつけジャンボ仲根が打った二本のホームランが今でも心に焼き付いている永遠の近鉄ファンだがバッファローズと書いている方をばかにする輩は何度この歌を歌ったというのだろうか。

    近鉄バファローズの歌

    1) 飛ぶ雲 飛ぶ声 飛ぶボール 飛ばせ 雲まで ボールよとどけ バファローズ バファローズ つのを ひとふり つむじ風 バファローズ
    2) まなじり 口もと 武者ぶるい しまれ ゆるすな ナインよひかれ バファローズ バファローズ 吠える のどもと いなびかり バファローズ

    確かに歌の歌詞は文字にするとバファローズとあるがメロディを付けて歌った時 腹の底から出る歌声はバファローズではなく 思いっきりきばってバッファローズである。
    往年の近鉄ファンは何度この歌を歌ったことか。私と同じようにこの歌を愛し歌った近鉄ファンの心の中にある近鉄はバファローズではなくバッファローズなのだ。

  • 【ファンでした?】
    バッファローズと書いてる時点で大したファンじゃねーなw

  • 【加藤】
    木曜の試合後、もう優勝したかのようにうかれている銀次たちをみて、加藤哲郎を思いだしました。あの発言後にしゅんとならず最終戦に好投して、やっぱりジャイアンツはロッテより弱かった、と言える心身ともに強い選手だったら、近鉄の歴史も変わっていたでしょう。

  • >>2

    【Re: 私も近鉄バファローズ大好き人間でした】
    sya*****さんと全く同じような経緯、傾向で少年時~長らく近鉄ファン、95年:仰木さんのオリックス監督就任とともに、オリックスファンにいつしかなってました。
    10.19はちょうど大学4回生で京都在住でしたので、伝説のニュースステーションが近鉄VSロッテ戦の中継に変更も含め、15時~23時まで朝日放送で安部アナウンサーの名調子とともに必死に視聴した思い出が鮮明に残っています。
    翌年のブライアントの満塁弾を含む4連発による劇的な逆転優勝は前年の経緯も踏まえ、ドラマティック過ぎる歓喜の瞬間でしたね!
    その頃は忘れ得ない素晴らしい時代、思い出です!

  • >>1

    【Re: 近鉄バッフアローズの大フアンでした。】
    羽田選手のファンでした。4打席連続ホームランで彗星のごとく登場したが、トータルではタイトルを取ったわけでもなく、まあまあの選手でした。しかし、最初に出た日本シリーズで9回の裏、先頭打者でセンター前にきれいなヒットをうち、無死満塁のお膳立てをした場面は鮮明に覚えています。1点リードされていた場面で、江夏の初球を鮮やかにはじきかえし、ファンに希望を与えてくれました。結果は負けましたが、肩幅の広い立派な体格のわりには気が弱くてチャンスに打てないと思っていた羽田が、絶対的な守護神江夏からヒットを打てたことがとても嬉しかったです。

  • >>1

    【Re: 近鉄バッフアローズの大フアンでした。】
    当時東京在住の、近鉄ファンというより、ライオンズ黄金時代の「アンチライオンズ」だったので、近鉄は随分ライオンズ球場に来た時応援に行きました。「野茂ブライアント対AK砲」なんて、当時のプロ野球の華でしたね。西武に手も無く捻られる巨人独走のセリーグファンが哀れな馬鹿に見えたもんです。近鉄に関心を持ったきっかけは西本監督時代ですね。なんか百姓キャラ(事実休日は農業が趣味だとか)一塁の小川ですか?飄々たる味のある選手とか、故西本氏が阪急時代に育てた阪急選手が優等生タイプなのに、近鉄時代には「見えるとことでは頑張ってる振りをするが見えないところで勝手な事をしてる」ような近鉄選手のキャラが面白かった。それを近鉄時代の西本氏は「見ていぬ振り」何故なら究極、必要になると頑張るのを知って居たからのような気がする。」

  • 【私も近鉄バファローズ大好き人間でした】
     今はオリックスファンですが、私も近鉄の熱烈なるファンでした。プロ野球に興味を持ち出したのは30歳前頃からですので西本監督の頃からです。江夏の21球も10・19も今は懐かしい思い出です。ファンになったきっかけはもともと高校野球が好きで、ある夏の甲子園が終わって寂しかったのでプロ野球のラジオ放送でも聞くかというのがはじまりです。ちょうど聞いたのがラジオ大阪のバファローズナイターでした。近鉄沿線在住でしたので、近鉄バファローズのことはよく知っていましたので近鉄の試合を聞いたのだと思います。その後、放送だけではあきたらず日生、大阪、藤井寺、西宮と球場通いが始まりました。選手は近鉄の選手がすべて好きでしたが、特に好きだったのは新旧の切り込み隊長平野・大石でした。ピッチャーでは柳田、小野、野茂、阿波野、赤堀あたりかな?

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