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  • 【うつぼ舟】
    昔、越前、能登あたりの貧しい村では、年寄を海へ棄てました。
    いってみれば陸の姥捨と同じでしょう。

    70歳になると木をくりぬいた箱舟に乗せ、枕元に餅だのいり豆など
    当座の食料を置き、沖へ曳いていって、そのまま流したのです。
    これをうつぼ舟と呼んだそうです。

    大概のうつぼ舟は、日本海の荒波で沈みましたが、
    時に佐渡へ流れ着く舟もあり、佐渡の人は無縁仏として手厚く葬ったようです。
    海流の関係で、佐渡へ流れ着くうつぼ舟は、能登から出た舟が多かったとか!

    佐渡は四十九里と唄われますが、これは対岸の新潟県柏崎からではなく、
    能登からのうつぼ舟の流れる距離だといわれてます。

                        作者不詳

    道に迷った男の痴れ言です。 昔、越前、能登あたりの貧しい村では、年寄を海へ棄てました。 いってみれば陸の姥捨と同じでしょう。

  • 【紙吹雪】
    旅をするといろいろな変わった場面にぶつかる。
    所用があって信州に行ったが、その帰りのことである。
    夜汽車であった。確か甲府あたりであったと思うが、
    私の向かい側に若い女の人が乗り込んできた。なかなかの美人である。

    それだけなら、ただの美人という印象にとどまったのだが、
    その若い女性が、列車の窓を開けて何やら撒きはじめた。
    私は、何だろうと思って見ていると、
    それは細かな紙切れを窓の外に撒いているのだった。
    しかも、それは一回だけでなく、汽車が大月駅を過ぎても、何回となく撒いた。

    その娘さんは、ハンドバックの中から紙切れをつかみ出しては、
    少しずつ外に捨てる。
    すると紙片は風に散って紙吹雪となるのだった。私は、思わず微笑んだ。
    今どきドライと思われがちな若い女性が、こんな子供っぽい、しかも
    ロマンティックなことをするとは思わなかった。

                   (松本清張・「砂の器」より)

  • 【土佐の嫁と姑 ③】
    この家での盆の行事は初めてだったから、姑について門に四つ竹を組んで
    蓮の葉を載せ、そのわきで迎え火も焚いた。
    べつに新盆でなくとも、夜ともなれば岐阜提灯に灯を点し、
    皿鉢の四、五枚は作って、夫の妹夫婦も招いてゆっくりと食事もする。

    婚家の墓は、三、四丁川上の藪のなかを抜けた山かげの暗い場所で、
    今日まで何代続いているのか、石塔がたくさんあった。
    火をつけた線香の束を小分けして、その石塔に配りながら、姑は
    「私はむずかしい言い送りは何も受けてはおらんけどね。
    ただ、「このしろ」という魚だけは食べたらいかん、と止められておる。

    何でも三代前ほどに、子供が生まれては死に、生まれては死にして、
    育たざった夫婦があってね。
    「このしろを断ちますきに」と先祖さまに祈願したそうな。
    そんでお前さんらも、「このしろ」だけは食べんように、それだけは守って頂戴や」と命令調に言われた。

    それを聞いてふっと大きな不安をおぼえた。
    このじめじめした北向きの墓所に葬られるのか、と思うと、それは寒気のするほど恐ろしいことであった。
    ここらではまだ土葬で、埋葬するために土を掘れば、先祖の人骨はたくさん出てくるという。
    自分はここに眠りたくはないと思った。

    宮尾 登美子著 「仁淀川」より

  • 【土佐の嫁と姑②】

    常に姑の言葉には、トゲが含まれていると感じることはひんぱんにある。
    会話といえば人の噂ばかりだが、そのついでに、
    「そりゃあそうよ。あそこの嫁さんは体格もええし、丈夫なひとじゃもの」
    といわれても丈夫でない嫁は自分へのあてつけか、と思うし、

    「あそこは三夫婦揃うて働く一町の大百姓じゃが、物持ちも物持ちよねえ。
    一家の差配は八十近いお爺さん、煮炊きはお祖母さんじゃが、
    あれほどの大家内じやのに、祖母さんが畑から抜いて戻る、晩のおかずは
    ほんの葱十本ばかりじゃと。

    嫁がお代りの茶碗を差し出すまえに、ぱん、と大きな音をたててお櫃の蓋を閉めてしまうそうな」というのを聞けば、
    いったいお姑さんは、私に飯もくわずに働け働けと言いたいの、それとも
    うちは小人数だからあんた楽やねえ、と言いたいのか、と気を廻してしまう。

    さすがに、二階へ上って一人泣くことは少なくなってきたが、夫に訴えても、
    「母さんのいうことなんか気にすることはないじゃないか。
    飛び越すことよ。飛び越して、飛び越して」といつも気楽に言う。


    宮尾 登美子著 「仁淀川」より

    道に迷った男の痴れ言です。  常に姑の言葉には、トゲが含まれていると感じることはひんぱんにある。 会話といえば人の噂ばかりだが、

  • 【土佐の嫁と姑 ①】
    農家が一番忙しい、田植えが始まった3日目のことだった。
    日が暮れるまで、夫と姑は外で立働いていて、台所に入ってくると
    嫁が二人をねぎらうように、「今日はうどんを打つてみたけんど、どうじゃろか」と言いながら、湯気の立つ大鍋から椀によそうのを見て、

    姑は「この忙しいのに、そんな気の長いことしよったかね」と強い口調で云い、驚いて目を上げた嫁に、姑は堰を切ったように、
    「あんたがね、何故百娃を手伝わんか、私は息子にに問うてみた」と、
    卓被台の前に斜めに腰かけ、目は夫を見ながらいい始めた。

    それは、胸のうちに溜まりに溜まった憤懣を、今日こそ言わしてもらおう、
    とする意気込みに溢れていて、夫も口を差挟むすきもない雰囲気であった。

    「そしたら息子の言うことに、『あれは町の人問じゃきに、百娃はさせられん。家に居ってもろうたらええ』と、こうじゃった。
    しかしねえ。なんぼ町の人間じゃとて、百姓家へ嫁に来たからにはそれでは通りますまいが。
    ここら辺の嫁はねえ。朝、起き抜けに座敷から庭へ、ぱっとはだしで下りる。
    夜、仕事終えて寝るときに、はじめて足を洗うて座敷へ上るもんじゃ。
    私もずっとそうやってきた。

    田植の時期に下駄履いちょる嫁など見たこともない。あんたは下駄どころか、座敷へ坐ったなりじゃもの。その上、日が高うなってから起き出してきて洗濯じゃ。
    洗い物はね、東側向きに干す嫁をもらえ、と昔からいいよるよ。
    陽が出た時分には、もう乾き上っちょるほど、早起きして洗えということよね」

    「もうええよ、それくらいで」と、さすがに夫が止めに入ったが、
    そのときはもう、嫁の目から涙が溢れていた。

               宮尾 登美子著 「仁淀川」より

  • 【ご無沙汰です。】
    matu_e_10さん、まっちゃん、
    書き込みを有難う御座います。
    折角、お訪ねいただいたのに、
    長い休みで申し訳ありません。

    ちょっと訳けあって、顔を出しできないことが多く
    ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします。

  • 【先生の大きな手】
    今から三十年あまり前のことになります。
    小さい時に父を亡くし母も事情があったため、私は母方の祖父母の家にあずけられていました。
    そんな状況の中、中学の修学旅行に行かせてほしいなどとは、祖母に話すことができませんでした。

    「乗り物に酔うから修学旅行には行かない」と言う私に、母を知っていた国語の先生が見るに見かねて、
    祖母に「友達と行くのはこれが最後だから、ぜひ行かせてやってほしい」と知らない間に頼みにきてくださいました。

    そして、友達と楽しい修学旅行に大阪・京都へ行かせてもらうことになったのですが、
    さすがに小遣いまでは、みんなと同じ金額は持って行けず、友達がいろいろ楽しそうに
    おみやげを買っているのを遠くから見ているだけでした。
    その時、国語の先生がそっとそばにきて私の手に百円札を三枚にぎらせてくれました。
    「おみやげに何か買っておいで」と言って、私の手をしっかりにぎってくれた先生の手のあったかかったこと。

    私もそのお金を持って友達の輸の中に入って行きました。
    そのころの三百円は私にも先生にしてもたいへん大きな金額だつたと思います。
    それを友達にもわからないようにそっとにぎらせてくださった先生。

    今でもその時の先生のあったかかった手の大きかったこと、
    心からの思いやりを忘れることができない私です。

  • >>9

    【夕暮れのヘッドライト】
    何年も前のことでした。夜といっても夕方のこと。
    でも季節が冬なので、あたりは真っ暗闇でした。
    私の乗ったバスはもうすぐ峠道にさしかかるところでした。
    麓の村の停留所で、中学生が一人降りました。部活動からの帰りでしよう。
    暗いバス停に降り立って、道路から集落への細い道を慣れた足取で歩き始めました。

    ところが、乗る人も降りる人もいないのにバスは動きません。
    時問調整のためでしょうか。しばらくライトを煌々とつけたまま止まっています。
    そして、ようやくブルンツと音を立てて出発、一体何だったのでしょう。

    あとになってようやくわかりました。集落への細い道が急な坂道でしかも暗いため、バスのヘッドライトは中学生の足元を照らす明かりとなっていたのです。
    福井県若狭地方と滋賀県近江今津を結ぶ鯖街道のJRバス。
    たまたまその日だけのことかと家に帰って話すと、母も何度も見たことがある、と言っていました。

  • 【のぞみちゃんの自転車】
    私は慢性病のため、なかなか仕事に就くことができない。
    履歴書の健康状態の欄に病名を記入しただけでアウトである。
    返答すらない。そのため、我が家は経済的に厳しい状況にある。

    しかし、妻と子供たちは健康そのもの。特に次女はスポーツ万能で
    夏休みの間もプールに皆勤、平泳ぎをマスターした。
    プールは午後三時までなので、一度帰ってきて、また校庭へ遊びに行く。
    友達の一輪車や白転車を借りては乗り回していた。
    だが、我が家の状態を察してか、決して自転車を買ってくれとは言わなかった。

    今年の春、進級したときのこと。友達ののぞみちゃんのお父さんから妻に電話がかかってきた。
    「のぞみの背が伸び、新しく白転車を買うので、今使ってるのをもらってくれないか」と言われたという。

    妻も次女も大喜び、ありがたくいただくことにした。白転車には新しい電灯が付けられ、
    折損部分は熔接、ペンキまできれいに塗られていた。その思いやりに感激した。
    のぞみちゃんのお父さん、ありがとう。

  • 【最期の誕生日】
    平成5年8月2日、
    夫は国立病院のベッドの中で「こんなにうれしい素敵な誕生日は生まれて初めて」との笑顔を残し、その5日後に天国へと旅立ちました。
    肺ガンとの2か月あまりの闘病の中での、看護婦さん方のあたたかい心を、私は生涯忘れることはないと思っております。

    6月1日、病院に検査の結果を聞きに出向いたその日に即入院。
    「現在の状況では六月いっぱい」との医師の言葉に、必死で闘いました。
    医師、看護婦さん方の大きな力で7月も過ぎ、8月を迎えました。
    最後の誕生日になるかもしれないと、私は夫のためにケーキを用意しました。

    大きいローソク6本、小さいローソク4本に灯がともりました。
    その時、看護婦さん7人がそれぞれ、薔薇の花1本ずつを手に
    「お父さん、お誕生日おめでとう」と、一緒に祝ってくれました。
    病室の雰囲気は、ぱっと明るくなり、数回かかってローソクの灯を消す夫の目には、いっぱいの涙が光っていました。
    あの日の親切、本当にありがとう。

  • 【黒サングラスの救い神】
    何年かぶりで、病床の身を妻と嫁に付き添われて墓参りに上京した。
    ところが、東京駅から乗った山手線は大混雑。人に押されて右に左によろめいているちに、
    気分が悪くなり冷や汗がしきりに出る。
    妻も嫁もしきりに心配するが、どうするすべもなくおろおろするばかり。


    その時、前の席の人がすっと立って、黙って私の肩を押すようにして座らせてくれた。
    思わず大声で「ありがとう、助かりました」と言つてその人を見ると、黒いサングラスをかけて
    白服白靴、胸には金バツジをつけた一目瞭然、その筋の人であった。
    しかし、その人は私たちの口々のお礼に「おおよ」と一言つぶやいて、
    次の駅で降りるかのように人を押しわけて出口に移って行った。


    私にとっては、あわや卒倒寸前の「救いの神」であった。
    しばらくたって池袋を過ぎたころ、少しすいた車内を何気なく見回すと、
    出口付近に黒サングラスのその人がまだ立っていた。
    私たちに遠慮させまいとして、いかにもすぐ降りるふりをしてその場から離れたのだ。
    人は見かけだけで判断してはならぬと思い、しみじみ人の心のあたたかさに感じ入った。

  • 【水玉模様の笛袋】
    私が小学校五年生の時のことです。音楽の時問に
    「笛を入れる袋をお母さんに作つてもらうように」と言われました。
    ですが・母は私が四年生の夏に亡くなり、父もその当時六十二歳でしたので、
    ミシンなど使えるわけがありませんでした。


    次の音楽の時間がある日に袋はできず、
    私は重い気持ちで学校に行きました。
    すると親友が「これ、使って」と赤地に白い水玉模様の
    かわいらしい袋を私に手渡してくれました。

    私はその親友に何一つ言わなかったのに、
    その子のお母さんが、「きっと困っているだろう」と
    私のために作ってくれたのです。

  • 【おばあさんのハンカチ】
    とある小さな駅でのことでした。夕方のラツシユ時、
    帰宅を急ぐ人たちが改札口付近に群がっています。
    群衆は赤い公衆電話を囲んでいるのです。

    そこには中年の男性が泣きながら電話をしていました。
    その男性は電語を抱きかかえて象のように号泣しているのです。

    彼がひとしきり泣くと、腰の曲がったおばあさんが赤電話に近づきました。
    周りにいた人々は、おばあさんがどうするものかと見守ります。

    するとおばあさんは、懐から白いハンカチを取り出して、うつむいている人の手に持たせました。
    「涙をふいてな。それからまたお泣き」そう言ってどこかへ消えて行きました。


    .

  • 【さいごの手紙】
    僕が小学三年生の時、ぜんそくで入院、そして退院する日のことです。
    心臓が悪くて入院していた中学二年生の小島望美ちゃんが、ぼくに一通の手紙をくれました。
    その手紙の内容は・・・
    「また、ぜんそくなどになって入院をしないこと。家に帰っても強くたくましい男の子で、勉強、運動にガンバレヨ!」とのことばです。

    ある日、僕は望美ちゃんの顔を見に病院に行きました。
    でも望美ちゃんは、もうこの世にはいませんでした。
    その日から僕は、病気を早く治して「やさしくて、たくましい男の子」になろうと心に決めました。
    望美ちゃん、大きなやさしさ、大きな親切ありがとう。
    僕、がんばるよ!
                         栃木県佐野市 関根直也(10歳)

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