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  • 初めて投稿させて頂きます

    名演奏ありますよ!(CD)
    指揮:シャンドルヴェーグ
    演奏:カメラータアカデミア
    ザルツブルグでのライブです

    曲目:モーツアルト交響曲K.19a K81 K.338 K.543

    どれも演奏の方向性が見える素晴らしい演奏です!

  • 【もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    今、私の手元に一枚のCDがあります。作品名はドヴォルザークの「新世界より」、録音は1941年/ベルリン・フィルハーモニー・ホールでのライブ、オーケストラはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、そしてタクトを振ったのがあのフルトヴェングラーと明記されています!!
    既にご存知の方も多いでしょうが、このCDは発売当初から大きな話題を呼び、フルトヴェングラー盤か非フルトヴェングラー盤かと大きな物議を醸した演奏です。

    当時のベルリン・フィルのホルン奏者の一人がこの録音を「旧フィルハーモニーホール独特のサウンド」と証言したことからCDが発売される運びとなったということですが、発売当初このCDを一聴して、その録音の良さとロマンティシズムが横溢する演奏の凄さに感動したのを憶えています。
    しかし何度かこの演奏を聴いていく内に、次第に戦時下で録音されたフルトヴェングラーの他の録音で聞かれる、彼の魂の慟哭や極限にまで追い込まれたデスパレートな感情、そして祖国の同胞に対する苛酷なまでの呼びかけが聞こえて来ないことに気付いていきました。

    この「新世界より」の演奏は現在では非フルトヴェングラー説が有力ですが、日本ではいまだにフルトヴェングラーの演奏であるとする方が多いようです。またこの演奏がカバスタ指揮ミュンヘン放送響の1944年7月14日録音であると断言をしている本もあるようです。しかしこの時期にフルトヴェングラーが「新世界より」を演奏会で積極的に採りあげていたことは事実として記録に残されています。

    1941年の実演を聴かれた札幌音楽院長の故荒谷正雄氏は「その時の公演は、いつものフルトヴェングラーらしくない(わりとザッハリッヒな)、非常に新鮮な新世界でした。彼の演奏じゃないという人は、フルトヴェングラーのことをもうちょっと知る必要があるんじゃないでしょか?」と語ったといいますが、さて、この演奏を聴いた皆さんはどう思われますか。

    しかしこの「新世界より」がフルトヴェングラーの演奏であっても非フルトヴェングラーのものであっても、その解釈は十分に感動を呼ぶに足りるものでした。

  • 【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら】
    荒らしを呼ぶ♂さん
     
    コメありがとうございます^^
     
    >NBC響のマーラーといえばワルターがアメリカに亡命して間もない頃「巨人」を
    >振ってる。この組み合わせで5番や9番も聴いてみたかった。
     
    確かにそうですね。
    私の場合NBC響=トスカニーニとなってしまって・・・
    だたワルターはNBC響とマーラーに限らずに言えば結構録音を残していますよね。
    (ブラームス・モーツァル等)だたしこれは戦前のお話で・・・。
    ですが皮肉な事にワルターは1957年トスカニーニ追悼演奏会で旧NBC交響楽団を振った「エロイカ」があります。私はこれは不滅の名演奏であると思っています。
    旧NBC交響楽団はトスカニーニの死後、シンフォニー・オブ・ジ・エアと名前を改称し、自主的な運営を行なったらしいのですが。いつまで存続していたのかはわからないし、どれだけの録音が残されたのかもわからないのですが、このワルターが振った「エロイカ」は永らく伝説的な名演とされてきたと思います。
    数年前、日本フルトヴェングラー協会が日本ワルター協会所有の音源から復刻したCDを頒布しました。
    この演奏には、トスカニーニの手兵オーケストラのせいもあるのか、常々のワルターよりも素朴で直接的な迫力があるものの、ワルター特有のカンタービレの伸びやかな美しさとリズムがもたれ気味になる懐かしい人間味が調和して、ワルターとトスカニーニの長所が合わさったような特異な演奏になっています。
    一楽章のシンフォニックでごつごつした造形、最強打されるティンパニ、金管の鋭さ、和音の美しさと流れるような情緒たっぷりの歌!これらが至純なまでに調和し、威厳たっぷりに展開する様はどうでしょう。弦の樹脂が飛び散るようなぶつかりはとびっきり情熱的。
    これだけ音楽を格調高く立派に、威厳を持って演奏しながら、歌に溢れ、一音一音に愛のこもった演奏は滅多に聴くことができないもの。
    葬送行進曲はフルトヴェングラー以上に悲劇的な表現。ワルターの56年のメトでの『魔笛』、二人の武士の登場の音楽の厳しさをしきりに彷彿させる。クライマックスの打楽器の強奏は超ど迫力。ライヴのワルターは熱いです。
    スケルツォも音楽の魅力、英雄の心のざわめきが伝わってくるし、終楽章の変奏の素晴らしさは手作り音楽といった情感が・・・。温もりを感じさせる弦の音色とともに、心にきゅんと染み入るような繊細なニュアンスにも欠けていませn。コーダの堂々たる威厳、終結のディミヌエンドも哀感たっぷりの表現です。
    終演後、すぎに聴衆の拍手がパラパラと起こるが、ふっと止んでしまいます。これは、ワルターが追悼演奏会であることを意識して、聴衆の拍手を制したためであるといいます。

  • >>6

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・】
    >またイタリアからアメリカに亡命したトスカニーニ等も、マーラーの録音は無かったと思います。

    NBC響のマーラーといえばワルターがアメリカに亡命して間もない頃「巨人」を振ってる。この組み合わせで5番や9番も聴いてみたかった。

    http://www.youtube.com/watch?v=-MzAm10IHlw

  • >>7

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    フクシンさん
    コメありがとうございます^^
     
    >ショスタコーヴィチの交響曲は5、7、10番しか選曲されていません。

    これは悲しい現実ですね。
    私自身は所要でフィラデルフィアに行ったときにショスタコーヴィッチの
    交響曲第四番をチョン・ミョン・フンの指揮で聴く機会に恵まれました。
    第一楽章の中程から曲調が急変した瞬間フィラデルフィア管弦楽団の超絶技巧に
    腰を抜かした事が蘇ってきました。以来第四番はバルシャイ盤を結構聴いてます。こちらも超絶技巧です^^。
    第一番も良いと思いますが当時の政治的な関係で煙たがれていたからポピュラーにならないのは
    しょうがないのかもしれませんね。こちらはバーンスタイン盤が気に入ってます。

    >ブルックナーの交響曲は1、2、6番が選曲されていません。
     
    6番は良い曲だと思いますが、そもそも目立たない曲ですし、
    異稿問題もないし・・・初演指揮者がマーラーだったっということ、
    フルトヴェングラーの唯一の同曲録音(戦時中のライブ)は第1楽章(よりによって同曲で一番面白い楽章が・・・)が
    未発見だってことと・・・私が思いつくのはそのくらいです。

    >ショスタコーヴィチが「ムラヴィンスキーの私の曲の解釈は全て間違っている」なんて言ったりして。。。

    似たような話はあったみたいですよ。
    「ショスタコーヴィッチの証言」という本のなかで彼はムラヴィンスキーが
    交響曲第五番を演奏したのを聴いたときにこう言ったそうです。

    ある時、私の最大の解釈者を自負しているムラヴィンスキーが、私の音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。
    私が歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと言っているのだ。いったいあそこにどんな歓喜があるというのだ。
    あれは強制された歓喜なのだ。それは鞭打たれ「さあ、喜べ喜べ、それがお前たちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。
    そして鞭打たれた者は立ち上がり、「さあ、喜ぶぞ喜ぶぞ、それが俺たちの仕事だ」という。
     
    ショスタコーヴィッチとムラヴィンスキーの関係は、常にスターリン、あるいは社会主義との距離で語られることが多いですが
    これには注意が必要ですね。
    若くしてソ連を代表する作曲家となったショスタコーヴィチはどうしてもイデオロギー的なメッセージの発信者として受け取られがちです。
    これはもちろん当初の御用作曲家というイメージだけでなく、後年のアンチ社会主義の作曲家というイメージも同じことだと・・・。
    しかし、ショスタコーヴィッチは何よりもまず純粋な音の美しさを追求する「音楽家」であったと思います。
    (逆説的な意味で、そんな彼を「芸術家」にしたのは紛れもなくスターリンとその政府で。)
    芸術家というより音楽家というのはあまりよいイメージではないかもしれないですが、芥川也寸志氏がショスタコーヴィッチにインタビューしたとき、
    作曲するときにピアノを使うか訊かれて、前は使っていたが今は使っていない、その方が音楽を深く考えられる気がする、そんなことを言っていたそうです。
    彼のシンプルかつ豊かな室内楽の数々を聴くと、彼が頭の中で深く追求した「音楽」というもの、
    思想や感情の表現などではない純粋な音の世界というものの価値は明らかであると思うのですが^^

  • >>5

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    マサさん、こんにちは。

    ちょっと昔のムック「レコード芸術編 名曲名盤300 ベストCDはこれだ!」(1993年発行)を調べてみました。
    ショスタコーヴィチの交響曲は5、7、10番しか選曲されていません。
    当然10番はカラヤンの演奏がトップで選ばれています。

    ブルックナーの交響曲は1、2、6番が選曲されていません。
    これは当然のことだと思うのですが・・・。

    そしてブラームスの大学祝典序曲、悲劇的序曲は選曲されていません。
    ハイドン変奏曲は選曲されています。

    まぁこのあたりの選曲は、音楽大出版社としては当然といったところでしょうか?

    ムラヴィンスキーの意味深なコメント、興味を持ちました。
    その後ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーとの間で一悶着あったりして(笑)
    果てはショスタコーヴィチが「ムラヴィンスキーの私の曲の解釈は全て間違っている」なんて言ったりして。。。

    時代考証、全然なしの書き込みでした^^

  • >>3

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    荒らしを呼ぶ男 ♂ さん

    コメありがとうございます^^
     
    >やっぱりナチが録音許さなかったのかな。
     
    フルトヴェングラーがベルリン・フィルの常任指揮者になったのは1922年ですが、翌1923〜24年に急激なインフレなどにより政権が混乱、
    ナチスが台頭していく時代と重なります。1925年に第1巻が刊行された「わが闘争」はナチスの台頭とともに売れ行きを伸ばしていきました。
    ナチスによる「アーリア化政策(ユダヤ人を排斥し、純粋たるドイツ人の国家を作る動き)」は、「わが闘争」にもその根源となるような記述がなされていますが、
    当時の世相はナチス(ヒトラー)のこの危険かつ過激な思想に共感し、ナチスの台頭を許したのです。
    その時代に、ユダヤ人の作品を取り上げることは、すなわち「ユダヤ人を擁護する」行為となるもので、
    とてもベルリンで出来るような行為ではありませんでした。
    特にナチス政権の下ではマーラー演奏は全面的に禁止されていたそうですので、フルトヴェングラーだけではなく、クナッパーツブッシュ
    やクラウス、ベーム、カラヤン等、ドイツに留まった指揮者はもちろん、あまり演奏の機会に恵まれませんでした。
    またイタリアからアメリカに亡命したトスカニーニ等も、マーラーの録音は無かったと思います。
    (ちなみに彼は指揮者マーラーの行った譜面への書き込みを見て、「マーラーのヤツ、恥を知れ!」と罵ったという事です。)

  • >>2

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    フクシンさん
     
    コメありがとうございます^^

    >カラヤンはショスタコーヴィチの交響曲は第10番しか録音しなかった。

    そうですね。カラヤンはこの作品にはよほどの自信があったようで、
    1969年のソビエト公演の際、ショスタコーヴィッチとムラヴィンスキーの
    前で演奏していますね。この時、ショスタコーヴィッチは「こんなに美しく
    演奏されたのは初めてです。」と舌を巻いたそうですが、
    ムラヴィンスキーは「実に感動しましたが、でも、あなた自身の演奏を
    レコードで聴くべきですね。」と意味深なコメントを発していたそうです。
     
    >そしてブラームスの大学祝典序曲はついに録音しなかった。
    >確かベームも大学祝典序曲は録音しなかったんじゃないかな?
     
    興味深いですよね。交響曲全集などいろいろ録音してるのに「大学祝典序曲」は録音しない、
    という大指揮者が結構多いですね。カラヤン、ベーム、ジュリーニ、ケンペ、
    古いところではフルトヴェングラー、メンゲルベルクなど蒼々たるメンバー
    が録音をしていないと思います。
    「変奏曲」「悲劇的序曲」は真面目な曲ですが、「大学祝典序曲」はブラームス自身が「スッペ風のとても陽気なポプリだ。」
    と言っていた通り、やはり交響曲の隣に置くには軽すぎると考えるのでしょうか?不思議です・・・。

  • >>1

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    もしも蓄音機が四半世紀早く発明されていたとしたらどんな演奏が聴けたのだろうか。

    そんな事を考えてみる。

  • >>1

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    >フルトヴェングラーが指揮したマーラーの交響曲第9番
    (実演はあるそうなのですが録音記録が無いそうです)

    やっぱりナチが録音許さなかったのかな。メンゲルベルクはマーラー交響曲第2番を得意にしてたらしいがこれも残ってない。

  • >>1

    【Re: もしもこんな名演奏が聴けたら・・・】
    お初です。

    カラヤンはショスタコーヴィチの交響曲は第10番しか録音しなかった。
    そしてブラームスの大学祝典序曲はついに録音しなかった。
    確かベームも大学祝典序曲は録音しなかったんじゃないかな?

    何でだろう?

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