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  • 教育とは、物質的にも精神的にも豊かに繁栄するための大人を育てることを目的とした場であるべきだと思います。
    それは心を成長させていく場。
    幸せな人生を送るための場。

    心の大切さ、偉大さ、善、悪について。
    私自身の考えを深めるため、考えを深めたいと思う人達のため、
    また、何か悩み事がある人のために目的にトピを立ち上げました。

    また、教育について、悩み事について、何でも私の視点でアドバイスが
    できるようなら力になれたらと思います。

    いじめや学校や教育に関する事柄だったら個人的な悩みでも、ニュースでもなんでもOK。
    気軽に書き込んでください。
    一緒に考えていける人を募集します。
    最低限のマナーは守ってね。

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  • 164(最新)

    亜美 2015年4月26日 15:44

    >>161

    おつしゃるとおり。

    先日、自転車に乗った母親が、
    学校横の信号を無視したので、
    「子供連れで、交通違反はだめだ」
    と、大きな声で云うと

    「私だけと違うでしょ」だと。
    子どもの目の前で、
    学校で教わる事と違う事を
    平然とする大人の行為、
    多いに反省しなければ・・・。

  • 映画「さとうきび畑の唄」の
    後半で、斥候中に
    負傷した米兵を発見
    上官に射殺するように命令される。

    毅然と断る。
    上官の命令は天皇陛下の命令
    命令に背いたとして
    その場で、射殺される。

    死ぬ前に
    「私は、こんな事をする為に
    生まれて来たのでは、ありません」

    いじめもまた同じ事だと
    思いました。

    自分の意思でない事を

    金をせびられたり
    万引きをさせられたり
    性的な行為をさせられたり
    暴行の対象とさせられたり

    強要する。

    そこから救いを求めても
    誰もが見て見ぬ振りをする。

    児童・生徒も教師ですら
    同様に関わりを恐れる。

    そこから、逃げる為に
    死を選ぶ事もある。

  • 最近のいじめはひどい社会を反映している。子供達にはもっと自然に触れさせおおらかな人間形成を

  • 今の子供たちは悪いことを。大人になる通過点のように思う傾向があると思います。なぜなら法を守らなければいけない人たちが守らない私たち大人が考えてもおかしなことがまかりとおる、子供たちが困惑するのは、わかるような気がします、その昔公務員は聖書者と呼ばれていたこともありましたが、今ではその聖職者が新聞、テレビを賑わさない日は有りません、大人たちよ襟をただし子供たちの手本になる様に

  • たかふみくんこんばんは。

    関東の方ですか。少し遠いですね。
    では、9月まで待って頂けるならそれでお願いします。

    私はある出来事がきっかけで今を全力で生きることにしました。それはつまりこの議論に出てきた今という刹那に全力を尽くすと言うことです。この結果は9月頃にわかると思うのでまたその時に話させていただこうと思います。

    それではしばらくの間退出します。

  • >>156

    たかふみくんレスありがとう。

    人は、子どもを育てる時に、人の役に立つ子どもに・人に迷惑を掛けない子どもに を最低限教えます。そして、幾つ何十になろうとも子どもは子ども、親は親です。教師も職業とは言え、今は完全なサラリーマンかと思います。自分が傷付く程に一生懸命に勤めるとそれはそれで遣り甲斐もあったのでしょうが・・・。

  • >>149

    まず、私がレスをつける人は、相手を尊重し、まじめにやり取りをしようという気持ちがある人です。
    それは、私に対する投稿の内容、他者へのレスを見ればすぐにわかります。

    どんなに内容が拙くても、一生懸命何かを伝えようとする気持ちがあれば、それは伝わるものです。

    そうでなければ、返信なんてバカバカしくてできません。
    一度そう判断したら無視リストに入れていますので心配にはおよびません。

  • >>151

    私達、一般市民は教員を聖職者として、理想を押し付けてしまうところもあるのかもしれません。
    教員も聖職者の前に、私達と同じ一般市民でもあります。

    どこの業界も優秀な人とそうでない人がいるように、教員もまた同じなのかもしれませんね。

  • >>154

    かっくんこんばんは。
    投稿有難うございます。

    確かにインターネット上の掲示板では取り留めのない話になりがちですね。
    しかし、直接会って話すのもご近所だったらいいのですが、私は群馬県に住んでいるので地理的にむずかしいかもしれません。

    生活の事情で9月頃まで返信できないのであれば、それはそれでかまいませんよ。
    ただ数ヶ月先になると、このスレッドがどうなっているかわからない部分があります。
    私も忘れないようにチェックはしていこうと思いますが。

  • >>150

    たかふみくんこんばんは。

    もしくは、直接会って話をするっていうのでしたら大丈夫ですよ。そのほうが恐らく毎日書き続けるより数段お互いの理解に近づけると思います。
    また、そもそも議論をするにあたってネット掲示板は文字だけのやりとりをしているのでやりづらいです。それに相手に伝わらない事が多いし緊張感もないと思います。距離や日程の問題などありますがもし都合がつけばいかがでしょう?

  • また枯れ朽ちたゴミが落ちてるよ(笑)。
    中身がないゴミを相手にする「生きてる人間」はいないって。

  • 日テレで放映の「35歳の高校生」#4で、教師が生徒のいじめに遭い、副校長の策謀から職員を煽ったいじめの結果、退職の道を選ばず授業中に教室の窓からの飛び降り自殺する、と云った内容。米倉良子扮する女子高生が「先生が生徒を売ったらお終い」と、教育の核心を突く発言がある。

    少し外れるが、副校長が仕組んだ痴漢事件で他校の女子高生を仕込んで痴漢事件をでっち上げる。本人が否定しているのに、副校長が認めるような言を発する。先に辞職するように奨めたのに従わなかった教員に対する執拗な嫌がらせ。パワハラの最たるものと思う。

    そして、いじめが犯罪である事は明らかだ。

  • >>146

    たかふみくん、こんにちわ。
    これからとても忙しくなるので9月頃まで返信ができなくなると思います。
    貴方との議論はとても多くの発見があり続けて結論までいきたかったのですが、いい加減なことを書かないために多くの時間を費やして返信していたので続けることはできそうにありません。申し訳ありません。
    また、9月、10月頃には返信をしたいのですがよろしいですか?

  • ゴミは無視して、気楽に続けてね。
    ゴミは中身がないから、ホコリとして舞い落ちるだけのこと。

  • >>145

    >A: そういうことです。私は、この山を登り始めた時から自然の領域に入ったという世界観を持ちました。そのため、そこから先に現れるものはほとんどが自然のものであり、自然の美しさを持つものだという認識になりました。つまり、この時点で自分の意味づけを施した新たな世界に移り住んでいるのです。そして、その意識を保って出会った滝は自然のものであろうとなかろうと私の中では自然のものとしてこれまであった自然に対する認識を書き換え、今目の前にあるものこそ自然であり、他の自然の対象物もこうした雰囲気を感じるのだろうと決め付け、その意味付けで世界を認識しようとしているというわけです。

    それは先入観とは違うのですか?
    疑わずに良いものであると受け止めるたわけですから、純粋だったということでしょうね。
    1度そのような経験をすれば、「また次の山も人工かもしれない」と思ってしまいそうな気がします。

  • >>144

    >A:合理的な理由とはつまりそのルール(全体の善)が自分の善になるということですよね?

    違います。その理由が合理的だからといって、自分の善になるとは限りません。もっと良い方法があるかもしれませんし、自分にとって都合がわるいために従わない可能性もあります。
    だから社会の悪だけ決めていればそれでいいのです。やってはいけないことだけ決めればいいです。それ以外なら何をやろうが自由です。


    >A:私が言っているのは、その共同体にいることが自分のためにならないと思うなら抜けてもいいということです。言い方が複雑でした。

    そこは単純に「抜けたければ抜けていい」でいいと思います。


    >A:それは私たち大人であっても同じです。そこまで計算していないし、自分の目的すら知らずとも何かを行うことは多々あります。いじめであってもそうです。自分の存在を感じることを意識してやっているわけではありません。

    ある程度知恵がついてくれば、駆け引きをするということは多々あります。
    赤ちゃんは駆け引きで泣いているわけではないという意味です。


    >A;初めに定義しましたが、全体の悪はその共同体における特定しない個人の損失を生む行為です。つまり全体の悪は個人の善悪の概念を総集して決まるので初めに全体の悪を決めるのではなく個人の善や悪が何なのかをお互い認識してその上で最も納得のいくものを選ぶのです。
    社会でもそうではないでしょうか?先ず、自分たちの要求を提示し、そこから皆が出来る限り損失しないルールを決めていくはずです。

    以前、かっくんが書いた「自分のためになる(個人の善)」という「自分のためにならない(個人の悪)」という言葉ですが、それは主観的な決断でありその人がとった行動です。そこでの個人の善悪は他人の迷惑を顧みる必要はありません。
    全体の悪を決めるときに、個人の善悪をいくら主張し合ったところで収集がつかず何も決まりません。

    「なぜルール作りが必要なのか?(ルールを作る目的はなにか)」
    「どのようなルールを作ればその目的が達成されるのか?」
    これだけでいいと思います。
    個人の善悪の主張なんかしたところで、話がややこしくなるだけです。

  • >>143

    かっくんこんばんわ。
    投稿有難うございます。

    >A:これはあくまで親が口出ししてくるのが嫌で自分には就活の意思があると見せるために買ったのかもしれません。

    そういう場合もあるでしょうね。就職の本を買う動機としては珍しいケースではあると思います。


    >A:ここは特に重要ではない争点だと思いますが、メインを理由においても結局はどう解決するかですよね?

    「悪があるとするならば、なぜ人間関係が衝突したのか。」という話をしていたはずですので、悪の所在の話です。
    かっくんが人間関係の衝突を「社会の悪」という主張に対して、私が社会の悪があるとするならば、それは原因にあると主張したという経緯の話です。
    対策論の話をしていたわけではありません。それはまた別に考えるべきだと考えます。


    >A:表面上にしろそうでないにしろ彼女が実際に断れない理由がそれであることに変わりありません。

    「それは店長や社員の方との仲から生まれる情を思えば一方的に切り離すのには勇気が要りますね。 」という事柄へのレスで、すでにサービス残業をさせようとした時点で彼女への裏切り行為なのであるから、相手への情など感じる必要などないという意味合いで書き込みました。


    >A:これは、会社だけに限った話しではありません。友人関係、恋人関係などあらゆる人間関係において起きています。会社というのは人間関係や共同体としての有り様の一部です。

    これは彼女個人についての話ではなくて、八方美人全般についての話でしたか。
    八方美人というと色々な八方美人がいますから、必ず搾取される側となるかどうかはなんとも言えませんね。

    A:そうだとすると私たちが共同体の服従者になることについてはどうお考えですか?

    服従者とは、やることなす事全て決められているという話ですよね?
    タブーだけ犯さなければ何をしてもいいので、服従者というわけではないと思います。
    またそのタブーが合理的な理由がなかったり、時代の流れで形骸化されたものだったりするならば、ルールの改正を行えばいいのではないでしょうか。
    合理的な理由があってのルール改正は社会の善です。大いにやればいいと思います。

  • >>142

    <<>その共同体と納得のいく回答が見当たらなければ抜けることも自分の善であれば良いと思います。 ここもおかしな表現になってしまっています。
    自分の善(個人の善)というのは、抜けたらそれは強制的にどんな理由であれ(個人の善)と断定される行為です。
    だから、彼にとっての個人の善なら、いかなる理由であろうと必ず抜けるのです。
    「個人の善」という表現は非常に使い所が難しいし、おかしな表現になりがちなので、むやみに使わない方がいいかもしれません。>>

    A:私が言っているのは、その共同体にいることが自分のためにならないと思うなら抜けてもいいということです。言い方が複雑でした。

    <<赤ちゃんは、実際そこまで綿密に計算しているわけではないでしょう。>>

    A:それは私たち大人であっても同じです。そこまで計算していないし、自分の目的すら知らずとも何かを行うことは多々あります。いじめであってもそうです。自分の存在を感じることを意識してやっているわけではありません。

    <<よく意味がわからないのですが、滝を見たときに、天然のものだということを前提に感動してしまった。ということですか?>>

    A: そういうことです。私は、この山を登り始めた時から自然の領域に入ったという世界観を持ちました。そのため、そこから先に現れるものはほとんどが自然のものであり、自然の美しさを持つものだという認識になりました。つまり、この時点で自分の意味づけを施した新たな世界に移り住んでいるのです。そして、その意識を保って出会った滝は自然のものであろうとなかろうと私の中では自然のものとしてこれまであった自然に対する認識を書き換え、今目の前にあるものこそ自然であり、他の自然の対象物もこうした雰囲気を感じるのだろうと決め付け、その意味付けで世界を認識しようとしているというわけです。

  • >>141

    <<社会に搾取ではなくて、会社に搾取ですね。社会となると、定義が広すぎますので。>>

    A:これは、会社だけに限った話しではありません。友人関係、恋人関係などあらゆる人間関係において起きています。会社というのは人間関係や共同体としての有り様の一部です。


    >A:個人の善が社会の悪なら変えていくべきかと言われれば必ずしもそうとは言い切れません。何故なら、社会の善悪がそもそも間違っている事もあるからです。 家族の中では食事中に会話をすることは下品なので「悪」であると決められていて、学校では食事中には会話をしてコミュニケーションをとることが「善」とされることもあります。その場合、共同体との衝突を避けるためにはその都度自分の善悪の概念を共同体の善悪の概念やルールに合わせて変えていけば済む話しです。
    <<私が言っていることはまさにそういうことですよ。>>

    A:そうだとすると私たちが共同体の服従者になることについてはどうお考えですか?

    <<個人にとってもいいこと(個人の善)というのは、意味が広範すぎて話をややこしくしているような気がします。そういう場合は、社会の悪だけ決めればいい話です。
    善い事なんて決めたところで大して意味を持ちません。>>

    A;初めに定義しましたが、全体の悪はその共同体における特定しない個人の損失を生む行為です。つまり全体の悪は個人の善悪の概念を総集して決まるので初めに全体の悪を決めるのではなく個人の善や悪が何なのかをお互い認識してその上で最も納得のいくものを選ぶのです。
    社会でもそうではないでしょうか?先ず、自分たちの要求を提示し、そこから皆が出来る限り損失しないルールを決めていくはずです。

    <<これも鍵は、食事の話だったら、なぜ静かにたべなければいけないのか、というところのほうが重要です。
    そこに人を納得させる合理的な理由がなければいけません。>>

    A:合理的な理由とはつまりそのルール(全体の善)が自分の善になるということですよね?

  • >>140

    たかふみくん。おはよう。

    <<まだ就活を始めてもいないから、効果が現れないから手詰まりというわけではなさそうなので、気が変わってやっぱり就活は目標ではなかったということですか?>>

    A:これはあくまで親が口出ししてくるのが嫌で自分には就活の意思があると見せるために買ったのかもしれません。
    人間とは不思議なもので、自分の意思に反したことは自分に脅威が現れない限り体が拒絶して手につかないものです。しかし、就職の意思がないのではなく建築の道にいくか違う道に行くかを決め切れていないのです。


    <<それよりも、その衝突となった理由の方がメインです。>>

    A:ここは特に重要ではない争点だと思いますが、メインを理由においても結局はどう解決するかですよね?(たかふみくんの「理由」という解釈がどこまでのものかも関係しますが)
    また、問題の解決とは必ずしもその衝突の因果から出るとは限りませんし、私は衝突した彼らの目的を見ることで解決策が見出せると思います。
    それとこれは考え方の違いだと思います。原因や理由から問題を捉えることをフロイト的な原因論と言います。一方、私の支持する考えは目的論になります。

    例えば、いじめの原因はいじめる側が攻撃するからです。しかし、目的は違います。目的はいじめることではありません。以前落とし穴の例で説明したように目的は自分の存在価値を実感することにあります。それゆえに衝突の解決とはその原因と結果以外にも目的を達成できるなら別のところからも見出すことができるわけです。


    <<それに店長や社員の仲から生まれる情を思えばといったって、会社側は表面上だけいい顔だけして、彼女をいいように使っているだけです。
    本当に店長や社員が彼女を大切に思っていたら、時間給で働いている人にサービス残業なんてさせますか?>>

    A:表面上にしろそうでないにしろ彼女が実際に断れない理由がそれであることに変わりありません。

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