ここから本文です
  • 1

    *****

    ”虹は七色”と言いますが虹の色は本当に七色あるのでしょうか?
    ”七転び八起”と言いますが、八回転んで九回に起きてもイイ訳ですが何故、七と八なんでしょう?
    五節句が「一月三日」「三月三日」「五月五日」「七月七日」「九月九日」に指定されている訳は??

    「八俣大蛇」「出雲大社の四本柱」「七巴の青銅器」「七不思議」「秋の七草」「三三七拍子」「三三九度」「四苦八苦」「七五三」「七曲り」「八十八夜」「八十八箇所」「九十九里」「七福神」「八幡」「八坂」「八王子」「四日市」「五日市」「廿日市」そして俳句の「五七五」などなど・・、口伝承された数語の謎解きをしませんか?

  • <<
  • 16704 16682
  • >>
  • ま、君らの日本語なんだから、君らのご先祖さんが自分で作った語彙が大半であるべきじゃあないのか?

    わっはっは^_^

  • ■「干支の秘密」~序

    今年は“トリ年”だが、
    周知の通り、「エト」は「干支」と書くが
    「エト⇒干支」は“当て字”。

    ①何故、「エト」と言うんか?
    ②何故、「干支」という“当て字”なんか?

    また、十二支は“一音”だけで何故、動物が決定したのか?という疑問。

    ①「ネ」⇒「鼠」
    ②「ミ」⇒「蛇」
    ③「ウ」⇒「兎」
    ④「イ」⇒「猪」

    「ネ」は「鼠」じゃなく、「猫」でもよさそうなモノだが、これ等を誰も疑問視したり、不思議と思わない事もワシ的には“不思議”。(^^♪

    また、今年は「酉年」が、何故か、“鳥”が「鶏」限定になった事もワシ的には笑える。

    この謎を解き明かした学者は未だに誰一人として、居らん。ワシが公開しない限り、是から先も謎のままだ。

    十二匹の中の虎だが、列島に虎が生息した記録が無い。
    明らかに干支の“デメ”は中国大陸という事になる。

    ★先行スルが「干支を考案して“歳・暦”として、活用したのはワシらの祖先東夷」。


    ★ワシらの祖先の出目は現在の江南省地域。此処から、紀元前二千年頃に夏王朝から逃れる為に民族大移動が始まり、最終的に列島へ移動する経路で「干支」は“根付い”た。だから、中国・台湾・韓国の干支が“同じ干支”なワケだ。要するに「干支の秘密」はコレを考案したワシらの祖先“東夷”の為のモノであり、中国・台湾・韓国は“干支を借用した”というのが真実。

    ・・・続く。


  • ■『コトワザ伝授』~「箸にも棒にも掛からない」其の三

    ★「新」の意味解釈は、「初々しい」。
    ★「棒」とは、「男性器」。
    ★「嘴⇒ハシ」。意味解釈は、「鼻・口」

    ★隠記の原文⇒「婆 爺に女陰 新も嗅がらな言い、婆 爺に女陰に棒が掛からないと言い、嘴にも棒にも掛からない」

    ★解説・・・婆さんが爺さんに「○○は初々しいから、誘ったが爺さんは嗅いでくれない」と言い、婆さんは爺さんに「○○に爺さんの棒が引っ掛からない」と言い。○○の臭いを嗅が無いし、爺さんの“モノ”も小さすぎて、○○に引っ掛らない。

    このコトワザの“シメ”は三連目で「爺さんが婆さんの○○に鼻・口を近づけなかった事と爺さんの“モノ”が小さくてスカスカだった事を纏めているトコロ。一連目の「掛からな」は「誘いに乗らなかった」で。二連目の「掛からな」は物理的な「引っ掛からなかった」。この二つを上手く、“掛けて”いるトコロが“オチ”。然も三連目は“手付けず”でマトメられている事。エロネタであってもチャンと究極の“ワザ”が仕込まれているという事。傑作の類。天下泰平の時代に作られた作品だ。(^^♪

  • ■『コトワザ伝授』~「箸にも棒にも掛からない」其の二


    後は適切な漢字を当てると以下の通り。

    「箸   にも棒 に も掛からない 箸   にも棒 にも掛からない 箸 にも棒 にも掛からない」
    「は し にもぼうに もかからない は し にもぼうにもかからない はしにもぼうにもかからない」
    「ばーじーにぼぼ にーもかがらないーばーじーにぼぼ にもかからないーはしにもぼうにもかからない」
    「婆 爺 に女陰 新 も嗅がらな言い婆 爺 に女陰 に棒掛からな言い嘴 にも棒 にも掛からない」

  • ■『コトワザ伝授』~「箸にも棒にも掛からない」

    「箸 にも棒 にも掛からない箸 にも棒 にも掛からない箸 にも棒 にも掛からない」
    「はしにもぼーにもかからないはしにもぼーにもかからないはしにもぼーにもかからない」

    ●前半部分の解析は以下の通り。

    「はしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「は」と「し」に「濁点」と「伸音」を付加する。
    「ばーじーにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「も」に「濁点」を付し、「ぼ」に変換加する。
    「ばーじーにぼぼうにもかからないはしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「う」は「伸音」なので削除する。
    「ばーじーにぼぼにもかからないはしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「かか」の一音に濁点を付加し、「かが」にする。
    「ばーじーにぼぼにもかがらないはしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「い」に「伸音」を付加する。
    「ばーじーにぼぼにもかがらないーはしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」

    ●中間部分の解析は以下の通り。

    「ばーじーにぼぼにもかがらないーはしにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「は」と「し」に「濁点」と「伸音」を付加する。
    「ばーじーにぼぼにもかがらないーばーじーにもぼうにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「ぼう」の「う」は「伸音」。
    「ばーじーにぼぼにもかがらないーばーじーにもぼーにもかからないはしにもぼうにもかからない」
    ↓「い」に「伸音」を付加する。
    「ばーじーにぼぼにもかがらないーばーじーにもぼーにもかからないはしにもぼうにもかからない」

    ●後半部分の解析は“手付けず”。

    「ばーじーにぼぼにもかがらないーばーじーにもぼーにもかからないはしにもぼうにもかからない」

    是で解析は完了。

    続く。

  • >>16695

    明治政府の間違いは、皇統(江戸時代までの、蘇我大王家が藤原北家王朝と名を変えている)を倒した、
    もう少し詳しく言えば、奸臣・伊藤博文に指名された偽ら明治天皇(高杉晋作の貨幣隊士・大室 寅之助)、
    即ち、革命・明治政府(▼長州閥 物部氏)なのである!
    そして、その軍部が台頭し、第二次世界大戦の敗戦となったのである!
    諡号の【明&成 などは】前 天皇との血脈が無い(親子で無い)事を示している。

       「猫」とは何か?
     文豪の夏目 漱石は、猫をこう描いている。
    「吾輩は猫【倭根子・皇統譜上の人物・偽明治天皇】である。
    名前【漢風諡号】はまだ無い。
    (高杉晋作の奇兵隊の隊士・大室寅之祐を★偽明治天皇に据えた奸臣・伊藤博文)
    どこで生まれたか噸と見当がつかぬ」となる。
    また森鴎外・帝室博物館総長兼図吉頭(ずしょのかみ)は、『帝★謚考』を出している。
    正しい漢字は、『帝☆諡考』である。
    即ち、漱石も、鴎外も、【明治天皇は、偽者である】と言っているのだ。

    革命の明治政府・長州閥の物部氏は、皇統の天皇家を支持していた薩摩藩(西郷隆盛)と、
    西南の役で戦い、勝利した。
    偽明治天皇(大室寅之助)は、正統ではない明治神宮を建てている!

    大正天皇は、大隈重信の子であり、「昭和天皇」は、【明治政府の大室寅之助の子】である!
    今上天皇(平成天皇)で、やっと皇統に戻ったのである!



  • ▼特攻隊名にも軍師昭和天皇に対する大西瀧治郎さんの“本音”が託されているワケだが、戦後の国民は誰一人として、この事に“気が付かない”。是は“記録”の全てに言える事だが、戦後の洗脳教育によって、歌道を知らないという理由だけで、済まされる事では無い。要するに「戦争の恐ろしさを知らない者が建前(記録・証言)だけで、軽々しく、軍人や国民感情を判断するな!」という事。「記録(出来事)や証言の根源は動機になる精神」が潜む。特に証言には世論の“柵”が少なからず、影響する。戦争を経験された方々は“真実を知っている”訳で、「反骨を公言したい」が憲法第一条で「天皇は日本国の象徴」であると定められている以上、「本音が言えない」というのが現実。「起きた事と動機は必ずしも一致しない」という事。更に付け加えると「私見の入る余地など無である」という事。帝国国家時代の憲法・法政・学校教育などの社会制度の中で「制限を受けていた国民」と帝国国家から“解放”された戦後、の平和ボケ国民とには其の精神に大きな隔たりがある。だからこそ、当時を生き抜かれた人たちの精神の記録を「正しく、認識」して、少しでも多くの“先人たちの証言”を後世に伝え、正しい歴史を認識する事がワシらの“ヤルべき事”だと思う。

  • 【是で解析は完了。 後は適切な…】



    是で解析は完了。
    後は適切な漢字を当てると以下の通り。

    「敷 島 大  和朝 日 山   桜 」
    「しきしまや まとあさひ や まざくら」
    「しきしまいはまとあさひ いはまさくら」
    「しぎしまいあばどあざいーひはまさぐら」
    「仕儀終 い庇 ど嘲 言い日は正 愚ら」

    ★「仕儀」とは、「思わしくない結果」。意味解釈は「戦敗確定的」
    ★「終う」とは、「出さない」。意味解釈は「言わない」。
    ★「庇」の意味解釈は、「軍師昭和天皇命令絶対遵守」。
    ★「嘲」とは、「馬鹿にする」。
    ★「日」とは、「天皇」。意味解釈は「軍師昭和天皇」

    ★隠記の原文⇒「仕儀 終い 庇ど 嘲言い日は正愚ら」

    ★解説・・・「戦況が悪化し、日本軍に勝ち目は無く、戦敗が確定的であったが、軍人たちは決して、公言せず、軍師昭和天皇を庇うように命令に従ったのに嘲事を言う軍師昭和天皇は正に愚人である」という、内容。

    大西さんは無論の事、特攻隊員になられた皆さんは皆、「勝ち目の無い戦」デアッタ事を自覚されていた。「勝ち目の無い戦に軍師昭和天皇命令に従い、命を捧げる」ワケだが、是は軍師昭和天皇命令を遵守する“軍人の武士道精神”。然しながら、この精神を“余所目”に軍師昭和天皇は「嘲事を言った」ワケだ。特攻隊員の方々や特攻に携わった方々にして見れば、実に“許し難い”屈辱だ。正に大西さんの名言、「特攻は統帥の外道である!」だ。

  • ■「特攻隊名の秘密」其の二

    大西瀧治郎氏の足跡ははネットで。

    「特攻の理念」を本居宣長さんの和歌に重ね合わせて、「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と命名されたワケだが、是は「建前」。是だけで終わらないのが名歌人たる大西さんの凄いトコロ。大西さんの“本音”の部分は特攻隊の名称、「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」を“繋げると浮かび上がる”。

    「敷 島 大 和朝 日山 桜  」
    「しきしまやまとあさひやまざくら」

    ●解析は以下の通り。

    「しきしまやまとあさひやまざくら」
    ↓「」に「濁点」を付加する。
    「しぎしまやまとあさひやまざくら」
    ↓「や」は「い」と「あ」の合音なのでに分離する。
    「しぎしまいあまとあさひやまざくら」
    ↓「ま」に「濁点」を付加し、「ば」に変換する。
    「しぎしまいあばとあさひやまざくら」
    ↓「と」に「濁点」を付加する。
    「しぎしまいあばどあさひやまざくら」
    ↓「さ」に「濁点」を付加する。
    「しぎしまいあばどあざひやまざくら」
    ↓「」は「」に変換し、「伸音」を付加する。
    「しぎしまいあばどあざいーやまざくら」
    ↓「や」は「ひ」と「は」の合音なのでに分離する。
    「しぎしまいあばどあざいーいはまざくら」
    ↓「ざ」の「濁点」を削除する。
    「しぎしまいあばどあざいーいはまさくら」
    ↓「く」に「濁点」を付加する。
    「しぎしまいあばどあざいーいはまさぐら」

    ・・・続く

  • ■「特攻隊名の秘密」其の一


    ■本居宣長

    是は周知の宣長さんの歌だが何故、この歌がチョン切られて、神風特攻隊の“四つ”の隊名「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」になったのか?


    其の答えは宣長さんが歌に認めた「大義の理念」に肖り、「特攻の理念」として、「縁起を担いだ」事が起因している。

    「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」

    ★隠記の原文⇒「義は労ど、曲ぐら、離り 仲」

    ★解説・・・「幕府の法政を主る側が違法行為をすれば、公民は官から、離れてゆく」

    宣長さんは此の歌で、幕府の行政機関が“腐敗”しきっていた事を非難している。

    ▲特攻隊の理念に置き換えると以下の通りだ。

    ★「義」とは、「幕府の行政」⇒「特攻の大義」。
    ★「労」とは、「行政執行」 ⇒「特攻行為」。
    ★「曲ぐ」とは、「汚職」  ⇒「怯む」。
    ★「仲」とは、「官と公民」 ⇒「特攻隊員の結束」。

  • >>16689

    ③ 【▲矛圏(物部氏・猿)】君臨者・難升米と、統治者・司馬懿の「邪馬壹(やまい)国」。
    ガラス管と剣が副葬されていた「1002号墳・径百歩」は【卑弥呼(難升米)の墓】
    &廻りの多数の甕棺は、従者の墓。
    http://www.yado.co.jp/kankou/saga/sagasi/yosino/yosino.htm
    http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=12
    http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/himiko.html

    ④ 【●鑑圏(蘇我氏)】投馬国(☆とまや ←)女王は、臺与(台与)である!
    即ち、邪馬臺(→ ☆やまと)国・トカラ列島の宝島(観音堂大鍾乳洞あり)
       ↓
    斉明太上天皇(宝皇女)は、東遷して、天草の御所ケ浦島・比良宮である!

  • >>16688

    ① (毛人の)縄文人は、大陸から(陸続きの)列島にやって来た。
    「ノアの洪水」(聖書に記載・4381年前・西暦前2370年頃)や、
    地震・大津波で壊滅的打撃を受けたと思われる。

    ② 【◆銅鐸圏】(燕)公孫氏が韓半島から船でやって来た。
    山陰の四隅突出古墳や明日香の石舞台古墳&ピラミッド型古墳が遺跡。
    仲間の呉の使者を殺害した為、(呉の縁者)難升米の裏切りに合い、韓半島で、司馬懿に滅亡さされる。

  • ■「ウガヤフキアエズ」其の二

    隠記アイテムは「組み合わせによって、意味内容を操作出来る」という、利点がある。
    因みに「ウガヤフキアエズ」だけで有れば、意味解釈は以下の通りだ。

    ●解析は以下の通り。


    「ウガヤフキアエズ」
    ↓「ヤ」は「ヒ」と「ハ」の合音なのでに分離する。
    「ウガヒハフキアエズ」


    是で解析は完了。
    後は適切な漢字を当てると以下の通りになる。


    「ウガヒハフキアエズ」
    「居が日は不軌和えず」


    ★「居」とは、「定住」。
    ★「が」は、「接助詞」。
    ★「日」とは、「天照一族(天皇家の祖)」。
    ★「不軌」とは、「違法行為」。

    ★解説・・・「定住する天照一族(天皇家の祖)はヤマトの法政に背くような違法行為をしてはイケナイ」という、内容。



    「居(ウ)⇒定住」は「外来」を意味し、「天皇家がヤマト民族では無い」事を明確にしている。


    天照一族(天皇家の祖)が九州に侵攻し、紀元前二世紀後半に邪馬台国(九州)を建国したが、国家運営は大国主一族(藤原家の祖)と「糾ふ」関係にあり、基本的には既にアッタ、ヤマト民族の法政が主体だったが、天照一族(天皇家の祖)はこのヤマトの法政に従わなかったという事だ。


    ウガヤフキアエズなんていう王朝とか、実在しない者を恰も実在したかのような愚説は漫画の世界(^^♪

  • ■「ウガヤフキアエズ」

    ●解析すると以下の通り。

    「ギサタケウガヤフキアエズ」
    ↓「ヤ」は「イ」と「ハ」の合音なのでに分離する。
    「ギサタケウガイハフキアエズ」

    是で解析は完了。
    後は適切な漢字を当てると以下の通りになる。

    「ギ サタケ ウガイハフキアエズ」
    「義 沙汰け 有涯 は富貴和えず」

    ★「義」とは、「法政」。意味解釈は「ヤマト民族の法政」。
    ★「沙汰け」の「け」は、「助詞」。「沙汰」は「結果」。
    ★「有涯」とは、「世の中」。意味解釈は「ヤマト民族社会」


    ★解説・・・「ヤマト民族の法政は結果的に身分格差を受け入れない」

    このアイテムの意味は古代の「列島社会に身分の格差が無かった」事を意味している。また、「和えず」とあるので、「身分格差を齎す法政が“外から介入した”」事も示唆している。ワシらの祖先は紀元前2000年頃に渡来し、先住の倭種と同化した。「ウガヤフキアエズ」が意味している事は、ヤマト民族社会は紀元前2000年に始まり、天皇家に侵略支配されるまでの2000年間のヤマト国は「格差の無い社会だった」という事。『記・紀』の「大国主の国譲り」は「ヤマトの長、大国主が天皇家に国を譲った」事(実態は殺戮し、奪い取った)が記されているが、ヤマト民族の“長”が「王」では無く、「大国“主”」と呼ばれていた所以だ。

  • ■「ウガヤフキアエズ」

    『記・紀』を齧った者なら、大概は耳にする「ウガヤフキアエズ」という名称だが、是を王朝だとか、神名だとか、命名だとか、「ウガヤフキアエズは実在する」という、トンデモ論が後を絶たぬ。(^^♪

    以前、「神代紀」の読み方で「天地初」の条で「神名は全て、アイテムデアル」という事を解説したが、「ウガヤフキアエズ」も他の神名同様に“ウラ”に記録する為の“アイテム”の一つにしか、過ぎん。また、神代文字で綴られた文言も然り。神名や尊/命名などは隠記アイテムとしての単体ブロックなので、全体の一部。なので、単語のみで意味を解する場合は前後の“絡み”も関係して来るが、「ウガヤフキアエズ」というアイテムは単語は是のみで意味を解する事が出来るので一応、提示して置く。

    「ウガヤフキアエズ」のフルネームは『古事記』では「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」⇒「あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」。『日本書紀』では「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」⇒「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と表記されています。『古事記』『日本書紀』は其々、“編纂手法は異なる”ので、“共通する部分だけ”を解説して置く。

    「あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」
    「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」

    ●先ず、歌道法に基づいて、接助詞「の」と「アマ」と「ヒコ」と「ミコト」は削除する。

    「つなぎさたけうがやふきあえず」『古事記』
    「 なぎさたけうがやふきあえず」『日本書紀』

    共通する部分は「ナギサタケウガヤフキアエズ」だが、先にも言うた通り、アイテム同士の前後の兼ね合いがあるので、単語のみで意味を解する場合は『古事記』の「ツナ」と『日本書紀』の「ナ」は排除し、解析する部分は「ギサタケウガヤフキアエズ」とスル。

  • >>16683

    ヤフーは、公平でないから、蘇我大王家(秋)を詳しく書くと、記載できないようにしている!
    無知アホ糞馬鹿ヤフーめ!

  • >>16682

    斉明太上天皇の「邪馬臺国」・【(九州近江)八代市沖の不知火海・御所ケ浦島、比良宮】
    鯨魚(いさな)取り 近江の海(不知火海)を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る船 ~(巻2・153)

  • <<
  • 16704 16682
  • >>
並べ替え:
古い順
新しい順