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人間とは何ぞや?

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  • 2016/04/14 12:22
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    人間とは何かを考えましょう。

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    cla***** 4月14日 05:48

    > 日本の皇族 半島の王族も 皇族(王族)の血族の為 近親者の交わりがあった

    王族は「血筋」に拘るからね
    また「口封じ」の意味もあり
    「マインドコントロール」にも通ずる

    近親相○は精神を破壊することもありうるから
    特に「幼い方」の・・



    >通常なら 近親相姦はかなりの違和感 拒絶感が湧きブレーキが掛かり 出来るものではない つまり理屈理論が通用しない本能的な、隠された潜在意識の顕在化になるのは間違いない

    本能的な感覚だけじゃないわよ
    人間はもっと社会的な生きもの

    近親相○が、当事者や家族にどんな「地獄」を生み出すかを考えたことないのかしら?

    大切な人々を深く傷つけ、生涯に渡り苦しめることを考えたら、例え欲望があっても思いとどまれる

    「理屈理論が通用しない本能的な、隠された潜在意識の顕在化」なんて、甘ったれた気持の悪い屁理屈

  • >近年我が家では、朝顔を合わせたとき
    「おはよう!今日は誕生日ね。おめでとう」という声賭けで終わります

    >娘と二人で 誕生日にかこつけて ワインなど思いっきり飲んだくれる日が、一年に二日あるということが 我が家のセレモニーです


    あらあら、娘さんと二人暮らし?
    ぷふさんもおっしゃってたけど、家人さんと息子さんは何処へやら?

    その娘さんも「別に住んでいる」って最近書いてたわね
    久々に帰宅して「我が家はバターのにおいがする」とおっしゃたとか・・

    ってことは、お一人暮らし?
    じゃ、「近年我が家では云々」はおかしいわね


    ところで、ついでだけど
    「バターの匂い」の稿で、

    >おやつはほとんど手作りだったのですが、それも子供が学校から帰宅する時間に合わせて、バターの匂いがするように作っていました

    という一文を読んで、私驚いたわ

    すごいお母さんね!
    手作りおやつだけでもとても頑張ってるのに、匂いまで子供の帰宅にあわせるって?
    子供なんて時間通りに帰らないしねぇ
    ストレスためて怖い顔なんてことは・・「理想の母」ももこさんにはない?

    何か「現実離れ」しているももこ家


    それに、ママの愛情にたっぷり包まれた幸せな娘さんが、この間の「障害のある隣席の子」に言った「きつ~い」一言

    これも、不思議
    幸せで優しい子は、同じこというにしても雰囲気と言葉が違うでしょ?
    そういう子なら、同級生からいじわるだと非難されることもまずないと思うけど・・


    あ、またまた「ついで」

    母と息子の「近親愛」の話題
    ぶぶ氏のコメント
    あれ~、なかなかに気持ち悪いわね

  • 前稿4段目 訂正

    「無意識」とは、即ち「完全なる意識の反意語」、「意識ではないもの」としている

  • >文系悩に これ以上 説明しても無理であります

    と言いながら、毎度ご丁寧に説明して下さるぶぶ仙人でございます


    なるほど、「無意識」と「潜在意識」を全く別物として扱っているわけですね
    即ち「完全なる意識の反意語」、「意識ではないもの」として扱っている

    私は、前稿にも書いたように、「無意識」と「潜在意識」をどちらも顕在化されていないが意識の一部であり、「同じものとして扱われることが多い」としている

    まず、ここに「すれ違い」の原因がありますね
    用語の定義が違えば、咬み合わないのは当然

    野山は薬学(?)農学(?)なので、「無意識」を医学的といいましょうか生物学的といいましょうか、「意識が(文字通り)無いこと」と捉えているということが分かった次第です

    同じ理系といえども、最近の量子物理学者などは、またちょっと違う感覚を持ってきている人もあると思います
    もしかしたら、数学者の一部もかな?

    おっと、もう時間がありません

  • >「認識」とは 「ランダム」な「意識」が統制された結果 事象に対する「統制性ある判断力 分別力」の事 

    あのね、その「ランダム」な「意識」っていうのを、一般的に「無意識」って表現するんでしょ

    無意識って「意識が無い」ことじゃなく、「顕在化されていない意識」のこと、即ち潜在意識と同意義(普通に使うとき)

    だから

    >では「意識の無い」=「無意識の事象」などあるか 無いでありましょう 何故なら「事象=意識」が「セット」になっているからであります

    これは論点ずれしてます

    どちらにしても、「観た」とか「意識した」とか、「意識」「認識」の区別も曖昧、「意識下の事象」って「ランダムな意識」のこと?

    次々言い回しを変えても分かりにくいだけよ
    それはあなたの小指さんの得意技ね

    仙人さん、野山のお喋りだけじゃ呆けちゃうわよ~~

  • >>8379

    そして、文章のつじつま合わせをしてみても、内容はまたもや禅問答?

    それはそれとして、

    認識には、確かに「記憶の積み重ね」が必要
    「りんご」の記憶がなければ、目の前のりんごを認識できない

    「記憶」は単なる「過去の産物」ではない
    ひからびた「折重ねられたフィルム」ではなく、我々の生命のなかで、瑞々しく「持続」(といっても時間のない純粋持続)され続けているものだ

    だから、我々はりんごを認識できる


    「感情」の認識ではないけど・・・
    ところで
    「感情」って単独で「認識」できるのかな?

    「何となく憂鬱」とかいう場合もあるにはあるけど

    一般的には「意識」と「感情」は表裏一体だ
    「りんご」に認識の深部には、「甘酸っぱくて美味しい」とか「爽やかな良い香り」とか「おやつタイムの幸せ気分」とか表面化しないまでも隠れているでしょ?

  • 野山8460

    >人の感情も、多くの記憶の積み重ねにより、はっきりと認識した時からはじまったように感じますが、それには意識化の未知の感情の蓄積記憶がもとになっていると思います

    「意識化の未知の感情」???
    ハァ~(´ρ`)ぽか~ん
    「意識化」と「未知の感情」という言葉はスンナリ繋げないと思いますが・・

    恐縮ですが
    「意識化の」→「意識化がまだ成されていない」
    とでも置き換えてみましょうか

    そうすると
    「意識化の未知の感情の蓄積記憶」→「意識化がまだ成されていない未知の感情の蓄積記憶」→「無意識(潜在意識)の蓄積」
    となり

    「意識化がまだ成されていない」=「いわば無意識の領域にある」感情の蓄積が人間にはあり

    ある時、それが「はっきりと意識され(t=0)」感情が認知される(=始まる)

    こういうことでしょうか?

    ふしぎちゃんぶぶ氏は、最近猫語まであやつる仙人と化したようで、このぐらいの難文の理解など朝飯まえのご様子

    しかし、一般人には、糞系脳、狸系脳問わず、ワケワカメでございます

  • 野山8436

    >視覚上には美しくとも、その病気は心や魂をむしばんでいきます
    「優越感」が無ければ平常心で入られないという「病気」だと自覚しましょう

    まあ
    相変わらずの「お偉そうな」物言いですこと!

    「視覚上には美しくとも」なんてフレーズがあるからには、もちろんご自身への戒めではありませんよね

    せっかく虫たちを皮肉っていただいたようですが
    山彦のようにあなたにお返しいたしましょう

    ついでだから、
    ☆「視覚上には美しくとも」
    ☆「平常心で入られない」
    などは、へんな日本語ね・・・


    娘さんのお話
    他の方が指摘されているように、およそ小学生の言葉とは思えない台詞
    笑えてしまったわ

    その後、学校名まで公表する迷走ぶり
    ヒステリーをおこしていろんな情報を書いてしまうのは問題ね

    それで信憑性が上がるってことはない
    っていうよりむしろ胡散臭いわ
    学校もいい迷惑でしょ


    そんなこんなで、ももこさんは相変わらずだけど
    ぶぶ氏は少し心境に変化があった?

    >野山8434

    >役者も 美しい姿を 見せようと舞台に上がっては駄目である しかし 観客に対して「演技する」と云う「絶対条件」だけは「果たさねばならない」 

    >昔の古人は 難しいことを述べているようですが きみには 世阿弥が述べている「美意識の意味」が きっとお分かりでありましょう


    さてさて、果たしてお相手に通ずるのでしょうか??

  • どことなく春を感じさせる
    優しくロマンティックなメロディー

    シューベルト即興曲op9-3 演奏はツィマーマン

    https://www.youtube.com/watch?v=KkqDEh-fXVI

  • “Come Be My Light”によれば
    マザーテレサは長年に渡り、信仰の枯渇と深い孤独に苦しんでいたようだ

    例えば、ペリエール大司教にあてた47歳の時の手紙には

    「私の魂の中には、あまりにも多くの矛盾があります。神への深い思慕の情――神との触れ合いを渇望するその思いが、繰り返し私に苦しみを与えるのです。私は神から求められてはいません。神から拒絶され、虚しく、信仰もなく、愛もなく、熱意もありません。私の魂には何ひとつ魅力あるものがありません。天国は何の意味もありません。それは私には空虚な場所のようにしか感じられません。」

    と記されているという
    同様の告解が、5人の神父に当てて繰り返し送られていたようだ

    「険しいお顔」の方だと思っていたけど、この苦痛があのような表情を作っていたのね

    マザーテレサは与えるだけでなく、与えられる必要があった
    誰かが彼女を抱きしめてあげる必要があった

    でも、5人の神父にはそれができなかった
    マザーはあまりにも神を愛しすぎていたから、おそらく人間の愛では満たされなかったのだろう

    “Come Be My Light”
    マザーは自分を「小さき者」と言い、神が来てくれるのを待ち続けた
    この神と自分との分離意識
    これがマザーの苦悩の原因となったと思う

    どこぞの野山には
    「光に向かって云々」が大好きな方もおられるけど、

    光は「待ち続けるもの」でも
    「向かっていくもの」でもない
    と私は思う

    我々はいつの光の中にいる
    神は人間と分離された何ものかではない
    我々は「小さき者」ではない
    宇宙の辺境に住む「見捨てられた者」ではない

    我々は「サムシンググレート」と共にいる
    大風呂敷的に言ってしまえば、我々はサムシンググレートなのだ

    あ~!赤面してしまう!
    未熟で怠け者の私がこんなこと言ってしまった
    超恥ずかしいわ!

  • 最初の記憶

    3才になるかならないかの頃
    まだ若い叔母に手を引かれて歩いている

    「遊びに行こうね」と楽しそうに叔母が言う
    私は笑わない

    疑っているのだ
    「きっと歯医者に連れて行こうとしてるんだわ?
    あの角を曲がったら、いやって言おう」

    叔母もいやがっているのを察知して
    最短距離ではなく大廻りをする

    それでも角ごとに私が無言の抵抗をするので、
    諦めて散歩だけして家に帰った

    そのあたりで引っ越しをしており、古い家の記憶なので
    多分2歳代だと思う
    その頃の記憶は幾つかあるが、それ以前はない

    しかし、もしその時点に立ち返ることができれば、
    私は子供なりのたくさんの記憶をもっていたことが分かるだろう
    今、思い出せないからと言って無かったわけではない

    最初の記憶が、2歳ながら大人の自分とそれ程変わらない思考をしていたことを考えれば、脳はかなり発達しているわけだから

    確か、三島由紀夫は「沐浴の記憶がある」と書いていたと思う
    さらに胎内記憶があるという人もいる
    多分、それは私にもあったのだろう

    いったい人間はいつから「自分」というものを知っているのだろうか
    それは分からないが、記憶の中にずっと続く「自分」と認識できる何かがあるのは、多くの人が思い当たるところだと思う

    そこに時間は感じない
    記憶は古くも新しくもない
    いつも「私」であるだけ

    確実に時を刻み変化していく肉体
    それは、目を背けたくなるほどだが(冷や汗)
    内奥では変わらない、年を取らない私が笑っている

    この肉体と精神(仮にそう呼んでおこう)の乖離
    私はここに一つの宇宙観があるように思う

  • 極大の宇宙も、極小の素粒子も、曲線運動をしている中、静止している三次元のイメージは、およそ似つかわしくないと思う

    私も3次元と時間を合わせて4次元というのは懐疑的
    時間は別枠

    空間としての多次元は静止したものではないと思える

  • 広大な宇宙の果てに見えるものがあるとしたら、
    それは、ビッグバン

    それ、どちらの方向?
    全方位

    極大の球の内表面全部に、極小ビッグバンの痕跡!

    馬鹿げていない?

    まさにメビウスの輪
    認識も柔軟に変わらないとね

    ビッグバン理論は、いずれ形を変えて何かを生み出すかもしれないけど、
    今のままでは到底信じられないわ

  • 【野山8056 >地震で家…】

    野山8056

    >地震で家族を失い、無常感により自分自身の内面を掘り下げた人、
    狭く、深く生きた人だと感じます

    こういうことがよく軽く書けるわね!

  • 佐藤初女さん
    存じませんでしたが、素敵な方ですね

    あのように、ご自身の心の扉を開放し、他の方を迎え入れるということはとても難しい

    自分自身がどっかりと居座っていて、わがまま放題に暮らしていては、とても心の部屋を清潔に心地よく保つことなどできませんね

    また、素朴なご飯を、あんなに丁寧に、あんなに心を込めて作られるのを拝見して、自分がいかに雑で野蛮人かと恥じ入ってしまいました

    私事ですが、ameさんが投稿された次の日に、初めて自分発信のボランティアを致しました

    「心ならいくらでもある」という初女さんのことばが後押ししてくれました
    タイムリーな投稿に感謝です(^_^)

  • 10万光年って距離感、イメージできますか

    私は1光年でも無理っぽい

    1光年=30万km×60×60×24×365=9460800000000km
    10万光年=946080000000000000km

    計算合ってるかしら?
    ま、いいか、間違っていても分からないわ
    見当もつかない世界だもの

    10万光年って我々の銀河系の直径らしいけど
    さて、宇宙の大きさとなると465億光年とか

    もう計算したくないですね
    465億光年といっても人間が観測できる限界ということであって実際は??ですしね

    人間対宇宙 その大きさは考えられない比率

    ところがミクロの世界に目を向けると
    素粒子対人間は、人間対宇宙の比率よりずっと大きい

    即ち、素粒子から見た人間は、人間から見た宇宙よりももっと大きい
    ということになる

    素粒子から見た我々の身体は大大宇宙!


    宇宙と素粒子のことを考えると「ウロボロス」の蛇を思い出すと村上斉氏が言ってたけど、「メビウスの輪」って言ってもいいわね

    マクロの世界をどこまでもいったら、いつの間にか、ミクロの世界に出ていた


    バッハの創ったメビウスの輪

    https://www.youtube.com/watch?v=xUHQ2ybTejU

  • 8359

    ご説明は理解できます

    それで「了解」というところで良いのかも知れません

    ただ、困ったものですが、私は「脳」のご説明だけでは十分に納得できないのです

  • 内部刺激は記憶事象だけではないと思う
    それとは異質の内部刺激がある

    恐らく普通の座標軸上には表すことの出来ない
    虚数のようなもの

    詳しくはないけど
    素粒子論は虚数をつかわないと表せないようね

    関係あるのかな

  • 「未知なる刺激X」とは、必ずしも「外部刺激」であるわけではない
    それを言うなら「内部刺激」もあって然るべきでしょう

    私たちは5感によって外部刺激を受けるだけでなく、第6感(?)とでも呼ぶべきものによって内部刺激を受け取っている

    ちょっと考えてみれば、それは当然でしょう
    身体の中に様々なDNA情報を持っているわけですから

    全てが「外部」からくるわけでは決してない
    多くの情報は「内部」から来る


    ちょっと話が飛ぶけど、私は初めての出産をしたとき、とても驚いたことがある

    3日がかりの陣痛で衰弱していたので、出産直後はただただ安堵と感謝の気持で一杯だったが、一眠りして目覚めたとき、奇妙な感覚に捕らわれた

    「え??あの子はいったい何処からきたのかしら?」
    周りを見渡してみて私は混乱した
    「何処にもそんな場所無いじゃない?」

    そして私はとても驚いた
    「あ!私の中からやって来たんだわ!」

    笑い話のようだが、これは実体験で、奇妙な感覚は一日続いた
    かくも自分が「外部」空間だけに疑いのない存在感を置いていたのだということが、初めて理解されたのだった


    多くの人は、外部空間のみが本当の実在であり、その3次元は疑いようがないと思っているが、私はそうでもないかもしれないと思っている

  • 「遠くを見る目」
    時として人はこんな目をする

    美しい音楽を聴いたとき
    茜染まる夕陽に感動したとき

    今は会えない、愛した人を思い出すとき
    或いは、亡き人々に思いを馳せるとき

    そして、
    一番この目がみられるのは、
    死を悟ったり、覚悟したりしたときでしょう


    この不可思議な眼差し
    「遠く」とは何処を見ているのでしょうか

    遠くの山?地平線?空の彼方?宇宙の果て?
    いいえ、多分外を探してもみつからない

    それはその人の「内」にある
    内在空間としか言いようのない空間がそこにある

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