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    トピズレ歓迎です。
    自分の好きなテーマに沿って書いて頂いて構いません。
    (トピ主はネタに乏しいので)

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  • 日本のクリスマスは

    キリストの生誕を祝うのではナク、誕生日を誰からも祝ってもらえない子供達の為に…という様な事をふと思う
    (天皇‘誕生日’のすぐ後のクリスマスはそうした意味で何とも象徴的だな)

    …てな訳で、今回の作品は「傷だらけの天使」(’74年/日本テレビ)。
    オジさん世代の人達には永らくトラウマと化している?テレビドラマだが(メチャメチャ泣いた最終回)、その

    最終回のワンシーンが印象深いんだ。それが確かクリスマスの夜だった?様な
    (アキラが歓楽街の噴水池に飛び込んで…風邪を引いてしまい…死んでしまう、という、大まかに言うとそうした流れ)。

    マッチ売りの少女に等しい結末と云えようか。割と新しめのこの童話は19世紀中頃の作品で…要するに‘マッチ’である。
    誰が買うのか?その大多数がおそらく‘喫煙者’だろう…当時は。

    そんな‘矜持’も今や通用しなくなってしまったが、オトナとコドモの境目にあるそうしたニュアンスの(≒貧困救済的な)出来事を、理解できない人達が増えたんだよな〜という事を言いたいワケなんである。

    (お酒を注ぐという行為もだ、コドモや素人が安易にやってほしくない事の一つだナ。オトナにはちゃんとそーゆー理屈があるのヨ…わかる?)


    このネタは余り書き過ぎると何なんだけど、世間じゃ〜ドラマ‘相棒’の関係者が次々と…てな言われ方をしている。が、オジさんはむしろアキラ(≒水谷豊サン)絡みで色々と想像を働かせている。ア〜ニキ〜との関係性も実にせつないものだったりしたからナ(いい芝居だった)。

    クスリは子供達の救済にならないし、それで(心の)風邪が治ると考えるのも錯覚である。イヤ…そっち方面の事じゃなくてだ、早い話が‘男同士’のナニである。
    役者をやめてしまった?という若者の言わんとしているところはつまり…

    ハナシが前後しているとゆーか、そもそも全くそのケのないヤツには、である…役者はおろか(お笑い)ゲイ人さえ無理なんじゃないか?と。
    ジャニーズの人達なんかもまさに、そうした偏見との折り合いしかないだろう?って思うんだよな。

    (スマップの唄には、他のグループにはない独特の‘あきらめ’ムードが昔からある。男同士でつるむのがしっくりいかない?とゆーか…売れなかった頃のイメージかな)

    じゃあど〜すりゃい〜のか?っていうハナシでは特にない。

  • 駆けつけ警護とは何なのだ?

    思い出すのはアルジェリアのプラント襲撃事件であるが、南スーダンは現地にほど近い内陸部である。が、日本とは比較にならない、果てしない大地。
    アフリカ…シベリアといい勝負だな。

    インフラ整備のノウハウのみならず、陸自の経験値が具体的に試される。米軍帯同ではない、国連機関の一員としての平和維持活動になるのだろうが、果たしてどこまでやれるのか。

    …というワケで、今回のお題は「コンバット!」(’62年〜/アメリカ)である。
    このテレビドラマを観たのは中学生の頃だったかな〜勿論再放送なんであるが。受験前の寝不足なアタマで

    夕方ぼけ〜っとテレビを眺めているとそこに白黒の戦争の景色なワケ。なかなかシュールな日常である。白黒の映像は基本的に退屈なんだが“COMBAT!”は興味深かったね。

    血肉が飛び散るシーンはなかったが、戦争映画に白黒映像は理に適っている。アメリカにはドイツ系の人達が多いから欧州戦線の描写には違和感がない。
    白兵戦も今となっては珍しいが、基本的なところではある。

    サンダース軍曹(ビック・モロー)は不死身だったが、撮影中の事故で呆気なく死んでしまったんだよな…確か。

    オチは意外とそんな事だったりする。

  • 主人公に依存し過ぎな物語

    原作&脚本以前にまずキャストありき?という作品がつまらない、という事だろう。
    大ヒット作も続編を期待され、回を重ねる毎に段々とそうなっていく宿命ではある。

    日本で観る事のできたアメリカのTVドラマのシリーズなどは典型的にそうなんであるが、内容的にそれほど執着する様な要素はない。その‘軽さ’がよかった、というかな。

    子ども目線だからそうした理解になった、というのもある。いろんな人がそうした想いの丈を述べる、という現象がつい最近もあって、私もそれに乗っかろうと思う次第である。

    「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(’76〜)。

    この漫画によって日本の‘オタク’文化がどれほど救われたことか…というのを誰か語ってくれていただろうか。
    ホント、難しい時代もありましたデスよ…ねぇ。

  • 自分の人生をもっと大事に

    「結婚できない男」(’06年/関西テレビ)で高島礼子サンとあの旦那は揃って出演しているが‘共演’はしていない、という面白い演出があった。ハマリ役だった?と云うべきか、それともシャレがキツい…の方か。

    出演者の不祥事で名作ドラマが‘お蔵入り’になってしまうのが残念だ。フジテレビ系はそのパターンにハマってしまっているのではないか?いわゆる‘身体検査’の限界なのか、さすがにアレばっかりはなぁ…庇い様がない。

    主演の阿部寛さん含め、同年代という事で興味深く何度か観たワケなんである。高島サンはまぁ、あーゆー人だよねー‘男前’とゆーか…まさにあーゆー人なのだろう。で、比較される男子はほぼ例外なく‘幼稚’なのだろう。

    ドラマでは阿部ちゃん(≒患者)と夏川結衣(≒女医)さんとの三角関係だったんであるが、何も起こりそうにない(笑)。あれが三角関係の理想?なのだろうか。仕事上の関係に持続力を求めるのもエゴっちゃ〜エゴだが、有能な女性には

    恥ずかしげもなく言えてしまう自分がいた⁉︎というのもわかるんだよなー実際。ソレを恋愛感情だと‘勘違い’されるのはザンネンな出来事である。そこに失敗の芽がある…と言えなくもない。

    鈍感だったと言ってしまえばそれ迄だが。励ますというのもチョットな…違う様な気がする。なんでもっと自分を大事にできないのか、って事だ。そこから始まるものもあるワケだし。

    ドラマはホント、間違いなくいい出来だったんだ。ただ、それが誰かに何かを勘違いさせる?可能性というのも否定できないんだよな。要するにもう…アレだ、洗脳だの引退だのというハナシにはしてくれるな、と。

  • 捨て子の気持ちがわかるか

    世の中の出来事をヒントに、或いは映像作品から、その文脈を辿るワケである。(一体どうした事か?というハナシになる)

    えーと…今ならやっぱりコレだろうな、という事で、
    映画「千と千尋の神隠し」(’01年)。
    ここでは、ソレをファンタジーとしてもてはやす事はない。(どれだけリアルな文脈に沿うものであるか、を考えたい)


    なぜこんな山奥に来ないといけないんだ?というアンニュイな子ども。
    (まさか一家心中⁉︎ いや、それはない…小学生にそこ迄の想像力はない。まさか自分が捨てられに来たとは思ってもみなかっただろう)

    ありがちなのはキャンプ&BBQ、である。ただし、ここでまた…なぜ?というギモンが湧くかも知れない。
    (ノリの悪い子供は手持ち無沙汰となり、一生懸命な親はイラつく…という構図である。そもそも、家の手伝いも未だ無理なガキんちょが屋外でソレをする筈もない。親と一緒なら尚更だ)

    自然に還る…ワンダーランドは‘人として’経験値の少ない子供にとっては野性を呼び起こされる出来事である。‘動物’に戻っちゃう感覚があるかもな。
    (そこで‘ライオン’を気取る親がいたとしても、子供には‘豚’にしか見えない…って事かもしれない。つまり…親子関係みたいなものは野生の王国ではネガティヴに作用するんである)

    さて、親とはぐれた‘野生児’はどこに向かうのだろう?
    街中なら‘迷子’というパニック行動になるが、遭難の危険がある山奥でソレはない。
    (旅先で家族と‘別行動’を取った経験なら私にもあるが、小学二年生?ではさすがになかったね。僻地だったけど観光地だったから人もチラホラいたし…親切なアベックに拾われて宿泊先まで帰れたよ。

    確か温泉地だったな…オレは‘本当に’戻って来れたのか?)


    つまらん嘘で捜索隊の初動を撹乱したあの親は総スカンだが、ソレを‘神隠し’と呼んだところで遺棄の嫌疑が晴れるワケではない。
    (小学二年生の子供に親の名誉の回復を期待する事は無理である。もはや第三者の存在に期待するのも難しい状況だ。自衛隊まで動員して…)

    世間には、誰かに連れ去られてた方がマシだ…という考えがある。
    躾とか言って…親は調子に乗ってんじゃねーゾ、と。
    (女の子には、親元に戻りたい…家族として救われたい、という強い意志があるのかもしれないが。男の子の場合はどうだかな…)


    …と、ここ迄書いたところで、無事発見された、とのニュースが入った。自衛隊の演習場(の詰所)が近くにあって助かったそうだ。
    (彼は貴重な経験をしたな…自衛隊に感謝しなきゃね)

  • ありえない?

    な〜にが‘不倫’だよバ〜カ…そんなもん完全に‘打算’じゃねーか⁉︎ という厨房レベルのバッシングは止まない。が、
    じゃあ一体ど〜ゆ〜‘恋バナ’がお望みなんですか? というコトである。

    いい年こいた男女をつかまえて‘理想’がど〜のこ〜の…とか云うのもヘンだろう?
    色々云われる事で救われる人とそーでない人がいるとしたら、世の中圧倒的に後者の‘屁理屈’がまかり通る。

    つまりそれだけ、失敗している…じゃなくて「失敗する機会すら失った」方達が大勢いる…という事なんだろうね。
    そんな方達の中から…起死回生のつもりなんだろうか、人の道を踏み外してしまう様なのも出てくる。

    「ありえない…」確かにそうだけど、ガリレオ先生曰く、そこがツッコミどころでもある…ワケでしょう?
    ミエミエだよな…‘ストーカー’と呼ばれる方達の問題点というのは。

    簡単に云うと、である…モテる人をモテない人が追いかける、という当たり前の?光景が実は‘身も蓋もない’。
    アプリオリに優劣を決めた時点でその人間関係はもうダメだと思わない?
    こんなのは‘ゲーム理論’の典型…というか初歩中の初歩、である。

    犯罪被害者の‘囚人’化については前項で説明したけれど、加害者は確信犯的にそうなる。実際に囚人となる事でしか救われない(←自らを制御できない方達なのだ)。
    ストーカーには‘追いかける’という行為の他に、住居侵入(≒空き巣)の様な行為に及ぶケースもあるらしい。
    (福山さん御夫婦も災難だったな)


    というワケで、ドラマ「ガリレオ」のシーズン1(’07年/フジテレビ)が色々と参考になるかもしれない。映画編も面白かったな。

    ‘アンチ’ストーカー被害という事ではない。が、数理モデルで説明できる人間関係に恋愛的要素はゼロである。例えば…

    俗に‘三角’関係という構図がある様な事を云うけれど、そういう人間関係を構築したいと思う?
    オレはヤだね…そーゆーのは。ありえない(笑)…とはいえ、ハタ目にはそう見えてしまうものも多いのだろう。

  • 誘拐された娘が

    保護されたというリアルのニュースと、次期米大統領予備選の‘喧騒’をヒントに…

    えー今回取り上げますのは、アメリカのテレビドラマ「24-twenty four-」のシーズン1(’01年〜)。(つい先日、NHKBSで再放映されておりましたナ)

    あちらではアメリカ同時多発テロの直後にオンエアされていた事になる。(‘自粛’ムード殆どなし?)
    コソボ紛争へのコミット(≒民族浄化首謀者の暗殺)を背景としたお話になっていて、(シーズン1では未だイスラムのイの字も出てこないが)
    ビンラディンの暗殺を作戦したオバマ政権はまるでドラマの後追いでもしたかの様な印象がある。(荒唐無稽なイスラム国というのが今や新手の現実だからなぁ…)

    女の子を誘拐した北朝鮮という国の存在も現実だし、トランプ候補の荒唐無稽さも現実の存在なワケで、こうした文脈には我々の琴線に触れる何かが、
    真相の究明を待っている?とでも言うべきか。(ヒントはどこにある…ドラマか?現実か)


    (まず現実は、である…)2年?という歳月に押し潰される事なく、彼女は自らを冷静に救出した、と言っていい。そもそも、
    自分の意思で‘家出’した?と(犯人が工作)しても、である…そこには他者との共生を目的とした動機しか存在しない。(実家を離れる、とはつまりそうした事だ)

    それこそ‘駆け落ち’以外にソレを肯定できる具体的な理由があるか?
    第一、小中学生がそうした行為に走る可能性は殆ど無い。
    虐待(監禁)の素因が(親のエゴとして発揮されるものも含め)まるで‘ペット’に対する人間の愛の如く…であるとするなら、彼女が周囲や警察に保護を求めなかった理由を、だ…冷静に見極めないといけない。

    (で、ドラマの方は、というと…)‘パパ’バウワーのせい?で誘拐されたのだとしても、娘は娘で戦っている、という事だナ。
    騙されたのは自分、と割り切って?自分を騙した相手も巻き込んで奮闘するその姿はまさにパパ譲り…みたいな。

    ドラマのパパは‘最強’だが、決して完全無欠なワケではない。(いまハヤリの?)不倫の代償がドラマの結末だとするなら、それは余りにも残酷である。が、
    しかしそれで辻褄は合っている、というモラルがアメリカにもあったんだナ…当時は。

  • イクメンの実態は

    今や‘結婚できない男’かもしれない。

    という事で、今回取り上げるのは「アットホーム・ダッド」(’04年/関西テレビ制作)。
    阿部寛さん主演のテレビドラマである。

    時代を先取りした面白さがあった?ワケだけれど、今とは若干雰囲気が異なる。とゆーか、このアットホームな雰囲気は関東の制作では出せない味わいなんだよナ。

    四十前後でリストラに直面する旦那の現実と、就活がうまくいかないリアリティと、保育園は使えないゼ…という事実はちゃんと描かれている。
    子供は幼稚園児で、おそらく複数年は主夫業に取り組む?という、そんなオチだったかな。

    育児休業のスパンが極端に短い(のだろう)現在の状況が異常なんであって、男性以上に社畜化した?女性の行く末を案じてしまうのであるが。まぁ、
    ‘キラキラ’女子しか描けなかったテレビドラマの限界もある。

    イケメンだけれど無職とか、ヘンな性格(笑)とか、要するにイクメンなだけが取り柄という
    そんな‘救い’である。

  • >>497

    後妻打ち

    という風習が江戸時代にもあったらしい。(ベッキー騒動を彷彿とさせる…)

    そんなワケで、今回取り上げます映画は「レベッカ」(’40年/米)。
    サイコスリラーの第一人者であるヒッチコック監督の渡米第1作目だそうだ。

    ほぼ戦時中だというのも驚きだが、主演女優サンが日本と少なからず縁がある人だというのも奇妙かな?そんな事とはつゆ知らず、なぜかその昔

    見てしまったんだな…白黒で、結構粗い画像だった印象がある。
    見ていて苦痛だった…それでも何とか最後迄我慢できたのはやはり、綺麗だったからかな〜主演のフォンテーンさんが。
    (確か彼女のモノローグでハナシを展開していた様な気がする)

    玉の輿となる主人公の女子は後妻としてお屋敷にやって来るワケだ。で、彼女が
    亡き先妻の影に怯える様、屋敷のお女中が仕向けるワケだな。で、

    実を云うとレベッカというのは後妻じゃなくて先妻の名…なんだよ。

    ど〜んで〜ん返し(笑)。


    フォンテーンさん自身も同業の姉のライバル心に終生悩まされたらしい。
    早く生まれたからとか、先に付き合ってたからとか…いうところにいわゆる因果関係は薄いワケなんだけど。ただ、

    離婚というハナシにしてしまったらば、当然その原因を問われるだろう?
    安易な結婚という評価に対して等価なのは再婚の為の離婚である。

    先立たれたという事実があっても悩む。
    顔が似ていたりするともっと悩む。

  • >>494

    離婚届が‘卒論’なら

    結婚届は‘入試’になるのか?(笑)

    という事で、今回取り上げます映画は「卒業」(’67年/米)。
    ダスティン・ホフマンさんが花嫁を結婚式場から強奪するシーンで有名である。

    まず、主人公の男子は幼馴染の女子の母親とデキてしまうのだが、親の勧めもあり?女子との付き合いの方にのめり込んでいく。
    女子の母親はそんな男子を女子から遠ざけようとするんだけど、男子は自ら母親との関係を白状して(フツー嫌われるわナ)、女子を追いかけ続ける。
    女子は親の勧める結婚の為学校を中退してしまう(なぜそこまで急ぐのか)。そんな親のやり方に反感が生じたのか、結局

    男子と駆け落ちする事になるワケである。が…アレ?えーと、
    これからどうしよう…みたいな二人の困惑の表情で映画は終わる。


    幼馴染が相手の恋バナなので、入試も卒論もないんだナ。

    男子は卒業(目前)という状況でイライラとした日々を過ごしているんだけれど、就職活動の是非は不明だ。人生の目標が見つからない日々だった?が、
    女子には学校を中退したという事実。結婚退職じゃなくて結婚退学である。
    とりあえず結婚生活をスタートさせる、というのが目標になるだろう。

    結婚生活が破綻する人達にとっては入試や卒論が大事(笑)という反証?なのだろうか。
    幼馴染が相手じゃなけりゃこのテの情熱は発揮されない?という傾向はあるカモだけど。


    巷間を賑わせているのは‘糟糠の妻’(≒幼馴染)とか‘略奪愛’(←女子の側から)とかのフレーズであるが、子ナシ&アラサーの

    ‘恋バナ’とするにはやや‘手遅れ’感が支配的である。仕事のデキ不出来を含め。どっちに転んでも…ヤレヤレだナ。

  • >>456

    トピックガイド

    トピ主です。あけましておめでとうございます。

    古いログ&無用なログは自発的に削除しよう⁉︎…というガイドラインに沿って(笑)、上記の処理をご説明しておきます。

    掲示板てゆーのはもともとログを蓄積する場ではなかった様に思う。そうした機能がウリだったところもあったみたいだが、SNSの進化に合わせて、我々も変わるべきなんだろう。

    別途ブログを確保しました。で、とりあえず掲載して相当時間が経過しているものは順次そちらに移していきます。
    新しいテキストはあくまでもココにある(今のところ…)という事です。掲載期間はおっかけ短くなっていくと思います。

    ビジター各位のテキストと、往復書簡的な私の側のテキストは残ります(≒ハナシの流れ的に)。


    有為なテキストは、ネタ元を失ってもおそらく読み物としては成り立つのでないか?…という気がします。
    ネタ元≒トピ主(≒トピのテーマ)とのやりとりはそうそう(延々と)続くものではない。
    真面目な人ほどそれを‘重荷に’感じるものかもしれませんが。

    掲示板≒架空ダイアログ?みたいなもんだと思ってしまう人がいるんだな(漫才ネタじゃあるまいし)。
    ネタを提供できないところにまずモンダイがある。
    レスだけのテキストに積極的な価値を見出す事は難しい。
    アラシ(≒ダブハン)と呼ばれる所以だよね。

    そんなこんな(のカン違い)も含めて面白いところではあるが。
    レスのあるなしがトピックの死命ではなくて。トピ主としてはむしろ、
    この仕組みを提供してくれているところの負荷の軽減に協力します、と云った次第です。

    ただ、こうしたガイドラインをシステム改変時にきちんと示す事のできなかったヤフーさんの限界…というのがあったと思うんだナ。
    テキストの移転先は‘ヤフーブログ’ではありませんのであしからず、とだけは言っておきましょう。

    (以下、新掲載/2015年分の日付&タイトル抄録)

    12.15心理 白黒テレビは相当に
    10.26心理 ある弁解
    9.01心理 ストーカー問題を…
    8.15心理 首相演説
    8.03心理 …とか言ってる場合か?
    7.07心理 自衛隊を護るには
    6.19心理 SNSによる情報とは
    5.21心理 芸術と美術の違いは
    5.03心理 ヤラセとイジメは同じ
    4.05心理 命を守るための
    3.26心理 re:嫌いなものとの距離…
    3.19心理 re:なんとなく嫌いという
    3.08心理 re:なぜ人は嫌いなものに
    3.02心理 re:それわかるかも〜
    2.28心理 re:ハッキリされている…
    2.26心理 re:嫌悪感の表明…
    2.20心理 re:読んで面白いと思う…
    2.14心理 re:私が掲示板に参加し…
    2.08心理 re:5年ですね
    2.02心理 つばめさん^ ^どーも
    1.15心理 トピックガイド

    (2014,13,12年分を削除済)

  • 白黒テレビは相当に退屈なシロモノだった

    が、もし、映像表現に本当にチカラがあったらば…というハナシである。

    (工口動画に音声がないと相当に味気ないシロモノでしょ?それと似た様な事)

    原節子さん、という白黒映画時代の女優さんが先日お亡くなりになったが、戦後だけならホンの十数年である。(カラー時代に少し擦ってはいるが)
    なので、私は全く存じ上げなかった。

    寅さんも元々テレビドラマから始まったらしく、そこでは白黒バージョンである。
    (今の五十代以上の人間には白黒テレビ時代の刷り込みがある)

    報道写真のカラー化、というのも掲載できない現実の光景を逆に増やした感がある。
    マンガがアニメーション化する際にも同様な現象が起きるだろう。

    白黒時代のテレビを思い出そうとしているんであるが、正確な記憶はないんだな。
    白黒映像として意識された作品が貴重なんだ。(ミッキーマウスや手塚マンガのキャラクターの様な)

    花が綺麗だから?という描写はおそらくないだろう。
    綺麗な女性だから?という描写で共感を得るのも難しいだろう。

    (テレビの‘絵ヂカラ’という意味で、黒柳徹子さんやマツコさんに人気があるのは何となく頷ける)

  • ある弁解

    自身のキャリアにふと疑問を抱くところから?
    いいトシしてそれはないだろう?

    やさぐれ?
    何でこんな事してんだ?

    友情をはぐくむのが先だろう?
    その為に必要なのが恋バナだろう?

    自身の感性で好きと言える肯定感がないと
    素直にキャリアを積んでいけないだろう?

    体調の問題にしてしまう?
    ‘労る’書いて‘いたわる’と
    君は読めるか?

    (心理学なんかやってないで漢字の勉強でもした方がいいんだよ)


    「僕はいつも人間の心理を描きたいと思っている…それだけさ」(オリバー・ヒルシュピーゲル監督)

    という事で(…なにが?ってカンジだが)、以降ここでは
    古今東西の映画やTVドラマ&寸劇の感想を述べていきたい。そんな場にしよう。

    そもそもそんな思惑から始まった事なんじゃないかという気がして来た。
    (見た…?という記憶だけがたよりだナー)

    マトリックス?は見てないんだな〜悪いケド。
    (↑こんなコト)

  • ストーカー問題を解決できない心理学って何?

    利用価値ないだろ(笑)。

    「心理学の研究結果、6割以上が再現不可能」(8/28 AFP時事)

    犯罪を未然に防ごう心理学で。だが、
    それで恋愛をできなくなっちゃうのなら本末転倒である。で、

    同性愛が何やら奨励?されているかの様な風潮があるが、それは
    哀しい勘違いである。

  • 首相演説

    「移住者にも英政府にも英語のレッスンが必要だ」(8/13英フィナンシャルタイムズ紙)

    記事は、英国政府が仕事を探す移民向けの英語教育プログラムを打ち切った事を問題視している。

    国勢調査のデータに基づいて、それが失業に直結している事態である事を憂慮している。
    全国民の2%が英語をうまく話せない。そのうちの52%が失業しており、男女比ではおよそ1:2になる、という。

    キャメロン英首相が、移民向けの英語教育の重要性を演説した、まさにそのタイミングで、上記の予算削減が決定されたのだと云う。
    公務員(予備軍)向けの英語教育は強化。但し、過激主義への懸念から移民向けのソレは逆の意味で問題視された。英語は世界標準であるがゆえに、そうした論拠ともなるのだろう。


    さて、日本の安倍首相も何やら談話を発表したらしいが、上記にある様な問題意識を誰か指摘してくれたかな?

    日本語がわからない人達が世界には大勢いる。
    国内にもいる。自分は日本人だと思っている人達の中にもいる。
    その事を自覚していない人達がいる。

    学び続けることが大事である。

  • 我輩は…(アイアムア…)とか言ってる場合か?

    外国語を公用とするビジネス環境への適性診断において、明確に、かつ積極的に、男性よりも女性、とするコンセンサスがもしあったなら、それは男女差別という事態になるんだろうか?

    むしろ逆に、そこらへんは政治的に、教育行政分野からの戦略的な、女子教育の指針とする方がいいに決まってる。
    アメリカでも、既に英語話者がマジョリティーではなくなりつつある。
    明治日本では、英語のできない奴には総理大臣の資格なし、とされたんである。

    彼我の危機感は異なる。しかしその差は縮まりつつある、というのが
    日米のエラい人達に自覚されているかどうかはわからないが、そろそろ
    日本人も本腰を入れて、バイリンギャルの育成を目指す時である。
    そう…ガルじゃなくて、ギャル(笑)。

    下世話な憶測を拝する(≒排する)に、そもそも日本は江戸の昔からそうして来た、と言っても過言でない。
    そうした女子の存在をも〜すこしきちんと評価した方がいい、と…かように思うワケである。

    (オリンピックに向けて、さしあたり草の根ボランティアに外国語レッスンをつける、という流れでも欲しいかな。
    更には、シングルマザー就業のロールモデルとしても‘大事に育てる’。特別扱いする、ぐらいの事をしないと少子化は防げないゾ)


    その前に…お前日本語大丈夫か?という
    巷の声もなくはない。
    語彙(標準語)と方言の関係性がシビアだった時代を踏まえて、
    文学作品の殆どはそうしたものだ、という理解が欲しいんだな。
    外国語へのアプローチとして考えて欲しいんである。

    ダイアログへの関心の高さと、方言を大事にしたい想いと、いうものが又吉君に芥川賞を取らせたのだとしたら、時代は正しい判断をした様にも思う。
    (本人は大丈夫みたいだが、周囲が何やら勘違いしていそう…というのはある)

    しゃべくり漫才にも外国語の普及に一役買ってもらわなあかんやろ。

  • 自衛隊を護るには

    彼等はサバイバルのスペシャリストとなるべく訓練を積んでいる。
    彼等が生き残れない様なら我々が生き残る事など
    到底不可能だ。

    自衛隊を無用な国際紛争に使役されない様にしないといけない。
    まずは‘彼等を’何としても守る…彼等の名誉は‘我々が’護る。
    それが国際社会における自衛権の理解である。

    彼等には自分の身を守る権利がある。
    それを否定する事は児童虐待やいじめ自殺みたいなモンを容認する事に他ならない。
    そもそも我々はそんな親や学校からの教育には何の価値も見出して来なかったから。

    (な〜にが護憲だ、っつーの。六法全書は日本の‘聖書’か?
    殉教者気取りはどっちだ⁉︎)

    選挙法改正や派遣法改正も、実は安保法制との兼ね合いが無きにしもあらずだという事に

    誰か気付いているか?

    未成年者を国家公務員とする例はおそらく自衛隊員をおいて他にない。
    彼等の選挙権を100%担保する事が必要、との判断である。

    まあ、未成年者をいきなり実働部隊に編入する事はないだろうが、
    海自の訓練環境などはそこが公海上(領海外)であるならば必然的に
    ‘海外(派遣)’となる。

    現代版の戦争は(日本ではとっくの昔に)対テロ・謀略戦である。主戦場が海外はおろか国内でない保障もないワケだよ。
    戦うのは自衛隊だけではない。敵は明確ではない、とも言える。
    (我々も情報戦とかでは‘フツーに’闘うべきである。まさか我々が知性の点で中韓に劣るとでも?)
    日本は既にその渦中にあるのだという理解がなければ、個別的&集団的自衛権の議論も画餅に帰すだろう。

    まさか忘れたワケじゃ〜あるまいな?

    この、戦後70年と云われる期間中に起きた、対日テロ&謀略の数々を。

  • SNSによる情報(拡散)とは

    伝言ゲームをやってると仕事にならないから、という意味合いのもと、必要な情報を取りに行く、或いは言いたい事を正確に伝えたい側の欲求として、ケータイやメールは普及したんだろう?

    今みたいに、ダラダラ会議を続けたり新聞を読んだり的な?使われ方をする様になると、むしろ長電話好きな人達の常態報告とゆーか、ネタバラシというか

    喋るとか書くとかのプロセスも面倒臭く思う、視るだけ聴くだけの行為になる。
    そうした行為は原初的なだけに、朝起きてメガネをかける様に、顔を洗い服を着て食事を採り、

    学校や会社へ行く様に‘習慣化’される。
    通学通勤途中のヒマ潰し?
    テレビ付けっ放しで家事をする様な感覚にも近いのか。
    ブログの世界もそう考えるとウザい?つーかクドい、ハナシだよな。

    そんな報告いらねーよ、って思うんであるが、ひょっとしたらソレ、(遠距離)恋愛ゲームの必須アイテムみたいなモンだったりするのかな?
    コミュニケーション論的に云うならば恋愛は‘閉じている’ものの代表だが、であるからこそ

    参考意見を求めたい?様な事なのかもしれない。
    何気ない日常の行動規範。
    お祭り(ウェーブ)に参加したい?的な人恋しい意識とはまた違う。
    日々の生活の中でお役に立つモノ、或いは出来事、と言った方がいいのか。

    テレビは、おそらくみんなが同じものを観ての感想というハナシにし易いんだろうけれど、SNSは‘意外と’そうでもないらしい。
    ビミョーに閉じている?とゆーか、

    下世話な人にはそーゆー話題しか届かない?ものらしい。それでも
    新聞配達みたいに?わざわざ届けてくれるんだ。それならそれでいい、って事なのかな?
    たとえで云うならばそれは…


    致死性ウィルス感染者の発生を伝えるニュース。
    ウィルス曝露の可能性を伝える感染者の
    移動箇所と立寄場所。
    ウィルスの拡散を防ぐ自律的な潜伏期間と隔離状況の理解。

    …閉じている、というキーワードの意味がご理解いただけるだろうか。
    これはこれで、パンデミックを連想する道具になるんじゃないか?と思った次第である。

    (ウォールストリートジャーナル…だったかな?韓国の空調システムに欠陥があるのではないか、という問題提起をしていたが、

    『真夏の方程式』という映画を観た方はご記憶かと思うが、殺人トリックに‘オンドル’が出てくる。

    密閉性の高い家屋に稚拙な空調システム。そう…‘韓国式’なんである。
    その昔、新渡戸稲造さんという人がそれを痛烈に批判した文献がある。

    つまりそういう事なんである)

  • 芸術と美術の違いは何か

    ‘リベラルアーツ’と‘ファインアート’という対訳が可能ではあるが。強いて云うなら
    前者は高等教育には馴染まない。
    幼稚だという事ではない。ソレは我々日本人が考えている所謂芸術の範疇ではない、という事である。

    別に美醜を問うているワケじゃないが、そうした人間心理の相克というテーマはありそうな。
    例えば伝統芸能であるとかの。国技だ神事だ民俗だとかの。およそリベラルなイメージからは程遠い。とはいえ

    私らはそこに日本人としてのアイデンティティーを見出す必要があるのだ。
    誤魔化さなくていい…基本的にリベラルなものしか生き残れない、という事をわかっている人達こそが、日本人になるべく?その魅力に取り憑かれたであろうから。
    (ゲイシャ・ガールを目指す女の子、というのを平易に語れるなら、日本のリベラルアーツとして世界文化遺産に推す事ができるよ)


    美術という言葉の形容詞は‘現代’である。
    グローバル(懐古的)な問題意識はむしろこちらの分野だと思われがちであるが。
    とんちんかんなハナシである。
    俗に云うファインアート(造形的?)をやっつけたい心理が現代人にはあるのかもしれない。

    ポップアートの旗手も何やら異形の者の才能という云われ方しかしなかった様だけれども、ここではやはり
    美意識の進化を、人間の見た目とか生き様として理解したいのである。

    多分、現代女性はそうした進化を遂げているのだろう。
    安易にアイドルとか言っちゃ〜マズい時代になった。
    美を体現化する?というのはなかなかどうして難しい事の様である。
    (マン拓?で捕まっちゃったお姉さんはご愁傷様だけど、チョットわかってねーよな…って事だと思う)

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