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    typ***** 1月29日 06:30

    >>111

    明けましておめでとうございます
    アメリカの大統領で前途多難です

  • 【破棄された常識】
    我々日本人は言論統制された時代があった事を知らない。
    極一部の者だけが、覚えている。
    また、公職追放を受けた人達が20万人以上も居た。
    そして、大学も含めて教職に復帰したのは左翼系の人達からであった。
    こんな事は常識の範疇にあって然るべきである。
    しかし、殆どの日本人はそんな常識を持って居ない。
    GHQが去ってなお言論統制が続ている。
    それが、新聞社であり、NHKを含めた放送局、そして、教職員達であった。
    その証拠が左翼政党に残っている。
    つい最近まで、共産党、社会党の議員数が非常に多かった。
    また、全学連が猛威を振るい、日本赤軍が生まれたのはその証拠である。
    最近ネットでの共通語に反日日本人の言葉が躍っているのは、
    ようやく、報道に携わる者達以外で、言論統制から逃れた者達の本音が聞こえてくる。

    何処の国でも、国民も政治家も愛国心を持って居ると当然の如く言う。
    しかし、日本は違和感を持たされており、堂々と愛国心があると言わない。
    何故なのか?
    今も変わらぬが、「愛国心=戦争愛好家」の印象を持って報道している。
    何故なのか?
    日本は、国旗掲揚に反対する団体が居る。
    堂々と国家斉唱に反対する団体が居る。
    大東亜戦争と表現する事に反対する団体が居る。
    そんな人達に非難されたくない配慮から変な風潮ができた
    記憶への直接刷り込みでなく、社会風潮を作った。

    20年以上前に、兄と弟で戦後体制の話をした事がある。
    何時になったら日本は日本らしく西洋社会の体制を消化できるのか?
    日本はこれまで数々の事を吸収してきた。
    仏教も儒教も日本に入ってきて変わった。
    一神教が思想の基盤にあり、自由・民主の上に成り立つ制度。
    この制度を呑込み、消化するのに避けられない言葉がある。
    リバティーとフリーダムの違い。
    福沢諭吉が苦し紛れにリバティーを訳した。
    それが「不自由の中にある自由」
    少なくとも、この言葉を消化できねば西洋社会の制度を日本型に変えられぬと推察する。

    蛇足:私自身はフリーダムも含めて「自由とは不自由の中にある」と考察した。
       それが、20数年前の事である。近年、福沢諭吉の訳を知り、少々驚いた。

  • 最近、左翼運動家に腹立ちを覚えるようになった。
    年を重ねた所為もある。
    それより、彼らの数々の所業に腹立ちを覚える。
    例えば、成田空港の闘争、辺野古移設の反対、保育園開設反対、リニア解説反対・・・等
    数え上げれば限がない。
    子供が駄々を捏ねているとしか思えない。
    「多分そうなのであろう」と仮定して考察する。
    「子供が駄々を捏ねる理由は?」・・・感情を抑えられない。
    理由の殆どは感情の問題で片付くであろう。
    では、感情を抑えられない原因は?
    経験値が少ない、道理を知らない、常識が少ない・・・
    つまり、無知が原因と思える。
    では、左翼運動家はどうか?
    やはり、無知が原因と思える。
    但し、知識だけでなく、それより、常識が足りない。
    左翼運動家はほぼ護憲派である。
    前回書いた憲法前文のいかがわしさを理想と置き換え解釈している。
    「福田武夫は(一人の命は地球より重い)」と世迷い事なる迷言を吐いた。
    しかし、この言葉に喝采を送る多くの人がいる。
    履違えも甚だしい。(比べる対象でなく、命に軽重はない、我々は命を頂いて生きている。)
    「ユダヤ教を起源とする一神教では神が万物を創造し、その最上位に人が存在する」との発想をする。
    「人は万物を支配する存在である。」との歪んだ思想を持って居る。
    私は敢えて歪んだと表現する。(持論:縁で結ばれた世界)
    さて、左翼運動家は「縁で結ばれた世界」等の発想はあるだろうか。
    厄介なのは子供と違い「理論武装」できる知識を持って居る。
    人が創り、創造した制度には欠陥が必ずある。
    欠陥を不満とし、論っているのが運動家の姿と結論付けている。
    つまり、駄々っ子である。

  • 久しぶりにトピの本題に近い事を

    【憲法前文の嘘】
    憲法前文の一節↓
     われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
    政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
    他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
           ↑
    「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
    他国無視をしている国が隣にいる。(中国・韓国)
    「政治道徳の法則は、普遍的であるもの」
    政治であっても、道徳の基準は定める事のできない。
    故に、普遍的ではない。

    なんと、日本国民は危うい立場に居るのだ。
    日本国憲法は砂上の楼閣であり、現実離れした幻想の世界を描いている。

  • 【豊洲移転問題】
    報道の論点が偏っている。
    さも安全性に問題有の報道が目立つ。
    どの報道も、土壌分析、及び、空間にある、空気の分析結果を問題視しない。
    安全かどうかばかり叫んでいる。
    安保法案を戦争法案と言い換える論理展開に似ている。
    「説明と違った建築だ⇒安全でない。」
    何故にこうも国民を誤った方向へと導くのか?
    善意に解釈すれば、視聴率維持に繋がるから、面白いから
    「なんと馬鹿なのか」と思うのは私だけだあろうか?

    【二重国籍問題】
    初めて知ったのだが民進党は帰化人の溜り場になっている。
    そこから、閃いたのは彼らの帰属意識はどこか?
    その延長線上の思考で、国家意識を持って居るのか?
    そして、その又延長上に「家庭崩壊」と繋がった。
    思考が飛躍しすぎているかもしれない。

    個人と家庭がギクシャクしている。
    とうとう姉が弟を殺害する所まできている。
    家族が家族意識を上回る個人の尊重。

    ・・・個人的な出来事
    私も同じで、個人の意識が強く、家族の干渉を嫌う。
    以前、弟に「俺が嫌いか?」と、問われたことがある。
    「お前は自分を嫌うか?」と、問い返した。
    冷静な判断を持つ者は「誰しも嫌いな自分、好きな自分がいる」と、言った。
    家族の中に嫌いな者が居ようとどうであろうと存在を否定するものでない。
    その意味での個人は存在しない。
    このような会話を交わしたことがある。
    ・・・ここまで

    家族とは?、地域とは?、国家とは?、そして、個人とは?
    この辺りの線引き、難しく表現すれば哲学、平らにすれば常識が失せているように思う。
    グローバリズムを語る前に、足元を固める必要があると思う。

  • 【直情径行】
    好き嫌いをハッキリする人達を支持する割合が増えた。
    当たり前な風潮になって、単細胞や、直情径行な人の表現が無くなった。
    一昔前の世代は直情径行を戒められた。
    争いを避ける為の戒めであり、他者を慮る為でもある、戒めが無くなった。
    虐めの根底に巣くっているのもこの種の感情だ。
    食事の時、好き嫌いは栄養の偏りを招き、健康を害すると言う。
    同じく、心を害するのが感情の偏りとの見解を持って居る。
    アメリカかぶれが日常に浸透した例と思える。

  • 【下衆な根性】2016.8.26
    昨今、バラエティ番組の冒頭は高畑の強姦事件ばかりだ。
    これに嫌気が差すのは私だけであろうか?
    強姦事件など日本中にあり、表面化していない事も含めれば、どれ程起こっているのか?
    追及すべき問題はそこで、犯罪抑止に繋がる、「なぜ起きた、なぜ起きる」がない。
    高畑が何故起こした、高畑に問題があった。
    個人だけでなく、もっと普遍的な対策を話題にすべきと思う。
    井戸端会議の覗き見根性を下衆な根性と自覚して頂きたいものだ。
    蛇足
    ゲスの言葉が良く使われるが、下種・下衆・下司と色々書く。

  • 【朝まで生テレビ】
    憲法問題を議論していたが、井戸端会議とはこういう事を言うのだろう。
    つまり、成果を上げる積りがない。
    議論の為の議論でしかない。
    何故なら、田原総一郎氏そのものが評論家の立場を堅持しいる。
    つまり、評論家は議論の種を求めるだけで、結論へ至る責任は回避する。
    質が悪いのは田原氏は政治家の責任を承知しながら、政治家に自分の意見を押し付ける。
    全く無責任の権化と思う。
    評論家なら、意見を引出すだけでよい。
    一国民や、団体の総意で要求するのと、評論家が要求するのは意味が違う。
    田原氏は何時まで経ってもその違いが分かっていない。
    この事は、左派の特徴でもある。
    現実を動かす手立てでなく、理想だけを言う。
    今回、おおさか維新の改憲草案を「お試し改憲」と揶揄する。
    具体案に興味がないと、そのような否定をする。
    そろそろ、現実逃避し、理想ばかり語る者を馬鹿と呼んだら良いと思う。
    理想ばかり語るのは、思春期の若者で十分足りている。

  • 【2016都知事選の報道から】
    鳥越氏を推薦した事で、左派連合の本質が丸出しになった。
    報道から聞こえてこないが、鳥越氏には政治家として基本的な要素が欠けている。
    ジャーナリストは欠けた所を指摘し、批評・批判すれば良い。
    しかし、政治は実現能力も加味され、最も必要な能力思う。
    政治家は指針を示し、官僚達に実現可能な設計図かかせる。
    そんな能力を全く示さなかった。
    鳩山由紀夫と同じく夢しか語れない。
    民主党として、政権を担い、失敗した経験が未だ左派連合には理解できていない。
    鳥越氏擁立から、憶測すれば、永遠に政権担当させるべきではない。

  • 続・【倫理・道徳の欠如】

    前回、酒鬼薔薇聖斗(さかきばら・せいと)が事件を起こして以来
    【倫理・道徳の欠如】を言い続けている。
    と、書いた。
    その内容は、最初、家族に、「これからこんな訳の分からない事件が起こる」。
    と言った。
    家族は「こんな事件は特殊で、めったに起こる事件でない」と言った。
    家族6人全員が否定した。
    それから、暫くして、付属池田小学校乱入殺傷事件が起こった。
    この頃の私は、無神論者の増加が原因と捉えていた。
    :::↓
    戦前は迷信を含め、信仰心を持つのが当たり前で、
    信仰心の無い者を「罰当たり」と揶揄していた。(恐らく、母親から聞いた)
    科学万能の時代であった。(今も、科学を信奉する者は多い)
    倫理・道徳は科学的根拠を証明できる性質のものではない。
    景気に表される「気」を扱う、経済学と同質の要素がある。
    それ故、専門性が必要となり、小中高の教育現場に馴染まない。
    一番身近にあるのは宗教施設で、そこでしか学び取る事のできない。
    例えば、「因果応報」
    殺人すれば、自分も殺害される運命に巻き込まれる・・・等、根拠なき恐怖を与える戒め。
    :::↑
    そのように、考えていた。

    最近、「宗教は必要ですか」のトピに下記の事を書いた。
    :::↓
    宗教が「必要・不要」と論じるのは
    人間に知能が「必要・不要」と論じるのと同義と愚考します。
    つまり、宗教心は知能の発達が根本にあると愚考します。
    また、信じる事が宗教心の根本にあると愚考します。
    人は全知全能の神でなく、寧ろ、知り得ぬ事の塊です。
    知らぬ事を知りたい、知り得た事は信じる。
    そのように脳機能は働くようです。
    最近、自覚したのですが、無意識は信じる事の塊です。
    「好き・嫌い」と同じく無意識の中に存在します。
    さて、そんな無意識の世界を言葉で具現化したのが宗教と愚考します。
    脳科学・精神分析学・心理学・・・等との違いは哲学の存在です。
    宗教哲学は有っても、脳哲学・精神哲学・心理哲学・・・等は有りません。
    この哲学の解釈が争いを生み、育てると愚考しております。
    :::↑

  • 【倫理、道徳不足の弊害】

    植松聖がとんでもない殺人を起こした。
    バラエティ番組のコメントと私の見解は違っている。
    あくまで、私見で、独善的見解かもしれないが、全く違った視点を持って居る。

    彼は独り善がりの見解を持って居る。
    個人主義の悪しき側面が増幅され、暴力的な犯行に至っている。
    SEALSのリーダーと同種の意識構造を持って居る。
    慰安婦問題を捏造した朝日新聞にも同種の狂気がある。
    また、ヘイトスピーチにもそんな狂気がある。
    問題は、個人の行為か、集団の行為かの違いで、見解が大きく異なっている。
    個人の殺人は罪で、戦場での殺人は罪に問われない。
    この違いを分別できぬ者がいる。
    例えば、昨今殺人事件が多発している。
    ISをはじめ、人種差別での殺人・・・等
    動機はあるが、一般社会で容認できぬ殺人が横行している。
    昨今の殺人事件の影響を受けているだろうが、植松聖にも彼の持論がある。
    その持論を精神異常や、理解できない、としてはいけない。
    倫理、道徳の不足が招いた悲劇である。
    日本の風潮は倫理・道徳を教育現場から排除する方向に向かっている。
    その弊害が顕著に表れた結果と私は結論付ける。

  • >>95



    ヘイトスピーチに対して、
    :::↓
    問題の本質は在日特権にある。
    世界でも稀な特権を持って居る民族が日本に居る。
    そして、その民族は日本の足らざるところを見つけて、悪しざまに叫ぶ。
    「安倍政治を許さない」と叫ぶ者の多くに在日特権を享受している者が居る。
    当然、帰れと叫ぶ者が出てくる。
    「安倍政治を許さない」もヘイトではないのか?
    大本は「戦争法案」や「安倍政治を許さない」・・・等を許すマスコミにある。
    その事を自覚せず、ヘイトスピーチを無くすのは不可能であろう。
    学校でイジメが無くならぬのは同じメカニズムだ。
    己の意見を形振り構わず押し通す。
    原因はそこにある。
    【いい加減に気付けよ】【いい加減に自覚せよ】と報道記者に言いたい。
    :::↑
    以上、年寄りが遠吠え、一人嘆いています。

  • >>94
    久しぶりです。

    最近YouTubeにて書き込んだり、ツィッターで呟いています。
    ツィッターでは文字数が少なく、表現に四苦八苦しています。
    何れも嘆き節がばかりで、気が滅入ります。
    例えば、最近、ASEANの共同声明に対して、
    「中国は侵略を恐れ、南シナ海を拡張している」と論評した見解に対し、
    下記のような事を書いています。
    :::↓
    負け犬の遠吠えのように聞こえる論評だが、
    むしろ、日本の評論家の遠吠えに聞こえる。
    現実に日本は中国で、暴動が起き、現地の企業がダメージを受けた。
    一切の制裁無しに終わっている。
    希少鉱物の規制を掛けられても、オロオロするだけ。
    南シナ海問題で、王毅外相は「干渉するな、日本の為にならぬ」と脅している。
    ヤクザ国家と認めるべきと思うが、
    日本の言論人こそ恐れているように思う。
    :::↑
    とか、中国批判の見解では。
    :::↓
    ロシアには経済制裁をしている、しかし、中国には求めない。
    足元を見透かされている。
    強気の原因はそこにある。
    日本は勿論、アメリカも武力衝突を避ける。
    残るは周辺地域、だから、2国間で解決する。
    ならば、武力でも、まして、経済では圧倒的優位にある。
    「日本は黙っていろ」と暴言を吐いている。
    反論できない日本は、完全に外交的、優位を失っている。
    経済的ダメージを負っても、「経済制裁すべき」と言論人は言わぬのか!
    :::↑
    ・・・と、嘆き節を開陳している。
    また、
    参院選に於いては、
    :::↓
    極左の鳥越氏を報道する。
    ようやく出た極右の桜井誠氏を報道しない。
    安倍総理を極右のように叫ぶ、既存の左派。
    桜井氏こそ本物の極右である。
    これでようやく、右派、左派、極右、極左が揃い踏みした。
    東京都民は知っているのであろうか?
    ネット住民なら、街頭演説で人気がある事は知っているであろうが、
    大阪府民なら、橋下氏と罵り合った桜井氏を少しは知っているであろうか?
    良くも悪くも、東京は多彩な人材が立候補している。
    :::↑

  • 【NHKスペシャル】
    【議題】私たちのこれから「#不寛容社会」
    【出演】宇野常寛,榎本博明,鴻上尚史,壇蜜,津田大介,デーブ・スペクター,中野信子,森達也,厚切りジェイソン
    【キャスター】三宅民夫,桑子真帆
    【討論内容】
    インターネットやSNSにあふれる炎上やバッシング。
    相いれない主張が対立しがちな社会に広がる“息苦しさ”をどう解消していけばいいのか?
    専門家と市民が徹底討論!
    【愚者の感想】
    相変わらず結論も出ず、情報を流すだけの番組であった。
    もう少し、「何故、どう対処すればよいか・・・等」の意見集約ができないのか?
    NHKの優柔不断さや、いい加減さがそこにある。
    問題の本質に迫ろうとする姿勢が見えない。

    例、司会者の質問
    ネットでの意見交換が何故できないのか?
    同じグループ内での返信があり、対立グループへの返信が殆どない。
    ”津田大介氏は簡単に「司会者がいないから」と述べた。”
    成程と、私も思いかけたが、それは一種の対処方法でしかない。
    現実と照らし合わせて、足りない所を補っただけで、不十分な答えだ。
    その突込みがない。

    ”また、中野信子氏は「人間の本質は不寛容」と述べた。”
    これもまた不完全で、どなたかが、「生存に係るから」と言っていた。
    ここでも、意味をハッキリさせる突込みが足りない。
    少なくとも、不寛容と生存の関係をハッキリさせるべき。

    【愚者の総合意見】
    さすが、津田氏、鋭い観察眼を持って居る。
    しかし、社会考察ばかりで、内観からくる社会考察が足りぬと思える。
    中野氏もさすが脳学者、いとも簡単に断定的な事を言う。
    しかし、そこで終わっている。
    人が不寛容である理由を突き詰めて貰いたかった。
    しかし、壇蜜が、「自分の批判を喜ぶのは異常ですか」に対して
    「ネット民と同様、普通は反発するが、脳のある部位(聞き取れず)の発達が関係している」
    との答え、ここで、異常と答えぬ所が良い。

    【愚者の結論】
    信じる気持ちはどこにあるのか?
    信じる気持ちは発達するのか?
    その意味で、中野氏の「本質は不寛容」と対極にある。
    その対極を埋めるのが、欲と愚考する。
    欲を満たす経験的が不寛容を発達させる。
    愚者が愚者たる所以も其処にあると愚考している。

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    どなたも経験しているでしょうが、
    一目で好悪を判断する能力。
    多くの場合正しい判断を下します。
    無論、絶対では有りませんが、怖そうな人は共通します。
    私は一度、笑顔の口元に騙されたことがあります。
    よく見れば、目元に嫌味が出ていました。
    そんな観察眼を分析した装置と思えます。

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