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  • ☆ 芸術と人間 ☆

    井出 薫

     最近は、将棋でも人間はコンピュータに勝てなくなりつつある。数年前にチェスの世界チャンピョンをIBMのコンピュータが破って話題になったが、チェスの世界ではすでに勝負はついた。将棋は取った駒を使えるためにチェスよりずっと複雑で名人に勝つことは難しいと思われていたが、近年の将棋ソフトの目覚しい進化をみていると名人を凌ぐ日は遠くないと認めざるをえない。コンピュータはプログラムに従って動いているだけで何の創造性もない。コンピュータが世界チャンピョンや名人に勝ったとしても、それはコンピュータが勝ったのではなく、コンピュータソフトの開発者が名人に勝ったと言うのが正しいとしても、これらの出来事は、あらゆる面で機械の能力が人間を凌ぐ時代が到達しつつあることを示している。あとは、自己学習能力を有して、自ら進化し自己増殖する機械が登場すれば、人間は「しかし、これは人間が作った物だ、だから人間の方が優れている」とは言えなくなる。それは人間が微生物の進化の産物だからと言って、人間より微生物が優れているとは言えないのと同じことだ。親は子より優れているとは限らない。

     しかし、コンピュータに偉大な芸術作品を作り出すことができるだろうか。芸術創造を含めた人間のすべての知的な能力が数学的なアルゴリズムに分解できるならば、コンピュータは如何なる優れた芸術でも創造することができる。「オデュセイアー」や「カラマーゾフの兄弟」を凌ぐような偉大な文学、「モナリザ」を超えた絵画、「ジュピター」や「第9交響曲」以上の音楽作品、やがてコンピュータは人々を驚嘆させる偉大な芸術作品を次々と生み出すことになろう。

     だが芸術創造は数学的なアルゴリズムに還元されるようなものなのだろうか。哲学者やロマンチストならば反対するだろう。芸術とは、各人固有の生の体験に基づき創造されるもので、機械的なアルゴリズムで自動的に生み出されるものではないと。

     鍵を握るのは人間の脳だ。人間の活動は全て脳に支配されるものではないが、芸術創造を含む知的能力は脳で決まる。脳がもしコンピュータと同じようなデジタル情報の処理システムだとしたら、人間の脳とコンピュータとの間に本質的な違いはなく、芸術創造のアルゴリズムさえ発見できれば-それはもちろん容易ではないが-、コンピュータはどんな偉大な作品でも生み出すことができるようになる。果たして人間の脳はデジタル情報の処理システムなのだろうか。

     人間の脳内で遂行される情報処理は、ニューロン間のデジタルな信号の伝達により実現されると長い間信じられてきた。だとすれば、人間とコンピュータは基本的に同じ存在だと考えることができる。しかし、最近の知見によると必ずしもそうではないらしい。ニューロン間のデジタルな信号の遣り取りだけではなく、細胞体のアナログな膜電位も大きな役割を果たしているらしいのだ。(ネイチャー6月8日号などを参照のこと)

     このことは、人間の脳がコンピュータのような数学的なアルゴリズムに従い機能するだけの存在ではないことを証明するものではない。だが、人間の脳にはコンピュータでは模倣できない潜在力が秘められている可能性があることを示唆する。もちろんアナログな信号が役割を果たすと言っても、それは霊的なものではなく、物質的なものであることには変わりはない。だから人間の科学技術が進歩すれば、アナログな処理を取り込んだ機械を作り出すことが可能になるかもしれない。だが、おそらくそのような機械を作り出すということは、人間そのものを作ることと等しくなる。いまの電子回路のように、無機的な素材を組み合わせただけでは、そういう機械は作り出すことができないと予想されるからだ。

     だから、科学技術が如何に進歩しても、偉大な芸術は、人間だけが生み出すものであり続ける。私たち人間が、芸術創造のためにコンピュータを利用する機会はこれから益々増えてくる。だが、それはあくまでも道具として利用するに過ぎない。筆やキャンバスの代わりにマウスやディスプレイを使うだけのことなのだ。創造性を機械に譲り渡すわけではない。人は、産業活動では、ほとんどの分野でやがて機械にその仕事を委ねるようになる。そして機械の方が人間より上手で確実に任務を遂行するだろう。だが芸術の世界では、人は永遠に機械に対して優位性を保つことができる。

    (H18/6/11記)

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