ここから本文です
  • ☆ コンピュータは考えるか、感じるか ☆

    井出 薫

     考えるコンピュータを作ることが出来るか。これは、「考える」ということが何を意味しているかを明確にしなくては解答できない問題だ。

     「考える」という言葉は様々な使われ方をする。「考える」という言葉は人間だけに適用されると主張する人が居る。この場合、「考えるコンピュータ」は問題にならない。コンピュータは人間ではないからだ。一方、将棋や囲碁を指すことは考えることだという立場もある。その場合、すでに今のコンピュータは考えていることになる。

     しかし、今のコンピュータが考えていると判断するのは無理がある。コンピュータの動作は高速だが、柔軟性に欠け、課題ごとに適当なプログラムを外部から与えてやらなくてはならない。これでは、私たちが持つ「考える」というイメージに合致しない。
     だから、もっと誰もが納得できるような「考える」ことの規準が求められる。

     コンピュータサイエンスの父アラン・チューリングは、チューリングテストを考案した。二台の電信用タイプライターがある。壁の向こうで、一台は人間と、他の一台はコンピュータと繋がっている。テストの参加者は、二つのタイプから質問をして、どちらがコンピュータか当てることを課題として与えられる。多数の参加者を集め、正解率が50%程度になったとき、つまり二人に一人は間違えるようになったとき、コンピュータは考えているとみなしてよい、というのがチューリングの提案だ。

     現代の最高性能のコンピュータでも、このテストに合格することはできない。だが、原理的にこの課題をクリアするコンピュータは実現できないとする理由はない。チューリングの提案は、考えるコンピュータを作り出そうとする人々に現実的な目標を与え、なおかつ、「考える」という曖昧な概念に明確な定義を与えた。今のところ、チューリングの提案以上に優れた「考える」ということの説明も定義もない。

     しかし、チューリングテストに合格するコンピュータが登場しても、「考える」という概念を適用することに抵抗感がある人は少なくないだろう。

     「考える」ではなく「感情を持つ」が課題となれば、尚更そうだ。コンピュータが如何に進歩しても感情を帰属させる気にはならないという人が圧倒的に多いだろう。感情は生物だけが有する特権であり、無生物であるコンピュータが感情を持つことなどありえないと感じるからだ。

     しかし、「感情を持っている」という概念も、「考える」と同様に極めて曖昧だ。蟻が感情を持っているかどうかは人によって意見が分かれる。犬や猫ですら感情を持たないと主張する人が居る。逆に、細菌やウィルスでも生命体はすべて感情を持つと主張する人も居る。

     だから、「感情」についても、チューリングテスト類似のテストが有効だろう。その場合、姿かたちが人間と同じで、振舞いも全く人間と同じに見えるアンドロイドは、感情を持つと認定されることになる。

     実際、アンドロイドが生身の人間ではないということを知るまでは、私たちは相手が感情を持っていると考える。ただ、相手がアンドロイドであることを知ったときには迷いが生じるだろう。

     生命体であることが「感情を持つこと」の絶対条件だとすれば、アンドロイドは排除されるように思える。しかし、バイオ素子がコンピュータやロボットに利用されるようになり、その一方で人間の身体への人工物の導入が進めば、生物と無生物の境界も曖昧になってくる。自己複製・増殖能力は生命の特徴とされるが、自己複製・増殖能力を有する機械=オートマトンが存在しうることは以前から知られている。生物と無生物の境界線は絶対的なものではない。

     それでも、感情を持つことは自然に生まれた人間と高等生物だけの特権だと考える人は多い。筆者も、その気持ちは理解できる。だが論理的な根拠があるわけではない。

     科学の世界と現実の世界には大きな開きがある。今のところ、感情を持つと考えなくてはならないような機械が出現する見込みはないから、両者の乖離が現実的な問題となることはない。だが、将来、人々が両者の折り合いを付けるために苦労するときが来るだろう。

    (H16/8/30記)

  • <<
  • 36 17
  • >>
  • <<
  • 36 17
  • >>
並べ替え:
古い順
新しい順