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和して同ぜず

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  • 2016/02/10 18:58
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    ヤフー辞書では、「和して同ぜず」の意味は以下のとおりです。

    《「論語」子路から》君子は人と協調するが、安易に同調したり雷同したりすることはない。主体的に人とつき合うべきであるということ。

    主体的に人と付き合うことって、なかなか至難の業です。
    社会の一番最小単位である夫婦であっても安易な同調を避けて、仲はいいけれど、互いが違う意見を持つことを尊重していくのがいいのでしょうね。

    夫婦、家族、まずそのあたりから「和して同ぜず」が確りすれば、風通しのいい気持ちに余裕のある生活が出来るのかもしれません。

    タイトルが固くなりましたが、日々の営みで、結構、発想を柔軟にして、自らを殻に閉じ込めないでいらっしゃる方に、ぜひ、いろいろ語っていただきたいです。

    私は仕事を持ち、老齢の実親、義親の介護も抱えているごくありふれた主婦のひとりですが、せめて心はしなやかでありたい。

    世間のしがらみを無視する訳ではありませんが、それに潰されない美しい生き方を目指したい、と願う万年「青い」時代の団塊世代のひとりです。

    どうぞよろしくお願いします。

    ハーブと申します。

    ハーブというより、山野草のほうがしっくりくる生活、そうなのです、バターの味付けよりはお醤油で、なのですが、名前はハーブ、雑草の如く、強くなりたいためです。


    以後お見知りおきを。

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  • >>2921

    繰り言で、公の場所を汚すのは本意ではありませんが、敢えて付記しようと思いましたのは、自分の心の中を書くことで整理できるかと、淡い期待を持つせいです。
    ①私は、どうしたら、毎日起きる事象に対して、自分の不甲斐なさ、と直結する癖を脱することができるのでしょうか。

    私がいるから、私が至らないから、こんないやなことが起きる、(起こす)と私は思います。予期しない不利益、不当、不幸なことを私は自分のせいにすることで、問題解決をする、それは、時には不適切な解決なことは知っていても、自分が悪いから、と思うのが一番楽なので、、、

    ②自分の気持ちをどうしたら、外に向けてあらわにすることができるのでしょうか。

    いつも、にこにこ円満笑顔の私が、底なし沼の不安を背負って生きていることをだれも信じてくれません。

    すべて自業自得、似非人間のなれの果て。偽善者の哀れな最期になるのだと、思えばいいのでしょうね。。。

  • >>2920

    けんしょうさん、こんにちは。
    ご無沙汰しています。
    相変わらず、お元気でマイペースに今という時に誠意をもって没頭中だと拝察します。

    このトピックは、これからの私の道程を少しでも明るく、
    生産的なものにしたかったので、樹立したものでした。
    他の人とはもとより、夫婦の間でも和して同ぜず、の意識は大切なこと、というのが私見でした。
    でした、としましたのは、今はそう言い切れない、自分の中での混沌があるからです。

    私はだれのために生きているのか分からなくなりました。
    自分のために生きる、が私の本意だったはずですが、それもどうでもよくなった感がします。
    私の存在が、だれかの喜びになったり、少なくとも多少は気になるっていうことがない限り、自分のために生きることは難しいですね。
    自分がどこにも必要とされていない感が、いつも、自分の言動の不適当をよりあばくことになり、何に対しても自分が至らないから、と、恥じ入ることにつながります。
    花が好きな私は、この時期、せめて家の中くらいは、春のお花で満たしたい、とお花を生けるのに余念がない はずでした。
    今、そんな自分が信じられないのです。もうどうでもよくなった、私がお花のことを忘れても、ご飯を食べようが食べまいが、だれも私を気遣う人もなく気楽なことこの上もありませんし、
    むなしいのも否めません。
    義母が年末永眠しました。
    満中陰の法要を先日終えました。毎日お線香をあげますが、先ほど、仏花の水が空っぽになっているのに気づきました。
    お花が元気だったのですが、私の心のたが が全く外れきっていることに起因しています。

    これを記しながら、けんしょうさんのお目にとまらないことを願ってもいます。詮無きことを繰り返し書き置いて何になるというのでしょう。

    あるいは、認知症のはじまりかもしれない、と恐れてもいるこの頃です。

  • >>2919

    ケンショウです。ハーブさん大丈夫ですか?書き込みはしない方がいいと控えていましたが、なんだか少し心配になって来ちゃいました。            ケンショウ

  • >>2918

    「ほんまやなあ」の一言がほしくて、幻影を追いかける。

    幻聴で聞くのはこんな声の「ほんまやなあ」

    https://www.youtube.com/watch?v=mKPLDnO7n5U

    悲しみに・・・から始まる歌詞故か、悲しい歌かと思っていたら、
    人は一人でいけないものだから、で終わる人恋しさのうただった。

    実物は、身長もあるが、顔が小顔ではないあたり、
    私世代の日本人であることを確信する。

    ジーンズが似合うことは、敬服を禁じ得ない。

    この歌手は、東日本出身なのか、関西のイントネーションはない。でも、
    あの声で、「ほんまやなあ」を聞いてみたい。

    「ほんまやなあ」が聞きたい、ということは、きっと、私が、和して同じて、を願う危ないほどに、心細い心模様にいるからかも、と思う。
    でも耐えないと!

    いったいだれが、私に「ほんまやなあ」って言ってくれるというのだろう。
    まずは、私が「ほんまやなあ」と言うところから、なのだけど、
    それを私からひきだす相手の心の声が全然聞こえてこない。。。

    私はひとりで何も期待しないでこのまま生き続けるのが分相応なのかもしれない。

  • >>2917

    すぐ送信しましたら、少なくとも2か所、変換ミスがありました。
    福祉的→副詞的
    就職→修飾

    恥ずかしい限りです。
    大雑把そのもの。

    さて、いろいろ考えた末、私の好きな言葉、それをここに記しておきましょう。

    「ほんまやなあ」

    大好きなフレーズです。
    日頃、聞き役が多い私が、語るとき、
    何はさておき、「ほんまやなあ」と返ってくると、
    心地よいお風呂につかる至福のときと、同じ感覚になります。
    そして、妄想でしかないその声に、さらに、加えて
    目じりに笑いじわができている そんな笑顔まで思い描き、
    いかん、いかん、幻覚や、と一瞬浮かんだ視界を打ち消すことにしています。

    「ほんまやなあ」は、私の信仰の原点です。
    教祖さま、本山ともいいますか、こころの奥のぬくもりのもと、です。

    何だか、だいぶ、軌道が狂っていますでしょうか?

    ほんまやなあ

  • こんばんは。
    静かな夜です。
    今日も一日、雨の音を聞いて外気を知らずに過ごしました。
    一人の夜が始まって、もうかれこれ5時間くらいでしょうか。。。
    日頃あまり見ないテレビにスイッチを入れました。
    スーチーさんの選挙結果がいくら何でも、もうそろそろ公表されてもいいのでは、と思ったのです。
    それはやはり、よほど慎重だからか、報じられずに、何か違った話題で、街頭インタビューがされていました。
    気づいたことがありました。
    音声と同時に画面下にテロップも流されます。ほぼ音声と同じで、特に編集はされていないのですが、わずかに、一か所・・・
    それは、「すごい」を「すごく」と画面下に直してあるところ。
    画面の人物は、確かに「えーっと、それってすごい大変なことだと思うんですよ~」と発しています。
    テロップでは「えーっと、それってすごく大変なことだと思うんですよ~」とあります。

    NHKのしてくれる親切に大いに感じ入りました。

    かく申す私は、大雑把なところが全体の8割くらい、特に自分には甘いので、間違いなど人にはつきもので、こと自分がした過ちは反省するも、また繰り返すことしばしば。
    こだわる部分が2割くらい、いえ、もっと少ないですね。所詮どうでもいい~と思ってすぐにおりるから、ムキになって気にすることを口に出すのはごくまれです。

    言葉については、「すごい」が福祉的に使われると、その度に、ぞっとして、鳥肌が立ちます。ただ、正しく認められてはいないと思いますが、ほぼ市民権は得ているのか、使われている頻度は高いです。

    すごいおいしい、 すごい高い、 すごいかっこいい、  すごい痛い、
    書くだけでも、もう鳥肌です。

    正しく言い直しますと、
    すごくおいしい、 すごく高い、 すごくかっこいい、  すごく痛い、

    たったこれだけのことです。
    形容詞として使われるのはもともと正しいわけでして、

    すごい人混み、 すごい高さ、 すごい人気、
    などなど違和感は全くありません。

    また名詞を就職しなくて叙述的に使われるのもOKです。

    彼のいっていることはすごい、 ワーゲンの失態はすごすぎ、など。

    すごい を veryの意味で福祉的に使うのは、個人的には嫌いです。困ります。

    和して同ぜず、の話ではなくて、ただの文句言いの戯言です。

  • >>2914

    思いつくままの殴り書き、そして放言。
    我ながら、恥ずかしい。

    でももう一つ加筆したいのは、
    私が今決して忘れてはいけないことが一つある そのこと。

    親しい人、
    確かに私にはそんな人がいる。
    これは疑うことができない真実だ。
    その人のために、私は私らしく、日々を重ねる必要がある。
    友情を一瞬でも(本当は量的には五瞬くらいにはなる)茶化したかもしれない昨夜の私は忘れてしまおう。

    有難い幸せを覚える朝、
    やはり、私は朝が似合っている。
    夜の闇の中で一人佇むのは私らしくはない。

    さあGO!

  • >>2913

    おはようございます。
    今日も好天のようです。
    寝室の東向きの窓から遮光カーテンをものともせずに、
    朝の新しい光が入ってくる。
    ほんの1ヶ月前には、それが午前6時半前だったのに、今朝は確かに
    7時少し前まで光が認められなかった。

    私は、昨夜も眠れなかった。
    考え事をするには、あまりにも心が軽くて浮かれていたはずなのに。。。

    昨夜、私の親しい人が電話でこんなふうに言ってくれた。
    「私が何か一身上のことで、困ったり、判断を迫られたとき、最後に意見を求めるのが、はーぶちゃん、あなただから。あなたってそんな役割を少なくとも私のためにしてくれる人だし、きっと、他の人もそんなふうに思ってるはず!」だと。

    その暖かい言葉に涙しそうなくらい、私は救われて、すっかり、(その気になったのかもしれなくて)気をよくして、幸せな眠りに就いたはずだった。

    私には、悪いことに、反芻癖がある。
    大概のことが記憶が悪いのに、こと自分のことになると、相手とのかかわりの際の言葉をよく覚えている。そして、なぜ、それが発せられたか、を自分の中で糾弾してしまうのだ。

    私の親しい優しい人は、私の「つぼ」を知っていただけだ。
    私にこう諭せば、「そうだ、私を必要としている人がいる!そんな場合がある!私の存在意義はあるんだ!」と立ち直るきっかけになる。そんな図式を心得て、私に心をこめてそう語ってくれたのだろう。
    私が簡単に落ちるつぼ、を私の日頃からよく承知している心憎いほど優しい人だから。。。

    それに気付いた私は、夜の闇の中を行きつ戻りつ、友情への感謝は否定しないまでも、自分があんな励ましで陥落したのか、と自嘲を繰り返す。
    一方、自分の猜疑心の深さゆえにそんなことまで思いつくのではないか、と一応の良心的判断もしてみる。

    そんなこんなで朝を迎えた。
    そして思ったこと、どっちでもいいや!
    親しい優しい友人の思惑は私が日々楽しく明るく暮らすことができること、それに尽きるのだから、その意をくんで、少しでも前向きの生活をこころがけよう、それだけだ。

    今日はいつもの片道50キロ弱の高速道のドライブ、を予定していた。
    今もその気にかわりはないけれど、寝なかったのはいたい。
    それは明日にでも延ばすことにして、
    朝食の後は、陋屋への散歩とそこでのカフェラテを楽しむこと。
    近くの公立図書館にはじめて入ってみるのもいい♡

  • こんばんは。
    もう今日がすでに1時間終わってしまった。
    外は夜来の風雨。この時期特有の空模様。
    気分転換に車を駆ってひとっ走り、と思っても、
    ずっと雨降りでは、行く気も失せます。
    幸い、九月中旬以来、装用を始めたメガネが、
    ここのところ、すんなり、私の生活におさまってくれている。
    運転の際も支障がないのは、想定外の快挙(というのもオーバーだけど)といえる。

    ただ、思わぬ支障は、入浴時だ。
    当然、メガネは外して入るしかない。
    そのあとの掃除、あるいは、入っている際に気づく浴室の汚れに無頓着になってしまう。
    コンタクトをつけたまま入浴していた頃は、浴槽も床も水栓もピカピカにしないと、浴室から出られない質だったのが、ここのところ、とってもルーズになり下がった。
    これでいいのだろう、体力に相応して掃除も手抜きで済ましちゃえ、どうせ、この家も夫婦二人で住みつぶし(それもこの先どれくらいいることか・・・)客に使わせる可能性もそんなにない。そんな悪魔のささやきが瞬間聞こえるものの、明日明るい日の光の下で、もう一度点検はしておこう、と気持ちを切り替える。

    目が悪いということも、今となると、悪いことばかりを引き起こすともいえないかもしれません。四角い部屋を丸く掃く、といわれることを日々実践していますから。
    隅にたまった埃屑に気づかぬふりして、どころか、見えなくて、そのまんまにしている今日この頃。。。
    母は今の私の年齢の頃、ばりばりやっていたなぁ、と夜更けに思う。
    あのしっかりした母にとって、私はこどもでしかなかったし、ずっとそうなのだろう、とも思います。
    精神的にもろくて肉体的にも持久力がなくて、私は一体だれの役にたっているのか、最近、ふと、わからなくなることが多くなったようです。

    贅沢な煩悶。。。心得ています。何も迷ったり、悩むことはありません。
    ひとりの時間がある限り、それは至福のときなのですし。

  • >>2909

    (続きます)妄想が生じてきました。目の前の一個のりんごから、次々と無数のりんご、木になっているりんごが見えてきました。
    ついでに幻聴までしてきました。
    それは、幼い私の歓声でした。

    信州は、実父のふるさと。といっても父自身は、旧制中学に入学したときに、時の「東京市」に遊学のため居をかえていますから、はじめの十数年だけのふるさとになります。
    その後、次々と身内との別れが続き、最終的に農地改革で父の生家が解体するまで、両親にとっていい時代はほとんどなかった、恩恵を受けることがあまりなかったふるさと。
    それでも幼い私を連れてりんご狩りに連れて行ってくれた、その時の思い出がわずかに私の聴覚にも視覚にも嗅覚にも残っていたようです。

    一瞬のことでした。白昼夢をみているかのようでした。
    父は、真面目で静かな立派な大人でしたが、帰るふるさとがないことを「きずものの生涯」と自嘲していました。
    その父に私は外観も内面もよく似ていると母にも父自身にも言われました。

    奇しくも私にもふるさとがあってない、に等しいです。
    就学前に大病をした私のために、薄給の役人の父が思いついたことは、私を私学の小学校に入学させ、いわゆるエスカレーター式に女子大学まで行かせることでした。
    そうすれば、入学試験から解放され、健康第一に学生生活を送れると思ったのでしょう。
    あに諮らずや、せっかく父の思惑通り、入学した小学校に、私はあまりなじめませんでしたので、その後、中学入試、高校入試、大学入試と人並みに苦労することになります。
    そのたびに、父は、ふるさとの知人にリンゴを木箱で何箱か、送ってもらい、「一日一個のりんごで医者いらず ジョニーさんの言葉」と私に静かに言ったものです。りんごは、私の大切な思い出、においを失くしていませんでした。

  • >>2908

    (続きます)
    「触れる」について、極端な加齢現象は、くすぐったくなくなったこと、です。昔は触れられなくてもくすぐったくなって、我慢できませんでしたが、そんな感覚を忘れて久しい。
    さて、最後に残った「かぐ」ことについて。
    私はこの感覚が発達しすぎていたために、およそこの半世紀、苦しいこと多かりき、だったと思います。人が集まると、においはつきもの、人工的に香しいにおいも含めて、どこもかしこもにおいでいっぱい。
    そして、かがずにおれたらよかった悪臭の記憶は、脳の脳幹まで染み渡るかのように、忘れられない。
    もちろん、花や草木、風の香り、など幸せを運ぶ香りにも恵まれた。季節のうつろいをそこに感じ、心まで浄化してくれるような、雪国の空気のにおい。宮沢賢治の「永訣の朝」の雪の香りをそこに重ねてみたりもした。
    ヨーロッパの数百年前からある教会で聞いたレクイエムは、もちろん、耳も心もとぎすまして味わったけれど、いいカビくさい、床にしみついた革靴のにおいまで音楽の相乗効果になったように思ったほど。
    いったん、悪臭(それは私にしかわからない いわば、わがままに感ずるにおいでしかない)を感じるやいなや、数年にわたって、条件反射のようにあることが起きると一瞬のうちに思い出された。
    そんな嗅覚・・・人ではなくて獣のように私を脅かしたり、幸せにもしてくれたその感覚が、

    今はもうない、に近い。

    近くの耳鼻咽喉科に約半年かかって改善を願いました。
    ある日、ある時、その建て直して間もない近所のお医者さんで、
    私以外の患者に出会ったことがないのに気づいて、お医者を変えてみた。
    そこでは、考えすぎです、精神科を受診されませんか?と女医さんが診断の結果、おっしゃいました。

    以来、加齢現象の大いなる症状と自分で納得して、「かぐ」力の劣化を悲しまないように心がけています。きんもくせいの大樹が2本ありますが、目で見て記憶をたどってにおいにたどり着きます。
    それが、先ほど、一瞬よみがえったことがひとつ。
    昼食後、りんごを剥いていました。いつもは信州産のサンフジ?を買いますが、今日のは、地場産コーナーのでした。
    紅玉のように真っ赤なそして少しいびつのそのりんご、むいていくうちに、りんごの香りがどんどん広まっていくのです。
    危ないことですが、ペテナイフの手を止めて、うっとり、香しい空気を味わいました。すると妄想が

  • みなさま、こんにちは。
    当地は、時雨れています。
    居間のさらに南側は縁側になっています。
    居間と縁側との間は雪見障子が入っています。
    縁側の向こう側はレース地のカーテン、日中はそれだけは閉めているところ、本日は、
    レースの向こうの遮光性のカーテンまで閉め切っていますから、日が入ってきません。
    どんよりした空を仰いでも気持ちがよけい重くなりますから、冬の間は、これらの二重のカーテンを閉め切っていることが多いです。
    そのまま縦方向に目をやりますと、二階の南側の方は、障子戸、サッシ戸、おまけに雨戸まで、閉めったままにしています。さすがに、雨戸8枚のうち2枚だけかろうじて開けて障子越しに秋の光をいれてはいますが。そこから戸をあけますと、どうだんつつじの紅葉が見事です。初夏のころには、たいさんぼくの大きな白い花弁が手に届くくらいに見えますが、階下にいては目にすることがありません。
    せっかく、光や風やみどりを感じられるような家づくりをしたはずなのに、一家の主婦が気配りを怠っていては、家も死んだも同然かもしれません。

    それにつけても、何故にこんなに鈍い感性になったのかと、わが身を振り返ってみると、確かに気づいたことがあります。
    身体の老化、あるいは、劣化は、感覚的なことにも大いにいえると思います。
    人には五感が備わっているといわれます。「見る・聞く・かぐ・味わう・触れる」の感覚が。
    私個人としては、ひどい近眼のために、「見る」のは自身がない。それを補うべく、「心眼」をとぎすますようにしてきた(なんて、尊大な発想ですが、悪しからず)。それから目の代わりに耳は聞こえる、聞こえすぎるとまで思ってきました。
    ところが、「聞く」力もこのごろ怪しいことこの上ない。意識を集中して聞こうとしないと、聞くことができないことも多々ある悲しい現実。「味わう」のは、まだ鈍化していないかもしれない。たくさん、食べたいと思わない分、美味しいものは美味しいと心から感じ入る。おだしへのこだわり、柚子、生姜、わさび、山椒、紫蘇など若い時はそれほど気に留めなかった薬味もむしろ、自分の中では主役の座を占めるようになっている。幸い、それらを生の状態で入手できる環境にあるので(地産地消、どころか、埴生の宿のこの荒れ庭の片隅に生息していることも多々)料理下手としても助かっている。

  • みなさま、こんばんは。
    ティータイムは常日頃は、これからはじまりはじまり、の頃ですが、
    今宵はもうお片付けも終えました。

    夜の街に友人(というより、現役時代の後輩、部下っていうんでしたっけ)に誘われて、出かけていった家人が思いがけなく日付変更線を越した直後に帰還しました。
    夜時間に強い家人はいったん出かけると2時3時はごくごく当たり前の期間時刻です。
    身体の具合でも悪いのでは、と言われた場所に迎えに出向きましたが、至って健やかにご機嫌で待っていました。
    帰宅してすぐにティータイムになりまして、今宵のお菓子は、「むぎとろ」という名の黒糖かりんとう、そして懐かしい森永キャラメル、だったので、子供時代のお菓子の話題がつながりました。
    家人は、私との時間に会話を求めます。でも今宵は外でも思いのたけを話してきたせいか、私のやる気のない相槌に終わる会話でもそれ以上求めませんでした。
    聞いてくれる相手がいることが人間生きていくうえで大切なのは、いずこもでしょうが、案外、男性諸兄にただの話し相手聞き相手を持たない人が多くいるようにも思えます。
    さあ、もう寝ましょう。

  • >>2903

    なっとうさん、
    相も変らぬ深夜族です。失礼をお許しくださいませ。
    といっても、みなさまおやすみのところ、枕もとの障子戸を開けて
    私の話を聞くように強要しているわけでもありません(笑)

    私は、なっとうさんをおちゃらけ系と思ったことはありません。
    どちらかといいますと、おちゃらけを隠れ蓑になさって、
    真実のところは、ぐっと真摯に迫ってこられる、そんなお人柄でないかと、
    勝手に想像(妄想?)します。
    先般の「私は作り笑いをしない」のくだりが、私を何度もゆさぶりました。

    なっとうさんと私は対照的に異なるところがございます。
    きわめて短い記述を好まれるなっとうさん と
    書いても書いても考えが判然としてこない私 とです。

    つまり、お書きになっていることが、なっとうさんは分かり易く好ましい!
    今後ともどうぞよろしく ご遠慮なくゲキをとばしてくださいませ。

    はーぶ@つられて口語調になっちゃいました。

    みなさま、おやすみなさい。こんな時刻だ~~

  • >>2902

    けんしょうさん、
    ざらついた関係が、乗り越えられた、99歳のおかあさまと、ですね!
    すばらしい!
    まずは、けんしょうさんのお言葉を咀嚼できるおかあさまでいらっしゃるのがすばらしい!
    そして、心の裡をしっかりお話になれたけんしょうさんもすばらしい!
    すばらしい⇒うらやましい が正直なところです。

    お里帰りは、実り多いものになったのですね。
    ご同慶の極みです。

    今は、別の意味で、ふるさとになっていらっしゃるそちらにお戻りになって、旅の草鞋を解いて平均年齢の若返った家族構成のファミリーライフを楽しんでいらっしゃるのね。

    これから、どんどんあったかくなる、いえ、暑くなる頃でしょうか。

    けんしょうさんのコメント、きちんと胸に響いています。届いています。ありがとうございます。有意をふるって、殻を打ち砕け!目に見えるものも、目にできないものも、ですね。

    はーぶ@深夜のティーパーティは終わりました(笑)

  • ペーさん、こんばんは。
    そうでした、ぺーさんのトピックにちょっと、お寄りしたことがあったんでした。
    ここは、私のつぶやき場所と居直って、勝手きままに気の済むまで「はーぶ節」を語っています。
    それ故、ご挨拶いただくと、恥ずかしくってたまりません。
    でもどうぞ、いつでも、ごゆりと、お越しになってくださいませ。

    けんしょうさんと私とは、かなりの長い間、親しく言葉を交わしている間柄になっております。(実際にお会いしたことがありませんのに、そのこと自体が不思議なほど)
    いつも的確な助言をいただき、弱気になりがちの私に「さあ立って」とか、「ここは休みましょう」とか、明快な指南役でいてくださっています。

    ひとり、畳の目数を数えるが如く一人で落ち込んで、いよいよ迷宮入りしそうな人の世の人間関係など、丁寧に辛抱強く、聞いてもらい、判断を仰いだものでした。

    でした、というより、まだまだ です、と正します。

    ぺーさんが、お仲間に加わっていただけたら、どんなに視界も広まることでしょう!
    どうぞよろしくお願いします。

    はーぶ

  • ケンショウさん!ペーさん! 初めまして。

    わたしは このトピに 場違いな人間です
    ハッキリ書けば オチャラケ系ですね

    ずっと以前 和して同ぜず に一言書いただけの ご縁です
    自身 同じて和せず タイプかもしれません

    ただ ハーブさんの深層に 少し興味があり たまに書き込みにきています
    よろしくお願いしますネ。。

  • >>2900

    今来てみて読み返してみたら、あんまりにも乱暴な書きようで、自分ながら嫌になります。本当にごめんなさい。

    ケンショウは今回の帰国でやっと99歳の母とざらついた関係を乗り越えたと実感できて、ホッとしたのです。母は変わりませんが、遅まきながらケンショウが一つ階段を上ったのです。なので、勝手に熱くなっちゃって、一方的な言葉が並んでしまいました。でもこのままにしておきます。大いなる反旗が翻る事を覚悟してm(_ _)m;

                 ケンショウ
    ペーさん、初めまして。

  • ハーブさん、ケンショウさん、なっとうさん、みなさんこんにちは、、

    ハーブさんのHNからこのトピを知りましたので、こちらにも一言御挨拶いたします。自分は後1年少しで70歳の大台になる(予定)の男性です。皆さんの様な文学には詳しくない、どちらかと言えば、理系で過ごしてきた者です。C言語のプログラムは長く学生に教えていました。

    お話が出来そうな時には、時々参加させていただきたく、よろしくお願いいたします。
    ケンショウさん、なっとうさん、その他の皆さん、よろしくお願いします。

    (URLの最初に"h"を付けてください。)
    古都(宮田倭子) TANGO倭yamato 木佐貫裕珠(唄)
    ttps://www.youtube.com/watch?v=qnHXXPQy8vM

  • >>2897

    >母を悪者にして、その呪縛からの脱出劇を(架空に)なぞらえて、見事に自分が新しい自分にかわった、というシナリオを考えた自分が我ながら情けないです。

    その反対!だと思います。気付くことがドラマチック、大きな一歩だと。親の期待に沿えない自分を責める、でも「違う!」という自分の内側の声との綱引き。。。本当に呪縛から解放されるのはきっともっとず~っと先なのかもしれませんね。戦いは始まったばかりです。相手は誰?誰と戦う?

    >母は、賢母でした。ほめて私を育てました。

    過干渉、、。子供はがんじがらめ、ありのままの自分でいられない。自分の心を見失い「ノー」と言えない。親の期待に沿える能力を持つ子供はそこに理不尽を感じない。親の路線に沿っている限りは親も惜しみなく子供に奉公します。なぜ?無償の愛?溺愛の向こう側に隠れている本当の親の気持ちは?あぁ、なんて意地の悪い考え、、?

    ガチガチな何枚もの殻に閉じこもって、自分を押し殺すことに慣れていたお姫様が1枚1枚殻をはぎ、のびのびと、いや、恐るおそる手足を伸ばして、まずは宮殿のお庭を散歩し始めたように感じています。

    やっぱり、おめでとう!って言うなぁ。。。(^^♪     ケンショウ

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