投稿一覧に戻る (株)サクラダ【5917】の掲示板 22958 rokku_de_go 2018年5月6日 15:21 【中論の骨子の部分】 初めから自分は世界の因果律の一環だから、 去るとか来るとか、生まれるとか死ぬとか無い。 そのように、ただあるだけ。 気づいた時が「そうだった事」があるだけ。 これを他人に説明するのは背理法みたいなもんで 人が固定観念にしていく事を、全部叩いていくのが一つのセオリー。 事実に即して考える方が正しい、と言ってるだけです、。 自分の固定観念がどうであっても、現実は目前にある事実以外のものは無いから、 ある意味において認識は虚妄であるとも言える。 それは事実は事実として既にあるのだから、 他のもの(人の認識とか)であるはずもない。 ※祖師西来意の公案は、 事実は庭前の柏樹子そのままの、あるがままに過ぎない。と その位相どおりがが、いわゆる再来意なのだ。 注意・この事に関しては、ニーチェの「永遠の反復」を思い出すと良い。 反復というのは、その瞬間の事実の事なのだ、。 返信する そう思う1 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する 証券取引等監視委員会に情報提供する ツイート 投稿一覧に戻る
rokku_de_go 2018年5月6日 15:21
【中論の骨子の部分】
初めから自分は世界の因果律の一環だから、
去るとか来るとか、生まれるとか死ぬとか無い。
そのように、ただあるだけ。
気づいた時が「そうだった事」があるだけ。
これを他人に説明するのは背理法みたいなもんで
人が固定観念にしていく事を、全部叩いていくのが一つのセオリー。
事実に即して考える方が正しい、と言ってるだけです、。
自分の固定観念がどうであっても、現実は目前にある事実以外のものは無いから、
ある意味において認識は虚妄であるとも言える。
それは事実は事実として既にあるのだから、
他のもの(人の認識とか)であるはずもない。
※祖師西来意の公案は、
事実は庭前の柏樹子そのままの、あるがままに過ぎない。と
その位相どおりがが、いわゆる再来意なのだ。
注意・この事に関しては、ニーチェの「永遠の反復」を思い出すと良い。
反復というのは、その瞬間の事実の事なのだ、。