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この動画が一見の価値あり。
私もこれに似た経験があります。
あまり学業にも自信がなくて、それでも何か資格を取らないといけないとか悩んでいて。
思いきり資格を取るための勉強していた時期がありました。
ちょっと難関の資格を取っただけで、人生も一変します。
https://www.youtube.com/watch?v=8phohaaeAD0 -
22951
ユングやフロイトは、もうオワコンなのか?
いや違う、
現在は、パーソナリティー障害が脚光をあびてきた。
実は、ユングとかフロイトがそれに関係してくるのだ。
ユングにおける幼児体験とか、まさにパーソナリティー障害には良い教材になる。
そういった研究の第一人者はフロイトだからだ。
だからフロイトはオワコンではない。
幼児期の性体験とかも関係してくる。
そういう体験は普通はないけど、ネグレクトとか幼児虐待だとか普通にある世の中だ。
だからパーソナリティー障害も、普通に増えていく、。
世の中はこういう人達が溢れかえってるし、
これからも増え続けていくと思われ。
幼児期は人格形成が重要なのだ
こういった時期にアクシデントがあると、歪んだ人格形成ができてしまう。
映画「オ―メン」は、この人格障害をモチーフとして描かれている、
というのが定説だ、。
映画では「悪魔」となっている
本当にそうなのか?
実際はそういった人間は非常に苦しんでいる。
悪魔の意味が、そういった苦しみを比喩しているのかもしれない、
もしなにかの機会があったら、こういった障害について研究してみるのもいい。
私はリアルでそういった人達と接してきたけど、
その精神世界には関心が向いた。
まるで未知の世界だからだ。 -
22950
言語は、赤ちゃんの頃から母によって耳から入る。
そして言語を理解するようになって、自我が芽生えてくる。
言語と自我というのは密接な繋がりがある。
言語の脆弱性において、人は錯誤を経験していくのだが、
それは先ず、自分が錯誤である、ということは気づくことはない。
言語は意思伝達には都合は良いが、思考にはそれほど完璧なツールではない。
幼少期からの自分の思考のクセを、今から考えてもどうにもなるまい。
そう考えるのは自由だ。
そんなことを考えても、自分の生活が豊かになるもんでもないしな。
しかし私はそうは思わない。
私は知的欲求を、今までずっと追い続けてきた。
そして少しづつ、分かってきたことがある。
研究は、生きている限り続けたいと思う、。
ナーガールジュナの中論は良い。
私は前記したとおり、そもそもインドには哲学・宗教・思想の枠組みはない。
そういう概念を取っ払って、
中論を少し学ぶと、人生観とか世界観も変わってくるだろう?
ちなみにこの中論は、僧籍のある坊主は必ず学ぶものだ、。
その解釈においては非常に難しい。
僧籍のある坊主でも、その宗派においては解釈もバラバラだ。
何処の宗派が正しい、ということはない。
自分なりに咀嚼していくのが一番イイ。
つまり宗教というよりも、人間とは何か?という観点で読んだら良い。 -
22949
①去るものは、去ることはない。
②来るものは、来ることはない。
そもそも、こういった考えの源流をなすものはインド哲学からなのだ。
イン哲というのは、そもそも誤解されやすいのだが、
インドは、哲学・宗教・思想とかのジャンルは一切ない、。
ひとつのジャンルなのだ。
日本語だと、細かくジャンルを分類するのだけど、本来そういった分類がないのがインドなのだ。
インド人は頭は優秀である。
私は、これから東洋で群を抜いて頭角を現わすのはインドかと思う。
中国は高齢化によって衰退していく。
これから親日的であるインドと、日本は良き関係になってれば安泰かとおもう。
とにかく、インド人は記憶は抜群に良い。
(釈尊は、仏教を口伝で伝えられた、と言われるが、それは別に特筆されるものでもない)
日本における「メモを取る」という習慣が先ずない、
哲学は、西洋(ギリシャ哲学)とインドの二つの流れがあり、
この二つは、水と油のごとく交じり合うことはけしてない。
そこで論理学が発展していく。 -
22948
アリエナイことでも、アリエルと信じてしまうことを迷妄とか戯論とか言ったりしますね。
しかしあらゆることは戯論で成り立つ。
戯論を寂滅させれば明智が得られる。
人間の寿命は大体決まってますね、。
だったら、良き人生を楽しみたい、と思うのが普通です。
何も無理して生きることはないし。
自由に、幸福に生きることが、何と素晴らしいことか。
株に人生を弄ばれてはいけませんよ。
ひとつ間違うと、人生の羅針盤は狂ってくる。
一日、じっくり考えるのも宜しいかと。 -
22947
>インド哲学はパラドックを秘めている、。
先ず言語学や論理学から話を進めてみようかと思います。
①去るものは、去ることはない。
②来るものは、来ることはない。
言語は二面性があって、相反する概念において成り立つ。
(去ることは、来るという概念において成り立つ)
①去るものは、既に去っているから、二度去ることはありえない。
②来るものは、既に来ているのだから、二度来ることはありえない。
①去るものは、既に現時において去っているから去ってはいない。
②来るものは、既に現時において来るものだから来るわけはない。
説明方法はいろいろあって、どれが正解、という訳ではない。
ただ言語においての、その成り立ちだけ把握すれば、論点の主旨はつかめる。
過去・現時・未来、における思考の特徴だけ把握すれば、
ニーチェとか、解釈する切っ掛けにはなるかと。
ではまた、このつづきはまた後で。 -
22946
時間が直線という考えは、たぶん、川の流れとかのイメージを時間として擦り合わせたに違いない。
ある起点を、一度通過した水は、もう元には戻らない、。
ということを体験的に人は学ぶ。
時間と空間は切り離しては考えられない。
宇宙論も、そういった空間の広がりが時間を一方向に向ける、と解釈する者もいる。
それなら、
宇宙が仮に縮小するなら、時間は逆に進む、と理論上はなる。
しかしそれはあくまでも理論上のことなのだ。
まったく理論も適用されないこともある。
おおむね、
インド哲学はパラドックを秘めている、。
また暇な時間にでも・・・ -
22945
時間が円環する。という考えは古代からあったそうです。
朝に太陽が出て、夕べになれば太陽は沈む。
これを、ひとつの単位とすると、
これを何度も繰り返すなら、
時間というのは円環しているものだ。と解釈するのは自然だろう?
つまり、一日というのは何度でも繰り返す。という考えだ。
それがやがて時間を直線で考えるようになる。
しかしこの直線という考えもインド哲学においては崩壊してくる。
古代インド哲学→梵我一如→ウパニシャッド哲学。
時間の循環は、輪廻思想として発展していく。
現在におけるヒンドゥー教だ。
一応は、時間における直線概念について考えてみよう。 -
22944
女は初潮を迎えると、自分は汚い存在なのだ、とか
潜在的には自分を嫌悪する時期がある、。
それから思春期を迎え、その嫌悪感も段々と薄れていくのだが、
潜在的にこの体験は、一生つきまとう。
故に、女であることは常に穢れ、という概念はある。
(女の恥じらいは、これに由来する、といわれている)
北川似さんは、全面的に「女であること」を強調する。
これはかなりオッサンである確率は高い。
北川似さん以外にも、女を強調する書き込みは、一応は警戒を要する。
女は、女であることを、あまり強調はしたがらないものだ。
注意:北川似さんは、以前女性の画像を貼り付けたことがある。
女性の場合は、こういうことは絶対やらない。
これで北川似さんはオッサンであることが確定した。 -
22943
ソレイジ〇スレッドで、01承認の可否が次々に論題になっている。
これをニーチェ流にいうなら、
永劫に繰り返す、ということだ。
永劫に繰り返すなら、これは不毛のことであり、これをニヒリズムという。
弁証法において発展してきた西洋哲学へのアンチテーゼなのだ。
東洋思想では、ものごとには二項あって、これの対立は最初から結論は出ない。
という観点に立つ。
不毛なことにおいて、不毛でないことを、それを自分自身で探りだすことが重要なのだ。
そこに新たな解決の糸口が見いだせる。
これが東洋的発想なのだ。
ニーチェの超人思想は、殆んど仏教に近くて、その親和性は充分にある。
ナーガールジュナの中論を双修すると、かなり興味深い。
勿論、その理論体系は異質ではあるが。 -
22942
>癌と闘うんじゃなくて、癌と共存する。
>こういった考えはどうだろうか?
共存する。というのは、おそらくは東洋的考え方でキリスト教文化圏には馴染みは薄い。
ニーチェなどは、東洋的考え方が根本にはある。
(彼は神を否定したのではなく、キリスト教を否定したのだ)
運命などは最初から決まってるんだから、グダグダ考えるのは馬鹿らしい。
ということだ。
こういう考え方は西洋にはない。
なんでも弁証法で考えるからだ、。
ちなみに、ニーチェはこの西洋哲学を否定しているのだ。
ニヒリズムというのは絶対否定的であり、また絶対肯定的である、という二面性があるのだ。
どう解釈するかは個人の自由だろうけど、。
つまりは、
人間、堕ちるまで堕ちてしまえば、もう既に自分という新たな発見できるだろう。
というように、相反するのでも、その相反が同時にあっても、けっして詭弁とかではなく
真理そのものは、そういった二面性が同時にあることだろう。
こういった考えが東洋的考えなのだ。 -
22941
【癌について】
「癌と闘ってます」とか、
よく使われるフレーズだけど、
果たしてこういうことが正しいのだろうか?
何でもないことと思われることでも、そこに「疑」を持つことは大事だ。
疑あるとこに氷解あり。
癌は、元々は自分の細胞だ、
細胞が変化して、癌になったのだから、
癌と敵対するのはオカシイだろう?
というパラドックスに陥ることも重要だ、
じつは、そういった思考の歪みというか、何らかの精神的なことも癌と関係するらしい。
これは安保教授説だけど。
癌と闘うんじゃなくて、癌と共存する。
こういった考えはどうだろうか?
実は私は癌が再発、再々発があって、その時にようやくこの意味が分かった。
癌は一筋縄ではいかない。
自分の経験と、それに伴う情報収集だ。
精神的なここと、癌の進行は深い繋がりがあるようだ。
(一応はこれで、おしまい) -
22940
【癌について】
放射線治療は、カードは1枚しか切れない。
再発した場合、
同一個所には、一生に一度しか放射線量(約50㏉~70㏉くらい)を掛けられないからだ。
だから同一部位に、もしも再発した場合は手術しかない。と
普通は何処の主治医でも言うだろう?
それが標準治療だから、医師からしたら間違ってない。
しかし現在は医療が進歩して、放射線を掛けても良い場合もある。
勿論、このことは主治医でも知っているけど、
主治医からこれを提示することは、先ずない。
なかにし礼氏が指摘したとおりだ。
病気のことは、自分で調べなくてはならない。
医師まかせでは駄目だ。
これは、近藤医師、安保教授に共通している。
医師まかせでは良くない、ということと・・・
先ず、自分も病気快癒には努力しなくては駄目だ、ということを平行して考えなくてはならない。
外科医が放射線治療を勧めることは殆どない。
専門が外科だからだ、。
再発防止、という観点でリニアック放射線をやるくらいなもんだろう、。
(つづく) -
22939
【癌について】
近藤理論の大筋は、治療のリスクを考えるとQOL重視の方が遥かに良い。というもの。
これは癌で死ぬよりも、その副作用で死ぬことの方が圧倒的に確率が高いということらしい、。
私もこの理論によって、結果的に治療の選択肢を間違いないで済んだ。
日本の場合は、主治医が外科医であることが9割以上であるらしい、。
だから選択肢も外科医目線であるから、
患者はこれに順応する場合が殆どだ、というのだ。
この件に関して、なかにし礼氏も、かなり突っ込んだ論評しているから、
興味のある人は調べたらイイでしょう。
実際私も、なかにし氏と同じようなことに遭遇している。
某大学病院だけど、手術一択しか提示しない。
なかにし氏と同じだ。
なかにし氏がその後、治療についてネットで調べたらしいけど、
私も彼と同じようにネットで調べた。
連日連夜だ、。
そしてある日、その答えを発見した。
某掲示板における、匿名の書き込みからだ、。
よくこんなことを発見したかと思うと。
やはり人生というのは、運とかそういうものがあるのだろうか?
(つづく) -
22938
愛しのクリスティーヌ
こちらは穏やかですね。
同じ楽曲でも、これだけ違う
https://www.youtube.com/watch?v=tOr5RiZZGpg -
22937
道文化は、日本人の心に意識しようが、意識しまいが関係なく染みついているものだ。
先の大戦における
「生きて虜囚の辱めを受けず」は、
あきらかに武士道精神に沿ったものだろうし、
この死生観こそ仏教文化そのものなのだ。
西部邁氏の入水自殺も、その動機は東洋思想的だ。 -
22936
合気道というのは、日本古来の柔術からきているらしけど、
「合気」だから、
気を合わせる、つまり相手と対立しない。相手と融合する。
これこそが日本文化(禅文化)の特徴だ。
柔術→柔道。
柔道の「道」がつく文化は中国にはない。
「道」は日本にしかない、仏教文化の特徴なのだ。
弓道とか華道、茶道、柔道、「道」が付いている。
安保教授も、この東洋思想(禅文化)が発想の原点になっていると推測。
(もっとも、医学の祖とも言われるヒポクラテスには、東洋的観点は最初からあった)
安保教授は、癌細胞と闘う、という姿勢が問題。
と、考え方そのものから問題を提起していく。
これこそ新たな発想なのだろう。 -
22935
おそらくソレイジアのスレッドはYahoo掲示板管理者にマークされてますからね。
美神さんが消えてからのロックさんとcherryさんは「株と関係ない投稿」や「訳のわからない投稿」をされてましたが、誹謗中傷は行ってないと思います。
投稿数が多かったり、NGワード的なものに何度か引っかかったりすると自動削除されるような気がします。
不正アクセスをご心配なら、YahooトップページのWebメールの近くにある「ログイン履歴」からログインを行ったIPアドレスを確認できますよ。 -
22934
「cherryさんは最近書き込みがない」とか、仰ってましたね。
cherryさんは誰かに自分の書き込みを削除されて、
それから消えてしまったんです。
ちなみに私も書き込みを誰かに削除されて、それから書き込みを
止めたんですよ笑。
読み込みエラーが発生しました
再読み込み
rokku_de_go 2018年5月5日 10:03
無門関に百丈野狐の公案がある、。
一読したくらいでは、意味がさっぱり分からんだろうけど、
これを何度も何度も読み返していくうちに、なんとなくウンチクのある味わいが返ってくるだろう?
不落因果と不昧因果は、勿論意味は違うけども、
これをセットで考えてみると面白い。
基礎的教学において説明するとしたら、色即是空のことだ。
不落因果は色。
不昧因果は空。
色と空はセットだ、。
不落因果即不昧因果、。
孫氏の兵法のごとく、この公案は人生訓に匹敵する、。
優れた公案だと、私は思う。
本来無表情の事象において、何故人間は喜怒哀楽を有するのか?
その答えがこの公案にある、。