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(株)ナイスクラップ【7598】の掲示板 2015/04/08〜

>>189

<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話"㊸>

先日書いた日経の元旦記事・・・

>政府は明治4年(1871年)に「散髪脱刀令」を発布して

この「散髪脱刀令」については優れた読み物として「洋服・
散髪・脱刀 ― 服制の明治維新」(刑部芳則 著)という
のがある。
「洋装のはじまりはいつからか?」ということに対してこの
著者も膨大な資料を収集しつつ悪戦苦闘している。
刑部芳則氏の参考文献は以下の通り。

①研究書・論文 31点、②編集刊行書  25点
③刊行史科   84点、④未刊行史科  38点 合計178点

そして辿りついた結論は以下の通り。

”現代人にとって身近な洋服だが、その歴史に迫ろうとすると
容易に手段は見つからない。高等学校の日本史教科書で洋服に
ついて書かれた記述を探すと、「文明開化」「欧化政策」など
の項目で、西洋式の生活が導入されたことにより、洋服を着用
するものが出てきたという程度である。

大学生を対象とした日本史の概説書も例外でなく、右の内容を
詳しく紹介をするものはほとんどない。服飾研究の専門書とし
ては、中山千代『日本婦人洋装史』と太田臨一郎『日本服飾史』
が挙げられる。前者は安土桃山時代から昭和五十年代に至る洋
服の発展過程を詳述した労作であり、後者は古代から近現代ま
での各種制服を一次資料にもとづいて紹介したものである。
だが、両者は非常に高額で、現在では入手困難な稀少本となっ
ている。”

結論は・・・
”誰がなにを目的にそのような変化をもたらしたのか?あるいは
その変化にともないどのようなことが起きたのかは知りえない”。

以上概略だが、まあ、刑部芳則氏の著書は江戸末期の記述は短
く本のタイトル通り「明治時代初頭」からの記述がメーンとな
っている。私はこの一つ前の時代の幕府歩兵隊の軍服が日本の
洋装化の第一歩と捉えている。

※手元にある「日本衣服史/永島信子著/昭和八年三月発行」も
上記服飾書籍に匹敵する労作だが、これも洋装に移行する過程
の記述が少ないのが難。

  • >>191

    <only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話"㊹>

    ― 日本は洋装化とカジュアル化が同時に起きた稀有な国 ―

       【日本最初の洋装は幕府歩兵隊から始まる】

    ”幕府歩兵隊は、幕末激動期を駆け抜けていった集団である。
    幕末も押し迫った文久二年(1862)、徳川幕府の手で軍事改
    革の一部として創設され、間もなく内乱の戦線に投入され諸方
    面で戦ったが、慶応4年(1868)幕府は瓦解し、正面の部隊と
    しては消滅してしまう。その後は東日本を転戦して官軍に対抗。
    明治2年(1869)に函館で降伏するまで戊辰戦争の影の花形に
    なって活躍した。 寿命はわずか七年。

    最後の一年半だけ流星のように光芒を放って消え、その名前は
    歴史の落丁に身を潜めた。幕末維新史に影文字で埋め込まれて
    きたのである。まずはその姿格好を掘り起こすことから始めよ
    う”

    以上のような書き出しで始まるのが野口武彦・著「幕府歩兵隊」
    であるが、つづいて次のように書き記す。

    ”まずその姿格好を掘り起こすことから始めよう。
    幕末は「歩兵」というのがまだ珍奇だった時代であった。歩兵隊
    の成員は武士ではなかった。兵隊はざんぎり頭に軍帽をかぶり、
    筒袖服を着込み、だんぶくろと呼ばれたズボンを穿き、だが足は
    草鞋履きという珍妙ないでたちであった。帯刀はしない。腰には
    粗末な脇差が一本だけ。これは銃剣用に使われる。肩に剣付鉄砲
    を担いだのである。”

    以上だが、ここには和洋折衷で苦心の結晶である軍服初期の様相
    を知ることが出来る。 まあ、当時揃えられるものを総動員して
    ”戦闘服としての機能性”を追及した結果がこのような「和洋折衷」
    の”軍服”が出来上がったのだろう。

    これは後の時代でいうところの「カジュアルウェア」につながる
    要素でもある。そして明治時代に入ると軍服も急速にお偉いさん
    の「フォーマルな軍服」に変貌していくのである。

    江戸末期、日本の洋装化がカジュアルから入り、その後フォーマ
    ルに移行し、更に戦後はフォーマルからアメリカンカジュアルへ
    と変貌を遂げるのである。

    次回からはそれを詳しく見ていくことにする。