(株)ナイスクラップ【7598】の掲示板 2015/04/08〜
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<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”㉓>
― ファッション用語・アパレル / 高田賢三・時代混同の記憶 ―
【アパレルの生い立ち】
<”アパレル言葉”が一般化したのは1970年代に入ってから>
アパレルという言葉が日本でいつごろから業界で使用されるよう
になったのかを追ってみると以下の解説が定説である。
”アパレル(apparel)とは「衣服」のことで、アパレル産業とは
服をつくる産業のことだ。
アパレルという用語は1968年(昭和43年)に翻訳・発刊された
「ファッションビジネスの世界」などを通じてアメリカから入っ
てきたものだが、定着したのは、通商産業省(現経済産業省)生
活産業局が1976年(昭和51年)に発表した繊維ビジョン「明日
のアパレル産業 その現況と課題を探る」で使われてからだ。
このビジョンでは「これからの繊維産業の発展は、アパレル産業
の発達にかかっている」と謳い上げた。”
(”よくわかるアパレル業界” 繊研新聞社編集局・著 1992/4)
ところで高田賢三氏が文化服装学院デザイン科を卒業してミクラ
に就職したのは1961年(昭和36年)のこと。
まあ、当時の状況からしてこの業界で「アパレル」という言葉が
まだ使用されていなかったことは容易に想像できる。
only_yasterday 2017年5月6日 16:51
>>66
<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”㉒>
― ファッション用語・アパレル / 高田賢三・時代混同の記憶 ―
高田賢三氏曰く・・・
>"・・浅草橋にある「ミクラ」というアパレル会社に決まった。
・・・・・ ミクラで担当したのはカジュアル衣料だった。”
「夢追い人・高田賢三の時代」は文字通り高田賢三氏の履歴書で
あり回顧談なので、”平凡パンチ1954”の著者・赤木洋一氏と同様
に「時代の”混同の記憶”」だった可能性が高い。
(このシリーズのNo.⑪=”平凡パンチ創刊号とカジュアル言葉”)
赤木氏の「平凡パンチ創刊号」の逸話を語る回顧談では「カジュ
アル言葉」がごく普通に当時も使用されていたようなニュアンス
で記述されているから、この手の話は実に厄介だ。
今回の「アパレル言葉」も同様なことが言える。
では、まず「アパレル」のその生い立ちを改めて見てみることに。