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ANAホールディングス(株)【9202】の掲示板 2018/06/29〜2018/09/10

>>977

> 観光騒音公害 中国猿
> 京都から消滅
> 関空水没してくれてありがとう
> 京都の神社仏閣を静かに楽しめるようになりました

日中友好の空の架け橋
2006年には456万人に上る人々が日中間を往来しました。日中両国の発 展に伴い人的移動、物的流動はますます増加していくものと予測されます。 ANAは日中友好の空の架け橋として、1972年に日本の航空会社で戦後初 めてチャーター便を運航し、1987年には定期便の運航を開始して路線網を 拡大してきました。そして2007年4月、中国線就航20周年を迎えました。 このようなANAと中国の関係は、ANAの第二代社長岡崎嘉平太に遡ります。 岡崎嘉平太の足跡をたどりながら、ANAと中国の関係を振り返ってみます。

岡崎嘉平太が礎を築いたANAと中国の関係  1897年、岡山で生まれた岡崎は、岡山中学校 の寄宿舎で中国からの留学生、陳範九氏との交友 を通じて中国への関心を深めていきました。 1922年、東京大学卒業後に日本銀行に入行した 岡崎は、上海に長く滞在して激動する世界情勢を 目の当たりにし、諸外国との交流や友好の大切さ を身を持って知りました。  岡崎はその後、産業界に身を転じ、1961年 にANAの社長に就任しました。航空業界の発展 に大きな足跡を残すとともに、1962年以降、 日中貿易交流に尽力しました。訪中回数は100 回に及び、周恩来総理をはじめ中国の要人と会 談を重ね、中国との友好関係の促進に寄与しま した。1972年、日中国交正常化の際には周恩 来総理自ら岡崎に、 「わが国には『水を飲むときに は、井戸を掘った人のことを忘れない』という言 葉がある」と、その労をねぎらいました。

中国への感謝の気持ちを込めて、 希望小学校を寄贈  1997年4月、ANAは河北省 平県に全日空藍 天希望小学校を寄贈しました。ANAの中国線就 航10周年と日中国交回復に尽力した岡崎の生誕 100周年を記念して、中国への感謝の意と中国の 文化・教育振興事業プロジェクト「希望工程」に 役立つ支援を行いたいとのANAの願いが通じて 実現しました。さらに、日中国交正常化30周年 を迎えた2002年9月には、河北省興隆県に2校 目の希望小学校を寄贈しました。