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ジャスダックインデックス - 株価チャート

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    mos・mos 1月13日 22:02

    【こんな話もある】
    「ことば花咲くものは、必ず実なし」
    標題の語は、江戸時代の易学者として知られた新井白蛾(あらいはくが)の書いた『白蛾冠言』に出てくることばである。
    …ことばを飾って話しかける人というのは、裏面では何か自分のためにうまいことをしようとする下心が潜んでいるものである。人のきげんをとり、うまくとり入ってその歓心を買おうとする者にとっては、そのことばは全くうわべだけのもので、一時の方便でしかない。ただ舌先三寸の芸当で、心のなかには信義というものはなく、行き当たりばったりといったいい加減なことを言って、相手をごまかす、その場限りの無責任無節操のものであるということである。(古谷綱武)
    ~~~~
    政策のスローガンや説明の言葉の中には、花を咲かせているようなものが少なくない。華々しく飾って、インパクトを与えることが目的かもしれないが、実態が伴っていなければ、「道半ば」とか「看板倒れ」とかになりそうな気がする。

  • 日本株個人投資家 自国株売ってどうするの

    大勢上昇始まったのに  陽はまた昇る

     人の行く道の裏に花の山

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  • 【こんな話もある(2)】
    「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」
     日本でも人気の『三国志』より。蜀(しょく)の名軍師・諸葛孔明は街亭(がいてい)の戦いの際、部下の馬謖に戦わぬよう指示した。しかし馬謖は従わず、敗戦を招いた。諸葛孔明は馬謖を処刑し、涙を流したという。これより、「規律を守るためには、有能で愛すべきものであっても罰せねばならない」という訓戒として、現代に語り継がれている。なお、『正史』では諸葛孔明は馬謖のために泣いたとされているが、『演義』では「亡き劉備が『馬謖を重用してはならない』と言ったのに守れなかったのが情けなくて」泣いたとされる。(別冊宝島編集部)
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    有能で愛すべき人材であっても、何らかの理由で指揮官には適していないと判断される場合には、重用すべきでないこともあるのだ。「泣いて仲間を斬る」ことはないと思うが。

  • 【こんな話もある(1)】
    「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」
    諸葛亮(孔明)が魏討伐に乗り出したのは、建向6年(228年)のこと。が、緒戦でいきなりつまづく。先鋒の指揮を命じた馬謖が、諸葛亮の指令にそむいて拙劣な陣を敷き(馬謖が独断で山上に陣を敷き、水を絶たれて)、魏の名将張郃(ちょうこう)に大敗を喫したためである。
     馬謖は、「才器、人に過ぎ、好みて軍計を論ず」といわれた俊英。諸葛亮はその才能を愛し、ともに語り合うときは夜の更けるのも忘れるほどだったという。だが、いかに最愛の部下であるとはいえ、馬謖の責任は明らかである。諸葛亮は、軍法会議に照らして馬謖を斬罪に処し、全軍に詫びたのである。
    「泣いて馬謖を斬る」の名言が生まれたくだりであり、後世、信賞必罰の例としてよく引き合いに出される。現代でも経営の神様といわれた経営者がこんなことをいっている。
    「いざというときに、可愛い部下のクビを切れるのが、真の経営者である」
    (守屋洋)(続く)

  • 【こんな話もある】
    「新しき時代には新しき人物を養成して、新しき事物を処理せねばならない。」(渋沢栄一)

    時代が変われば、求められる人も変わる。時代に合った人材を育て、事に当たらせるべきだ。

    社会は常に変化し、進化し続けています。
    新しい発明、流行、経済活動、戦争………
    昨日には想像もつかなかった出来事が、今日は当たり前のようにあちこちで起きるのです。

    そうなった場合、昨日までの常識では、対処しきれないこともあるでしょう。
    過去に成功した方法や事例だからといって、それを状況の変わった現在へ持ち込もうとしても、うまく適応せず、抵抗を受け、物事は悪化します。

    新しい時代には、新しい方法で行動できる、新しい人間が必要なのです。
    そしてこの“新しい人”こそが、時代のイノベーションを引き起こすのです。
    イノベーションを繰り返して、常に新しい時代を築く。
    それは人類にしかできない営みなのです。
    (澁澤健)

  • 【こんな話もある】
    …もちろん芸術家だって生活していかにゃならん。去年は茶わん一つ売って暮らした。たった一つと思うかもしれんが、一万個は壊している。カメラマンが納得のいく写真を撮るのにフィルム何本も使うやろ。あれと同じで楽な仕事じゃない。芸術と生産活動は全く逆なんだ。
     もっとも最近は芸術家をかたる事業家が多いがね。経済が高度成長したからバイ菌がふえて、そういうイカサマ師がはびこるんだ。ピカソほどの実力があって結果として金が貯まるのは当然だが、連中はきれいごとと美をすり替えて素人をだますんだ。そういう商売はまもなく時代の力で整理されると思うね。
    (加藤唐九郎 陶芸家)

  • 【こんな話もある】
    「積み重ねが成功への道」
     こんなに長い間、(床の間に生けた)一本の松の枝がもつのは、うちの者たちの手入れが好いからである。絶えず窓をあけて、新しい空気を入れかえるのは勿論であるが、一日に何回となく、松の上に飽きずに霧を吹きかける。これで百日ももったと思うと、そのもったということが面白くて、まだ、この上にも、もたせて見たいと思うから不思議である。面白いことであるが、この、まだ、この上にも、もたせて見たい、と思うようになると、その気持ちが弾みになって、もたせるということに専念するのが人情であるから、ほんとうに、いつまでも、もつようになるのである。財産でもそうである。仕事でもそうである。思いもかけないことであるが、もたせたいと専念することは、どんなことでも積み重なっていく。このことは、決して馬鹿にはならない。成功するということの、一番の早道ではないか、と私は思うのである。
    (宇野千代)

  • 【こんな話もある】
    「長者の秘訣」
     私はかつて日本橋地区での百万長者八十件について、どうして「長者」になったかを調査してみたら、ほとんどが江戸時代からの先祖が倹約で金をためたものだった。会社でも、家庭でも、ながらく繁栄を保とうとするのには、不時の事変に備えるためつねに相当の予備金を持つことが絶対の条件であろう。予備があれば、デフレとか、インフレとか、火事とか、戦争とか入院とか、冠婚葬祭とか、いろいろ不時の出来事に際し、臨機応変の善後処置が迅速適切に運べるからである。
    (山田忍三 蛇の目ミシン元社長)

  • 【こんな話もある】
     家庭の利殖は、儲かることよりも、損をせぬための用心こそ必要でありはせぬか。
    (石川武美 主婦の友社元社長)

  • 【こんな話もある(3)】
    …バブルが尋常でない状態を作り出していたその頃、私は何をしていたかというと、90年3月から93年の4月まで、南アフリカの日本大使館へ一等書記官として出向していた。赴任する前に、持っていた株や不動産はほとんど売った。理由は単純で、海外から取引するのが面倒だったからだ。当時はまだインターネットが発達していないので、いちいち電話をかけて値段を聞かなければならなかったのだ。私は日本にいなかったから助かったと言える。遠い南アフリカから日本の様子を見て、「これは間違っている。大変なことが起きるぞ」と感じていた。
    バブル崩壊のきっかけについては諸説あるものの、そんな異常な状態が長く続くわけもない。日銀の金融引き締め政策をきっかけに、バブルは一気に崩壊へ向かった。…(村上世彰)
    ~~~~
    尾上縫事件については、清水一行著『女帝 小説尾上縫』があり、真行寺君枝主演『女帝』で映画化されている。テレビドラマも渡辺えり主演『銭女』があった。
    多額の資産を有する、金融知識のない素人や高齢者の方に対しては、特殊詐欺も含め、必ず蜜を求めてアリが集まってくると思う。

  • 【こんな話もある(2)】
     大口の取引先企業へ十分な貸し出しができなくなっていた興銀は、収益確保のために、プライベートバンク事業にシフトしようとしていた。事件は、大阪支店長の飛び込み営業から始まる。有力者から受け継いだとされる多額の資金を保有していた尾上は、足繁く通ってくれる支店長への「義理」として、1987年に興銀の割引金融債ワリコーを10億円分も購入する。同時に株の取り引きも開始されるが、尾上は全くの素人だった。にもかかわらず、毎週日曜日に尾上の料亭では、「行」という宗教的な儀式が行なわれ、神がかった尾上が、銘柄について「まだまだ上がる」とか「まだ早い」などとお告げを下していたそうだ。もとより専門知識や戦略に基づく投資判断ではなかった。
     尾上は1990年に、不動産管理法人まで設立する。株取り引きに続く、興銀の指南だ。しかしバブルはすでに、崩壊に向かっていた。株は下落を始めており、1989年末に約6,200億円あった尾上の金融資産は、わずか1年後に2,650億円まで減っていた。一方で、負債は7,300憶円に膨らみ、金利負担は1日で、1.7憶円を超えていたという。その債務超過を穴埋めするため、尾上と親交のあった東洋信用金庫は、3,420憶円の架空預金証明を発行する。
     1991年、興銀関係者によるメディアへの情報提供をきっかけに、このあまりに異様な事態が表面化。尾上縫は逮捕され、懲役12年の実刑に服した。2002年に尾上の破産が確定し、事件は幕を閉じた。
     この事件を振り返ると、バブル末期の銀行や証券会社の異様な在り方がよくわかる。全くと言っていいほど金融や株式に関する知識のない尾上に対し、仕組みを理解できないのをいいことに、興銀をはじめとする証券会社や不動産会社が、いかに残酷に収益計上に走ったか。常識では考えられない、狂気の世界だ。興銀に至っては、当初からワリコーを担保に融資を行なっている。逆ザヤによって尾上が損をすることがわかりきっている仕組みを提供し、自分たちはリスクを負うことなく、手数料や金利で収益を確保した。最終局面でも、尾上の危機的状況を察知した興銀は、ほかの金融機関が気づく前に自らの債権をしっかり回収していたのだ。(続く)

  • 【こんな話もある(1)】
     …1985年のプラザ合意をきっかけに、ドル高是正で不況に陥った日本の景気対策として、5%ほどだった公定歩合が2.5%まで引き下げられた。借入コストの下がった企業は、その後の地価上昇を見込んで、銀行から金を借りて土地を買うことが主流となった。銀行は、担保対象の土地の価値をはるかに超えた貸し付けを行なうようになっていた。同じ頃、株式市場でNTTが新規上場。その株価が急激に値上がりしたことをきっかけに、一般の個人までもが投資を始める。地価とあわせて、株価も飛躍的に上昇した。
     そうなると企業は、銀行借入よりもコストが低いと信じられていた市場での資金調達を選択する。貸し出し先に困った銀行は、個人への貸し出しに力を入れるようになった。バブル終了の直前には、銀行はいよいよ貸し出す先がなくなり、尾上縫事件という象徴的な事件が起きる。
     あの時代がいかに狂気に満ちたものだったか、わかりやすい例として、この事件に触れておきたい。私の出身地でもある大阪のミナミにおいて、日本興業銀行大阪支店と、千日前の「恵川」などの複数の料亭を経営する女将として知られていた尾上縫との間で行なわれた、バブル時代の金融犯罪で、最高額となった詐欺事件だ。(続く)

  • 【こんな話もある】
    …私の鉄道会社への投資は、…M&Aコンサルティング創業後に初めて請け負った、東急グループの再建コンサルティングに始まる。この時に、鉄道事業以外にもさまざまな事業を行なう「鉄道会社」という業種を広く勉強したことが、西武鉄道と阪神鉄道に投資するきっかけとなった。
     …ちょうど、資産価値を企業価値に正しく反映させるために再編できる鉄道会社はどこかと、ファンド社内でリサーチしているタイミングでもあった。私は、西武鉄道は必ず再建できると信じた。だから株を買い続けたのだ。

    …(堤氏と付き合いのあるオリックスの)宮内氏とともに…東京プリンスホテルの堤氏専用の部屋で時間をいただき、私の考えと想いを伝えた。(のちに二人だけで会ってじっくりと話もした)
    …どんな案件でも同じだが、私は投資先の不動産を見に現地に足を運んだり、運営するレストランへ食べに行ってみたりと、その価値を見極めるために自分自身で動く。西武鉄道に関しても、有価証券報告書の分析をベースに、保有不動産の登記を取った上で現地へ行ったり、主要ホテルの稼働率や状況を自分の目で確かめるため、ロビーに長い時間座って観察した。西武電車に乗って遊園地にも行ってみた。電車の車両は、新規投資が行なわれていないようで古く、遊園地も少しさびれていた。…(村上世彰)
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    以前に次のような話を投稿した。
    【こんな話もある】
     時代は確かに変わって情報やデータはボタン一つの距離になっているものの、あらゆる真剣な投資家は、ポジションをロングにするか、ショートにするかを判断するためには、引き続きやはり現場に出かけて行ってデータを収集している。(ダニエル・A・ストックマン)
     村上氏は現場に出かけて行ってデータを収集するタイプの投資家に属するようだ。近年、「AI投資ロボ」が活躍しているが、現場の情報については、どのように処理しているのだろうか。

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