ここから本文です
Yahoo!ファイナンス
投稿一覧に戻る

ジャスダックインデックス【23337】の掲示板 2015/04/01〜2020/11/29

【こんな話もある(1)】
…自分が経営者に向いていないと強く実感したのは、通産省時代だった。私が最初に経営者的な立場でプロジェクトを仕切ったのは、入省して3年目の1985年。外務省の中近東アフリカ局に出向していた時だ。……
 プロジェクトの目的は、「エジプトで日本という国を理解してもらい、プレゼンスを高めるために、企業から協賛を得てイベントを行なう」というものだ。当時のエジプトでは、「日本は極東の小さな国で、経済成長しているらしい。」程度の認識しかなく、日本のイメージといわれても、車や電化製品以外は浮かんでこない。それでも、知っていればまだいい、という状況だった。……
 初めて大役を仰せつかった私は、無我夢中でこのプロジェクトを進めた。エジプトという国にどうやって日本を売り込んでいくか。一時的な宣伝に終わらず、継続的な関係を維持するためにはどうすればいいか。そんなことばかり考えていた。……
 協賛金は幸いにも、ステージ建設などの現物出資を含めおよそ5億円も集まり、……財界人の団体もムバラク大統領に面会することもできた。同時に経済という切り口だけでなく、エジプト人にもわかりやすく日本の文化をアピールするためのイベントを行なった。鹿島建設にスフィンクスの前に特設のステージを作ってもらい、人気歌手の岩崎宏美さんのコンサートを開催したり、繊細で精巧な日本の花火を打ち上げたり、和太鼓の演奏をしたり、ミス着物10人を日本から連れて行って、着物ショーを開いたりした。小堀遠州の茶道、小原流の生け花、徳田八十吉の九谷焼を紹介するなど、伝統文化も本格的に伝えた。
 やりたいと思っていることを一つ一つ実現していった結果、予定より大がかりになってしまった。従業員ゼロの一人取締役状態だった私は、とにかく多忙で寝る時間も取れなかったが、業務が追い付かなかった。せめて書類作成やコピー取りなどの雑務をやってくれるアルバイトを雇いたいと役所にお願いしたところ、「予算がないから無理」と断られてしまい、仕方なく自費でアルバイトを一人雇うことにした。ところが業務量が多くて勤務時間が膨大になり、私の月給がそのままアルバイトの給料になってしまう有り様だった。(続く)