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ジャスダックインデックス【23337】の掲示板 2015/04/01〜2020/11/29

【こんな話もある】
…大学教授として、私はその筋書きを知りすぎるほど知っている。学生たちは、大学に入るまで、支配力の強い外的動機づけにさらされて生きてきたせいで、心のうちにあった興味はとっくに萎えてしまっている。彼らはあまりにも多くの試験や成績に振り回されてきたので、よほどの変わり者でない限り、学びたいという情熱から授業を受ける学生などいない。次回は休講にすると学生たちに知らせれば、盛大な歓声と拍手がわきあがる。彼らはかならずしも授業の中身にうんざりしているわけではない。論文や試験などの課題が優先するので、かつて心に抱いていた興味は二の次にされてしまうだけなのだ。私は世界最高の講義を準備し、実行することができるのに、何か質問はないかとたずねて返ってくるのは、「これって試験にでますか?」。
 考えてみれば、ひどく奇妙な話だ。そもそも大学とは、中世に、自分たちでは習得できない問題に外部の専門家を雇って協力をあおいだ学習者集団から始まったのである。教授は学生に雇われ、結果を出さなければクビになった。この関係は学位をめざさない習い事の状況では、いまでも生きている。たとえば、生涯学習のクラスでは、講座の最後に成績評価表に記入するのは生徒たちであって、講師ではない。
 ところが大学では、評価の矢印の向きが反対だ。学生が私に月給を支払うにもかかわらず、私は彼らの勉強ぶりを判定する。私立大学における平均的な教育費は、ひかえめに言っても一単位当たり750ドルだ。一回の授業に換算すれば、約50ドル。たびたび思うのだが、学期ごとの授業料を払わせるよりも、一回の講義ごとのチケットを買わせるべきではないか。かりにその額をロックコンサートに払うとして、公演は中止だと発表されたら、いったい何人が歓声を上げるだろうか。しかし、それこそ、学生たちが外的な報酬を詰めこまれすぎるときに起こっていることなのだ。学習への情熱は、いつのまにかあらかた失われている。
(ロバート・レヴィーン)
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学ぶ目的もなく入学しているとか、授業が期待した内容のものでなかったとか、授業以外に興味を持つことが次から次へと出てきたとか、いろいろ原因がありそう。