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ジャスダックインデックス【23337】の掲示板 2015/04/01〜2020/11/29

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  • 【こんな話もある(22)】
    ―――すたれた仕事もあるが、それ以上に新しい仕事が生まれた、とおっしゃりたいわけですか?

    比較検討のため、ちょっと統計に目を通してみよう。1870年、アメリカでは人口の30パーセントにあたる、1200万人の人が職を持っていた。現在では人口の半分にあたる、1億2000万人に近い人たちが職を持っている。絶対数でも、人口比でも、職は増えたことになる。収益率についていえば100年間で6倍になっている。一人あたりのGNPは6,7倍くらいになっている。これは大変な増加だが、その年その年の景気や、政治的な争いによって後退もしている。われわれは、こうした雇用と財産の長期的な増加傾向というのを見落としがちなんだ。過去2年とか、5年とかいう短期の傾向ばかり問題にしてしまうんだよ。
     オートメーションは、つねに技能の階層の最下部にある職を奪い、より高度な技能を必要とする職を新たに生み出し続けている。実際、過去100年間に新たに生まれた職業のなかには、そうした高度な技能に必要な訓練を提供する教育関連のものがたくさんある。現在では人口の4分の3が高校を卒業している。100年前には、高校教育を受けるのは、ほんのわずかな人間だけだった。現在では200万人の人間が大学で学んでいるが、100年前には、わずか5万2000人に過ぎなかったんだ。
     最近のある研究によれば、この傾向はまだ続くらしい。問題は、世間は職が奪われることには敏感だが、職が生まれる時には気がつかないということなんだ。
     たとえば今世紀初頭、人口の30パーセントは農業人口だったが、現在ではわずか3パーセントになってしまった。だが、こうなることはある程度予測できたが、どの分野から新しい雇用が生まれるかは予測できなかったんだ。今世紀初頭に、「彼らは電子工業で職を見つけるさ」とは言えなかったわけさ。半世紀後に巨大なコンピュータ産業が生まれるだとか、80年後に電子出版という産業が生まれるなんてことは知りようがなかったんだ。そんな予言はできるわけがない。
    (続く)

  • 【こんな話もある(21)】
    ――将来、AIが人間の物真似をするようになると思いますか。コンピュータがホワイトカラーの仕事にまで侵入してくる可能性はあるのでしょうか?

    人工知能は、二世紀前に飛杼(とびひ:布を織る時に経糸を通すための、流線型の木製の器具)によって紡績工業が部分的に自動化された時に始まった、オートメーション化過程の延長線上にあるんだ。二世紀前に起きた最初の産業革命は、われわれの肉体的能力を増大する梃子の役目を果たした。人間の筋力を上回る速度と力で物事ができるようになったんだ。
    …現在われわれは、第二次産業革命とでもいうべき時代に生きている。機械によって肉体的力だけでなく、精神的能力までもが、増大されるようになろうとしているんだ。いまや自分の頭脳だけではできないことでも、できるようになったのだ。四色問題[四種類の色を使って地図の各地域を塗り分ければ、隣接する地域が同じ色になることはないという仮説]がいい例だ。考えられるあらゆるタイプの地図の組み合わせをすべて検討するのは、あまりにも複雑すぎ…、数学者たちはこの問題を解くことができなかった。だが、コンピュータは何千という組み合わせを、組織的にかつ効率的に検討し、この問題を解いた。…コンピュータは膨大な情報の断片を正確に記憶し、それを高度に組織化できる能力があり、これは人間の役に立つからだ。…コンピュータのおかげで、われわれはそうした情報を素早く処理し、分析できるようになった。すべて、オートメーション過程の一部なんだ。昔はオートメーションによって職が奪われると思われていた。二世紀前、ラダイト(イギリスの産業革命時の機械打ち壊し主義者)はまさにこのとおりのことを考えていた。連中は「毛織を紡いでいるジョーは職を失うだろう。生地を織っているスージーも職を失うことになるだろう。機械を使えばひとりの人間が20人分の仕事をできるんだ。機械を動かすのにはひとりの人間で充分だから、残り19人は仕事がなくなるんだ」と訴えたわけだ。ラダイトたちは大部分の職がなくなってしまうと予言したんだよ。しかし、過去二世紀にわたる自動化と産業化の歴史を振り返ってみると、予想とはまったく正反対のことが起こったと認めざるを得ないだろう。(続く)

  • 【こんな話もある(20)】
    ―――人工知能とエキスパート・システムの将来性をどう見ていますか?

    エキスパート・システムというのは、必ずしも人工知能と同じものというわけではない。エキスパート・システムはAIのなかの興味深い一分野なんだ。AIのなかには、パターン認識、ロボット工学、自然言語などさまざまな分野がある。このそれぞれの分野にわたって、知能を必要とする機能を実現できるコンピュータ・システムを作れるようになってきている。たとえば、人間の話していることを理解するにはある程度の知能が要求されるが、これは明確に限定できる作業なんだ。現在のコンピュータは、この種の作業の多くをこなせるようになってきている。これは大変なことだ。
     現在のコンピュータのほとんどは、ただの愚かな物知りにすぎないのに、それでもわれわれの社会に大変なインパクトを与えてきた。コンピュータは記憶と計算ということに関しては大変な能力を持っている。だが、大部分のコンピュータは知性らしきものを見せることは滅多にない。仮に持っていたらの話だがね。コンピュータにほんのわずかでも、もう少しましな知能を与えられたら、それは大変な変化になるわけだ。そうした知能と、コンピュータが本来もっている記憶能力とか高速性などといった能力が結びつけば、侮りがたい存在になる。だが、いまのところ、コンピュータに幅広い柔軟な知能を与えるところまできていない。たとえば、映画を見て短い要約を書く、ということはできないんだ。この作業は、現在のコンピュータ技術には手に負えないほど、膨大で複雑な知的能力を必要とするからね。
     遅々たる歩みではあるが、コンピュータは徐々に知性をもつようになり、その知性は次第に柔軟なものになりつつある。たとえば、ある種の分野なら病気の診断を行なえる。最近のテストでは、少なくともひとつの分野で、人間の医者よりもいい成績を上げた。こうしたコンピュータの診断能力と、膨大な記憶力、そして通信ネットワークを通して入手できる最新情報を組み合わせると、強力なシステムになる。
    (続く)

  • 【こんな話もある(19)】
    ―――文字リーダーや、K250のようなプロジェクトにとりかかる時、うまくいかないかもしれない、なんて考えたことはありませんか?

    私はつねに、自分の会社の技術的問題を解決する能力に自信をもっている。手をつけるまえに十分に検討を加えるんだからね。どのプロジェクトを選択するかということは非常に重要なことだ。
     たとえば、アインシュタインはその生涯の最後の20年間は、間違った問題を選んで研究した。統一場理論を作り出そうとしたんだ。現在ではこれは「なんでもかんでも理論」と呼ばれていて、その目指すところは既知のあらゆる力をひとつの式のなかに詰め込もうということだ。いま考えれば、アインシュタインがそれを完成できなかったのは、当然だ。彼の時代の知識や実験による証明力をはるかに超えた企図だったんだ。現在では、科学者たちは解決目前だなどと楽観的なことをいっているが、実際には完璧に証明できたわけではない。
     最終的に解答を手にできる問題を選ぶのは重要なことだ。と同時に、20人もの人間が解くことのできる問題を選んでも意味がない。ビジネスの面も含めて発明を成功させるには、他人にはないユニークな技術をもっていることが大切だ。自分自身の場合でいえば、それに加えて、私の技能や私が集めた人材の技能に合わせたものでなければならない。
     製品の選択は非常に大事なことだ。事業家の役目というのは、技術そのものを理解することと、その技術によって近い将来作り出せる可能性のあるものを見抜くことだと思う。……(略)……世の中から望まれている問題を解決したものであることも必要なんだ。

    ―――ということは発明家にとって市場のニーズや、自分の発明の潜在的なインパクトを理解することが大事だということですか?

    発明家兼事業家にとって、新しい技術の潜在的インパクトを見抜くことは必須のことだと思うね。適切なヴィジョン、つまり、実現の可能性があり、同時に相当に野心的であり、自分の能力に見合った製品をもっていなくてはね。
    そして、開発の協力者と投資家の両方に対して、その潜在的可能性をきちんと説明できなくてはいけない。なんらかのヴィジョンをもっていても、それをうまく表現できなければ、たとえそれが素晴らしいアイディアであったとしても、必要な協力は得られない。(続く)

  • 【こんな話もある(18)】
     K250のような機械が、雇用を奪うなんてことはありえない。私はいろいろなバンドを知っているが、この種のテクノロジーを導入したからといって、即座にメンバーを半分にしたりはしないものだ。逆に、メンバーの数は変えずに、より豊かで素晴らしい音を作り出すようになるのさ。この種の技術によって音楽はさらに素晴らしいものになっていくんだ。実際、音楽に対する需要や興味は増大する一方じゃないか。
     新しいテクノロジーは音楽家に豊富な選択を与え、強力な音のパレットを提供し、サウンドをコントロールする新しい手段を使えるようにするんだ。しかし、新しい音楽創造手法を学びとる気のない人には、チャンスはなくなるだろう。

    ―――ということは、シンセサイザーが、ピアノやヴァイオリンといった、昔ながらの楽器にとってかわることはない、と考えているわけですか?

    演奏技術とサウンドは別だ、ということをハッキリさせておいたほうがいいようだね。かつてはフルートの音を作るといえば、フルートの運指のことを思い浮かべた。同様に、ヴァイオリンの音は、ヴァイオリンを弾くことによってしか作れないものだと思われていた。音色と演奏技術には密接な関係があったんだ。
     いまや、演奏技術や音のコントロール手法が、サウンドそのものから、ある程度分離できる時代になりつつある。ピアノ風の鍵盤を弾くことによって、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、シンセサイザイー、その他いろいろな音を作り出せるようになった。たとえばギターとかフルートなどの演奏法が使える、新しいコントローラーも市場にあらわれつつある。フルートのような外見で、指孔だってちゃんとそろっているコントローラーがあるんだよ。これを使ってフルートの音を出すこともできるし、ヴァイオリン、ピアノ、人間の声、その他いろいろなサウンドを作ることができる。実際、いつの日か、過去のどんな楽器をかたどったもでもない、人間工学的に音楽の「コントロール」に最適な形をしたコントローラーが作り出せることになるだろう。コントロールという面では、音楽的なアイディアの表現する手段は、ヴァラエティに富んだものになるだろう。そうなれば、あらゆる音楽家は、ヴァラエティに富んだ音のパレットから、好きなものを選べるようになるんだ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(17)】
    ―――K250のような楽器によって、クラシックの技術の多くがなくなってしまうと思いますか。シンセサイザーで同じサウンドが合成できるからというんで、音楽家が、たとえばヴァイオリンをマスターするのをやめてしまうとか。彼らの職業に影響を与えるでしょうか?

    オートメーションの問題を、音楽に関するテクノロジーにあてはめて考えてみよう。これはオートメーションと雇用の問題について考察するのには、ちょっとした好例といえる。過去20年間にやってきたのと同じやり方で物事をやろうと望んでいる人は、チャンスが減っていくのに気づくことになるだろう。かつてはそれなりのやり方で音楽を作ることによって職を得ていたのに、そういう職のうちのいくぶんかはなくなりつつある、ということに気づくのさ。だが、他の場合と同じで、テクノロジーのおかげで生み出される新しいチャンスも一方にはある。ちょっと例をあげよう。
     企業向けだの、政府向けだのといった映画に年間100億ドルほどの金が費やされている。こういう映画の製作者は、オーケストラを雇ったり、オリジナルのスコアを書かせるだけの資金的余裕がないので、サウンドトラックには著作権のない音楽を使っていた。だからこの手の映画の音楽はみな同じ音に聴こえるんだよ(笑)。
     シンセサイザーが出現してから、こういう映画の製作者はK250のような楽器をもった音楽家をひとり雇い、オリジナル・スコアを作るようになったんだ。K250のような機械によって、あまり金のない製作会社でも、ひとりの音楽家を雇って、音楽を作れるようになったんだ。こういうチャンスはテクノロジーのおかげでもたらされたものだ。
     シンセサイザーによるまったく新しい音楽の分野もある。
     音楽家は斬新なサウンドを生み出し、合成できるようになった。音楽家にとって、サウンドを創造することは、メロディやリズムやハーモニーを創造することと同様に重要なことになったんだ。あらゆる音楽の技術を組み合わせることが必要な、まったく新しい分野が登場したわけだ。実際、この手の仕事ができる音楽家に対する需要は大変なものなんだ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(16)】
    ―――既存のものとあなたのシンセサイザーでは、どこがどう違うんですか?

    決め手は音のモデル化だ。それぞれの楽器の音色をモデル化したものをシンセサイザーのメモリーに収めてあるんだ。
     われわれはまず、きわめて高性能のディジタル録音機で本物の楽器の音を録音することから始めた。いい楽器を見つけることも、こういうモデルを作り出す技術のひとつといえるね。実際、全音域にわたっていい音を出すスタインウェイのグランドピアノを見つけることができなかった。低音域は深みあるいい音が出るのに、中音域がやせていたり、高音域が弱かったり、といった調子だった。結局、5台のスタインウェイを組み合わせて、全音域にわたって素晴らしい音を手に入れることができた。このなかにはルドルフ・ゼルキンがボストンにくると弾くことになっているものも入っていたよ。
     この5台のピアノの音を、音量やピッチをさまざまに変えて録音した。鍵盤を強く叩くと、単に音量が大きくなるだけでなく、音のスペクトルの時系列変化も別のものになるんだ。われわれはこういうさまざまな情報をコンピュータに入力し、音量やピッチの変化ごとにモデルの波形を整えていった。
     こういう情報はすべてシステムのROMに収めてある。鍵盤を弾くと、システムはそのピッチや音量の場合、どのような音にすべきかということをデータから再構成し、アコースティック楽器特有の時系列変化も再現する。これはアコースティック楽器、とりわけピアノやギターなどの弦をはじく楽器のもっとも重要な特徴なんだ。これは静的なものではなく、時間とともに音質が変化していくものなんだ。カーズウィール250はこうしたダイナミックな変化を再現できる。鍵盤はタッチ・センシティブになっていて、ピアノのように鍵盤を叩く強さによって音色が変化するようになっているわけさ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(15)】
     電子楽器はこうした問題の多くを解決することができる。電子楽器なら同時に複数の楽器を演奏できるし、シーケンサーを使ってあるパートをコンピュータに記録し、それにかぶせて演奏することもできる。ワープロで手紙を編集するように、シーケンスを編集することができるんだ。ある音のエンヴェロープを変えて音色を加工することもできる。そして、サウンドを積み重ねることもできる。シンセサイザーについているキーを押せば、同時に十種類のサウンドを作り出すことができるんだ。
     電子楽器は音楽家に素晴らしいパワーを与えたが、サウンドそのものはいただける代物ではなかった。かなり薄っぺらな電子音で、非常に制限されたものだった。「アコースティック楽器とか電子楽器とかの区別なく、あらゆるコントロール技術を応用できたら本当に素晴らしいだろうに!」とスティーヴィーは言っていた。
    そういうシステムならば、ピアノを弾ける人なら、ヴァイオリンも弾けることになる。同時に複数の弦を弾くこともできるし、ピアノとヴァイオリンを同時に弾くことすらできる。アコースティックとか電子とかの区別なく、音を積み重ね、シンセサイザーでコントロールできるんだ。
     というわけで、スティーヴィーのアイディアがほとんどそのままカーズウィール250の目標になったわけだ。そして、1982年に私が始めたカーズウィール・ミュージック・システムズという会社の基礎になったんだ。K250を発売して以来、二つの方向に開発を進めてきた。ひとつは、サウンドの種類とコントロール機能を増やす方向。もうひとつは価格を下げて、一般の音楽家にもこの楽器の基本的機能を使えるようにするという方向だ。
    ……(略)……
    (続く)

  • 【こんな話もある(14)】
    ―――テクノロジーと芸術を結びつけることに対する興味から、カーズウィール250が生み出されたわけですか?

    その質問には二つの答えができるね。私は生涯のほとんどの間、コンピュータに興味をもっていたが、同時に父親ゆずりの終生にわたる音楽に対する興味も持っているんだ。父はつねに私がいずれこの二つの興味を結びつけることになるだろうといっていた。しかし、その方法については何もいわなかった。音楽というものはつまるところ、かなり数学的なもので、数学好きと音楽の才能との関連性はよく知られている。多くの有名な数学者や科学者が、同時に才能豊かな音楽家だった例はたくさんある。ある意味で、カーズウィール250はこの二つの興味を結びつけたものだ。
     それはともかく、シンセサイザーをやってみることになった直接のきっかけは、スティーヴィー・ワンダーと話し合ったことだ。彼は私が作った文字リーダーの最初のユーザーの一人で、熱心な支持者だったので、われわれはしばしば会って、いろいろなことを話し合った。
     ある時、たまたま話題が音楽と楽器のことに及んだ。スティーヴィーは楽器の発展というのを、アコースティックとエレクトロニックの二つの面からとらえている、という意見だった。アコースティック楽器は、音楽家にさまざまなサウンドの選択を可能にした。ピアノ、ヴァイオリン、ギターといった楽器によって作り出されるサウンドは、音楽的には満足のいくものだ。豊かで、複雑で、大変な深みをもっている。
     アコースティック楽器の問題は、スティーヴィーの見るところ、コントロールできないことだ。重ねることも、シーケンサーで操作することも、音色を加工することもできない。ただ演奏するしかない。特定の楽器の演奏方法をマスターしないことには、それすらもできないんだ。たとえば、優秀なピアニストになることができたとしても、それでヴァイオリンが弾けるということにはならない。仮にヴァイオリンが弾けたとしても、ポリフォニックで弾けるわけではない。最大で二本の弦しか同時に弾くことはできないんだ。たとえば、ピアノとヴァイオリンの両方を弾けるとしても、同時に両方の楽器を演奏することはできない。
    (続く)

  • 【こんな話もある(13)】
    ―――作曲家は単にメロディを作るだけだとしたら、その音楽はどれほど「クリエイティヴ」だとか「オリジナル」だとかいえるんでしょうか?

    たいていの場合、創造力というのは無制限なわけでない。音楽にしても美術にしても、その創造活動のなかには枠にはまった職人仕事の部分がたくさんあるんだ。創造行為のすべてがインスピレーションによって行われるわけではない。実際、創造活動の大部分は周知の法則と方法論を用いる、訓練によって培われた技術を駆使する作業なんだ。普通の人はこういう法則を知らないが、芸術家たちは職人技巧のエキスパートとして、こうした法則を自分自身の力で発見するなり、他の芸術家から学び取るなりするものなんだ。
     そして、この種の法則はきわめてプログラムしやすいものなんだ。たとえば、ハロルド・コーエンがやったコンピュータに絵の描き方を教える研究――構図の取り方から輪郭の描き方にいたるまでの――は、すべて法則化して、プログラムできるものだ。それでも依然として、法則によってとらえられない創造力の核が存在しているのさ。だが、創造のひらめきを最終的な作品の形に翻訳する方法論は分析可能なんだ。これは音楽にも、絵画にも、そしてテクノロジーにも共通していえることだね。
    (続く)

  • 【こんな話もある(12)】
    ―――芸術家一家の生まれだということは、おいておくとしても、あなたは文学の学位をもっているし、詩をお書きになりますね。詩を書いたり絵を描くことと発明の間には、関連性があると思いますか?

    非常に密接なつながりがあると思う。芸術も発明も新しいアプローチを考え出し、それを真に機能するレベルまで高めていく行為なんだ。芸術家が新しいアイディアや斬新なスタイルを持っていたとしても、それを真に発揮するには、さまざまな分野にわたる努力が必要だ。
     仕事としても、私は芸術とテクノロジーを結びつけることに興味を持っている。たとえば、カーズウィール・ミュージックはコンピュータ技術を音楽に応用するために作った会社だ。カーズウィール財団では、エキスパート・システムの技術を作曲に応用した、サイバネティック・コンポーザーというシステムを開発中だ。これが完成すると、音楽家は何かのメロディを書くか、キーボードで演奏すれば、サイバネティックスによるさまざまな伴奏を選べるようになる。たとえば、ひとつはドラム・パート、もうひとつは元のメロディに合わせたコード進行を、というぐあいだ。このシステムでは、部分的には人間が音楽を作り、残りはコンピュータが補うわけだ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(11)】
    ―――ご自分のことをコーディネーターと考えていますか?

    コーディネーターであり、リーダーさ。私は鍵になる技術的アイディアと、誰もが貢献できる環境を提供する。それが私の仕事だ。

    ―――そして、自ら手を下す発明家でもあるわけですか?

    両方ともやる。少なくともある程度まではね。たいていの場合、何らかの実地作業をやっている。たとえば、この数年間はヴォイス・ワークスの仕事をしてきた。これは音声認識ワープロだ。コードの一部は自分で書いたんだ。テクノロジーとの接触は保たなくてはいけないからね。会議の議題になる技術的問題に関して耳からの知識しかなかったら、彼らのいうことを正確に理解することはできない。そのためにも実地作業をするようにしているんだ。だが、いまや私の会社も大きくなってしまい、扱う分野も膨大なものになってしまったので、それほど多くの分野に実地にかかわるわけにはいかなくなってしまった。ビジネスとテクノロジーに、だいたい半々で時間を割いているね。
    ……(略)……
    (続く)

  • 【こんな話もある(10)】
    ―――そのアイディアというのは集団から生まれてくるわけですか、それとも、独自に研究している個々の人から個別に出てくるわけですか?

    われわれの発明では、集団の研究というのが大きな役割を果たしている。発明というのは、日に日に学際的なものになっている。集団の力が必要になってきているんだ。ひとりとかふたりとかの力で生み出される発明というのは、相対的に少なくなりつつあるんだ。
     普通、私は最初の構造を決定し、アプローチの方法を決めるうえで中心的な役割を果たす。初めは、自分で実際の開発をやる場合もある。だが、すぐにさまざまな分野の専門家の力を必要とする段階に入ってしまう。
     この段階では集団で研究するわけだが、メンバー全員の知識レベルを、プロジェクトのあらゆる局面で役に立つレベルにもっていくのに大変な時間がかかる。プロジェクトを進めるうえで、そのプロジェクトの鍵となるもの、たとえば信号処理なりを、チームの科学者全員――言語学者、コンピュータ科学者、音響心理学者、その他――に検討させる。チームのみんなの専門知識や独創性を刺激するように、オープンな意思の疎通ができるように心がけている。われわれの仲間には、その分野の指導的存在が加わっていることが多い。そういう有能な人間の関心をとらえるためにも、みんなに自らの創造性を発揮するように、励まさなくてはならないんだ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(9)】
    ―――あなたの発明というのは、ひとりで生み出したものなんですか?

    私がかかわっているプロジェクトというのは、どんどん学問の枠を超えたものになっているんだ。文字リーダーのようなものは、ひとりで地下室にこもって、2年もすると素晴らしい成果を上げて出てくる、といった類のものじゃない。私がやっている仕事は、専門分野の異なる人間からなるチームが一致協力して、はじめて成果が上げられるんだ。私の重要な役目のひとつは、まったく専門が異なる人間の間のコミュニケーションを保つことなんだ。
     たとえば音声認識の場合、言語学者、信号処理の専門家、VLSI技術者、音響心理学者、人間工学の専門家、そして人口知能とパターン認識の専門家などをはじめ、多くの専門家の協力が必要だった。
     この各分野の人々が、それぞれ異なる方法論と術語を使うんだ。ある分野の用語が別の分野で使われると、同じ単語なのに、まったく別の意味になってしまう、ということが実によくある。特定のプロジェクト用に、自分たちで新たに術語を作らなくてはならないこともあった。だから、こういうチームの間のコミュニケーションをとり、目的を達成するのは大変なことなんだよ。
     会社全体で見れば、さらに多くの分野が関係してくる。製造、材料調達、資材購入、マーケティング、財務、などなどだ。それぞれがエンジニアリングに負けず劣らず複雑な独自の方法論を持っている。私の役目は、それぞれの専門家たちがうまくコミュニケーションを保ち、共通の目標を目指して協力できる環境を作り出すことだ。
    非常に複雑な状況なので、われわれはグループで問題解決にあたることが多い。ある分野に関しての斬新なアイディアが、その分野の専門家ではない、畑違いの人間から出てくることがけっこうあるんだよ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(7)】
    ―――子供のころから発明家になろうと思っていたんですか?

    実はそうなんだ。5歳の時から科学者になるつもりだった。5,6歳頃から発明ノートなんてものまでつけていたんだ。まだとってあるよ。発明をすることと科学者になることというのは、私にとっては一体不可分のことだったんだ。あの頃は、たとえば「エレクター・セット」なんかで、何かを組み立てるのが大好きだったね。ロケットも作ったよ。
     それはともかく、ごく小さな頃からコンピュータに惹かれてもいた。コンピュータの処理能力とか問題解決能力とかにね。ひとたびコンピュータのことを知ると、すっかりその虜になってしまった。とくに、いまや仕事になったパターン認識の分野にはだね。もちろん当時は、いまみたいにどこにでもコンピュータがあるというわけじゃなかったし、パーソナル・コンピュータなんてものも存在していなかった。だが、とにかく夢中になってしまったんだ。
     私が研究している技術の背景となっている科学には、いまだに魅力を感じるよ。自分のやっていることを定義するとしたら、ある種の未解決な人間の問題を解決する技術を開発すること、といいたいね。これこそが私の仕事のもっとも刺激的なところなんだ。技術によって目の見えない人たちに本が読めるようにして、学校に行けるように手助けすること、かつて存在しなかったものを作って、音楽家が新しい音楽を作り出すのを助けること、といったことさ。

    【こんな話もある(8)】
    ―――発明家になることで家族の誰かから影響を受けたり、励まされたりしましたか?

    父は優秀な音楽家だった。コンサートピアニストで、指揮者だった。母は画家、成功したイラストレーターだった。でも科学者になるうえで私に最も影響を与えたのは、祖母のリリアン・ベイダーだと思う。祖母はかなり有名な科学者で、女性としてはヨーロッパで初めて博士号をとったんだ。祖母はヨーロッパ中を講演してまわり、祖祖母が設立した大きな学校の運営もしていた。だから、祖母は科学者にして事業家でもあったわけだ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(6)】

    ―――あなたがAIに興味をもった当初、マーヴィン・ミンスキー[MITでコンピュータ科学と工学を教えている数学者]の影響を受けましたか。MITでの経験や正規の教育は、後年の発明の基礎になったわけでしょうか?

     正規の教育というのは、小さな役割しか果たしていないと思うね。私のこの分野での重要な知識というのは、正規の教育で手に入れたものではないと思う。たしかにMIT在学中もマーヴィン・ミンスキーから教えを受けたが、高校時代から彼を知っていたんだ。MITで本当に価値のあるのは、教授にしても学生にしても、才能豊かな人間とたくさん知り合えるということだ。
     MITというところは、イニシアティヴをとる人間には向いているんだ。たとえば私の場合、自分が作った会社を軌道に乗せるために半年間休学したが、それに対して単位をもらったんだよ。この会社は私が開発した、高校生の各大学への適性を見るエキスパート・システムを扱うものだったんだ。このシステムには、国内の大学3000校に関する数100万件のデータが収められ、学生に300問の質問をする。その答えに基づいて、システムはその学生に向いていると思われる大学を15校あげるわけだ。このシステムはハーコート・ブレイス・ワールドに売った。いまのハーコート・ブレイス・ジョヴァノヴィッチだね。私の最初の商売というところさ。
     どこかの時点で、生涯の目標となる仕事のきちんとした基礎を身につけなければならないのは確かだが、発明家や事業家になるんだったら、実地経験以外にはその方法はないんだ。この分野では実地経験こそがすべてに勝るんだ。
    (続く)

  • 【こんな話もある(5)】

    ―――どういうきっかけから文字リーダーを作ることになったんですか。

     1974年に、カーズウィール・コンピュータ・プロダクツを設立した。この会社の目的は、オムニ・フォント文字認識の問題を解決することだった。…どうすればあらゆる書体の活字を認識できるシステムを作り出せるのか? そのうえ実用性を考えれば、インクの掠れ、滲み、文字欠け、くっつき合った文字、その他よくある印刷ミスのすべてに対応できなくてはいけないんだ。目の見えない人にとって真に有用なシステムにするには、いまあげたような機能を非常に正確に実行できなくてはいけないし、無制限のヴォキャブラリーをもつ音声合成システムとも結合しなくてはならないんだ。この種の音声合成システムというのも、当時はまだ実用化されていなかった。
    …1974年という年は会社を始めるにはまずい年だった。技術指導型のベンチャー企業に対する資金事情は振り子のように好転、悪化を繰り返していた。
    ……(略)……
    (続く)

  • 【こんな話もある(4)】
     現在のところ、人口知能での我々の研究は、人造の天才を生み出したりはできないんだ。しかしきわめて狭い範囲に限定するものなら作ることができる。対象範囲を明確に限定できれば、その問題の解決にAIシステムを活用できるんだ。
     たとえば、読書には知性の働きが必要だ。これは愚かな行為ではない。動物は本を読まないからね。とはいえ、これは明確に定義できる、きわめて限定的な行為なんだ。現代のコンピュータならマスターできる程度の行為なんだよ。
     一般に障害者の人というのは、特定の感覚機能を失った知性ある人たちだ。しかし障害者の人の「自然知能」と、ある程度の人口知能を持ったコンピュータ・システムを組み合わせることができれば、障害を克服できるんだ。
     文字リーダーに加えて、われわれが開発した技術を応用した他の製品も登場するだろう。実際、われわれの音声認識技術を聾唖障害に応用しようと考えているところで、これはすでに発声障害や、四肢麻痺の人たちには利用できるようになっている。私が考えているシステムというのは、耳の聞こえない人にも、いま私たちがしているような会話を、ただちにその場で理解するようなものなんだ。話していることをリアルタイムで読み出せるものさ。このシステムがあれば面と向かってだろうが、電話での会話だろうが、耳の聞こえない人でも何不自由なくできるようになるんだ。(続く)

  • 【こんな話もある(3)】
     レイモンド・カーズウィールは、コンピュータ・サイエンスと文学の学位を得て、1970年にマサチューセッツ工科大学を卒業した。彼は詩人であり、優秀な画家であり、カーズウィール・ミュージック・システムズとカーズウィール・アプライド・インテリジェンスの社長を務めている。1982年にコンピュータ業界の名誉の殿堂入りを果たし、ホフストラ大学、バークリー音楽大学、レンセラー・ポリテクニック大学などから名誉博士号を贈られている。1984年、エスカイヤ誌は、アメリカでもっとも影響力のある8人の若き科学者にカーズウィールを選んだ。1986年、レーガン大統領から優秀事業家賞を受け、ホワイトハウス小企業会議の名誉議長を務めた。

    ―――どうしてカーズウィール・文字リーダーを作ったんですか。あれは大変な発明だと思いますが、その動機は何だったんでしょうか。

     技術を追求した結果だね。当時、私の周囲に目の見えない人もいなかった。私の専門はパターン認識で、あの文字リーダーは、この分野の長年の課題に対する解決と関係していたんだ。ノーバート・ウィナーが『サイバネティックス』で言及して以来、オムニ・フォント文字認識はパターン認識分野の古典的な課題だったんだよ。この問題は取り組んでみる価値のあるものだと思えた。そして、文字リーダーはその技術の代表的な応用技術のひとつなんだ。実質的な文字リーダーは、あらゆる種類と大きさの書体――お望みならフォントといってもいい――の文字を読み取らなければいけないんだ。次第に文字リーダーの研究というのは意義のあることだと思うようになり、人工知能技術を障害を抱えた人のために役立てる研究を、さらに続けたいと強く願うようになっていった。(続く)

  • 【こんな話もある(2)】
     彼の最新の発明は、ヴォイス・ワークと呼ばれる音声認識ワードプロセッサーだ。ユーザーはヴォイス・ワークに向かって話しかけるだけで、「書く」ことができ、論文や報告書を編集できるのである。つまり、口述筆記コンピュータというわけだ。この機械はすでに放射線医学の研究者に、以前はテープを使っていた報告書の作成に利用されている。さらに彼はこの技術を応用して、耳の聞こえない人のために、リアルタイムで会話や議論を読み出す機械を作ろう、という計画ももっている。
    ……(略)……
     レイモンド・カーズウィールは1948年に生まれ、ニューヨーク州クイーンズで育った。父は指揮者で、音楽の教授であり、母は成功したイラストレーターであり、画家だった。カーズウィールは5歳の時に、すでに自分のことを科学者であり、発明家であると考えていた。12歳の時、パッケージ・ソフトウェアを作り、これはIBMから発売された。18歳の時には、大学ごとに学生の適性を検査するAI技術応用のコンピュータ・プログラムを、ハーコート・ブレイス・ワールドに売った。
    ……(略)……
     しかしながら、成功するためには才能だけでなく、忍耐も必要だった。70年代なかば、(資金繰りに困り、設立した会社)カーズウィール・コンピュータ・プロダクツを生き延びさせるために、車と電子機器のコレクションを売らなければならなかった(こともあった)。
    …文字リーダーの実地テストと開発用の資金として教育省からの40万ドルをはじめ、公的基金からの融資を受けることができた(こともあった)…(続く)

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