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新 株式投資掲示板の掲示板

>>10407

> >ところで、邪馬台国が大和朝廷に発展したとヨシ子様はお考えでしょうか。
>
>  当然よ!地名の言葉は、千年経っても消えないそうです。「邪馬台国」→「大和」のように発音の一部が残ったと思います。

でも、それは やま だけですよねえ。
それに当時、どのように発音していたかは、一概に言えないのではないでしょうか。
私は、邪馬台国と大和は、別だと思っています。
根拠は、中国側の反応からですが。
大和朝廷に対しては中国が当初、大変警戒していたと言うことです。
邪馬台国が大和朝廷に発展したのなら、それはあり得ないことです。

以下、ヨシコ様の主張を否定するのではなくて、素朴な疑問です。

>  最近ヨシ子が思うのは、次の①~④です。
> ①近畿と九州はほとんど気温の差が無いので、近畿にも南方系の人も沢山居たと想像します。

九州の北部となら気温差はないかもしれません。
南方系と言うと隼人の人たちのことでしょうか。

> ②「水行10日または陸行1月」とありますが、1月も歩ける場所は、東アジアでは、本州しかないみたい。

しかし、一月も歩けば、近畿は通り過ぎてしまうのではないでしょうか。

> ③当時は、とても貴重な船を盗まれてはいけないので、係留して歩こうとするならば、絶対盗まれない場所に泊めないといけません。その場所は、松浦しかなかったみたいに思えます。また、簡単にチャーターできるものでもないみたい。(大分まで歩いてきて、他人の船を借りて乗船したりとかはできない。)

当時の船は貴重なものかもしれません。
それに今のように旅客輸送が発展していたわけでもないだろうし。

> ④当間国(ヨシ子は沖縄と推測)と邪馬台国だけは、船で着いてからさらに「陸行○日」という書き方をしていません。それは、着いた先がその都市だったから。つまり沖縄の当間も、近畿の邪馬台国も海のすぐ近くかも!

邪馬台国は海のそばにあったのだと思います。
仮に邪馬台国が近畿にあったのなら、大阪ですかねえ。
邪馬台国近畿説が正しいのなら、その後本拠地をわざわざ奈良盆地にまで移したと言うことでしょうか。
それもなんとなくありえなそうにも思えます。
仮に邪馬台国が近畿にあったのだとしても、邪馬台国が大和朝廷に発展したのではないのではないでしょうか。
私は、そんなふうに思っています。

  • >>10413

    >でも、それは やま だけですよねえ。

    YAMATAIKOKU→YAMATO

    英文字にして5文字が会っています。

    >しかし、一月も歩けば、近畿は通り過ぎてしまうのではないでしょうか。

     人の歩く速度は、だいたい4Km/時
    4Km×(1日8時間歩いたとして)×30日=960Km
    ★「福岡空港←→鹿児島空港」間の直線距離は、約242Km
    ★「福岡空港←→伊丹空港 」間の直線距離は、約478Km

     でも、当時の人々は、歩いて旅行するとき、雨の日は小雨でも移動しなかったのではないでしょうか。機能的な傘もない時代ですし…。風の強い日も休みだったと考えると、30日のうち、動ける日は20日ぐらい?

    >大和朝廷に対しては中国が当初、大変警戒していたと言うことです。
    邪馬台国が大和朝廷に発展したのなら、それはあり得ないことです。

     それは意外な事実ですね。

    新 株式投資掲示板 >でも、それは やま だけですよねえ。  YAMATAIKOKU→YAMATO  英文字にして5文字が会っています。  >しかし、一月も歩けば、近畿は通り過ぎてしまうのではないでしょうか。   人の歩く速度は、だいたい4Km/時 4Km×(1日8時間歩いたとして)×30日=960Km ★「福岡空港←→鹿児島空港」間の直線距離は、約242Km ★「福岡空港←→伊丹空港 」間の直線距離は、約478Km   でも、当時の人々は、歩いて旅行するとき、雨の日は小雨でも移動しなかったのではないでしょうか。機能的な傘もない時代ですし…。風の強い日も休みだったと考えると、30日のうち、動ける日は20日ぐらい?  >大和朝廷に対しては中国が当初、大変警戒していたと言うことです。 邪馬台国が大和朝廷に発展したのなら、それはあり得ないことです。   それは意外な事実ですね。