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  • 漫画家・著述家であるリリー・フランキー氏が俳優として賞をもらったり、『レディ・ジョーカー』(平山秀幸監督作品)でミュージシャンの吉川晃司氏が他の出演俳優を上回る存在感を放ったり、本業が俳優ではない出演者の演技が注目を集めることがある。

    観客は画面を通してその演技を見ている。なんとなく引き込まれたり、上手いな、とか、下手くそだな、とか、くさい演技だな、と思ったり、その他いろんな印象を抱くのであるが、たとえば様々な映画祭において俳優に贈られる映画賞(主演、助演)って誰がどう判断しているのだろうか。俳優個人の技量もさることながら、カメラワークとか照明とかメイキャップとか衣装とか音楽とかその他様々な要素が絡んでいるような気がするのである。作品によっては、ほんのちょっとしか画面に登場しない俳優が妙に印象に残ることがあるが、映画賞受賞はその作品の中で比較的長く画面に登場する俳優に限られるようである。画面にはまったく登場せずとも「ナレーションの声がいい」という作品もある。

    最近の映画賞で高く評価される作品が僕の趣味に合わないことが増えてきた。だから、あまり映画賞は気にしません。受賞しなくても「出品」しているだけで価値があるみたいだけど。

    映画賞を受賞している作品って、小難しい映画なのかな、とか、生真面目な映画なのかな、とか、重苦しいテーマの映画なのかな、とか、気軽に楽しみにくい作品かもしれない、と思ってしまうことがある。

  • 「親心」で思い出した。

    『ウェザーマン』(ゴア・ヴァービンスキー監督作品)という印象深い作品があるのだが、その中で「親は子供がいくつになっても子供のことを心配する。」とか「人生はクソだ。捨てるところも多い。だが、親心だけは絶対に捨てるな。」というようなセリフがあった。マイケル・ケイン演じる父とニコラス・ケイジ演じる息子との会話だったと思う。

    僕には子供がいないから親心というものがどういうものなのかを知らずにこの世を去ることになるのだろう。甥っ子たちや近所のちびっ子たちがかわいいという気持ちは親心とはまったく違う。親は逃げられない。僕は甥っ子や近所のちびっ子たちの親ではないので、いつでも逃げられる。これは大きな違いだ。自分自身からは絶対逃げられんけどね。

    映画監督ジャン・リュック・ゴダールの言葉に触発されたわけではないが、映画をただの娯楽として消費するのもいいが、思考のための道具として使ってみるのも悪くないと思う。

  • たまにはドキュメンタリー映画を見ようってことで、『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』(アシフ・カパディア監督作品)というのを見てみた。なんとなく予告編を見て気になってはいたが、そのまま忘れていたのであった。

    ドキュメンタリー映画と言っても、もちろん誰かが撮影したものなど素材を集めて、編集した創作物であるわけだから、その点においては劇映画と変わらない。

    アイルトン・セナという名前は昔から知っていたし、その人がレース中の事故で死んだというニュースも若い頃にどこかで見た記憶があるが、アイルトン・セナの活躍を直に知っていたわけではない。あらためてその存在をよく知った。

    この映画にはいろんな人たちが登場するが、印象的だったのは、F1を統括している会長か誰かがF1ドライバーたちに向かって「おろかにもお前たちのような人間を模範にしている人たちが多いようだから、決して危険なことをするな」というような事を言っていた様子。以前、プロ野球の巨人のオーナーを務めていた読売新聞の大物がストライキ騒動があった時に「たかが選手」という発言をして問題になったことがあったが、それに似ていた。でも、このF1の会長の場合は、選手を見下しているというよりは、親心をもってドライバーたちに注意を喚起しているような様子だった。読売新聞の人とは大違いだ。今ではそういう人はいなくなっちゃったね。

    読売新聞のナベツネは嫌いだし、巨人というチーム自体も嫌いだが、スポーツ選手とか芸能人とかそういう有名人が実は大した人たちではないということは中年になってようやくわかった。あの人達は模範にするには値しない。ナベツネ氏だってマスメディア業界の大物なのだから、たぶんあの対立劇は茶番というかやらせだったのだろうとは思う。業界内で飯を食っている人間たちならわかる阿吽の呼吸ってやつなんでしょう。

    あの人達は幻想を売り物にしてお金を稼ぐ人たち。詐欺師と明確な線引はないと思う。

    マスメディアがこの世に存在し繁栄し続ける限り、子供たちは騙され続け、犠牲者は出続けるだろう。これは避けようがない。教育も親たちもそういう現象には対抗できていない。

    映画の話だった。たまにはドキュメンタリーもいいね。

  • 事業は順調ですか
    体調に変化は
    娘さんは大きくなったのでしょうね

    映画と言えば・・・うさぎ、を想い出しますよ
    最近は一時よりかは映画を観れなくなりましたが
    その分、本を読んだりと学んでいます。
    また、自分自身の向上を図ることも大きな楽しみですね

    また、いつの日か掲示板でお会いするのを一筋に待っていますね

  • 小説や漫画などの本を原作にした映画が多いが、やはりそれは別の作品ということなのでしょう。違うもんね。「映画は監督のものだ」ってことですね。原作ってのは映画のための材料の一つに過ぎない。だから、原作と映画作品を比べて、原作の方がいい、とか、映画の方がいい、などという比較はナンセンスだということですね。ついつい比較しちゃうけど。比較すると原作の方がいいって話になりがちだけど。

    アメコミを映画化した作品の人気が高いようです。僕も気に入ってますけどね。バットマンとかスーパーマンとかアイアンマンとかハルクとかスパイダーマンとかその他いろいろ・・・。

    日本人としては原作を知らないから映画の方を楽しめるっていう面があるのかな、という気がしています。もちろん、映像がすごいっていう事もありますけどね。ストーリーはお決まりの勧善懲悪もので、「正義は勝つ」ってことが最初から分かっているわけですが、それでも見たくなるのは、やはりあの圧倒的な迫力ある映像だと思います。お決まりの退屈な物語をふっとばすだけの迫力があの映像にはあるわけですね。ジェットコースターみたいなもんで。我を忘れるというかね。

    見ているうちに我を忘れてしまうような映画ってほとんどありませんけど、そういう映画にはお祭りと同じ効能があると思います。

  • 批評家の蓮實重彦氏の本を読んでいたら、映画が人類史に登場してからたかだか100何年かしか経っていないのだから、古いも新しいもあるものか、みたいなことが書いてあって、確かにそうかもなぁ、と思った。

    でも、映画を見ていたら、否応なく新しさや古さを実感してしまう。どこで新しさや古さの違いを実感するかというと、主に映像や音声の質の違い。人々が好む物語の形式はそんなに大きく変化してないような感じ。僅か100何年かの間に映像技術や音声技術は随分変化したんだな、と。人類は原始時代から変わっていないけれど、その生活様式や世界に対する認識の在り様はまったく様変わりしてますね。書くまでもないか・・・。

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    日本では昨年公開された作品『ライジング・ドラゴン』でアクション映画はこれで最後だと発表したジャッキー・チェンの代わりはたぶん出てこないね。別に出てこなくてもいいんだけどね。

    代わりっていうのは、まったく同じことをする人っていう意味じゃないんだけどね。簡単に言うと、仕事ぶりを通じてそれだけの存在感を発揮する人っていう事なんですけどね。

  • 映画ってだいたい2時間くらいが標準だと思うけれど、当然作品によって長さが違う。短編映画もあるし長編映画もある。

    民放テレビで放送される映画はCMが入るから嫌なんだが、CMが無いNHKで放送される場合も放送時間に合わせて一部カットして放送する場合があるようである。そういう事もあるので、やっぱり映画館で見るのがいいかな。

    本当は上映時間を気にせずに見るのがいいんだけど、前後の都合などもあり、気にすることが増えた。

    同じくらいの上映時間でも、長いなぁと思う場合もあれば、あっと言う間に終わったなぁ、と思う場合もある。青山真治監督の『ユリイカ』という映画は3時間半くらいの上映時間だけれども、あまり長い感じがしなかった。ごくまれにそういう映画もある。この映画の物語は北九州を中心に展開する物語で、出演俳優たちは北九州の方言を話している。僕は福岡育ちだが、子供の頃から耳慣れている博多弁と北九州弁は、似てはいるが微妙に違うところがある。その点も面白かった。

    上映時間の話だった。やっぱり2時間前後かな。90分とか100分くらいの映画でコンパクトにまとまっていていい感じがする場合もあるけれども。

    一昔前の長編映画では途中で休憩が入るものがあったようだ。DVD化されている映画で時々出てくる。リチャード・アッテンボロー監督の『ガンジー』とか、黒澤明監督の『七人の侍』とか、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッド・ファーザー』シリーズとか。4時間、5時間の映画を作っても、間に何度か休憩を入れて観ることだってできないわけじゃなかろう。でも、もう観客の側が2時間前後に慣れているので、そんな映画が作られたとしても、観に行く人はほとんどいないかもしれない。

    ピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズとか最近公開されている『ホビットの冒険』シリーズだって3部作だけれども、一つにまとめて、途中で休憩を入れながら10時間から12時間くらいの映画にできないこともなかろう。同じことか。

    2時間くらいがちょうどいい、というと変かな。こっちは2時間くらいに慣れている、という方が正確かも。

  • カザフスタン共和国が国名の変更を検討しているようだ。このニュースを見た時、映画『ボラット』(ラリー・チャールズ監督作品)という下品なコメディ映画のせいなのではないかと思ってしまった。

    あの映画は確かにアメリカ社会に対する批評としてはいいと思ったけれど、カザフスタンには極めて失礼な映画だと思った。映画が話題になった当時、カザフスタン政府も抗議したらしいけど。

  • 映画というのは何かを伝える手段だったはずなのだが、今ではドキュメンタリー映画などを除けばほとんどの映画はエンターテイメント、つまり娯楽として消費されている。

    さて、俳優の力量とはいかなるものなのか。必ずしもキャリアが長い俳優の演技が観客に伝わる演技をするとは限らないようだ。だからこそ、俳優としては素人の出演者がキャスティングされることが多いのだろう。もちろん客寄せのために下手くそでも人気がある俳優を選ぶということもあるのかもしれないが、そういう話では説明がつかない素人を出演させたりしている作品も多い。予算の都合か。「普段はチャラチャラして生きてんだろうな」とか「結構金持ちなんだろうな」と思わせるような俳優たちが、作品の中でシリアスな演技をしていても、こっちにはあまり伝わってこないのだった。日本映画の場合は特に。

    日本のマスメディアが垂れ流す文脈に染まってしまっている人々には、「日本人はみんな仲間だ」とか「日本人の間に対立はない」という嘘の前提が情報を受け取る時の構えとしてあるような気がする。同じ日本人であっても、知り合いでも何でもない赤の他人の俳優たちが普段どういう私生活をしていようが、金持ちだろうが貧乏だろうが、関係ないのに、その文脈のせいで、そのような不愉快な思いをしなきゃいけない。最近のマスメディアは、外国人までをもその文脈の中に放り込んでしまおうとしているような気がするが、これはある意味で危険な兆候だろう。

    外国の俳優は、日本の俳優よりよっぽど金持ちかもしれないし、もっとチャラチャラした人生を送っているかもしれないのに、日本の俳優に感じるような不快さはあまりない。それはおそらく、外国人であるがゆえに、「日本人はみんな仲良し」みたいな嘘の文脈とは無縁な存在として認識しているからだろうと思う。

    はて。我々は仲間ではない。人は皆孤独である。孤独であるがゆえに、人々を関係を結んで生きていく。

    普通の人は芸能人に知り合いなどいない。僕にもいない。

  • 昔の映画のDVDをレンタルしてきて時々見ていたら結構面白いのが多くて喜んでいる。どちらかというと新しい作品の方を好む傾向に変わりはないけれど、事映画に関しては、古い作品も結構いける。確かに、古い作品には音声や映像の粗さがあるけれど、新しい作品の源流が確かに古い作品にあるということがよく分かる。むしろその粗削りなところが、最近の映画よりも新鮮さを伝えているような気がする。

    ビデオすら無かった時代に公開された作品をわざわざDVD化しているのだから、質が高い作品に出会える確率が新しいものに比べて高いということはあるかとは思うけれども。新しく公開される作品のうち、何十年経っても語り継がれ、その時代の観客に愛好され続ける作品がどのくらいあるのか。

    インターネットの時代だから、誰も好まないような作品でもアーカイブとしてずっと残り続けるのかもしれないけどね。

  • これまであまり中国の映画を見たことはなかった。香港映画や台湾映画ならあったけど。

    中国って検閲制度があるようで、検閲に通らないと劇場公開はされないようだ。或る映画監督の作品のうち、検閲に通らなかった作品と検閲に通った作品を両方DVDで観る機会があった。僕の感覚では検閲に通らなかった方の作品の方が作品としての完成度が高かったように思えたし、その作品のどこが不適切だと判定され、検閲に通らなかったのかが分からなかった。中国の事はよく知らないが、同じく検閲制度があった戦前の日本よりも芸術面では不自由なんじゃないか、と思った。

    そういう作品が日本のレンタルDVDショップの棚に並んでいるという事実にも不思議な感じがした。検閲に通らなかった作品でも、外国に輸出されてDVD化されて発売される事はOKなのか。

    アメリカ合衆国にとってのレッドパージとか、中国にとっての文化大革命ってのは、その後の文化面での発展に大きな後遺症を残しているようですな。日本の場合は敗戦だな。たぶん。

  • 予告編などで時々「真実(しんじつ)の物語」っていう言い方がされているけれど、なんか違和感。

    英語で「based on a true story」っていう字幕が出ることがある。「この映画は実際にあった出来事に基づいて作られたものです」っていう意味が適当だと思うが、「真実の物語」って言われると「?」って感じだな。変なの。誤訳ってわけでもないし、かといって正確に伝わりやすい翻訳でもない。

  • 第1作目の人気が出ると、それを受けて2作目が作られることがあるようです。前もって何作か作る予定にしてる作品もあるみたいですけれども。

    最初は作るつもりじゃなかったけど、思ったより人気が出たので作ることにしたっていう事情が見え見えな作品って結構外れますね。そうすると、せっかく評価が高かった第1作目までその商売気の卑しさにまみれて評価を下げてしまったりして。

    逆に、最初から続編を作ることを想定した作品が大ハズレで、続編製作を断念した作品も、なんとなく伝わってしまいます。それはそれで正しい判断なんでしょうけれども。

  • >>114

    ご無沙汰しております。
    お元気でしょうか。

    今年もなんだかんだと一年の最後、大晦日です。
    どんな一年になったでしょうか。

    今年は去年に比べれば映画館に行く回数も若干少なめ、印象に残ったものも思ったよりは無かったな、という感じでした。
    観に行くものが大迫力スクリーン向けばかりという、相変わらず偏ったものばかりですが。
    最後に観に行ったのは「ゼログラビティ」でしたが、この映画は面白かったです。
    今年観た中では一番でした。
    年初辺りで話してた「クラウドアトラス」も印象深い一本でした。

    最近は映画を観ても面白いつまらないは別として、よほど印象が強かったものでなければ簡単に記憶の隅に埋没していくものが多くなってきたように思います。
    鑑賞後たった何ヶ月かで、タイトル見てもこれどんなだっけ・・・?というのが結構あります。
    脳の老化がかなり進んできてしまってるんですねぇ・・・
    なんだか観に行った甲斐が無いような。
    来年はもっと印象に残るような映画がでてきてくれるといいですが。
    観てるジャンルが同じようなものなら大して変わらないかも・・・

    ではでは。
    お体お気をつけて来年が良い年になりますように。

  • 付け加えますと、子供を主演にした映画ってのがなんとなく嫌ですな。子役の演技の上手い下手じゃなくて、とにかく子供を主役にしてほしくない。できれば脇役としてでも画面に登場してほしくないというのがあるけれども、まあそれはしょうがない。せいぜいエキストラくらいにしておいて、セリフは言わないで欲しい。

    僕個人の好き嫌いに過ぎませんが、是枝裕和監督の作品があまり好きじゃない理由として一番大きいのが子供に主要な役柄を演じさせているところです。好きじゃなくても気になるから見ちゃうんだけど。

  • マスメディア等の影響で映画でも日本映画が欧米の映画に比べて遅れていると思っていたし、実際に見ていて邦画に対してはいい印象を持っていなかった。しかし、何年か前からやたらと映画のDVDをレンタルして見るようになり、なんとなく日本映画も見るようになった。3本レンタルするならうち1本は日本映画を無理矢理入れよう、みたいな感じで自分なりのアファーマティブアクションであったわけだ。その効果があって、今では日本映画に対する偏見は多少消えたように思う。でもまだ日本映画が一番というところまではいっていない。そもそも映画に国籍なんてあるのかね。「日本人なんだから外国映画よりも日本映画を応援するのは当たり前だ」という考え方は非常に偏狭でつまらないと思うけれど、個人的に、グローバリゼーションに飽きてきたので、日本を意識していこうと思っている。日本でも広すぎる。僕は九州地方に住んでいるが、九州でも広いって感じがする。もっと狭く狭くいきたいところだ。一人の人間が認識できる範囲は狭い。

  • 下品な言葉を連発する作品については言うまでもないけれど、やたらと性描写が多い映画とか、俳優たちを裸にするとか、下ネタが多いのなんていかがなものかと思う。それと、やたらと飲み食いする場面が多い映画とかもどうかな。そんな風に何の工夫も無く露骨に見せなくても、色気のある作品ってあるじゃないですか。

    同じような作品ばかりになる事が一番つまらないのだとは思いますが。

  • 小津安二郎・生誕110年記念サイト http://www.shochiku.co.jp/ozu/

    故・小津安二郎監督は満60歳の誕生日に亡くなったとのことですから、生誕110年ということは没後50年ということです。

    ※無許可リンクです。

  • >>119

    マスメディアに限らないけれども、特にマスメディアの場合に顕著だと思うのは、「供給主導」なんですよね。実際の作り手側としては、業界内部での競争が激しいものだから、需要主導のつもりで作ってるような話をしていることがありますけれども、それも視聴者に向けてのメッセージではなくて、半分以上は競争相手とか批評家向けみたいですね。

    結局、誰がお金を出してくれるかっていうことになるわけで、作り手側がお金をたくさん出してくれる人たちの方を向くのは当然過ぎるほど当然のこと。

    映画やテレビに限りませんけれども、商売的に一番都合がいいのは、客が依存してくれることですからね。それこそ資本主義です。「いかに客を依存させるか」という競争をしているわけですね。情報っていう実体がないものを売り物にしている場合は特にね。

    僕は映画を観る事が数少ない楽しみの一つになってしまったけれど、実体がないものに対する警戒感が無くなることはありませんね。

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