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  • 日本の中にあったインド独立の原点



    インド独立の原点が日本にあるといったら驚く人が多いに違いない。 インド独立史に名を遺した志士がいた。スバス・チャンドラ・ボース。


    植民地支配にあったインドのガンジーやネルーが宗主国と戦わず、宗主国の戦争を支援していたのだから不思議だが、チャンドラ・ボースは戦争中にシンガポールでインド国民軍の総帥となり、イギリスに宣戦布告した。いわば枢軸側に立った人物である。

    戦後、イギリスは宗主国に牙を剥いたこのインド国民軍を戦争裁判にかけ、植民地支配の威信を取り戻そうとした。だがことは単純に終わらなかった。

    チャンドラ・ボースはインド国民会議派とたもとを分かち、日本軍とともにインパールで敗退。終戦の3日後、台北の松山空港で乗っていた飛行機が墜落して非業の死を遂げる。

    戦争が終わってみると彼が育てたインド国民軍が一夜にしてインド解放の象徴的存在に変わっていた。

    イギリスによる報復は裏目に出た。インド国民会議派は裁判に弁護士団を送り込み、労働組合はゼネストに入った。

    大英帝国の番犬と揶揄された英印軍までもがイギリスに砲弾を向けた。この結果、裁判の進展とともにインド全土が騒乱状態となり、イギリスがインド支配を諦める引き金になったというのが歴史の真相である。

    25年ほど前、チャンドラ・ボースの肖像画がニューデリーにあるインド国会に掲げられ、市内には「チェロ・デリー」の掛け声も勇ましい軍服姿の銅像まで建てられた。
     
    登山家の川喜多二郎氏がかつてヒマラヤ遠征をした折、ネパールで大歓迎を受けたことがある。その地を治めていた知事がインド国民軍の将校だったことを知るが、インドと日本がともに大英帝国と戦った国同士だったことを強調され、困惑したことを自著に書き記してある。

    中国や韓国と違って、インド人の国民感情が日本に対して概して好意的なのは第二次大戦の最中に起きたインド人と日本との間の数々のドラマのおかげだということを知らずにいると恥をかくことになる。

    ●杉並区に眠り続けるボースの遺骨

    ボースの遺骨は杉並区和田の蓮光寺というところにある。
    蓮光寺にはネルー首相、ガンディー首相らを含め多くの閣僚が参拝している。
    インド大使が着任したときはまっさきにボースの遺骨を慰めるのが恒例となっている。

    杉並区の蓮光寺です ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  日本の中にあったインド独立の原点    インド独立の原点が日本にあるといったら驚く人が多いに違いな


  • 民族の存続を!!






             亡国の危機に戦えず・・・






                       求めたのです!!





                             何を???







    韓国は、日韓併合は日本により強制されたものであり、日本の植民地支配を受けた被害国だと主張しています。

    朝鮮は、663年の「白村江の戦い」で唐の力により日本の勢力圏から脱した時点から、1895年の日清戦争後の下関条約が締結されるまで、明や清などの属国でした。


    1895年(明治28年)に、日本と清国との間で結ばれた下関条約で、清の属国だった朝鮮は清国から独立ができました。

    日韓併合までの時代背景を見ると、韓国の宗主国の「清」は改革に失敗し、ロシアが南下してきて朝鮮半島を脅かしていました。

    大韓帝国(朝鮮半島)は、ロシアの支配下になるのは目に見えていました。

    亡国の危機に大韓帝国はロシアと戦えずに、日韓併合により朝鮮民族の存続を行ったのです。

    1910年(明治43年)に日本と韓国は「日韓併合条約」を締結しましたが、韓国併合は、ロシアに侵略されそうな危機的状況だった韓国側が求めたのです。

    そもそも「日韓併合条約」とは、当時の国際法に則った条約を欧米列強諸国の承認の下に締結しています。

    国際社会の中に在って、英国や米国など一国からの批判も浴びることなく認められ、国際慣例を遵守した正規の二国間条約です。

    日本が朝鮮を植民地にする気があれば、わざわざ韓国の承認を得る必要はなく、武力制圧すればよいので、ここまで平和的な併合は世界にも類を見ない事です。


    韓国は、日本が侵略戦争を行ったとしますが、当時は日本国民だった韓国人も侵略戦争をしたことになるのです。

    下は、栄光に満ちた朝鮮人志願兵のために慰問袋を作るけなげな朝鮮人女子学生たち。

    韓国では、マスコミがこの写真を大々的に、女子挺身隊・従軍慰安婦として動員された女子学生たちと、報道しまくっている。

    慰問袋から慰安婦を火病的に短絡連想したものか?
    慰安婦が慰問袋など持つわけねええじゃないかああーーー!!

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  民族の存続を!!                 亡国の危機に戦えず・・・            


  • レインボーブリッヂは北朝鮮に対する支援を名目として、日本で
    活動しているNGO団体。2000年4月1日に、世界宗教者平和会議
    日本委員会評議員の飯坂良明を代表に、現代表代行の小坂浩彰ら
    により設立された。東京都中央区日本橋に本部を有している.

    2002年には、途上国において燃料として利用されるタイヤチップ
    を北朝鮮に輸送している。この際、茨城県日立港においてタイヤ
    チップを積み込んだ北朝鮮船籍の貨物船チルソン号が座礁する事故
    が発生した。

    同船は船舶保険に加入しておらず、北朝鮮当局も補償
    措置を講じようとしなかったため、茨城県では流出した重油の回収
    作業および積荷撤去作業に4億5千万円以上を税金投入により負担す
    ることになり、船体の撤去費用も2億円以上が投じられた。

    2001年9月17日の小泉純一郎総理訪朝後、横田夫妻に頻繁に接触を
    図るようになり、小坂は横田夫妻に対して、キム・ヘギョン(本名
    はキム・ウンギョン)に会うために平壌を訪問を勧奨し続けたが、
    横田夫妻は小坂の提案に胡散臭さを感じてその話に乗らなかった。

    2006年7月に発覚した三重県桑名市の水谷建設株式会社における脱
    税事件及び使途不明金・裏金疑惑では、同社から3億円相当の中古重
    機の寄付を受けており、これを北朝鮮に向けて不正輸出したことが
    判明している。

    水谷建設は北朝鮮の砂利利権獲得を狙っており、その手段としてレ
    インボーブリッヂを仲介役にしたと報道されており、東京地検特捜
    部では裏金が北朝鮮に送金された可能性について捜査を進めている。



    こいつが小坂浩彰こと博幸  ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  レインボーブリッヂは北朝鮮に対する支援を名目として、日本で 活動しているNGO団体。2000年4月


  • 自分の国にも責任があった!!









                  反日ではなく









                       克日を勧めた大統領もいたのです!!







    大韓帝国は明治38年(1905)に日本の保護国になり、5年後に併合されました。中華思想の観点から見れば、「朝鮮より劣っているはずの日本が、日本より優れているはずの朝鮮を支配した。」という事になります。朝鮮にしてみれば、嫉妬や憎悪が湧き上がってきたのでしょう。しかし、韓国併合は当時の世界情勢と国際法から見ても至極真っ当な物であった事は明らかなのです。


     大東亜戦争で日本は敗戦しました。当時の朝鮮は日本の領土であり、当時の朝鮮人は国籍上は日本人なので「朝鮮系日本人」でした。大東亜戦争とは枢軸国対連合国の戦いであるのに、なぜか朝鮮系日本人たちは「我々は戦勝国だ」と言って暴れだしました。


     大韓民国成立は、中華思想に基づいた反日感情に加え、日本の朝日新聞等の左派勢力から宣伝された「従軍慰安婦問題」等を真に受けた為、ますます反日感情が強くなっていく事になります。親日発言をした言論人などは、社会的地位を失います。キム=ワンソプなどがその例です。

     イラクでは、韓国軍の一人の兵士が「独島は大韓民国の領土です。」と朝鮮語で書かれた板を掲げて自衛隊員2人と並んで撮った写真があります(平成17年8月15日付け朝鮮日報より)。自衛隊員は朝鮮語が読めなかったそうであり、もし意味が分かっていれば撮影には応じなかったでしょう。

     1981年8月15日の光復節記念式典の演説では、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と主張している。

     また、翌年の光復節記念式典においても、歴史教科書問題により、日本人に対するタクシーの乗車拒否が起こるなど、反日感情が渦巻いていた韓国において、前述の通り強硬的な姿勢を見せながらも、「異民族支配の苦痛と侮辱を再び経験しないため確実な保障は、我々を支配した国よりも暮らし易い国、より富強な国を作り上げる道しかあり得ない」と述べ、「克日」を強調した。

    下は、全斗煥元大統領 ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  自分の国にも責任があった!!                         反日ではなく


  • [乗っ取り] 

    京都東本願寺(真宗本廟)・真宗大谷派の人権ギャラリー展に漂う日本〝断罪〟史観  

    [現法主の夫人は韓国人・光市殺人で加害者、弁護団を擁護]
    2015年3月24日

    真宗大谷派の人権ギャラリー展に漂う日本〝断罪〟史観 日朝・日韓関係テーマで日本の加害性のみ強調、なぜか拉致問題は無視


     京都を代表する寺院の一つ、真宗大谷派の本山・東本願寺(京都市下京区)で開催されている「人権週間ギャラリー展」をめぐり、有識者から「日本の加害性のみが強調され、偏っている」との指摘が上がっている。

    豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の展示で民衆を日本に「拉致連行」したことを取り上げ、慰安婦問題のパネルには「性奴隷」の文言も登場する。



     《原子力発電に依存しない社会の実現にむけて》

     真宗大谷派は平成24年2月、65人の僧侶で構成する宗議会を開いて全原発の運転停止と廃炉を求める決議案を可決している。


     ギャラリー展は「古代・中世の日朝・日韓関係と豊臣秀吉の侵略戦争」から始まる。

     中世になると、《日本からは「日本国王使」とよばれた使節がたびたび朝鮮王朝の首都漢城(いまのソウル)を訪問し、仏典の集大成である「大蔵経」を始めとする仏教経典や仏具、仏画、そして高級繊維製品などをもらってかえる》ようになったとパンフレットにある。



     《この戦争の中でも残酷をきわめたものは「鼻削(そ)ぎ」でした。この行為は日本軍に反抗する朝鮮の兵士や民衆に対する刑罰として行われました》

     門徒の男性は「日本だけが一方的に朝鮮の人々をかどわかしたような書き方だ」と訴える。

     主催者側の真宗大谷派解放運動推進本部の本部委員は「私たちの国が一体どういうことをしてきたか。どのように自己批判をする中で次の交流につなげていくか。お互いに『あんたんところ、こんなことしているではないか』というばかりではならない」と話す。


     そのうえで「(記述は)ひたすら朝鮮半島は日本にとって学ぶ対象で、その都度、日本は悪いことをしてきたという内容といえる。一方的な日本側の加害者史観だ」と批判する。

    現法主と夫人の韓国人 ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  [乗っ取り]    京都東本願寺(真宗本廟)・真宗大谷派の人権ギャラリー展に漂う日本〝断罪〟史観 


  • 韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由 崔碩栄(チェ・ソギョン)著 


    筆者は1972年ソウル生れ、韓国の大学で日本学を専攻し、1999年に来日。関東地方の国立大学で教育学修士号を取得、ミュージカル劇団、IT会社などで日韓の橋渡しをする業務に従事しているそうです。

    2009年に韓国に帰国、著作活動を開始し、2010年に韓国で韓国メディアの反日扇動を告発した「キムチ愛国主義- 韓国言論の理由なき反日」を書いたそうです。

    崔氏は、日本に来た時の事をこう書いています。この本のコアの部分ですので、少し長いですが引用します。

    「私は日本に約10年間滞在した。その間、日本の小説、音楽、書籍、映画など、韓国ではめったに接することができない情報に触れてきた。それらの情報の中には当時の私の常識に反する内容のものが少なくなかった。

    私は混乱を起こした。長年持っていた「常識」が、一夜で「非常識」になるような内容すらあったからだ。当時、日本でそれらの情報に触れるまで私の持っていた常識は、韓国で普通に生活していた若者が持つ、ごく普通の常識だったはずだ。(中略)

    私はそこでより多くの資料と情報を自分の眼で確かめることにした。その結果は驚くべきものだった。私が「当たり前」だと思っていたことの中に、数多くの間違いと矛盾が見つかったのだ。韓国の教科書、新聞、TV、政府の発表から次々と出てくる間違いと矛盾に当惑した。」

    そして崔氏は、この韓国の過激な反日は、仕組まれたシステムであると気づきます。

    「韓国社会で生れ、育った人は自然に「反日型人間」になるように仕組まれた社会構造、つまり、「反日システム」が形成されているということである。限られた情報だけを提供する人々、そして、それを利用する人々が構築、運営する「反日システム」の中では、日本は「悪い国」にほかならない。(中略)


    また、サッカーの応援などで旭日旗を使うと韓国では大騒ぎになりますが、興味深い記述がありました。

    「旭日旗を連想させる朝日新聞社の社旗や統一教会のロゴについては何の文句も言わない。その理由はおそらく、マスコミは最初から旭日旗とその文様には特別な意味がないことを知っているからか、あるいは強者には物を言えない体質であるのかどちらかであろう。」

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由 崔碩栄(チェ・ソギョン)著     筆者は19


  • それでも、むごい時代だったと言うのでしょうか???


    日本は、『国立ハンセン病療養所』を朝鮮半島に作っていたんです。
    そして、日本と同じ待遇としたんです。


    日本は一人の患者も殺していません!

    今あぶりだされる歴史の真実とは・・・


    ※特効薬が戦前はなかったから、隔離していたんです。
    ハンセン病の略史:
    1873(M06):ノルウェーのハンセンがらい菌(Mycobacterium leprae)を発見した。
    1907(M40):法律「癩(らい)予防ニ関スル件」制定、隔離政策始まる。
    1931(S06):らい予防法(旧法)制定、全患者が隔離対象になる。
    1943(S18):アメリカで治療薬『プロミン』の効果が発表された。


    小鹿島更生園の前身は、朝鮮総督府令第7号によって、1916(大正5)年に設置された全羅南道立小鹿島慈恵医院である。

    同年11月20日に朝鮮総督府内務部第二課が発令した「患者収容に関する件」(同課第569号)には、「先ず、重症患者にして、療養の途を有せず、路傍又は市場等を徘徊し、病毒伝播のおそれある者に限り、これを収容すること」と明記されており、同病院が当時の旧癩予防法に基づく隔離政策を、「朝鮮」においても遂行する目的で設置されたハンセン病療養所であることは、明らかである。


    朝鮮総督府はハンセン病に対しても、日本で隔離政策を始めた1907(明治40年)から間もない1917(T06)年、全羅南道の孤島、小鹿島(ソロクト)に病院を建設し、患者の隔離を始め、1935年には日本の「らい予防法」と同じ内容の「朝鮮らい予防令」を公布、ハンセン病患者を強制的に隔離・収容した。


    小鹿島更生園は、日本の敗戦によって、日本政府が「朝鮮」における施政権を失った1945年8月まで国立ハンセン病療養所として存続したものである。

    その後多くの患者が日本に密入国してきました。
    なぜなら、李承晩政権はらい病患者を一人残らず殺すことにしたからです。
    そして実際に軍を使って殺してしまったのです。

    日本の朝鮮統治は本当にむごいものだったのでしょうか??
    朝鮮総督府は、日本本土と同様にらい病患者を強制隔離はしましたが、一人も殺してはいません!!


    小鹿島更生園に残る日本統治時代の敬天愛人の碑  ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  それでも、むごい時代だったと言うのでしょうか???    日本は、『国立ハンセン病療養所』を朝鮮半


  • 次々に実態が暴露されていく!





             醜悪な見るに堪えない真実の姿が・・・





    衆人環視の中、それが白日のもとに晒されることをヘイトスピーチというのです。


    いったい誰にとって耐えがたいスピーチなのか・・・
    事実を事実と指摘するだけで・・・

    最大の在日特権とは???
    それは、一切批判をされないということ。
    自分たちに向けられたいかなる批判も許さないということ。
    そしてあらゆる自分たちへの批判を受け付けないということ。

    なぜならば、自分たちは日本の社会、法律、文化等あらゆるものから超越した存在であるからと。
    それは、自分たち在日は特別な被害者、歴史的な被害者であるという妄想に取りつかれそれを固く信じ込むことで、やっとの思いで自分たちの存在をかろうじて支えているという揺るぎない現実があるから。

    戦後、日本の歴史そのもの、日本の存在自体そのものを徹頭徹尾加害者=悪=差別者に仕立て上げ、その結果としての自分たちの被害者=弱者=抑圧されし者としての特権的な特別の存在を、祭り上げることに成功したのです。

    従って、在日に対するどんな形での批判も、在日が少しでも不利になるいかなる事実の暴露・報道も問答無用でヘイトスピーチとなるのです。
    そして、このタブーに対しほんの少しでも挑戦を試みようとすれば、在日はマスメディアまで動員し、一斉に”差別・偏見の助長”になるという呪文を、日本人に浴びせかけてくるのです。

    自分たち在日は永遠に日本人から批判されることのない超越的な特別な存在であると固く信じ切ってきましたが・・・
    そのタブーというか、在日特権が戦後ようやく70年にして、今、打ち破られようとしています。

    それは彼ら在日が、長年日本人に浴びせかけていた呪文の毒気が、さすがに勢いを失い衰え始めたからです。
    多くの日本人がこの催眠術から目覚め始め、自己を取り戻しつつあるからです。
    在日は被害者ではないと。強制連行などなかったと気づき始めたからであります。

    在日の皆さん、あなた方は決して特別な存在ではありません!!
    いかなる批判からも防御されるべきアンタッチャブルな時代は、もう終わりました!!

    神に呪われた、そして神をも憎むルサンチマンはもうやめにしませんか・・・
    かえって、ますます不幸になるばかりですよ!!

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  次々に実態が暴露されていく!                醜悪な見るに堪えない真実の姿が・・・


  • 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、「戦争に負けた六等国の日本人が、二等国の朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!」と叫び、その男性を直江津駅のホームに引きずり降ろした。

    3人組は駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した。

    犯人は3人とも在日朝鮮人で、戦時中は工場に勤務していたが、終戦後は闇米ブローカーに転身した。事件当日も農家から米を買い集め大阪方面に売りに行く途中であった。犯人の在日朝鮮人3人は殺人の容疑で検事局に送られたが、まもなく逃走し行方知れずになったため、司法で裁かれることはなかった。

    拳銃の携帯は法律上は認められていたものの、GHQの指導のもと導入された機種がコルト社製のオフィシャルポリスで日本人の手に余る大型なものであったが、日本の警察官が所持する22口径拳銃より、殺傷力は数十倍高かった。この45口径拳銃の射撃で、衝撃・反動のあまりの激しさのため、手首を傷める公安官がかなりの数に上ったといわれる。

    無法の限りを尽くした朝鮮進駐軍問題が一段落すると、実際の拳銃の携帯は「第1種警備」と呼ばれていた天皇や皇族の警衛、国賓の警護、日本銀行券(お札)の輸送警備時(積卸時の構内警備・輸送中の専用荷物車への添乗)などの際に行われていた。

    なお拳銃の訓練は委託を受けた警察学校で行われていたが、鉄道公安職員の中には国民体育大会のけん銃競技に出場し、警察官よりも高い得点を取って金メダルを獲得した者も存在した。
    また、鉄道公安職員で編成する集団的警備組織(警察の機動隊に相当)として、鉄道公安機動隊が全国で5隊(東京・大阪・札幌・新潟・門司)編成・配備されていた。

    1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、民間企業のJR社員が司法警察権を持つのは適当ではないとされ、鉄道公安職員はJRから離れて警察組織に組み込まれた。

    これが、1発ブチ殺しの鉄道公安官用45口径だ ↓通称“ブタ殺しのヨンゴ(45)”

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、「戦争に負けた六等国の日本人が、二等国の


  • 自作自演??





    火のない所に煙を立てて回っている!!




            うーーーんん!!         失敗だったああーーー!!





    インドネシアでは
    高木健一という「太平洋戦争遺族会」に雇われた弁護士が
    インドネシアで従軍慰安婦の実態調査した際に

    「従軍慰安婦だったと名乗り出た女性には
    200万円(現地通貨に直すと価値は2億円)を進呈する」と宣伝した為に
    2万2千人もの
    自称従軍慰安婦と名乗るインドネシア女性が殺到し
    金銭目的で過去を捏造する女性が存在する事が社会問題になりました

    この騒動に関して
    インドネシアタイムスのジャハム・アリ会長は

    「バカバカしい
    インドネシアに駐留していた日本兵は2万人
    1人の兵士に1人の慰安婦がいたのか?
    この騒動が日本で放送される事は
    両国の友好に何の役にも立たない
    我々には日本罵倒体質の韓国や中国と違って
    歴史とプライドがある
    「お金をくれ」などとは
    インドネシアを360年間も支配したオランダにだって要求していないのに…」


    スノエ社会大臣は

    「今回の事件の発端は日本側だ
    悪質極まりない
    インドネシアの恥部を曝け出し
    インドネシア民族の名誉を傷付け
    両国の友好関係を損なうような日本人グループがいる事が明確になった
    我々は日本人を逮捕できない
    日本人の手で解決してください」


    インドネシア建国の父であるスカルノ大統領は
    大東亜戦争終戦後に
    再びオランダによる統治を開始した事に対し
    ジャカルタのプガンサアン・ティムール通り56番地で
    独立宣言文を読み上げ
    独立戦争を始めるのですが
    その独立宣言文は
    西暦では無く
    皇紀を用いられているのです

    そして
    その独立戦争には
    終戦後に帰国する事なく参加した旧日本兵2000人が参加しており
    彼らはインドネシア独立の為に命を犠牲に戦います

    インドネシアが独立した際に戦死した日本兵は1000人
    つまり2人に1人の日本兵が戦死し自由を勝ち取った国だったからです

    高木 健一(たかぎ けんいち、1944年(昭和19年) - )は弁護士。
    東京大学法学部卒、弁護士開業(1973年)以後、サハリン残留韓国人帰還問題に取り組み、 従軍慰安婦問題やアジア全体の戦後補償問題に関わってきた。


    これが、そのいわくつきの高木弁護士 ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  自作自演??       火のない所に煙を立てて回っている!!              うーーー

  • テキサス親父、グレンデール市議会に


    「慰安婦像は日本人の名誉を毀損している。


    侮辱している」


    マラーノ氏一流の弁舌や論理展開に議会も沈黙



    2017年10月26日




    「テキサス親父」こと、米評論家のトニー・マラーノ氏が、

    慰安婦の像や碑の設置を続ける韓国系団体に、米国の市議

    会で反撃を始めた。

    慰安婦像などの設置を「日本バッシング(叩き)ではない」

    とする米側の主張を逆手に取り、米軍相手の慰安婦「ヤンコ

    ンジュ(洋公主=米軍慰安婦)」の像設置を要求したのだ。
    マラーノ氏一流の弁舌や論理展開に、米市議会も沈黙するし

    かなかったようだ。  

    「日本人の名誉を毀損(きそん)している。侮辱している」

    マラーノ氏は21日(日本時間22日)、カリフォルニア州

    グレンデール市の市議会でこう言い切った。

    これは事前に届け出れば、誰でも市議会で意見を述べること

    ができるパブリックコメント制度を利用したもの。市民以外

    でも参加でき、これまで韓国系団体が日本バッシングに悪用

    してきた制度だ。

    マラーノ氏はまず、「あなたたちの(慰安婦像を設置した)

    目的は尊い」と、皮肉たっぷりで市議らを持ち上げて、こう

    続けた。

    「最近、韓国で新しい慰安婦グループが『韓国政府に1950

    年から92年の間、強制的に慰安婦にさせられた』と言ってい

    る。これはグレンデール市としては、日本や日本の人々に対し

    て、自分たちが一貫性があることを表明するチャンスだ」

    新しい慰安婦グループとは、朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基

    地近くの売春街で米兵相手の売春をしていた「ヤンコンジュ」

    「基地村女性」と呼ばれた韓国人女性だ。

    このうち122人が今年6月、「韓国政府の厳しい管理下に

    置かれて、人権を侵害された」として、朴槿恵(パク・クネ)

    大統領率いる韓国政府に国家賠償訴訟を起こしている。

    マラーノ氏は続けた。

    「貴市は、今ある慰安婦像が『日本や日本人を差別したり、

    侮辱する目的で設置されたわけではない』と証明すべきだ。

    そのためには、新しい慰安婦グループ(=米軍慰安婦)のた

    めの像を設置したらどうか。現在の像の隣に、大理石の記念

    碑などを設置することを勧める」

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ” テキサス親父、グレンデール市議会に   「慰安婦像は日本人の名誉を毀損している。    侮辱している


  •  追悼碑と説明板は、爆心地公園と呼ばれる「平和公園・祈りのゾーン」に「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が建立した。その後、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」を紹介する私設資料館「岡まさはる記念長崎平和資料館」の広告看板を説明板近くに無断掲示していた。岡正治氏は守る会の設立者だ。

     日本軍が強制連行したとする証拠はない「従軍慰安婦」はもとより、説明板にある「(日本は)武力で威かくし朝鮮半島を植民地化した」「人々の土地を強制的に奪った」などの事項は、専門家の間でも、歴史的事実かどうか意見が分かれている。

     市有地に掲げられた文章としては、一方的であり、極めて不適当といえる。ところが、長崎市は市のホームページ「平和・原爆」のコーナーで、この説明文全文を紹介している。碑は昭和57年に、説明板は平成10年に設置期限を迎えたが、市は更新手続きをするよう、守る会を指導することもなく、放置した。

     それどころか、守る会は毎年8月9日に追悼碑前で政治色の強い集会を開催し、昨年は代表の高實康稔長崎大名誉教授が「日朝平壌宣言に基づいて国交を正常化する努力を怠った日本の責任は重大だ」などと述べた。

     慰霊の場が政治利用されてしまう-。この状況を憂慮し、昨年11月、長崎市在住の会社経営、小川茂樹氏が住民監査請求を実施。私設資料館の看板撤去や慰霊・追悼目的に反する使用を認めないことなどを求めた。

     
    朝鮮人が、日英韓の三か国語で書いてたてた大看板(長崎市平和公園内) ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”   追悼碑と説明板は、爆心地公園と呼ばれる「平和公園・祈りのゾーン」に「長崎在日朝鮮人の人権を守る会


  • これは、ビッグデーターだああーーー!!





      日本人の誰もが気がつかなかった、





    こんな客観的なデータ―があったとは!!





    韓国主要紙である東亜日報記事データベースに、「慰安婦」で検索してみた結果資料国主要紙である東亜日報記事データベースに、「慰安婦」で検索してみた結果資料
    『韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由』  「崔碩栄」著

    年度  日本軍慰安婦関連記事数   米軍・国連軍慰安婦関係記事数

    1951-55   1件            17件   (朝鮮戦争)

    1956-60   0件            36件 

    1961-65   0件            56件   (日韓条約賠償交渉          /反日デモ多発)

    1966-70   1件           118件 

    1971-75   5件            39件   (千田夏光が「従軍       慰安婦」造語)

    1976-80   0件            20件   

    1981-85   4件             9件   (83年吉田捏造本    出版)                               

    1986-90   5件             8件   (89年吉田捏造本韓国語で出版)

    1991-95  616件★           3件   (92年朝日新聞慰安婦捏造記事)

    この資料などは、筆者の崔碩栄さんが韓国人だからこそ見つけられる資料と言っても過言ではないでしょう。韓国国内での「日本攻撃」が強まるのが「1991年~」からということが明確にわかりますね。1990年以前の韓国での「慰安婦問題」 といえば、まさに「洋公主(ヤンコンジュ)=米軍向けの慰安婦」への補償問題でしかなかったんです。しかし、米軍も韓国政府も一銭も払ってく
    れない。

    そういう時に、「日本共産党のシンパ・千田夏光」が反日の種をまいたんです。崔碩栄さんの資料が、その後の慰安婦問題は、「日本共産党と朝日新聞の捏造に乗り換える韓国人売春婦の姿」を雄弁に語っているでしょう。 では、崔碩栄さんとはどんな人物なのか。 なかなか興味深いですよ。

    下は、国連軍慰安婦”洋公主(ヤンコンジュ)”の報道 ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  これは、ビッグデーターだああーーー!!         日本人の誰もが気がつかなかった、


  • かわいそう過ぎませんか?





           助けてあげたいとは思わないのでしょうか?





              「お上(警察)はお目こぼし」をしているのでしょうか?





    アラバマ州で売春行為をしていた韓人女性3人が検挙されました。ライムストーン郡保安局は先月29日の午後、65号フリーウェイの近郊パインツリースパ(Pine Tree-Spa)でブラントン・チョン・E(57歳)とキョン・ギョンイム(64歳)、キム・ギョンスク(51歳)など、韓人3人を売春と売春斡旋の疑いで逮捕したと明らかにしました。店舗のパイプの中に隠されていた1万2千ドルの現金が押収されました。

    (ラジオコリア) 

     
     私がいつも不思議に思っているのですが、東京では「新大久保」に「韓国人デリヘル(売春)」があることは「公然の秘密」ですよね。 

    上の記事によると「売春が行われているという地域住民の情報提供が相次」げば、アメリカのように日本の警察も動いてくれるのでしょうか? それとも、「韓国人売春利権」というものがあって、「お上(警察)はお目こぼし」をしているのでしょうか? この辺の事情をご存知の方はコメントください。

       
     もう一つ おかしいと思うのは、「日本軍は朝鮮人を性奴隷にした」と日本の中でも騒いでいる在日連中は、現在進行形でおこなわれている「韓国人売春」については、「止めさせたり」、「警察に通報したり」はしないのでしょうか? 

    伝えられるところによると、韓国から日本に送り込まれた韓国人女性は借金まみれになっており、過酷な状況の中で酷使されていると言います。在日韓国人男性はこういう女性を助けてあげたいとは思わないのでしょうか? かわいそう過ぎませんか?

     それとも、韓国人(朝鮮人)にとっては「売春は朝鮮の伝統的な職業」なんでしょうか? もしかして韓国人の間ではこれは「当たり前」のことなんですか?

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  かわいそう過ぎませんか?              助けてあげたいとは思わないのでしょうか?

  • 韓国で性犯罪増加、朴大統領のせい? 強姦件数、日本の3倍から8年で7倍超に増加





     韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の親友をめぐる国政介入事件に関連して、朝鮮日報(日本語版)が11月22日、「朴大統領のせいで韓国女性の地位が悪化」「性犯罪は増加し、男女間の貧富格差も拡大した」などと、米紙を引用して報じた。

    本当に韓国で性犯罪が増加しているのか。近現代史研究家の細谷清氏が調査し、緊急寄稿した。

     私は、報道の真偽に迫るため、世界各国の情報を収集・公開している国連薬物犯罪事務所(UNODC)と、日本の犯罪白書(法務省)、韓国・警察庁が出している犯罪年鑑のデータを比較した。

     まず、日本と韓国の、強姦を含む「強制わいせつ」について調べた。ちなみに、日本の人口は約1億2600万人で、韓国は約5100万人である。

     2002年時点では、日本が1万1528件で、韓国が6754件だったが、その後、日本が減少する半面、韓国は増加して05年に逆転した。14年時点では、日本が8650件で、韓国は2万1055件と、約2・4倍の差になっている。

     最も卑劣で悪らつな性犯罪である「強姦」についても調べた。

     韓国の強姦件数については、不思議なことにUNODCが04年まで、韓国・警察庁でも09年までしか公表していない。

     日韓両国の09年までのデータで比較すると、01年時点で日本は2228件、韓国は6751件だったが、09年では日本は1417件、韓国は1万215件となっていた。

     「女性の人権」が声高に叫ばれる時代、日本では強姦件数が減少しているが、韓国では大幅に増加しているのだ。両国の差は約3倍から7倍以上に開いている。日本と韓国の人口差を含めて考えると、韓国の強姦件数は尋常ではない。

     冒頭の記事は「朴大統領のせいで韓国女性の地位が悪化」とあったが、一連のデータを見る限り、13年2月に就任した朴氏と関係があるとは思えない。現在進行形の深刻な人権問題として、認識すべきではないのか。

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ” 韓国で性犯罪増加、朴大統領のせい? 強姦件数、日本の3倍から8年で7倍超に増加       韓国の朴


  • 寛大に扱った



          罰則なし



               大量流入




    在日コリアの来歴

    強制連行説の嘘
    参考)「教科書が教えない歴史(4)」 藤岡信勝 平成9年 扶桑社
    年代 法令 日本・台湾 朝鮮

     1938 年 国家総動員法(国民徴用令は1939 年)が成立
     15~45 歳までの男子、16~25 歳までの女子が徴用
     徴用の代わりに、内地の企業による求人活動が許可される
     1942 年 人手不足により、「官斡旋」による募集が始まる
     既に徴用済み日本企業への就職が斡旋される。しかし、雇用先を辞めても罰則なし。

    1944 年 朝鮮に初めて徴用令発布(実質、六ヶ月間で終了)
     既に徴用済み本人の意志を優先した為、達成率は79%に留まる。
    注釈)強制連行は徴用の歪曲であり、その徴用も朝鮮人には中々課されなかった。
     なお、徴用で来日し、残留した朝鮮人はわずか245 人。出典)朝日新聞1959 年7 月13日付

    土地収奪による移民説の嘘(本当の来歴) 

     戦前は、一大畜産地・済州島で牛の疫病が発生して生活難に陥った島民が、当時 存在した済阪航路に乗って大阪に大量流入し、その後全国に広がった。
     大阪や東京では7割ぐらいを同島出身者が占めていた。戦後も在日ネットワークを頼って1970 年頃まで韓国人の日本への密入国が続いた。

     在日における済州島出身者の比率の異常な大きさと、朝鮮半島の総人口に占める 同島民の比率の小ささを考えると、朝鮮総督府の土地調査事業で土地を奪われた農民が、仕事を求めてやむなく来日したというのも嘘だとわかる。
     今日の在日韓国・朝鮮人には、戦後の密入国者とその子孫がかなりの比率を占めている。
     日本政府は、在日の永住権を巡る韓国政府との外交交渉で、密入国者に関しても寛大に扱った。

        米国公文書の秘密文書を調査したブルース・カミングス・シカゴ大学教授 ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  寛大に扱った          罰則なし               大量流入      在日コリ


  • 知らないでは済まされないかも




    各界に広がる在日民による侵蝕




    半島勢力を日本国内へと誘導する。この流れの背景には、あの公明党らが制定に躍起になった「個人情報保護法」がある。この個人情報保護法の制定により、企業の採用活動には暗幕が降ろされることになった。出自や宗教、思想信条など、それらの事項を採用判断に取り込めなくなったのである。

    これが事実と思われたのがみのもんたの朝ズバ!の同番組での韓流ブームの特集に対し毎日新聞の記者のコメント


    鈴木琢磨氏「・・・人間として上手ーくやればですね、北朝鮮に風穴を開ける、ひとつの大きな人間として育ってくれるかも知れないんですね。
    実際に、メディアにも朝鮮学校卒業生はたくさんいるんですよ。もう、ええ。

    そういう現実をもっとですね、、大阪には在日の人、たくさんいます。そこの首長であるあのー、橋下さんはもっと在日社会をリアルに知って欲しいんですね。
    情報収集というのも含めて」

    みの氏「なるほど・・・」
    (毎日新聞編集委員 鈴木琢磨氏のコメント)

    毎日新聞の在日枠による不正入社の在日記者が佐賀県知事にしがみつく



    この次の段階に来るものは何か。同じく、公明党、売国議員らが推し進める韓国の前例をもとに起草した悪法・人権擁護法案である。次の記事をご覧いただきたい。


     マスコミへの脅迫や嫌がされ、在日のパチンコ、ロッテ、サラ金などのスポンサーの圧力、朝鮮系カルト創価学会のNHK,民放支配による恐ろしい情報操作、これだけの在日、韓国、北朝鮮が捏造した歴史がテレビでも新聞でも学校の教科書でも普通に掲載されるという恐ろしい朝鮮人の邪悪な権力です。


     在日のスポンサーの圧力と朝鮮総連の脅迫、嫌がらせにより上記の事実はほとんど報道されません。

     在日枠が事実だと実感させ、唖然したのは去年の夕食中午後7時半頃、NHKはEテレのバラエティで「自己主張できない日本の草食系男子はもてず、自己主張できる中国、韓国人の肉食系男子が持てる」と言う日本人を侮辱するバラエティ番組。もう在日朝鮮人による違法行為によりNHKが乗っ取られている!

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  知らないでは済まされないかも     各界に広がる在日民による侵蝕      半島勢力を日本国内へ

  • 膨大な対外債務!!




    慢性的な債務超過!!




    事実上の破産状態!!




    それで、合併??




    また、一進会は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、
    上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。

    しかし、日本側の併合反対派であった曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に桂首相の指示により遂に受け取られた。


    曾禰が辞表を出したのは5月30日で、直ちに後任には寺内が任命された。
    寺内は、日本国内での意見調整、列強各国に併合についての合意を取り、
    7月15日ようやく東京を発ち、7月23日ソウル入りした。

    ソウルに入ったものの寺内は黙ったまま何ら方針を示さず、半月余りたった。
    8月16日、李完用首相は日本の水害見舞いと称し、趙農相を伴い、寺内の居る統監邸を訪れた。ここで山県副統監を交えた会談3時間に及び、若干の修正にて日韓併合は合意に達した。

    この結果にもとづき李完用首相は8月18日に閣議を開いたがまとまらず、
    8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。
    これにより1910年8月22日の韓国の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定した。

    日韓併合により、日本は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止した。

    女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させた。

    台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させた。

    世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。


    下は、一進会の会長李容九 ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ” 膨大な対外債務!!     慢性的な債務超過!!      事実上の破産状態!!     それで、合


  •  金貴玉教授の調査についても触れられていますが、それよりも多く紙面を割いているのが、 李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学経済学部教授の著書「大韓民国の物語」の記述です。


     そこから少し引用。

    【軍による管理売春は朝鮮戦争当時にも存在しました。ソウル、春川(チュンチョン)、原州(ウォンジュ)、江陵(カンヌン)、束草(ソクチョ)などに慰安部隊が設置されていました】

    【1952年にソウルの3か所と江陵の1か所に収容された慰安婦は全部で89名だったといいます。そして、その年に慰安所を訪れた兵士の総数は20万4000名あまりとされ、慰安婦1人当たり1日平均6名という勘定でした。

    私が会うことができたある従軍経験者の回顧によれば、春川の昭陽江(ソヤンガン)の川辺にはいくつもの天幕が張られており、兵士たちがずらっと列をなして順番を待っていたといいます】

     朝鮮戦争終結後も、このような状況は続きました。戦後も米国軍が韓国に駐留したためです。

    【1962年段階で登録されていた2万名以上の慰安婦が、6万5000名の米兵に性的なサービスを提供していました。(中略)記録を読むとショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルが1962年当時の相場でした】

     李栄薫教授は慰安婦問題はじめ日本統治時代の朝鮮の実態を明らかにしたことにより、韓国では売国奴として批判を浴び続けています。

     ナヌムの家で土下座謝罪させられたり、「教科書フォーラム」で殴られたり……。

     しかしながら、李栄薫教授は今もソウル大学で教鞭を執っています。
     辞職要求まで出されながら未だに追放されずにいることを、不思議に思う日本人も多いのではないでしょうか。


     李栄薫教授自身が軍経験があり、著書も軍関係者に調査した話などで構成されていて信頼性も高いからだそうです。

     そもそも、1950年以前に生まれた韓国人にとって、慰安所があったことは公然の秘密で、韓国の軍記物小説には、絶対と言っていいほど、慰安婦が登場していたとのことです。

     ついでに言えば、この週刊新潮の記事では、韓国軍だけでなく、米国軍、英国軍、ドイツ軍、フランス軍の慰安婦事情も紹介されています。

    この人が知性と理性の人李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学教授 ↓

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”   金貴玉教授の調査についても触れられていますが、それよりも多く紙面を割いているのが、 李栄薫(イ・


  • 隠蔽された報告書!!





                 意図的に無視され続けられた報告書!!





         ドン タッチ!!  いまさらその報告書に触れるな!!・・・





              歴史は虚構があってこそ成り立つのだ!!





    米軍作成の捕虜尋問報告書(1944)

    日本人がどのようにして韓国人「慰安婦」を募集したか、彼女らの生活、仕事の状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、そして彼らの軍事情勢に対する理解度を明らかにする目的で、北ビルマ(現:ミャンマー)のミートキーナー(ミチナ、Myitkyina)で捕虜となった慰安所経営者の日本人夫婦及び朝鮮人慰安婦20名に対して、米国陸軍の戦争情報局心理作戦班が「戦闘地域の日本軍の売春所」と題する報告書を1944年9月に作成、同年11月、米軍の東南アジア翻訳尋問センターが作成した尋問報告書の中に含まれていたこの報告書は、29年後の1973年に公開された。

    以下、主な内容。

    ? 「慰安婦」とは、日本軍に特有の語で、軍人のために軍に所属させられた売春婦もしくは「職業的野営随行者」(professional camp follower)に過ぎない。日本軍は1942年にこのような朝鮮人慰安婦を703人ほどビルマに向けて出航させたと報告されている。

    <留意>
    camp followerを野営随行者と訳しているが。キャンプ追っかけ者と訳すべきか。少なくとも、米軍尋問官が報告書に記載した、このfollowerという言葉からは、まったく強制という意味は感じられない。米軍捕虜尋問官も、強制という認識をまったく持ち得なかったという明白な証拠になる。

    ? 彼女らの大半は無知で教育も受けていなかった。以前から「地球最古の職業」(売春)に関係していた者もわずかながらいた。彼女らは、家族の借金返済の為に前借りした借金額に応じて6ヶ月から1年、軍の規則と慰安所の経営者のための仕事に従事する契約に署名した。


    ? 秦郁彦は「資料的価値は高い」とし。小林よしのりは、同報告書の内容は、それまでに伝えられていた慰安婦の生活状況が悲惨であるということとは程遠く、むしろ恵まれていたのではないかと主張している。

    下の写真は、連合国軍にビルマのラングーンで尋問される日本軍慰安婦の女性

     ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  隠蔽された報告書!!                    意図的に無視され続けられた報告書!!

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