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男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、「戦争に負けた六等国の日本人が、二等国の朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!」と叫び、その男性を直江津駅のホームに引きずり降ろした。

3人組は駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した。

犯人は3人とも在日朝鮮人で、戦時中は工場に勤務していたが、終戦後は闇米ブローカーに転身した。事件当日も農家から米を買い集め大阪方面に売りに行く途中であった。犯人の在日朝鮮人3人は殺人の容疑で検事局に送られたが、まもなく逃走し行方知れずになったため、司法で裁かれることはなかった。

拳銃の携帯は法律上は認められていたものの、GHQの指導のもと導入された機種がコルト社製のオフィシャルポリスで日本人の手に余る大型なものであったが、日本の警察官が所持する22口径拳銃より、殺傷力は数十倍高かった。この45口径拳銃の射撃で、衝撃・反動のあまりの激しさのため、手首を傷める公安官がかなりの数に上ったといわれる。

無法の限りを尽くした朝鮮進駐軍問題が一段落すると、実際の拳銃の携帯は「第1種警備」と呼ばれていた天皇や皇族の警衛、国賓の警護、日本銀行券(お札)の輸送警備時(積卸時の構内警備・輸送中の専用荷物車への添乗)などの際に行われていた。

なお拳銃の訓練は委託を受けた警察学校で行われていたが、鉄道公安職員の中には国民体育大会のけん銃競技に出場し、警察官よりも高い得点を取って金メダルを獲得した者も存在した。
また、鉄道公安職員で編成する集団的警備組織(警察の機動隊に相当)として、鉄道公安機動隊が全国で5隊(東京・大阪・札幌・新潟・門司)編成・配備されていた。

1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、民間企業のJR社員が司法警察権を持つのは適当ではないとされ、鉄道公安職員はJRから離れて警察組織に組み込まれた。

これが、1発ブチ殺しの鉄道公安官用45口径だ ↓通称“ブタ殺しのヨンゴ(45)”

 ”バカ社長にひとこと言いたいぞ”  男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、「戦争に負けた六等国の日本人が、二等国の

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