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     日本、外国、どこでもどうぞ。

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    <続・『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』の湿原>

    前稿の誤記訂正 ×つまらないと感じる人もよう。
    ○つまらないと感じる人もいよう。

     お話はシンプルである。19世紀末頃、ロンドンの法律事務所に勤める若い弁護士キップス(ラドクリフ)は、早世した妻との間に生まれた幼い息子を男手で育てているが、忙しくてわが子と遊ぶ機会もあまりなく、メイドに任せている。
     田舎で亡くなった富豪老夫人の遺産相続関係書類をさがすという仕事を上司に命じられたキップスは、息子をロンドンに残して出張し、その夫人の邸宅に赴く。古めかしい無人の邸宅は、広大な湿原の中に、木立に囲まれてぽつんと建ち、海が満潮になると村からの通り道がなくなるという。
     村人たちはなぜかキップスに敵意を示す。ただひとり親しくなった村の有力者デイリー(ハインズ)から、村の子どもたちがつぎつぎ亡くなるという話を聞く。村人たちは、子どもたちが亡くなるのはあの邸宅に原因があると思っているらしい。
     デイリーや村人の阻止をおしきって、キップスは不気味な館に足を踏みいれる。古い人形、仮面、絵、玩具がそこここに飾られ、異様で怪奇な雰囲気が館全体をつつんでいる。
     書類をさがしながら、なにげなく窓から外を見たキップスは、木立の間に、黒衣の女の姿がちらりと見えたような気がする。そして怪異がつぎつぎに始まる。書類探しの仕事のかたわら、キップスはその謎を解こうとして、危険な冒険に入っていく。

     ◇ ◇

     ストーリーを書くのはこのへんで止めるが、全体の雰囲気作りは見事。特に不気味な館のセットは最高で、ゴシック・ホラーファンならうれしくなるのではないか。日本の「見ざる聞かざる言わざる」の木彫りがマントルピースの上に飾ってあるのは、たぶん当時の英国富豪の間に東洋趣味が流行していたためだろう。中国や日本やインドなど東洋の飾り物、そしてこれも当時の流行だった博物趣味をほうふつとさせる標本などが出てきて、楽しくなる。
     ゼンマイ仕掛けの猿の人形のガラスの目玉に、キップスが持つろうそくの光が反映して、人形が生きているように見えるのには、うーんとうなった。撮影の手柄。
     ただ、全体として、こういう「小技の怖がらせ」が多く、あっと叫びたくなるようなすごい恐怖の演出はあまりない。小さい声で「きゃっ」と言いたくなるシーンが多い。
     抑制されているせいで、作品全体に品が出ているのは確かだ。長所でもあり、弱点でもあるというところか。
     最大の山場は、キップスが、湿原のどろどろの泥炭地で、「あるもの」(ネタばらしは避ける)を掘りだそうと、全身泥まみれになって苦闘するシーンだ。ここだけは「小技の怖がらせ」とはひと味違い、手に汗にぎる。
     主演のラドクリフの演技は、非常に巧いというほどではないが、努力賞ものというところ。今後、演技を磨き、作品に恵まれれば、大成するのではないか。私はハリーポッターシリーズを見たことがないので、この人の演技は初見参だ。

     ◇ ◇

     館内部はスタジオセットと思われるが、建物や外の景色はロケだろう。海に臨む広大な湿原で、満潮時には陸地との道が水没する場所。ちょうど、フランスのモンサンミッシェルのような感じだ。
     英国にそんな場所があるのか、どこかなと思って調べたら、イングランドの、ロンドンから比較的近いピーターバラという場所でロケをしたとあった。湿原と大聖堂で有名な場所らしい。

  • <『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』の湿原>

     地上波テレビで放映されたのを録画して観た。
     2012年英国映画。監督はジェームズ・ワトキンズ、主演は『ハリー・ポター・シリーズ』のダニエル・ラドクリフ。ほかにキーラン・ハインズが重要な役を務めて全体をひきしめている(この人の好演がなければ、だいぶ印象は違っただろう)。

     原作は英国女性作家のゴシック・ホラー小説(私は原作は未読)。映画もまさしく正統派古典ゴシック・ホラーそのもので、好きな人にはこたえられないだろうが、ゴシック・ホラーそのものが嫌いな人には駄目だろう。観る人を選ぶ作品といえる。最近のホラーによくある「ひねり」やどんでん返し、あっといわせるような奇手はまったく出てこないので、つまらないと感じる人もよう。
     一言で言えば、巧みにつくられたお化け屋敷の怖さおもしろさである。しかしそれだけにとどまらず、ラストに少しほのぼのとした感じを添えて、余韻を残している(ラスト自体は悲劇)。
     長くなりそうなので続きは後で書く。(つづく)

  • >>2366

    <続・日本のお役所仕事>

     前稿に、当スレッドの過去ログ投稿にあった、東南アジア某国の日本人学校の保護者の体験を書いた。
     書いた後で思いだしたことがある。投稿者の方(保護者のひとりとして、そのとき日本人学校にいた)は、大意つぎのようなことも記していた。
    「保護者たちが大変怒った理由は、単に校長の言い訳が子どもたちの安全より、自分の保身を優先していただけではない。その場には軍当局の軍人もいて、校長に向かい、焦燥感をあらわにして以下のような内容の抗議をしていたという。
    『われわれが反乱軍と話をつけて、まず日本人学校の子どもたちを先に解放するようにとりはからったのに、なぜぐずぐずしているのか。どうしてすぐに子どもたちを保護者に渡そうとしないのか。時間に限りがある』」

     ◇ ◇

     外国といえども正規の軍隊は要するに公務員組織だろう。その国の公務員たる軍人は、「日本の公務員は、差し迫った子どもたちの安全より、本国の監督官庁の指示を優先するのか」と不思議だったに違いない。

     ◇ ◇

     これとは話は全然違うが、ISISなる組織に拘束されて殺害されたお二方の日本人に関して、
    「自己責任」
    という声が結構あると聞く。
     お二方が危険地域に足を踏みいれたのは、確かに「自己責任」であるのは間違いない。
     だが、注意するべきことがある。海外の日本人の行動に、本人の自己責任があるということと、日本政府およびその出先機関の役人に、海外邦人の生命を守る義務があるということとは、まったく別の話だ。
     「自己責任だから、日本政府は生命を守る義務がない」という論旨は全くの間違いである。
     イラク人質事件の時に、時の小泉首相が冷酷な(と私は感じた)表情でテレビカメラに向かい、「自己責任ですね」と言い放って以来、自己責任なる言葉が政治家や官僚などに都合よく使われているな、としばしば感じる。
     「自己責任だから、政府は助ける義務はない」がまかり通るのなら、政府の存在する意味はない。国民の生命を守るのが政府の第一の義務だ。もしそうでないのならば、もはや無政府状態である。過去ログに書いたホッブズの
    「自然状態(=無政府状態)では、人は人に対して狼になる」
    が容易に現出する社会になる。
     繰りかえすが、危険地帯に自分の意思で行く日本人には自己責任は間違いなくある。だが、そのことと、政府がすべての日本人の生命や安全をまもる義務を負うということとは、全く別の話なのだ。

     ◇ ◇

     個人的には、後藤氏がISISの主張(プロパガンダ)のようなものを述べさせられたのは、まことに不幸だったと思う(もちろん脅かされ、強制されたのだろう。もし日本にいる家族をたてにとられれば、反抗できない)。
     自分の言葉を武器とし、自分の言葉で勝負するジャーナリストとして、生涯の最後を、まったく自分の本意ではない言葉でしめくくるというのは、この上ない不幸だ。非常に無念だったろう。
     後藤氏のような著名ジャーナリストではない私だが、言葉で勝負する物書きの世界の片隅にいる身として、真っ先にそう感じた。

  • >>2365

    <日本のお役所仕事>
     訂正。前稿の「臨時旅券」というのは俗称で、日本では正式には「帰国のための渡航書」というそうだ。国によってそれぞれ別の呼び名があるようだが、旅券を紛失した人が急いで帰国するための、正規旅券代わりの文書である。
     また、杉原千畝氏が出したのは旅券ではなく、ヴィザ。

     前稿の続き。数年前、このスレッドの過去ログ(削除済み)に、ある投稿者の方が次のような内容を書きこんでいた。記憶に頼って書く。
     その方が仕事で東南アジアの某国に駐在中、お子さんは現地の日本人学校に在学していた。東南アジアの政情が安定しない国々では、日本では報道されない小さなクーデターや、軍の一部の蜂起、ちょっとした内戦(というのは大げさだが)などは、日常的に起こっているという(同様のことを友人複数からも聞いたので事実だろう)。ほとんどはすぐに沈静化するので、現地人や駐在の日本人は慣れっこになっているが、子どもとなると話は別だ。
     あるとき、軍の一部がちょっとした反乱を起こし、一定地域を制圧するという事件があった。お子さんの在学する日本人学校もその中に含まれ、教職員や生徒たちは反乱軍によって外出禁止令を受け、校内に閉じこめられた。保護者たちがわが子を心配して学校につめかけ、事態の好転を待った。
     数時間後、校長が保護者たちに向け、次のような発表をした。「軍当局から連絡があり、反乱軍と話をつけて、生徒たちだけは先に解放することになったとのことですが、少しお待ちください」。
     保護者たちが「なぜすぐに子どもたちを解放できないのか」と校長に詰めよると、校長の答えは次のようなものだったという。
    「日本の文科省に連絡して、OKの返事をもらわないと、私の一存ではできません」
     保護者たちは怒り心頭だったという。幸い、文科省のOKがほどなく下りたと見えて、生徒たちは無事解放された。
     
     ◇ ◇

     保護者たちの怒りはもっともだが、日本のお役所とはそういうものだというのも事実だ。校長はしょせん、現場の出先機関の一公務員にすぎない。日本の文科省の許諾を得ずに「独断」で決めてしまうと、後でそれこそ「自己責任」をとらされ、処分されるのではないか、と恐れる気持ちはわかる。それが正しいというのではない。日本の役所とはそういうものだ、という意味である。だから本末転倒、肝心の子どもたちの安全や保護者の感情より、保身を優先するようなことになる。
     お役所とは世界中どこでもそういう性質のものだろうが、わけても日本のお役所はとりわけ、それが強いのではなかろうか。多くの役人(軍人含む)が「これは間違っているのではないか」と感じつつも臨機応変の措置をだれもとらず、惨憺たる敗戦を喫した太平洋戦争の経緯を見ると、そのことを痛切に感じる。

     ◇ ◇

     かなり前だが、外務省に問い合わせをしなくてはならない用事ができたため、該当すると思われる同省部署に電話したことがある。
     電話口に出た係員は、私の問い合わせ内容を長々と聞いた後、「それはうちの部署ではないので電話を回します」。
     およそ十分近く待たされたあげく、やっと電話が別の部署に回った。さっきと同じ問い合わせ内容を長々とくりかえすはめになった。そのあげく係員は「その担当はうちではありません。○○課(さきほどの部署)です」。
    「しかし○○課の方はそちらだと言っていましたが」と言うと、
    「さあ、それは知りません。とにかく、うちではないので、電話を回します」。
     またえんえんと待たされ、○○課に電話がもどって、同じことの繰り返しになった。その間四十分近く。私のかけた電話であり、電話代は私持ちである。らちがあかないし、時間とカネがもったいないので、とうとう「もうけっこうです」とこちらから電話を切った。結局、その用件は解決しないままだった。
     民間企業ならもっとましな応対があるのではないか。担当部署がはっきりしないのなら、少なくとも一度は電話を切って、かけなおすのが当たり前だろう。
     電話口に出た係員の応対もいかにも事務的でつめたい感じだった。
     外務省が省庁のうちでもとりわけ不親切で、つめたいというのは知っていたが、自分で体験してみて、本当にあきれかえった。
     もっとも後日、その話を友人にしたら、友人いわく、
    「外務省の上のほうに親しい人がいれば、一発で話がつながるよ。臨時旅券も、外務省の上と親しければ、すぐおりる」
     まあそんなところだろう。
     この体質は変わらないのだろうか。
     外務省がこんな体質では、無名の一海外旅行者が海外でテロなどにまきこまれても、安全は保障されないだろう。

  • 海外旅行者の安全
     海外旅行する日本人の間では、「重大トラブルに遭遇したら、決して現地の日本大使館や領事館に助けを求めてはいけない。米国大使館や領事館に行け」という「常識」があるそうだ。私も何度か人からこれを聞いた。
     幸い、私はまだそれほど重大なトラブルにはあっていない。しかし残念ながらこの「常識」は事実だろうな、と、2004年のスマトラ大地震の時に感じた。
     この時の大津波でインドネシアはじめ周辺各国に大勢の犠牲者が出たのは周知の通りである。インドネシアに滞在している知人に連絡がとれなくなったため、心配した私は、インターネットにもうけられた日本人被災者の連絡サイトを一日中見ていた(被災者の氏名なども判明次第記載された)。
     そのサイトで、個人情報は不明だがたぶん比較的若い日本人男性旅行者と思える方の、つぎのような内容の書き込みを読んだ。
     その方はタイを長期単身旅行中で、地震発生時、タイのビーチリゾートに滞在していた。津波が迫ったため、旅券も財布もホテルに置きっ放しのまま、大混乱の中、着のみ着の状態で、命からがら逃げ出した。
     そこからなんとか交通手段を講じて、とりあえずバンコクに行った。バンコクも大混乱状態である。一刻も早く帰国しなければと思って日本大使館に急ぎ、臨時旅券発行を申請した。ところが係員の答えは、「平常通り、一週間以上かかります」。財布もないのに一週間もどうすればいいのか、旅行者の方は途方にくれたが、「命からがら逃げてきたので、せめて大使館のシャワーを使わせてくれませんか」と頼んだ。答えは「だめです」。
     ひとりに使わせたら、後から後から来て収拾がつかなくなるからだろうが、なんと冷たい答えかとその方は憤りを感じたという。その足でバンコク国際空港に行ってみたら、すでに出発フロアに駐タイ各国大使館や領事館が臨時旅券発行ブースを設けて、殺到する自国民に片っ端から臨時旅券を発行し、どんどん出国させていた。
     災害時にはどんな国も自国民保護だけで手一杯で、外国人まで保護する力はない。外国人旅行者の世話は当該国の出先機関がやり、じゃまにならないようにどんどん出国させるのが当たり前である。
     その旅行者の方は、「日本が空港に臨時旅券発行ブースを設けたのは数日後だった。なんと日本の出先機関は日本人旅行者に冷たいのか。ぐずぐずしていて、現地の政府に迷惑をかけるつもりか、本当にあきれた」という意味のことを書いていた。文章からも憤懣がよみとれた。

     ◇ ◇

     その旅行者の体験がすべて事実であるという前提のもとで書くが、日本の外務省は日本から来る「偉いさん」の接待や、現地要人との人脈づくりや社交ばかりに熱心で、現地の日本人、特に無名の旅行者にはひじょうに冷淡だと言われる。帰国後の出世や、情報を得るための現地要人との社交に熱を入れるのは当然だが、外国にいる自国民の安全の保護もまた、外務省出先機関の義務ではないのか。上の方が書いているとおり、特に災害などの非常時には、現地政府に迷惑をかけないためにも、在外日本人を保護するのは在外日本出先機関の第一の仕事ではないのだろうか。
     日本のお役所仕事の特徴として、「前例通り」「上の人や先輩の指示には絶対服従」「下の者がその場で臨機応変に判断することができない」が挙げられる。第二次世界大戦時、自分の判断で亡命ユダヤ人に旅券を発行した日本人外交官杉浦千畝氏が当時の外務省から処罰されたのはその好例だろう。
     話はとぶが、日本の裁判で再審が非常に難しいのも、日本のお役所仕事に上記の特徴(欠陥)があるからだとされる。
     さらには、第二次世界大戦で日本が惨憺たる敗戦を喫したのも、「前例通り」「上の者の指示は絶対」「臨機応変の判断は不可」ということのせいであるといわれる。大日本帝国憲法の欠陥(統帥権独立)ゆえの軍部の暴走とされるが、軍部は要するにお役所だからだ。
     この点についてはもう少し書く。

  • >>2362

    『天使の詩』のフィレンツェ

     dvdで観た。念のため、ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』(1987年、ドイツ映画)ではなく、1967年のイタリア映画である。『ブーベの恋人』などで叙情的な演出を見せた往年の名監督ルイジ・コメンチーニの1967年イタリア映画。主役の子役ふたりの愛くるしさが人気を得て、かなりヒットしたという。
     英国の女性作家の小説を原作とする家庭悲劇で、ストーリーは地味である。原作では、主人公は英国の荘園貴族にして上院議員の父と息子だが、映画では、舞台はイタリアのフィレンツェに移され、フィレンツェ駐在の英国領事父子の話となっている。英国領事役は脇役などで名演を見せた名優アンソニー・クエイル。子役ふたりはいずれもオーディションで選ばれた素人だという。

     ◇ ◇

     英国領事は病気で愛妻を失う。残された子どもたちは十歳の兄アンドレアと、母親似で病弱な弟ミーロ。父はミーロの健康を気遣って母の死をおしえず、しっかり者と見えるアンドレアに「弟に母の死を絶対に言わないように」と言う。仕事で多忙な父は、息子たちの世話は女性家庭教師に任せている。アンドレアは弟のサポートに幼い心を砕くが、父はアンドレアの心理の重荷を察することができず、ただミーロばかりを気遣う。領事の伯父はアンドレアの心理を推察して警告するが、領事は斥ける。
     アンドレアはストレスのうっぷんばらしに街で一人で遊んだりもする。自邸の庭園にある「度胸試しの枝」と称する危険な枝にぶらさがって遊んでいるうち、枝が折れ、生命にかかわる重傷を負う。医師は「万一助かっても、一生半身不随になる」と領事に宣告する。
     ここにいたってようやくアンドレアの心理を察した父は、息子の病床で「お父さんがわるかった。お父さんはお前を心から愛している」と告白する。それまで「歩けなくなるのならお母さんのもとに行きたい」とうわごとを言っていたアンドレアは、父の告白に「ほんとう? それなら、歩けなくてもいい。生きたい」と言うが、その直後、容態は急変し、アンドレアは息をひきとり、天国の母のもとに去る。

     ◇ ◇

    「上の子より、下の子のほうがかわいい」というのは多くの親が言う台詞だが、この映画が言いたいのはそういうことではなく、「親の愛を受けることができなかった子と、子の心理を察することができなかった親の、すれちがいの悲劇」だろう。アンドレアが母親似で病弱、ミーロがそうでなかったとしても成立する物語だ。世の中のすべての親に警告を発する、普遍性のあるテーマである。
     コメンチーニの繊細な演出が光っている。役者のすべての動作に、監督が託したメッセージがこめられているのがわかる。未見の方、とくに幼い子どもを持つ親御さんには一見をおすすめしたい。

     重い悲しい物語を救っているのは、フィレンツェロケの美しさだ。アンドレアがいっぱしの不良ぶって
    ひとりで映画を観に行くシーンの、アルノ川の夕景。幼い兄弟が雑踏の中を歩くポンテ・ヴェッキオ。おそらくフィエーゾレの丘にある領事邸と広大な庭園。 
     観光客がつねにあふれている街だが、ロケでは極力観光客の映像を排しているかのようだ。何度か旅したことのある街だが、また行ってみたくなった。

  • >>2351

     遅すぎる亀レスですみません。
     ずっと忙しくて、Yahoo!掲示板に書きこむ暇が全くありませんでした。
     たぶんここをごらんになってはいないと思いますが、とりあえず返信します。
     リンクしてくださったサイトを見ましたが、登録制ですね。登録制のものにはあまり慣れていないのですが、時間がありましたら登録してコメントします。
     もっとも私は登録制のものが苦手で、ツイッターなどもたまに少し見るだけで、アカウントもとっていませんし、書き込みもしたことがありません。SNS的なものが大繁盛の時代ですが、全く無縁です。
     とにかく、返信が遅れてしまい、たいへん申し訳ありません。

  • ドライブ好きです。
    「元気なシニアDE旅仲間」募集しています。
    サイトコメント戴けたらと、思いsます。
    http://www.senior-navi.com/user/circle/detail223.html

  •  半年程度も忙しくて書き込みする時間がもてなかったが、ひさびさに書き込み。
     これの前の投稿に書いた、年末に観たテレビ番組でいきたくなったのは、NHKのBSで放映された『里山 命めぐる水辺』の琵琶湖畔。琵琶湖に流れ込む川を水路としてとりこみ、じょうずに生活に利用する「川端」がテーマである。
     ドキュメンタリーだが、映像がきわめて美しく、視聴者の評判も上々らしい。私がはじめて観たのは、確か2004年の地上波だったと思うが、その後も何度も再放映されている。
     
     琵琶湖で漁をする漁師のおじいさん夫婦の生活を軸に、川端と人々のつながりを描いているが、番組放映後、静かだったこの地域を訪れる旅行者が増えたとのこと。
     決して観光地などではないので、住民の迷惑を考え、今では、行政に連絡して見学を予約し、ボランティアガイドの案内で見学することになっているそうだ。
     昔、京都に旅した時、琵琶湖畔のホテルに宿泊したこともあるが、川端はまだ観たことがない。行ってみたいが、予約が必要などはどうも荷が重い。
     この番組についてはまた書きたいと思う。

  • >>2347

     年末年始、映画はあまり見なかったが、テレビ番組で見て行きたくなった場所はある。それを書きたいが、その前に首相の靖国参拝の続き。

     ◇ ◇

     安倍首相は「戦後レジームからの脱却」をとなえているそうだ。具体的にどういうことを意味するのか、私にはさっぱりわからない。
     が、レジームとは「体制」の意味だから、戦後レジームというのは要するに「東京裁判によって戦後処理の枠組みがつくられた現在の世界の体制」の意味だろうという。

     東京裁判によって戦後処理の仕組みがつくられたのは確かだし、東京裁判が最初から最後まで連合国側の都合で決まった裁判というのもそのとおりだろう。その結果、現在の世界体制ができているのも事実だと思う。
     そこから脱却するとして、どのような方法をとるのか、安倍首相が描いている「新しいレジーム」というのがどんなものなのか? まったくわからない。
     考えられるのは、戦前、日本が国際連盟を脱退したような、全くの愚行しかないのだが。安倍首相はまさかあの大失敗をもう一度くりかえすつもりではあるまい、と思う。
     
     ◇ ◇

     ネット右翼と言われる若者層は「東京裁判は連合国側に都合の良い一方的な裁判だった」として、東京裁判に否定的な意見をとなえているようだ。
     連合国側の都合で決まった裁判ではあるが、実は日本からみてかなり甘い裁判という側面もあるのだ。ネット右翼の若者たちはそれを知らず、「連合国側に都合がよいということは、日本にとって都合がわるいことばかり」と思いこんでいるのではなかろうか。

     日本に都合がよいひとつは、戦争犯罪の責任が戦犯にかぶせられ、天皇や国民の責任が「無かったこと」にされたことだ。
     大日本帝国憲法は立憲君主制とはいえ、統帥権が天皇にあったから、軍を動かせるのは天皇だけだ。よって天皇の戦争責任は本当ならば免れえず、天皇制廃止になり、天皇が刑に処せられてもやむをえなかった。
     しかし、米国は当時、ソ連との対立と冷戦をみこしていた。天皇制を廃止すれば、日本は共産化する。それは米国にとってはなはだ不利なことだ。
     そのため、米国は日本を共産化させず、共産勢力からの防波堤として生かすために、天皇制を保存することを決定した。だから天皇の戦争責任は無にされた。
     そのうえ米国は、日本を早く復興させないと共産化のおそれがあると考え、日本の経済的発展を助ける方針をたてた。朝鮮戦争特需はその現れである。

     東京裁判で日本に甘い点の二番目は、植民地政策について不問にふされたことである。これは連合国側にも植民地保有国があったためだ。

     また、戦争末期、餓えた日本兵のおこなった人肉食(大岡昇平の『野火』など文学の題材にもなっている。証言もある)も不問にふされた。
     理由は、被害者の数が多かったため、これを国際的に明らかにすると、日本に対する外国からの非難が殺到し、日本が立ちなおれなくなることを米国がおそれたからだとされる。

     そのほかにも賠償問題などで甘い点があるのだが、これ以上は触れない。
     とにかく、東京裁判が日本に対して不当に厳しかったという意見は、間違いだ。
     ドイツのように分裂させられたり、数カ国に占領されたりせずに済んだのもたいへん日本には幸いだった。

     ◇ ◇

     安倍首相はもちろんこれらの事実をふまえて、戦後レジームからの脱却をめざしているのだろうが、いったいどういう画を描いているのだろうか。
     この首相は日本と日本人をどこへ連れていこうとしているのか。
     もし、たいした考えも具体的な画もなく、靖国参拝をしたり、戦後レジームからの脱却を言っているのだとしたら、あいた口がふさがらない。

  • >>2346

     首相の靖国参拝問題に関してネットの匿名の書きこみを見ると、
    「よくやってくれた」「参拝に大賛成」
    というような書きこみが多い。匿名のネット書きこみは無責任な放言も多いし、きちんとした考えを持ち、言論の場を持っている人は、匿名ネットの書きこみなどはあまりやらないだろう。だから匿名ネット書きこみは、いわゆるネットウヨクとやら呼ばれる、知識のない、あるいは知識の偏った若者が多いのだろうとは思う。
     
     ◇ ◇

     前稿で書いた津村節子は、熱心な愛国少女として教育を受け、戦後のおとなたちの一斉転向にショックを受けた。
     おとなたちがなぜ転向したか。それは、当時日本を統治していた米国が、戦後の冷戦を見こして、戦争責任を日本国民全体に求めるのをやめ、軍部と政府に戦争責任をかぶせたからだ。天皇の政治責任も、日本統治の都合上、うやむやにさせられた。

     米国の方針およびそれに沿った東京裁判の結果、日本国民は、
    「わるいのはわれわれではない。軍部や政府がわるい。われわれは、軍部や政府にまんまと騙され、のせられた被害者だ」
    と本気で思いこむようになった。原爆を二発も落とされ、全国の都市大空襲で日本中を焼け野原にされたことが、被害者意識に拍車をかけた。
     国民が被害者であることは間違いではない。召集令状は拒否できないから、召集されれば戦場に行く。行けば敵兵を殺さざるをえない。
     全体主義体制だったから、戦争反対の声をあげれば非国民とされ、投獄された。「日本は負ける」と井戸端会議で言っただけで、隣組の人から密告され、逮捕された時代である。

     だがそれでも、日本国民から成る日本軍がアジアを侵略したのはまぎれもない史実である。いかに右翼的な人でも、これは認めざるを得ないだろう。アジアの解放とか、大東亜共栄圏なんてものがお題目にすぎなかったのは、当時の政府や軍部の史料を見れば一目瞭然だ。
     「国民は被害者であるだけではなく、加害者でもある」ということは、一般国民には心情的になかなか受け入れられない。
     戦勝国国民は、自分たちが加害者でもあることを当然受け入れないだろう。本当は戦勝国といえども戦った以上、加害者としての側面がまちがいなくあるのだが、認めない国民が多数だろう。まあそれは仕方ない。政治や国際関係は正義だけでは動かない。
     
     他方、敗戦国は「国民は被害者であるとともに加害者」を認めるように世界から要求される。敗戦国ドイツの国民も被害者意識がつよく、加害者としての見方がなかなかできなかったとされる。が、ドイツの場合、ナチスがいためつけた周囲の国々との良好な経済関係がなければ戦後復興ができないので、比較的早く、加害者としての国民の立場を認め、外交的にもそれなりの和解や謝罪そのほかの措置をとった。
     
     ところが日本は戦後、米国に単独占領され、その後も経済的にも米国一国に従属したため、アジア諸国への加害者意識が薄くても済んだ。
     今まではそれでなんとかきていたのだが、ここに来て中国の経済力が増大し、米国への依存が相対的に減っている。
     中国や韓国の「日本は反省と謝罪が足りない」という言い分には多分に過剰のところがある。特に韓国のヒステリックな言い分には首をかしげる。
     しかし、それとは別に、日本の対アジアの戦後の対応が正しかったかどうかには、大きな疑問符がつく。

     ◇ ◇

     匿名でネットで「靖国参拝は正しい」「中国や韓国は文句を言うな、内政干渉だ」「日本はずっと我慢してきた、どこまで我慢させるのか」と威勢のよいことを書いているネットウヨク的な人々は、「日本国民は戦争の被害者だ」としか考えていないように思われる。
     日本国民は軍部や政府の被害者でもあるが、同時に残念ながら加害者の側面も持っているのだ。少なくともそれが世界の見方である。
     安倍首相がいったいどういう深い考えを持っているのかいないのかわからないが、まったく不可解な参拝ではある。

  • >>2345

     古本屋で買った1960年代の女性雑誌をぱらぱら見ていたら、作家の津村節子の寄稿した文章が目に止まった。
     津村は記録文学作家吉村昭(すでに故人だが、東日本大震災後、昔の著作『三陸大津波』が話題になった。私の愛好する作家のひとり)の夫人でもあり、かつての芥川賞作家として、純文学の良作を多く書いている。現在中高年の女性層ならば、かつて津村が少女小説の有名な書き手でもあったことを憶えているかも知れない。
     
     津村の一文は、大意つぎのような内容だ。
    「大平洋戦争中、私は愛国少女として、国のためと思い、勤労動員で懸命に働いていた。空襲で死んだ親友の遺体を探し求めてさまよったこともあった。
    敗戦後、私が最も驚き、呆然としたのは、それまで戦争をあおり、愛国心を叫んでいたおとなたちが、うってかわって、
    『あの戦争は軍部が国民をだましてはじめたもので、国民は戦争に反対していた。軍部や政府の戦争責任を追求しよう。戦争は罪悪だ」
    と、声高に言いだしたことだった。
     戦争中、私の周囲のおとなたちは、誰一人として、戦争に反対もしなかったし、戦争は罪悪だとも言わなかった。少女の私はおとなたちに強い不信感をいだくようになった」

     津村のこの心理体験は、同世代の作家たちの多くがしばしば書いている。津村は1928年生まれ、吉村昭はひとつ年上だ。戦争中に多感な十代を過ごし、愛国新教育にすなおに染まり、軍国主義日本と戦争に疑問を持たなかった世代。実際に戦争に行った世代より少し年下である。戦争に行けば現実が見えるが、行かなければ見えない。
     
     1920年代半ばから1930年頃までに生まれた作家たちの多くが、津村と同じ経験をしている(一般人もそうだろう)。この世代の代表的な作家のひとりに三島由紀夫がいるが、かれの一生は、典型的な「愛国少年として育ち、戦後日本とおとなたちに絶望した世代」だと思う。
     ある宗教人は、陸軍幼年学校生徒として敗戦を迎え、自分の精神のよりどころを失って廃墟の東京を歩きまわり、宗教に入信したと書いている。
     作家の加賀乙彦は同じく陸軍幼年学校生徒として敗戦を迎え、作家となって後に『帰らざる夏』を書いた。敗戦直前、昭和天皇の玉音放送の阻止と徹底抗戦および玉砕をとなえ、皇居でクーデターを起こした軍人たちが実際にいたが、このクーデター未遂事件をモデルにした作品である。ああ、この世代ならばあの事件に何らかのシンパシーをおぼえるだろうな、と思う。

     ◇ ◇

     昭和天皇逝去時、この世代に属する文学者が、雑誌か何かにつぎのようなことを書いていた。
    「われわれの世代が全員黄泉路に行った時、黄泉の国では、さぞかし陰鬱な再会がおこなわれることだろう」
     それは、信じていた天皇に裏切られたという、かつての愛国少年少女の思いである。おとなになれば理解はできるけれど、昔の心理の傷はどうしようもない。
     上の言葉を書いた文学者は三島と親しかった人で、どちらかといえば右翼的な人士ではあったが、昭和天皇に対する強烈な皮肉を盛った作品を書いていたのを憶えている。
     右翼左翼リベラルを問わず、とにかくこの世代は、天皇制と戦争に関しては屈折した
    心理を抱いていると思う。

     ◇ ◇

     私の両親もまた、この世代に近い生まれだった。昭和天皇逝去を告げるテレビニュースを見ながら、両親に、「昭和天皇を個人的にどう思うか」をきいてみたことがある。
     天皇の名のもとに戦争にまきこまれ、戦後はおとなたちが一斉転向するのをその目で見て、多少なりとも人間不信を感じた世代。親や親戚が出征し、戦死したり、南方ジャングルをさまよって命からがら帰国したのを知っている世代だ。
     
     父は苦笑したきりで答えなかったが、母は昭和天皇の生前のニュース映像を見ながら、
    「別に個人的に昭和天皇を憎く思ったりはしない。だけど、こんなじいさんひとりのために、空襲にあって逃げまどったり、餓えてひもじい思いをしたことを思いだすと、ただただ、ばかばかしい」
    とため息をつきながら言った。両親は政治的思想など何もなく、ごくふつうの庶民である。現天皇(当時の皇太子)夫妻の結婚時、家のそばを通った花電車パレードを見物にいく程度の庶民だった。 

     戦争末期、南方ジャングルで絶望的な戦いをし、生還した親戚が生前語っていたのだが、日本の敗色が完全に濃くなり、物資輸送路が絶たれ、いたるところで日本軍の各部隊が孤立した。下っ端兵士だった親戚のいた部隊の上官は、
    「ここで解散する!」(言葉がこのとおりだったかは知らない。意味はそういうこと)
    と、まるで映画『八甲田山』の隊長のようなことを言い、それきり部隊はちりぢりばらばらになったという。
     親戚の者は仲間数人とともに餓えや病気にくるしみ、やむなく現地人の村を襲ったりして食糧を調達した(そういう状況で、やむをえず現地人を傷つけたり殺したりした日本兵はかなりいると思う。親戚はそれについては一言も語らなかった)

     何なんだろうなと思う。日本軍の規律はすばらしかったという人もいるが、非常事態に上官が部隊を解散させるのでは規律も何もないだろう。
     それに、日本軍の論理では「兵士はすべて天皇陛下のもの」である。陛下の命令なしに、上官が勝手に解散を命じるのは、天皇陛下を無視した行為ではなかったのか。
     大日本帝国なるもの、外側は立派だが、中身は最初から、何もない空洞の、ろくでもない張りぼてでしかなかったのではなかろうか。

  • >>2344

     靖国神社はただの神社ではない。国家神道の神社だ。
     明治時代、山県有朋を中心とする長州閥が、
    「欧米列強の国力の原因のひとつは、キリスト教という一神教信仰である。ならば日本にも、キリスト教類似の一神教を入れて国教とすれば、列強の仲間入りができるだろう」
    と考え、天皇を一神教の神として神格化した。
     そして国家神道の国教化がおこなわれた。
     戦争色が濃くなり、思想統制がおこなわれるようになると、全国の、他の神道の神社に対し、祭神をすてて天皇を祀るよう強制することも行われた。
     他の宗教への弾圧は言わずもがなだ。

     戦争当時、天皇の写真が「ご真影」として全国の小学校に飾られた。小学生たちは、遊んでいても喧嘩していても、ご真影の前に来ると必ず遊びや喧嘩をやめて一礼しなくてはならなかった。頭を下げてから、また遊びや喧嘩を再開する。
     ご真影を紛失した校長が自殺したという実話は有名である。

     ◇ ◇

     こういう、今となっては狂気としか思えない国家神道の神社が靖国だ。客観的に見れば、危険なカルトである。大勢の国民を戦地で死なせ、戦災で被災させた元凶である。
     もちろん、信教の自由は保障されているから、宗教法人としての靖国神社が存在するのはかまわないし、一般国民が参拝するのもよい。
     首相が参拝するのがよくない。ただの議員ならまだしもだが。

     ◇ ◇

     戦犯が合祀されていても、たとえば千鳥ヶ淵のように宗教色のない施設ならば、国際社会からの批判もまだ少なかったかもしれない。
     しかし「かつて大勢の国民を死に追いやり、敗戦で国をめちゃめちゃにした危険かつ気味のわるいカルト宗教の施設」が靖国である。
     それが世界の見方なのだ。
     首相がいかに言葉をつくして説明しても、世界の国々の理解が得られることはまずなかろう。

     やってしまったことは仕方ないが、このあとをどう処理するかが問題だ。

  •  安倍首相が靖国神社に参拝したことが国際社会の批判をよんでいる、とのニュース。

     個人的に最も疑問だったのは、靖国参拝について、はたして米国や中国、韓国などと、政府がどの程度事前調整をしたのかということだ。
     沖縄の辺野古の件で米国に「恩を売った」ので、そのかわりに靖国参拝承認を米国政府から得たのかなあ、とも思った。
     いずれにしてもまさか事前調整不完全のまま強行ということはなかろう、すべて完全に調整済みで、ただ外国は「はいOKです」と国際的に公言するわけにはいかないから、こういう場合の定式に則って批判声明を出しているのだろう、と思っていた。

     しかし、どうもそうではなく、各国との事前調整が不充分だったようだ。参拝したので驚いた、という意味のことを言っている政府関係者もいるとか。
     ブレーンや側近もいるだろうに、それらの人々は制止しなかったのか。制止されても、首相がひとりで参拝を強行したのだろうか。

     ◇ ◇

     戦犯とされた岸信介の孫である首相は、かねてより「祖父を尊敬している」と公言しているという。首相が個人的に靖国を崇拝するのは構わない。信仰の自由だ。
     しかし、首相という立場で参拝したとなっては(それも事前の各国との根回しが不充分なまま)とあっては、この首相は日本の国益をそこね、国際社会で不利な立場に陥れるつもりか、と思う。

     日本は敗戦国であり、いまだに国連の敵国条項国である。それを念頭におかないといけない。卑屈になる必要はないが、政治家は世界の現実をふまえて熟慮して行動しないといけない。
     同じ敗戦国で敵国条項国でも、ドイツはその点が違う。ナチスを完全に殲滅し、戦中のドイツと戦後のドイツはまったく別物としている。国際社会もそれを認めている。
     しかし日本は、戦前からの天皇制をいまだに維持している。被占領時代の米国が、日本統治をやりやすいようにと天皇制維持を決めたのであり、日本国民の責任ではないが、いたしかたない。
     憲法上、戦後の天皇は、それ以前の天皇とは意味が違っている。しかし、そんなことは、外国から見れば関係ない。
     戦前戦中の体制を戦後もそのまま維持している国が、日本である、と見られているのだ。
     これは、ドイツと違って、日本が決定的に不利な点である。

     ◇ ◇

     敗戦国であるだけではなく、戦争中の体制を一貫して今でも維持している国、と見られている以上、右傾化、ファッショ化、軍国主義化などの危惧を持たれないように、日本の政治家は慎重に行動しないといけない。
      しかし安倍政権は右傾政権と世界から見られている。戦犯の孫であることを知っている外国人もいるかもしれない。

     外交は一貫して自分の立場を主張して突っ張ることではないだろう。自国と外国の立場や利益や体面を考え、こちらの出方を熟慮し、できるかぎりの共存共栄をはかることだと思う。

  •  もう一本、獅子文六ネタ。
     1961年制作のこの映画は、監督が川島雄三、主演にフランキー堺、団令子、白川由美を配する。原作は獅子が読売新聞に連載した小説『七時間半』。

     当時最速とされ、東京と大阪を七時間半(! 今聞くと「え~、大阪まで七時間半~嘘でしょ」と言いたくなる)で結んだ東海道線の特急列車『ちどり』(モデルは特急『つばめ』だろう)が舞台。
     食堂車で働く若い コック、かれと淡い思いを寄せあう食堂車のウエートレス(車内販売係を兼ねる)、ウエートレスより一段格上で、お客の案内をする客室乗務員の美人、同じ列車に同乗する時の首相、カネにものをいわせるエロ社長、気弱なぼんぼんとしっかりものの母親、エロ社長に接近する怪しい年増美人、全学連(いまとなっては死語)の過激派学生などが織りなす、七時間半のいろいろな出来事を、おもしろおかしく描きだしている。
     
     映画はdvd化もビデオ化もされていないが、国立フィルムセンターにフィルムがあり、阿佐ヶ谷のラピュタなど古い邦画を上映する劇場でたまに上映されているほか、衛星放送でも放映されたことがあるらしい。
     鉄道好きの方々のブログなどによく出てくる映画でもある。私は残念ながら未見で、ぜひ観たい作品のひとつ。

     原作はストーリーテラーの作者の手腕がよく出ている作品で、適度なスリルあり、笑えるシーンも多く、面白い。私が最も興味深いのは、この小説が昔の食堂車のバックステージ物だという点だ。

  • >>2341

     前稿で、戦後の食糧難時代、混みあう年末の闇市マーケットで、うかつにも母が全財産入りの財布をすられた話を書いた。いかに買い物に気をとられていたとはいえ、若かった母が不注意だったのは確かだ。しかし、それほど油断できない世相だったというあかしでもある。同じ頃、両親の住んでいた界隈には窃盗や空き巣が横行していたと聞いたが、東京全体がそうだったようだ。
     
     母は生前、たまに東京で過ごした戦中戦後の思い出話をした。女学生だった母が空襲にさらされ、焼夷弾による火災の中を逃げまわったこと、女学生の強制徴用で町工場で働いた思い出、バケツリレー、近所の人が即死したのを目撃した話、空襲警報サイレン、B29の銀色の機体がキラキラ光っていたこと(「きれいだった」と母は表現した)など、およそ戦争体験記によく書かれているのと同じような体験をしたようだ。
     
     母の体験談を思いだすと、戦中の話は「死とたえず直面した」という気持はじゅうぶん伝わってくる。それに対して、戦後の体験談からは、田舎はいざ知らず、東京ではみんなが飢えにさらされ、盗みや食糧の奪い合いが起こり、日本人同士が疑心暗鬼で苦い思いをした、というやりきれなさが伝わってきた。
     父も母も、戦中の体験は比較的よく語ったが、戦後の食糧難時代については言葉少なだったのは、ひもじい思いをし、ひどい物を食べ、日本人同士が互いに警戒心を持たざるを得ない状況もあった、というのが理由かもしれない。
     戦争は、外国人が敵だから、日本人同士は団結できる。置かれた状況もわりあい似ている。しかし戦後は極度の物資不足に加えて、日本人同士でも境遇に差ができたし、限られた物資をめぐる奪い合いの状況が現出したからだろう。
     以上はすべて私の想像にすぎないが……

     ◇ ◇

     高校時代の倫理社会だったか、大学で必修だった哲学の授業だったか、英国の哲学者
    ホッブズの
    「自然状態では、人は人に対して狼」
    という言葉が印象に残っている。自然状態とは、無政府状態のことだろう。
     無政府状態では、人はみな、他の人間を食いころす狼のようになる。
     
     敗戦後まもなくの日本にもちろん政府はあったから(占領時代はGHQだが)、形式的には無政府状態ではなかった。だが、闇市でしか、欲しい物が手に入らないという東京の状況は、少なくとも必要物資の供給に関して政府が無能な状態だった。無政府状態といっていい。
     
     ◇ ◇

     東日本大震災の直後、被災した方々は、暴動やら犯罪やらの無秩序状態に陥らず、みな規律をまもって整然と行動した。それが外国でも報道され、「日本人はすごい」と驚きの目で見られたという。 
     
     ネットウヨク的な若者たちならば「ほら、日本人の民度は高い」と誇るだろう。だが、日本人が先天的に、あるいはつねに、民度が高いわけではない。
     今の日本が無政府状態ではなく、国民が一応、政府を批判しながらも根本的には信頼しているから、「他人に対して狼」にならずにすんでいるだけだ。
     
     政治が混乱した国では、政府自体が信用ならないから、大災害が起これば「人は人に対して狼」の状況が容易に現出する。
     それを見て、ネットウヨク的な若者が「ほら、○○国は民度が低い」と嘲笑するのは大きな誤りだ。
      われわれ日本人も、いつなんどき、「人は人に対して狼」に陥るかわからないのだから。敗戦後の混乱した一時期、そうだったように。
     もしそうなったとしても、われわれの責任ばかりを言えるだろうか。
     われわれに責任があるとしたら、その責任は、政府をしっかりと監視してこなかった責任だろう。

  • >>2340

     前稿で「御茶ノ水橋」と書いたが、正しくは「お茶の水橋」だそうだ。駅名は御茶ノ水だが、橋名の表記は違うとのこと。

     神田川といえば、昔々の有名な歌のタイトルにもなっており、知名度だけは全国的だが、実際にどんな川なのかを知るのは、東京でも新宿、中野、杉並あたりの人ではなかろうか。かくいう私も別に神田川そばで生まれ育ったわけではないが、若い頃勤めた会社が、この川の近くだったため、なんとなく親しんでいた。
     当時は「単なる大きめなどぶ川」で、工場排水や生活排水やゴミによる汚染がひどかったが、その後の浄化運動で、今は水質が格段に良くなったようだ。
     また、当時は大雨が降るとすぐに氾濫するので有名だったが、現在はそれも非常に減ったとのこと。

     当時の同僚のひとりは、親が「紋章上絵師」だった。和服に家紋を描く昔からの職人仕事だが、今では女性が留袖を作るときに世話になるくらいだろう(私は和服にはうといが)。しかし昔は、商店や大工の棟梁などが、店員や職人に着せる「お仕着せ」に必ず店の紋を入れさせたので、需要の多い繁盛する仕事だったらしい。
     神田川ほとりには、昔は紋章上絵師がたくさん住んでいた。理由は、神田川のきれいな水で、「東京友禅」の生地をさらしたからだ。一時ドブ川状態だったことを思いだすと「嘘でしょ~」と言いたくなるが、嘘ではない。
     京友禅の職人が江戸に来てはじめたものが東京友禅だそうだが、今ではどの程度製造されているのだろう。生地をさらすのも、どこで行われているのか知らない。

     ◇ ◇

     『自由学校』には、五百助がルンペン(この語は差別語とされて今はマスメディアや出版では使われないが、ホームレスと言いかえるとどうも感じが出ない)のじいさんに連れられて、バラックの立ち食い食堂で、残飯シチューを食べるシーンがある。進駐軍の残飯を煮こんだものだ。作者は丹念に取材をする人だったので、これも実際に作者が食べたものかもしれない。シチューの雑多な具の中に、米国製の煙草の残骸を見つけて五百助は首をかしげる。
     飽食の時代の今このシーンを読むと「げえっ」と言いたくなるが、貧しい人々が残飯を集めて食べるのは、戦後すぐの食糧難時代でなくても、明治大正時代の史料にも出てくる。日本が飽食の国になったのは(とはいえ、貧困のために餓死する人のニュースなどがたまに出る。本当に飽食かどうかは疑わしい)ついここ数十年のことなのだ。

     ◇ ◇

     獅子文六と親しかった人が、全集の月報で、次のような意味のことを書いている。
    「戦後すぐ、文六氏は、駅で、進駐軍の米兵がチョコレートを撒いているのを見た。驚いたのは、それを争って拾うのが子どもや女だけではなく、立派な帽子をかぶった大人の男までもが、チョコレートを拾っていたことだ。それを見て、戦後の日本の状況を小説に書かなければいけないと思った」
     これも今読むと、いいおじさんが米兵の投げるチョコレートを拾ったなんて、
    「嘘でしょ、そんなみじめな」、
    と言いたくなる。
    (私はつい最近まで、ハーシーあたりのちゃんとしたチョコレートだろうと思っていたが、実は当時の米兵が投げたのは、レーション(兵士用の携帯食)の中の不味くて有名な、チョコレート様食品だったそうだ。栄養はあったが、なにしろ不味いので、兵士たちは食べずに、飢えた日本人にぽんぽん投げていたとか)

     しかし当時を知る人に言わせると、「嘘じゃない。みんな飢えていた。大人の男でも、飢えの前にはなりふりかまわなかった。お菓子など口に入らないわが子のために、父親が恥を捨てて拾ったということもありえる」。

     『自由学校』が書かれた1950年頃、私の両親は若く貧しい新婚夫婦だった。年末のある日、母はなけなしのカネを全部財布に入れて、新宿の闇市マーケットに正月の買い物に出かけた。ヤミでなければめぼしい商品など手にはいらなかった時代だ。
     歳末の大売り出しで闇市は人であふれている。その中に乾燥果物(乾燥林檎か何かで、ドライフルーツなどというしゃれた代物ではない)があった。めったに甘い物など口にはいらなかった母は、人波をかきわけて夢中でそれを買った。代金を払うために一瞬、手提げ袋を置いて、さて商品を受けとって見たら、もののみごとに、手提げ袋は、全財産入りの財布もろとも姿を消していた。
    「あの時ほど背筋が凍ったことはなかった。お父さんにどう謝ろうかと頭の中が真っ白になった。あの頃を思うと今は本当に夢のようだ。あんな思いは二度としたくない」
    と、母は後年、苦笑しながら語った。
     
     ◇ ◇
     
     「あんな思い」を日本の庶民が味わうような時代がまた来ないとは言えない。
     それは念頭に置くべきだろう。戦争が起こらなくても、どんな災害が来るかわからない。「国家の一大事は、人々が安心しきっている時に、不意をつくようにして起こる」
    と、「おばあさん」が言っていたように。

  •  しばらく獅子文六ネタをつづける。
     『自由学校』は1951年、松竹と大映で同時に映画化され、ともに五月に封切となった。獅子文六の原作は、1950年朝日新聞に連載され、爆発的人気を呼んだユーモア風刺小説である。戦後占領時代に米国によって起草された日本国憲法のもと、「自由」を与えられた日本の庶民が、借り物の「自由」をめぐって起こす騒動を、微笑と皮肉で描きだしている。同時に、戦後まもない東京の風景がひじょうによく描きこまれているので、資料としても貴重な小説だ。
     映画は二本ともdvdにはなっていないが、ビデオ化はされている。国立フィルムセンターにフィルムもあり、今でもときたま映画館で上映されたり、衛星放送で放映されたりしているようだ。残念ながら私は二本とも未見。
     松竹版は渋谷実監督、主演の夫婦役に佐分利信と高峰三枝子。淡島千景、杉村春子、田村秋子、笠智衆、清水将夫らが脇をかためる。
     大映版は吉村公三郎監督、主演は小野文春(公募で選ばれた出版社社員だとのこと。プロの俳優ではない)と木暮実千代。その他のキャストは山村聡、京マチ子、殿山泰司、大泉滉、加東大介ら。
     この二本が五月初旬に同時公開されて評判をよんだのは前述のとおりだが、「ゴールデンウィーク」という言葉もこの時にできたという。「おもしろい競作映画二本を観ましょう、休日はぜひ映画館へどうぞ」という映画業界のマーケティングだったようだ。

     ◇ ◇

     小説のあらすじをもとにして書くが、主人公五十助は図体が大きく大人物の風格があるくせに、仕事ができないダメ男。妻の駒子は名前のとおりこまごまと働き、頭も良い美人。女子大出の駒子が得意の英語を生かして翻訳の仕事をし、仕立物をして稼いでいるのに、五百助は勝手に会社を退職する。立腹した駒子に家を追いだされた五百助は、これ幸いと、うるさい妻や世間のしがらみを逃れ、自由を求めて、ルンペン仲間に入ったり、怪しげな右翼に誘われてクスリの密売にまきこまれたりと冒険をする。
     一方駒子も、家庭を支える義務から解放され、モダンな友人と交遊したりの自由を満喫するが、不倫に陥りそうになったりする。
     結局、五百助と駒子は「元さや」で夫婦二人の生活に戻るが、主な稼ぎ手は駒子となり、五百助は「専業主夫」になって、めでたしめでたし。

     ◇ ◇

     場所は東京なので、東京で育った者にとっては特に行きたい場所というのもないのだが、興味深いのは中央線御茶ノ水駅、神田川土手に、1950年頃にあったルンペンの居住地域が出てくることだ。これは実際にあったもので、東京大空襲で焼けだされ、住まいを失った人々が、神田川土手に粗末な住居をつくり、水道を勝手に引き、共同トイレをもうけて、行政から独立した自治組織的な生活を営んでいた。
     不法占拠ではあるが、戦後の東京には、こういう場所が数多くあった。そのまま現在まで続いている場所もある。新宿にも、不法占拠的な場所がたくさんあった。単なる住居ではなく、商売をする人々も多かった。新宿は戦後勢力を伸ばしたテキヤやヤクザ関係の大組織が絡んだりもしていたようだ。
    (数年前、東京ではないが川崎の溝の口駅近くにあった、戦後闇市の名残のマーケットで火事が起こり、多くの店舗が焼失した。店舗オーナーたちが行政に再建を願ったが、行政はここが戦後不法占拠地区であることを理由に拒んだという。その後どうなったかは知らない。このマーケットの古本屋に私も何度か通ったことがあるが、確かに終戦直後の匂いが感じられる場所だった)

     ◇ ◇

     現在、中央線の御茶ノ水駅から神田川土手をのぞむと、かなり急勾配に見える。あんな所に住居を建てられたのかな、と思う。が、実際に検証した人のブログによれば、遠目には急勾配だが、実際に行ってみると、段々畑のようになっていて、平坦な部分が相当あるとのこと。緑も多く、過ごしやすいそうだ。
     『自由学校』では、五百助は、ここに住むじいさんの居候になり、缶拾いやモク(煙草)拾いなどをして小銭を稼ぐ。夫を失った後家さんなどの女世帯もある。草地でヤギを放牧する住民もいる。

     御茶ノ水橋自体は、殺風景で色気のない橋だが、中央線でこの駅にさしかかるたびに、『自由学校』を思いだして、橋の土手をついのぞいてみたくなる。
     
     その他、駒子が、裕福でモダンな友人夫婦の別荘に遊びにいくシーンが出てくるが、その別荘は調布あたりの多摩川河畔にある。多摩川で獲れたアユのご馳走が出る。戦前、あのあたりは、文人や政治家が釣りなどの遊びをする行楽地で、宿泊のための旅館や別荘などもあったようだ。今では東京通勤の人々が住むマンションなどが建ちならび、当時の風流な面影はない。
     戦前の、金持ちのための行楽地という雰囲気が、戦後しばらくは残っていたのだろう。

     御茶ノ水橋
    http://mediaport.on.coocan.jp/kandagawa/bridges/ochanomizubashi.htm

  • >>2338

     前々稿の誤記訂正 ×応召され ○召集令状に応じ

     一般人に人気を博した大衆小説家の作品は、登場するキャラクターの性格が明快で、はっきりと描きわけられ、いわゆる「キャラが立っている」。獅子文六の作品も例外ではない。そして、この作家の作品は通俗的ではあるが、その通俗性は良質だ。部数の多い大新聞や、家庭で読まれる雑誌に連載したものが多いだけに、描写も中庸を得ており、エログロシーンなどは出てこないし、過激さや極度の悲劇性などもなく、ほのかなユーモアがある。それらの長所が、今となっては逆に弱みになり、この作家が忘れられがちな原因を作っているのだろう。

     ◇ ◇

     だが、いかに大衆的人気を博した通俗小説の書き手であっても、やはり小説家の目は鋭く光る。『おばあさん』の中で、最も違いがきわだっているのは、戦争に対する、おばあさんと孫娘丸子の態度だ。
     丸子は女学校を出たばかりの十九歳(満年齢なら十八)で、物心ついた時にはすでに日本は日中戦争のさなかだ。平和な時代を知らない。戦争に協力するのは国民の義務だ、と当然のように考えている。だから「挙国一致の戦時体制のために、国民の栄養を向上させる」との主旨を掲げた栄養学校に共鳴して進学する。
     また、花婿候補がじきに出征すると知って破談にしようとする両親を説得するのも彼女である。
    「花婿を戦地に送り出して銃後をしっかり守るのが女の道。夫の戦死などという不吉なことは考えない。万一そうなったとしても、再婚などはとんでもない。ひとりの夫を守るのが正しい女のあり方」
     これが丸子の考えだ。現実には、婚約者が出征すると知って結婚をとりやめたり、夫がの戦死を知って再婚したりした若い女は、多かっただろう。
     
     だが、検閲を念頭において書いていた作家は、あくまでも「政府や軍部が国民に強制している正しい女のあり方」をそのまま書くしかなかった。産まれたときから戦争以外を知らない丸子は、挙国一致の戦争体制の日本が理想とした女の具現なのである。
     だからといって彼女が旧弊でおしとやかな「大和撫子」として描かれているのではない。丸子は、獅子文六の小説の多くに出てくる若い女性の典型だ。明朗活発、現代的で教育もあり、スポーツなどの趣味も多く、率直にものをいう。そういう女性であってもなお、産まれた時からの時代の風潮には疑問を持たない。

     おばあさんは丸子とは違う。明治期に子どもから娘の時代を過ごし、帝国主義日本が急速に国力をつけ、日清、日露の両戦争に勝ち、にわかに世界の大国の仲間入りをしたプロセスをその目で見ている。大正期の平和と退廃も知っている。
     おばあさんは、家族にむかい、
    「国家の一大事というのは、必ず、『絶対にそんなことは起こらないだろう』とみんなが思っている時に起こる。日清、日露の戦争もそうだった。みんなが『まさか戦争にはならないだろう』と思っているときに勃発した」
    という意味のことをくりかえして言う。しかし家族は聞きながしている。
     丸子の父である同居の長男は、大企業勤務の中堅サラリーマンだが、社会で働いた経験のないおばあさんをばかにしてか、「今の日中戦争以上に戦線の拡大などはない」と思っている。そして、真珠湾攻撃のニュースをおばあさんから聞いてびっくりし、「これは大変だ」と急いで出社する。

     ◇ ◇

     作者は、おばあさんを本当は戦争反対者、平和主義者として描きたかったかもしれない。明治以後の動乱の時代を経験し、二度の戦争の始まりと終わりを目撃したおばあさんは、日清日露は確かに日本が勝利したけれども、戦争を国家の一大事ととらえている。できれば、そもそも戦争は起こるべきではないと思っているかもしれない。
     しかし検閲をのがれる必要上、作者はおばあさんを明らかな平和主義者としては描かず、ただ
    「国家の一大事は、国民がまさかそんなことは起こるまいと思って安心しているときに、wその不意をつくようにして勃発する」
    というメッセージを、おばあさんの口を借りて書いた。

     それは、作家獅子文六の、国民への警告でありメッセージではなかっただろうか。
     特定秘密法案が成立し、政府の憲法改定案の危険性が言われているいま、おばあさんの言葉が重要な意味を持っているような気が、私にはする。

     ◇ ◇

     昔、中学生の頃だったか、文芸雑誌の座談会記事で、稲垣足穂が獅子文六を評して、
    「獅子文六のものの見方は、いじわるじいさんのものの見方だ」
    と言っているのを呼んだことがある(過去の座談会の再掲だったかもしれない)
     稲垣足穂が獅子文六を評したというのが意外だったので、よくおぼえているのだが、この「いじわるじいさん」の目は、国や社会や国民に対して辛辣で鋭い。
     ユーモア作家はおしなべて辛辣で酷薄で鋭い視線を持っているが、この作家も例外ではなかった。

  •  この作品に関して注目すべきは、戦時中の、厳しい思想統制、検閲の時代に書かれたという事実である。それを念頭において読むと興味深い。
     
     作者は、政府や軍部の検閲にひっかからないよう、非常に注意して書いているのがわかる。おばあさんの末息子の所属劇団は、「アカ(共産主義者)」だという疑惑を受け、劇団関係者が全員逮捕されるおそれが生じるが、末息子はじめ劇団関係者は、絶対にアカではないと主張して、ようやく難を逃れる。実際にアカなのかどうかは、読者には判断できない。
     おばあさんは、もちろん「あの子の劇団がアカなんかであるわけはない」と信じている。つまり、小説では、アカはあくまでも悪玉として描かれている。
     
     隣組が相互監視機能を果たし、「近所の家に赤い布団がほしてあった」と通報されただけで、その一家がアカだとされ、逮捕された時代である。今聞くと嘘のようだが、事実だ。先日の新聞に特定秘密保護法からみで、
    「戦争中の日本人は相互監視して、隣人を警察に通報した。これは残念ながら日本人の国民性だろうか」
    というような内容の読者投稿が出ていたが、日本人の国民性ではなく、
    「通報しなければ自分が逮捕されるから、見つけたら、自分の身を守るためにも、通報しなくてはならなかった」
    のである。こういう状況におかれたら、どんな国の国民でも、通報する人のほうが多いだろう。

     ◇ ◇

     特定秘密保護法が成立してもすぐに戦時中のような相互監視体制になることはないだろうが、一歩まちがえるとそっちに向かいかねない危険性があることは確実だ。
     そして、『おばあさん』を書いた当時の獅子文六のように、何を書くにも、いちいち政府の目を気にし、逮捕を心配し、検閲を念頭におかなくてはならなくなる危険性も。
     作家や学者がこぞってこの法律に反対しているのは当たり前だ。
     一般人は、すでに戦争を知らない人々が大多数になっているから、あまり実感できない人が多いだろう。しかし物書きや学者ならば、自分は知らなくても、先人から聞いて知識として知っている。

     ◇ ◇

     戦争遂行による物資不足などは、小説中に正直に描かれている。「欲しがりません勝つまでは」の時代だから、物資不足を隠す必要はない。
     米国を相手に無謀な大平洋戦争を始めた真珠湾攻撃についても、
    「日本が、大国を相手に戦争を始めた。これはたいへんなことだ」
    という、「一大事」という感想だけがおばあさんの口から述べられている。それが良いとも悪いともおばあさんは言っていない。
     これが作家として書ける限界だったろう。無謀な戦争であることは獅子文六も感じていただろうし、「はじめるべきではない戦争だ」と感じたかもしれない。
     しかし、戦争賛美ができなければ、中立的感想を主人公の口を借りて述べるのがせいぜいだ。主婦向け小説という点で、戦争賛美はできない。夫や息子を戦地に送る立場の読者は、戦争賛美には賛成しない。
     
     実際、獅子文六は戦時中に『海軍』などが戦争賛美的だということで、戦後パージにあうおそれがあった。そのため、夫人の故郷に逃げたりもしている。

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