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  • 心和む語り合いを求めてこちらに伺いましたが、

    住む世界や、人生経験が異なれど、人生の秋を迎えた者同士、人として心のレベルで語り合いが出来ないだろうかと、

    叶わぬ想いなのでしょうかー😥

  • 神様との出会い

    ある日、ひとりの男の子が、神様に会いにいこうと考えました。

    神様の住んでおられる所はずいぶん遠い所だろうと、
    男の子は、スーツケースに、お菓子のおやつと、ルートビアーを6缶詰めて出かけました。

    家から出て、3通り先あたりにきた時、
    公園の片隅で、お年寄りのおばあさんが、ぼんやりと一人で鳩を眺めていました。

    少年は、おばあさんの側に座り込んで、スーツケースを開けました。
    少年が、ルートビアーを飲もうとしたとき、
    おばあさんの顔が目に入り、とてもお腹がすいているように見えました。
    それで、少年は、おばあさんにお菓子を分けてあげました。

    おばあさんはとても嬉しそうに受け取って、にっこり笑顔を見せました。
    おばあさんの笑顔があんまり可愛かったので、
    少年は、もっと笑顔がみたくなり、ルートビアーを1本分けてあげました。

    今度もまた、おばあさんは、にっこり美しい笑顔を見せてくれました。
    その笑顔に少年はとても感激してしまいました。

    二人はそうやって、
    一言も言葉を交わす事無く、
    小半日もゆっくり食べながら笑顔を交わし合っていました。

    辺りがそろそろ暗くなってきたので、
    少年は、もう帰らなくちゃとそこを立ち去ろうとしました。
    でも、帰り際に振り返って、
    おばあさんの所にかけ戻り、
    おばあさんに大きなハグ(抱きしめる)をあげました。

    おばあさんはお礼に、一番素敵な大きな笑顔を浮かべてくれました。


    少年が、家にたどり着くと間もなく、
    おかあさんは、少年の喜びに満ちた顔を見てとても驚き少年に訪ねました。

    “そんなに幸せそうな顔をして、今日何処で何をしたの?”

    少年はこう応えました。

    ”公園で、神様とおやつ食べてたの。”

    おかあさんが、何か言おうとする前に、少年がいました。

    ”おかあさん、あのね、神様は今まで見た事もないくらい 素敵な笑顔をしてたよ!”



    一方、おばあさんが家に帰ると、
    息子が、あんまり幸せそうな顔した母親の様子に驚いて訪ねました。

    ”母さん、そんなに幸せそうな顔して、今日何処で何してたの?”

    おばあさんは応えました。

    ”公園で、神様と一緒におやつを食べてたの”

    息子が何か言おうとする前に、おばあさんはこういいました。

    “あのね、神様は、私が思ってたよりずいぶんと若かったよ”

    Julie A. Manban

  • 数日前、去年の暮れ、カントリーロードと走っていると、近くのアパートのゴミ箱でかき集めたペトボトルなどを詰めた大きな袋を抱えて歩く東洋人の女性とすれ違いました。路肩が狭く、ものすごいスピードで車が通り過ぎるのに、危ないなと感じたのです。彼女の後ろを、7歳くらいの男の子がフラフラと小さな子供用の自転車に乗ってついていくのでした。お母さんにしては歳いってる感じ、多分おばあさんが子守してるのかなと思いました。その逞しさに、脱帽した私。そして翌日の大晦日、スーパーの裏にある、リサイクルセンターめがけて、あのおばさんが、大きな袋を抱えて颯爽と歩いて行かれるのに出くわしました。ハローと声かけた時、??と言葉が通じない気配を見せて笑って応えてくれたその時、彼女のそのキラキラした瞳に、私は息を飲み込む思いでした。あんなに、生き生きした目をした人にそう滅多にお目にかかれません!なりふり構わぬ格好して、大きなゴミ袋背負って、寒い夕暮れ、まるで、彼女の胸は、張り裂けんばかりの幸せに満ちたプライドと、生き甲斐とが溢れるような瞳をしているんです!
    かなりショックでした。
    いや、もう 凄いと思いました。

  • >>34

    jnkさん、良介さん、
    2016年、明けましておめでとうございます。

    先人に学ぶことを大切な指針とさせていただき、今年も成長していきたいと思っていますので、どうぞ、よろしくご指導の程、お願い申し上げます。

  • >>33

    simonさんへ

    明けましておめでとう御座います。
    本年も宜しくお願い致します。

    あなたには色んな事を教えてもらい喜んでいます。
    いつもながら前向きな生き方に感動を覚えます。
    私は妻も息子も孫もいますが、いまだに自分を没頭させる事が出来ません。
    今年こそ、私を熱くさせるものを見つけたいと思っています。

  • 良介さん、jnkさん、
    2015年、暮れのご挨拶を申し上げます。

    この一年を振り返ってみると、夏ひと月の日本一人旅以外は、毎日、週末3日の介護の仕事と、週日4日の泊まりがけの孫の育児手伝いに明け暮れた一年でした。
    日々、孫の成長を身近で見ていられる喜びは、真に幸せそのものであります。ああ、今日まで生きて本当に良かったと思えるひと時です。

    ”今日という日は、私の残りの人生で一番若く、エネルギーがあるのだ、悔いのない人生にしよう!”ということを意識して、できるうちにやりたいことやろうと誕生日に決めたように、
    この夏は、全てを手放して、一人、ポーンとひと月 日本を一人旅行しました。
    大阪、姫路、小豆島、能登半島、埼玉、室蘭、札幌の共を訪ねた後、北海道の自然を愛で歩き、長崎の兄家族と共に過ごす時間を持ちました。
    北海道の、大雪連峰、礼文、羅臼岳の雪渓を歩き、夏の高山植物を愛で、澄んだ空気をいっぱい吸って、ゆっくり温泉につかり、知床半島を、シーカヤックで挑み、美味しい海の幸を腹一杯頂き、普段できないことを存分に楽しみ、命の洗濯をしてまいりました。
    ”人生は思い出作りの旅” 素敵な思い出がたくさん!心から感謝しています!

    今年一年も、皆様にとって、素晴らしい年であったことをお祈りいたしております。
    来年も、健やかに、ご家族そろって、より幸せな年を過ごされます様、心からお祈りいたしております。

    シモン

  • >>31

    (〜つづき)
    2日間だけの出逢いから、
    私は大切なものを教えていただくことが出来ました。

    心から感謝の気持ちでいっぱいです。

    おじいちゃんの安らかなるご冥福をお祈りいたします。

    合掌

  • >>30

    (〜つづき)
    一期一会

    出会いは別れの始まりであり、
    その出逢いが素晴らしいほど、別れは辛い・・・

    頑張って生き延びさせた月下美人を例のおじいちゃんに見て欲しくて、
    朝早くからボランテアに駆け込んで、おじいちゃんのところへ。

    でも、

    おじいちゃんは そこにはもういなかった。


    昨日の朝、天国へ召されたそうだ。
    安らかな死だったという。

    私と話したのが意識がはっきりしていた最後の会話だったらしい。

    あと5日で、94歳の誕生日だったのに・・・
    楽しみにしていたのに・・・
    まだ、聞きたいことたくさんあったのに・・・

    でも、

    ”来るもの拒まず、しっかり向き合って、最善をつくすのみ”

    というおじいちゃんの生き方は、最後まで貫かれたようだ。

    (のちに教授曰く、死を前に、誕生日への希望を胸に最後を迎えられてお幸せだったわねと。)

  • >>29

    (〜つづき)

    午後は、
    ”この前88歳になった遠くに住む妹さんの
    お誕生日を祝って、私が歌いま~す!’
    と言って、チョッと変わった珍しい
    ”ハピーバースデーの歌”を熱唱してしまいました。

    "お誕生日おめでとう!私たちは何時も貴方の事を愛しています!
    貴方が、バースデーケーキのろうそくを吹き消すとき、
    一つだけその光がが貴方の瞳の中に燃え続けます。
    其れは貴方が何処に行こうと貴方と共に輝き続けます。
    お誕生日おめでとう!私たちは何時も貴方の事を愛しています!”

    そしたら、

    ’もうすぐ、僕の94回目の誕生日が来るから、
    そのときまた歌ってくれるかい?”
    とリクエストいただきました。

    キャロットケーキに、
    クリームチーズが乗っかったケーキが好き
    と言うおじいちゃん。

    盛大なお誕生日をやろうねってやくそくしました。

    おじいちゃんの誕生日まで、あと6日、

    頑張って!頑張って!
    その日まで元気でいて欲しい!

    (つづく〜)

  • >>28

    *ホスピスの患者さん、
    もうご飯も食べなくなったというおじいちゃんを訪ね、

    膝からつま先のマサージをしながら、
    おじいちゃんの人生観を、きいていた、

    ”おじいちゃんの人生を一言で現したらなんですか? ”
    ”私の人生は10だ!
    素晴らしい人生だった!
    自分は本当にラッキーだ。”

    死を前に、
    こんなに、満たされた気分でこういいきれるってすばらしいなって想いました。

    ”人生何をしたらいいのか、くよくよ考えたりしないで、
    やるべきことは、ちゃんと目の前に現れるもんだ。

    しっかりそれを見極めて捕まえて、

    一生懸命やり徹したらいい。

    成功は後からついてくる!”

    世界大恐慌の辛い時代を生き延び、
    第二次世界大戦を生き延びた強さは何処から?

    ”すべきことをしっかりやるしかないという一途な想いだ”

    ホント大きいおじいちゃんの知恵袋から
    次々に素晴らしいアドバイスが溢れてくる。
    もっと聞かせてくださいねとお願いしてきた。
    ”うん、またおいで”と言ってくれた。

    足のマサージをとても喜んでくれて、
    ”それ何処で教わったの?とっても気持ちいい”
    と言ってくれた。
    ’気持ちよく過ごしてもらいたいと思って
    ただその思いでやっているだけです。
    足の裏の壷とか、身体にいいときいてますが、
    よく知りもしないんです、
    今度いつかちゃんと学びたいと想います”
    といったことでした。

    (つづく〜)

  • >>22

    What a Wonderful World
    美しいものに目を向けて

    直ぐ側に、美しいものがある。
    それを見つけて欲しい。
    ささやかな命に支えられて生きている私たち。
    ”ありがとう”の心で生きている。

    youtube: Louis Armstrong - What a Wonderful World Lyrics.flv


     ”なんてすばらしい世界だろう!”
    〔歌:ルイス、アームストロング_〕

    僕は今、青々とした木を見ている、赤いバラの花も
    その花びらが開いていくのを見つめている、
    僕と君のために咲くその花を、
    そして心に想う、なんて素晴らしい世界なんだろう、

    僕は今、真っ青な空を見上げている、まっ白い雲も、
    輝く太陽に祝福された日、夜の神聖なる暗闇の中で、
    僕は心から想う、なんて素晴らしい世界なんだろう


    虹の色が、空に、可愛く映し出される
    僕の側を通り過ぎる人々の顔だってそう、
    友達同士が握手している、“元気だったかい?“ってね
    本当に伝えたいのは、”I LOVE YOU“

    赤ん坊の泣き声が聞こえる、僕はその成長を見守る、
    あの子はたくさんのことを学んでいくだろう
    僕が一生かかっても学びきれないほどたくさんの事とを
    そんな時、僕は想うんだ、なんて素晴らしい世界なんだろうって、
    生きていることって、なんて、素晴らしいんだろうって。

    〔日本語訳:シモン〕

  • 良介さん、

    >>人生の秋を迎えるてみると・・・肩肘張って威張る能力なんかではなく、雨風に鍛えられた者だけが醸し出してる良い意味での鈍さを秘めた『生きている人』なのでしょう。

    ダーウインも、”生き残るものは、強い者ではなく、環境の変化に順応できる者だ”というようなことを言っていますね。
    これからは、主流で若者と肩競り合って押しつぶされるより、長年培った自分らしいやり方で、後世に想いを繋げたいですね。

    愛犬との散歩道は、愛犬家だけでなくいろんな人がジョギングしたり散歩したりする道ですので、時折、置き去りにされた犬の糞を拾い集めて歩きます。かなり重くなりますが、皆の1日が爽やかなものであることを願えば、何のこともありません。そのうち他にも気をつけてくれる人たちが現れました。ありがたいことです。
    孫が生まれてからは、いつか、孫を連れて来たときに、今楽しんでいる自然をそのまま楽しんでもらえる様にと願い、感謝の気持ちと祈りをもって、糞やゴミ拾いに励んでいます。
    地球レベルの温暖化や平和には手が届きませんが、自分の周りの人との和や、身の回りで皆んなが住みやすい様に、ささやかでも、私にもできることがある気がしています。

  • >>25

    25より、

    今は、自己向上の為の教育が、自分の為の好きな事で、

    その目的は、人様に、より深い奉仕が出来る自分を育てる事であり、
    私の命は、この世で、天が、役に立つとみなされる限り、
    生かされるでしょうし、
    役立たないとみなされたら、自然と、お迎えが来るのではないかと想って、
    気楽に考えています。

    私に出来る事は、
    目の前にある(目の前に、もたらされる)試練、
    私を必要とする者の為に、
    自分なりに出来るかぎりの想いで、向き合う事だけです。
    私の心を支えてくれるすべての命に感謝して、
    その日その日を精一杯生きる事が、
    何時最後が訪れても、
    悔いの無い人生と想えるのではないかと想っています。

    不思議と、必ず、学ぶべき出来事、出逢いは、必ず目の前に訪れる事を、
    そして、
    何時も、ここぞという時には、必ず、大切な出逢いがあリ、
    その出逢いに支えられ、導かれ、
    我が心の赴くままに、信じて進めば、決して迷う事無く道は開かれるという事も学びました。

    此処まで、こういう気持になれるまでに、私なりに色々ありましたが、そして、
    まだまだ、至らない自分を戒めながらの日々ですが、
    学ぶ姿勢を持っているかぎり、前に進めるのではないかと想っています。

    私は、これまで、人との出逢いから学ぶ事が多かったですが、
    近年は、学校で学ぶ、学問から、より深く広い分野への世界を学ばせていただいて、
    自分の中で、掴み様の無かったいろんな思いが解明されて、心が喜んでおります。
    そういう中から、”自分とは何物?”というのも見えて来るのではないかと想っています。

    たかが、脇道に咲くタンポポン分際で、生意気でしょうが、
    たかが、タンポポにも、”一命あり”です!  そして、
    それは、私自身の”命”です。
    私は、真剣なだけです、
    一生懸命”命に感謝”して生きているだけなんです。

    合掌

  • >>24

    23より、
    自分なりに、生きていく。


    私は、たまに、一人でポーンと旅に出ます。
    衝動的に、どうしても、仕事、家族,自分を囲む全てから、
    この場から自分を切り離さなければならなくなる、 ストレスの限界でしょう。
    車に乗って、一人、北へ北へ、西へ西へ,南へ南へと、
    日が暮れる頃、モーターホテルに泊まって、 また翌日走り続ける。
    時には、独り、山を歩き、自然に包まれて、きれいな空気吸って、
    時には、日本とつながっている海風に当たって、
    そうやって、疲れた心を癒して、彷徨い歩くんです。

    そういう時、
    自分に、”わたしの人生って?”と聞くと、
    答えは、いつも
    “哀しい~!”でした。

    家族に、
    もう充分してもらったから、
    これからは、自分の好きな事やってといわれても、
    虚しいばかりで、途方に暮れる自分がある。
    自分の好きな事だけして生きるなんて、
    私にとって、何の幸せともつながらない。
    色々ためしたけど、どうしてもそこだけはかわらないみたい。

  • >>23


    タンポポのような人生:

    コスモスに憧れていましたが、
    私はタンポポのような人生を生きて来ました。

    思いっきり飛んで、風の吹くまま身を任せ、
    遠く見知らぬ地に降り立ってそこに根を生やし、命をつなぐ。

    春一番に世界を黄色に染め、春の息吹を人々の目に運ぶ。

    可愛いけど、好まれる花ではない。

    大事にされるどころか、摘み取られたり、踏み潰されたり。

    それでも、命は繋がれ、また風に乗って遠くに飛んで行く。

    いわゆる雑草、それが私。

  • jnkさん、
    私如き、青二才と語っていただきありがとうございます。
    貴方様のお言葉に、私の心の鏡に内から映り出される自分の姿と向き合うチャンスを頂ける事に感謝いたします。なかなか一人ではできない事です。それでこちらに伺わせていただきました。

    >20代、30代の頃には、いつも心は熱く、ただ生きているだけで幸せでした。

    >今は、何か満たされない自分がいます。生きて行く事がこんなにも苦しくて、悲しくて、淋しい.....

    私は、幼い時からずっと、完璧ではないですが、家族や友人達の愛情に見守られて生きてきました、しかし、いつも、どこか、空を見つめてくのを追っている自分がいて、ちょっと変わった子だったそうです(幼友達曰く)。自己責任で、やりたい事を好きにすればいいという放任主義の母の元、慎重奥手ではありましたが。。。自分の居場所、自分らしく生きたいという念を強く抱いて突き進んでまいりました。幸せとか、満たされた気分とかいうものを感じるのは、ほんの一瞬のことで、大切な人たちを守るために命を投げ出す覚悟で、やるべきことをただやるといった心にコントロールされて突っ走って来ました。(つづく)

    (ここは、容量ギリギリまで書き込むと、投稿できないようですので、幾つかに分けて投稿させていただきます。頭が疎いながら、自分とは?人生とは?の模索中でもありますので、長文になることをお許しください。)

  • >>21

    simonさんへ

    いつも人生を達観したあなたの哲学と言うか思想に感心します。

    恥ずかしながら、60代後半になっても、いまだ人生が分かりません。

    ボランティアをしたり、ブログをしたりして、人とのつながりを求めていますが、

    何か満たされない自分がいます。

    20代、30代の頃には、ただ生きているだけで幸せでした。

    いつも心は熱く勃起をしていました。

    この充実感が永遠に続くものと信じていました。

    しかし今、生きて行く事がこんなにも苦しくて、悲しくて、淋しいものだとは知らなかった。

    あの頃と同じ事をしても、何も熱さを感じない。

    嗚呼、これが老いと言うものなのだろうか。

    やはりいつの日か、枯れ葉がはらりと落ちる様に、

    人もまた、人生の幕を閉じなければならない時が来るのだろう。

  • >>19

    19につづく:

    人生のくだり坂/老いの道を生きるためには、半世紀を駆け抜けて培った、知恵や技を武器に、全力で向き合う覚悟が必要な気がします。
    前触れもなく、確実に自他に何かを失う老いの道は、
    恐怖と、心細く、足元暗い”未知の道のり” です。
    だから、自分のこころを深く理解し悟りのようなものを抱いて、または、真の友を求め、力を合わせて、未来に備えたい、その上で、老いの道と向き合いたいと強く願う時でもある気がします。

    そういった、内へ、外へ向けられるエネルギーを、どんな風に使えばいいのか悩み模索する
    人はそれぞれに違った自分なりのやり方で、この季節を歩くものなのかもしれません。
    それぞれの秋、それぞれの人生.....それでいいんだと、
    そのままの自分を、そして、そのままの他人を受け止めることで、私のこころはが癒される気がします。

  • >>13

    jnkさん、私もそう思います。
    人間は、木々の様な潔さはあまり持っていない様です。人間の心はもっと複雑にできている様です。

    どんな人も、死ぬ前に、心の傷を舐め、許し/許されて、こころ安らかに死を迎えたいという願い(本能)があるそうです。

    この時期を迎え、自分は、どれだけ、次世代のためにしてあげただだろうかという自問に満足な答えが出てない
    というか、自分はどんな人生を歩いてきたんだろう、ちゃんと持って生まれた可能性を最大限に活かせたのだろうか?(言い方変えれば、"なんのために生まれて来たたのか?”という疑問にちゃんと答えられないでいるとか、)
    人生を振り返り、それなりの意味を認識する、自分の心と向き合う作業をする時、
    それが、人間の人生の秋にすべきことなのかもしれません。

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