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22歳 韓国男です

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  • 2016/09/21 01:34
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  • うちの両親がどういう縁で結ばれたのか、全く見当も付かないんです。
    全く男性として魅力が無い、ただただ怖いだけの阿修羅親父と、全く女性として魅力が無い、ただただ楽天的なだけのサザエさんとで、全く外の世界に興味も抱かず、この狭い島国の中だけで自分の置かれた環境や宗教的価値観など話し合うこともせず、どうやって子作りにまで発展出来たのか。
    うちの両親がお互いを求めてキスしたりする姿など想像も出来ないし、したくもない。
    日本の外では綺麗な美男美女がまぐわっている光景を横にして、どうして平気でいられるのか。
    向こうからはこちら側が丸見えなはずなんです。
    だって日本を創ったのは外の人達なんだから。
    人の不幸を見て楽しむために創られたんです。
    それ以外、考えられないんです。
    美男美女が創造主を信じているのだから、海外では美男美女を人工的に創るだけの文明が備わっていることは明らかなんです。
    美男美女を造れる文明がありながら、わざわざ阿修羅親父とサザエさんを創った創造主がいる事は明白なんです。
    わざわざ阿修羅親父とサザエさんの元に私を転生させた「意思」が存在していることは明白なんです。

  • 何故、うちの親はわざわざ、「虐めにも負けない強い子に育つように」と、わざわざ虐められるために生まれてきたような名を子供に名付けたのか。
    親に「自我」が存在しないのでコミュニケーションが成り立たないんです。
    何故、わざわざ、このような劣悪なロボットをアジア人は作ったのか。
    アジア人自身、もっと狡賢く生きようと思えば、わざわざドス黒く小汚い姿に生まれてくる必要などないはずなんです。
    本当に賢ければもっと善良そうな風貌で善良に生きることだって出来たはずなんです。
    何故、わざわざ、アジア人はあそこまであからさまに邪悪なんでしょうか?
    誰がどう見たって韓国人は前世、ゴキブリです。
    明らかにどう見たって分かりやす過ぎるくらい、アジア人の本性は獣です。
    近寄りたくもないくらい、汚らわしいオーラを発してます。
    ただ、日本人は日本人で、魅力が全くありません。
    頭と顔と性格が悪い無価値な人の集まりです。
    不潔感は無いが、無意味に虚無なくらい、綺麗好きなだけです。

  • 手塚治虫の漫画の中でブッダは説いている。
    「ごみ溜め場の中で生まれた白い象と、貴族の庭園に生まれたドス黒く薄汚れた象、どちらを敬うか?」
    そのまんま、私個人に向けた発言である。
    つまり、この本棚に置いてあるブッダの漫画自体、アジア人が用意した小道具なんです。
    こういう環境の中で子供を造る親の神経が理解出来ない。
    つまり、私にとっては実の親すら、信用出来ないんです。
    どういう神経で子供を造ったのか理解出来ないので、親子のコミュニケーションが成り立たないんです。

  • インドという、肌の黒い清潔感のない民族が繁殖する「西方浄土」が存在する、というのは概念上の「知識」に過ぎず、日本に住む私にとっては実体のない蜃気楼のようなものであり、それが私の生活に何ら影響を及ぼさない限りは「実存する」とは言い難い。
    同様に、この日本において、日本の常識、「普通」を普通たらしめている素因とは一体、何なのか。
    日本人にとっては「普通」、自我は存在しないのが「普通」であり、人間の肌は「普通」、黄色いものであり、仏教が「普通」であり、キリスト教がマイノリティであり、悪が奨励され、正義が排斥される、この「普通」を形成しているのは何の力によるものなのか。
    私のような日本の一市民に過ぎない一般人と一匹の犬との出会いがインドのクリシュナ神と結びつく因果関係、こういう世界の構造を構築している力の正体とは何なのか。
    日本の天皇制、皇室という存在、日本に住む一般市民でありながら、その存在の意味するところ、実体を生まれた時から死ぬまで知る術を持たない、このような国家に暮らさざるを得ない、こういう状況を私に強いている力の正体とは何なのか。
    何故、子供の頃、鏡の中にゲゲゲの鬼太郎が現れたのか。
    甥っ子の「空知」がたまに「蛇」のように見えるのは何故なのか。
    何故、私の目には甥っ子の空知がガンダムUCの「アンジェロ・ザウパー」とダブって見えてしまうのか、奇遇にも、同時期に自分をZガンダムのカミーユ・ビダンと同一視する神道の弥生民族と出会い、ドゥルガー(近寄りがたい女神)の愛ちゃんと出会い、その子供の名がガネーシャ神を暗示する「龍聖君」で、私が生まれた時から本棚に置いてあった手塚治虫の「ブッダ」の漫画の中に、全て現在の私に向けた暗示の言葉が敷き詰められているように見えてしまうのは何故なのか。

  • 「戦わない生き方」

    つまり、1万人の敵を切り殺す残虐非道の英雄より、たった一匹のカタツムリの死を生涯、心に背負い続ける不能者でありたい。

  • 例えば、私は、親父と修羅場のような親子喧嘩を展開した際、いつも救ってくれたのは飼い猫の存在でした。
    飼い猫が私の振る舞いに恐怖して逃げ出すと、それは私にとっても悲しいことだからです。
    猫さえ寄り付いてくれなくなったら人間はお終いだと思います。
    つまり、振り上げた拳を他人様にぶつける事に「強さ」を見出すのではなく、振り上げた拳を引っ込める勇気にこそ「強さ」を見出すべきであると、私は思います。
    これが宗教(自我=アートマン)の神髄である、と思います。

  • 何故、暴力がいけないかというと、権力者が弱者の言論を封じ込めると、それは権力者側が自分を客観視出来なくなる、という盲目状態に陥るからです。
    ゴ リラ顔のイ モ縄文人がどんなに肩怒らせて他人の言論を封じ込めても、結局、イ モはイ モに過ぎない、という、それは全く非建設的であるからです。
    ゴ リラ顔であるのは本人の責任であってそれは他人に背負わされるべき問題ではないはずです。
    それよりも、何故、自分がイ モに生まれてきたのか、その宗教的因果についてしっかりと思い至り、来世に希望を見出す方がよっぽど建設的である、と、それこそ宗教の価値が今こそ思い起こされるべき時期なのではないでしょうか。

  • つまり、日本人には「アートマン(魂)」が備わっていないので、邪気に取りつかれやすいんです。
    一度、取りつかれると、自分で自分をコントール出来ないんです。
    他のアジア人を見ても、肌の張り、骨格などからもしても、はっきり言って全く別種の生き物です。腹の中でどんな邪悪なことを考えていても、実際に残忍な行いをしていても、全く表情一つ変えずに振る舞えるように予め「設計」されてるんです。
    確かに、うちの親父は無意味に「怖い」人だった。
    負の感情に取りつかれるとそのまま、ブレーキが利かなくなるんです。
    その破壊力は他の民族と比べると蠅並みなのに、とにかく存在自体が有害でした。
    周りは気付いていないと思ってるのは日本人だけですよ。
    だって日本を創ったのはアジア人なんだから。
    排除されるべくして生まれてきたんです。
    予め、敵によって選別されて生まれてきたんだから。

  • 当時、カタツムリを飼育していましたが、私が大切にしていたカタツムリを同級生の「門田君」が踏みつぶして殺してしまいました。
    それ自体は「門田君」の過失であり、「生き物を大切にしましょう」という前例として挙げる事が出来ますが、それ以前に、「門田君」を創った神様がいるわけです。
    「門田君」に「カタツムリ」を殺させたのもカタツムリの神様といえるわけです。
    こうなってくると、単なる綺麗事では済まないんです。
    それだけ、大陸側とでは文明に大きな差が開いている、という単なる「政治」の次元の話になってくるわけです。

  • ヴィシュヌ神とやらが存在するとすれば、クロベエに慈悲を掛けたのは当然である、と言えます。
    悪いのは日本の子供であり、日本の子供と馴染めなかった私自身であり、クロベエに頼ってしまった私の責任である、と言えます。
    しかし、「ヴィシュヌ神」とは別に「ブラフマー神」も存在するとした場合、全ての縁が大陸人によって計画され、私がクロベエに頼ることも計画の範疇であったとすれば、決して「クロベエ」を単なる可哀想な被害者とは言い切れなくなってくるわけです。
    相当、ドス黒い、狡猾な神様、という事になってきます。
    だって「死」さえ無力なんだから。
    憐れむに値しないんです。

  • 当時、テレビでは「俺たちひょうきん族」が放映されていて、私はタケちゃんマンの真似をして遊んでいました。
    周りの子はそういうストレートに陽気な気質をあまり好まず、どちらかというと「ドラゴンボール」のフリーザの真似をする「悪」が幅を利かせ、流行に乗れていない、と言ってはいちいち絡まれていました。
    そういう風に学校で孤立してしまい、庭の縁側でクロベエに相談に乗ってもらっていました。
    そしたら、クロベエは散歩の途中、母が手綱を放すと、逃げてしまい、帰ってきませんでした。

  • さらに、私がクロベエと出会う当時、巷ではゲームボーイが流行っていました。
    私がはまっていたのは「魔界塔士SAGA」。
    塔を上る途中の一つのステージとして主人公パーティがたどり着くのが廃墟と化した東京。
    主人公の味方になるNPCとして、暴走族が登場します。
    暴走族は不死鳥フェニックスを街から追い出すために戦っています。
    今思うと、あのフェニックスも私の事だったんです。
    在日クリスチャンの映画「少年H」とリンクします。
    ラスボス神様を倒す前にも「最終防衛システム」が登場します。
    ラスボスを「ビシュヌ神」と仮定すると、私が最終防衛システム、という事になります。
    当時、クラスメイトが先にゲームをクリアして、私にネタバラシしてしまい、私は怒って彼を殴ってしまいました。
    彼がシヴァ神に歯をへし折られたアスラ「プーシャン」だったんです。
    ヒンドゥー教の聖典に書いてあるんです。
    クロベエ視点で。

  • だから、本当に、何の誇張もなく、言葉上の比喩でもなく、ゴーストバスターズの「マシュマロマン」のモデルは「私」です。

  • 一見、ルドラ神に見える「熱気バサラ」が「仏教徒のチバちゃん」である根拠。

    熱気バサラはいつも「俺の歌を聴けー!」と一方的に求めるばかりの立場でした。
    ミレーナジーナスは半分、神性が備わっているので、そのようにズケズケと人様に要求出来ない気質なんです。
    どちらからというと現世界では熱気バサラに与えるばかりの立場なんです。
    熱気バサラは散々、人から奪うだけ奪って、感謝することもなく、反省することもなく、ただひたすら人に迷惑をかけて満足にふける性質がありました。
    物象界ではこういう男がモテるんです。
    鏡の裏表。
    このバサラからのストレスを一身に受けたルドラ神が家庭内で暴れると、山の神がそれを受け止める必要が生じ、それがクリシュナ神(クロベエ)を通じて全世界に伝わり、ハリウッドで映画化されるんです。

  • ジオンの栄光、松田優作と連邦の白い悪魔、クラーク・ケントが戦ったらどっちが強いか。
    勝利の女神は「義」のある方に微笑むはずです。
    松田優作の搭乗機体はアナベル・ガトー専用ゲルググ。
    クラーク・ケントはZZガンダム。
    まず、ジオンが連邦に戦いを挑むこと自体が「義」に反しているので初戦から不利です。
    しかし、それにも増して、クラーク・ケントのモビルスーツの性能はジオンの常識からはあまりにもかけ離れ過ぎた化け物であるので、クラーク・ケントに勝利の女神が微笑むと、それはすでにほとんど松田優作の存在を無視する結果に繋がります。
    そんな不公平が許されるべきではありません。
    そこで、勝利の女神の「目」に邪推が混じり始めます。
    クラーク・ケントがクラーク・ケントである所以、因果関係。
    松田優作は無神論の「無我」であるので、まず、彼の振る舞いに悪意はありません。
    クラーク・ケントの不自然過ぎる分厚い胸板に、前世のどす黒い悪意を感じずにはおれません。
    何故、ヒーローになろうと思ったのか。
    何故、貧弱な人間に過ぎない松田優作に対して、そのような化け物じみたモビルスーツを運用する必要があったのか。
    ここに、松田優作とクラーク・ケントが対等の土俵に登るヒントが隠されている気がしてなりません

  • 高校時代の同級生、映画監督志望。
    とても可愛くて魅力的な女性だったが、結局、疎遠になってしまった。
    これもどうも宗教的因果を感じずにおれない。
    一見、ジュリエットルイスのようなセンスのある女の子だったが、映画を創らせると「空也上人」をモデルにして非常に陰質な雰囲気の作品だった。
    彼女自身、江戸川乱歩など私自身はよく分からない暗い作品を好む傾向が強かった。
    実際、彼女自身が、踊念仏の体現者だったのかもしれない。

  • マクロスデルタのヒロイン、フレイア・ヴィオンは大学の剣道部の同級生。
    福島出身で少し東北訛りがあり、腐れ縁で同じ部活仲間として仲良くやっていたが恋愛絡みで拗れてその後、音信不通に。

    ∀ガンダムのソシエ・ハイムは放送学科の同級生。
    静岡出身の素朴な女の子で気が合ったがチバちゃんとの三角関係で上手くいかないまま、いつの間にか他所の旦那と結婚し、人妻に。

    全部、運命だったんだ。
    上手くいかない運命だったんだ。
    ディアナ・ソレルと結ばれるために。

  • 脚本家を志していると松屋で三谷幸喜が牛丼を食っていたり、精神病院に入院すると看護婦が学生時代大好きだった筋肉少女帯のメンバーの奥さんだったり、影絵の仕事に就くと上司が学生時代大好きだった阿部公房の元弟子だったり、芸能事務所の座長がシャア・アズナブルそっくりなグエン・サード・ラインフォードでロラン・セアックのように女装させられたり、鳥肌実はザビ家の長男そっくりで、影絵の上司の奥さんがロシア人でランバ・ラルそっくりだったり、全て物象界は幻影なのだと今は悟ったのでもう、何も怖いものがありません。
    人生が努力で構築するものではないこともすでに悟っているのでもはや、今生界でやるべきことはありません。
    後は可能な限り、夢枕にフィギュアを収集するだけです。

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