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自分用メモ

自分用メモの掲示板

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  • 2021/04/18 17:15
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当社が投資の勧誘を目的としているものではありません。

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    ●失敗を恐れる雰囲気もあった

     当時の社員向け説明会では、現場の社員から「新規事業への挑戦にあたり、本当に赤字が許容されるのか」という質問も出たという。VAIO発足以来、収益の回復を最優先してきたことで、失敗を恐れて挑戦できない雰囲気が社内に満ちていた。

     VAIOには苦い経験もある。MVNO(仮想移動体通信事業者)の日本通信と共同で企画し、華々しく発表したスマートフォン「VAIO Phone」が鳴かず飛ばずだったのだ。VAIOのこだわりが感じられないデザインで、端末としての際立った魅力を提示できなかった。後にノートパソコンのデザインとの統一感を持たせた機種も投入したが、スマホ大手の牙城を崩すには至らず、スマホから事実上撤退している状況だ。

     新たなビジネスの種をどう見つけ、どう取り組むべきなのか。その具体例を社員に示すために取り組むのがドローン事業だ。イノベーション本部が手掛ける新規事業の第1弾として、ドローン事業を推進する子会社VFR(東京・千代田)を20年3月に設立。留目氏が社長に就任した。

     ドローンを選んだのは、国内では産業基盤がまだ確立していないからだ。VAIO単独ではなく、スタートアップなど外部の企業と連携しながら産業そのものを立ち上げる経験を積む狙いがある。「今VAIOに求められているのは、VAIOブランドのドローンを作ることではない。VAIOが持つコンピューティングや通信、製造の技術をプラットフォームとして提供していく」と留目氏は話す。自ら要素技術を開発していくことで、ドローン産業が確立した段階で主導権を握る目算だ。

     ドローンに続く芽も現場から出てきた。新規事業の第2弾として20年11月に事業化した企業向けリモートアクセスサービス「ソコワク」だ。この事業は同年6月に始めた「ビジネスプロデューサー制度」から生まれた。この制度は、ビジネスプロデューサーに任命された現場の社員が新規事業を立案し、役員などで構成される「イノベーション戦略コミッティー」で承認されれば事業化に進む仕組みだ。

    ●事業化に向けて質問攻め

     ソコワクのビジネスプロデューサーである安藤徹次氏は、安曇野工場の前身であるソニーイーエムシーエス長野テックに入社以来、パソコンのソフトウエア開発一筋で歩んできた技術者だ。ソコワクの原型となったVAIO専用のセキュリティーサービスを開発したことから白羽の矢が立った。

     事業化に向けて動き出した安藤氏の指導役になったのは山本社長。「VAIOがやる意義はどこにあるのか」「ユーザーにどういうメリットを与えられるのか」「ユーザーはいくら払ってくれるのか」──。山本社長の空き時間を見つけては足しげく相談に通った安藤氏は、技術者としてはあまり考えてこなかった視点を繰り返し問われた。「収益の考え方、マーケティングや営業のアプローチ手法など知らないことばかりだった。理解が足りないとすぐ見抜かれるので必死で勉強した」と振り返る。

     これらの新規事業がVAIOの収益向上に貢献するまでにはまだ時間がかかるだろう。それでもVAIOが将来にわたって成長するためには、新規事業のタネをまき、早く立ち上げて育てるしかない。その問題意識は徐々に定着しつつあるようだ。今年に入り、社員を対象に初めてビジネスプロデューサーを公募したところ、複数の社員が手を挙げたという。

     「VAIOに求められているのは『Wow』だ」。山本社長はソニーの経営陣がよく使う言葉を使いながら、「驚き」を与えようとするソニーのDNAを継承する方向性を示す。不振事業として切り離されたVAIOが自らの存在価値を示す第1段階は脱した。次は、社員の企画力や技術力を新規事業で本当に開花させられるか。それができたときがVAIOの真の「独立」となる。

    ▼INTERVIEW
    山本知弘社長に聞く「株式上場は成長に向けた選択肢の一つ」

     VAIOをカーブアウト(事業の切り離し)するときの方針は明確でした。個人向けで培ってきた技術とデザインの資産を生かし、法人向けパソコンと新規事業に進出するというものです。その事業転換をきちんとできるかどうかが成功の鍵を握っていました。

     法人向けへの転換の手応えを感じたのはここ2~3年です。台数を追い求めるのではなく、我々の商品の価値を理解して買ってもらえる案件の獲得に集中することで利益率が上がってきました。最近は(1台当たり4万5000円の補助金が出る)「GIGAスクール構想」の需要が増えていましたが、あの価格ではできません。

     「VAIO Z」の開発に踏み切れたのは、経営の基盤が整ったことが大きい。以前から検討は進んでいたのですが、私が社長になってからゴーサインを出しました。

     2019年秋にデザイナーと話していたときに「実はボディーをフルカーボンで作るという選択肢もあって、試作品はあるんですよ」と言われたんです。軽くて固い素材だけれども曲げる加工が困難とされるカーボン。その量産加工は前人未到です。将来の成長のために、リスクを取ってでもやろうと決断しました。実は、パソコン事業だけを考えた決断ではありませんでした。ちょうど参入を検討していたドローンにもカーボンの加工技術を応用できると考えたのです。

     私のミッションは、VAIOの成長を加速させることです。そのための基盤を整備し、社員の間に挑戦するマインドをつくっていく。CINO(チーフイノベーションオフィサー)として招いた留目真伸氏には社外からの視点で刺激を与えてもらっていますし、挑戦した上での失敗は認めるというメッセージは社員に伝わりつつあります。

     9割超の株式を持つ日本産業パートナーズ(JIP)にとってのエグジット戦略は彼らが決めることなので、私は話す立場にありません。VAIOの社長としては、成長資金を市場で調達するという観点から、株式上場は選択肢の一つになると考えています。今はモノとサービスの関係が強固になってきているので、そういった組み合わせの再編もあり得るかもしれません。(談)

    佐藤 嘉彦

  • ソニーから独立したVAIO、撤退事業が利益率10%に

    ソニーが不振だったパソコン事業を切り離してから7年弱。独立したVAIOは復活を遂げた。事業規模こそかつての水準とは比べものにならないが、営業利益率は10%を達成。6年ぶりに最上位機種も刷新した。VAIOはどのように復活し、どこに向かうのか。

     「速さ、スタミナ、頑丈さ、そして軽量性の均衡を破るブレークスルーを実現した」。2月18日にパソコンメーカーのVAIO(長野県安曇野市)が開いた発表会。山本知弘社長はこう述べ、ノートパソコンの最上位機種「VAIO Z」の商品力に自信を見せた。

     ソニーのパソコン事業が独立したVAIOにとって「Z」は、2008年にソニーが発売した「type Z」以来、最上位機種の象徴だった。そのZの刷新は何と6年ぶり。ソニー時代からパソコンの開発に携わってきたPC事業本部長兼イノベーション本部長の林薫氏は「VAIOの技術者はみんなVAIO Zを作りたいと思い続けてきた」と振り返る。

     新型Zの開発プロジェクトのコード名は「FUJI」。最も困難な開発をやり遂げるという決意から、日本一の山の名を冠した。世界で初めてノートパソコンのボディー全体の素材に炭素繊維(カーボンファイバー)を採用。デスクトップパソコン向けの高性能CPU(中央演算処理装置)や最大34時間駆動の大容量電池を内蔵しながら、1kgを切る軽さを実現した。

    ●1100人から240人に縮小

     VAIOブランドのパソコンを手掛けていたソニーが不振のパソコン部門を投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP、東京・千代田)に譲渡すると決めたのは14年2月。JIPが95%、ソニーが5%を出資する形で同年7月に新会社のVAIOを設立した。

     世界で年間500万台以上を販売していたソニーのパソコン事業は、14年3月期の売上高が4182億円で、国内だけで約1100人が関わっていた。海外から撤退し、国内だけで販売する体制で再スタートを切ったVAIOに残っていた社員は240人。売上高は初年度(15年5月期)にわずか73億円まで縮小し、20億円の営業赤字を出した。強力なブランドこそ持つものの、事業自体を一から作り直さなければならないような状況だった。

     独立から約半年後に発売した先代のVAIO Zは「ソニー時代から開発が進んでいたから世に送り出せた」と林氏は振り返る。それ以降、新しい技術をつぎ込まなくてはならない最上位機種は「会社の体力がなく、独力で開発するのは厳しかった」(林氏)。

     そのVAIOは今や、売上高257億円、営業利益26億円(いずれも20年5月期)まで回復した。事業規模はかつての水準とは比べものにならないが、営業利益率は電機メーカーとして高水準の10%をたたき出す。

     15年にVAIOの社外取締役に就任し、19年から社長を務めるJIP出身の山本氏は「経営基盤が整ったことで(VAIO社員の悲願だったZの刷新に)ようやく踏み切れた」と明かす。新型のZは、不振だったソニーのパソコン事業がVAIOという一企業として独り立ちできたことの証しなのだ。

    “とがった”目標は封印
     VAIOの再生に向けてJIPが立てた戦略は、「ソニー時代に培ってきた技術とデザインという2つの資産を生かして新たな市場に出る」というものだった。新たな市場とは「法人向けパソコン」と「新規事業」。VAIOは決して特別なことをしたわけではない。企業での利用に適した製品を開発し、企業が買ってくれやすい販売体制をつくる地道な努力を、我慢強く続けてきた。

     ソニー時代のパソコン事業は、目を引くような“とがった”デザインや性能を実現し、個人向け製品を拡大することに集中してきた。ところが、スマホの普及によって個人向けのパソコン需要が減少。製品が成熟して差異化が難しくなったことも重なり、事業撤退に追い込まれていった。

     「仕事の生産性を高めるパソコンとは何かという新しい開発テーマの下、ひたすら自問し続けた」。林氏は、VAIOとしてスタートを切ったころをこう振り返る。そこから浮かんできたのは、枯れた技術をあえて残す「逆張り作戦」だった。「パソコンは頻繁にモデルチェンジするが、会議室などに設置されたケーブル類はすぐには変わらないと気付いた」(林氏)

     ソニー時代に追いかけた「世界最小」「世界最軽量」といったとがった開発目標は封印。有線LANやアナログ映像出力の端子など、仕事で使うユーザーにとって「使わないことも多いが、たまにどうしても必要なことがある」ものを残す方針に転換した。

     製品の方向性を変えた一方で、ソニー時代からのデザインへのこだわりは貫いた。「実は法人向けモデルにはユーザーが2人いる。パソコンの購買や管理をするIT(情報技術)担当者と、実際に使う社員だ」と林氏は指摘する。他のメーカーはIT担当者の意向を重視する傾向が強いが、VAIOが持つ強みを生かすには実際に使う人たちが積極的に持ちたくなるデザインにすることが得策だと考えた。それが結果的に会社全体の生産性向上につながって評価されるとの目算だった。

    ●ほぼゼロだった法人向け

     ただし、いい商品を開発するだけで経営が立ち直るわけではない。初期のVAIOに決定的に欠けていたのが法人への販売力だった。ソニーから引き継いだのは商品企画と設計、製造の部門であり、販売はソニーの販売子会社に任せっきりだったからだ。ほぼゼロだった法人向けの販路を開拓するには、自ら販売する力を付ける必要があった。

     「VAIOには圧倒的なブランド力と商品力がある。これで売れないはずがない」。16年7月にVAIOに中途入社した宮本琢也氏(現在は営業統括本部副本部長)は、採用面接で「どうやったら法人向けに売れると思うか」と問われたときにこう答えたという。東芝でパソコンの法人営業やマーケティングなどに20年以上携わった宮本氏は、VAIOの強みを身に染みて感じてきた一方で、弱みも分かっていた。「東芝時代、個人向けでは何度も辛酸をなめてきたが、法人営業でVAIOと競合したのは1回だけだった」(宮本氏)

     当時のVAIOは、法人営業の部署はあるものの専任者がおらず、マーケティング部門の担当者が兼任している状態だった。商談には設計部門などの門外漢も応援に駆り出されるほど。外部に対しては「製品のことがよく分かっている開発担当者が営業に同行し、顧客の疑問に答えたり次世代製品の開発に生かしたりする」と説明していたものの、営業力の弱さは明白だった。

     「とにかく1件でも多くアポを取って。全部自分が同行するから」。入社した宮本氏は営業スタッフにハッパを掛け、1日4~5社を訪ね歩く日々を重ねた。VAIOのブランド力のおかげでアポこそ入るものの、「法人向けもやっていたのですね」と毎回のように驚かれたという。少ない台数を試しに導入して使い勝手を確かめてもらうといった営業活動を繰り返しながら、未整備だった見積もり作成や受発注のシステムの整備も進めていった。

     事前にソフトを組み込むなどの顧客ごとのカスタマイズ作業を安曇野工場で受け持つ体制も整えた。開発・製造・アフターサービスの部門が集結する拠点で出荷前の最終的な作業を担当し、顧客企業に安心感を与える狙いだ。

     そうした取り組みが少しずつ実を結び、法人向け販売は拡大の一途をたどった。20年5月期には法人向け販売比率が75%まで達し、これがVAIOの再生を決定付けた。法人営業の部署は、今では数十人の専任スタッフが所属する規模に拡大。法人向け販売をさらに増やすことを目指している。

     足元では、コロナ禍によるテレワークの浸透も追い風となっている。20年3月ごろから大型案件が前倒しで入り始めたことを受け、6月には工場の生産能力を2倍に増強した。スピーディーな意思決定は、独立で小回りの利く組織になったからこそでもある。

     法人向けパソコン事業を経営の安定的な基盤に育て上げたVAIOだが、パソコン自体はこれから大きな伸びが期待できる市場ではない。企業として成長するためには、VAIO設立当初からの目標だったパソコン以外の柱の構築が欠かせない。

     かつて「AIBO(アイボ)」などのソニーのロボットを製造したことでも知られる安曇野の工場のノウハウを生かすため、VAIOは15年にEMS(電子機器の受託製造サービス)事業を開始した。トヨタ自動車や富士ソフト、バンダイなどからロボットの開発や製造を受託し、それなりの利益も上げてきた。とはいえ、あくまでも下請けとして関わっている状況。山本社長は「数々の革新的な商品を生み出してきたソニーのDNAが生かされていない」と歯がゆさを感じていたという。

     19年6月に副社長としてVAIOの経営に本格的に参加した山本氏は、デル日本法人のマーケティング責任者やレノボ・ジャパンおよびNECパーソナルコンピュータの社長を歴任した留目真伸氏をCINO(チーフイノベーションオフィサー)として招へいした。外部の視点を入れながら新規事業を立ち上げる役割を期待しての起用だ。

     山本氏は19年8月に社長に就任するとすぐ、新規事業全般を担ってきたNB(ニュービジネス)事業部を解体し、EMS事業本部とイノベーション本部に分離。EMS事業は継続しつつも、VAIOが主体となって新たなビジネスに取り組むという社内外への宣言だった。

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