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メモ代わりその他の掲示板

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  • 2022/01/26 15:53
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  • 2022-01-26 15:44
    コメント
    オミクロン感染拡大でも日米欧の製造業は改善継続=BNPパリバ

     BNPパリバ証券では、オミクロン株の感染が急拡大したが、先進国経済は総じて堅調を保っているとコメント。1月の日本・米国・ユーロ圏のPMIは、日本のサービス以外は、拡大・縮小の分岐となる「50」を上回った。日米欧ともに新規感染は過去最悪を更新しているが、オミクロン株の毒性は低く、また、米欧ではブースター接種が進展していることもあり、厳格な行動規制は敷かれていない。このため、先進国において需要が激減することはないとBNPパリバでは考えている。ただし、感染者数があまりに多く、欠勤などの増加で経済活動に支障が出るケースが散見されるとのこと。各国で解消に向かっていたボトルネック問題が今回の感染拡大によって滞り、インフレ圧力の緩和を遅らせるリスクは否めないと指摘している。

  • 2022-01-26 08:11
    ニュース
    米ファイザー、オミクロン特化型の治験開始=時事

    時事通信によると、米製薬大手ファイザーは25日、新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」に特化したワクチンの臨床試験(治験)を始めたと発表した。ワクチンの安全性や有効性を確認し、早期の実用化を目指す。

    治験には18〜55歳の最大1420人が参加。3グループに分け、これまでにコロナワクチンを接種していない人には、オミクロン特化型を3回投与する。ファイザー製ワクチンを2回接種済みの人にはオミクロン特化型を1〜2回投与。ファイザー製を3回接種済みの人には、4回目として現行のファイザー製を投与するか、オミクロン特化型を投与する見通し。
    同社のブーラ最高経営責任者(CEO)は今月、米テレビに対し、オミクロン特化型ワクチンが3月にも準備できるとの見方を示していた。

  • >>218

    新宿ゴールデン街に通じる「四季の路」。都電の廃線跡(乗りものニュース編集部撮影)。

    メモ代わりその他 新宿ゴールデン街に通じる「四季の路」。都電の廃線跡(乗りものニュース編集部撮影)。

  • やっぱり廃線跡だった! 東京「鉄道ファン目線でアヤシイ小道」5選

    気づかない? そこはかつての線路
     廃線となった鉄道の線路は、しばらくそのままになっていたり、車道などに転用されたりすることもあれば、自転車道や遊歩道として整備されていたりすることもあります。とはいえ、時間が経つにつれ、線路があった頃の記憶は人々から薄れていくことでしょう。

     一方で、そうした線路の痕跡をたどる廃線めぐりは、様々な楽しみ方がある鉄道ファンの趣味のひとつとしても広く認知されています。今回は東京の街の風景に隠れた「元・線路」の小道を5つ紹介します。

    新宿ゴールデン街の廃線跡:新宿遊歩道公園「四季の路」
    新宿ゴールデン街に通じる「四季の路」。都電の廃線跡(乗りものニュース編集部撮影)。

     日本一の歓楽街・新宿歌舞伎町の東側に、小さな飲食店が密集し文化人が夜な夜な集うともいわれる「新宿ゴールデン街」があります。「四季の路」は、靖国通りの新宿区役所前交差点から斜めに伸び、このゴールデン街の横を貫く遊歩道です。

     ここはもともと、都電の線路です。靖国通りから都電の大久保車庫へ向かう引き込み線のような存在でした。1970(昭和45)年に廃止され、線路跡の一部は遊歩道になり、明治通りの東側にあった大久保車庫は、新宿文化センターに生まれ変わりました。

    上水の跡は鉄道の跡でもある:玉川上水旧水路緑道
     ゴールデン街から新宿駅を挟んで反対の南西側にも、廃線跡を整備した緑道があります。かつて新宿から玉川上水に沿って地上を走っていた京王線の跡で、現在は上水と京王線とも、この緑道の下を通っています。

     地上時代の京王線は、新宿駅から甲州街道上を走り、文化学園の近くで甲州街道から離れ、上水沿いを走っていました。文化学園付近では、甲州街道沿いに立ち並ぶ妙に細長い建物や、道路の切り回しに、かつての線路敷の名残を感じられます。

     なお玉川上水旧水路緑道については、渋谷区が再整備を検討しています。

    国鉄の廃線、「軍都」の廃線、壮大な廃線跡緑道も
     やや郊外のエリアにも、街なかの廃線跡が存在します。

    中央線からカーブを描く線形がアヤシイ:堀合緑道・グリーンパーク緑道
     中央線の三鷹駅付近の地図を見ると、駅の西側から分岐するようにカーブを描き、北東方向へ向かっている小道があります。これはかつての中央線の支線「武蔵野競技場線」の廃線跡で、大部分が堀合緑道(三鷹市)、グリーンパーク緑道(武蔵野市内)として整備されています。

     この路線は、戦時中にあった中島飛行機の工場への引き込み線跡を活用したもので、工場跡の一角に「グリーンパーク野球場」が造られたのを機に、その旅客輸送を目的として国鉄が1951(昭和26)年に開業、中央線から列車を運行しました。

     グリーンパーク野球場は国鉄スワローズ(ヤクルトスワローズの前身)が本拠地としたものの、わずか1シーズンで閉鎖、武蔵野競技場線も3年後に廃止されました。中島飛行機工場や球場の跡地は、都立武蔵野中央公園などになっています。

    神社の参道も実は廃線跡:赤羽緑道公園
    赤羽緑道公園(乗りものニュース編集部撮影)。

     赤羽駅西側の赤羽台には東京でも有数の一大団地が形成されていますが、その高台のふもとに沿うような形で、JR線付近から南西方向へカーブしながら続いているのが赤羽緑道公園です。

     緑道は、かつての陸軍兵器補給廠専用線の廃線跡に整備されています。戦前の赤羽台から桐ケ丘、板橋方面にかけて旧日本陸軍の施設が広がっており、もとは国鉄線からそこへ物資を運ぶための専用線でした。緑道には線路を模したような路面のデザインなど、廃線跡を感じられる仕掛けが随所に見られます。ちなみに、埼京線と東北本線に挟まれた位置に鎮座する赤羽八幡神社の参道の一部も、かつての専用線跡です。

    江東区を南北に:亀戸・大島・南砂緑道公園
     亀戸駅前の京葉道路(国道14号)から、南へ「亀戸緑道公園」がまっすぐ延びています。首都高の下を過ぎ「大島緑道公園」と名を変え、新大橋通りを過ぎると蛇行して明治通りへと続きます。その明治通りを1.5kmほど南下した南砂三丁目付近に、再び緑道の入口がありますが、これが「南砂緑道公園」で、大きなカーブを描いてさらに南の永代通りへと続いています。

     これらはいずれも、都電砂町線の跡。錦糸堀から逆コの字型を描くようにして日本橋までを結んだ38系統が通っていました。さらに歴史を遡ると、この路線は城東電気軌道という私鉄が開業したものです。

     緑道にはレールのモニュメントや、実際の都電車両の車輪などがあり、都電の面影を伝えています。また、南砂緑道公園はJRの貨物線(越中島線)の下をくぐりますが、そこには「城東電軌こ線ガード」と書かれたJRの看板もあり、私鉄時代からの歴史をしのぶことができます。

  • 東京の住宅街に潜む廃線「北王子貨物線」を巡る 鳴らない踏切 埋もれた線路

    日本各地に残る廃線跡ですが、都内にもはっきりとしたものが存在。その一つが「北王子貨物線」で、踏切や線路が今も現地に残っています。この廃線跡の現状を見てきました。

    都心からすぐそばにある廃線跡
     鉄道が廃止になったあと、線路や鉄道施設などの遺構が残されたいわゆる「廃線跡」が、各地に存在しています。実は東京都内にも、廃線跡がいくつかあります。その中の一つが、北区に残る「北王子貨物線」の廃線跡です。

    「北王子貨物線」の廃線跡。雑草に埋もれる前(2018年12月、乗りものニュース編集部撮影。)
     この廃線跡は、京浜東北線の王子駅から、北東の住宅地の中へ分岐していきます。駅から5分ほど歩くと、閉鎖された踏切が見えてきました。フェンスに囲まれた狭い一帯が、王子駅の方角から、高層マンションに向かって伸びていきます。雑草に覆われ、緩やかなカーブを描くこの細長い敷地が、北王子貨物線の廃線跡です。

     北王子貨物線は、王子製紙(現在の日本製紙)が敷設した専用線を由来とします。1927(昭和2)年に国鉄の所有となった後も、生産された紙製品を輸送する貨物列車が走り続けましたが、2014(平成26)年に運行を終了しました。

     かつてヤードがあった北王子貨物駅にはマンションが建ち並んでおり、一見しただけではかつての面影はありません。しかし現地を歩いてみると、当時の線路が路面に埋められた形でそのまま残っています。中には、「8:10」「9:50」……といった文字が刻まれた銘板が、路面に埋設されています。これは貨物列車の通過時刻。この地と貨物線の関わりをしのぶ光景となっています。
     
     現在、フェンスに囲われたままになっている廃線跡の再活用について、具体的な話はまだありません。神奈川県大和市では2021年3月、米軍厚木基地の専用線跡が完全に撤去される見込みです。時代を越えて鉄路の記憶を伝える廃線跡ですが、残された時間はさほど長くないのかもしれません。

    メモ代わりその他 東京の住宅街に潜む廃線「北王子貨物線」を巡る 鳴らない踏切 埋もれた線路  日本各地に残る廃線跡ですが、都内にもはっきりとしたものが存在。その一つが「北王子貨物線」で、踏切や線路が今も現地に残っています。この廃線跡の現状を見てきました。  都心からすぐそばにある廃線跡  鉄道が廃止になったあと、線路や鉄道施設などの遺構が残されたいわゆる「廃線跡」が、各地に存在しています。実は東京都内にも、廃線跡がいくつかあります。その中の一つが、北区に残る「北王子貨物線」の廃線跡です。  「北王子貨物線」の廃線跡。雑草に埋もれる前(2018年12月、乗りものニュース編集部撮影。)  この廃線跡は、京浜東北線の王子駅から、北東の住宅地の中へ分岐していきます。駅から5分ほど歩くと、閉鎖された踏切が見えてきました。フェンスに囲まれた狭い一帯が、王子駅の方角から、高層マンションに向かって伸びていきます。雑草に覆われ、緩やかなカーブを描くこの細長い敷地が、北王子貨物線の廃線跡です。   北王子貨物線は、王子製紙(現在の日本製紙)が敷設した専用線を由来とします。1927(昭和2)年に国鉄の所有となった後も、生産された紙製品を輸送する貨物列車が走り続けましたが、2014(平成26)年に運行を終了しました。   かつてヤードがあった北王子貨物駅にはマンションが建ち並んでおり、一見しただけではかつての面影はありません。しかし現地を歩いてみると、当時の線路が路面に埋められた形でそのまま残っています。中には、「8:10」「9:50」……といった文字が刻まれた銘板が、路面に埋設されています。これは貨物列車の通過時刻。この地と貨物線の関わりをしのぶ光景となっています。    現在、フェンスに囲われたままになっている廃線跡の再活用について、具体的な話はまだありません。神奈川県大和市では2021年3月、米軍厚木基地の専用線跡が完全に撤去される見込みです。時代を越えて鉄路の記憶を伝える廃線跡ですが、残された時間はさほど長くないのかもしれません。

  • 蜂の巣用メモ代わりや本スレで遠慮するような雑談など
    まぁ何となく気まぐれな感じでw

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