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タラレバ株取引の掲示板

  • >>18325

    今 夜の ウォーキング済ませ  ビール 飲んで NHK 歌謡番組見ています

    家内と二人で 食事  鍋です

    いつまで一緒に食べられるかと  家内にいつも言われます。  高校の同級生 でした。 卒業後家内は 商工中金へ勤めました
    私は京都の大学へ  親父は軍人でもう年を重ねていて仕事はしていませんでした  明治36 年の生まれ  戦地へ 転々として 戦後 私が生まれましたので かなり歳とっていてからの 子供です。

    まあ 困るほどではないけど  生活は楽ではなかった  高校は すぐ就職をと考えて  商業へ 高校のバスケの 監督兼 担任が  大学へ行けと勧めてくれまして 実は こういう事情で  無理ですと話したら  新聞配っていけば  まったく 学費もいらない  生活費も出してくれるからと…・読売新聞奨学生の 三期生として
    大学生活が始まりました

    朝 4 時 起床  朝刊配り  朝飯済ませると  大学へ 夕方 夕刊配達済ませて  夕食  明日の折り込みの 作業済ませてからが  自由時間
    当時は 新聞の休みは  年間 6 日しかなかった。
    今日との朝の寒さと  夏の暑さは  忘れられない  よく続きました  いい先輩に恵まれ 何とか 卒業でした。
    でも二度と あの生活はしたくないですね  兎に角雨が辛かった  あさ まだ乾いていない ジーパンはいての
    配達  手が感覚がなくなる 京都の冬の 冷たさは  今でも時々 夢に出てきます。

    大学紛争の真っただ中  三回生のころから 四回生の夏まで  学園紛争で 授業なし 

    勉強も全くない生活でした 全然 試験がなかった レポート出して  それで卒業ですから  いい加減なものです。

    笑えて来ますね  今から考えたら。  みんなそうでした。

    kru さんはいかがでした。