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⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️宮殿の掲示板

>>42798

そうですね!アエリアはかなり前からフォルダーでしたがA3のヒットでグングン上昇していく途中で振り落とされてしまいました。落ちてくるのをずっと辛抱強く待っていたので、ここからジワジワ上がっていくことを期待していたのですが、少しスピードオーバーのような気もします。

ノーリツはまさに、チャールズ・ダーウィンの名言のようですね。
『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である』

  • >>42800

    ダーウィンの、変化できる者のみが生き残る、という格言、いいですねェ。ダーウィンを少し調べてみました。彼が進化論に到達したのは、ガラパコス諸島の島々で生物種が少しずつ変化かつ独立して存在していたことからとされています。しかし、生物の起源は神の創造とのキリスト教の価値観が生き残っていた生物学の世界では長く受け入れられませんでした。彼が進化論を著したのは、ビーグル号の5年に渡る冒険的航海から20年も経ってからで、その間は、ひたすら進化論の証拠の収集を行っていたのです。そして、進化路が受け入れられるには、生物の進化と同じくらいの時間がかかる、と思いながらも諦めなかったのです。
    蛇足ですが、ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝の法則は、近代的生物学の幕開けを告げるものとなり、今日の分子生物学や遺伝子工学の先駆けとなりました。
    以下は、ダーウィンの名言を更に見たかったので、それについて参考にしたサイトのアドレスと記載内容の一部のコピペです。面白かったので貼り付けておきます。
    http://iyashitour.com/archives/24268#page1
    チャールズ・ダーウィン(1809年~1882年)
    英国の自然科学者。種の形成理論を構築。
    1809年、英国シュロップシャー州の裕福な医師の家庭に次男として生まれる。子供のころから博物学的趣味を好み、植物、貝殻、鉱物の収集を行っていた。
    1825年、16歳のときにエディンバラ大学に入学して医学を学ぶ。しかし、アカデミックな内容の退屈な講義になじめず、大学を中退。父はダーウィンを牧師にするためにケンブリッジ大学神学部に入れる。
    1831年に大学を卒業すると、恩師の紹介で英国海軍の測量船ビーグル号に乗船することになる。ダーウィンの任務は、各地の地質、動植物の調査。ビーグル号は、1831年12月に英国を出航。南米、ガラパゴス諸島、ニュージーランド、オーストラリア、ケープタウンなどを経て、1836年10月に帰着。
    ダーウィンは、ビーグル号での5年におよぶ調査から、種が独立して創られ、それ以来不変であるという考えに疑問を感じ、種の変化に関する研究を続ける。そして、1838年に「厳しい自然環境が、生物に起きる突然変異を選別し、進化に方向性を与える」という自然選択説に到達。その証拠を集めるため20年にわたり調査を継続する。
    1858年、英国の生物学者アルフレッド・ウォレスから同じアイディアの小論を受け取ったことをきっかけに、二人の小論を共同発表。翌年発表した『種の起源』において、すべての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、自然選択により進化したことを明らかにする。
    ダーウィンの自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つであり、生物多様性に一貫した理論的説明を与えている。
    【ダーウィンの名言・格言】
    教えて頂いたもの以外で、いいなと思ったダーウィンの格言です。
    私は名声を得るために、自分の道から1インチなりとも、はずれたことはなかった。
    私は、できるだけ一生懸命に、できるだけよくやったのだ。誰もこれ以上にはできない。
    この理論が受け入れられるのには、種の進化と同じだけの時間がかかりそうだ。
    愚者の実験が好きで、私は常にそれを行っている。

  • >>42800

    アエリア買われてたのですね
    ぉ目〜🎶
    私は一昨年の秋頃からトレしていて
    昨年はA3のおかげでウマウマでした
    盛んに買収に走り株価も陰り出したので売ってしまってます
    決算予想も読み辛くなってきたので今回の押し目はスルーです
    その資金は暴れるクンに入れてます(╹◡╹)