投稿一覧に戻る 徒然なる団塊部屋の掲示板 22 トビバコ 2018年11月20日 11:05 みなさんこんにちは、、いつものフードコートからです、、 「夜叉説半偈」という四言四句の「死」についての短いお経への、玄侑宗久氏の講釈のご紹介です。 諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽 これだけの短いお経を、同じ音を二度使わないという離れワザで作られたのが「いろは歌」ですが、いったい誰の作かは不詳であるらしい。 「夜叉説半偈」の前半、「諸行は無常なり 是れ生滅の法なり」は「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ」とすんなり訳された。しかし後半の「生滅滅し已って 寂滅を楽と為す」は些か理解しにくいため、ある種のレトリックで表現される。 つまりここでは変化がなくなった状態を楽しみにする、死者自身にとっての死が描かれるわけだが、訳者はそこに『老子』の「無為」と「有為」の対照を持ち込む。 「有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」つまり死んで有為なる世界を越えてしまえば、これまでの浮世が浅い夢にも思われ、また酔いのさなかだったようにも感じる。だから死者自身が、これからは浅い夢など見るまい、酔っぱらいもしないぞと、宣言しているのである。 返信する そう思う0 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
トビバコ 2018年11月20日 11:05
みなさんこんにちは、、いつものフードコートからです、、
「夜叉説半偈」という四言四句の「死」についての短いお経への、玄侑宗久氏の講釈のご紹介です。
諸行無常 是生滅法
生滅滅己 寂滅為楽
これだけの短いお経を、同じ音を二度使わないという離れワザで作られたのが「いろは歌」ですが、いったい誰の作かは不詳であるらしい。
「夜叉説半偈」の前半、「諸行は無常なり 是れ生滅の法なり」は「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ」とすんなり訳された。しかし後半の「生滅滅し已って 寂滅を楽と為す」は些か理解しにくいため、ある種のレトリックで表現される。
つまりここでは変化がなくなった状態を楽しみにする、死者自身にとっての死が描かれるわけだが、訳者はそこに『老子』の「無為」と「有為」の対照を持ち込む。
「有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」つまり死んで有為なる世界を越えてしまえば、これまでの浮世が浅い夢にも思われ、また酔いのさなかだったようにも感じる。だから死者自身が、これからは浅い夢など見るまい、酔っぱらいもしないぞと、宣言しているのである。