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Jazz,Coffee&Booze

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  • 2017/07/11 07:48
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    こんにちは、こんにちは、こんにちは、もうひとつおまけに こんにちは!*
    こんばんは、こんばんは、こんばんは、もうひとつおまけに こんばんは!*
    * Patented by Ms Mariko Omura

    ジャズ喫茶で音楽に没頭する素敵な時間を共有しましょう。
    ジャズにかかわる楽しいお話をお待ちしております。
    あ、どちらかといえばコテコテです♪〜
                   
         

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  • 昔SANSUIの名器AU9500を使っていた頃があります。
    何度も経営危機に遭遇してきた山水ですが、今回のニュースも感無量です。

    なお、SUNSUIブランドの国内ライセンスは'12年にドウシシャが取得。同社がBluetoothスピーカーなどの製品を国内で販売しているそうです。

    Jazz,Coffee&Booze 昔SANSUIの名器AU9500を使っていた頃があります。 何度も経営危機に遭遇してきた山水ですが、

  • >>156

    クリフォード・ブラウンはその歌心あふれるソロも素晴らしいですが、トランペットの音自体が大変に太くて暖かくて素晴らしいですね。
    ぼくは一時期クリフォード・ブラウンのファースト・カット・レコードのパーフェクト蒐集を目指しましたが、すぐに自分の浅はかな知識に気づきました。
    ブラウンのレコードは少ないようで意外と沢山あって、しかも人気が高いです。
    ファースト・カットはとてもとてもというところで、結局6割くらいの達成であきらめました。

    それでは今日はI can't get startedを。

    Jazz,Coffee&Booze クリフォード・ブラウンはその歌心あふれるソロも素晴らしいですが、トランペットの音自体が大変に太くて暖

  • クリフォードブラウンは短命でしたがもし長生きしてればマイルス以上のトランペットの巨人になったでしょう。
    ヘレンメリルウイズクリフォードブラウンも名盤。

  • Clifford Brown
    1930年10月30日 - 1956年6月26日

    コメントはなしにして、今日はハードバップ黎明期の大大大名演奏であるバードランドを聴いてみよう。

    Jazz,Coffee&Booze Clifford Brown 1930年10月30日 - 1956年6月26日  コメントはなしにし

  • >>152

    >死後現金、じゃなかった、私語厳禁...

    アハハハ!おかしい!!!

    そうそう!!当初狸小路近くの東映の地下のお店はJBLのブックシェルフでしたが、東の郊外に2号店を開店されて、そちらでパラゴンを導入されました。
    では、今のお店もパラゴンなのですね!
    パラゴンはオール・ホーンですので、新しい時は音が硬い感じがします。
    あれから随分時間が経ちましたので今はエージングされて良い音になっているでしょうねえ♪~

    そういえば東映店の時に藤女子大のショートカットの美人ウエイトレスさんがいらっしゃって、いつも立ったまま熱心にジャズを聴いておられました。
    彼女は今どうされているのでしょうねえ・・・

  • ジャマイカといえばJBLパラゴンのスピーカー。
    昔、ジャズ喫茶の客はみんな下を向いて、時には目をつぶって、音楽に聞きいる。
    おしゃべりなんかしてはいけない空気があった。
    死後現金、じゃなかった、私語厳禁...

  • >>150

    ジャマイカが健在というニュースをおききすると本当に嬉しくなります♪~
    実は8月に「北海道&東日本パス」を使って札幌に行くことを計画しています。
    もし実現すればぜひぜひジャマイカに行ってみたいと思います。

    >ぼくの担当楽器はジャズではマイナーな楽器です。
    >これを言うと素性がバレる...

    了承いたしました。
    うふふ、色々と想像を膨らませていただきます♪~

  • >>149

    ジャズ喫茶ジャマイカ、今もあります。
    ぼくの担当楽器はジャズではマイナーな楽器です。
    これを言うと素性がバレる...

  • >>148

    あ、もしかしたらチュドさん☆ですか!!
    書き込みありがとうございます。大変に嬉しいです。

    大昔ですが、ぼくも1971年から1976年まで札幌におりました。
    当時よく行っていたジャズ喫茶はアクト、ジャマイカ、B♭などですが、その他のジャズ喫茶も思い出が深いです。
    今も経営されているのはジャマイカとBOSSAでしょうか?大変に懐かしいです。

    札幌はジャズが大変に盛んな街ですよね。
    ジャズフェスにご出場されるとのこと!!
    楽器は何でしょうか?

  • 夏は札幌でもジャズフェスがあります。
    アマチュアバンドですが、ぼくも某バンドの一員として某所に出演します。

  • 2014年6月10日「日経新聞」朝刊、文化欄
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    トロンボーン、息長く80歳
    今も現役ジャズマン、ラスベガスではスターと共演 鈴木弘

     戦後間もなくトロンボーンを吹き始め、様々なジャズバンドを渡り歩いた。英語もできないのに日本を飛び出し、米国へ。ラスベガスを拠点に、フランク・シナトラやダイアナ・ロスのバックを務めたこともある。80歳の今も現役。トロンボーンが好きという気持ちは変わらない。

     きっかけは兄の代打

     1933年、横浜に生まれた。トロンボーンとの出合いは15歳頃。兄貴がジャズピアニストの神月春光さんが率いるビッグバンドのバンドボーイをやっていたが、忙しくなり、僕が代わることになったのだ。

     楽器をやるならトランペットかドラムにするつもりだった。派手で、かっこいいから。トロンボーンは地味で見せ場がないと思っていたが、バンドにいたトロンボーンの奏者がとびきり親切な人で、彼に基本を教わることにした。後は自分のカンが頼りだ。独学でどんどん吹いた。

     まだ奏者が少ない時代だったからか、そのうちあちこちのバンドから声がかかるようになった。東京キューバン・ボーイズ、シャープス&フラッツ、ニューハードと一流のバンドを行ったり来たりした。

     「ネコ」というあだ名がついたのはその頃だ。あるバンドではメンバーを動物の名前で呼ぶのが習わしで、最初は「ヤマネコ」だったのが「ネコ」に。渡辺貞夫さんや服部克久さんら古い仲間は僕のことを今でも「ネコちゃん」と呼ぶ。

     67年にはシャープス&フラッツの一員として、米国の有名な音楽祭「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演した。マイルス・デイビスやディジー・ガレスピーも出ている。会場にいるだけで興奮した。舞台でトロンボーンのソロを吹いた後には、客席から熱い拍手が聞こえた。「何が何でもアメリカに来なきゃだめだ」と固く決意し、帰国した。

     その翌年、米国のジャズドラマー、バディ・リッチのビッグバンドが来日する。ところがトロンボーンに欠員が出たとプロモーターから連絡が来た。代わりに出ろという。

     リハーサルもなく、ぶっつけ本番だ。初見で吹いたらバディ・リッチがびっくり。1曲ごとに後ろからスティックで僕の肩をポンとたたき、親指を立て、ニコッと笑った。全部終わった後には「アメリカに来ないか」と誘われる。あんなにうれしいことはなかった。

     シナトラが声かける

     それからすぐパスポートを取得し、ハワイでの公演まで追っかけた。その後、査証の手続きのため帰国し、71年に渡米した。

     それからの拠点はラスベガスだ。シーザースパレス、フラミンゴ、トロピカーナといった名門ホテルの専属バンドに所属。一週間のうち、6日間はショーのステージに立ち、スター歌手たちの伴奏もした。サミー・デイビス・ジュニアはとても親しみやすい。気さくに話しかけてくれた。

     シナトラが出演した時には本番のMCで僕を指さし、「彼は何人だ? ジャパニーズ?」と言い、何か声を掛けられた。でも英語ができなかったから内容が分からない。日本人のジャズマンなんてその頃、ラスベガスにはいなかった。

     歌手の五木ひろしさんがラスベガスでリサイタルを開いた時、会場のホテルには本番の何日も前から「Hiroshi Itsuki」と書かれた大きな告知の看板が張りだされた。仲間たちはびっくり。「ヒロシ、おまえが出るのか?」。ラスベガスでヒロシといえば僕。それくらい日本人の音楽家は珍しかったのだ。

     20年ほどラスベガスのホテルで吹いていたが、音楽家組合がストライキを起こした。ホテルはバンドを使わずテープで代用し、仕事にあぶれたミュージシャンが増えた。自分でトロンボーンのカルテットを作り、ラスベガスのライブハウスなどで演奏した。その間に、ポール・アンカの日本公演に同行し、何度か里帰りしている。

     自分のスタイル貫く

     5年ほど前、「慢性閉塞性肺疾患(COPD)」にかかり、治療しながら演奏することが続いた。今は多少安定しているが、昔より息は短くなっている。それでも毎朝、欠かさず練習している。誰かのコピーは絶対しない。自分だけのスタイルをどこまでも追求したい。

     「リタイア」という言葉は嫌いだ。まだまだ自分の限界に挑戦するつもりだ。死ぬまでトロンボーンは離したくない。

    (すずき・ひろし=トロンボーン奏者)

    Jazz,Coffee&Booze 2014年6月10日「日経新聞」朝刊、文化欄 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー トロン

  • 2014年5月6日日経新聞朝刊文化欄
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    能登ジャズ祭 本場仕込み
    七尾市の夏盛り上げ25年、米モントレーからノウハウ 間蔵信行

     7月末、能登半島の港町、石川県七尾市の海辺にある七尾マリンパークでは、ジャズピアノの心地よい旋律が流れ、演奏者による丁々発止のアドリブ合戦が繰り広げられる。1989年から2013年までに25回開催している「モントレージャズフェスティバル(MJF)イン能登」だ。

     過疎化対策、87年渡米

     世界三大ジャズフェスティバルの一つである「モントレー」の名を冠したこのイベントは、今や七尾の夏の風物詩となっている。当初から運営に関わってきた者として、これだけ長く続いていることを本当にうれしく、誇りに思う。

     きっかけは約30年前、過疎化が進む能登を何とかしたいと危機感を抱いたことだった。米モントレー市がジャズフェスティバルを軸に地域を盛り上げていることを知った。七尾と同じ港町であるモントレー市は、人口規模や半島にあるという地理的な条件も比較的近い。ぜひノウハウを学びたいと、温泉旅館「加賀屋」の小田禎彦さんや七尾の若手経営者ら約20人で87年に渡米した。

     モントレーは商業的なジャズイベントに名前を貸すことはまずないと聞いていたが、能登半島の発展のためにも、何とか名前を使わせてもらえないかと実行委員会に打診した。すると、こちらの熱意が伝わったのか、承諾を得ることができた。

     89年の第1回MJFイン能登は加賀屋がある和倉温泉で開催した。その後、トランペット奏者のメイナード・ファーガソンさん、ピアニストで歌手の綾戸智絵(現智恵)さんら有名ミュージシャンも呼び、一定の成果は上げることができた。

     しかし、バブル崩壊後は日本全体の景気低迷もあり、温泉地のPRと連動したイベントで観客を集めるのは難しくなってきた。観客も当初の千人規模から数百人に落ち込んだ。03年の第15回まで和倉温泉で開催したが、次第に存続が危ぶまれる事態になってきた。

     皆が危機感を募らせていくなか、私は04年からMJFイン能登の実行委員長になり、第16回から七尾の市街地沿岸部にある七尾マリンパークに会場を移した。市民全体でフェスティバルを盛り上げたいとの思いからだった。

      市民主体の運営に

     実行委員会の運営もイベント企画会社依存の形から市民主体に変えた。地元の経営者や企業が資金を出し、市民がボランティアで当日の運営などを支える。あくまでも地域でつくるフェスティバル。出演者もこの理念に賛同してくれる方に声をかけるようにした。

     すると、サックス奏者の渡辺貞夫さんやピアニストの山下洋輔さんらが出演を快諾してくれた。渡辺さんは、出身地である宇都宮の子どもと一緒に演奏がしたいと言ってくださった。

     地域主体であることとともに運営の柱としているのが、若者の教育や国際化と連動させること。全米から選抜された高校生によるバンドや日本の高校生らに参加してもらうなど、プロとアマチュアの両方をバランスよく並べる構成にした。

     さらに06年には「石川ジュニア・ジャズ・アカデミー(IJJA)」というジャズ教育プロジェクトを立ち上げ、小学生から高校生までの20人前後でビッグバンドを組んでいる。ピアニストの守屋純子さんに音楽監督を依頼し、トランペットのエリック宮城さんら一流のミュージシャンを特別講師に迎えている。

     IJJAは徐々に実績を上げるようになり、モントレーで開かれる学生フェスティバルにも2度参加。MJFイン能登でも毎年演奏している。

     若手に継承、本家追う

     26回目の今年は7月26日に開催する。熱帯JAZZ楽団やT―SQUAREなどプロが7組、アマチュアもIJJAなど2組が参加する予定だ。昨年は3000人以上に来ていただいたので、今年はさらに多くの方にジャズを聴いてほしい。

     現在は地元の若手経営者、木下義隆さんを実行委員長として運営している。私は七尾市とモントレー市の交流事業に携わる七尾・モントレー友好協会の会長として協力している。私も木下さんもジャズに詳しいわけではないが、それがかえってうまく出演者を集められている要因だろう。これまでの経験やノウハウは地域を担う若い方に引き継いでいくつもりだ。

     1回目の開催から四半世紀がたったが、本家のモントレーは昨年までで56年連続開催だ。私たちもその背中を追いかけて50回、100回と積み重ねていきたい。

    (まぐら・のぶゆき=七尾・モントレー友好協会会長)

  • 昨日(8月26日)の「日経新聞」夕刊です。
    アナログ復権が嬉しいのでコピーします。
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    音楽カセット ひそかに復活
    「温かい音質」相次ぐ新作

     CDやネット配信といった音楽のデジタル化が進み、今や見かけることもないと思っていたカセットテープが、ひそかに復活している。温かい音質が再評価され、新録音が相次ぐ。

    レコード店「ビッグ・ラヴ」は約200種類のカセットテープを店頭に並べる(東京都渋谷区)

     「今はアナログレコーダーとテープで録音する以外は考えられない」。小泉今日子に提供した「優しい雨」などの曲で知られるシンガー・ソングライターの鈴木祥子(48)はそう語る。「理由は生きている音がするから」。歌声であれば高域が伸び、コーラスを多重録音したときの音質も「素晴らしい」という。3年ほど前から、3台のテープレコーダーを使い分け、楽曲を制作してきた。

     現代の音楽制作は曲をパソコンで手軽に編集・加工できるデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)が一般的だ。手間や費用、編集時間のかかるテープはほとんど使われていない。しかし、音質を大事にする鈴木はデジタル録音に満足できず、テープを使い続ける。

    異色のシングル
     7月、カセットテープで録音した新作を相次いで発表した。1つは2009年の東京・南青山でのライブを収めた2枚組CD「復活!愛のデンスケ劇場」。もう1つは4つの新曲を収めた異色のカセットシングル「45minutes~海、そしてふたつの言葉」だ。

     今春、FMで放送された大瀧詠一のラジオ番組を録音したのがきっかけになったという。「放送が終わってからラベルを書いたり、日によってシールの色を変えたりする作業がとても楽しく、カセットってよいな、夢があるなと思った」。カセットシングルは好評で初回分が完売し、追加生産した。「音楽を手軽な“音源”にしたくない」と力をこめる。

     カセットテープが広まったのは1970年代。79年、ソニーの携帯プレーヤー「ウォークマン」が発売され、拍車がかかった。ところがCDの登場で需要は急減。日本レコード協会によると、音楽ソフトとしてのカセットテープ生産はピークだった88年の7607万巻から昨年は180万巻まで減った。高齢者がカラオケ用に演歌・歌謡曲を購入するのが中心だ。

     しかし、風向きは変わってきた。ポップスやロックなどのジャンルでカセットの魅力が再認識され、新作が発売されている。

    「CDより未来的」
     「アナログだけどCDよりも未来的」と語るのは福岡市に住むミュージシャンのダエン(38)だ。2011年3月にカセット専門の音楽レーベル、ダエンを設立。アンビエントやドローンと呼ばれる電子音楽を中心に14作を出してきた。人気ロックバンド、スーパーカーのボーカル・ギターだった中村弘二のソロ、日本のノイズ音楽の草分け、メルツバウら全国的に注目される音楽家が作品を発表する。

     音響機器メーカーと組んで、パソコンのUSB端子に接続すればカセットを再生できるプレーヤーも発売。ダエンは「CDよりも温かみのある音質がいい。こちらがカセット専門と言うと、ミュージシャンも面白がってくれる」と話す。

     欧米ではカセットの再評価が鮮明だ。東京・原宿で01年からレコード中心に販売する「ビッグ・ラヴ」の店内には約200種類のカセットがびっしり並ぶ。欧米のインディーロックが専門で、10年ごろから急激に新作の入荷が増えたという。

     経営する仲真史(43)は「今は売り上げの20%がカセット。以前は1%もなかったのに」と話す。「音楽配信が普及した海外では、モノとして持つなら配信と同じデジタルのCDじゃなく、アナログレコードかカセットという若者が多い。うちに来る若いお客さんもそうなってきた」

     同じアナログでもレコードは工場での最小プレス単位が500枚程度だが、カセットなら100本から作れる。その気軽さから「若いバンドがカセットで出す事例が増えている」と仲は指摘する。CDや配信では得られない喜びや楽しみを見いだす人々の裾野が着実に広がってきた。
    =敬称略
    (大阪・文化担当 多田明)

  • 大阪・ミナミの道頓堀川で、夜景を見ながらジャズの生演奏が楽しめる遊覧船が運航中だ。

    生演奏が楽しめる「とんぼりリバージャズボート」(大阪市中央区)
     約40分間のクルーズで、吉本新喜劇のオープニング曲「somebody stole my gal」が始まると川べりの通行人からも手拍子が起きる。演奏の合間には「大正時代、この辺りでは屋形船でジャズを楽しんでいました」と歴史を解説してくれる。楽器を持参しセッションに加わることも可能だ。

     男性客は「道頓堀とジャズの組み合わせはちょっとオトナの体験」と満足げ。料金1500円。運航は8月までは毎週土曜。7月13日(土)は休航で、14日(日)に運航。

  • 本日の一曲です。
    説明の必要はないかも知れませんが、クリフォード・ブラウンがリッチー・パウエルやリッチー・パウエルの奥さんのナンシーとともに、自動車事故で亡くなったのは1956年6月26日です。

    http://www.amazon.co.jp/A-Night-at-Birdland-Vol-1/dp/B00005MIZ8/ref=sr_1_10?ie=UTF8&qid=1372205695&sr=8-10&keywords=art+blakey

  • 「日経新聞」5月29日朝刊〔文化欄〕

    関西ジャズの息吹伝える
    無料月刊誌発行、編集から営業まで独りで 藤岡宇央

     階段に腰を下ろし物思いにふけるジャズマン。楽器の手を休め、たばこで一服するテナーサックス奏者。譜面を確認するベーシスト――。ごつごつした線の、ジャズ黄金期を思わせるイラストが毎号表紙を飾る。

    表紙イラストも自ら手がける無料誌「WAY OUT WEST」
     大阪で関西のジャズ情報を網羅した無料の月刊誌「ウェイ・アウト・ウエスト(WAY OUT WEST)」を発行している。2009年の創刊当時、周囲は「無謀だ」と心配したが、このほど通算50号を達成した。

     ♪ ♪ ♪
     配達中の雑談もヒント
     巻頭で取り上げるテーマは様々。最新号ではジャズ奏者がロックの楽曲を取り込む流れを特集した。4月号は春にちなんだ曲の名演聞き比べ。このほか、連載物は新譜紹介、ジャズに関する書籍のエッセー、巨匠を入門者向けと通人向けの名盤2枚で聴き比べるコーナー、来日したミュージシャンのインタビューなど、盛りだくさんだ。

     毎月末、刷り上がったA5判の最新号を関西一円のライブハウスやレコード店約300カ所に送る。リュックに詰めて、できるだけ自転車で自ら届けている。巻頭特集のアイデアは、たいてい配布先での雑談から生まれるからだ。企画、取材と執筆、外部筆者とのやりとりから、営業、レイアウトに表紙デザインまで自分独りでこなす。

     良いお手本がある。米ニューヨークで発行されていた無料の月刊誌「オール・アバウト・ジャズ」だ。ジャズの中心地に世界から集まったミュージシャンが、自己主張をぶつけ合いながら、新しい何かをつくり出す。そんな潮流を伝えている。

     同誌の編集長を頼って08年ニューヨークに押しかけたとき、初対面にもかかわらず、ライブハウスに案内してくれた。編集長はそこで終演後、客の一人一人に月刊誌を手渡して宣伝するのだ。

     ♪ ♪ ♪
     東京優位に歯がゆさ
     「ジャズ界に影響力のある雑誌の編集長自ら、こんなに地道なことをするのか」。その姿勢に心打たれ、無料情報誌創刊の構想を練った。

     関西にはいいライブハウスがあり、すばらしい演奏家も多い。しかし、チャンスを求めて関西を離れる人も少なくない。レコード会社や出版社などが集まり、情報発信では、東京がなお圧倒的な優位にあるためだ。大阪で独立した一アートディレクターとして、そんな状況が歯がゆかった。

     関西から独自のジャズ文化を発信できないか。そう思って、まずはライブのチラシや自主制作CDのデザインなどを精力的に請け負った。専門サイトを立ち上げた後、無料誌発刊にこぎ着けた。

     雑誌名はテナーサックスの巨匠ソニー・ロリンズの名盤にあやかった。東海岸を拠点にしていたロリンズが、西海岸に招かれて伸び伸びと吹いた作品だ。ニューヨークだけがジャズの本場ではない。似た思いを、自分の東京への意識に重ねた。

     ♪ ♪ ♪
     地元重視、読者と身近
     人気のあるコンテンツは、大阪・京都・神戸のライブ情報だ。巻末4ページにわたる三都市地図には、ライブハウスのほかに主なレコード店も記している。手厚い地元情報こそが、読み手と作り手の間の溝を埋める。

     日本ではジャズが“博物館の音楽”になっているきらいがある。でも、様式にまつろいつつも、新しい要素を取り込みながら変容してきたのがジャズ。現在進行形の響きに注目してもらいたい。

     当初12ページ立てでスタートしたが、読み物と併せて広告も増え、今や28ページになった。7000だった部数も1万まで伸びた。収入はジャズスポットや音楽スタジオなどから頂く広告のみ。

     執筆は独りではとても手が回らない。ジャズ好きな古書店主や音楽通のたこ焼き店主、大手レコード店のバイヤーらに寄稿してもらっている。執筆陣の大半が同世代だ。

     関西の有力ミュージシャンの訃報や、ジャズスポットの移り変わりなども取り上げてきた。バックナンバーをめくれば、関西ジャズ界の動きが見渡せる。誌面を見てライブに行ったという声も聞くし、巻末の地図を頼りにレコード店回りしている外国人の姿も見かけた。聴き手と奏者、ライブハウスやレコード店などの距離を縮める役割は果たせているようだ。

     今年35歳。この無料誌が100号を迎えるころには、関西に無かったジャズの批評文化が根を下ろしているかもしれない。それまで、紙媒体の魅力にこだわりながら関西ジャズ界の生の息吹を伝えていくつもりだ。

    (ふじおか・たかお=アートディレクター)

  • 「日経新聞」5月25日朝刊〔文化欄〕

    戦前ジャズ脚光
    地方レーベルの音源、相次ぎ復刻 東京中心の音楽史に一石

     大正末期から昭和初期にかけて録音された「戦前のジャズ」に光が当たっている。第2次世界大戦で多くの音源や資料が消失したが、近年、貴重音源の復刻が相次いでいる。東京以上にジャズが盛んだった当時の大阪での録音の発掘・編集も進む。東京中心、戦後偏重だった日本のジャズ史の見直しにつながるとの期待もある。

     ラグタイムのようなリズムに乗せ、クラリネットが哀愁のメロディーを吹く。1924年(大正13年)、大阪市にあったレコード会社ニットーでローヤル・ジャズバンドが吹き込んだ「チンチャン」。原曲は米国の流行歌。サンフランシスコの華僑を題材にしている。

     この「チンチャン」こそが、日本の最初期のジャズ録音だ。戦前音楽の復刻に取り組むレーベル「ぐらもくらぶ」が6月末に出すCD2枚組「大大阪ジャズ」に収録される。「チンチャン」をはじめ全46曲のほとんどが初復刻。SP盤で発売して以来、およそ80~90年ぶりに世に出る。

    先進地は大阪
     同CDは大阪にゆかりのある録音を集め、大阪が東京をしのぐジャズの先進地だったことを裏付ける。例えば、大阪のジャズソングの女王と呼ばれた歌手、井上起久子が31年に歌った「嘆きの天使」はマレーネ・ディートリッヒ主演の同名映画の主題歌。退廃的な妖艶さが漂う歌唱だ。兵庫県尼崎市にあったレコード会社、バタフライに吹き込まれた。

     今回の2枚組はニットーやバタフライのほか、兵庫県西宮市のタイヘイ、大阪府豊中市にあったコッカなど、関西の地方レーベルの録音が中心。大手レコード会社の音源を一部含む。

     監修した音楽ライターの毛利眞人氏は「現在の東京一極集中とは違い、当時は大阪にレコード会社や歌手、奏者が集積し、独自制作のジャズが数多く生まれた。ほとんど知られていない地方レーベルの活動に焦点を当てるのは文化史、メディア史の面からも意義深い」と強調する。

     昭和初期の阪神間のモダニズム文化とジャズは密接に結びついていた。29年にタイヘイの前身、内外レコードに吹き込まれた「花街行進曲」は大阪市にあった「カフェー赤玉」専属の赤玉ジャズバンドが演奏、歌手の花園綾子が歌う。当時の関西ではカフェやダンスホールが競い合ってジャズを演奏するショー、レビューが開かれていた。

     戦後に「ブギの女王」と呼ばれた歌手、笠置シヅ子の初期の録音「桜咲く国」は彼女が大阪松竹少女歌劇団に所属していたころの楽曲だ。宝塚少女歌劇と松竹少女歌劇はレコードの録音でも張り合い、活気を生んだ。

     戦前ジャズを復刻する動きが広がったのは2年ほど前から。2011年から昨年にかけ日本コロムビア、ビクター、テイチク、キングの老舗4社が歌手の二村定一、藤山一郎、ディック・ミネらの音源、計8作品を発売。ぐらもくらぶは昨年、名古屋市にあったツル・アサヒレコードの音源を集めた編集盤を出し、地方レーベル研究で先駆けた。

    市井の研究貢献
     これらの戦前ジャズの復刻は市井の研究家や収集家らが集めたSP盤が元になっている。「SP盤を何百回と聞き込み、当時発行された音楽雑誌、ダンス雑誌、新聞などと照らし合わせながら、盤に書かれていないメンバーや編成などを割り出していく」と毛利氏。

     1924年生まれの音楽評論家、瀬川昌久氏は「日本のジャズは戦後、進駐軍とともに米国から入ってきたと考えられてきた。ジャズ史も戦後から始まるモダンジャズ中心だった」と指摘する。瀬川氏もSP盤や資料の収集家。「市井の研究者の活動で空白期だった戦前ジャズの解明が進んできた」と話す。

     関心は若い世代にも広がる。歌手の熊田千穂は昭和初期のジャズを中心レパートリーにしている。今春、バンジョー奏者の青木研と、東京都八王子市の夢美術館で開かれたイベント「蓄音器の宵」に出演。二村定一の28年のヒット曲「アラビアの唄」などを歌った。映画「上海バンスキング」で「戦前ジャズに興味を持った」という。

     二村は邦人ジャズ歌手の先駆け。昨年「私の青空 二村定一」(論創社)、「沙漠に日が落ちて 二村定一伝」(講談社)と評伝が相次ぎ発売された。

     音楽評論家の三木容氏は「戦前の放送局やレコード会社の制作体制は、地域ごとに独立性が強かった。だが戦後は効率化などで東京中心に移行し、音楽文化も一極集中が進んだ。戦前ジャズは日本の音楽史を考える上で貴重な遺産だ」と話す。

    (大阪・文化担当 多田明)

  • 長年使っていたSTAXのCA-Yのバランス調整が出来なくなった。
    メーカーに修理に出したところ部品がないので修理不可とのこと。
    メーカーのHPにも記載してありました。
    非常に透明感のある音質で実に素晴らしいアンプですのでつくづく残念です。

    やむなくヤフオクでMark LevinsonのML7を購入しました。
    現在、単身赴任中でアンプは自宅に届いていますので聴くことができるのは少し先になります。
    さて、どんな音で鳴ってくれるのだろうと楽しみでもあり、また不安でもあります。

    http://audio-heritage.jp/STAX/amp/ca-y.html

    http://www.google.co.jp/search?q=mark+levinson+ML7&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=8bJkUaHLHIyfkgWg2oHQBg&ved=0CCwQsAQ&biw=1366&bih=540&surl=1

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