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    かつて、ライオンズのつわものたちが
    活躍した思い出の地を語ってみませんか。

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    鉄腕24 1月14日 10:06

    1月8日放送のTV、「プロ野球総選挙」の投手部門で私の敬愛する「鉄腕」稲尾さんが、第3位にランクイン。400勝投手金田氏の4位より上位で嬉しい反面、1位が大谷、2位が野茂。
    野茂はメジャーリーガーの先駆けで2度のノーヒットノーランを記録するなどまあ仕方ない気もするが、大谷が一位が(少なくとも今のところは)単なる人気投票か?
    それでも若い人たちに「鉄腕・稲尾」を知ってもらうことができたのでまあいいか。
    意外だったのは野村さんが一位に予想したのが金田さん。てっきり同僚の杉浦さんか、好敵手の稲尾さんと思ってた。
    もう一つ、「世界の盗塁王、福本」さんがゲストに呼ばれながら野手部門でランクインしていなかったことは論外。

  • 永射保氏が亡くなられましたか、たしかクラウン時代と思いますがオールスターに初めて選ばれた時、名前がナガイと読むことを覚えてもらえるだけで有り難い、と語った事がNHKで紹介されていました、アナウンサーが「如何にもパリーグの若手らしい発言です」と、当時パリーグは全く中継は無くスポーツニュースでさえ殆ど話題にしてもらえない時代、巨人の2軍選手を知っていてもパリーグのエース級の選手を知らないというのが普通の野球ファン、今の状況を見てどんな思いか話を聞いてみたかったですね、
    そういえばそのオールスターに若菜も出ていてホームラン、パスボール、盗塁阻止とワンマンショー状態でしたNHKアナウンサーに「いっぷくの清涼剤」などと言われていました、永射投手の話と共に忘れられません。

  • この週末に千葉県木更津で飲食店を経営されているOBの田中章氏のお店に行ってきました。

    現役時代の1974年に平和台球場で会って以来でした。言葉では表現できないほど感激しました。

  • 1958年日本シリーズ最終戦のあくる朝小学校低学年だった、ホームルームで先生が今日は西鉄の話をすると言うと皆手を叩いて喜んだ、「3連敗をした後4連勝するというのは日本一いや世界一です!!」教室中大歓声、それに関連付けて訓話を長々話していた様だが内容は何も覚えていない、先生も多分訓話はどうでも良かったのだろう余りの興奮にどうしても話したかったという雰囲気が漂っていた。

  • 少し時間が経ちました、豊田さん、亡くなりましたね。
    また一人平和台の強者が旅立たれました。
    ご冥福をお祈りします。

  • 1963年秋首位南海にじわじわ詰め寄ってやっと6ゲーム差、苦手東映との最終ダブルヘッダー2年連続負け越しているが、この年はどちらか1つ勝てば3年ぶりの勝ち越し、今年こそは勝ちこせると思っていたらなんと連敗で3年連続の負け越し決定、しかも南海が連勝してゲーム差は8、すべて終わったと秋風のなかすっかり諦めたライオンズファンが殆ど、
    ところがその後の南海との4連戦3勝1分けで一気に5ゲーム差となり、あれとあれよと言う間に最終戦で逆転優勝、
    ロイの同点3ラン、和田、田中久寿男の連続大2塁打サヨナラ勝ち、中継アナの「恐ろしやライオンズ」の言葉、未だに忘れられずこの時期になると思い出す。

  • 先日、本屋をのぞいたら「俺たちの太平洋・クラウン」を見つけ思わず購入しました。
    懐かしかったり、思いがけない面白い記事がたくさんのあったのですが、なかでも興味をひかれたのは「1978年10月12日。江川卓、クラウン入団。」との架空の物語。
    クラウンのドラフト一位指名を受けた江川投手はこれを拒否したが、一年後に急転直下クラウンに入団。これを機にクラウンライターライオンズは球団は強化されついに81年には読売を平和台で破り日本一に。江川投手はここで胴上げ投手となりシリーズMVPを獲得。
    しかし彼はこのシーズンを最後に福博の街を離れ読売に移籍するとの内容でした。

    これを読み終えたとき涙が滲みました。本当に江川が入団していたら・・・こうもうまくは行かなかったでしょが、少なくともライオンズの所沢移転はなかったかんも。ひょっとしたら10年後にダイエーが買収したのはライオンズだったかも、そして今頃はソフトバンクライオンズになっていたかも・・・。と空想が止まりませんでした。

    当時は江川憎しでしたが、オヤジになったころには当時の経営基盤が貧弱なライオンズにへの入団を拒否したのはしかたないと思うようになりました。

  • >>1388

    ごめんごめん、ああー吾輩少しボケたかなー?(随分) 関根では無く関口でしたねーーーもうそれは凄かったですね、60年余り今まで自分の知っている中で日本プロ野球史上最高に強いみりょくの有る球団でしたね、あれから60年色々有りましたね、黒い??事件、多くのレギラー選手の退団、ドラフトで得た江川の交渉権、度々あった球団身売り、名監督、実力外国人助っと、リーグ制覇、日本一、その度一稀一悠、ライオンズとともにこの人生を送ってきました、ライオンズ一筋でよかったです、今は少し低迷していますがこれから強くなる事を期待してライオンズを応援していきましようね、熱烈なライオンズフアンよりーー  野球はライオンズ、相撲は朝潮

  • 平和台球場へは足を運んだ事ありませんが、ユニホームのFukuoka西鉄ライオンズ、思っただけで涙が出てきます、何分、私(僕)の小学校4,5,6年生の時、日本シリーズで巨人を3タテして日本一に成った時、頃ですから、大下、関根、中西、豊田、、高倉、和田、稲尾、島原、さん達
    野武士軍団がいた時だから、、、おーおとっと、監督の三原さんを忘れてた、ラジオで白、黒のテレビで見ていました、池永さんも大好きでした、雑紙のナンバーズ(ライオンズ編)を宝物の様にして持っています、日本にプロ野球出来てから今までで1番強いチームだったと思います。

  • 今日、11月13日は稲尾さんの命日で今年は7回忌だそうで、
    福岡のTV局のRKBでは、夕方のニュースの時間に取り上げていました。
    稲尾さんは晩年、RKBで解説やコメンテイターをされていたそうで
    当時の口癖というかモットーが「実るほど頭を垂れる稲尾かな」
    だったそうです。
    現役時代の活躍はもちろん、ライオンズが福岡を去ってからは、
    プロ野球球団を再度福岡にと尽力された稲尾さんは、福岡・九州の恩人です。
    70才で亡くなったのですが、やっぱり早すぎます。

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