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    猛虎軍団☆わたしがアマチュアだったころ☆

    すいません、また作ってしまいます。

    現役、OB問いません。
    わが愛する阪神の選手達のプロ入り前のエピソードや記録。
    そう、高校時代、ノンプロ時代などのことも・・・

    隠れたネタ、お待ちしてます。
    よろしくお願いいたします。

    sao22さんのご希望により作成しました。
    saoさん、よろしくね。

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  • 1574 1484
  • >>
  • 1574(最新)

    sao***** 2016年8月14日 10:26

    >>1573

    逃した大魚・鍛冶舎 巧(1)

    この鍛冶舎という人、皆さんにはどのようなことで知れ渡っているだろうか?  今、甲子園に出場中の秀岳館高校の監督? それとも最近までNHKの高校野球のさわやか解説者? 或いは元パナソニック野球部監督でしょうか?   いや私の中には、阪神のドラフト史上入団拒否された最大の選手、として脳裡によぎります。
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    「チッ、また鍛冶舎のニュースか・・あーあ」 かなり古い話だが、1969年春。テレビを見ていた兄が、もう飽きたといわんばかりにこぼしていた。選抜で、県岐阜商のエースで四番・鍛冶舎巧が放った本塁打が、大会100号のメモリアルアーチだったのだ。テレビではこの記念弾を何度も繰り返し放映していた。相手の比叡山高校のやせた左腕投手は、間柴茂有といい、この後大洋に入団、移籍先の日ハムでシーズン15連勝という快挙を成し遂げる。鍛冶舎は別に何のゆかりもなかったが、そのめったに聞かない珍しい名前が、繰り返し放映のおかげで焼き付いてしまった。そして、その後は早稲田に入団。ここでも六大学通算800号のメモリアルを放つ。
    昭和50年、阪神はこの強打者を2位指名する。しばらく忘れていた名前を、また聞くことになった。少し前に、やはり早大主将の中村勝広が入団していた。

                                             -続-

  • >>1566

    城島の罪(6)

    最近の城島を知っている人がいるだろうか? どうやら、フィッシャーマンに変身しているようだ。福岡の球団も、関西の球団からもお声は掛からないらしい。やはり人間、「裏切る」というのは一番許されないのだろう。メジャーも経験し、関西の人気球団にも所属したが、最初のプロ入団時の太田監督への頃から、その性癖は治らなかったようだ。
    ただ、それからも幾星霜が過ぎ、犠牲者の一人、矢野はコーチで阪神復帰を果たし、懸命に正捕手育てに力を入れている。打てる捕手、チームを引っ張る捕手、強肩捕手・・多士済々の競争になってきた。矢野は有力な監督候補で戻ってきた。遠回りはしたが、新しい阪神の誕生はすぐそこにきた。        -終-

  • >>1565

    城島の罪(5)

    「そして誰もいなくなった」・・としか言いようが無い。捕手の決まらないチームが優勝するわけがない、という理屈は選手もファンも知っている。城島が、やーめたと言って去るのは自由だが、彼が矢野やブラゼルをいなくさせたのだ。和田阪神が、いくら頭1つリードしても優勝すると思えなかったのは、そこにあった。藤井も鶴岡も自分の出番を確保せねばならず、せっかくの強打強肩捕手の梅野も、インサイドワークを教える人がいない。捕手が育たないと投手も育たない。城島のような無責任な阪神への臨み方は、松永とダブる。あの時もチームはしばらくおかしくなった。その裏返しか、この2人、引退後球界で働いていない。ただ、光明が見え始めた。不運を背負ったような和田が退任し、新監督になった金本が、そこのところがわかっているようなのだ。                                            -続-

  • >>1527

    皆さんこんばんわ。2年もの休みを頂きました。しかし驚くべきことに、この章のテーマは全く変わっていません。

    一塁にはブラゼルがいた。強打と軽打を織り交ぜた、研究熱心な打撃に加え、苦手な守備を猛練習した。器用ではないが、山のようにそびえたち、送球を後ろにそらさない技術は球界一といわれるまでになった。長く阪神で続けたい一心で、苦手な守備も年々上手になった。そこへ・・城島が割り込んできた。ブラゼルはなんとレフトにはじき出された。イチからやりなおしたが、どう見ても体つきも一塁しか守れない。しかし頑張ってついていこうとした。面白くなかったに違いない。結果、得意の打撃が狂った。打てなくなった。更に悪い事に、城島は一塁を真面目に取り組んでいるようには見えなかった。阪神の宝がどんどん崩れていく。矢野はもう引退を決めていた。浅井や狩野は外野手になっていた。城島は何をしに阪神に入ってきたのかわからなくなってきた。阪神フロントは、他球団で余っているサブ捕手を探し始めた。
                                                   -続-

  • 期待一杯で阪神入りした。城島。さすがに実力どおり、本塁打連発・捕手として常時3割キープ。矢野は、出場が激減する。この年、チーム打率.290。ものすごい数字ではないか。(但し、これで優勝できないのだから、いかに真弓阪神が勝負弱かったか、首脳陣が情けなかったことか)そして城島の年齢からも、暫く後任が育つまでは捕手不動かと思われた。矢野の引退も勝負の世界と割り切ったファンも多かったことだろう。翌年のことを知るまでは・・

    「膝と腰が弱っていて、捕手としてしゃがんでプレーできない」・・・こんな、聞いたようなこともないことを言い出した。赤星がこんなことを言っている。『野球選手がシーズンで5体満足にプレーできるのは2・3試合。試合に出してもらうために、それをほとんどみんな伏せってるけど。』だそうだ。つまり、城島のようになったら治すまで努力するのだ。この時点で、阪神フロントは城島が何者なのかを気付いてほしかった。捕手としてしか値打ちのない城島が、こんなことを言うのなら、DL入りさせるか引退させればよかったのだ。しかしここでも饒舌が物をいい、ならば一塁手という、傷口をひろげ始めたのだ。 犠牲者は、矢野だけで済まなくなってきた。     -続-

  • >>1523

    当時、アマ野球でかなりの権力を持つ、駒大・太田監督は怒った。城島とダイエーを名指しで批判した。そういう意味でこの裏切り行為は工藤・桑田に匹敵する。ただ、こうした選手は入団後も際立った活躍をするのも事実。また、通常の選手のように首脳陣やフロントとして球界に残れないのも、また事実のようだ。彼らは弁舌巧みだから、ただの野球一筋の素直な選手とは違う一面があるのだろう。
    2009年の春だったろうか。北新地の店で、矢野の実兄と同席したことがあった。矢野は40歳に差し掛かる頃だったが、兄は「弟はあと1年で現役をやめるようですよ」と言ってきた。私はただ、「ああ、矢野はまだまだ辞める気はないんだな。阪神での野球が好きなんだな。」と思った。経験のある人もいるのではないか。企業でも、「そろそろ身を引いて後身にゆだねるよ」というベテラン要職者は、決してやめない。往生際が悪く、その時がきたら理由をつけて生き残る。本気でやめる気のあるベテランは決してそんなことは言わずに、さっと身を引くものだ。私自身もどれだけこれに迷惑してきたことか。結果、その通り、矢野はその一年後もまだまだやる気を見せていた。ただ、そのオフ、マリナーズの城島が日本球界復帰かというニュースを見た時、すぐに阪神が獲ろうとしてるんだなと思った。矢野の兄の言葉があったので、矢野はどうなるという考えと、まさか誤解の流布が水面下でも起こっているのでは、という疑念が生じた。ここから、阪神破壊劇が始まった。             -続-

  • >>1522

    阪神入団選手には、ドラフトの裏技や欺瞞行為を使ってまで入った選手は少ない。ただ、移籍組にはこうした選手も間々いる。江川は別格として、城島は工藤・桑田とならんで球界を欺いたような入団選手の上位3本指だろう。そして、上掲選手たちは、入団後も狡猾な野球人生を進むものだ。工藤は40歳が近づいた頃から、1年おきに故障を発生させては現役を長く延命するし、桑田の社会評論は変人にも見える。そして城島の阪神入りからの言動、これまた阪神ファンには困ったものだ。
    そもそも華々しい記録の高校時代から、わかりにくい。高校通算70本塁打は阪神の歴代最高数。長崎県から滅多にいない超高校捕手として、地元佐世保工や海星から猛烈な誘いを受けながら、大分の別府大付属という高校に近距離留学した。この甲子園に出場皆無の高校にわざわざ行くというのも不思議な話だ。ただ、70本も打てるということは、練習試合数もかなりのものだろうし、この学校が後に校名を明豊と変更して、常連校になったのをみると、「学校側」としては、かなりの力を入れていたのだろう。ただ、私見としては、大阪や青森や明徳に行くのでないのなら、郷里の長崎を強くするために尽力してほしかった。たぶんこのことが、”事の起こり”なのだろう。ただ、こういう目立たぬ高校だったので、70本といってもどこでどうやって打ったのか、ほとんどわからない。入団時にはすっかり話題になってはいたが、ダイエー入団時の動向は、目を覆うばかりだった。(上掲3人とも同じであるが)、プロには行かないと公言流布し、進路先の固有名詞まではっきりさせて、指名対象外を確定させる。しかも城島の場合、駒大のセレクションを受けているという、まさかそれをまで反故にすることはあり得まいという状況にいた。                                                  -続-

  • 久しぶりに投稿します。
    相変わらずオールド(認めたくはないが…)ファンのツボおさえまくりの人選、
    恐れ入りました。プロ野球には珍しくない大型期待新人から、ライバルや怪我の
    問題等で力を発揮できずに終わる選手…。和田選手もその中の一人だったわけで。
    私は年齢的に彼の入団当時のことはほとんど知りませんでしたが、後年南海へ
    移籍したころに父から相当期待して入団した選手であったことを教えられました。
    確か交換相手は相羽(元巨人)プラス村上(元SFジャイアンツ)でした。
    まさかあの野村が自分の後継者として獲得したのでしょうか。確かに当時の漫画
    『あぶさん(まだやっている!もういいのでは…)』にそういう記載があったような。

    今の若い選手の方々は、多くの期待を背負ったまま成長してもらいたいものです、
    とわざとらしくまとめました。

  • >>1517

    Sao様、今回も楽しく拝見させて頂きました。
    和田徹選手、全く知りませんでした。
    そして勉強になりました。
    ヤフーの掲示版のカタチが変わっても
    是非、投稿を継続お願い致します。

  • >>1514

    阪  神 241112111 14                      
    ヤクルト 000000000  0 
    1970年6月某日・・神宮でのヤクルト戦は、サンテレビでもラジオでも放送せず、G戦の途中経過に頼るのみ。巨人V9の真っ只中といえど、毎年この頃は首位のつばぜり合いを演じていた。この時の阪神は、村山・江夏ら極度の投手力偏重で、有名な貧打線。ところがこの日の中盤までにやたら点を取った経過までで当日を終えた。翌日の新聞・・驚愕の見出し・・『阪神が毎回得点!』  初の出来事だったが、ほとんど信じられなかった。しかも相手は「毎回無得点」とは!  次にその記事に目を奪われた。「史上初の毎回得点に注目されていた阪神は9回二死となり、記録はやはり無理かと思われたその時、和田のソロホーマーが飛び出し、三塁側ベンチは歓喜のお祭り騒ぎだった」・・・この強烈な出来事は、新聞記事を一生のようにそらんじる快挙。余韻は数日間続いた。和田徹がただ一度輝いた時だった。OB戦ではそんな話は紹介されず、ニュースにも年末の録画番組にも出てこなかった。試合では地味に四球を選び、すぐに若い人の代走で交代。選手生活そのままの登場だった。でも私には40年以上も前の雄姿を思い出させてくれた。次、何年後になろうとも、もう一度出て来い、和田徹!        -終-

  • >>1

    阪  神 241112111 14                      
    ヤクルト 000000000  0  

    まず、上のタイトルとこのスコアボードで、何のテーマかわかった人には是非お会いして一献傾けたい。
    昨年の11月18日。甲子園で、神巨のOB戦があるとのテレビ宣伝。これを行かずして阪神には非ずとばかり、同伴者と約束してチケット売場に行ったらわずか2日間で、アルプスしか残っていなかった。しまった!とはこのことで、こういうのに反応する虎ファンは多いのに2日放置してしまったという失策を犯してしまった。11月という深い秋に、超満員の甲子園は圧巻。試合では三宅が三塁を守り、藤田が打席に立つと「タイラー・タイラー♪♪・・・あざやーかに流し打ちータイラー♪」とまあ、何と懐かしいことか。そんな序盤に耳を疑うような名前がアナウンスされた。『○○に代わりまして、代打・ワダトオル』・・・和田徹! 「わだとおるが出てるんかいな」と私はアルプスで唸ってしまった。周りはシーンとしている。在籍中も活躍の場などほとんどなかったこの選手、しかし甲子園優勝捕手なのだ。前掲水谷の1年前、明星高校(大阪代表として、この後は勉学に力を入れてさっぱり出てこなくなる)が夏の甲子園で優勝したのだ。しかも決勝で、怪腕・池永の下関商をうっちゃって池永の春夏連覇を阻んだのだ。その時の四番で巨漢の捕手。期待されて阪神入りしたものの、両辻はいるわ、田淵は入ってくるわ・・出番全くなし。代打でごくたまにテレビに映っていた。画像で記憶にある人は少ないだろう。そこで、私は記憶の限り、秋空を眺めて上掲のスコアボードを思い出した。しかし、話題にされたこともないだろう、今後も・・きたる21日にこの掲示板も新形式になる。よろしければ、このスコアと和田が一体何なのか、調べてみてほしい。5日間。     −続−

  • >>1

    年初が2月になってしまうとは・・世の中アベノミクスに酔い惑う中、今季の阪神にはこの人に期待するファンが一番多いのかも知れない。

    オリンピックの年。2020年ではないよ。夏の選手権の本命は、芝池という投手(近鉄入団)率いる滝川高だった。お盆のさ中だった。「滝川は順調?相手は宮崎県やろ?」・・・「それが、宮崎のエースの球が速いし打つし、デカいしで負けそうや」その大会、ベスト4まで行った。そのエース・水谷の4強は今も県の最高位だ。強豪を次々破った水谷は、いつのまにか広島に入団して、巨漢のパワーヒッターになっていた。そしてタイトルを取り、打撃コーチとして無数の打者を育て上げた。その水谷が阪神にやってきた。水谷はその現役時代の変則的なフォームが示す通り、個性的な打者が育っていく。
    期待したいのは、上本に一二三や北条、秋山でもいい。米国帰りはそこそこに、今年はミズノミクスが阪神を大きく変える。

  • >>1488

    小川が監督の才能があったからこそのあおりを食った我が阪神は、Bクラスが定位置になってきた。30年前の広岡が突如出てきたように・・・ただ、今の球界では、巨人の橋上や尾花、小川など野村の野球を学習した者が力を発揮している。あれだけ主力を抜かれたヤクルトをAクラスにできるのだから、間違いなく地味なアマ時代とヤクルト時代にいい野球を見に付けているのだろう。これから知将として、円熟味を増すかもしれないが、高田がこけなかったら、監督の鉢が回ってきたかどうか。阪神にもこういう才能が埋もれている選手がいるなら誰だろうか?一度はこういう人に出てきてほしいものだ。             皆様、良いお年を。   -終-

  • >>1485

    西岡と福留を獲ろうとしている。その是非は置いといて、阪神のFAや高額獲得選手はなぜこうも中途半端ばかりなのか・・対して巨人が得たのは清原・小笠原・工藤・杉内と日本の代表格で最盛期の獲得ばかり。チーム作りに差が有りすぎる。

    広岡が巨人を過ごした約30年後のこと。原巨人がセで3連覇していた。あの時の荒川のように、巨人OBの高田がこの3年間、巨人に負けて負け続けた。裏ローテをバンバンぶつけていた。特にひどいのが08年。岡田阪神が13.5ゲーム差をひっくり返されたという話ではあるが、秋口からのヤクルトと横浜の対巨人成績は全敗。これではどんなに戦っても阪神も守れるわけがない。そんな高田は原の4年目のシーズン、他にも勝てなくなり、休養。替わりにくだんの小川が指揮をとったのだ。結果はご存知の通り。あの地味男には、監督の才能があったのだ。今年を取り上げてもヤクルトは巨人に強い。マスコミ受けしないのか、小川はあまり表に出ない。しかし高田の援護がなくなると、落合竜の独壇場になる。だからかどうなのかは知らないが、この高田、また今度はDNAのGMになる。しかも監督は中畑。私の周囲のファン仲間は、「巨人を乗せたのは、あの試合からや」という。あの試合とは、序盤で巨人がどうにも振るわかった時、突然DNA戦で15点を取って大勝した。そこから完全に目を覚ましたのだ。               -続-

  • >>1484

    広岡氏と野村氏。
    プロ野球界屈指の名将。
    それらを併せた監督理論で挑んだ尾花。
    そしてその結果。
    理論が一人歩きしても通用しないことは多々ある。
    誰が言っていることなのか、が、人を変え、また、
    人を動かすもんだろうねぇ。

    広岡・野村監督、ともに優秀な監督だけど、
    舌禍問題が無ければ、今以上の評価が得られただろうに。

  • >>1480

    巨人が来季のコーチに、また尾花を呼んだ。どうやら本当に勝つためのチーム作りがわかってきたようだ。対してわが軍は負け組み企業を地で行くような仲良し幹部の集まりで、これでは当分ダメだろう。

    さて、小川が地味に原・岡田の露払いを行っていた頃、プロ野球では奇妙なことが起こっていた。長嶋巨人が今の原巨人のように、金で選手を集めては巨人OBの他球団監督が白星を献上しまくって長嶋を側面支援していた。その代表格が荒川博のヤクルト。ところが、荒川はG以外にもサッパリ勝てず、途中休養。そこで代理を勤めたのが、誰もヘッドだとは知らなかった広岡達郎。どうみても気乗りしているとは思えず、常にブスッとしていやいややっているように見えた。ところがわからないもので、これがまた見違えるように強いのだ。シーズン途中から勝ち始め、長嶋は完全にメインバンクを一つ失って勝てなくなっていく。それどころか、広岡には誰も予期せぬ監督才能があって、次のシーズンは何と初優勝するという、この国鉄時代から弱小成績しか残さなかった、巨人の子分のような球団にとって、驚天動地の快挙を起こしたのだ。そして広岡は一躍名監督、そして球界の重鎮に躍り出る。巨人には恨みを持っているため、我が軍にとっては頼もしくすら思えた。こういうこともあるんだな、と思いつつ、30年の時を経て、また同じ事が起こるとは・・・                     -続-

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