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  • そもそも「命の授業」を行う基本設定が間違っているのでは無いかと思いました。
    クラスでかけがえのない一匹の子豚に名前まで付けて育てている。福岡県立筑水高等学校では生徒一人一人が鶏の受精から育てている。こちらでも生徒が飼育している雛に名前を付けて育てる。これでは家畜と言う概念よりペットという概念から出発してしまっているように思える。
    家畜を殺すのと、ペットを殺すのとは違うのではないか。家畜は絞めて捌くという文化的にも清く潔い印象だが、これがペットという観念からすると、動物虐待、生き物損壊などといった印象を受けます。
    最終的に生徒たちが食するために殺すかという現実に対し戸惑います。それはなにより、ペットとして育てているために、食するために清く殺す意識が持ちにくく、現代的な意味で動物虐待の決断を迫られているからでは無いかと思うのですが。
    私には「命の授業」を行っている教諭が、家畜とペットを同一視して気づかないまま、生徒たちの乗り越える成長だと勘違いしていることのように思えてなりません。
    行う教諭たちには、もう少し深いところで文化人類学や社会学を勉強していただき、本当の意味での「命の授業」を始められたらよいのではないかと危惧いたします。

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