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  • 大阪の清水谷高校時代、勤評闘争で教員免職事件がありました。父は、その頃、罪のない、教員免職事件でPTAの一人として、先生を守ろうと、反対運動を始めました。教員は、学校の同僚から相手にされずに、学校で粘る姿を拝見して、私は、力なく挫折感の学生生活を過ごしました。大教組に反対する、教師からは授業中に、脅迫的な待遇を与えられました。そして、次に安保破棄闘争でした。デモに、あけても、くれても、一生懸命でした。そんな私に清水谷高校時代の席は、最後には、あたえられませんでした。両親は、私に高校を必死になって卒業させるべく、鞄問屋の人に相談しました。京都の伏見の聖母学院へ鞄を収めているので、紹介してあげるとの話を聞いて、聖母へ出かけました。院長はフランス人で、副院長は雙葉を出てから、戦争中、キリスト教の迫害を逃れて、ヨーロッパへ逃げておられたそうです。副院長が、転出届をお持ちですかと聞かれました。もっていないのでは、転入は不可能ですから、私が懇意にしている学校へ紹介してあげます。間に合わないので、すぐに出かけてください。というような経緯から田舎のカトリック高校へ出かけましたら、院長が、待っておられて、ここの学校、どうですか? お気にめされましたか?全く、想像していた環境でした。田園の中の哲学を考えていましたので、何かゆっくりと求道して、悟りを見出す努力をしてみるには、ピッタリだと思いました。それ以来、思想を追及しても、黙想の人生を選択しました。雲水生活です。
    カトリックへの転校は、難しいようです。教員の子弟が転校を認めてもらうのに、4時間も親が院長に懇願されたらしい。学生は、外でじっと待っていたと語っていました。
    私は、社会に出て働きました。シスターは技術指導として英文タイピストの席を与えてくださいました。毎日、職場で語学力の勉強をさせてもらいました。給料は低くても、職場を変わっても、周りの人々は一流大学英文科出身の女性が多く働いておられ、単語がわからない時は、辞書をひいて、覚えるのですよとの温かい指導のもとで定年を迎えました。よからぬ、清水谷高校の人々がたくらんだ、水商売とか芸能界へ転落せずに、現在、まともな生活をしています。感謝しています。
    だから、今の学生に話をしておきたいのです。今日、偽政者、安倍政権を打倒して平和憲法を維持するデモという、正しい判断行動を選択していかなければ、国家は滅亡します。デモに出たから、就職口がなくなるなんて、嘘です。いかなる弾圧的な脅迫があっても、自分をあきらめないで、正しい目標に向かってください。あの当時、私たちは、必死でした。あきらめませんでした。だから、院長は私を救い、語られました、貴方の瞳をみれば、まっすぐなので、理解できます。
    どうか、たった、一つの青年期、必死になって、今、政府と向き合って、闘ってください。お願いします。
    私の高校時代は、安保破棄の時代でしたので、優しい父親も大商連から、東京へ、フランスデモに出かけました。父親の友人で、大手前高校から東大法学部へ進学した男性は、安保の国会前のデモで、警察のホースの水で眼鏡が壊されるぐらい、必死に頑張りました。これだけ、必死になって、実力行使をやっても、政府はアメリカを怖がって、安保を無理やりに、夜、成立させました。国会前の人々は、泣きじゃくりました。もう、これで日本国の歴史は終わりましたと、力なく、叫びました。時の総理は、岸信介でした。
    これからの日本国の歴史は、私たち、国民が創りあげるのです。現政権ではありません。アメリカに左右されてはなりません。さぁ、頑張りましょう。

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