ここから本文です

書きたい時に

  • 3,128
  • 4
  • 2018/05/20 17:04
  • rss
  • 1

    *****

    書きたいことを 気軽に書いてみませんか。

  • <<
  • 3128 3108
  • >>
  • 3128(最新)

    ブラッピ 5月20日 17:04

    先日もまた仕入れ先へ車で出かけたが、何時ものように音楽好きの同業者が「いらっしゃい!!」と迎えてくれます。
    別に彼の会社ではないのですが、地元に住む彼は、遠路訪れるわたしを、そう言って笑顔で迎えてくれるのです。

    「ウエス、モンゴメリーのカバーに入ったCDを掛けたら、ビル、エバンスだったけど聞きながら来ました」
    「うわ~ウエス・・・、ビル、エバンス、良いなぁ・・・」
    「次にビル、エバンスのカバーを開けてCD入れたら、ミスチルだったです・・・」
    「うわ~幅がひろいなぁ!!」
    運転中、信号待ちなどでCDを入れ替えるから、どの入れ物に何のCDが入っているか、ムチャクチャに成っているのです。
    まぁ性格丸出しのようなものです。

    「そうですねぇ・・、子供の頃はラジオから流れる浪花節を良く聞いていましたよ」
    「ベベベンベン、旅行けば~~廣澤寅蔵よかったなぁ・・、わたしも好きで良く聞いてましたよ!!」
    それから暫くは、彼の浪花節の数節を聞くことと成った。
    彼はわたしより8歳ほど年上ですから、ラジオ歴はその分長いのです。

    「三味線が欲しくてねぇ・・、買いたかったけど子供だからお金は無いし・・」
    「三味線も良いですね・・そうや家には琵琶がありましたわ」
    子供の頃、二階の押し入れに琵琶とバチが有ったことを思い出しました。

    「津軽三味線も良いなぁ・・あの双子の兄弟の演奏良いですねぇ」
    「そうそうそう言えば、ジャズピアノと共演したことも有ったなぁ」

    1時から始まる取引まで、何時ものように、音楽や映画の話で盛り上がるのです。
    ひょんなことからお互いが音楽好きな事が解り、それまで30年程は、同じ所に通いながら話もしたことも無かったのに、急に親しくなりました。

    そうそう、わたしが品物を下見しながら、或る曲を口ずさんでいたことから、それを偶然聞いた彼が「それってジャズですね~」と話しかけて来たことから、映画の話になりまた音楽の話に成りと、話題が広がって行ったのでした。
    話始めた頃、007シリーズが話題になりました。 彼が「ゼロゼロセブン」と言うのを、一々「ダブルオーセブンと言ってください」と言いながら。

    或る日「007は原作の方が面白いですよ・・・」と、もう古くなったヤンフレミングの原作本を数冊貸してあげたところ、後で判ったことなのですが、彼は目が悪いにも関わらず全て読んでくれたようです。
    彼の感想がまた面白かったのです。
    「面白かったです、一番面白かったのはボンドが言う『フランス女のおへソはどうしてあんなに綺麗なんだろう』と言うところでしたよ」

    月に何度か、2時間弱の運転で出かけるのですが、彼の「いらっしゃい!!」に迎えられて、早速笑顔になれるのです。。

  • 毎日映画を見ています。 
    と言っても、当地には映画館がありませんし、映画館で映画を見るのは、金銭的にちょっとわたしには贅沢に過ぎますから、もっぱら100円のDVDを借りて来て見ています。
    ここ10年程では、毎年150本程の鑑賞記録が残っています。
    最後まで見終えた映画に付いては「A+」「A」「B+」「B」のランク付けを勝手にしていますが、「B」より下の映画は、途中で見るのを止めますので、記録はありません。

    そんなことから、途中で見るのを止めた映画も入れますと、レンタル店で借りる数としては、年間約200本近くに成るようです。
    年間200本近くの映画を借りても、なかなか気に入った作品には巡り合えません。
    去年は157本の映画を見終えていまして、今年は今までに48本見ていますが、「A+」は24本となっています。
    205分の48本ですから、約20%強の割合のようです。
    しかし「A」ランクは「A+」よりは多いです(今年だけで20程有りました)から、まぁ概ね満足、というものは見終えた中では50%に近く成るのかも知れません。

    しかし借りて来たものの、途中で止めて返した物を入れた全数からしますと、30%ほどにしか成らないような気がします。
    そこで此の文を読んでおられる方にお願いなのですが、過去に良い、と思われた映画が有りましたら、教えて頂けないでしょうか。
    わたしの好みの傾向をお知らせする意味から、過去の映画歴55年間のベストを挙げて置きます。
    「ニュールンベルグ裁判」 「イブの全て」 「東京物語」 「みんな元気」 「二十日ネズミと人間」 「若者のすべて」 「ゴッド、ファーザー全」等々、思い出せない物も多く有ります。

    また去年一年間と今年に掛けて見た映画の、「A+」評価の映画も挙げておきます。 これもまた新旧入り交じりで、洋画邦画が混じっています。
    基本的に、準新作か旧作で、レンタル料100円と成った物しか借りませんから、最新の作品は見ていません。
    「ロンサム、タブ」 「ホームランド」この二作はTVドラマ 「ハドソン川の奇跡」「ニュースの真相」「永遠の0」「東京暮色」小津作品「ある戦争」「アルジェの戦い」「野良犬」三船敏郎主演 「ジェーン」「黒部の太陽」政策意欲にA+ 「チャイナ、シンドローム」「おしゃれ泥棒」「暗殺者」韓国映画 「マリアンヌ」「パコ、デ、ルシア」スパニッシュ、ギター、ドキュメント 「みかんの丘」「パッセンジャー」「ライフ、オブ、デビットゲイル」「サバイバルファミリー」「ライオン」「ララ、ランド」「ヒットラーへの285枚の葉書」
    こんなところです。

    もしお薦めの映画を挙げて頂きましても、何しろここ10年程で、1500本程の映画を見て来ていますので、わたしが既に見ている場合も多いと思います。
    一応、未見の物で、わたしの好みに合いました場合のみ、ご返事をさせて頂きたいと思っております。
    本当に勝手なことで申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

  • 今日は久しぶりに朝から雨がふっています。
    朝の最低気温が21度で、最高温度が23度となっていますが、湿気を含んだ暖かい空気が澱んでいる感じで、それを混ぜ返すように時折生暖かい風が吹きます。
    3月末決算の打ち合わせに、経理係の人が来て、帳簿など付き合わせていましたが、鼻の下に生温いものを感じて手を触れると、鼻血が指に付きました。

    今朝珍しく熱いシャワーを浴びながら洗髪して、体が温もっていた上に、店内の暖かいドラッグストアへ行ってきたことが響いたようです。
    経理係の人が「えっ鼻血」 と少し驚いて聞きますが、自分としては珍しくも無いことで「高校の時、鼻の手術をして以来、暖かいと良く出るんよ」とティッシュをちぎって鼻の穴に入れました。

    高校の3年生の時、どうも鼻詰まりが酷く、時には軽い頭痛が続いて集中力が湧かないので、耳鼻科へ行ったところ、肥厚性鼻炎ということで手術を受けることになったのです。
    これは痛い手術でした。
    「ちょっと痛いよ」と、お医者さんが何度か言いますが、その度にノミのようなもので鼻の骨を削っているようで、顔全体に金槌で叩くノミの衝撃が伝わってきます。
    手術中、待合室で話している暢気そうな母の声が聞こえて来て、思わず「喧しい!!」と怒鳴ってしまいました。
    母はビックリして、何か言い訳をしながら照れ笑いをしているようでした。

    手術後も何日か痛みが続きました。
    鼻血が出止まなくて、胃に入ると下痢をすると言うので、吐き出そうとするのですが、唾と共に吐き出す力が出て来ません。
    顔は大きく腫れているようで、手で触ると、赤黒い消毒薬を塗り込められた両頬が盛り上がっているようです。
    何日間入院していたのか、夏休みも終わり授業が始まっていたのですが、10日ほどは学校を休んだようでした。

    付き合い始めた女生徒が心配しているだろうな、とは気に成っていましたが、赤く腫れ上がった顔が治まるまでは、そうそう学校へも登校できません。
    多分先生がクラスの皆に説明しているだろうと思い、連絡もせずそのままになっていました。

    鼻血はそれ以来半世紀以上、体の温もり加減により度々出てくるのです。
    冬でも、布団を顔に被って寝ると、朝鼻血が洗面台にポトポトと垂れ落ちます。
    不思議に夏には出て来ません。
    なにやら、外気と体温の微妙な関係が、鼻中の粘膜や毛細結果に影響を及ぼすのでしょう。

    それでも、近年はさすがに年齢から来るものか、回数が少なく成って来たようです。
    今日の鼻血も、今年初めてのようでした。
    この様子では、わたしにとっての鼻血も、高校時代に気まずく別れてしまった女生徒の思い出と共に、そう遠くない日々には忘れ去られることとなるのかも知れません。
    あの当時から数えてみれば、今でももう鼻血歴55年にもなるのですから。

  • 最近また長い間書いてませんので、尊敬する、ごまめさん、の所に書いた文を転載します。
    ごまめさんの文の題名が「遅過ぎる事は無い」ということでして、それに対する返事的な文と成っています。
    何か余りに真面目過ぎるような感じもしますが、大先輩のごまめさんへのご返事ですから、御含みの上ご理解ください。

    遅すぎる事は無い!! 正に商売をやってますと、そんな感じがします。
    わたしで三代目の商店ですが、或る一部門は明治時代から途切れることなく続けられて来ているものの、これに並行して営業して来た部門は、常に時代に合わせて様変わりして来ました。

    子供の頃、父の出張が重なりますと、その後必ずと言って良いように、扱い商品、製造商品に新しいものが加わりました。 
    その都度、父は夜中に何度も起きて、新製品の製造に手を加えたりする時期があり、また朝5時からバーナーのスイッチを入れて、新しい食品の加工を始めたりしていたものでした。 常に先々を見て、新戦力の開発に努めていた姿を今でも思い出します。

    一方わたしも若い頃からを振り返りますと、随分色んな物の販売に力をそそいで来ました。
    東京や京都や様々な都市に車で出かけては、新商品の仕入れに走り回ってきました。
    そして最近も、量販店に押された商品の販売を諦めて、新しい分野の開拓に、インターネットを活用しつつ取り組んでいます。
    これまた今の遣り方が何時まで通用するか解りませんが、何歳に成っても、進取の気性を持って遣って行くことは必要なようです。

    何歳になっても、商売をして行く上で、新しき改革を求めることに「遅すぎる事は無い」と言えそうです。

    一部変更加筆しています。

  • 最近良く、蒸かし芋というものを食べている。 蒸かし芋と言えば、子供の頃には毎日のように食べていた記憶があるのだが、あれは旬の時期、と言うものはなかったのだろうか。

    学校から家に帰り、ランドセルを背から下ろしながら「お母ちゃん、何かねぇん?」 と言えば、返って来る言葉は何時も「お釜に芋があるで・・・」だった。
    ~芋か・・またか・・~ と思いながら分厚く重い釜の蓋を取ると、釜の上の方にまで沢山の蒸かし芋がゴロゴロと入って湯気を立てている。
    「戸棚の皿にとうじん干しもあるでー」 との母の声が聞こえてくるから、小さな戸棚の引き戸を開けると、これまた何時もの、とうじん干しが皿に山盛りになっている。

    とうじん干しとは、イワシの丸干しのことなのだが、当節これを漢字で書けば、差別用語となるのでひらがなのまま食べることとなる。
    とうじん干しには苦みがある。 蒸かし芋には少し甘みが有る。
    左手にとうじん干しを持ち、右手に蒸かし芋を持ち、交互にこれを食べることとなる。 
    そうすると苦みと甘みとが、ない交ぜに口内に広がり、何時もの何事も無き平和な時間が通り過ぎることとなるのだが、その当時の自分には、何故か良く解らない掴みどころのない不安のようなものが、体の中に黒雲のように存在していたように感じられるのだ。

    日曜日にはラジオから、のど自慢の主題歌が鐘の音と共に聞こえ、♪ 山には山のうれいあり、海には海の哀しいみが・・・♪ の歌も聞こえてくるが、そんな中、両手のとうじん干しと蒸かし芋を食べながら、何故か得体の知れない不安感に子供ながら何時も襲われていたのだった。
    それは多分、家庭内でのできごとからくるものだったのだろうが、今思えば、遠い遠い昔のことのようでもあり、今でも心の片隅に引きずっている細い糸のようでもある。

    今どきの蒸かし芋はとても甘く美味しく、昔のものとは違う食物のようでさえある。
    それで少しは、子供の頃の不安が消し去られて行くような面持ちにも成れるようだ。
    昔のあの美味しくも無い蒸かし芋、とうじん干しの苦みで、ようやく少しの甘みを感知できるほどの芋なら、決してまた食べ始めるようなことはしなかっただろう。
    食物の無い時代だったからこそ、また伸び盛りの子供だったからこそ毎日のように食べていたのだろうと思う。

    しかしまたそんな風に考えると、あの美味しくなかった蒸かし芋は、自分の体と心を作ってくれた恩芋なのかもしれない。
    今どきの甘く美味しい蒸かし芋を食べながら、どうしてもそんな思いも噛みしめている自分が居る。
    あの子供の頃の自分から見れば、今の自分は、随分贅沢な奴に見えるのだろうな。

  • 上の娘が、本などの小さな字を読むと何となく気分が悪く成る、と言ってたが、目医者に行ったところ、目の筋肉を無理して使ってるからで、老眼鏡を掛けなさい、と言われたそうで、100均にて初老眼鏡を買ってきた。
    娘は40代半ばだが、わたしは割合早くから老眼鏡を掛けていたほうで、確か30代の終わり付近からだったようにある。

    わたしは子供の頃から視力は良い方で、検査表の最も下にある2.0の所も、4つの内2つは何時も見えていた。
    そんな関係からか、近くの文字は割と早目に見辛くなり、我慢することも無く早々に老眼鏡を掛けたのだが、当時まだ元気だった父が「子供が老眼鏡を掛ける年になったか・・・」と妙に感慨に耽った顔をしたものだった。

    考えてみれば、子供が老眼鏡を掛ける、と言う事は、子供の成長の中で、何か一つの道標を通過したような、そんな感じもする。
    3~4歳で、幼稚園などの外の世界を知り、小中高と学校時代を過ぎて、我が家の子供3名は、全て就職をして家を出たり、家から職場へ通い始めた。
    今でも思い出すのが、子供たちが就職する前、運転免許証を取った時のことだ。 あぁこれで、心配事がまた増えたなぁ、と思ったものだった。

    それ以前の子供が小さかった頃は、新聞やTVで知る海や山の事故などを見る度、我が家の子供たちは事故無く大きく成って欲しいものだ、とも何時も思っていた。
    当時「お父さんは心配性」などというマンガ本を子供達は読んでいたようだが、子供に言いはしなかったが、正にそんな心境に成っていたようでもあった。

    幸いに、その後子供たちは大きな災難に遭うことも無く、それぞれに一家を成して、孫も4人産まれた。
    一番上の娘が、今度初めて老眼鏡を掛けることとなったのだが、これはこの歳までどうにか無事に育ったんだということで、一応お目出度いことなのかも知れない。
    父子家庭で子供を育てて来た親としては、老眼鏡を掛けて新聞を読んでいる娘を横目で見て、ちょっと自分に言い聞かす様に、そんなふうに考えてみた。

  • 何時も何にかの運動をしていないと気が済まないわたしは、最近タイキョクケンを始めました。
    以前「お宝鑑定団」を見ていて、出演した鍼灸院の方が勧めた腰痛体操を始めましたが、今度も同じ番組を見ていて、出演した方が披露した太極拳を見まして、うん、こりゃあ自分にも良いかも、と思い始めたのでした。
    何が、こりゃあ良いかも、かと申しますと、あのスローな動きが、体に対し無理な負担が掛からない感じで、それでいて適度な全身運動ができそうに思えたからなのです。
    以前番組で見た腰痛体操も、とてもわたしに合っていて、もう3年以上続けていますが、お陰で良く通っていた整骨院には、それ以来ご無沙汰したままとなっています。

    何時も何かの運動をしていないと気が済まないわたしは、つい一年前までは、スロージョギングが体に良さそうと、2年間程遣ってみたのですが、その挙句思わぬ所に副作用が出てしまいました。
    尾籠な話で申し訳ありませんが、実は痔が悪く成りまして、鮮血が何度か出て、仕方なく止めてしまったのです。
    最初は原因が解りませんでしたが、ある日ふと思い立ち、スロージョギングを暫く止めてみたら、その結果その後は何の問題なく、今日まで来ています。

    それで太極拳なのですが、これは今のところは、自分の体に合ってるようにもあります。
    と言ってもまだ始めて12日目なのですが・・・、全身の柔軟体操のようなもののようですから、スロージョギングのように、一部分に負担が掛かることも無さそうですし。
    スロージョギングが、どうしてお尻に負担が掛かるのかという疑問に関しては、余り深く考えないようにしたまま、太極拳を始めることとしました。

    先ずパソコンに太極拳と打ち込み、検索して見ましたら、初心者用、と言う事で、動画がでてきました。
    ふむふむ、割と優しい感じだな、と思いつつ真似をしてみましたが、余り面白味と言うものは感じられません。
    何事も、興味を引かれる面白味が会ってこそ長続きする訳なんですが、わたしにはどうも動画からはそれが感じられないのですね。
    そこでそれならばと、わたし一流の?アレンジを加えてみることにしました。

    要するに体が柔軟に成り、肩凝りが治り、多少なりとも足腰が強く成れば、既成の太極拳で無くても良い訳ですから・・・と言う事で、何時もの柔軟な思考から、自分なりの創作タイキョクケンを始めることとしたのです。
    ペースは太極拳と同じスローペースで、両腕と足を柔軟に移動させ、また回転し、屈折も入れて動きます。
    色々と動いていると楽しくもなります。

    見方によっては、スローな盆踊りのようでもあり、ラジオ体操のようでもあり、見方によれば太極拳のようでもあります。
    店の事務所の中で、店番をしながら出来ることも良いことです。 
    今や色んなパターンを入れて、笑って見ている娘の前で、面白くやっています。
    一種のスロー踊りのようなものですが、或る動きの例としては、ボート漕ぎのようだったり、ボルトのポーズ左右だったり、息子が子供の頃やってたタケシのコマネチのようだったり、昔少し習った空手剛柔流の形だったり、阿波踊りのようだったり、多少頭も使いながら、それらの動きを足の運びと共に10分間も続けると、良い運動に成ったような気持になります。

    これは案外長続きしそうだな、と思いながら、まぁ3か月後位には、肩凝りの無い柔軟な体に成ってるのでは・・・と楽しみにして、今のところ一日も休まず続けているのです。

  • 大相撲が何かいまいち寂しい気がする。 栃ノの頑張っている姿を見るのは嬉しい事なのだが。 
    あの電光石火の綱渡り相撲だった、日馬富士の相撲を見られなくなったし、今場所の鶴竜の超技能相撲もこの二日間で影をひそめてしまった。
    そしてそれ以上に残念なのが、嘉風の成績だ。 せっかく二横綱に勝ったのに、精力を使い果たしてしまったのか、その後は精彩を欠いてしまっている。

    栃ノ心は、大怪我で十両に陥落して後、這いあがって来て以来ずっと応援しているから、今日にも優勝を決めてもらいたいものだ。
    やはり優勝をするほどの力士の相撲は、何か神がかり的な動きの美しささえ感じられる。 
    日馬富士が横綱に成る前の二場所の相撲も、正にそのようなものが感じられ、この後にはもうこれ以上の相撲というものはあり得ないのでは・・・、などと思ってしまった記憶さえある。

    若い頃に格闘技を経験してきた自分は、相撲を、ただ単に格闘技として見ているからこそ、無気力な手抜き相撲は直ぐに解るし、それが起こる事情というものも分かる気がするのだが、そんなことを知っていてもなお興奮してしまう相撲を見たくて、長年大相撲が始まるとTVに向かってしまうのだ。

    そして今日からの二日間は、寂しい中にも、何か特別の、劇的な瞬間が見れそうな気もするのだ。

  • 今日は誕生日だ。 スーパーで何か美味しそうな物を・・と思って探したが、結局何時もと同じような物を買ってしまった。
    ここ数日は寒波の襲来で、寒い日が続いている。 今朝は0度で、明日はー2度の予報になっているから、小屋に保護している植物に新聞紙をフワリと掛けておいた。
    考えてみれば、一年中で一番寒い時期に自分は生まれた訳だ。
    終戦の年の一月だから、まだ戦争中で、我が町には海軍の基地が有ったから、アメリカのグラマン戦闘機の爆撃など激しいものが有ったらしい。

    わたしの生まれた家は、ちょうど市街地の中央付近になるのだが、グラマンは丁度家の上空付近から低空飛行を始めて、郊外の海軍基地に向け爆弾を落としたり、機銃掃射をしていたらしく、付近にも機銃掃射の弾丸がバラバラと落ち、壁や屋根にも突き刺さったりしていたらしい。
    笑い話のようだが、グラマン群が去った後、漬物樽の中でゴロゴロ音がするので家族が見ると、銃弾が樽の内側を回っていた、などという話もある。

    数年前までは、事務所の机の引き出しに、機銃の弾丸が入っていたし、真鍮製のような薬莢も入っていたから、父が家の付近で拾ってきたものだったのだろう。
    当時赤子のわたしは、良く家の地下室兼防空壕に入れられたままに成っていたらしい。
    度々入れられたまま忘れられていたような話も、父母から聞いた記憶がある。

    それが原因かどうか、わたしは人一倍日光が眩しく感じられるほうで、小学校の集合写真では、どれもわたし一人が眩しそうに顔をゆがめて写っている。
    眼球が茶目で、冬でも車の運転中はサングラスが欲しい方なのだ。
    グラマン戦闘機の執拗な爆撃の影響が、わたしの今日の誕生日に至るまで、まだ未だに残っているのかも知れない。
    どうかわたしたちの年代が、防空壕最終経験者であって欲しいものだ。

  • 最近何故か、床に1000円札が落ちている風景に遭遇する。
    昨日もスーパーのレジに並んでいたら、目の前の床に1000円札が一枚落ちていた。
    「これ落ちてたよ」と、レジの女性に渡したが、女性は事務的に「ハイありがとうございます」と受け取ると、1000円札をレジ器の端に乗せ、わたしの商品をピッピッと通し始めた。
    ~こんな場合、建物の管理者の保管物になるんだったなぁ~ などと昔習った法律を反芻したりして、買い物を袋に入れ帰路についた。

    その前の正月4日は、ツタヤでDVDを探していたわたしの左横に、何かがヒラヒラと舞い落ちて来た。
    床を見るとツタヤのレシートらしき物が落ちている。
    左横に立って、DVDの棚を見上げている人が落としたようだが、まぁレシートなら声を掛けなくても良いだろう、とわたしも棚に目を移した。

    その内また、何かヒラヒラと落ちた気がしたので、気に成って見ると、今度はレシートの隣に1000円札が一枚落ちていた。
    綺麗に磨かれた床の上に落ちた1000円札は、なにか特別な、侵し難き存在感が会って、一瞬見惚れてしまった。
    隣に立っている人を見ると、何となく左右に体が揺れているようでもあり、外出着を着ているが、少しお酒が入っているような雰囲気でもある。
    両手で長財布らしきものを持って、財布の口を空けたままDVDの棚を見上げていた。

    「ちょっと、いろいろ落ちましたよ」と声を掛けると、床を見て「アッ、これはこれは・・・」と拾いあげたが、お酒の勢か腰が少しふら付いてるようでもあった。
    わたしは笑いながら床を見ていたが、良く見るとその人の向こう側にも1000円札が一枚落ちていた。
    「ほらあそこにも・・・、他はもうないですよね・・・」
    わたしはその人の後ろや周りを見てみたが、もうお札は落ちて無いようだった。

    「たいしたお金も持ってないのに、落としたりして・・・、すいませんねぇ」
    その人は笑いながらわたしに頭を下げて、「いえいえ」というわたしの横で暫くDVDを探していたが、何時の間にか姿が見えなくなった。
    わたしは2つほど良さそうな映画を見つけ、もう一つ・・と探していたが、数分してもう忘れた頃、先程の人がまた引き返して近づき、笑いながら「ありがとうね・・・」と大声で頭を下げ去って行った。
    やはり少しお酒が入っているようで、陽気な足取りだった。

    ツタヤにしてもスーパーにしても、そんなことが有った後には、どうしても暫く歩きながら足元を見てしまう自分が居るのだが、これは誰にでも有る習性なのだろうか・・。

  • 今日は自転車で30分程の大型店まで、買い物に行って来ました。
    北風が強く、行きがけは向かい風で、随分進み難かったです。

    アルミの針金など、明日からの作業に必要な物を買い、帰りは日向路を選んで走っていたら、母の実家の在る村落に入っていました。
    そういえば、子供の頃の正月3日も、父の運転する三輪トラックで、母の実家に出かけたりしてた筈だな・・、と急に懐かしさが湧いて来て、自転車をゆっくり走らせ、回りをキョロキョロと見ながら進みました。

    母の実家には、今でも仲の良い従兄一家が住んでいて、年に一度くらいは用事で来るのですが、正月の静けさの中で、母の実家の前を通ることが、なにか特別な懐かしさを持って感じられるのです。
    わざわざ、当時通っていた裏の細い通りまで行って、しばらく眺めたりしました。

    子供の頃は、帰りは顔の赤くなった父の運転するトラックに揺られ、神さんの鼻と呼ばれた狭い急カーブを一気にギュンと回られて、生きた心地がしなかったものです。
    今日は一人思い出し笑いをしながら、随分立派に広く成ってしまったカーブを、ゆるゆると通って行きました。

  • 子供の頃チャンバラをして走り回ったり。

    20歳のころ、大阪から帰省して、父母と登ったり。

    自分の小さな子供を連れて、弁当を作って何度か登ったり。

    今日TELで話をした、神戸の姉のご主人とも登ったり。

    思い出があちこちに落ちている山です。

    書きたい時に 子供の頃チャンバラをして走り回ったり。  20歳のころ、大阪から帰省して、父母と登ったり。  自分の

  • 明けましておめでとうございます。
    今年はどうか平穏な年でありますように。

    運動を兼ねて、休みの日にのんびりと、と思って、自転車で15分ほどの所に在る山へ登ってきました。
    子供の頃から何度登ったか解らない程の、身近な山ですが、町中に在るものの、やはり山は自然にあふれています。

    書きたい時に 明けましておめでとうございます。 今年はどうか平穏な年でありますように。  運動を兼ねて、休みの日に

  • 今年もいよいよ大晦日です。
    今日は久しぶりに自分の部屋や、その他少し掃除をして、午後はハウスの仕事の続きを少しして、早めに休もうかと思います。

    正月は3日間ゆっくり休んで、余り寒く無ければ、あちこち散歩でもするつもりです。
    運が良ければ、また高校でOB達の野球試合を見れるかも知れません。

    何故か知りませんが、野球の練習や試合を見るのが好きなんですね。
    小学生から大人まで、何処かで遣ってれば、用事の途中でも短時間見てしまいます。

    小学生の頃から、高校生のお兄ちゃん達の野球の練習を見ていた習慣は、未だに抜けないのです。
    自分自身は、野球を正式にしたことは一度もないのに・・・。
    何処か惹かれるものが有るのでしょうね。

    さて今年もいろいろと駄文を重ねましたが、来年もまたコツコツと書いていくつもりです。
    来年がどうぞ皆様にとっても良い年でありますように・・・。

  • 日記帳を買ってきた。 日記帳と言ってもわたしの場合、学校で普通に良く使われているノートで、税込み324円だった。 
    現在使っている日記帳の裏を見ると、450円と書かれているが、買った当時消費税が幾らだったのか思い出せない。
    現在使っている日記帳は、2009年の正月から書き始めている。

    その年の正月2日には、弟の家へ車を運転して娘と二人で出かけ、弟一家や、弟嫁の親戚の人達と歓談した。
    弟は既に癌の末期で痩せ細っていて、それでも何時もの明るさで、皆を笑わせたりしていた。
    弟はその年の3月に亡くなったので、その日は、弟と過ごした最後の正月となってしまったのだった。

    その後今日に至るまでの9年間が、現在の日記帳には書かれている。
    主に商売の事が書かれているのだが、子供達一家の事や、孫の成長も綴られている。
    商売に関しては,統計的なことや、植物の育成に関しても書かれているので、来年以降も何度も読み返すことが多くなりそうだ。

    さて新しい日記帳は2018年より始まる訳だが、以前ものよりやや薄いようなので、9年間は持たないかも知れない。
    そして8年間書ければ、80歳になる。
    もしかして最後の日記帳になるのか、もう1冊必要になるのか。
    どちらにしても、商売上では、最後の足跡を残すこととなる可能性もある。
    若い頃の前職を退職し、親代々の商売を継いで丁度45年になるが、あと10年+、一応86歳の定年退職を目指して頑張る気ではいる。

  • 暫くここに書きませんでしたら、早いもので12月も半ばとなりました。

    最近はいろいろと忙しい用事が続いていました。
    まず商売上の事で、或る蘭の問い合わせが多く、何名かの同業者が来て少し取引がありました。
    面白いもので、或る種に人気が出ると、問い合わせが急に増えるものですから、売る売らないは別にしても、急に活気が増すのですね。
    何にしても、不景気が続く中、珍しく良い話でした。

    次は悪い話で、自分の店の在る建物が急に停電をしました。
    この建物が建って、これで二度目ですが、今回ようやく原因がわかりました。
    電気関係に、部品の不備が有ったのです。

    最初の工事の時の業者が、手抜き工事をしていたため、二度も停電していたことが判り、現在その業者と交渉中です。
    まだ寒さに慣れない昨今、午前中の停電は本当に困りものでしたが、まぁ原因が判り、不幸中の幸いと言えるかも知れません。

    しかし素人と言うものは仕方のないものです。
    最初の停電時、わたしは何も判らないまま、何処かの雨漏りだろうと言う事で、ビニールを両面テープで機械に張り付けたりしていたのですが「こんな大事な電気関係の機械に、素人がそんなことをしなければならない、と言う事自体がおかしいのでは・・」と言う発想には至らなかったのですね。
    後で手抜きの原因が解って後「そりゃぁそうだよなぁ・・」と初めて納得が行くのですから「何とも自分自身頼りないものだな・・」と思ってしまいました。

    まぁ言い訳としましては「まさかプロの業者が手抜きなど・・・」という先入観があったからでは有ったのですがね。

    さて今年中には、もう一度位ここに書きたいものですが・・・。

  • 買い物へ自転車で出かけていると、いろんな人とすれ違いますが、昨日は坂道を下りていると、わたしと同年位の女性三人組が目に付きました。
    何か盛んに喋り合いながら坂を上がってきますが、みなさん割とカラフルな服を着て、頭もカラフルになっています。
    すれ違う時に、話の一部が良く聞き取れました。
    「ほんと、子供が二十歳に成るのは、年が掛かったけど、孫が二十歳に成るまでは、一瞬!!」
    この「一瞬!!」という言葉は特に高音で、わたしの耳にまで波形鋭く突き刺さりました。

    通り過ぎながら、何かその「一瞬!!」に強要されたような感じで、自転車を漕ぎ漕ぎ考えてみました。
    { 自分の孫は、上が二人共中学二年生だから、まだ12か13だが・・・、しかし確かにこの12か13に成るまでは早かったなぁ・・・。
    まぁ「一瞬!!」と言えば言えなくもないなぁ・・・。
    大阪の女子孫も、ついこの間まで、アバアバ言ってた赤ちゃんで、初めて抱き上げた時、息子が喜んで二人の写真を撮ったりしてたが・・・、もう中学でトロンボーンを吹いてるし・・・、だれにでもニコニコしてた赤ちゃんだった広島の男子孫は、軟式テニス部で、この間の夏休み来た時は、焦げたように真っ黒になってたし・・・。
    そういえばもう二十歳までの半分は過ぎたわけだ・・・、今までが「アッ」と言う間だったから、今からも「アッ」という間の予感もするなぁ・・・。}

    わたしは孫とは、一年に一度の子供たち一家の帰省の時にしか会っていないから、そうしてみるとまだ12か13回しか会ってない事になるんです。
    いやいや、大阪には一度専門学校の同窓会の時泊ったし、今年の1月には、息子嫁のお父さんの不幸で泊ったから+2回になるし、広島には一度、正月休みに出かけて泊ったことが有るから、+1回です。
    { それにしても、今後も、上の孫が二十歳になるまでは、あと数回しか会わないこととなるなぁ。
    孫が二十歳になるまでに、22から23回しか会わないということは・・・・。}
    と考えたのですが、ここで或る言葉が頭を過ぎりました。
    自分の孫を見てたり、また孫の事を思い出す時に、ふと浮かんで来る一つの光景があるのです。

    十年ほど前まで、ご近所に、わたしの家と仲良く行き来していた八百屋さんが居りました。
    そこは両親と娘さんが一人の家族なのですが、娘さんは嫁に行かず、高校を出て以来東京で働いていました。
    わたしより一回りほど年上のご主人が、最後に入院していた時のことを奥さんが話してくれたのです。
    「ベットに寝てるお父さんと話したんよ、・・・とうとう孫の顔というものを見れんかったなぁって・・・」
    ご主人の亡くなったあと、お参りに行ったわたしに、奥さんは首を垂れて話されましたが、わたしには返す言葉がありませんでした。
    四畳半ほどの畳の間に、小さな棚が仏壇代わりに置かれ、棚の上に、ご主人が微笑んで黒い額におさまっていました。

    あの時の情景を思い出す度、わたしには自分の事が、特別に贅沢なことに思えるのです。
    二人の女子孫と、二人の男子孫が居て、大きく成って行く。 それは会える回数とか言う以前の、幸せなことなんでしょう。
    あと残りの、もう一つの「一瞬!!」が終わるころは、わたしももう、もうちょっと長い一瞬の、終わりの頃に成っているのでしょう。
    そう思うと残りの「一瞬!!」は・・・、あの女性の声音以上のものにも思えるのです。

  • 今日も坂道を自転車で、エンコラエンコラと登ってきました。 足を鍛えるのは、若い頃を思い出して気分の良いものなのです。
    中学高校と不真面目なバスケ部部員でしたが、部活中の山登りには、割と真面目に参加しました。
    標高100m程の山なのですが、これを走って登るのは、かなり厳しいトレーニングになるのです。
    頂上に辿り着けば、全員が倒れ込んで、仰向けに寝て、胸を大きく上下させて空気を貪ります。

    呼吸がどうにか整う前に、主将の号令で階段上りが始まります。
    階段は然程の数では無いのですが、二段飛び三段飛びで上がりますから、これまた足の筋肉が悲鳴を上げます。
    そんな後、整理体操をして山を下り、体育館でボールを持ってバスケの練習をするのですが、そんな練習の割には、我が高校のチームは然程強いチームではありませんでした。

    当然県体には出場しますが、まぁ一回戦に勝てば良い方で、二回戦に勝った記憶は無かったような気がします。
    練習方法をはじめ、教師の指導が余り良くなかったのでしょうか。
    進学校だから、という云い訳はできませんでした。
    何しろ県体での優勝常連校が、県下での国立大学進学率一位の高校でしたから。

    そんな高校時代のバスケ部での練習でしたが、わたしにとっては、18歳から始めた柔道に凄く役に立ったようでした。
    はやり足腰の筋肉が良く発達して、柔道の練習だけでは身に付きにくい、バネのようなものが足の筋肉の中に内蔵されてたように思います。
    以前も書きましたが、モンゴル出身の横綱連中が強いのは、皆子供の頃からバスケをしていたからなのだと思っています。

    72歳に成った今、坂道を自転車で漕ぎ上がっていると、高校時代のバスケ部の練習を自然に思い出しますが、これは頭で思い出すと共に、筋肉も思い出しているような気がします。
    去年位までは、7㎏のダンベルを両手に一つづつ持って上げ下げしていましたが、今では、7㎏のそれを両手で一つ持って上げ下げしています。
    これでもやはり筋肉が昔を思い出すようで、直ぐに両腕が張ってきます。

    さてさて、何時まで出来るものか判りませんが、雀百まで踊り忘れず、じゃあありませんが、若い頃から運動していた人間の、運動バカは治り様が無いようです。
    何処かの登りの坂道で、自転車が倒れて、白髪の作業着のオッサンが横になっているのが発見されたら・・・、多分その時の貌だけは、ちよっと若返って見えてるのかもしれません。

  • 最近はほとんど運動らしきことをしていないので、せめて買い物の時の自転車で、と思い、わざわざ遠回りをしては運動に替えている。
    今日も何時ものスーパーへ行くのに、まず方向違いの道をから走ることにした。

    国道に架かる橋を渡り少し走ると、右へ曲がる方向にスーパーは有るのだが、今日は真っ直ぐの方向、登り坂の道へと進んで行った。
    割ときつい登坂を、腰を上げずに足の力だけで登るのは、大腿四頭筋の先だけに力が籠る。
    腰をサドルから上げて、勢い良く走るのも良いが、筋肉に負荷を掛けるにはこの方法も、ちよっと自虐的だが、効果的な感じがする。

    坂道を上り詰めたら、近くの小学校から下校中の小学生の群れと出会つたので、何も通らない赤信号を守った。
    信号を越えて、下り坂は軽快に走る。
    歩道の、車道との交差のデコボコ部分を、お尻を上げて走り抜け、コンビニの駐車場添いを走っている時だった。

    歩道の植え込みの陰から、突然白い乗用車の鼻先が現れた。
    わたしは咄嗟に、両手でハンドルのブレ―キレバーを力いっぱい握った。
    白い乗用車も、わたしの50センチ程手前で急停止した。

    何時もながら、最近の車の制動の良さを感じる瞬間だった。
    昔なら、急ブレーキの後では必ずタイヤが数メートルはスリップしていたものだった。
    あのフロントが沈み込むような確実な停止で、どれほど交通事故が減ったものかと、こんな時でも妙に感心する。

    運転している男性と顔を見合わせた。
    わたしより少し若い程度の、ワイシャツを着た恰幅の良い男性が、頭を軽く下げて、わたしに先に行くように手をハンドルの前に差し伸べた。
    わたしは急いで車の前を通るのも面倒だから、運転手に先にコンビニ駐車場へ入るよう、どうぞ、と腕で示した。

    運転手の男性は、今度は丁寧に頭を下げて、わたしの前を通った。
    わたしも丁寧に頭を下げて、くるまを見送った。
    運転手の男性の動作に、何だか気分が良くなった。

    川に突き当る道を、今度は右折した。
    その道は道路も狭く、歩道も狭い。
    暫くすると、向こうから、母親と4~5歳位の女の子が並んで歩いて来た。

    狭い歩道だから、わたしは車道に下りて親子とすれ違った。
    すれ違う時、お母さんがわたしに丁寧にお辞儀をした。
    わたしも気分良く、頭を下げながら通り過ぎた。

    今日はそんな気分のまま、快晴の秋空の下、スーパーの自転車置き場に到着した。

  • { 武田鉄也さんのこと }
    先日TVを見ていましたら、武田鉄矢さんが出ていて、何時もの調子で喋っていました。
    武田鉄矢さんを始めて知った経緯には、ちょっと面白い思い出がありました。
    今から数十年前、或る日わたしは軽四輪を運転して、田舎の山また山を縫う国道を走っていました。
    田舎の農家に、何か農業用の品物を配達して、帰途についていた時のようでした。
    車のラジオを点けていましたが、山また山の連続ですから、まともに電波が入りません。
    時々山が切れて、少し見通しが良く成った時に「○○さんの歌をおくります・・・・・・」などと、断片的に声が聞こえてくるのです。

    そんな中、下りのカーブを降りている時でした、前方が開けた途端、突然ラジオから大声が聞こえました。
    「コラ、てつや・・・なんばしょっとかいねこのばかちんは・・・ガーガー・・・」
    ビックリして、思わずエッと、声が出てしまいました。
    今のは何だったのか?驚いたなぁ~  と、暫くすると
    「今も聞こえるおふくろの声・・・ガーガー」  
    なんや歌だったのか。 それにしても何か変な歌やなぁ~

    と思っていますと、次に聞こえて来た時には歌は終わっていて「ただ今の歌はカイエンタイの母に捧げる・・・・ガーガー」
    此処でまた、エッ。
    今カイエンタイと聞こえたような気がしたけど・・まさか、カイエンタイ・・・海援隊なんてことは有り得んし・・・。
    それにしても、カイエンタイとしか聞こえなかったなぁ・・・。

    わたしは、わたし達同年代の者に多い、司馬遼太郎さんの「龍馬がゆく」のファンなんです。
    坂本龍馬に傾倒して、20歳代には、自分も32歳で死ぬのではないだろうか、などと考えていた時期もあった程なのです。
    そんな者にとっては、カイエンタイとは海援隊のことなんですが、一面、海援隊という名詞は、軽々しく使っては欲しくない、神聖な言葉なのです。
    まさか・・・と思いつつ家に帰りましたが、そのカイエンタイの言葉は、何時までも心の隅に引っかかったままに成っていました。

    武田鉄也さんを始めてTVで見て、彼が坂本龍馬の事を熱く語るのを聞いたのは、それから暫く後のことでした。
    まぁ彼なら海援隊の名を語っても良いか・・・、と自分の中で許せたのは、その頃からのことでした。
    その後武田さんは、学校の先生役などで有名になりましたが、何となく未だに、わたしとしては龍馬仲間のような目で見てしまうのです。

  • <<
  • 3128 3108
  • >>
並べ替え:
古い順
新しい順
アプリでサクサク「掲示板」を見る Yahoo!ファイナンス公式アプリ
かんたん口座開設・販売手数料無料!! ヤフーグループのYJFX! 投資信託