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書きたい時に

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  • 2018/02/11 15:21
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    書きたいことを 気軽に書いてみませんか。

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    ブラッピ 2月11日 15:21

    何時も何にかの運動をしていないと気が済まないわたしは、最近タイキョクケンを始めました。
    以前「お宝鑑定団」を見ていて、出演した鍼灸院の方が勧めた腰痛体操を始めましたが、今度も同じ番組を見ていて、出演した方が披露した太極拳を見まして、うん、こりゃあ自分にも良いかも、と思い始めたのでした。
    何が、こりゃあ良いかも、かと申しますと、あのスローな動きが、体に対し無理な負担が掛からない感じで、それでいて適度な全身運動ができそうに思えたからなのです。
    以前番組で見た腰痛体操も、とてもわたしに合っていて、もう3年以上続けていますが、お陰で良く通っていた整骨院には、それ以来ご無沙汰したままとなっています。

    何時も何かの運動をしていないと気が済まないわたしは、つい一年前までは、スロージョギングが体に良さそうと、2年間程遣ってみたのですが、その挙句思わぬ所に副作用が出てしまいました。
    尾籠な話で申し訳ありませんが、実は痔が悪く成りまして、鮮血が何度か出て、仕方なく止めてしまったのです。
    最初は原因が解りませんでしたが、ある日ふと思い立ち、スロージョギングを暫く止めてみたら、その結果その後は何の問題なく、今日まで来ています。

    それで太極拳なのですが、これは今のところは、自分の体に合ってるようにもあります。
    と言ってもまだ始めて12日目なのですが・・・、全身の柔軟体操のようなもののようですから、スロージョギングのように、一部分に負担が掛かることも無さそうですし。
    スロージョギングが、どうしてお尻に負担が掛かるのかという疑問に関しては、余り深く考えないようにしたまま、太極拳を始めることとしました。

    先ずパソコンに太極拳と打ち込み、検索して見ましたら、初心者用、と言う事で、動画がでてきました。
    ふむふむ、割と優しい感じだな、と思いつつ真似をしてみましたが、余り面白味と言うものは感じられません。
    何事も、興味を引かれる面白味が会ってこそ長続きする訳なんですが、わたしにはどうも動画からはそれが感じられないのですね。
    そこでそれならばと、わたし一流の?アレンジを加えてみることにしました。

    要するに体が柔軟に成り、肩凝りが治り、多少なりとも足腰が強く成れば、既成の太極拳で無くても良い訳ですから・・・と言う事で、何時もの柔軟な思考から、自分なりの創作タイキョクケンを始めることとしたのです。
    ペースは太極拳と同じスローペースで、両腕と足を柔軟に移動させ、また回転し、屈折も入れて動きます。
    色々と動いていると楽しくもなります。

    見方によっては、スローな盆踊りのようでもあり、ラジオ体操のようでもあり、見方によれば太極拳のようでもあります。
    店の事務所の中で、店番をしながら出来ることも良いことです。 
    今や色んなパターンを入れて、笑って見ている娘の前で、面白くやっています。
    一種のスロー踊りのようなものですが、或る動きの例としては、ボート漕ぎのようだったり、ボルトのポーズ左右だったり、息子が子供の頃やってたタケシのコマネチのようだったり、昔少し習った空手剛柔流の形だったり、阿波踊りのようだったり、多少頭も使いながら、それらの動きを足の運びと共に10分間も続けると、良い運動に成ったような気持になります。

    これは案外長続きしそうだな、と思いながら、まぁ3か月後位には、肩凝りの無い柔軟な体に成ってるのでは・・・と楽しみにして、今のところ一日も休まず続けているのです。

  • 大相撲が何かいまいち寂しい気がする。 栃ノの頑張っている姿を見るのは嬉しい事なのだが。 
    あの電光石火の綱渡り相撲だった、日馬富士の相撲を見られなくなったし、今場所の鶴竜の超技能相撲もこの二日間で影をひそめてしまった。
    そしてそれ以上に残念なのが、嘉風の成績だ。 せっかく二横綱に勝ったのに、精力を使い果たしてしまったのか、その後は精彩を欠いてしまっている。

    栃ノ心は、大怪我で十両に陥落して後、這いあがって来て以来ずっと応援しているから、今日にも優勝を決めてもらいたいものだ。
    やはり優勝をするほどの力士の相撲は、何か神がかり的な動きの美しささえ感じられる。 
    日馬富士が横綱に成る前の二場所の相撲も、正にそのようなものが感じられ、この後にはもうこれ以上の相撲というものはあり得ないのでは・・・、などと思ってしまった記憶さえある。

    若い頃に格闘技を経験してきた自分は、相撲を、ただ単に格闘技として見ているからこそ、無気力な手抜き相撲は直ぐに解るし、それが起こる事情というものも分かる気がするのだが、そんなことを知っていてもなお興奮してしまう相撲を見たくて、長年大相撲が始まるとTVに向かってしまうのだ。

    そして今日からの二日間は、寂しい中にも、何か特別の、劇的な瞬間が見れそうな気もするのだ。

  • 今日は誕生日だ。 スーパーで何か美味しそうな物を・・と思って探したが、結局何時もと同じような物を買ってしまった。
    ここ数日は寒波の襲来で、寒い日が続いている。 今朝は0度で、明日はー2度の予報になっているから、小屋に保護している植物に新聞紙をフワリと掛けておいた。
    考えてみれば、一年中で一番寒い時期に自分は生まれた訳だ。
    終戦の年の一月だから、まだ戦争中で、我が町には海軍の基地が有ったから、アメリカのグラマン戦闘機の爆撃など激しいものが有ったらしい。

    わたしの生まれた家は、ちょうど市街地の中央付近になるのだが、グラマンは丁度家の上空付近から低空飛行を始めて、郊外の海軍基地に向け爆弾を落としたり、機銃掃射をしていたらしく、付近にも機銃掃射の弾丸がバラバラと落ち、壁や屋根にも突き刺さったりしていたらしい。
    笑い話のようだが、グラマン群が去った後、漬物樽の中でゴロゴロ音がするので家族が見ると、銃弾が樽の内側を回っていた、などという話もある。

    数年前までは、事務所の机の引き出しに、機銃の弾丸が入っていたし、真鍮製のような薬莢も入っていたから、父が家の付近で拾ってきたものだったのだろう。
    当時赤子のわたしは、良く家の地下室兼防空壕に入れられたままに成っていたらしい。
    度々入れられたまま忘れられていたような話も、父母から聞いた記憶がある。

    それが原因かどうか、わたしは人一倍日光が眩しく感じられるほうで、小学校の集合写真では、どれもわたし一人が眩しそうに顔をゆがめて写っている。
    眼球が茶目で、冬でも車の運転中はサングラスが欲しい方なのだ。
    グラマン戦闘機の執拗な爆撃の影響が、わたしの今日の誕生日に至るまで、まだ未だに残っているのかも知れない。
    どうかわたしたちの年代が、防空壕最終経験者であって欲しいものだ。

  • 最近何故か、床に1000円札が落ちている風景に遭遇する。
    昨日もスーパーのレジに並んでいたら、目の前の床に1000円札が一枚落ちていた。
    「これ落ちてたよ」と、レジの女性に渡したが、女性は事務的に「ハイありがとうございます」と受け取ると、1000円札をレジ器の端に乗せ、わたしの商品をピッピッと通し始めた。
    ~こんな場合、建物の管理者の保管物になるんだったなぁ~ などと昔習った法律を反芻したりして、買い物を袋に入れ帰路についた。

    その前の正月4日は、ツタヤでDVDを探していたわたしの左横に、何かがヒラヒラと舞い落ちて来た。
    床を見るとツタヤのレシートらしき物が落ちている。
    左横に立って、DVDの棚を見上げている人が落としたようだが、まぁレシートなら声を掛けなくても良いだろう、とわたしも棚に目を移した。

    その内また、何かヒラヒラと落ちた気がしたので、気に成って見ると、今度はレシートの隣に1000円札が一枚落ちていた。
    綺麗に磨かれた床の上に落ちた1000円札は、なにか特別な、侵し難き存在感が会って、一瞬見惚れてしまった。
    隣に立っている人を見ると、何となく左右に体が揺れているようでもあり、外出着を着ているが、少しお酒が入っているような雰囲気でもある。
    両手で長財布らしきものを持って、財布の口を空けたままDVDの棚を見上げていた。

    「ちょっと、いろいろ落ちましたよ」と声を掛けると、床を見て「アッ、これはこれは・・・」と拾いあげたが、お酒の勢か腰が少しふら付いてるようでもあった。
    わたしは笑いながら床を見ていたが、良く見るとその人の向こう側にも1000円札が一枚落ちていた。
    「ほらあそこにも・・・、他はもうないですよね・・・」
    わたしはその人の後ろや周りを見てみたが、もうお札は落ちて無いようだった。

    「たいしたお金も持ってないのに、落としたりして・・・、すいませんねぇ」
    その人は笑いながらわたしに頭を下げて、「いえいえ」というわたしの横で暫くDVDを探していたが、何時の間にか姿が見えなくなった。
    わたしは2つほど良さそうな映画を見つけ、もう一つ・・と探していたが、数分してもう忘れた頃、先程の人がまた引き返して近づき、笑いながら「ありがとうね・・・」と大声で頭を下げ去って行った。
    やはり少しお酒が入っているようで、陽気な足取りだった。

    ツタヤにしてもスーパーにしても、そんなことが有った後には、どうしても暫く歩きながら足元を見てしまう自分が居るのだが、これは誰にでも有る習性なのだろうか・・。

  • 今日は自転車で30分程の大型店まで、買い物に行って来ました。
    北風が強く、行きがけは向かい風で、随分進み難かったです。

    アルミの針金など、明日からの作業に必要な物を買い、帰りは日向路を選んで走っていたら、母の実家の在る村落に入っていました。
    そういえば、子供の頃の正月3日も、父の運転する三輪トラックで、母の実家に出かけたりしてた筈だな・・、と急に懐かしさが湧いて来て、自転車をゆっくり走らせ、回りをキョロキョロと見ながら進みました。

    母の実家には、今でも仲の良い従兄一家が住んでいて、年に一度くらいは用事で来るのですが、正月の静けさの中で、母の実家の前を通ることが、なにか特別な懐かしさを持って感じられるのです。
    わざわざ、当時通っていた裏の細い通りまで行って、しばらく眺めたりしました。

    子供の頃は、帰りは顔の赤くなった父の運転するトラックに揺られ、神さんの鼻と呼ばれた狭い急カーブを一気にギュンと回られて、生きた心地がしなかったものです。
    今日は一人思い出し笑いをしながら、随分立派に広く成ってしまったカーブを、ゆるゆると通って行きました。

  • 子供の頃チャンバラをして走り回ったり。

    20歳のころ、大阪から帰省して、父母と登ったり。

    自分の小さな子供を連れて、弁当を作って何度か登ったり。

    今日TELで話をした、神戸の姉のご主人とも登ったり。

    思い出があちこちに落ちている山です。

    書きたい時に 子供の頃チャンバラをして走り回ったり。  20歳のころ、大阪から帰省して、父母と登ったり。  自分の

  • 明けましておめでとうございます。
    今年はどうか平穏な年でありますように。

    運動を兼ねて、休みの日にのんびりと、と思って、自転車で15分ほどの所に在る山へ登ってきました。
    子供の頃から何度登ったか解らない程の、身近な山ですが、町中に在るものの、やはり山は自然にあふれています。

    書きたい時に 明けましておめでとうございます。 今年はどうか平穏な年でありますように。  運動を兼ねて、休みの日に

  • 今年もいよいよ大晦日です。
    今日は久しぶりに自分の部屋や、その他少し掃除をして、午後はハウスの仕事の続きを少しして、早めに休もうかと思います。

    正月は3日間ゆっくり休んで、余り寒く無ければ、あちこち散歩でもするつもりです。
    運が良ければ、また高校でOB達の野球試合を見れるかも知れません。

    何故か知りませんが、野球の練習や試合を見るのが好きなんですね。
    小学生から大人まで、何処かで遣ってれば、用事の途中でも短時間見てしまいます。

    小学生の頃から、高校生のお兄ちゃん達の野球の練習を見ていた習慣は、未だに抜けないのです。
    自分自身は、野球を正式にしたことは一度もないのに・・・。
    何処か惹かれるものが有るのでしょうね。

    さて今年もいろいろと駄文を重ねましたが、来年もまたコツコツと書いていくつもりです。
    来年がどうぞ皆様にとっても良い年でありますように・・・。

  • 日記帳を買ってきた。 日記帳と言ってもわたしの場合、学校で普通に良く使われているノートで、税込み324円だった。 
    現在使っている日記帳の裏を見ると、450円と書かれているが、買った当時消費税が幾らだったのか思い出せない。
    現在使っている日記帳は、2009年の正月から書き始めている。

    その年の正月2日には、弟の家へ車を運転して娘と二人で出かけ、弟一家や、弟嫁の親戚の人達と歓談した。
    弟は既に癌の末期で痩せ細っていて、それでも何時もの明るさで、皆を笑わせたりしていた。
    弟はその年の3月に亡くなったので、その日は、弟と過ごした最後の正月となってしまったのだった。

    その後今日に至るまでの9年間が、現在の日記帳には書かれている。
    主に商売の事が書かれているのだが、子供達一家の事や、孫の成長も綴られている。
    商売に関しては,統計的なことや、植物の育成に関しても書かれているので、来年以降も何度も読み返すことが多くなりそうだ。

    さて新しい日記帳は2018年より始まる訳だが、以前ものよりやや薄いようなので、9年間は持たないかも知れない。
    そして8年間書ければ、80歳になる。
    もしかして最後の日記帳になるのか、もう1冊必要になるのか。
    どちらにしても、商売上では、最後の足跡を残すこととなる可能性もある。
    若い頃の前職を退職し、親代々の商売を継いで丁度45年になるが、あと10年+、一応86歳の定年退職を目指して頑張る気ではいる。

  • 暫くここに書きませんでしたら、早いもので12月も半ばとなりました。

    最近はいろいろと忙しい用事が続いていました。
    まず商売上の事で、或る蘭の問い合わせが多く、何名かの同業者が来て少し取引がありました。
    面白いもので、或る種に人気が出ると、問い合わせが急に増えるものですから、売る売らないは別にしても、急に活気が増すのですね。
    何にしても、不景気が続く中、珍しく良い話でした。

    次は悪い話で、自分の店の在る建物が急に停電をしました。
    この建物が建って、これで二度目ですが、今回ようやく原因がわかりました。
    電気関係に、部品の不備が有ったのです。

    最初の工事の時の業者が、手抜き工事をしていたため、二度も停電していたことが判り、現在その業者と交渉中です。
    まだ寒さに慣れない昨今、午前中の停電は本当に困りものでしたが、まぁ原因が判り、不幸中の幸いと言えるかも知れません。

    しかし素人と言うものは仕方のないものです。
    最初の停電時、わたしは何も判らないまま、何処かの雨漏りだろうと言う事で、ビニールを両面テープで機械に張り付けたりしていたのですが「こんな大事な電気関係の機械に、素人がそんなことをしなければならない、と言う事自体がおかしいのでは・・」と言う発想には至らなかったのですね。
    後で手抜きの原因が解って後「そりゃぁそうだよなぁ・・」と初めて納得が行くのですから「何とも自分自身頼りないものだな・・」と思ってしまいました。

    まぁ言い訳としましては「まさかプロの業者が手抜きなど・・・」という先入観があったからでは有ったのですがね。

    さて今年中には、もう一度位ここに書きたいものですが・・・。

  • 買い物へ自転車で出かけていると、いろんな人とすれ違いますが、昨日は坂道を下りていると、わたしと同年位の女性三人組が目に付きました。
    何か盛んに喋り合いながら坂を上がってきますが、みなさん割とカラフルな服を着て、頭もカラフルになっています。
    すれ違う時に、話の一部が良く聞き取れました。
    「ほんと、子供が二十歳に成るのは、年が掛かったけど、孫が二十歳に成るまでは、一瞬!!」
    この「一瞬!!」という言葉は特に高音で、わたしの耳にまで波形鋭く突き刺さりました。

    通り過ぎながら、何かその「一瞬!!」に強要されたような感じで、自転車を漕ぎ漕ぎ考えてみました。
    { 自分の孫は、上が二人共中学二年生だから、まだ12か13だが・・・、しかし確かにこの12か13に成るまでは早かったなぁ・・・。
    まぁ「一瞬!!」と言えば言えなくもないなぁ・・・。
    大阪の女子孫も、ついこの間まで、アバアバ言ってた赤ちゃんで、初めて抱き上げた時、息子が喜んで二人の写真を撮ったりしてたが・・・、もう中学でトロンボーンを吹いてるし・・・、だれにでもニコニコしてた赤ちゃんだった広島の男子孫は、軟式テニス部で、この間の夏休み来た時は、焦げたように真っ黒になってたし・・・。
    そういえばもう二十歳までの半分は過ぎたわけだ・・・、今までが「アッ」と言う間だったから、今からも「アッ」という間の予感もするなぁ・・・。}

    わたしは孫とは、一年に一度の子供たち一家の帰省の時にしか会っていないから、そうしてみるとまだ12か13回しか会ってない事になるんです。
    いやいや、大阪には一度専門学校の同窓会の時泊ったし、今年の1月には、息子嫁のお父さんの不幸で泊ったから+2回になるし、広島には一度、正月休みに出かけて泊ったことが有るから、+1回です。
    { それにしても、今後も、上の孫が二十歳になるまでは、あと数回しか会わないこととなるなぁ。
    孫が二十歳になるまでに、22から23回しか会わないということは・・・・。}
    と考えたのですが、ここで或る言葉が頭を過ぎりました。
    自分の孫を見てたり、また孫の事を思い出す時に、ふと浮かんで来る一つの光景があるのです。

    十年ほど前まで、ご近所に、わたしの家と仲良く行き来していた八百屋さんが居りました。
    そこは両親と娘さんが一人の家族なのですが、娘さんは嫁に行かず、高校を出て以来東京で働いていました。
    わたしより一回りほど年上のご主人が、最後に入院していた時のことを奥さんが話してくれたのです。
    「ベットに寝てるお父さんと話したんよ、・・・とうとう孫の顔というものを見れんかったなぁって・・・」
    ご主人の亡くなったあと、お参りに行ったわたしに、奥さんは首を垂れて話されましたが、わたしには返す言葉がありませんでした。
    四畳半ほどの畳の間に、小さな棚が仏壇代わりに置かれ、棚の上に、ご主人が微笑んで黒い額におさまっていました。

    あの時の情景を思い出す度、わたしには自分の事が、特別に贅沢なことに思えるのです。
    二人の女子孫と、二人の男子孫が居て、大きく成って行く。 それは会える回数とか言う以前の、幸せなことなんでしょう。
    あと残りの、もう一つの「一瞬!!」が終わるころは、わたしももう、もうちょっと長い一瞬の、終わりの頃に成っているのでしょう。
    そう思うと残りの「一瞬!!」は・・・、あの女性の声音以上のものにも思えるのです。

  • 今日も坂道を自転車で、エンコラエンコラと登ってきました。 足を鍛えるのは、若い頃を思い出して気分の良いものなのです。
    中学高校と不真面目なバスケ部部員でしたが、部活中の山登りには、割と真面目に参加しました。
    標高100m程の山なのですが、これを走って登るのは、かなり厳しいトレーニングになるのです。
    頂上に辿り着けば、全員が倒れ込んで、仰向けに寝て、胸を大きく上下させて空気を貪ります。

    呼吸がどうにか整う前に、主将の号令で階段上りが始まります。
    階段は然程の数では無いのですが、二段飛び三段飛びで上がりますから、これまた足の筋肉が悲鳴を上げます。
    そんな後、整理体操をして山を下り、体育館でボールを持ってバスケの練習をするのですが、そんな練習の割には、我が高校のチームは然程強いチームではありませんでした。

    当然県体には出場しますが、まぁ一回戦に勝てば良い方で、二回戦に勝った記憶は無かったような気がします。
    練習方法をはじめ、教師の指導が余り良くなかったのでしょうか。
    進学校だから、という云い訳はできませんでした。
    何しろ県体での優勝常連校が、県下での国立大学進学率一位の高校でしたから。

    そんな高校時代のバスケ部での練習でしたが、わたしにとっては、18歳から始めた柔道に凄く役に立ったようでした。
    はやり足腰の筋肉が良く発達して、柔道の練習だけでは身に付きにくい、バネのようなものが足の筋肉の中に内蔵されてたように思います。
    以前も書きましたが、モンゴル出身の横綱連中が強いのは、皆子供の頃からバスケをしていたからなのだと思っています。

    72歳に成った今、坂道を自転車で漕ぎ上がっていると、高校時代のバスケ部の練習を自然に思い出しますが、これは頭で思い出すと共に、筋肉も思い出しているような気がします。
    去年位までは、7㎏のダンベルを両手に一つづつ持って上げ下げしていましたが、今では、7㎏のそれを両手で一つ持って上げ下げしています。
    これでもやはり筋肉が昔を思い出すようで、直ぐに両腕が張ってきます。

    さてさて、何時まで出来るものか判りませんが、雀百まで踊り忘れず、じゃあありませんが、若い頃から運動していた人間の、運動バカは治り様が無いようです。
    何処かの登りの坂道で、自転車が倒れて、白髪の作業着のオッサンが横になっているのが発見されたら・・・、多分その時の貌だけは、ちよっと若返って見えてるのかもしれません。

  • 最近はほとんど運動らしきことをしていないので、せめて買い物の時の自転車で、と思い、わざわざ遠回りをしては運動に替えている。
    今日も何時ものスーパーへ行くのに、まず方向違いの道をから走ることにした。

    国道に架かる橋を渡り少し走ると、右へ曲がる方向にスーパーは有るのだが、今日は真っ直ぐの方向、登り坂の道へと進んで行った。
    割ときつい登坂を、腰を上げずに足の力だけで登るのは、大腿四頭筋の先だけに力が籠る。
    腰をサドルから上げて、勢い良く走るのも良いが、筋肉に負荷を掛けるにはこの方法も、ちよっと自虐的だが、効果的な感じがする。

    坂道を上り詰めたら、近くの小学校から下校中の小学生の群れと出会つたので、何も通らない赤信号を守った。
    信号を越えて、下り坂は軽快に走る。
    歩道の、車道との交差のデコボコ部分を、お尻を上げて走り抜け、コンビニの駐車場添いを走っている時だった。

    歩道の植え込みの陰から、突然白い乗用車の鼻先が現れた。
    わたしは咄嗟に、両手でハンドルのブレ―キレバーを力いっぱい握った。
    白い乗用車も、わたしの50センチ程手前で急停止した。

    何時もながら、最近の車の制動の良さを感じる瞬間だった。
    昔なら、急ブレーキの後では必ずタイヤが数メートルはスリップしていたものだった。
    あのフロントが沈み込むような確実な停止で、どれほど交通事故が減ったものかと、こんな時でも妙に感心する。

    運転している男性と顔を見合わせた。
    わたしより少し若い程度の、ワイシャツを着た恰幅の良い男性が、頭を軽く下げて、わたしに先に行くように手をハンドルの前に差し伸べた。
    わたしは急いで車の前を通るのも面倒だから、運転手に先にコンビニ駐車場へ入るよう、どうぞ、と腕で示した。

    運転手の男性は、今度は丁寧に頭を下げて、わたしの前を通った。
    わたしも丁寧に頭を下げて、くるまを見送った。
    運転手の男性の動作に、何だか気分が良くなった。

    川に突き当る道を、今度は右折した。
    その道は道路も狭く、歩道も狭い。
    暫くすると、向こうから、母親と4~5歳位の女の子が並んで歩いて来た。

    狭い歩道だから、わたしは車道に下りて親子とすれ違った。
    すれ違う時、お母さんがわたしに丁寧にお辞儀をした。
    わたしも気分良く、頭を下げながら通り過ぎた。

    今日はそんな気分のまま、快晴の秋空の下、スーパーの自転車置き場に到着した。

  • { 武田鉄也さんのこと }
    先日TVを見ていましたら、武田鉄矢さんが出ていて、何時もの調子で喋っていました。
    武田鉄矢さんを始めて知った経緯には、ちょっと面白い思い出がありました。
    今から数十年前、或る日わたしは軽四輪を運転して、田舎の山また山を縫う国道を走っていました。
    田舎の農家に、何か農業用の品物を配達して、帰途についていた時のようでした。
    車のラジオを点けていましたが、山また山の連続ですから、まともに電波が入りません。
    時々山が切れて、少し見通しが良く成った時に「○○さんの歌をおくります・・・・・・」などと、断片的に声が聞こえてくるのです。

    そんな中、下りのカーブを降りている時でした、前方が開けた途端、突然ラジオから大声が聞こえました。
    「コラ、てつや・・・なんばしょっとかいねこのばかちんは・・・ガーガー・・・」
    ビックリして、思わずエッと、声が出てしまいました。
    今のは何だったのか?驚いたなぁ~  と、暫くすると
    「今も聞こえるおふくろの声・・・ガーガー」  
    なんや歌だったのか。 それにしても何か変な歌やなぁ~

    と思っていますと、次に聞こえて来た時には歌は終わっていて「ただ今の歌はカイエンタイの母に捧げる・・・・ガーガー」
    此処でまた、エッ。
    今カイエンタイと聞こえたような気がしたけど・・まさか、カイエンタイ・・・海援隊なんてことは有り得んし・・・。
    それにしても、カイエンタイとしか聞こえなかったなぁ・・・。

    わたしは、わたし達同年代の者に多い、司馬遼太郎さんの「龍馬がゆく」のファンなんです。
    坂本龍馬に傾倒して、20歳代には、自分も32歳で死ぬのではないだろうか、などと考えていた時期もあった程なのです。
    そんな者にとっては、カイエンタイとは海援隊のことなんですが、一面、海援隊という名詞は、軽々しく使っては欲しくない、神聖な言葉なのです。
    まさか・・・と思いつつ家に帰りましたが、そのカイエンタイの言葉は、何時までも心の隅に引っかかったままに成っていました。

    武田鉄也さんを始めてTVで見て、彼が坂本龍馬の事を熱く語るのを聞いたのは、それから暫く後のことでした。
    まぁ彼なら海援隊の名を語っても良いか・・・、と自分の中で許せたのは、その頃からのことでした。
    その後武田さんは、学校の先生役などで有名になりましたが、何となく未だに、わたしとしては龍馬仲間のような目で見てしまうのです。

  • わたしは所謂ヤフオク、つまりヤフーオークションに植物を出品しています。
    2001年からですから、もう16年になります。 しかし店での商売の関係で、一度に出品する数は少ないですから、まだ評価は700台です。
    評価内容はお陰様で、大変良い、ばかりです。 それでも長い間には、判らずに、病気の株を送ったことが二度あります。 しかし買われた方から知らせを受けた後、直ぐに返金などの対応をしていますから、評価は悪く成っていません。 
    蘭の場合、治らない病気バイラス(ウイルス)病の兆候が見えるのが、大体6月から8月頃になりますから、それまでは目に見えませんし、気付かずに送ってしまう事もたまには有るのです。
    若い頃聞いた、蘭の先輩の言葉が未だに耳に残っています。
    「お前なぁ、そりゃ人間やから、たまには失敗もあるんじゃ、だがな大切なんはその後のフォローよ、フォロー。これをちゃんとしておきゃあ、お前の信用ができるのよ」 
    何時も酒が入っていて、ガラッパチのような先輩でしたが、商売に関しては確かに信用は置ける人でした。
    酒の飲みすぎからか、もう何年も前に亡くなりました。 今ではわたしの方が歳を取ってしまったのかもしれません。

    今の時期は暑いですから、出品を控えています。 運送中の温度の上昇が、気に成るからなのです。
    ほとんどの植物を、段ボール箱に入れて発送しますが、途中の車の中の温度が気に成ります。 一度は、蘭の葉が皆落ちていた、と言われたことがありました。
    箱に、空気抜きの穴を開けていなかったことが原因だろうと、云われましたが、その時は落札者の方が、しばらく様子を見てみます、と言われ、その後徐々に新しい葉が出て来たので、どうにか勘弁して頂いたのです。
    それからは、暖かい時期には、多くの穴を箱に開けるようにしました。  夏が近づく時期には、穴だらけの箱になります。 そして梅雨明け時期からは暫く出品を控えるのです。
    勿論夏の間にも、出品を続けている人は多く居られます。 わたしの場合は、やや暑さに弱い種類の植物が主になりますが、比較的強い種類も有るのです。

    わたしは幸いに、間違って品種違いの植物を出品発送したことは未だにありませんが、ヤフオクには、不幸なことに、明らかに品種違いの植物が出品されていることが良く有ります。
    出品植物の名前には、高級品の名を付けていますが、実物は低価格の品物、と言う場合が多いようです。 
    例えば、本物であれば50万円程する種類の名前を騙り、ちょいと似たような1000円位の品物を写真に載せて売る、という手法です。

    この場合、品物の説明には、100%本物、などと書かれ、保証品、などと書かれていますが、返品は受け付けません、とも書かれていますので、云わば売り逃げ的商方となっています。
    経過を見ていますと、この手の手法でも、良く品物が売れているようです。 そのような商いの常習者が、割と評価が良いのも、騙される人が多い要因になっているようです。
    要は品物が無事に届けば、その植物が本物かどうかは深く詮索しない、と言う人が多いということのようなのです。

    わたしでも解る偽物が多く出品されていますが、その道の一流業者が見れば、一目瞭然と言える品物が多いのが特徴です。
    わたしの知人で、ヤフオクでは有名な偽物出品者から買われた人が居ましたが、他所の一流有名業者が初めて家に訪れた日に、実際価格の数十倍の値段で落札していることが判り、酷く落胆したものでした。 それまでは信じきっておりましたので。
    いまやその植物の世界では、ヤフオク被害品、という言葉が常用語なっています。

    植物以外でも、絵画の世界などでも多い現象のようです。 新しい世界が広まれば、その新しい世界にまた新しい悪がはびこるようです。 
    そのような意味から、どうも、新しき性悪説の証明の場、にされているような感もあります。

    ただしかし、良心的な出品者の方が、断然多いのも事実ではあります。
    特に高額な物に付いては、品物をよく吟味して、出品者を出来るだけ良く調べ、信用できる出品者を何名か特定しておくのも必要な事のようです。

  • 此方は台風の暴風圏内をどうやら逃れまして、被害はありませんでした。
    午前中で、どうやら元の通りに植物を出せました。
    3日掛りで、少しづつ避難させた植物を、半日で元通りにするのはやはり疲れます。

    しかし今から通る、四国や和歌山、大阪の方は大変です。
    ほとんど海上を通りましたから、970hpから小さく成っていません。

    今度の台風は、左側に成っても、暴風圏内は激しい風が吹くようですから、進路に当たる方はどうぞお気をつけください。

  • 昨日から台風対策作業をやっています。

    先程、メインの植物を店に取り込み、店前の、飛んで行きそうな小物も店に入れ、後は諸々の植物を全て棚から降ろします。

    その後閉店時間には、店前の柵に鉄棒を一本通し、風で曲がらないように、ロープで固定します。
    これら全ては、最高レベルの台風対策となります。

    今の所、鹿児島に上陸して後、豊後水道を四国へ向けて通りそうですが、鹿児島で960hpの予報ですから、この付近を通るころは、970~980hpと成りそうです。

    台風進路の左側に成れば良いのですが、そうなれば四国の人達にも影響が少ないように、いっそ四国沖の太平洋を通って欲しいものです。

    7~8年前に、娘と台風対策をしていましたら、気安いお客さんが「そんなにしなくても大丈夫だよ・・・」
    などと、直ぐそばでわたしたちの様子を見ながら、話しかけてきたことも有りました。

    そのお客さんは数年前に亡くなられましたが、台風対策の度に思い出す風景です。
    あぁあの人はもう、台風対策をしなくて良いのだなぁ・・・、と思うのです。

    生きていますと、結果的には無駄なことでも、事前には最悪のことを連想して、必要な事を続けて行かないといけないようです。
    わたしにとっての植物は、云わばお札のようなものですから、台風の風に飛ばされないように、一つ一つ丁寧に集めて、安全な所へ保管しなくてはいけません。

    そして台風が去ったら、これがまたお札とは違いますから、なるべく早く、陽が当たり風が当たる外へ出してやらなくては弱ります。
    台風後、雲っていれば良いのですが、台風一過で晴天、などとなりますと、慌てて外へ出さなくてはいけないのです。

    考えてみれば、それらをもう半世紀近く遣っているのです。
    誰か、台風が太平洋に居る間に、上空から大量の人工雪でも降らして、小さくする策でも考えてくれないものでしょうか。
    今度の5号など、随分前からウロウロしていましたからね、そんなことを考えてしまいました^^

  • { 相撲の話 ② }

    昨日は残念だった。 しっかりと碧山の相撲を見ていたのだが、今場所初めて、わたしが見ている前で、碧山が勝ってしまった。
    それも相手が、応援している嘉風との一番なのだから、世の中なんという皮肉なものだろう。

    それにしても名古屋場所の碧山は強かった。 まるで両足のような両手で、強力に効果的に相手を突っ張り、しかも足腰の安定が良かった。
    嘉風も果敢に頭から突っ込み、あの太い両手の突きに耐えながら、懐へ潜り込んで前回しを取る機会を狙っていた。
    そして、ここぞっという時に、碧山の突きを掻い潜って懐へ潜り込もうとしたその時、碧山はあの両足のような両手で、嘉風の頭と肩を上から激しく叩いたのだった。

    嘉風は土俵の上に叩き落とされた。 何というタイミングの良さ、いや悪さだったことか。
    昔、巨人軍の川上哲治一塁手は『バッティングの調子の良い時は、ピッチャーの投げた球が、止まって見える時が有った、』と語ったが、昨日の碧山は、正にそれに似た感覚を持てていたのではなかろうか。
    あの叩きは、もっと早くても空振りするし、もっと遅かったら、ここぞと嘉風に押し出されてしまいかねないものなのだ。
    碧山にとって、あの飛び込んでくる嘉風の姿は、まるでスロービデオのように見えたのかもしれない。

    取り組みの後、娘と二人で「あ~~~ぁ」とため息を吐くしかなかった。
     しかしまあ、嘉風は9勝したし、確か4場所連続勝ち越しだし、来場所も小結の地位は安泰なのだから、良いことにしょう。
    何か小結という名前が、嘉風にピッタリ合ってるような感じがするのだが、そんなことを思うのは自分だけかな~。

  • { 相撲の話 }

    我が家は一家そろって、嘉風を応援している。と言っても娘と二人でだが。
    今日の千秋楽は、碧山との対戦なのだが、今場所の碧山は、番付が下がったとはいえ、とても調子が良いのだ。
    過去何度も碧山の相撲を見てきているが、今場所のように、下半身が崩れず、体の動きに無駄のない場所は、ほとんど珍しいほどだ。
    娘は「嘉風だいじょうぶかなぁ」と心配するが、じつは私には秘策があるのだ。

    碧山は現在まで12勝2敗なのだが、この2敗の相撲に付いては、じつは全てわたしがTVで見ている相撲で、他の12勝は、全てわたしの見ていない相撲なのだ。
    つまり、今場所わたしがTVで碧山の相撲を見れば、100%碧山は負けて、わたしが見なければ100%勝っているのだ。
    じつは、碧山に気の毒だからと、少なくとも2度は対戦前にTVのチャンネルを替えて、碧山を勝たせているという実績もあるのだ。

    娘の心配に対して「な~に、今日は絶対に碧山の相撲を見るから大丈夫だ」と断言している。
    きょうは毎日楽しみな嘉風の相撲は見ずに、何がなんでも碧山の相撲を見るつもりにしている。
    そうすれば結果的に・・・、という訳なのだ・・・^^

    さてどうなるか、どうかその時に限って、お客さんが来たりしませんように・・・。

  • 先日読んだ本に、面白い文があった。 ボクシング選手のことが書かれている小説だが。

    『人間の色んな才能には、発掘されて表面に現れる場合と、誰にも、本人にも気付かれずに、隠れたままになっている場合がある』
    『テレビの画面で、タイガー、ウッズのプレーを見ているオヤジが、実はウッズ以上の才能の持ち主なのかも知れないのだが、ゴルフに縁の無い場合、彼の才能は埋もれたままで世に出てくることはないのだ』
    正にその通りだな、と思いながら、昔のことがふと思い出された。

    わたしが高校生の時代、同じクラスで仲の良かった水泳部の友人Kに、何かのきっかけからか、ふと思い付き聞いたことがあった。
    「お前、中学校の頃から、水泳一番早かったんか、お前よりもっと早い奴は居らんかったんか?」
    「居った、何人か居ったは・・・、やけど早い奴は皆途中でグレたり、練習が嫌で辞めて行ったわ・・・」
    友人のKはわたしの問いに悪びれた様子もなく、少し目を細めて、当時を思い出すかのような顔で答えた。

    小説の中の話とは逆に、友人Kと同じ時期に水泳を始め、才能に恵まれながらも、その才能を生かすことなく、去って行った者も何人か居るのだ。
    Kはその話をした約2年後、東京オリンピックにて水泳で銅メダルを獲得しているから、彼も勿論素晴らしい才能に恵まれていたわけだが、過去には、彼以上に水泳の才能に恵まれていたかも知れない者が居て、厳しい練習を続けられなかった為に、折角の才能は、開花することなく埋もれてしまっていたのだった。

    本に書かれているように、天才的な才能の持ち主であるのに、それの存在に気が付かないまま、才能が遂に表面に出ないで埋もれてしまう場合と、また、一方では天才的才能の持ち主であることを自覚していながらも、その才能を生かす努力を放棄してしまう場合も有るようだ。

    自分に置き換えてみれば、どうなるだろうか。 多分どちらにも、該当はしないだろうと思われる。 埋もれた才能の持ち合わせも多分無かっただろうし、溢れる才能を放棄した、と言う記憶も全く無い。
    しかし、才能とは無縁のまま、或る一定の努力をしたことは、自分ながらに認めることは出来る気がする。
    まず学校の勉強では、中学3年生の一時期、ほんの短期間ながら、目的の高校へ入学する為にかなり努力した覚えがある。
    その次は、社会人に成ってからの、柔道だ。 これは一応9年間ほど頑張った。

    高校卒業まで、柔道は未経験と言って良く、バスケットやラグビーの経験しか無かったのだが、卒業後に就職した職場の柔道部に所属したことで、自分としては、柔道が自分に合っているような気がしたのだ。
    考えてみれば、この、柔道が自分に 合ってる ようだ、という感覚を持つ事で、何処までの才能かは解らないまでも、自分に内在する柔道の才能というものの、尻尾を掴めたことに成ったような気がする。
    しかしその後の進歩を考えれば、柔道の才能に恵まれている、と言うよりも、むしろ、柔道を強くなろうと思う気持ちが人よりも少し強くて、「強くなりたい」という指向才能が、人よりやや多かったと言うことのような気がする。
    これがつまり言い換えれば、努力する才能、と言うものかも知れない。 勉学に励もうと努力する才能、サッカーが上手くなりたいからと努力する才能、いろんな方面に対する努力の才能が有るのだろうが、自分の場合はその対象が柔道だったようだ。 他のものには、然程努力する才能は無かった気がする。 仕事に対しては、これは別格だが。

    柔道の練習は激しいものだった。 コーチと先輩が箒や竹刀を持って、少しでも気の抜けた練習をしている者の背中や尻を叩いて回り、お互いに、気合入れや激しい叱責の言葉が、道場中に飛び交っていた。 途中トイレで流す尿は、何時も赤茶けた色をしていた。
    練習中、体力的にも精神的にも「苦しい、キツイ」という気持ちは持ち続けているのだが、自分はその中に、「この練習を続けてこそ強く成れるのだ」という気持ちがそれ以上に強く湧いてくるのだった。

    自分がどの程度の柔道選手かは、良く解っていた。 オリンピック強化選手のレベルや、全日本選手権に出場する選手のレベルは、目の当たりにしていただけに、彼らとは全く縁が無いことは解っていたし、多分高校生で言えば、県体に出場して、どうにか勝ったり負けたりする程度の選手だったのだろう。
    それでも、9年間の柔道生活の中で、7年間は、対外試合の選手として選ばれた。 その都度、自分より柔道経験の長い先輩や後輩が、試合中には何かと気配りしてくれることが、とても新鮮に感じられ、頭の下がる思いをしたことだった。 
    はたして自分が逆の立場だったら、あそこまで親身に選手の世話をすることができるだろうか、とも思われた。 高校時代、バスケとラグビーで正選手に成れぬことで、いい加減な練習しかせず、挙句に退部してしまった自分の行動が、苦く思い出された。

    9年間の柔道生活は、当時の職場を辞め、実家の商売を継ぐことで終わった。 結婚して子供ができて、男の子が中学生に成り、柔道部に入ったことから、部の練習に一度参加してみた。 自分が柔道を辞めて15年振りのことだった。 年齢は41歳に成っていた。
    学校の道場で準備運動をし、3人の大柄な3年生の黒帯と乱取りをしたが、意外なことに彼らの技は全く自分には通用せず、ちょっと大げさに言えば、ポンポンと幾らでも投げることができた。
    改めて、昔の練習の激しかったことが、思い出された。
    その日は気分良く、子供より先に家へ帰ったが、明くる日、ギックリ腰になったことは、当然子供にもバレてしまった。

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