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真夜中の秘宝館

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  • 2018/09/17 07:08
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    さて、はばかりながら、「真夜中」シリーズの第三弾であります。
    相変わらずの発作的な立ち上げでございます。
    ついては、あくまで不定期、かつ気まぐれに独演会など催す次第です。
    もの好きな方だけおつき合い下さい。もの好きではない方はせいぜい一瞥
    するだけにおとどめおき下さい。その程度の与太トピであります。

    まあ、何か取っかかりがあったら、突っ込んでやって下さい。
    以上、簡単ながらご挨拶ということで。

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    ymusc_2018 9月17日 07:08

    ※このところ

     仮想ブログがどうとかということが話題になっていまして。私もこの言葉を最近知ったのだけど…つまり、ありもしないことを語っているブログのことなんですね。いや、もちろんブログ主は事実を語らねばならない、などというルールはない。基本的に何を書こうと勝手なのだけど、やはりでっち上げのフィクションを事実として語るというのは指弾されるようです。しかし、それくさいブログの書き手はそれを認めようとはしない。それはなぜかというと、アフェリエイトというシステムに由来します。つまり、アクセス数が高くなればなるほど金銭に反映されるという仕組みがあるわけだ。ともあれ、「人の不幸は蜜の味」ではないけれど、不幸ブログにアクセスが集中するという傾向があるようです。が、それがつくりごとでしかないとすれば、これまで読んでいた人は幻滅するでしょうね。初めから創作です、と明言していれば問題ないのですが、それでは誰も読まないからね。事実ですという触れ込みで呈するから読む者が増える。とはいえ、創作というにはあまりに粗雑な話が多いんですね。本当に適当に書いている。読む者が取り合えず事実と受け止めるだろう、という先入観を最大限利用しているだけのことですね。

     しかし、このカテゴリーにも仮想トピックくさいのがあるわな。誰と名指しはしませんが、まあ、たぶん適当に話をこしらえているトピックがありますな。どこぞのご隠居が日常のことや感興を披瀝しているトピックだと言っておきます。が、そもそもそんな人物は存在しないのではないか。この掲示板上に設定されたただのキャラクターなのではないかということですね。というのも、その人物が物理的な人間として存在するという現実感覚がないからです。ずいぶん昔だけど、そのトピ主が半年ばかりまったく書き込みをしない期間がありました。その間、放浪生活をしていたというような触れ込みでしたが、ほとんどあり得ない話だな。還暦前の人間にそんなことができますか。「花の子ルンルン」と同じで路銀をどうやって工面していた、という疑問を持つでしょう。要するに、K氏はこの世の中には存在しない架空の人物だと私は思っているのよ。私はかつてメールでこそこそかぎ回ったことがあるんですよね。結局、K氏と一対一のメールの関係がある人は一人もいなかった。正体がばれてしまうというやましい気持ちがあるからではないですか。

  • ※人の不幸

     とあるブログで面白い記事を見たな。某漫画家が死んだことをネタにしたものです。もちろん、私は某漫画家には一片の興味もない。あんなドヘタな絵でよく漫画家って言ってられんな、とちらっと思うくらい。実際、私より絵が下手なんだもんね。ともあれ、そのブログ主は「世間的な価値観で成功者と言われる人があっけなく死ぬ」という事実に若干の快感をおぼえると書いていたのですね。ドイツ語で言うと「シャーデンフロイデ」…「毀傷の喜び」なんてむずかしい訳語になるけど、小気味よく言えば「ざまあみやがれ」ってことだな。底辺にいる人間には成功者が理不尽な理由でくたばるくらい面白いことはない。はっきり言っちまえば、死という不幸の極みに転落する様を見るのが快感なんだ。闘病生活の末に「刀折れ矢尽きて」くたばるというのは最高の結末であります。また、予想外の災害でくたばるのもなかなか楽しいね。今年もいろいろあったけどさ、私は誰にも同情してないし、ただの面白い見世物としか思っていない。そうですな、9月1日は災害ネタが多いけど、南海トラフ地震とやらが発生して太平洋側が全滅することを切に願っています。その時、私は言ってやるのよ…自然恐るべしですね、ってさ(笑)。底辺の人間には他人の不幸はささやかな娯楽でしかない。

     私の性格が悪いからだろうか…いや、違うね、自分の嫌いな人間が惨めな様をさらせば悦びを感じるのが人間だろう。私にしても相当嫌われているからね。ところで、私にも最近ちょっとした不幸がありました。冷蔵庫が壊れちゃったようであります。全然冷えなくなっちゃった。近日中に買い換えなくてはならないようです。せこい不幸だけどね(笑)。ともあれ、明日は今日より悪い日になり、来年は今年より悪くなるだろう。例えばさ、これまでいろいろな災害があったけど、被災した人がかつての生活を取り戻せたかといえば、それは一部の人だろう。大多数の人は人生を…不本意な方向にねじ曲げられてしまったと思う。政府は手傷を負った地域を復興しようなどとはつゆほども思っていない。ポーズだけ見せているだけで、すでに切り捨ての対象になっていると思う。この世の中は非情なんですよ。実際、私が共感するのは自分の苦しみだけで、他人の苦しみなぞには共感はしないのよ。だから、人の苦しむ様は楽しいのさ。まあ、誰も反論してこないから、言いたいことが言えるのよ。

  • ※爺ぃは度しがたい

     とあるトピックで老人に出会った次第です。てめえで「老人」と称しているのだから問題ないでしょう。御年七十七歳だそうですけどね、私はその割には(というのも失礼だけど)文章が達者なので、ブログでもおやりになったらどうか、と厚意をもって提案した次第です。ところが、その爺ぃは逆切れしたのよ。私はボケ老人なので、そういうことはわからない…わからないことを勧めるのは何事か、ときたもんであります。携帯屋で「平成語」で話されたことをバカにされたと思ったようです。そんなこと私に言われても困るんだけど。実際、「昭和語」とか「平成語」なんて言葉は初めて聞いたな。ともあれ、こいつは自分語りの好きなだけの、ただの老いぼれだ…ということで関わりを打ち切りました。しかし、こういう年寄りが跳梁跋扈するようになったよなあ、とつくづく思いますね。まあ、誰とは言わないけれど、その手の老人が去年このカテで暴れたことがありますね。意気軒昂なのはその当時だけで、どうも落選続きのようで、最近は「青菜に塩」の体ですな。たかがブログという言葉にさえ反発するようなしけた爺ぃは要するに認識が古いのよ。その古い認識でものを書くから何だかわけのわかんない怪文ができ上がる。まあ、それだけはっきり言っても、その両爺は私のトピックなんか見てないからさ。安心して誹謗できるというものです(笑)。

     しかし、若い頃に発現しなかった才能が老境に入って開花するなどということが考えられるか? あり得ねえことですよ。この社会は無能なやつに自己実現の機会など与えない。私もそろそろ自覚しなければならないけれど、自分がただ年取っただけの無能な人間なんだ、と認めたがらない老人がいますな。別にいいですよ。どう抗おうと現実を変える力なんかないんだからさ。好きなだけ抗って悔恨のうちに死ねばいいのさ。私はそこまで意識は飛んではいない。自分が取るに足らぬ人間だということを自覚している。が、時に老境に入って自意識を突っ張らかして世間に対して事を構える迷惑老人がいますよね。まあ、この年代になると自分の器量を客観的にとらえる認識がなくなっちゃうのでしょうね。はっきり言ってやろう。そういう蒙昧老人の存在理由は何か。この世から消えることが世間に対する唯一の貢献であります。まだ作家になろうと夢想している輩がいるみたいだけど、いい加減にあきらめろよ。

  • ※黒い記憶

     おそらく学生時分の私は性格の悪い不機嫌な男として記憶されているであろうと思う。まあ、今となると「若気の至り」だけど、実際、伊豆などに流された不本意感でいっぱいだったのだろう。何で自分がこんなところにいるんだ、という屈辱感もあったのかも知れない。実は、付属高校上がりの現地人が多かったのだけど、こやつらがバカぞろいであったこともいら立ちのネタでした。もちろん、そんな学校にしか入れなかった私の努力不足に因があるのですが。で、私はフランス語科に属していたのだけど、女の子が多かったんだわな。ところが、こやつらは本当に何にも知らなかった。フランス語を第一外国語に選択した意識さえ不明瞭だった。実際、ほかの学校ならこんなでく人形はいなかったでしょう。いかにも「キャンパスライフを楽しんでますぅ」というような典型的な女子大生だった。その一人が在学中に交通事故で死んだけどね。私は葬式にも行かなかった。私には関わりのないことだし。

     これ以後は今まで誰にも言ったことのない私の黒い記憶なんですが、フランス語科のみならず、ほかの語学科でも短期海外研修なるものが設定されています。何、「研修」という大義名分の下で行われる物見遊山です。実際、旅行代理店の添乗員が同行するんだからね。どこだっけ、ロワール川の川沿いのアンジェって街だったっけか。先にも言ったように、私の同窓だった彼女らには素質もやる気も努力も何にもない。すなわち、「フランス語を専攻している私って素敵」という程度の意識しかない。まあ、私は物見遊山だったとわかっていたから、「こんな下らないツアーに参加するバカはおるまい」と思っていました。ところが、彼女らは二年次には全員参加でした。私は衝撃を受けたね。だって、渡航費用だけで百万円かかるのよ。現地で使う小づかいは別。そんな物見遊山に大枚の金を出せる家があることに陰険な嫉みを感じた。果たして、「帰国」してきた彼女らに特段の進歩はなかった。それから、彼女らに対して態度が悪くなったんだよな。授業で面子をつぶすこともかなりあった。今考えれば、所詮、貧乏人の僻みだったんだ。でも、当時の私は不条理の極みだと思っていました。結局、私はフランスの地を踏むことはありませんでした。金を積めば行けるようなとこにわざわざ行って何になると思ったのですね。やっても意味のない語学にも興味は失せましたからね。

  • ※夏の不快なもの

     先に某ブログでヒマワリとセミと蚊…と言ったけれど、まだあったね。追加しよう。祭りと花火と高校野球。私にとって見たくない、関わりたくもないものであります。いや、実際、「ふるさと宮まつり」というしけた田舎祭りを昨日やっていたのよ。別にやる意義なんか何にもないよ。騒ぎたいやつが騒ぐよすがでしかない。まさか、テキ屋どもに稼ぐ場を与えるなんてことではないだろうな。花火も嫌い。ただ暑苦しいだけよ。火薬をわざわざ空に打ち上げて炸裂させて何が面白いって…どうせなら核爆弾のほうが面白いことが起こりそうだ。で、高校野球ですか。あれ、何? ガキどもが汗みどろになって球遊びに打ち興じている…ただの変態行為としか私には思えないね。私は一瞬たりとも見たくない不快映像です。それを見たい変態がいるのはわかるけど、全国民が変態というわけではないんだからね。衛星放送で放映すりゃいいじゃんか。それなら私が目にする可能性はなくなる。そう言えば、かつて私の高校がもう少しで代表になるという状況に私は不幸にもい合わせたな。応援に借り出されたのはすこぶる迷惑でした。私の願いが通じたのか、うちの高校は負けてくれました。本当にうれしかった。もうこれ以後は関わることはない、と。たぶん、私と同じ意識の人間がほかにもいたと思うな。一種の全体主義でしょうね。たかが球遊びが何だっていうのかな。

     まあ、ちょっと声高に言い過ぎた感があるけど、いわゆる「夏の風物詩」なるものが不快なものになってしまったのですな。もちろん、原因は昨今の猛暑であります。あと五度気温が低ければ、私だってこんな偏狭なことは言わない。どうでもいいことはどうでもいいとしか思わないから。でもさ、現況もいささか異常だけど、これよりさらに五度気温が上がったら、祭りだ野球だなんてことが言ってられますかね。そんなことやったら死んじゃうからね。いずれは「沈黙の夏」というものが出現すると思う。例のレイチェル・カーソンの「沈黙の春」じゃないけどね。でも、ありがたいことに、そういう異常世界になった頃には、私はもうこの世にはいない。しかし、今年は暑いですね。とはいえ、今年の冬も寒かったもんね。夏はより暑くなり、冬はより寒くなる…気象の極端化という現象ではないかと。まあ、「我亡き後に洪水よきたれ」ということかな。子孫がいる人は気が気じゃないだろうけど(笑)。

  • ※失言

     八月にわざわざこういう話題を出すのが私の嫌味なところだが、史上最大の核兵器とは何か、こないだ疑問に思ったのですね。今はもうないだろうと思うのですが、俗に「ツァーリボンバー」と呼ばれた水素爆弾があったということです。フルシチョフの時代に構想された100メガトンクラスのAN602がそうであります。もっとも、実験時には半分の50メガトンに威力を減じたそうですが。このクラスの水爆が炸裂したらどうなるか私も想像つかないな。もし東京に落とされたら、東京はクレーターと化し、関東一円も焼け野原になるという程度でしょうか。まあ、それは本題ではありません。軍事の話題というのはだいたい忌避されるものです。特に核兵器については抵抗感が強いですね。存在するものを存在しないがごとく考えるのはただのごまかしだと思うけどね。で、あくまで冗談のつもりだったのですが、某ブログで私はこういうことを言っちゃったんだな。以下(↓)に全文を掲載する次第です。

     しかし、火星に生物がいるかどうか昔から取りざたされていましたが、火星に運河らしきものがある、と言ったのはスキャパレリでしたか。アメリカが探査機を送り込んでいるようですが、私に言わせれば、火星に生物がいるかどうか確かめることは簡単です。探査機ではなく核弾頭を搭載して火星に打ち込めばわかるでしょう。まだロシアが保有しているかどうかはわかりませんが、俗に「ツァーリボンバー」と呼ばれる100メガトンクラスの水素爆弾があったとか。何者か生物がいれば怒り狂って攻めてくるでしょう。H・G・ウェルズの「宇宙戦争」みたいに。もし問題点があるとすれば、向こうのほうが強かった場合は滅ぼされるのは我々のほうだということですね。

     …ということをまくしたてたのですが、どうも不快の念を持たれたようです。私も翌日「あれ、まずかったかな」と思ったけど、所詮、後の祭り。まあ、戦後世代にとって「戦争は絶対悪」なんだろうな。とはいえ、暴力主義の信奉者がすぐそばにいるんですぜ。一時的におとなしくしているだけで、先々またやんちゃし出すのは目に見えている。以前言ったけれど、畢竟、小市民は現状維持的な考え方しかできないような気がするな。でも、軍事というのはよくわかんないのは事実です。私だってある程度勉強したからそこそこわかるのよ。まあ、今の日本はいわば「小市民独裁」の国家だからね。

  • ※しかし何だな

     NHKで放映されている某番組で(それしかネタがないのか)先日明らかにされましたが、「時間のたつのが早い」という感覚は大人特有のものであり、単にイベントとして認識し得る何かがあまりないということにほかならない、という話がありました。そうかも知れないね。庭のブロッコリがどうたらこうたら、食いもの横丁で連れ合いと何を食いました…なんて、ほかの人間にとってどうでもいいことしか頭に浮かばない御仁がいますな。誰とは言わない(笑)。盆暮れに孫が来た時だけは張り切っちゃうけど、それを誰かが読みたいかどうかという視点はないんだよな。誰かが読みたいと思うものを書くのが作家性というものではないのかな。ともあれ、去年何があったかさえ明白に思い出せないのが大人というものだそうであります。何となれば、番組担当のTアナウンサーまで血祭りに上げられたもんなあ。因みに、私はTアナウンサーの経歴を見てびびった次第です。上智のフランス語科だもんな。去年のことについてさしたる記憶はなくても、フランス語の知識は私の及ばない域なのは間違いない。それに加えて、美人だしね。我が身の不甲斐なさを感じます。

     しかし、確かにそうで、私も昔のことは無駄におぼえているんだな。例えば、昔、人さまの家の軒先からガメてきたエロ本のグラビアとか(だって男の子だもん)、ひそかに懸想していたAさんに「お月見」を申し入れて断られた話とか(何が「お月見」なのかご興味の向きは別途ご質問いただきたい)。認知症患者が今の記憶は持たないのに、昔のことはおぼえていることと同じなのだろうか。実際、亡き母親はアルツハイマーだったのだけど、私のことを「オサムちゃん」という私が知らない謎の人物と誤認していた。あんまり言いたくないけど、新しいことに拒否感覚を持ち、守旧的な感覚で凝り固まることはかなりやばいことではないだろうか。いや、そういう感覚が時代と乖離した精神状態をつくり、引いては刺激のない魯鈍な晩年になるのではないかと思うのですな。まあ、一般の人ならそれでもいいけれど、創作に手を染める人ではちょっとまずいのではないでしょうか。創作の原動力とは「何かを表現したい」と考えるその作者の意欲にほかならないからですね。私もその点でいささか問題を抱えているのが事実です。むずかしいね。意欲の喪失というのは当人には如何ともしがたいことなのです。

  • ※反小市民主義

     実際、私は小市民意識というものを憎悪している。それが何にもならないというということと同時に、この国の支配者層に利用されているという側面があるからです。政府というのは…我々の政府だけではないが、もっとドライだぞ。先にも言ったけれど、「冥福を祈る」という言葉くらい小市民感情を代表しているものはない。別に死んだやつを悼んでいるわけではない。悼んでるがごとく見せかけているだけで、いわば善人ぶっているだけ。こういうおためごかしが小市民に特有の処世術です。以前は宗教的観点で「冥福」という表現はやばいのだ、と言ったけれど、畢竟、小市民は絶対に認識は変えません。なぜかと言えば、連中はバカだからです。自分の体面を取り繕うことにしか関心がない。何が真実なのか、なんてことは全然考えようとしないし、適当にお茶をにごせば世の中渡っていけるとふてぶてしく思っている。こういう不明な連中がこの国の大多数というのが本邦の悲劇でしょうな。

     取り合えず、私は小市民ではないと思っている。実際、経済的に小市民以下の人間であるけれど、精神的にも小市民とは相いれないものがある。私はこの世界に正当性などないと思っている。一部の人間が利益を得るためにのみ存在する偏頗な世界に過ぎない。明日、熱核戦争でこの世界が消滅しても別にどうということはないと思っている。そもそも、人間など存在していようと存在していまいとどうでもいい存在ではないか。まあ、個人的な理由として、私を是とする世界ではないからですな。前にも言ったかも知れないけれど、才能のない者に自己実現を許すような世界ではない。もちろん、私がこれ以後、日の当るところを歩くことなどあり得ない。そういう幻想を抱くことはやめたほうがいいんじゃないかと思いますよ。この世の中は希望でなり立っているのではありません。そうであるかのように支配層が演出しているだけです。まだしばらくこの世で生きなければならないことに言いようのない絶望を感じる。明日という日がなくなってしまえばいいと節に願う。

  • ※愛知県のくそ野郎

     愛知県在住の忌田という腐れゴミは未だに自分の立場をわかっていないらしいね。まあ、そうだろうと思うけどね。この愚物は本をたくさん持っていることが個人の価値であると本気で思っているらしいわ。呆れ返るような不明ぶりですな。はっきり言うけど、てめえの立場をどう思っている。もう某トピに封じ込められて、ほかのトピックには書き込み不可能という状況ではないか。かのトピックに誰がいる? 誰もいないではないか。辛辣に言えば、トピ主どのに忠実な茶坊主しかいないんだよ。それは、忌田、てめえのことなんだよ。あんた、ID検索かけていないわけ? もうよそに活路を見い出す人間がいるのに、それに気がついてないとはね。バカだね。そういう態度は私に嫌味を言っていた一年前から始まっていただろう。まあ、女王さまにお仕えする側用人という立場でしか存在理由はない。バカはバカなりの判断しかできないということだけどね。お前を支持してくれる人は誰かいるのか。いないだろうよ。ともあれ、この世から消えろよ。

  • ※ところで

     このところの私のお気に入り番組「チコちゃんに叱られる!」で設問の一つに「なぜ大人は時間を短く感じるのか」というのがありました。実際、このカテゴリーでも「時が立つのは早いですね」とか「光陰矢のごとし」なんて決まり文句をよく使う御仁が若干名いるようですが。ともあれ、「ときめきがないから」という答えには納得しましたな。その通りで、五十の坂を越えてときめきもくそもあったもんじゃねーよ。私は四年前から感じていることだけど、今日と昨日を区別するものは曜日以外ないということです。今日は昨日をただ繰り返すだけであり、明日は今日の繰り返しに過ぎません。そういう不毛な日月の行き暮れにどういう意味を感じればいいのだろう。飯食ってくそ垂れて酒飲んで寝る…その繰り返しに意味などあるだろうか。畢竟、死ぬのを待っている程度の意味しかない。年を取れば先が見えてくる…前途に大していいことはない、とわかってくるんだよね。根拠不明な夢に未来を託す人もこのカテに若干いるけれど、それはただの「思い込み」でしかないと思うな。実際、私の場合もよほどの幸運に恵まれない限り、未来は変わることはない。ただ、死ぬのを待っているに過ぎません。

     私が主体的に人生を生きることを放棄したのは二十三歳でしたかね。例のバブル経済の時代だったけど、就職試験にことごとく落ちまくった。鼻も引っかけられなかった。「てめえなんか存在理由はねえよ」と暗に言われたようなもんだな。一種のノイローゼ状態になっていたかも知れないね。学校には行かなくなって、昼夜は逆転、来る日も来る日も堂々巡りの自己批判をやる毎日だった。苦しかったですよ。ともあれ、私はこの世において自己実現を図ることを放棄しました。そんなことを許すほど甘い社会じゃないと知らしめてくれましたからね。それから三十年がたちましたが、当時よりも私の人間としての価値はさらに低下しました。生きていることに意味などないという感はさらに強くなりましたね。しかしまあ、七十を越えてなお意気軒昂という人がいるようで、その意欲の源泉が何かうかがたいものですね。私などは目が覚めると絶望の感を持ちます。「また今日を生きなければならない」からですね。やらなければならないことはある、でも、それは決してやりたいことではない…なぜこんなつまらない世界に生きているのかわからない。明日がなくなればいいな。

  • ※酒の上のこと

     どうも最近、酔っ払った勢いで過激なことを書いてしまうことがある。元からそうではないか、と考える向きがあるかも知れないが、どうも当節は傾向が違うようです。しらふの時は特に気にもならないが、酔っ払ってくると反論したくなっちゃうのですね。ついては、某新聞社の掲示板で昨日、放言しちゃったんだな。あるトピックで、仕事がひまだったので、会社のパソコンで小説を書いていました。しかし、そのデータを何者かに消されました。誰かはわかっています。上司に訴えて罰してもらいたいと思っていますが、どうでしょうか。 …というような趣旨でした。で、以下(↓)が私が投稿した全文。

     会社の備品を私事に利用してはいけない、ということはほかの方々が散々指摘していたようなので今さら申しませんが。しかし、ご自分で書いたものなら消滅したオリジナルとは多少の違いはあっても、もう一度復元できて然るべきではないでしょうか。私も多少創作に手を染めている者ですが、ストーリーがしっかり頭の中にあるのなら、復元できて当たり前だと思いますが。そもそも大切なデータなら、ほかのメディアにデータを退避することなど「イロハのイ」ではないですか。すなわち、「大事なデータ」と言いながら、それを保護する感覚が全然ないということです。その程度の意識で書かれたものに価値なんてありますかね。私の主張に反発をおぼえるなら、畢竟あなたは創作者ではないということです。

     創作というものはその作者の知能の反映です。公私をわきまえない知的レベルでは…失礼ながら、御作は人に読まれるレベルのものではありますまい。書かれること自体が無駄です。おとなしく業務に専心するか、お辞めになって創作に専心するか、お選びになったほうがいいのではないですか。よもや、作家になれたかも知れないのに、腰を折られたなどという認識を持っているのではないでしょうね。

     …いやまあ、酒の上とはいえひでえこと書いたなあ(笑)。このトピックを立てたトピ主はおそらく激怒するぞ。また、自分で考えて書いたもんなら簡単に復元できるだろうよ…というのも言い過ぎの感がある。私にしても、細かい文章表現はその場の即興だからねえ。ともあれ、この頃、「酒の上」の不正規発言が目立つようになったなあ。当トピックに関しては、ちゃんと掌握しています。誰も反応しなければ何を書いてもいいのさ(笑)。

  • ※生殖なんぞ必要なし

     ずいぶん前に書いたけれど、柴田昌弘という漫画家がいました。いました、などというのは失礼な表現ですが。ウィキペディアで言及しているので、ご興味の向きはご照覧ありたく。タイトルをおぼえていなかったので、私もウィキペディアで調べたのだけど、氏の作の一つに「枯葉の街」というものがあったのです。特異な世界観でして、この作中では男はクローニング技術で生殖ではない手段で…まあ、要するに、コピーされる存在です。一方、女というものは人間としては存在しないのです。すなわち、まるで工業製品のごとく生産される…いわば、アンドロイドに過ぎないのですね。刊行された1980年さながらに「ギャル」という侮蔑的な名前がつけられていた。要するに、生殖によって子を産み育てるなどいう図式がないのです。なくてもよければ、そこまで突っ走ってしまうという可能性があるということですね。実際、「愛」というのはいったい誰の頭の中に存在するものなのだろうか。少なくても、私の頭の中にはないね。言うなれば、愛などというものは存在しないのだ、という価値観でつくられた社会ではないかと。この作をしつこくおぼえているのは、そういう考えが私にもあるからではないか。こういうことを言うと、ご婦人方に袋叩きにされそうだけど、どうせ誰も見ちゃあいないし(笑)。

     しかし、性差なんてものは何で生まれたのだろうか。進化の過程で生まれたに過ぎないだけで、ミミズみたいに雌雄同体でなぜいけないのだろうか。雌雄などというものは事を面倒にするだけであって、種の生残性に寄与しているとはとても思えない。ともあれ、自分の身の安泰しか考えていないのが女というものであり、基本的にその性は現世肯定的です。今が彼女らにとって一番いい時代でしょう。平和こそが彼女らの寄って立つ原理であります。何となれば、暴力がものを言う時代が到来したなら、彼女らには従属的立場に追いやられるから。例えば、戦争状態です。心中でそれを望んでいなくても、反戦を唱えるようなことはしないのは先の大東亜戦争で証明済みではないですか。すなわち、社会の有り様について男女は違う考えを持っているようです。そのいずれが正しいか、なんてどうだっていいことで、どちらかがどちらかを否定しねじ伏せるかという問題でしかない。ともあれ、今の世界は偶然そうなっただけで、必然ではないのかも知れない。

  • ※冥福はない

     私はかねてから「冥福を祈る」という表現に違和感を感じていたのですよ。冥府の幸福って…あんた、あの世の存在を信じているの、という程度でしたけど。でも、その違和感には宗教的な理由があったようです。宗教者でも何でもないくせに、何で安易にそういうことを口にするのよ、と思っていたけど、もっと深い理由があったらしい。というのも、私んとこの宗旨は真宗なのであります。親鸞聖人のありがたいお教えによって、悪人であっても成仏往生することができるのであります。要するに、門徒に対しては「冥福を祈る」なんてことは言ってはいけないわけね。可能性の問題ではなくて、門徒ならば全員あの世に行けるわけです。あの世があるかどうかそんなことは知らないよ(笑)。でもさ、「祈る」という文言には「そうなればいいけどね」というからかい気味の感情が表象されているわけね。ふざけんじゃねーよ、と私は思うけどね。異教徒に何か保証していただく筋合いなんてないのよ。私が感じていた不快感はこのようなものであったけど、つくづく安易な言葉ですね。まあ、今後は相手の宗旨を確かめた上で発するべき言葉ではないかと。自分の感覚が正義だと考える小市民が多いですけど。

  • ※古い話だけど

     …いや、要するに、もう誰もおぼえていないと思いますけどね。いつぞや軽井沢の近くで長距離バスが事故ってガキどもが大勢くたばった一件があったでしょう。もちろん、被害者と称する加害者に対しては私は批判的であります。おそらく忘れていると思うので思い出させてやるけれど、紀州のご老公は自分のトピックで「未来ある若者が中途で手折られた」みたいなことをほざいていました。そんなものはない。まさしく、そういう運命のバスに居合わせたことで、そやつらの運命は尽きていたのです。そもそも、なぜ学生風情がスキーなぞに行けるのか…この点でしょうね。それは単刀直入に安いからであります。なぜ安いのかと言えば、それは安くしなければならない事情があるからであります。すなわち、下請けにしわ寄せすることですね。死んだ学生の一人は福祉関係の学生だとかで、「福祉を介して世の中に奉仕したい」みたいなことを言っていたようで。でも、今そこにある貧困は目に入らなかった。その不明を自分の命であがなったようなもんです。件の運転手は貧困にあえいでいて、カップラーメンしか食えなかったという話です。もう未来というものがない人間と、未来ある(と目されていた)人間が同舟(バスだけどさ)に居合わせていただけの話だよな。経済原理が介在している以上、被害者は本当に被害者か…と私は思うのですね。まあ、私も学生時分はアホだったけど、己の分限は心得ていました。学生なんぞ穀つぶしに過ぎない、という意識はあったけどね。まさか「学士さま」だと思っていたのかね。

     まあ、いいや。要するに、下々のくたばり様なんて、マスコミにとってはただのネタしかありません。爺ぃ婆ぁがアクセルブレーキの踏み誤りで人を轢き殺しても、どこぞの飛び上がり者が発作的に通りすがりの人間をバラしても…ほとんどそんなのは一時的なネタでしかない。今年に入ってもそんな話ばっかりでしょう。別にマスコミ批判をするつもりはないけど、トップニュースほど下らない、という現実はありますわね。まあ、人死にがもてはやされるのは「人命不尊重」という通奏低音が社会にあるからだな。自分と関係のない人間の死くらい面白いものはないわけよ。この件、「チコちゃんに叱られる!」で取り上げてもらいたいけど、やはりNHKじゃだめかな(笑)。私としては、もう少し本質的に意味のあることを報道して欲しいけどね。

  • >>2497

    落ち込んでる、そんなあなたには般若心経が心地よいでしょう。
    どれだけ頑張ったってみんな死んじゃうのです

  • ※誰も彼もウジ虫

     失念していたけど、過ぐる6月15日は私にとって忌日でした。何となれば、これは五十四年前に私が強制的に現世に出現させられた「涙の日」だからです。あるいは、モーツァルトの「レクイエム」なんか聴いたこともないかも知れないけど。毎年毎年、誕生日を知らせてくるおせっかいがいなくなったので忘れていたけど、くしくも「県民の日」と同じなので思い出しました。考えてみれば、私がこの世に存在することに何ら必然性はない。辛辣に言えば、亡き親父が情欲にかられて事に及んだからです。親父に多少の克己心があれば、私はこの世に存在しなくて済みました。昨今、「勝ち組」だ「負け組」だとかまびすしいけど、その視点で定義づけるなら、私は間違いなく負け組であります。私などは何の才にも恵まれなかった。才なき者に門戸を開くほどこの世の中は甘くない。そういう人間にはそれ相応のみじめな人生しかない。この世の中には幸福を追求する権利のない人間がいるのです。私がそうです。でもさ、僻んでいるようだけど、この世に生まれてきたこと自体「負け」なのよ。生きていることは敗北なのです。多少いい目を見ている輩もいるけど、それがどうした? 所詮、この世の価値はこの世限り…死ねば物質に返るだけのこと。この世に数十年いることが許されているだけで、そのことに特に意味はない。私には人間とウジ虫との間に何の違いがあるのかわかりません。人類がこの地上から消え失せても、ウジ虫はなかなかしぶといという違いがあるくらいか。

     以前も申し上げましたが、貧乏人の家に生まれたら一巻の終わりです。金がないがゆえに将来を閉ざされるからであります。出自がすべてであって、「無限の可能性」なんてものは一部の者にしか許されない空言に過ぎません。その意味では、貧乏人は子どもを持つことを禁止する措置が必要だと思う。金がないということはその人間の社会的評価であり、そういう人間には子孫を残す権利も剥奪すべきだと思う。私自身が貧乏人を親に持ったがゆえに、しなくてもいい苦労をした人間だからです。実際、私などこの社会には必要はないしね。必要がないのになお生きていることは苦しいものです。しかし、いったんこの世に創出されたらリセットが効かないというのは悲劇であります。畢竟、私は自分が嫌いなのよ。愚劣極まる自分の半生を消去したいけれど、なかなか実行に移せないものです。

  • ※ミューズの使徒

     いささか他言をはばかることですが、久しぶりに本を買ったのであります。このカテにおいてこういうことを言うのはいささか問題があるのだけど、ここ十年くらいほとんど本は買ったことがなかったような。ああ…それで思い出した。2007年にある種の本を買って以来だった。うーん、今回も「ある種」の本だったことは忸怩たる思いであります。ここだけの話ですが、「ヌードポーズ集」という代物であります。刊行中のブツなのでタイトルは伏せます。まあ、美術的観点で企画出版されたわけですが、心中で「どうだかなあ」と思う次第です。某通販サイトで美術系出版社から出ていた類似の書が絶版になっていたので、何となくそれを買ってしまったのですね。でも、手元に届いて…「これ、ちょっとやばいのではないか」と思ったね。お股を広げた大胆なショットが複数枚あったからですね。もちろん、本邦ではエロはもちろん芸術でも「かんぜんむしゅうせい」はご法度なので、修正が入っていましたけどね。撮られている時点では「もろ出し」でも。しかし、男のモデルの場合(そういう本もあるのよ)、逆に修正しようがないような。何分にも、自然状態だったら見えますからね。「開陳」とはこのことでしょうか(笑)。隠そうとしたらパンツを履くしかないけど、美術教室でそんなことやるわけないしね。でも、出版物で同じことをやるのはどんなもんかなあ、と思った次第であります。

     実のところ、この手の出版物が本当に芸術の名目でこの世に出ていたのかどうか私には疑義がありまして。何となれば、昔「月刊アトリエ」という美術出版社がありまして、1980年(昭和五十五年という表記だったけれど)に刊行された№643…「裸婦 美しいポーズ」という本がありました。私がその現物を手元に持っているので確かです。月刊アトリエではしばしばその手のポーズ集を発刊していたようです。「お毛々」はあきまへんよ、という時代だったので、然るべき部位には当然修正が入っていました。しかし、美術書というのは版を重ねてしぶとく生き残るものでして、写真に撮られるというのはやはり勇気がいるのではないかな。実際、四半世紀前に発刊されたものが未だに生き残っていて今でも買えるのですね。どういう動機だったのかはともかく、昔の自分の裸身のイメージが出版物として存在しているというのは忸怩たるものがあるのではないかと。

  • ※初号機エレジー

     取り合えず、Windowsマシンのみについて。2003年に買った初号機は…もう会社がなくなっちゃし、事実なので伏字なしで書くけど、ソーテックのパソコンでした。ともあれ、2007年に事件が起きた。ネットとはLANケーブルによる有線接続なんだけど、ケーブルが朝になると切断されている。ケーブルはドアの狭い隙間を通しているので、誤ってドアに挟んでしまったのかと思った。仕方ないので、代替のケーブルを買ってきて接続し直しましたが、翌日になるとまた切断されている。何かを齧るような「コリコリ」という音を聞いたような気がする。原因はどこぞから屋内に忍び込んできたハツカネズミでした。実はその当時、このカテゴリーで拙作を掲示している最中でした。当時は最終投稿から八日目の未明には掲示板上のトピックは消滅するという時代だった。隔世の感だな。それゆえ、無線LANを初めて導入した次第であります。が、それが間違いの元だったんだな。アプリケーションのインストールのやり方が無茶だったのかどうか今ではわからないけど、ともあれ、おそらくはそれが原因でパソコンは異常動作を繰り返した末に完全に沈黙しました。電源はまったく入らない。当然ながら、私のトピックは消滅したはずでした。この目で見ちゃいないけど。その原因がネズミ一匹とは情けないな。

     その当時はまだ安いパソコンはなかったんじゃないか。ということは、修理するしかないということになりますが、ソーテックというのはマシンが壊れやすい上に、サポート態勢がなっちゃいなかった。こっちもにわかに修理費を用意できなかったので、復帰するまで三ヶ月もかかってしまった。ネットがまったく使えなくなってしまったのも長引いた一因です。あんまり腹が立ったんで、社長宛に抗議文をしたためました。全部、肉筆で(笑)。でも、今考えてみれば、同社は当時はそれどころじゃなかったらしい。つぶれるかどうかの瀬戸際だったようです。しけた一ユーザーの抗議なんか聞いている余裕はなかったんだろうな。某音響メーカーに身売りして事実上この世から消滅したわけであります。ハードディスクと光学ドライブを交換して、修理費は四万円でしたか。で、この話にはうそみたいな下げがありまして、それから数ヶ月して机の引き出しから修理の保証書が出てきました。五年の保証をつけていたようです。後の祭りとはこのことか。

  • ※糖尿病

     こういう恥ずかしい病気にかかって内心忸怩たるものがあります。判明したのは2011年のことだけど、私の場合まず指摘されたのは、「家族性高脂血症」というものでした。これは遺伝病でして、二親のどちらかから因子をもらったのですね。親父も母親も死んだ今ではどっちからもらったのかさっぱりわからないし、遺伝病なので根本的治療法はない。薬を飲んで予防することができるだけです。まあ、それは本題ではありません。ともあれ、糖尿病も併発しているわけでして、そういう関係のブログを見ることがあります。何となれば、あるブログで医者から「人工透析寸前なので食事制限をせよ」という指示が下ったそうで。要するに、糖尿性腎症というやつだ。糖尿病であんだけ無造作にばくばく食っていれば当然そうなるだろうな、とは心中で思ったけどね。食事制限というもののうちで腎障害はもっともきびしいのではなかろうか。塩分はもちろん、カリウム、たんぱく質…当然ながら、糖質制限もかかる。こういうものを制限されるとおよそ人間の食うものではなくなりますね。実際、件のブログの御仁も何ら前兆はなかったようです。要するに、自覚症状が現れた時はもうすでに手遅れなのね。すなわち、「人生の強制終了」になりかねないということです。

     糖尿病の合併症というのもなかなか恐ろしいもので、私は「生きながら腐っていく」と表現したことがあります。言うなれば、死ぬ前に地獄の事前体験をしているようなもんですね。まあ、自分が極楽に行けると自負している人はこの限りではないけれど、我が家の宗旨は一向宗なので、自分が極楽組に入れるなどとうぬぼれることはできないですね(笑)。ともあれ、私が心配しているのは動脈硬化の進行度です。血管年齢という言葉があるように、老いとともに劣化すると同時に、血液の状態次第ではより劣化は進むと考えるべきでしょう。現在は服薬で手当てしているけれど、それ以前はどうだったか…それは私にもわかりません。いや、もちろん調べれば現時点の劣化はわかるけどね。さっき「人生の強制終了」と言ったけれど、血管が破れたり詰まったりすることです。私が言うまでもなく、動脈硬化と大いに関係があるということですね。表向き症状がないなどということは何の慰みにもなりません。脳血管障害に見舞われると命を取り留めても悲惨を極めるということは一年前、病院で見てきましたから。

  • ※チコちゃんに叱られる!

     …というタイトルの、まあ一種のクイズ番組がただ今NHKで放映されているようです。私は今月に入ってやっと見られたのだけど、なかなか面白い。どういう番組かご興味の向きは自分でテレビを見ればいいとして、かつて出題されたお題に「座高はなぜ測られなくなったのか」というのがあったとか。「座高」が廃止されたこと自体知らなかったけど、「胸囲」の測定も廃止されていたらしい。言われてみれば、そういう数値にどういう意味があったのだろうか。廃止されたということは「大して意味がねえ」とお上…要するに、旧・文部省が認めたということでしょうか。でも、体重や身長というのも何の意味があるんだろう。その人間の価値とは何の関係もない、と一応疑義を呈しておきますが、パンツいっちょで何の疑問もなく身体検査に応じていた人間としてはいささか忸怩たるものがあります。子どもの体格を数値化して把握するのはなぜか…やはり戦前の兵隊検査の名残りなのではないかと。兵隊として使える規格に入るかどうか調べていたわけで。戦後はそういう必要はなくなっても、制度自体は何となく生き残ってしまったというのが実態ではないかな。余談ですが、調べてみるに、兵隊検査というのは真っ裸だったそうであります。何となれば、然るべき部位を念入りに調べる必要があったから。要するに、性病の有無を調べていたようです。目下、心ならずも私も同じような立場にありまして。調べられているのはナニじゃなくて皮膚の状態だけど、真っ裸であること自体は同じだもんな。紫外線を浴び始めて二ヶ月になるけど、治らないもんだよなあ。

     話は変わるけど、今日やっとプリンター(まあ、いわゆる複合機だけど)を買い求めた次第です。金は用意していたけど、面倒くさいので今日までずるずると引き延ばしてのですね。ただ、このプリンターはWindows7で使えるか、という質問をして販売員を困らせてしまった。一つ前のヴァージョンだから即答できるだろうと思ったのだけど、すでにもう古物扱いらしい。実際、Windows10って使いにくいんだもん。昨年秋に前マシンがおしゃかになった時、間に合わせにサブ機を投入したけれど、立ち上がるのが速いくらいしか取り得がないじゃん。次のヴァージョンはもう少しシンプルにして欲しい、と願う次第であります。こういうことを言うと怒りを買うかも知れないけどさ。

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