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短編と詩

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  • 2017/10/15 13:06
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    短編でも、詩でもお気軽に投稿して下さい。
    感想も書いてね〜。

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  • 私にとっての希望はあなたにとっての絶望だ。

    あなたにとっての希望は私にとっての諦めだ。

    どうしょうもない見解の相違。


    Who am I?

    Who are you?


    恐らく実存的な問題なのだろう。


    Who are we?

  • あなたは存在しない

          あなたは存在しない
     
                  あなたは存在しない

  • 0という概念に身を寄せてみる

    私は私ではない

    私はあなたではない

    私は誰でもない


    北から冷たい風が吹いて来る

    手が悴む

    身体が震える

    凍えそうだ


    ポケットに手を突っ込み

    背中を丸め

    見上げれば満天の星空


    輪郭がくっきりとはっきりと鮮やかで

    私は私

    あなたはあなた

    でもあなたはあなたではない


    0という概念の欠如

    始まりの喪失

  • 君はまるで薔薇のよう。

    君は完璧なほどに美しく、君はとても情熱的で、セクシャルで、おまけに刺々しい。

    でも君の刺々しさは僕の思い違いなのかもしれない。
    僕は君に恋をしているから君の些細な言動であれこれ勝手に想像してしまい勝手に傷付いてるだけなのかも。

    なんという自己完結性!
    君は本当は薔薇じゃないのかもしれないなんて。

    君は薔薇だ。
    君は薔薇じゃない。

    君は薔薇だ。
    君は薔薇じゃない。

    多分君は薔薇じゃない。
    君は薔薇にしては優しすぎる。

    棘のない優しい君。
    勝手に一人で傷ついていた愚かな僕。
    もし棘のない薔薇が存在するのならば恐らくそれこそが君だね。

    今宵君の瞳に乾杯したい。
    僕は君に恋したことを誇りに思う。

    君は美しい薔薇
    情熱の薔薇
    セクシャルな薔薇
    棘のない薔薇

    バラバラバラバララバンバ。

    魔法のようだね。
    奇跡だよ。

  • 個人的にシンパシーを感じるのは、ジム・モリソン、オスカー・デラ・ホヤ、アイルトン・セナ。
    共通項は遠くを見る目。

    そう、僕は遠くを見ていたんだ。
    目の前の君ではなく。

    まるで映画の「ゴッドファーザーPART2」みたいだね。
    映画「ゴッドファーザーPART2」では、アル・パチーノ演じるマイケルが、家族の為だと思って仕事に専念し過ぎて、目の前が見えなくなり、妻から見放される。

    とても澄んだ青空さ。


    共通項は世界が広いこと。
    世界が「家族」に限定されるのではなく、「家族」をも超えるある意味メタフィジカルな視点を持っている。
    その視点が僕を混乱させる。

    世界は混沌へ。
    僕は空気へと。

    澄んで。
    とても澄んで。

  • >>79

    また書き始めたのではなく、白紙の散乱(創作集)にUPしなかったボツにした未掲載の創作で出来がいいものを載せていこうと思うよー。
    楽しみにしてくれてありがとう♪

  • スレ主様

    また書き始められたのですね
    拝読するのを楽しみにしています

  • いや、ずっと思っていたんだ。
    僕と君が愛し合っていたかどうかとね。
    いや、そうではなく、ずっと僕は音痴ではないかと。

    小学校とか中学校の時の音楽の成績は悪かった。
    でもオーストラリアやアメリカに行って、英語を習うだろ?
    そうすると、いやでも「音」に対する感受性が強くなるんだ。
    だから僕はてっきり音痴が直ったと思っていたんだよ。

    でも僕は音痴が直ってなく、今でも音痴で、自分で「びみょ~」っていうのが結構あるんだ。
    例えば、浜田省吾の「MIDNIGHT FLIGHT」とかチェッカーズの「Song For USA」とかね。

    浜田省吾の「MIDNIGHT FLIGHT」は悲しい愛を歌った曲なんだけれど、情感は完璧。
    もう僕が「食事して~、ドライヴして~、ベッドに入るだけ~」と歌ったら、本当にそんな感じになるし、「妹と暮らすつもり~、しばらくニューヨークで~」でも、そう。

    なんと言うのかな?
    僕はそのような恋愛に合っているのかな?
    そのような恋愛を欲望の対象にするのではなく、そのような恋愛から果てしない広がりを感じ取れると言うか。
    「コミュニケーションから零れ落ちた地点で癒し合う。」って感じ?

    でもそういうのではない、サビの高音部分が下手糞で、音程が少しズレているかもしれない。

    チェッカーズの「Song For USA」もそうなんだ。
    出だしは自分でびっくりする位に、甘い声で完璧。
    君は信じないかもしれないけれど、僕は「Song For USA」を歌う度にびっくりしているんだ。
    自分自身の声に。
    「え、こんなに声甘かったっけ?」って。

    でもサビの高音部分で少し音程がズレる。
    サビにひきずられて、二番目は出だしでちょっと音程がズレる。

    でもさー、「いとしのエリー」とかはまったく音程がズレないんだよね。
    音程がズレない曲もあるんだ。

    音程がズレない曲?
    尾崎豊の「I LOVE YOU」とか「ロザーナ」とか「Forget-me-not」とか「僕が僕であるために」とか。


    今日、久し振りに君を思い出した。
    君とのカラオケ。

  • 君から貰った手編みのセーター
    もうボロボロだよ

    僕は大事にセーターを着ていたつもりだったんだけど

    裾が綻びちゃって
    襟が伸びちゃって

    どうしよう?

    また冬が始まるのに
    もう君はいないのに


    あ、雪が降ってきたよ
    白くて綺麗な雪


    僕は君のことを忘れない

    セーターが着られなくなっても
    君への想いがなくなっても

  • 彼は濃いめの酒を口にする。
    幹線道を通るサイレンがこだまし、老人が危篤に陥ったのだろう
    それでも、温泉施設の中では、喫煙席を求め、テレビの観える席を探す
    人たちが喧噪を醸し出す。

    「いらっしゃいませ。本日は、アバンチュールをお楽しみ下さい。
    ・・で、ご注文は、如何致しましょう?」
    問い掛けられる老夫婦は、互いの顔を見つめ、温泉で高揚した互いの顔へ
    「まんざらでもないのか?」と目線で問い掛ける。
    「あなた、銚子に乗って、後が怖いのは承知のはず。
    絆されるなんて歳じゃ、ありませんでよ。」
    ちょっと、ムッとし、白髪で、品のある老人は顔を開くと
    「そういえば、きみから、そんな言葉を聞くのは久しいかな・・」
    と踵を返す。

    いつも、ふたりは一緒だった。
    二人の記憶では、今となってみれば、どうでも良いことだ。
    互いが存在することの理由など、問うたことがあるかと思える。
    それほど、多くの物事が、互いの間を通り過ぎていた。

    彼が彼女を導き、彼女が彼を導いた。
    いつの間にか、そうした関係から、互いを求めるようになっていた。
    「でも、僕らだけじゃ生きられないだろう?」
    と、ある時、患者への失意から、老人は言ったことがある。
    「でも、大丈夫。あなたならできるもの。」

    喉元を通る、濃い目の酒を意識する。
    それを味わったからと言って,自分は、何も、語りはしない。
    ただ、老夫婦の姿へ、沈黙を感じていた。

  • 最近、躁鬱という社会的な症例を聞きます。
    精神症の多くは、自己の矛盾性の淘汰から来る
    ジレンマだと聞きます。
    しかし、原因の多くはストレス障害です。
    意識や認識が個人の能力を超えていること、また超える
    利害を求める負荷から、方向性を見いだせないジレンマが
    生まれ、精神的なカタストロフが派生することです。

    今回、「愛する自分へ」と投稿した理由は
    社会への意識を問うためです。

    以前から疑問だったのは、何故、多くの人たちは
    社会的なことへ疑問を抱くのに、ストレス発散的な投稿を
    し、それが実質的な解決策と考えているのだろうか?
    という疑問です。
    もし、そうした実践や啓蒙が実際にあったなら、社会変革の
    動機を探り、また動機の意味を確認することが出来るはずです。
    実際の、掲示板が、ストレスや個人的なはけ口としての機能を
    満たす限り、息子や孫が、親やおじいちゃんへ「死んでしまえ!」
    と言うかもしれません。何もしない親を見て、「うちのおやじは
    建前だから、建てる前に壊れた家を建てているんだ。
    そうした、崩れた家、多くね?」
    「つまり、幽霊の家だよね。
    亡霊の館!」

  • 愛することが苦痛だった。
    逆に、苦痛は、愛することを表現する。
    それらの方向性は違えども、少なくとも、同じ感覚での
    表現を想像するものだ。
    他人の苦痛が、どれほど自分の中で理解されようとも
    それが、他人への愛と、自分では理解しきれない。
    あきらめと、迎合と、(ためらい)・・いや、ためらいなど
    あってしかるべきなのか?

    我々が、生まれた頃、継続的に、生命という(存在)は無いものだった。
    何故なら、在ることから、認識を促すからだ。
    認識無くして、(無)という概念は無いからだ。

    そもそも、同朋という理由は、一緒に、生きる理由なのだ。
    同じ価値観を共有し、同じ理念を共有することも、一つの選択だが
    必要な理念は、自分の存在を確認することである。
    其れが、動機の理由であり、選択する理由である。
    生きることを選択し、その理由の倒錯でないこと、また選択へ
    値する価値のあること、また、自分の能力へ責任を果たせるかの
    問いをするものだとするなら、その実践へ答えるのは
    自分では無い、他人であるべきなのだと、思える。

  • 車の往来が激しい交差点を
    一人のおばあさんがひょこひょこと渡る
    自分のペースで、とてもゆっくりと

    走っていた車は止まり、おばあさんが渡るのを待っていたが、
    やがてイライラして怒鳴ったりおばあさんの歩き方を笑ったりする

    だからぼくは通りに飛び出しておばあさんの手を引いてあげている

    人はみんな同じペースで歩くわけではないし、歩き方もいろいろでいいはずなんだ

    でも世の中の仕様はそういう風にはできていない
    うわっつらだけ取り繕って、個性さえ平準化しようとしている

    これで本当にいいのかな?


    ぼくの隣で歩くおばあさんの目は、ひたむきでとてもきれいな色をしているよ

  • みっともないほど、勃起していた。
    女性を観ると勃起した。
    その反応が可笑しくて、勃起したペニスを扱いた。
    たとえ、勃起したペニスを見知らぬ女と交渉しても
    生まれた子供は、どうでも良い子供だろう。
    金と名誉、それに労働を想像させる、要因なのだろう。

    自分の未来を、誰が、図るというのか?

  • >>69

    sumさん、いつも丁寧なレスをありがとうございます

    わたしは学がないのでsumさんがおっしゃる著名な詩人の作品には触れたことがありません
    掲示板の人の詩に影響をもらっています
    有名な方の作品には評価や感想があり、それを参考にして自分との考え方の認否を判断出来ますが、一個人の作品の場合は書き手がどういう意図や視点で描写するものなのかよくわかりにくく、意見をお尋ねしてしまいました

    sumさんが面倒でなければ、またいろいろご意見を聞かせてください
    よろしくお願いします

  • 「日常的な題材と・・テーマ」という言葉から刺激された
    疑問でしょうか?

    まず、私の視点を理解してもらうために「短編と詩」へ
    投稿する動機を説明させて下さい。

    私の「詩」への概念は、谷川俊太郎とリルケです。
    そして、「散文」と「小説」は、ランボーとへンリー・ミラーです。
    これらの過去の作品は、私を感動させました。
    それと同時に、疑問であった印象と心象を、具象化させてくれました。

    谷川さんは、心象の意味を、リルケは、行動の誠意を、ランボーは
    具現化する矛盾を、ヘンリーは、印象と心象の懐疑を問いました。

    それらの作品が、個性で裏打ちされているもの、それと、何より
    私と同じように、多くの疑問から行動を強いられていただろうことを
    想像します。
    あなたも同じではないでしょうか?

    あなたの作品から、セックスを取り上げた訳ではありません。
    「描写」という意味で、ジェンダーなる意味合いが含まれて
    いるのは確かです。

  • >>66

    こんばんは

    sumさんの過去投稿を少し読ませていただきました
    それほど描写としてセックスが取り上げられているわけではなさそうですが、もしかしてわたしの投稿内容に性を意識させるようなものを感じられたのでしょうか?
    自分では自分の書いた内容を判断しにくいので・・・

  • セックス描写が社会的な意味合いを含むように想います。
    また、嗜好という意味では、セックスを自己実現と捉えたり
    個と他人との接点という捉え方もあります。

    「描写」という方法が表現の手段として、自らの疑問へ
    答えようとする限り、個性的な表現も生まれるでしょうし
    それを評価するのは、社会的な役割です。
    もっとも、誰もが嗜好するセックスという日常的な題材を
    クローズアップし、其処へ、テーマを伴わせるのは
    疑問の核心がないと出来ないことかもしれません。

  • >>63

    こんばんは
    丁寧な解説をありがとうございます

    >セックスの捉え方が、ある意味、社会的な捉え方を表現するだろうし、
    また、その人物像を浮き上がらせる。
    社会的な意味合いを表現することでもあります。

    おっしゃるとおりだとも思いますが、社会的=セックスという捉え方は個人的な嗜好が多々入っているような・・・
    あっ、すみません(^^)

  • 違います。
    宋薫さんの作品の題名では、ありません。
    「入れてほしいの・・」という受けて側の発想を
    象徴しようとした言葉です。
    一時、官能小説なる題材の多くは、社会的にはバイアブラ的な
    要素があるように想いました。
    互いの相思が合って、行為が成り立つことと
    「生きたい」という欲求の表現を無視するのは、不自然です。
    セックスの捉え方が、ある意味、社会的な捉え方を表現するだろうし、
    また、その人物像を浮き上がらせる。
    社会的な意味合いを表現することでもあります。

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