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シニア/心の旅

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  • 2018/06/25 22:13
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    インターネットには自由があります

    時間や場所をこえ
    性別や年齢にこだわらず
    職業や日常や自分からもはなれて

    気のむくまま、心のおもむくまま
    自由にお話しできることがたのしいです

    子どものころに残してきた忘れものをさがして
    自分のなかの新たな可能性を求めて
    ふしぎな力にみちびかれて
    夢かうつつか定かでない世界に旅して

    たのしみな花が咲きはじめ
    がぐわしい風がわたり
    かがやく空には小鳥たちがさえずる
    このすてきな季節に

    あなたと私、心の旅にでかけてみませんか

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    sunao 6月25日 22:13

    >>2280

    >私の音楽系の師匠がなぜか突然言うには、テレフォン人生相談>を聴くと、自分の思いや悩みがある程度類型化され、パターン認識でき、その結果、みんなではないにしてもそういうものだと、辛さも孤独感も減じ、対処法もあわよくばみつけることができるかも。。。と。。

    ご紹介ありがとうございます。上述の「音楽」と「フェルトセンス」との関係のようなものを感しられて興味深いお話ですね。

    >キリスト教にあっては、体をもった人間の苦しみや悲しみや喜びを理解するセンサーとして、人の世に使わされた神の子の役目。。。みたいなものと重なるような印象ですけれども。。

    なるほどです。

    「演技は言葉を音楽に近づけ動きをつくる」という骨格文をもつ介護論文を作成するために私が読んだ本は、「音楽の聴き方」のほかに、「言葉と科学と音楽と」があります。
    この本の谷川俊太郎の次の文章が印象的です。
    ・・・いまの若い人たちがポップスなんかに夢中になっている姿を見ると、あれが彼らを深いところで救っているということは確かだと思いながらも、あそこまで音楽に浸り切っている姿というものは、やはり言語の側からすれば脅威を感じると言えばいいのか、、、。つまり、彼らは感性ばかりでものを見てしまって、あまりにも多義的に見るあまり、言葉の持っている機能みたいなものを信用しなくなるんじゃないか、なにかそんな感じもあるんですね。そもそも言葉というものは、僕は、音楽のほうに引きずられる傾向があると思っているんです。というのは、辞書などで親しんでいると、言葉というのは割合一義的なものであつて、あらゆる言葉は定義できる、と思いがちなんだけれど、実際には言葉も音楽も同じように人間の肉体から発生していてね、根っこは一つだから、つまり本来は多義的なものとして言葉も発生しているところがあるわけだから、そこのところに甘えていくといくらでも多義的になっちゃうという気がするんです。・・・フランスのサンボリズムの運動が、「詩に音楽の富を奪回する」というような言い方をしたのも、単に音声面で音楽性を取り入れるということだけじゃなくて、音楽をギリギリまで多義的に使うことで、音楽が表わしているものを詩に近づけようという、そういう運動だったと僕は思ってるんです。(p.65)・・・

    音楽のような言葉かけ、詩のような言葉かけを、認知症介護に使えれば良いかもと。

  • >>2279

    >また、身体感覚的な仲立ちの表現は、極めて具体的で、団員に共通する感覚によって、音価・音質・アーティキュレーションなどへの指示を、統合して大づかみにする役に立つのでしょう。

    なるほどです。指揮者の言葉は、音楽の一つのかたまりにつけるTAEでいうところのマイセンテンスのようなものでしょうか。

    >>それまで単なる抽象的な音構造としか見えなかったものが、これらの言葉がそこに重ねられるやいなや突如として受肉される。体温を帯びた生身の肉体の生きた身振りとなるのである。
    >具体的な体験からつかんだイメージの蓄積が、人に働きかけるとき、役に立ってくるってことなのかしら。。
    >私たちは、木石の如くあることを目指すというよりは、木:植物一般の成長のように、外界・他者の動く姿を、ある種の愛情をもって肯定的に取り込んでいくような在り方ができたらいいかもってことかと愚考します。

    書物の例を勝手に引用した場合、私は独断と偏見で、次のように考えています。
    「音楽」を言葉で表し切れない。指揮者は、次の4カテゴリーを動員するしかない。
    ①「もっと大きく」とか「ここからクレッシェンドして」といった直接的指示。
    ②「ワイン・グラスで乾杯する様子を思い描いて」といった詩的絵画的な比喩。
    ③「ここはハ長調」とか「再現部はここから始まる」といった音楽構造に関する内部関連ならびに、作品の歴史的文化的な背景についての外部関連の説明。
    ④身体感覚に独特の比喩の使い方。

    「フェルトセンス」を言葉で表現し切れない。私は、次の4カテゴリーを動員するしかない。
    ①「締めつけられた」「圧迫された」「ピクピクする」「重い」など身体の感じ
    ②「怖い」「腹が立つ」「いらいらした」「悲しい」など感情的な特質
    ③「木の枝」「岩」「カニ」などイメージまたはシンボル
    ④「職場のあの人について」「前進することについて」など生活や人生とのかかわり、物語

  • >>2278

    こんばんは、ハミングさん♪ ローズミントさん♪

    今日のこちらは34℃、お買い物は、サングラスとアゴひも付きの帽子を着用しました。

    >大阪北部地震>というネーミングになったようですが、余震も順調に減ってきているというニュース、よかったよかったと読みました。
    ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180625-00003976-weather-soci

    ご紹介ありがとうございます。その一方で、専門家によると心配な面もあるようです。
    ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20180625/k10011495291000.html
    ・・・1週間前に大阪府北部で震度6弱の揺れを観測した地震は、2つの断層がほぼ同時にずれ動いて起きたと見られることが専門家の分析でわかりました。
    ・・・そのうえで、複数の断層が関係し、活発な地震活動が続いているとして、引き続き、注意が必要だと指摘しています。

    >私が専門家かどうかは怪しいところですが、以前、CDの紹介をする文章を読み、<群衆のなかでふと立ち止まって自分が孤独であることを感じる時、こころの片隅に、森の野鳥の声が響く。。。そんな曲!(詳細全く忘れました)と。。で、そうなのか〜なんて、知らないアーティストでしたが注文したんです。 聴いてみると、期待した繊細さとか透き通った響きとかは歌詞にもサウンドにも(私には)感じられず、主観を触発するような主観が発信するコトバは、時に虚構のイメージを構築するのね。。そういうものだと思っていたはずなのに。。とがっくりきました〜。

    それは残念でしたね。言葉は限定された意味をもつような一義性であるのに対して、音楽はいろいろな意味にもなる多義性であることからくるお話でしょうか。

    >ジャンルを問わず、どきどきするような音楽にいつも敏感であれ♪というのは我が師匠のメッセージなんですが、ときどきおおはずれ感にため息です♪

    どきどきするような音楽に敏感であれ、というのは良いメッセージですね。私も、心地よい言葉であっても、音楽には敵わないと思っています。

  • >>2276


    >それまで単なる抽象的な音構造としか見えなかったものが、これらの言葉がそこに重ねられるやいなや突如として受肉される。体温を帯びた生身の肉体の生きた身振りとなるのである。

    具体的な体験からつかんだイメージの蓄積が、人に働きかけるとき、役に立ってくるってことなのかしら。。
    私たちは、木石の如くあることを目指すというよりは、木:植物一般の成長のように、外界・他者の動く姿を、ある種の愛情をもって肯定的に取り込んでいくような在り方ができたらいいかもってことかと愚考します。

    そうはいいつつも。。いろいろありますよね。

    私の音楽系の師匠がなぜか突然言うには、テレフォン人生相談>を聴くと、自分の思いや悩みがある程度類型化され、パターン認識でき、その結果、みんなではないにしてもそういうものだと、辛さも孤独感も減じ、対処法もあわよくばみつけることができるかも。。。と。。

    >だが私が何より注意を促したいのは四つめの語彙、つまり身体感覚に彼らの独特の比喩の使い方である。

    キリスト教にあっては、体をもった人間の苦しみや悲しみや喜びを理解するセンサーとして、人の世に使わされた神の子の役目。。。みたいなものと重なるような印象ですけれども。。

    杜子春の話って、つかみどころのない主題だなあと、時々、日が長くなる頃にとりとめなく思ったりもします。



    ともあれ、今日もよい1日をお過ごしになりますように♪

  • >>2275

    こんにちは、すなおさん♪ローズミントさん♪

    今日のこちら地方、普段の梅雨には梅雨寒で炬燵をだしたりするのに、今年は暑いです!
    大阪北部地震>というネーミングになったようですが、余震も順調に減ってきているというニュース、よかったよかったと読みました。
    ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180625-00003976-weather-soci

    >投稿後は眠れました。応援ありがとうございます。もっとも今日深夜はサッカーのテレビ観戦で睡眠のリズムはまた変則的なものになることでしょう^ ^

    サッカーは引き分けましたね!

    >長文の引用とコピペありがとうございます。専門的な記述が勉強になりました。アインシュタインさんの解説はハミングさんのような専門家に好まれるものなのでしょうね。

    私が専門家かどうかは怪しいところですが、以前、CDの紹介をする文章を読み、<群衆のなかでふと立ち止まって自分が孤独であることを感じる時、こころの片隅に、森の野鳥の声が響く。。。そんな曲!(詳細全く忘れました)と。。で、そうなのか〜なんて、知らないアーティストでしたが注文したんです。

    聴いてみると、期待した繊細さとか透き通った響きとかは歌詞にもサウンドにも(私には)感じられず、主観を触発するような主観が発信するコトバは、時に虚構のイメージを構築するのね。。そういうものだと思っていたはずなのに。。とがっくりきました〜。

    ジャンルを問わず、どきどきするような音楽にいつも敏感であれ♪というのは我が師匠のメッセージなんですが、ときどきおおはずれ感にため息です♪


    すなおさんがご紹介くださいました、音楽を演奏として構築していくときに指揮者が仲立ちとして使う言語表現。。。を考えるに、提示部・展開部・再現部。。といったおおざっぱにいえば三部形式の変形であるソナタ形式とか、フーガ形式によって、聞き手が記憶するブロックの印象に大きく依拠して、再現部でのなつかしさとか帰ってきた感じとか、それが成長して戻ってきて、フィナーレになだれ込む感じとか。そういうものを、構築しようとがんばる目的ではと思います。

    また、身体感覚的な仲立ちの表現は、極めて具体的で、団員に共通する感覚によって、音価・音質・アーティキュレーションなどへの指示を、統合して大づかみにする役に立つのでしょう。

  • >>2275

    この意味で興味深いのが、右に挙げたようなリハーサル映像で指揮者たちが使っている言葉の性質である。彼らが練習で用いる語彙は、明確に幾つかのカテゴリーに分類することができる。一つは「もっと大きく」とか「ここからクレッシェンドして」といった直接的指示。二つめは「ワイン・グラスで乾杯する様子を思い描いて」といった詩的絵画的な比喩。そして三つめが、音楽の内部関連ならびに外部関連についての説明。内部関連とは「ここはハ長調」とか「再現部はここから始まる」といった音楽構造に関するもの。外部関連とは作品の歴史的文化的な背景についての説明などである。どれも「音楽を語る言葉」としてポピュラーなものだ。だが私が何より注意を促したいのは四つめの語彙、つまり身体感覚に彼らの独特の比喩の使い方である。

    リハーサル映像を見ていて気づくのは、彼らが時として(あるいは頻繁に)、それを耳にした途端こちらの身体の奥に特定の感覚が湧き上がってくるような、一風変わった喩えを口にすることである。いわく「四十度くらいの熱で、ヴィブラートを思い切りかけて」(ムラヴィンスキー)、「いきなり握手するのではなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」(クライバー)、「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」(チェリビダッケ)等々。それまで単なる抽象的な音構造としか見えなかったものが、これらの言葉がそこに重ねられるやいなや突如として受肉される。体温を帯びた生身の肉体の生きた身振りとなるのである。・・・

  • >>2274

    おはようございます、ハミングさん♪ ローズミントさん♪

    >直下型の震源だと、地鳴りもしたりして、震度2以下でも目がさめてしまうことでしょう。ご投稿のあと、休まれたのだとよいのですが。ガス復旧・よかったですね!

    投稿後は眠れました。応援ありがとうございます。もっとも今日深夜はサッカーのテレビ観戦で睡眠のリズムはまた変則的なものになることでしょう^ ^

    >>この曲についてのアインシュタインによる解説を、ハミングさんが紹介してくださるのを待っているところです^ ^
    >これが、長いんですよね。。音楽学者だけに、他の作品との共通性なども触れられていたりして。

    長文の引用とコピペありがとうございます。専門的な記述が勉強になりました。アインシュタインさんの解説はハミングさんのような専門家に好まれるものなのでしょうね。

    音楽と言葉については、私にとって別の意味でも関心があります。介護論文のなかで、介護の言葉かけを音楽のもつ豊かな感情を近づけることができれば、コミュニケーションが良好となり、介護のプロセスが進みやすいことを実感しているからです。

    「音楽の聴き方、聴く型と趣味を語る言葉」岡田暁生著 中公新書(2009)を介護論文の作成のため読んだところ、次の記述に興味をもちました。

    ・・・面白いことに、音楽たちが日常的な音楽の現場で用いる言葉は、少なくとも私の知る限り、総じて砕けていて端的であり、感覚的に生々しい。観念的な表現――例えば一昔前のクラシック批評でしばしば見かけた「精神性」とか「宗教的」といった――を、当の音楽家たちはまず使わない。それどころか彼らは、身体的実感が伴わない物言いを、何より軽視する。「音楽家を納得させる語彙」の第一の条件は、形而上学的でないこと、つまり身体的であることだという印象がある。

  • >>2269

    >余震の頻度は少なくなって平穏に慣れてくると、たまに、余震が起こると少しビックリしてしまいます。先ほども、震度2以下ですが、余震がありました。それで、眠れないまま書き込みをすることにしました。

    直下型の震源だと、地鳴りもしたりして、震度2以下でも目がさめてしまうことでしょう。
    ご投稿のあと、休まれたのだとよいのですが。
    ガス復旧・よかったですね!

  • >>2271

    ・・・まで書きまして、画像添付を思いつき、投稿したのですが、同じ冒頭の文章がひっかかるのか、すぐに削除になってしまいました。なので、もう一度画像添付を試してみます〜

    シニア/心の旅 ・・・まで書きまして、画像添付を思いつき、投稿したのですが、同じ冒頭の文章がひっかかるのか、すぐに削

  • >>2270

    イ長調コンチェルト(K.488)では、自分の品位を落とさずに、再び聴衆の意を迎えることに成功した。構造がこれほど簡単で、トゥッテイと独奏部の主題的関係がこれほど<正常>で、主題の案出が、対位法的なものやリズムの頑固さへと遠出してしまう場合にすら明快さを失わない第一楽章を、彼はほかには書いたことはない。

    イ長調は、モーツアルトにあっては多彩の調性であり、境界の多彩なステンド・グラスの透明さの調性である。このコンチェルトの第一楽章とクラリネット五重奏曲(K.581)

  • >>2269

    おはようございます、すなおさん♪ ローズミントさん♪

    東山魁夷さんの絵画と23番の中間楽章・またそれを耳にしての印象を言語化したもの。。3つの表現形態のアナロジーを考えたりしていましたけれども、それぞれの表現形態にはそれぞれのイメージを構築する方法論があって、時にそのイメージ同士に行き来があるのは、感覚統合とか共感覚などを連想させたり、そういう表現ツールによる主観同士の交流を思わせたりして、面白いことですね。。

    >「ピアノ協奏曲23番」であれば、ハミングさんご紹介のYouTubeの2曲をパソコン作業中でも聴けます。書き込み№2239からYouTubeのみ引用してみます

    再提示・ありがとうございました。

    >ろーずみんとさん、「ピアノ協奏曲23番」のCDを探し出されたとのことですが、ご感想はいかがですか? ピアニストはどなたでしょうか? 

    きっと、定冠詞のつくCDでしょうから、思いでのある演奏であり演奏者だったのではと想像します。

    >この曲についてのアインシュタインによる解説を、ハミングさんが紹介してくださるのを待っているところです^ ^

    これが、長いんですよね。。
    音楽学者だけに、他の作品との共通性なども触れられていたりして。

    この部分の前には、22番のアンダンテについての記述があります。

    モーツアルトがある強引なものをもちだしてくるが、それはあからさまな表現であり、殆ど嘆きと、偽りの慰めと、絶望と、あきらめの提示である。モーツアルトは全く新しい意味:19世紀の意味で、短調と長調のコントラストを利用しつくしている。(略)・・・(ウイーンの聴衆が)この楽章の直接的な訴えを理解し、繰り返し演奏するように求めたことは,文化的に重要なことであり、モーツアルト自身もこのことに驚いていた。。。

    そして、あからさまな表現ではないという対比として23番が語られるます。「一つ前のコンチェルトのアンダンテ(22番)で殆ど裸にちかく露わだった情熱が、ここでは(23番)ヴェールを被っている」;として。。

  • >>2268

    おはようございます、ハミングさん♪ ろーずみんとさん♪

    余震の頻度は少なくなって平穏に慣れてくると、たまに、余震が起こると少しビックリしてしまいます。先ほども、震度2以下ですが、余震がありました。それで、眠れないまま書き込みをすることにしました。

    ろーずみんとさん、「ピアノ協奏曲23番」のCDを探し出されたとのことですが、ご感想はいかがですか? ピアニストはどなたでしょうか? 

    私も、リビングでテレビが面白くないときに、次の本の付録のCDをプレーヤーで聴いています。
    「モーツァルトを聴くと超健康になる-聴くだけで治癒力が高まる!医師選曲のCD付録」

    自室で聴くときは、iPhoneにスピーカーをつけて、就寝から起床まで、アシュケナージ演奏の1番から27番までを、連続して流しています。

    「ピアノ協奏曲23番」であれば、ハミングさんご紹介のYouTubeの2曲をパソコン作業中でも聴けます。書き込み№2239からYouTubeのみ引用してみます。

    (1) Maria João Pires Bernard Haitink/ COE
    ttps://www.youtube.com/watch?v=kUJ7cauKgTY
    (2) Daniil Trifonov and the Israel Camerata Orchestra
    ttps://www.youtube.com/watch?v=-s68kHOnpiE

    この曲についてのアインシュタインによる解説を、ハミングさんが紹介してくださるのを待っているところです^ ^

    ろーずみんとさんは、小学校で非常勤の英語の先生をなさっているのでしょうか。国語と英語の苦手な理系男子の私としては頭が下がる思いです。その理系男子も、会社定年退職後に機械学会の技術セミナー講師を10年ほどしているときに、アメリカの資格試験に挑戦しようと英語を勉強したことがあります。半年ほど準備をしましたが、家族介護の必要性が浮上してあきらめてしまいました。機械技術者として日頃から英語の専門用語を使っているので、英語の講義、英文テキスト、英文問題文は抵抗感はありませんが、インチ・ポンド・ガロンなど単位には悩まされます。一般の英会話はリアルタイムなので苦手ですが、大西泰斗さんの「これで話せる!英語のバイエル」には親しみを感じたのを覚えています。

  • >>2267

    追記させてください。
    「ピアノ協奏曲23番」やっと、探し出しました。
    古い版のCDです。
    すでに、自宅のオーディオ機器に、CD対応の入出力のものがなく、大昔の重くて大きいCDラジカセ(笑)も探してきました。
    昨夜ほぼ徹夜で仕事したご褒美をゲットした気分です。
    今日は、すなおさんを間近に感じながら、ピアノコンチェルト三昧の休日にしたいです。
    何だか、わくわく、どきどき。。。

  • >>2263

    すなおさん、おはようございます。
    ガスの復旧が叶って、何よりです。お知らせいただき、私まで肩の力が抜けてみたいに楽になりました。
    一安心は一安心なだけで、引き続きの大変さも伴うことは想像に難くありません。体調管理(特に寒暖差)など十二分によろしくお願いします。

    さて、愛の方程式 は私にもとても理解が楽ちんでした。すなおさんの英語の先生兼心の友?のフィリッピンのお方のお言葉にあるgrowthも愛のエレメントだと私も同感至極、さらにour growthへと解釈を拡げられた彼女の真意を汲もうとするすなおさんの彼女の考え方へのアプローチは私を十分に満足いく心地にしてくれます。

    全く無関係の関係ですが、今の職場では私は非常勤講師の立場で、居場所はもちろん、教室が職場の時間の90%以上を占め、休み時間は講師室に戻ります。三人で使っているこの空間古くて美しくはない、でも居心地のよさはなかなかのものです。
    今年現職を辞された国語の先生が、お話し好きで、最近は漱石の「こころ」と鴎外の「舞姫」談義で盛り上がっています
    私たち日本人の共通の暗い?部分、そしてその闇に如何に自分を溺れさせないか、国語の先生は心理学の達人のように思えることもあります。
    ほんのわずかの報酬ですが、私のような老兵にもいただけるうえに、行くたびに学びがあるなんて!
    この先生にgrowthの話もしてみたいです。

    早朝にテスト作成が終わり、模範解答、配点案、も作り、週が明けましたら印刷、実施へとスムーズにいけそうです。
    今日はごろごろ、寝不足を苦痛に思わず、楽しんで体を休めるつもりです。
    とりとめもなく、、、

  • >>2264

    第三楽章にはいると、もうそれは歓喜以外の何物でもない。人間の持つ至高の喜びなのである。この喜びは、モーツアルト自身が自分自身の心で勝ち取った喜びであり、あらゆる人間が勝ち取らなければならない喜びなのである。この前ではどんな障害もありえないと思えるほどである。しかし人間である。克服したはずの障害物も、また以前以上の力を持って人間を襲うのである。人生とはそんな繰り返しのようなものである。・・・

    「この喜びは、モーツアルト自身が自分自身の心で勝ち取った喜びであり、あらゆる人間が勝ち取らなければならない喜びなのである」という文章で表わされるモーツアルトの喜びが、私にも共有できるようです。

  • >>2263

    おはようございます、ハミングさん♪ ろーずみんとさん

    次の引用は、「モーツアルトピアノ協奏曲への誘い」という本の「ピアノ協奏曲23番」についての記述です。

    ・・・第一楽章は、流れて行く雲を見ながら人生を回想しているかのように曲ははじまる。時には喜びに走り、その喜びは天空を駆け巡る。そして、またあるときは哀しみに涙する。この楽章は、モーツアルトの人生そのものであるが、何よりも生きようとする力強い意志が貫かれている。この意志の前に、悲しみや寂しさは少しは顔を出しても、すぐに追いやられてしまう。第三楽章においてその喜びは、人生の至高へと舞いあがる。前作の第22番もそうであるが、この協奏曲も大自然の美しさを充分そなえながら、その中に、モーツアルトの人生が何の違和感もなしに表現されている。大自然の美しく表現できた作曲家は多い。しかしモーツアルトのように、自然そのものの心そのものを表わした作曲家は稀であると思う。

    第二楽章には、どうしても日本の風景画家に一人登場してもらわなければならない。それは東山魁夷画伯であり、その画集<白い馬の見える風景>である。その冒頭の文を引用してみる。「おだやかで、控え目がちな主題が、まず、ピアノの独奏で奏でられる。心の奥にゆらぐ影を、求め、訪ねてゆくような、低いモノローグが伝わって来る。深い底から立ち昇る嘆きとも、祈りとも感じられる・・・」。東山魁夷は、この言葉以上に、この画集で私たちの心にモーツアルトの心を伝えてくれる。画伯の自画像ともいえるこの画集には、色々な風景の中に、白い馬が淋しく控え目に画面に表われている。この白い馬は、この楽章のピアノ独奏そのものなのである。モーツアルトの心を、これほどまでにとらえた画家は、世界中のどこをさがしても見つけることは不可能である。
    ttps://blogs.yahoo.co.jp/wanchan1wan/38338693.html

  • >>2262

    更にフィリピンの英語の先生にも私の愛の言葉を読んでもらいました。彼女が言ったのは、growthというワードは植物が成長するときに使う言葉だということでした。しかし、私の当初の意味とは異なっても、植物の成長と同じならばより良いのではないかと思ったりしています。というのも私はあるところで次のように書いているからです。
    ・・・自然において、岩や石が風化していくなかで、草花はクリエイティブに成長していると考えられ、人の心身もクリエイティブに成長していると考えられる。このようなクリエイティブな心を強くもつことによって、死への恐れを緩和できる。・・・

    理系男子の私の愛の方程式は次です。
    (私が想う愛) = (聖書の愛) - (宗教色) + (岡本太郎など爆発の芸術)

    朝から愛のお話でした^ ^

  • >>2261

    おはようございます、ハミングさん♪ ろーずみんとさん

    今朝は曇りです。また梅雨空に戻ったようです。

    ろーずみんとさん、「愛するということ」を私も22年前に読みました。本を読み終えた年月日を記入するクセが私にはあります。印象深い部分をエンピツで囲むクセもあります。
    それによると次の部分が印象的だったようでそれは今も変わらないようです。
    ・・・愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。(p.190)・・・

    愛の名言で私が最も好きなのは、サン=テグジュペリの言葉です。
    ・・・愛とはお互い見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである・・・

    私も真似して愛の言葉を作ったことがあります。
    I pray for your growth and I hope that you pray for my growth.
    これをgoogle 翻訳すると次のようになりました。
    私はあなたの成長のために祈り、あなたが私の成長のために祈ることを願っています。

    独り善がりではいけないと思って、聖書の読後感を交換していたアメリカ女性に読んでもらいました。彼女の反応は以下です。
    ・・・Thank you for your impression of Philippians 1. …….We continue to hope that our love will abound more and more in knowledge and depth of insight. I also remember that we pray for the other's growth. Thank you.・・・
    we pray for the other's growth.というように、I pray から We pray へと変更されています。プロテスタント信者の彼女として、愛の矛先を第三者に変更したかったようにも感じました^ ^

  • >>2260

    すなおさん、眠りに就かれていることを願いつつ、
    エーリッヒ フロムの言葉に心寄せられました。「愛するということ」を繰り返し読んだ時期がかつての私にありました。
    以来、すっかり記憶の底に置いてけぼりにしていたこの方の考え方、聖書を「神の言葉」とみない、のくだりに目が釘付けになりました。
    もう少し考えを深めてみようと思いました。

    とりあえず、今を生きる(オーバーですが)ために、テスト作成に入ります。終わってベッドに入ったら考えるのを再開して、すると、案外よく眠れるか、との淡い期待も少なからず、、、

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