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幻想譚の愉しみ

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    taky88 11月18日 13:14

    四特質(冷、熱、湿、乾)によって薬草も分類されていた。

    例えば、スカンポの葉は冷、ニガヨモギ、カミツレの葉は熱、
    レタスやケシやドクニンジンの葉は湿、ローズマリーや
    サビナビャクシンの葉は乾という具合に。

    こうしたギリシャ以来の伝統的な医術に対して錬金術的医学は

    人気の点では今一歩だったけれども、その中に潜んでいた
    〔科学的〕な発想が次第に頭をもたげてくるようになって、
    近代医学の到来を告げるわけだが、錬金術的医学も
    心身の有機的調和を第一の狙いとした学知であったことを
    忘れてはならない。


    錬金術師が第五元素であるエーテルの存在を信じていたのは
    言うまでもない。

    エーテルを介して星辰の影響が地上の諸要素に伝播するのだが、
    人間の体質はこの天からの感化を受けると考えられた。

    感化する役は天の能動因であるスピリトが負うわけで、

    人間の体内では天体的物質(コルポ・アストラーレ)となって作用し、
    天界とのアナロジーをミクロコスモスである人体の中に有している。

    すなわち天体的物質は赤血球に固定されることによって
    生命的流体へと変化する。

    血は人体の基層として考えられている。

    天体的物質は脳を通って諸々の感覚器官へ浸透していく。

    浸透度が強いと無気力や失神を生み出す。

    部分的に浸透度が強まると、その部分に麻痺が生じる。

    病気は天体的物質の敗北とともに訪れると言われており、
    それには4つの要因が挙げられる。

    その1――天体的物質が物質的原因で冒された場合。

    例えば倒れてきた木にぶつかって重傷を負ったときには、
    傷口に生命力あふれるもの(香油など)をあてがう。

    香油は生命力があるとみなされており、
    その生命力を傷口に接ぎ木するわけである。

    これは魔術の原理の一つである共感作用に基づいており、
    天体的物質が自然的肉体(コルポ・フィジコ)の外的部分にも
    顕現し得ることを示している。

    ロジャー・ベーコンの、「人間は自分の(内なる)能力と力量を
    外部へと投ずることができる・・・人間(の内部)から熱と
    スピリトが分岐する」 という言葉は、天体的物質を外部へと
    引き出して、それで以って天体的物質自らが損傷を受けた部分を
    治すことで治療が成り立つことを物語っている。

  • つまり人体は硫黄、水銀、塩からなるのではなく、
    四元素(空気、火、土、水)から成り立つ。

    そして次のような、黄道十二宮の影響も加味された対応が見られる。

    ■ 空気――血液 ――多血質 ⇐ 白羊宮、金牛宮、双子宮

    ■ 水 ――黄胆汁――胆汁質 ⇐ 巨蟹宮、獅子宮、処女宮

    ■ 土 ――黒胆汁――憂鬱質 ⇐ 天秤宮、天蠍宮、人馬宮

    ■ 水 ――粘液 ――粘液質 ⇐ 磨羯宮、宝瓶宮、双魚宮

    またそれぞれは順に春、夏、秋、冬に相当し、人生に例えると
    各々、少年、青年、壮年、老年時代に該当する。

    多血質の人は、多血質が赤色で象徴されるように、
    筋骨たくましい筋肉質である。

    規則的な脈、ぬくもりがあって弾力的な皮膚、丈夫な胃、
    舌は乾くことがしばしばで、目は出目。

    重々しい歩調で歩く。

    人柄は親しみやすく愛想もよい。

    しかし風邪を引きやすく関節炎のタイプ。

    頭痛や歯痛を伴う。

    胆汁質の人は、胆汁質を象徴する色が黄色であるように、
    黄色みがかった皮膚をしており、熱く乾いている。

    肉質は硬くて水気に乏しい乾いた筋肉。

    脈は早く、消化力も強い。

    熱血漢だが、その分張り切りすぎて肝臓や腎臓疾患に陥りやすい。

    憂鬱質の人は、憂鬱室が黒色で象徴されるように、
    土色の皮膚をしている。

    皺だらけで乾いた肌である。

    脈は遅く耳は遠い。

    欠尿症で、食欲も気まぐれで規則性に欠ける。

    黙しがちで孤独癖がある。

    神経質で自殺しがちな面を見せる。

    粘液質の人は、粘液質を象徴する色が白色であるように、
    血の気のない皮膚をしている。

    肉質は柔らかく、肌は湿っている。

    遅くて弱々しい脈で、背丈は低い。

    口臭がひどく、唾液も多くて、頻尿。胃弱。

    貧血にかかりやすく、精神的には鈍くて、優柔不断な面があって、
    おまけに臆病とされている。

    ともあれこの体系に従えば、健康を維持していくためには
    生命精気(スピリト・ヴィタール)の病とのたゆまぬ戦いが
    必要である。

    遠くから働く病気の強力な原因として、
    もちろん星辰の感化が考えられる。

    治療は何よりもバランスを重んずることから、
    病の気質と正反対の気質のものを与えるのが肝要である。

  • 繰り返すまでもなく、硫黄は男性原理を象徴しており、
    能動因にしてかつ可燃性である。

    水銀は女性原理を象徴していて、
    受動因にしてかつ可塑性を有する。

    硫黄も水銀も、一貫性を生み出す中間因子である塩がないと
    溶けてしまう。

    塩は、硫黄と水銀の対立している間に
    人間が灰に帰してしまう時間を遅らせるものである。

    三元のうちの一つに欠陥が生じると死に至る。

    三元のうちのいずれかの原質の、
    いずれかの部分に欠陥が生じると、病気が引き起こされる。

    欠陥とは量的過剰や欠如、質的優劣を指している。

    ちなみに硫黄が過度の場合には種々な熱病が生じ、
    優劣があるときには発熱を引き起こすこともある。

    水銀は蒸留、昇華、沈澱によって損なわれる。

    蒸溜されると溶けて微細な水蒸気となって全身に沁み込んでいき、
    躁性、狂乱、癲癇を生じる。

    冷却すると液状に戻る。

    冷却が脳の中で起こると水銀は膿となり、
    肺の中での冷却は結核を招く。

    塩が引き鉄で沈殿が生じる場合、もしそれが肝臓の中で起こると、
    痛風、坐骨神経痛、関節炎、カタル、浮腫が生じ、
    脳の中だと卒中、四肢だと潰瘍、壊疽が誘発される。

    塩は病を生み出すものとされ、飲み込んだ食物の中や、
    器官の中に沈殿している食物の中から抽出される。

    結石、疝痛、リューマチ、丹毒、歯痛を引き起こす。

    三元の過剰や欠如は文字通り栄養による。

    量的にはすべてが正常である限り、
    食物の硫黄は器官の硫黄に向かって流れ込む。

    水銀も塩の場合も同様である。

    しかし興奮したり徹夜したり、
    節制の度が越してしまうときには平衡が破れて病を得る。

    こうした一連の体系化されたものに対する論理的治療方法は
    節制が第一であり、さらに硫黄、水銀、塩の
    相対的割合に則った薬草による治療もある。

    薬草では硫黄的なものは色で、水銀的、塩的なものは味で調べる。

    しかしパラケルススを中心とした、以上のような三元の体系を
    用いての治療の適用度は稀で、カルダーノなどが依拠した
    従来からの伝統的な治療(ヒポクラテスやガレノスを祖とする
    四元素、四体液、四気質のバランスによる治療)の方が
    衆目の賛同を集めていた。

  • 金属に関しては 「賢者の石」 の存在が大きいが、この変成を
    可能ならしめる因子が人間の病気の快癒とのアナロジーととして
    考えられるとき、それは人間を長寿へと至らしめる 「錬金薬
    (エリキシル)」 の名で呼ばれた。

    一部の錬金術師はこの霊薬を、最高級の医学的特性として考えた。

    西欧では 15 世紀において、
    金造りの霊薬から不老長寿の霊薬作りに関心が移行した。


    2.錬金術的医学

    第一章第 1 節でも述べたように、
    錬金術的医学はパラケルススを以って嚆矢とする。

    パラケルススは錬金術的な知識を医学に直接応用したとされる。

    言い換えれば、病気を治療するという立場から錬金術を
    捉え直したとも言えよう。

    そしてそこには、病原体を医薬によって退治しようとする医学観が
    窺われ、旧来の四体液説、四気質のバランス失調が疾病の原因で、
    バランスの回復が快癒であるという抽象的思考方法は見られない。

    しかしこれはあくまで結果論であって、パラケルスス自身が
    こうした 「近代」 的思考にどれほど意を留めていたかは
    論議を呼ぶところであって、性急な判断は慎むべきである。

    パラケルススには 『奇蹟の医書』 があって、5つの病因について
    詳細に叙されているが、今回はもっと大きな枠組みで、
    パラケルススも含めて、当時の医学に関心を寄せた術師たちが、
    人間の体質をどう見ていたかを考えることによって、
    病気との関わり合いを調べてみようと思う。

    R・アッレンディによると、錬金術では人間の体質を
    3つの角度から考察している。

    つまり、自然因、天体因、魂である。

    以下、アッレンディの説に拠りながら
    一つずつ辿っていくことにする。


    〈創世記〉の第一章 (2) に、「主なる神は、土(アダマ)の塵で
    人(アダム)を形づくり、その鼻に生命の息を吹き入れた。
    人はこうして生きる者となった」 とあることからも、人間は
    金属と同じように土から出来上がっており、したがって金属の
    原質である硫黄、水銀、塩の三元で形成されていると考えられた。

    土を根本として人間を金属とのアナロジーで捉えていることが判る。

    となると金属の病気を治すことは人間の病気を治すことであり、
    それは取りも直さず、金という絶対への移行が人間に不老不死の
    生命を与えることと同値となる。

  • 病気は自然の中に在り、人間も自然の中に在るのであって、
    ともに自然の中に在る同士の病気と人間は分離の状態ではない、
    共生しているのである。

    病気は未だ治療対象として客観視されていない、いや客観視
    しようにも、病気の何たるかがまだ不明確だったわけである。

    当時は依然としてヒポクラテスの臨床医学とガレノスの
    生理学的医学が医学の主流を占めていた時代である。

    四体液・四気質理論が幅を利かせていた。

    しかしこの二大権威を以ってしてもどうしても立ち向かえないのが、
    梅毒とペストであったと言われている。

    注射とか薬とかがない時代、細菌説も確立されていなかった時代に
    生きた人々の難儀のほどは想像に難くないが、殆どの人が
    カルダーノのように、自然に在る病気と健康との共生
    (有機的調和)を信じて疑っていなかったと言えよう。

    しかしだからといって、病気のなされるがままになって、
    ただ死を待つ生活を送るのを誰が望んだであろうか。

    カルダーノのような達観した境地に皆が皆、至り得たのだろうか。

    生――とりわけ長寿への希求は強かったのではなかろうか。

    古今東西この欲求は人間にとって根源的だと思われる。

    人々はなんとかして長きに渡る生を得んとした。

    つまりいつも健康体であり続け、願わくば完全なる生を
    我が物にしようとしたのではあるまいか。

    第一章でも述べたように、古来人々は金の持つ金属的な安定度の
    高さを完璧性(十全性)になぞらえて、金の中に十全たる物質
    (絶対性)を見出した。

    そして言うまでもなく卑金属を完全なる金へと導こうとした術が
    錬金術であり、それが精神や魂や心といった術師の内的営為と
    照応の関係となって、筆者はそれに錬心術の名を与えた。

    ならば、ここに生ずる完全への希求である上昇のイメージは、
    他の分野との類比関係でも捉えることができるであろう。

    例えば肉体でいえば、病者を健康体(その最たるものが不老長寿)
    へと至らしめること、社会で考えれば、理想的ユートピア社会を
    作り上げること、宗教では至福千年王国の世への移行という
    具合である。

    この中ではやはり肉体の健康について早い時期から関心が持たれた。

  • 例えば (1) の中では、極めてルネサンス的叙述だと思われるが、
    次のような条(くだり)がある。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    歯は歯槽膿漏で 1563 年から、初めは 1 本か 2 本だけだったが、
    後に数本ずつ順番に失い始めた。

    いま 14 あって 1 本が虫歯である。

    しかしこの 1 本は治療技術が良かったので長持ちするであろう。

    ・・・加えて 1536 年(誰が信じるであろうか)
    尿の大量排出症にかかった。

    しかもすごい量だた。

    ほとんど 40 年の間私は同じ病を患い、1 日 60 オンス
    (約 180cc)から 100 オンス(約 300cc)までおしっこが出た。

    それでも私は生きており、憔悴もしていない。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    ルネサンス的と書いたのは、具体的な数字をきちんと掲げて
    叙述の輪郭を明確に出していることで、
    事物を客観的に見据える目が行き届いている。

    また多分、自己顕示的で、自我を打ち出そうとする気持ちが
    強く感じられるからでもある。

    (2) では筆頭にペストが挙げられ、他に三日熱や日々熱などの
    熱病が語られる。

    (3) では 「安ワインを飲んで、尿が出なくなる病気」 にかかって、
    「松脂(まつやに)をのみ、うまく治療した」 り、
    苦痛が体内に生じていないときには、苦痛の原因を求めて
    捜し回ったりした、一風変わった自分の習慣について述べてもいる。

    そして最後のまとめとして、次のような言葉で締めくくっている。

    ――――――――――――――――――――――――――――
    自然は多量の病気を抱えているものである。

    私は今述べた病気を、治療に期待せず何ら処置も施さないで、
    自然に任せて治した。
    ――――――――――――――――――――――――――――

    第 6 章は興味本位に読めば、1500 年代の病弱な一知識人
    (医師)の珍奇な病状披露であるが、これらの病気に対して
    カルダーノの取った処置は、現代医療では到底想像も
    及ばないほどお粗末なものである。

    というようりも 「自然に任せて治した」 と書いていることから、
    もともと治療と呼ぶ治療など存在しなかったかもしれない。

  • ユングはさらにこう述べている。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    自分たちが関与している過程は、本当のところは〔体験によって
    しか把握できないような〕、そして〔知力はただ名前を与える
    ことしたできないような〕、そういう形成過程なのだという
    〔感情〕、これが錬成術師たちをして、彼らの仕事を
    「術」 と呼ばしめたものであった。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    〔 〕、傍点は著者による。

    ここには近代科学の普遍性に対する個人的経験の尊重があり、
    また知力というものの曖昧さが表出されていて、
    それが 「感情」 という言葉で受け止められている。

    人間臭さが 「術」 の言葉を引き出してきたと言えようか。


    第三章 完全なる生

    1.自然と病気

    三次方程式の解法を曲がりなりにも導いたことで有名な数学者
    ジェロラモ・カルダーノ(1501-1576)なる人物がいる。

    この人物も他のルネサンス期の巨匠たちと同様に
    百科全書的人間で、様々な知の領域で野心的な探求を試みたが、
    最も核となる研究分野は医学であった。

    彼は内科医として当時、その名声はヨーロッパの大陸のみならず
    イギリスにまでも及んでいた。

    内科医は、理髪師を前身とする外科医よりも社会的地位が高く、
    カルダーノもミラノ医師会長などの重責を果たして
    大いに活躍した。

    このカルダーノは一篇の自伝を遺してくれている。

    イタリア三大自伝の一つに数えられる当書は、独特な構成と
    明快で率直な筆致で、近代社会のモラルや近代文学に与えた
    影響も大きい(邦訳 『カルダーノ自伝』、『わが人生の書』)。

    その第 6 章は 「健康について」 と題されていて、
    75 歳で死去するその年に完成を見た本書で生涯を振り返った
    カルダーノが、医者として自らの健康を分析した
    ユニークな章である。

    彼は実験や観察による近代科学的な目を持った、当時としては
    傑出した人物であって、第 6 章もそうした分析的な眼差しで
    明晰に記されている。

    生来病弱だった彼は、
    生涯にわたって三種類の病気に悩まされたという。

    (1) 生まれついてのもの
    (2) 周囲の環境に由来するもの
    (3) 自分の体の病状からくるもの
    であって、それぞれ具体例が挙げられている。

  • 錬成術の場合、作業(投影)に関して注目すべきことは、
    精神の浄化を旨としていても、必ず物質(金属)が関わって
    くることで、ここら辺が祈りは祈りでも、物質性の介在しない
    キリスト教とは根本的に異なってくる。

    したがって、救済という観点から見てみると、キリスト教的救済と
    錬成術的救済とでは興味深い相違が生じてくる。

    キリスト教の発想では、「人間は救済されるべき者」 であり、
    「救済される必要があるのは自分自身だと考え、救済の仕事、
    すなわち本来の難業ないし 『作業』 は、自律的な神的形象に
    委ねる」。

    一方、錬成術師の発想は、「人間は救済する者」 であって、
    自分が救済作業実行の義務を負い、「物質の中に囚われている」
    悩める 「宇宙の魂」 を救済せんとする。

    物質の中には救済を待っている神の魂が存在するわけで、
    術師にとっての第一の救済の対象は人間ではなくて、
    物質の中に潜在している神性で、その次に自分自身が来る。

    錬成術師の関心は 「神の恩寵による自己救済」 でなくて、
    「物質の闇からの神の救済」 であり、このためにこそ作業がある。

    むろん錬成術師が作業に臨むのは自己実現、自己救済のためであるが、
    自己救済がうまくいくかどうかは作業の成功次第であること、
    つまり物質の中の神性を救済できたかどうかの一点によるわけである。

    「救済されなくてはならないのは、人間ではなくて物質」 なのである。

    このために術師は瞑想し、断食し、祈祷する。

    錬成術師は自分自身の救済はさておいて、〔物質を救済する〕。

    それは具体的には〔物質を完全(金)に至らしめること〕で、
    術者自身が神たる救済者、神の如き完徳者となって、
    救済を必要としている〔(物質の中の)神を救う〕わけである。

    まとめてみると、キリスト教の勤め(オプス)とは、
    「救いを求める者が救いをもたらす神を称えて行う」 もの
    (神への奉仕、供犠)である。

    一方、錬成術の作業(オプス)は、「物質の中にまどろみ、
    救いを待望している神的な宇宙の魂のために救いを
    もたらそうとする人間の努力」 なのである。

  • 円が統一を表わし、正方形が4つの要素を表す。

    四は、蒸溜や昇華によって全一なるもの(円)へと至る。

    蒸溜は言うまでもなく上昇と下降の循環形式をとり、
    ここに 「輪」 のイメージが抽出される。

    それは上昇して下降する鳥(ひとたび立ち昇った蒸気の沈降)
    で表現され、輪の回転による上昇と下降は人間の神への上昇と、
    神の人間への下降を象徴している。

    蒸溜(循環過程)の繰り返しによって、魂もしくは精神は
    最高に純粋な形態において抽出されると考えられた。

    そしてユングは 「蒸溜過程を通じて最終的に得られるのは、
     原則として精髄 quinta essentia と呼ばれたが、
     これは錬金術師たちが常に求めながら一度として
     蒸溜に成功することのなかった 『全一なるもの』 の
     唯一の名称では決してなかった。

     錬金術師の言に従えば、『全一なるもの』 は、『第一質料』 と
     同じく 『千の名前』 を持っている」 と記している。

    ところで金属を卑金属から貴金属へと変質させる作業を
    「投影」 と呼ぶが、ユングはこれを心理学的に見事に捉え直して、
    物質と人間の深層心理の照応として考え、さらに神の救済という
    観点から極めて示唆に富む議論を展開する。

    順を追って見ていきたいと思う。

    まずは錬金術師たちにとって未知なる物質の性質は暗示の形でしか
    判らないので、その探求をせんとして、「物質の未知の闇を
    照らし出すために自らの無意識をその未知の闇に投影した」。

    ユングによれば、錬金術の根源は哲学的諸洞察でなく、
    術師の投影体験の内に求められるべきだとする。

    術師たちは化学実験を行っている間は、ある種の心的体験を
    するのだが、本人にとってはそれが化学過程の特殊状態の一つ
    としてしか映らない。

    しかしそこで得た心的体験は本当は投影を宿している。

    術師は 「自己の投影を物質の特性として」 錯覚体験するわけだが、
    「実際に彼が体験したものは彼の無意識」 なのである。

    もとより術師たちの作業(投影)に対する関心は、
    作業の化学的側面(常に処方において曖昧模糊さがつきまとう)
    もさることながら、自らの心的変容過程の諸相を言葉や名称で
    表現するために利用した。

  • 図の奥の開いた扉とアーチ形の門の間に部屋が一つあって、
    光に満ちている。

    その門柱のすぐ上、聖職者祈祷席を支えている床の壁の文字は、
    domiens viglia(不寝)と読める。

    作業場に目を転じてみよう。

    煙突を支える破風には、Sapientia late (?) tatum sucedet
    aliquando と彫られていまいか。

    これはおそらく、「叡智だけが完全へと導く作業活動に通じ得る」
    の意味だと思われるのだが。

    竃から煙が出ているところから、作業中なのであろう。

    柱の台石には Experintia(経験)と刻まれている。

    作業状の外、図の右前面に3つの容器がある。

    蒸解用ストーブ、料理用ストーブ、蒸留器である。

    レトルトには spiritio と書かれている。

    このことは、3つを使っての作業は十分な光の中で行われるべきこと、
    他の作業は影の中でされるべきであることを示している。

    事実、作業場は影の中にある。

    要するに、真の作業は作業場の中でなく小礼拝堂の中で行われると
    見てよいであろう。

    祈ることで神の息に触れた種子を得る。

    この種子――イデアは創造力の裡にあって精神界へと解き放たれる。

    この後、形相は手で触れる物体の中に質料となって顕現する。

    最後に Musica sancta という言葉が、自然の力を引き立てる。

    と、自然は委ねられた種子によって要求された作業を、
    完全へと遂行しようとする。

    Musica sancta は天界の音楽である。

    天体の調和と一致する必要があり、このためには天界を知ること、
    占星術の習得が必要なのである。

    それは天上的な叡智を知悉することでもある。

    「叡智への第一歩は〈至高〉を畏怖することであり、
     その第二は自然を知ることであり、
     自然を介して創造主を知るに至るのである」(ペルヌティ)。


    これまで三原理、四元素と、三と四という数字がよく出てきたが、
    ユングは 「円積法」 なる言葉を用いて、三と四を錬金術の
    象徴表現に数えている。

    「万物は三にしてはただあるのみなり。
     四にして初めて幸福を得るなり」 なのである。

    円積法によって初めカオスの状態にある統一を一旦四元素に
    分解し、これら4つの要素を組み合わせることで、
    再び高次の統一を作り出す。

  • まず全体の図が 「円」 であることが肝要である。

    円は完全なる形であり、それは完全数十
    (ピュタゴラスの聖なる数)を意味している。

    図の中心(奥)の扉は開いており、エジプト第四王朝の王
    キーオプス(前 30 世紀)の大ピラミッドと同じで北向きである。

    したがって祈りのテントは東向き、作業場(実験場)は西向き
    であり、差し込んでくる光とそれによって出来上がる影から
    朝であることが判る。

    テントの前で跪いているのは著者クンラート自身で、
    錬心・錬金のお勤めは毎日、朝の祈祷で始まるわけである。

    テント(小礼拝堂)の中、上方にはランプが下がっているが、
    この光は〈自然の光〉で火と塩で作られており、作業場内で
    使われると、硫黄をその重さのまま維持して卑金属を灰(酸化物)
    にする際に、焦がし放しにはしない光である。

    カルツーシュ(巻軸装飾)には 「光なくて神と語れぬべし」
    と書かれている。

    火と塩なくしてお勤めはできない、ということである。

    テント内の机の上には、2冊の本が開いたまま置かれている。

    一冊にはソロモンの印章が窺える。

    おそらく香も焚かれているのではあるまいか。

    机の下のアーチには morte(死)の文字が読み取れ、アーチの下の、
    見えにくいが、砂時計と頭蓋骨とに関連していると思われる。

    室内の中央の梁(テーブルの真上)には sine afflatus divino nemo
    「神の気息なしで」 と彫られていて、梁には星の形をした(七つの
    光線を発する)ランプを支える渦巻きが刻まれている。

    七芒星の下にランプが吊るされている。

    ランプの燃料は不燃性の油のはず。

    というのももし燃料としての油ならば、
    どこかに梯子が必要だからである。

    このランプは椅子の真上にある。

    これは椅子に座った術者が、書く作業をしながら思索できることを
    表現している。

    テーブルの上には4つの楽器が見えるが、すべて弦楽器で
    吹奏楽器は一つもない。

    これは弦の本数に重点を置くことでピュタゴラスと関連付けている。

    楽器の数が4つということは四元素を暗示しているのは
    言うまでもない。

    テーブルの前面には Musia sancta ・・・(聖なる音楽・・・)
    と読める。

    その他、呼び鈴や分銅の乗った天秤がテーブルの上にある。

    幻想譚の愉しみ まず全体の図が 「円」 であることが肝要である。  円は完全なる形であり、それは完全数十 (ピュタゴ

  • 諸元素を分離した後、それらは精製されて効力が減少する。

    元素を抽出する方法は、自然の事物の多様さに従って多岐にわたる。

    石灰化するものもあれば、昇華するものもあり、
    蒸留するものもある。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    傍点部は四元素がやはり実際の土、水、空気、火を指すのではなく、
    あくまである種の態であること、想像上のものであることを
    述べている。

    具体的に草の中の諸元素の分離を見てみよう。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    草の中には支配的な元素が常に一つある。

    サルビアの葉を取ってつぶして、動物の排泄物で柔らかくし、
    蒸留する。

    色が変化するまで、まず火が上昇する。

    次に水、さらに土の一部。

    他は揮発性でなく固着しているので、底に残ったままである。

    6日間水を日向に置いて、鉱泉の中に置く。

    水が最初に上昇して色が変わる。

    次に味が変わるまで火が上昇する。

    最後に、土の一部と空気と混合している他のものが底に残る。

    水生植物では空気が最初に上昇し、次が水と火である。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    最後に、「還元」 とは、金属の魂をその肉体に戻すことである。

    このような工程を経て、卑金属が貴金属に変質していくと
    されるのだが、以上の〔化学的〕準備ばかりでなく、自然的、
    占星術的感化をも考慮して、正しい色を連続して出し、
    さらに適当な(弦による)音楽も伴った上で、心からの祈りが
    加わって初めて、作業は完遂されるわけである。

    つまり自然に任せておくと長時間かかるものを、
    技(アルス)で以ってより短時間で行う。

    大作業は自然の法則に倣っての作業ではもちろんあるが、
    単に自然を真似るのではなく、ある秘密の手法によって
    強化されるわけである。

    なおかつ、こうした種々の工程は精神や魂の浄化過程と
    象徴的に連関しているわけである。


    ここでパラケルススの高弟であるハインリッヒ・クンラート
    (1560-1605)が 『永遠の知恵の円形劇場』(1609 年)で
    紹介している、理想的な工房を示してみよう。

    図を読み解きながら祈りと労働の合一性を探ってみたい。

  • さらに同章には、「薄くて微細なスピリトは(蒸溜器の)長くて
    狭い通路を通って、それが純化されるに至るまで高められなければ
    ならない」 とあって、〈根本的湿気〉の純化がスピリトの純化を
    指していることが書かれている。

    次に 「昇華」 とは、あらゆる混合物の〈根本的湿気〉を
    雪のような塩とすることであり、昇華の繰り返しは、
    第五元素を生み出すと想定された。

    「結合」 とは、不揮発性と揮発性を一つにすることと考えられた。

    「固定」 とは、結合によって得られた産物は昇華によって
    純化されねばならないが、その後に穏やかなとろ火で行われる
    作用を指して言う。

    「蒸解」 とは、蒸れて柔らかくなる一過程だが、混合物を
    完全へと至らしめる準備段階の作業全般を示すとの考えもあって、
    腐敗、溶解、蒸留、昇華などを含めた全般的な名称ともされる。

    「分離」 とは、純粋なものを不純なものから分けることで、
    固体性を保持することである。

    この根本には、錬金術とは 「自然が種々な領域で明示する個体を
    保持する目的で、あらゆる混合物の中の純粋体を、不純と異質性を
    伴ったすべてのものから分けること」(ル・ブレトン)の原則が
    見えている。

    『自然魔術』 第 10 巻に 「諸元素の分離」 と題される章
    (第 21 章)がある。

    傍点部(〔…〕)に注意して読んで欲しい。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    あらゆる複合物には四元素がある。

    しかし大抵その中の一元素が支配的で、他は効力なくくすんでいる。

    かくて私たちが複合物から諸元素を分離するということは、
    支配的な一元素を分けることを意味している。

    睡蓮では水が主要である。

    空気も土も火も含まれているけれども、その割合は小さい。

    少量の熱と乾も含まれているが、水に圧倒されてしまっている。

    同様の事柄が他の事物においても理解されなければならない。

    しかし諸元素の分離ということで私たちが意図していることは、
    水から空気とか、火と土から水とかいった、絶対的な分離を
    言っているのではないことで、〔他より熱なるものを火と呼んだり、
    湿なるものを水と呼んだりする、ある種の類似によることである。

    石は土の気を帯びており、木は火の気で、草は水の気を帯びている。〕

    ・・・・・・

  • ゲブロによれば蒸溜には三種類ある。

    上昇、下降、そして濾過である。

    だが私は、濾過は到底蒸溜の一種ではないと言わざるをえない。

    上昇、下降、両者の中間である傾斜が蒸溜にとって極めて必要である。

    例えばあるものが思うように上昇しないとき、
    器を傾けることによって徐々にこれを上昇させるように
    私たちは指導する。

    つまりそのものが希薄になるまで、少しずつ上昇させて
    上昇の方法を学ぶのである。


    〈方法〉

    蒸溜を教授する方法は以下の通りである。

    第一に、先端がピラミッドや梨のようで腹部が膨らんでいる、
    ガラスか真鍮の器具を用意して、帽子のような器の下に、
    その器具の首が上の器の腹部に入るようにして置く。

    嘴の役目を果たさなければならないパイプが、被せている器と
    下の器具の間を通っていなければならず、嘴の下には収水器と
    呼ばれる、蒸溜水を受け入れる別の容器を設置すべきである。

    蒸溜された気体が逃げていかないために、通気孔すべてを
    藁のモルタルあるいはリンネルのボロで塞ぐ。

    蒸溜器の下に火を置くと、火の熱で密閉された物質が溶けて
    露状の蒸気になって上昇する。

    そこで冷やされて容器に附着し、冷気によって濃縮されて
    小さな泡に膨らんで容器の内側を濡らす。

    そして湿った真珠に凝縮し水滴となって滴り落ちて水となる。

    パイプと管首を通って収水器へと運ばれる。

    さて蒸溜器と収水器は、蒸溜されるべき事物の本性に従って
    考慮されなければならない。

    例えばそれがガスを生じさせる蒸気状の本性のものならば、
    大きくて低めの器具と容積の大きい収水器が必要である。

    というのはガスを多量に発生する物質が加熱されていくと、
    狭い器の中で圧縮されてしまうガスは通気孔を他に求める結果、
    器具をバラバラに壊してしまうからである。

    したがって余裕のある大きさであることが、
    被害を小さくすることになる。

    また熱があって薄いものを蒸留する場合には、
    細長い首の容器を用いるべきである。

    中庸の性質のものには、大きさも中位の器が必要である。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

  • 金属の燃焼で産した金属灰の重量が元の金属の重量よりも
    大きい事実も古くから知られていた。

    この灰は結局酸化物のことである。

    現代では加熱保持の一種とされ、加熱によって揮発成分
    (水あるいは二酸化炭素など)が飛散して分解する場合を指す。

    「腐敗」 とは、端的に言って金属の死を意味するが、
    円環・循環の原理に則って、それは即ち再生をも表現している。

    具体的には、自然の火あるいは人工の火の助けを得て、
    その内に不純で異質なものを宿しながらも純粋で同質の因子の
    自然的自発的発酵によって、〈根本的湿気(ウミド・ラディカーレ)〉
    (金属的状態を生み出す原理)を浄化すること、とされる。

    また腐敗は発酵とほぼ同義でもある。

    パンと、パンを作る酵母菌の関係は、金と、金の発酵体(種子)の
    関係であり、ここに、錬金術に自然の生気論が原理として
    働いていることが分かる。

    さらに技(アルス)の助けを借りずに自然のみで行われる腐敗は、
    完全には純化しない。

    なぜなら腐敗が行われるおり、外の空気が障害となるからである。

    しかし閉じた容器の中で行われる人工的腐敗は
    完全へと至ると考えられた。

    「溶解」 とは、固定と揮発の結合と、極めてゆっくりの
    外部の熱の連続した加熱とでなされる。

    溶解によって固定される物質は(煆焼によって得た)灰(酸化物)
    の中に隠されており、溶解せねばならない揮発性の物質は
    水の中に潜んでいる、とされる。

    「蒸溜」 とは、溶解した〈根本的湿気〉の純化で、
    上昇と下降の二つに分かたれる。

    蒸溜された水は二つの原因子から成っている。

    〈根本的湿気〉であり、その中で自然の熱が固定され永久化され、
    それに天のスピリトが簡単に結合する、とされる。

    蒸溜についてはデッラ・ポルタ 『自然魔術』 の中に詳述されている。

    第 10 巻第 1 章 「蒸溜とは何か、その種類について」 には
    定義と方法が記されていて興味深い。

    少し長くなるが味読して欲しい。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    〈定義〉

    ゲブロは蒸溜をこう定義している。

    蒸溜とは、蒸留のための器具の中の湿った蒸気を高所へ
    上昇させることである、と。

    しかしこれに対して私たちは、他の箇所で真実の定義を
    言明するつもりである。

  •  かくて我は世界霊魂(叡智)の三部分を備うるが故に、
     ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれたり。

     太陽の働きにかけて、我は述べしことに欠く所なし」

    「賢者の石」 を見出すことは絶対的な存在の発見であり、
    誤謬を許さないもの、気化しやすいものの定着、
    存在の必然そのものといった、いわば〈存在するところのもの〉
    の発見ということになるのではあるまいか。


    「賢者の石」 が得られると、次に 「石」 を触媒として
    金属の変成が開始される。

    しかし 「賢者の石」 などどんなに贔屓目に見てもできるはずが
    ないので、変成には天然の金や銀が用いられることが多い。

    卑金属を貴金属に変えるための作業は 「投影」 と呼ばれ、
    変成(変質)そのものは 「着色」 と呼ばれた。

    〈黒化〉〈白化〉〈赤化>の例を持ち出すまでもなく、
    錬金術師は一般的に、色の変化に執着した。

    色では、この3色の他に、鮮黄色があって、黒、白、鮮黄、赤の
    4つが本来的には連続して生じたのだが、いつのまにか鮮黄色が
    抜け落ちて黒、白、赤の3色となった。

    もとより4色は四元素と四体液(黒胆汁、粘液、黄胆汁、血液)に
    対応した。

    黒色――土――黒胆汁、白色――水――粘液、
    鮮黄色――空気――黄胆汁、赤色――火――血液、である。

    変成の作業方法はまず、密閉した 「ヘルメスの壺」 の中で、
    天体の動きを勘考しながら、物質を加熱する。

    「賢者の石」 の効果は 「増殖」 と呼ばれる過程の中で
    大いに高められると想像された。

    加熱された 「ヘルメスの壺」 の中で何が生じているかは、
    7段階(パラケルスス)に分ける人もいれば、
    12段階(リプリ)に分ける人もいる。

    これについては天体や縦帯との関連で前述したが、
    主な段階を今一度挙げてみよう。

    「煆焼」「腐敗」「溶解」「蒸溜」「昇華」「結合」「固定」
    「蒸解」「分離」「発酵」「還元」 それに 「投影」「着色」
    「増殖」 などである。

    主なものを説明していこう。

    「煆焼」 とは、金属を熱したとき燃焼ほど激しい変化を起こさずに、
    金属光沢を失って金属灰を生ずるが、このような緩やかな変化を指す。

    例えば、硫黄は激しく燃えるが、錫とか鉛とかを空気中で熱すると、
    その光沢が失われて金属灰を生ずる。

  • 両者は最後に相手を殺してしまうと、自分の毒の中で煮られるが、
    この毒が両者を死後に生命と永遠の水の中で変容させる。

    だが、その時が来るまでに両者はその分解と腐敗の中で
    本来の自然の形姿を失い、ここに独自の新しい、より高貴な、
    以前に比べて遥かに良質な形態を帯びることになるのである」
    (ニコラス・フラメル)。

    この段階での加熱温度は当然のことながら、孵卵の第一段階、
    つまり雌鳥が巣ごもり状態で卵を抱いているときの温度である。

    次の〈黒化〉の段階は「孵卵」《死体》《骸骨》《カラス》で
    象徴される。

    宇宙の蛇ウロボロスで見たように生と死とは円環しており、
    腐敗は再生の契機でもある。

    〈黒化〉においてあらゆるものが腐敗し、
    相対立する種々のものが液体状の黒化の中で溶解する。

    しかしこれは再生をも表わしており、ここで出る蒸気が、
    そこに揮発性の液体の存在を示すこととなる。

    この金属性の液体こそ道士メルクリウス(水銀)を表している。

    続けて加熱していくと、「孔雀の尾」 を拡げたときのような
    虹色が出現してき、術師は自分が正しい工程(道)を
    歩んでいることを確信する。

    ここまでの段階において、先の金属性の液体は煮沸、
    消化されて不燃性の硫黄となり、
    同時に〈白化〉の工程《白鳥》が完成される。

    次に硫黄と水銀は再結合して、〈赤化〉《不死鳥》が終了する。

    「哲学の卵」 の中には〈万物の始源にして終焉〉の物質
    アゾトである 「赤い石」 が出来ているはずで、卵を割って
    それを取り出し、溶けた金と今一度発酵させて、
    完全なる 「賢者の石」 を得ることになる。

    以上が 「賢者の石」 を得るための大作業のあらましであるが、
    一連のこの作業は 「エメラルド板」 に従ってなされていることに
    気づくべきであろう。

    つまり、「そは万象における完全なる父なり。

     その力は大地の上に限りなし。

     汝は、火と大地を、精と粗を、静かに巧みに分離すべし。

     そは大地より天に昇り、たちまち降りて、優と劣の力を取り集む。

     かくて汝は全世界の栄光を己がものとして、闇はすべて汝より
     離れ去らん。

     そは万物のうちの最強者なり。

     すべての精に勝ち、全物体に滲透するが故に。

     かく、世界は創造せられたり。

     かくの如きが、示されし驚異の変容の源なり。

  • 「哲学の卵」 はアタノールと呼ばれる大竈の上に載せられて、
    加熱される。

    「哲学の卵」 は 「ヘルメスの壺」「哲学の壺」 とも呼ばれており、
    壺の形は卵よりも梨に似ているが、梨には意味がなく、
    卵と命名されたのはそれが創造や多産の象徴を可能にするからで、
    壺は孵卵器なのである。

    ということは時間が重要な要素ともなる。

    つまり大作業実施中は占星術的影響に注意が払われなければならない。

    地上の作業は天体の運動と調和を保っているのは言うまでもない。

    一説によると大作業は、太陽が射手座、月が牡羊座のときに開始され、
    獅子座で太陽と月の合の感化の下で続行されなければならない。

    「哲学の卵」 の加熱に使用されるアタノールは atanor と書くが、
    このアナグラム aor + nat は 「自然の光」 を意味しており、
    術師が祈りを捧げる小礼拝堂(後出)の中にある火と塩で
    作られた光のことである。

    つまりいつまでも灯っている光、いつまでも消えない火を
    表わしていて、それゆえ術師が世俗の普通の竃に
    アタノールの名を与えるのは、それが不死で消えない火を、
    同じ温度で維持できるからである。

    「錬金作業中は、火を消してはならない」 との鉄則があるが、
    アタノールにおいて初めてそれが実現可能となるわけである。

    ここからアタノールが哲学的、倫理的意味合いを帯びていることが
    判り、同時に精(濃密なるもの)から粗(希薄なるもの)を、
    気体的なものから固体的なものを分かつのに役立つ
    化学的器具でもある。

    さて、加熱の段階は次の4段階を経てなされる。

    〈哲学的結婚〉〈黒(色)化・ニグレド化〉
    〈白(色)化・アルベド化〉〈赤(色)化・ルベド化〉 である。

    点火と同時に本来の意味での 「大作業」 が始まる。

    〈哲学的結婚〉では、原理である硫黄と水銀の 「両者
    (アヴィケンナはこれをコラッサンの雌犬とアルメニアの
    ブルドッグとまで呼んでいる)は、・・・墓の容器の中に
    一緒に入れられると互いにむごたらしく噛みつき合い、
    その猛毒性と野蛮な激情にまみれつつ、その有毒の涎と
    致命的な傷のために全身血まみれになるまでの(冷気が入って
    その妨げとならない限りは)凄まじいつかみ合いを演じる
    その瞬間から、絶対に離れ離れにはならない。

    幻想譚の愉しみ 「哲学の卵」 はアタノールと呼ばれる大竈の上に載せられて、 加熱される。  「哲学の卵」 は 「ヘル

  • 先にレヴィの言葉を引いて、「賢者の石」 が 「人間の思慮が
    良心的な探求と謙虚な疑問に対して保証する真の確実性」 だと
    述べたが、結局、「賢者の石」 とは物質の構成と
    人間の精神的な再生(あるいは人生の秘訣の発見)についての
    何らかの理論を結ぶ糧として在るのではないかと考えられる。

    「賢者の石」 を準備するという大作業を無事に成し遂げることは、
    錬金術師にとっては目のくらむばかりの最終目標と
    なり得たであろう。

    錬心的傾向の強い錬金術師にとっては、作業は完全を目指す
    不完全な人間の努力と映ったであろうし、欲得ずくの錬金術師には、
    富の獲得と同義であったと思われる。


    「賢者の石」 を得んとする大作業を極めて簡潔に表現すると、
    金属の原理(硫黄と水銀)の抽出と結合である。

    つまり原理の抽出段階と、原理の結合段階の二段階に大きく別れ、
    最終段階として 「賢者の石」 の産出に至る、都合三段階である。

    以下、具体的に見ていこう
    (《 》の記号はその過程での象徴である)。

    【原理の抽出】

    まず、「賢者の石」 のもととなる材料(第一質料)を
    見つける必要がある。

    これは動物でも植物でも鉱物でも可能だと建前上はなっている
    けれども、普通は金《太陽》と銀《月》を用いて、金と銀から
    純粋な種子――硫黄《男》と水銀《女》――を抽出せんとする。

    その際、金と銀との純化《風呂》が少なくとも三回は行われる。

    金の純化には触媒としてアンチモン、銀の純化には鉛が用いられる。

    ただし天然の金の場合はそのまま使用してもよい。

    純化の過程は、はじめに金・銀を溶解して塩を得、
    その塩を結晶化して加熱後分解する。

    残留物は再度酸《緑の獅子》によって溶かされる。

    そして最後に得られるのが錬金作業の直接材料で、
    液状の溶剤(メンスルゥム)で象徴される。

    この液の中には硫黄《王》と水銀《王妃》が抽出されており、
    次に両者の結合が行われる。

    【原理の結合】

    結合は、「哲学の卵」《墓》の中でなされる。

    塩《司祭》を仲介として硫黄《男》と水銀《女》の
    哲学的結婚《両性具有神》が開始される。

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