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幻想譚の愉しみ

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    taky88 10月16日 12:57

    繰り返すが、三次元宇宙が 「平坦」 だというとき、
    それは二次元のパンケーキのように平べったいのではなく、
    誰もが直感的に想い描く三次元空間そのものである。

    平坦な宇宙では、光線はまっすぐに進む。

    しかし曲がった三次元空間は遥かにイメージしにくい。

    光線は基礎となる空間の曲率をなぞるように進むので、
    曲がった三次元空間では、光線は真っ直ぐには進まない。


    次にターナーとわたしは、宇宙についてそれまでに得られていた
    あらゆるデータが、宇宙が平坦であることと矛盾しないためには、
    宇宙の全エネルギーの 30% ほどが、観測によれば銀河や銀河団の
    周辺に存在しているらしき 「暗黒物質」 に含まれ、
    更に奇妙なことには、残る 70% は、物質ではなく空っぽの空間
    そのものに含まれているはずだと主張したのである。

    そんな主張は、どこからどう見ても馬鹿げていた。

    宇宙定数の値がわれわれの主張と矛盾しないためには、
    前章で説明した推定値よりも 120 桁も小さく、
    しかもゼロではない値を持たなければならない。

    自然界の既知の物理量の中で、これほど厳しい制約が課されたものは、
    いまだかつてなかっただろう。

    いったいどうすれば宇宙定数がそんな値に調節できるものやら、
    まるで見当もつかなかったのである。

    それもあって、平坦な宇宙が抱える困難について、
    あちこちの大学で講演をしたときも、わたしが聴衆から
    引き出すことができたのは、曖昧な微笑ぐらいのものだった。

    われわれの提案を真面目に受け止めた人は多くなかったろうし、
    ターナーとわたし自身、真面目に考えていたのかどうかも
    実は確信がない。

    そんな論文をあえて発表したのは、当時ターナーとわたしだけでなく、
    世界のあちこちで数名の理論家たちが気付き始めていたことを
    明確に示すためだった。

    その頃標準的とされていた宇宙像は、何かがおかしかったのである。

    その標準的宇宙像によれば、今日の宇宙を平坦にするために、
    一般相対性理論から必要とされるエネルギーの大半は、
    エキゾチックな暗黒物質として存在することになっていた
    (その暗黒物質に混じって、わずかなバリオン、つまり
    われわれ地球人や、星や目に見える銀河が存在している)。

  • それを明らかにしたのはロシアの宇宙論研究者ヤーコフ・
    ゼルドヴィッチで、1967 年頃のことだった。

    この問題は未だに解決されておらず、おそらくは今日の物理学に
    おける、最も深くて基本的な未解決問題だろう。

    40 年以上もこの問題を解く方法がわからないと言うのに、
    われわれ理論物理学者は、その答えを知っているつもりだった。

    空っぽの空間のエネルギーはゼロだと答えるであろう小学生と同じく、
    われわれもまた、究極の理論が得られた暁には、仮想粒子の
    様々な影響が綺麗サッパリ打ち消し合い、空っぽの空間に含まれる
    エネルギーは、ぴったりゼロに――つまりは無に――なることが
    示されるだろうと考えていたのである。

    われわれの推論は小学生のものよりはマシなはずだった。

    空っぽの空間のエネルギーを、素朴に見積もった途方も無く大きな
    値から、観測から許される範囲にまで引き下げなければならない。

    そのためには、非常に大きな正の値から、非常に大きな別の
    正の値を差し引いて、小数点以下 120 桁まで打ち消し合い、
    121 桁目でゼロではない値を残す方法が必要だった。

    しかし科学において、2つの大きな数がそこまでぴったりと
    打ち消し合い、非常に小さな値が残ったという先例はないのである。

    一方、ゼロは作りやすい数である。

    自然界にそなわる対称性のおかげで、計算をしてみると、
    同じ大きさで逆の符号の項がぴったりと打ち消し合って
    ゼロになるということは、決して珍しくない。

    かくしてわれわれ理論家は、枕を高くして寝ていたのだ。

    そこにたどり着く方法はわからなかったが、
    最終的な答えには確信があった。

    しかし自然は、別のことを考えていたのである。


    第五章 99%の宇宙は見えない

      エネルギーを含んだ空っぽの空間の中に 「暗黒物質」 の海があり、
      わずか 1% の目に見える物質がその海の中に浮かんでいる。
      それが現在の物理学が到達した宇宙像なのである。

    1995 年にマイケル・ターナーとわたしが言い出したことは、
    とことん異端的だった。

    われわれはまず、理論的な偏見というしかない観点に立って、
    宇宙は平坦だと仮定した。

  • したがって原理的には、ほとんど無限小の時間で消滅するのであれば、
    粒子はほとんど無限大のエネルギーを持てることになるのだ。

    しかし、われわれの知る物理法則は、ある値よりも大きな距離と
    時間でしか通用しない。

    その値は、重力を(そして重力が時空に及ぼす影響を)理解しようと
    するときに、量子力学の影響を考慮しなければならないスケールに
    対応している。

    物理法則がこれらの限界を超えて用いられているのなら、
    その結果を信用することはできない。

    それができるようになるのは、「量子重力」 理論と呼ばれるものを
    手に入れたときである。

    したがって、量子重力を扱えるような新しい物理学が作られれば、
    いわゆる 「プランク時間」 よりも短い時間しか存在しないような、
    仮想粒子の影響はきれいさっぱりなくなるだろう、
    と期待したいところだ。

    そこで当面、プランク時間よりも短い時間は考えないことにすると、
    それに相当するエネルギーか、またはそれより低いエネルギーを
    持つような仮想粒子だけを考えれば、仮想粒子が空っぽの空間に
    及ぼすエネルギーの推定値として有限な値が得られる。

    しかし困ったことがある。

    こうして得られた推定値は、暗黒物質を含めて、
    宇宙に存在することが分かっている物質すべてのエネルギーよりも、
    なんと 10¹²⁰ 倍も大きいのだ!

    電子のエネルギー準位の間隔を、仮想粒子の寄与を考慮して計算した
    値が、あらゆる物理学の中で最も優れたものだとすると、
    空っぽの空間に含まれるエネルギーに対するこの推定値は、
    疑問の余地なく最もひどい計算と言わなければならない。

    もしも空っぽの空間に含まれるエネルギーがこんなに大きければ、
    そのために生じる斥力は(空っぽの空間のエネルギーは、
    宇宙定数に対応することを思い出そう)今日の地球を
    バラバラに飛び散らせるほど大きいだろう。

    それどころか、斥力があまりにも大きいせいで、ビッグバン直後に、
    今日宇宙に見えるものすべての種がバラバラに引き離されてしまい、
    いかなる構造も――星も、惑星も、人間も――形成されなかった
    だろう。

    宇宙定数問題と呼ばれるこの問題は、わたしが大学院生だった
    頃よりも、もっと昔から存在していた。

  • 同様のことが中性子についても言える。

    そしてあなたは陽子と中性子からできているのだから、
    あなたについても同じことが言えるわけだ。


    ■ 空っぽの空間のエネルギー

    さて、原子の内部やその周辺の、空っぽであるはずの空間に
    仮想粒子が及ぼす影響を計算することができ、
    陽子内部の、空っぽであるはずの空間に仮想粒子が及ぼす影響を
    計算することができるのなら、原子も要素も存在しない、
    単なる空っぽの空間に仮想粒子が及ぼす影響も
    計算できるのではないだろうか?

    実はその計算は、原子や陽子が存在する場合よりも難しいのである。

    なぜなら、原子や陽子の質量に仮想粒子が及ぼす影響を
    計算するときには、実際には仮想粒子を含む、原子や陽子の
    全エネルギーを計算しているからだ。

    そうしておいて、原子や陽子が存在しないときの(つまり空っぽの
    空間への)仮想粒子の寄与を計算し、それら2つの数を引き算する
    ことによって、原子や陽子に及ぼす正味の影響を求めているのである。

    こんな手続きを踏むのは、これら2つのエネルギーはどちらも、
    対応する方程式を解こうとすると、形の上では無限大になることが
    分かっているからだ。

    しかし両者を引き算すると有限な値が得られ、
    更には測定された値とぴったり合うのである。

    ところが、空っぽの空間に仮想粒子が及ぼす影響を計算しようと
    すれば、引き算するものがなく、したがって得られる答えは
    無限大になる。

    しかし無限大というのは、少なくとも物理学者にとっては気持ちの
    良い量ではなく、われわれは何とかしてそれを避けようとする。

    空っぽの空間のエネルギーは(他のどんなもののエネルギーも)
    物理的には無限大ではあり得ないので、有限な答えを得る方法を
    考え出さなければならない。

    なぜ無限大が出てくるのかを説明するのは簡単だ。

    出現できるありとあらゆる仮想粒子を考えると、
    ハイゼンベルクの不確定性原理によれば(思い出してほしいが、
    系のエネルギーの測定値は、それを観測する時間の長さに
    反比例するのだった)、エネルギーの高い粒子であればあるほど、
    もしも何もないところから出現したのなら、より短い時間で
    消滅しなければならない。

  • むしろ本書のテーマにとっては、そちらの方が一層重要かもしれない。

    仮想粒子は、あなたの質量の大部分と、宇宙の中で目に見えるものの
    すべての質量を生み出しているのである。

    1970 年代には、物質についての知識が基本的なレベルで
    大きく進展したが、この分野の偉大な成功の一つに、
    クオーク同士の相互作用を正確に記述する理論が
    見出されたことがある。

    あなたや、あなたが目にするものすべてを作り上げている物質の
    ほとんどは、陽子と中性子からできているが、その陽子と中性子は
    クオークからできている。

    クオークの相互作用を記述する理論に用いられている数学は
    複雑なので、それを取り扱うために必要なテクニック、
    特にクオーク間の相互作用が検出できるようなエネルギー領域で、
    その理論を扱うためのテクニックが開発されるまでには、
    何十年という時間が流れていった。

    われわれが実際に測定するのは(クオークではなく)陽子と
    中性子だが、その基本的な性質を計算するために、
    途方もない努力が注ぎ込まれたのである。

    例えば、数万個ものプロセッサを同時に走らせる、
    凄まじく複雑な並列処理コンピュータが建設されたことなども、
    その努力の一環だった。

    そのおかげで、今日では陽子の内部の様子はかなりの程度まで
    解明されている。

    陽子の内部には3個のクオークがあるが、
    それ以外にも様々なものが存在している。

    特に、クオーク間に働く強い力を伝える粒子と場を反映した
    仮想粒子が、絶えず生まれたり消えたりしている。

    図 4-4 に示すのは、陽子の内部の様子を示すスナップショットである。

    もちろんこれは本当の写真ではなく、クオークと、クオーク同士を
    結びつけている場の力学を支配する数学を、イメージを膨らませて
    解釈したものである。

    ここに示された奇妙な形の領域と、それに付けられた濃淡は、
    場の強度を表している。

    仮想粒子が自発的に生じたり消えたりしながら、
    場は陽子の内部でお互い同士やクオークと相互作用する。

    陽子の内部には、これらの仮想粒子が断続的に生まれているが、
    それが陽子の質量にどれくらい貢献しているのかを
    見積もっていると、陽子それ自体は、質量のごく一部分であり、
    陽子の静止エネルギーの大半は、これらの粒子が作り上げる
    場からの寄与であることが分かるのである。

    幻想譚の愉しみ むしろ本書のテーマにとっては、そちらの方が一層重要かもしれない。  仮想粒子は、あなたの質量の大部分

  • それから数年にわたり、最も優秀な物理学者たちがこの論争に参入し、
    その食い違いを解決しようとした。

    たくさんの仕事がなされた末に、ディラックの方程式が正しい答えを
    与えるためには、仮想粒子の効果を取り込まなければならないことが
    判明したのである。

    それを次のように説明してみよう。

    化学の本では、水素原子は次のように説明されるのが普通である。

    中心に陽子があり、その周りを電子が軌道運動しながら、
    異なるエネルギー準位の間をジャンプする(図 4-3(a))。

    しかし、何もないところから電子-陽電子ペアが現れて、
    すぐに互いに打ち消し合って消滅するとしたら、
    水素原子は左側の図のように見えるだろう。

    この図では原子核の右側に、仮想粒子のペアを書き込んだ。

    このペアは、図に示したループの下端で生まれ、
    上端で消滅するものとする。

    仮想電子は負の電荷を持つので、陽子の近くに存在する確率が
    高いのに対し、陽電子は陽子から離れがちになる。

    いずれにせよ、この図から明らかなように、
    水素原子の実際の電荷分布は、どの時刻においても、
    単なる1個の電子と1個の陽子のそれではない。

    驚くべきことに、物理学者は(ファインマンやその他の人々の努力の
    おかげで)ディラック方程式を使えば、水素の近くに現れては消える
    ありとあらゆる仮想粒子が、水素原子のスペクトルに及ぼす影響を、
    好きなだけ高い精度で計算できるようになったのである。

    実際に計算してみると、科学のあらゆる分野の中で、
    最も正確な予測が得られた。

    どれほど正確な科学的予測も、これと比較すればものの比ではない。

    天文学の分野では、最近行われた宇宙マイクロ波背景放射の観測で、
    理論的予測と 1/10万 程度のレベルで比較できるようになっており、
    これはすごいことである。

    しかしディラック方程式を使って予測された仮想粒子の存在から
    原子の物理量を計算し、観測結果と比較してみると、なんと
    1/10億 またはそれ以上という驚くべき精度で一致するのである。

    つまり、仮想粒子は存在しているということだ。


    ■ クオーク間で起きていること

    原子物理学の分野で得られたこの驚くべき精度は
    他に並ぶものがないが、これ以外に一つ、
    仮想粒子が重要な役割を演じているケースがある。

    幻想譚の愉しみ それから数年にわたり、最も優秀な物理学者たちがこの論争に参入し、 その食い違いを解決しようとした。

  • ありがたいことに、ディラックの方程式による予測は、
    シュレーディンガーの方程式による予測よりも改善されていたため、
    微細構造を含めて、観測結果のおおよその構造を
    再現することができた。


    ■ 驚くべき精度

    ここまでは良かったのだが、1947 年の 4 月、アメリカの
    実験物理学者ウィリス・ラムと、ラムの指導の下で研究していた
    ロバート・C・レザフォードという学生が、ひどく的はずれだと
    思われても仕方のない動機に基づいて、ある実験を行った。

    二人は、自分たちに使えるテクノロジーを利用すれば、
    水素原子のエネルギー準位の構造を、一億分の一の精度で
    測定できるということに気付いたのである。

    なぜ二人はそんな事をしようと思ったのだろうか?

    実は、実験かという人たちは、それまではできなかった高い精度で
    測定ができるようになると、それだけでも十分にやってみる動機に
    なるらしいのだ。

    そして実際に測定をしてみると、
    全く新しい世界があらわになることも多い。

    例えば、オランダの科学者アントニー・フィリップス・ファン・
    レーウェンフックが 1676 年に、何も入っていないように見える
    水を顕微鏡で覗いてみたところ、そこにはたくさんの生き物が
    いたのだった。

    しかし今の場合について言えば、
    ラムとレザフォードにはもっと直接的な動機があった。

    その時まで、ディラックの予測を詳しく検証することが
    できなかったのである。


    ディラックの方程式は、新しく得られた観測結果のおおよその構造は
    予測していたが、その方程式が観測結果を詳細に予測するかどうかを、
    ラムは知りたかったのである。

    理論を検証するためには、精密な測定をするしかない。

    ラムがディラックの理論を検証してみると、彼の装置で測定できる
    限度よりも遥かに大きな一千万分の一という誤差のレベルで、
    ディラックの理論は正しい値からずれた答えを与えるように見えた。

    実験との不一致がそれほど小さければ問題なかろうと
    思うかもしれないが、ディラック理論に対する最もシンプルな
    解釈から得られる予測は間違いようのないものであり、
    それについては実験も同じだった。

    その両者が食い違っていたのである。

  • この 「スイッチバック」 の時間が非常に短く、
    すべての粒子を直接測定することができないのなら、
    量子力学と相対性理論によれば、この奇妙な状況は、
    単に許されているというのではなく、そうでなければならない、
    ということになるのである。

    測定不可能なほど短時間に出現しては消滅する粒子のことを、
    「仮想」 粒子という。

    空っぽの空間の中に、測定することのできない新粒子が一揃い
    存在しているはずだと言い出すのは、一本の針の先に
    大勢の天使が座っていると主張するようなものだ
    と思われるかもしれない。

    もしもその粒子が何ら測定可能な効果を及ぼさないのなら、
    針の上の天使と同じくらい空疎なアイデアかも知れない。

    しかし、直接的な観測こそできないとはいえ、
    われわれが今日経験している宇宙の特徴のほとんど全ては、
    仮想粒子の間接的な影響のおかげで生じているのである。

    そればかりか、仮想粒子の影響は、科学上の他のどんな計算よりも
    正確に計算するこさえできるのだ。

    例えば水素原子を考えてみよう――この系を説明するために、
    ボーアは量子論を作り、シュレーディンガーは有名な方程式を
    導いたのだった。

    水素原子を加熱すると、ある決まった色の光が放出される。

    量子力学はその現象を見事に説明するという成功を収めたのである。

    その説明によれば、陽子の周りを軌道運動する電子は、
    飛び飛びの値を持つエネルギー準位しか占めることができない。

    そして、電子があるエネルギー準位から別の準位に飛び移るときには、
    理論の予測する振動数を計算することができ、
    結果として得られた振動数がほぼぴったり正しい値になる。

    しかしそれは、ほぼ正しい値であって、
    完全に正しいわけではなかった。

    水素のスペクトルを更に詳しく調べてみると、スペクトルは
    それまで考えられていたよりも複雑であることがわかったのだ。

    観測された準位が更に細かく分裂していることが分かったのである
    ――その分裂のことを、「微細構造」 という。

    こうした分裂の存在はボーアの時代から知られており、
    相対論的な影響のせいだろうと予想されていたが、
    その予想を確かめることができるようになったのは、
    完全に相対論的な理論が使えるようになってからのことだった。

  • ファインマンは勇敢にも、一見すると馬鹿げて見えるこの可能性を
    真面目に受け止め、それはいったい何を意味しているのだろうかと
    考えた。

    そして時々加速しながら光よりも大きな速度に到達する粒子について、
    ここに示した上段の図を描いてみた(図 4-1(a))。

    しかし相対性理論によれば、観測者によっては、その同じ粒子が、
    下段の図のように見える場合もあるということをファインマンは
    知っていた(図 4-1(b))。

    1個の電子が時間を順行してから、しばらく時間を逆行し、
    また順行するのである。

    しかし、負の電荷が時間を逆行するということは、数学的には、
    正の電荷が時間を順行するのと同じことなのだ。

    したがって相対性理論によれば、質量やその他の性質は電子と
    同じだが、正の電荷を持つ粒子が存在するということになる。


    この場合、ファインマンの二つ目の図(図 4-1(b))を、
    改めて次のように解釈することもできる(図 4-2(a))。

    1個の電子が空間を進んでいき、空間の別の点で電子-陽電子ペアが、
    何もないところから生み出される。

    その後、その陽電子が初めの電子と出会って消滅した後、
    1個の電子が空間を進んでいく。

    あなたがこの説明に抵抗がないなら、今度は次のように考えてみよう。

    最初と最後は1個の粒子しか存在しないが、中間ではほんの一瞬、
    3個の粒子が運動している、と(図 4-2(b))。

    中間に、ほんの一瞬ではあるが、
    何もないところから何かが飛び出してくるのだ!

    1949 年の 「陽電子の理論」 と題する論文で、ファインマンは
    この見かけのパラドックスを、戦争中の面白いアナロジーを使って
    巧みに説明した。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    それはちょうど、低空飛行している爆撃機の爆撃照準器を通して
    一本の道を見ていた爆撃手が、突如として道が三本になり、
    そのうちの二つが合わさって消えたときになってはじめて、
    自分が見ていたのは、一本の道の長いスイッチバックだった
    ということに気付いたというようなものである。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    幻想譚の愉しみ ファインマンは勇敢にも、一見すると馬鹿げて見えるこの可能性を 真面目に受け止め、それはいったい何を意

  • わたしは時々、次のようなたとえ話をする。

    反物質なんて得体が知れないというのは、ベルギー人なんて
    得体が知れないというのと同じようなものだ、と。

    (ベルギーは、フランス・ドイツ・イギリスといった目立つ国に
    囲まれた地味な小国なので、よくこうしたジョークのねたになる。)

    反粒子は特に得体が知れないわけではなく、
    滅多にお目にかかれないというだけなのである。

    反物質が存在するおかげで、観測可能な世界は遥かに
    面白くなるのだが、実は反物質が存在するせいで、
    空っぽの空間は遥かに複雑になるのだ。


    ■ 時間を逆行する電子

    伝説的な物理学者のリチャード・ファインマンは、
    相対性理論によれば反物質が存在することになるのはなぜかを、
    分かり易く説明した最初の人物だった。

    そしてその説明は、空っぽの空間が実は空っぽなどではない
    ということを、絵で示す方法にもなったのである。

    ファインマンは、相対性理論によれば、異なる速度で運動する
    二人の観測者が距離や時間を測定したとすれば、
    それぞれ異なる結果を得ることを知っていた。

    例えば、非常に大きな速度で運動している物体の時間は、
    ゆっくり流れているように見える。

    そして、もしも物体が光の速度よりも大きな速度で運動できる
    としたら、その物体は時間を逆行するように振る舞うだろう。

    普通、光の速度は宇宙の制限速度だと考えられているが、
    それはこのためなのである。

    しかし量子力学の根本原理の一つに、
    ハイゼンベルクの不確定性原理がある。

    既に述べたように、不確定性原理は、位置と速度のような
    物理量のペアについて、同時に正確な値を得ることはできない
    と述べている。

    また、ある有限な時間について測定を行えば、
    その系の全エネルギーを正確に求めることはできない。

    結局、量子力学によれば、高い精度で粒子の運動測定をすることが
    できないほど短い時間ならば、その粒子は、光よりも速い速度で
    動いても構わないということが示唆されるのである。

    しかし、もしも光よりも速い速度で動いているとしたら、
    アインシュタインによれば、その粒子は時間を逆行している
    かのように振る舞うはずなのである!

  • 困ったディラックはやむを得ず、その新粒子は実は陽子なのだが、
    空間を移動しながら陽子が行う相互作用のせいで、
    実際よりも質量が大きく見えるのだ、と論じた。

    しかし間もなく、ハイゼンベルクやその他数人の人たちが、
    ディラックの説ではうまくいかないことを示した。

    そこに自然が救いの手を差し伸べた。

    ディラックがその方程式を提案してから2年後――彼が無条件降伏し、
    もしも自分の方程式が正しければ新粒子が必要になると認めてから
    1年のうちに――地球に降る注ぐ宇宙船を調べていた実験家たちが、
    電荷の符号が逆であることを別にすれば、電子と全く同じ性質を持つ
    新粒子が存在する証拠を掴み、その粒子を陽電子と名付けたのである。

    こうしてディラックは正しかったことが証明されたわけだが、
    彼は自分の理論に対する信頼が足りなかったことを認め、
    後に 「自分の理論は自分よりも賢かった」 と述べた。

    今日では陽電子のことを、電子の 「反粒子」 と呼ぶようになっている。

    なぜならディラックの発見は、電子だけの特殊事情ではなく、
    むしろそれが普通のことだったからである。

    電子に反粒子が存在するはずだと考えるのと全く同じ
    物理的事情により、自然界のほとんどすべての素粒子には、
    反粒子が存在するのだ。

    たとえば陽子には、反陽子と呼ばれる反粒子が存在する。

    また、中性子のような電気的に中性な粒子の中にも、
    反粒子を持つものはある。

    粒子と反粒子とが出会うと、両者は互いを打ち消し合って消滅し、
    後にはただ放射だけが残される。


    SFのように聞こえるかもしれないが、反粒子は世界各地にある
    大型の粒子加速器の中で、日常的に生み出されているのである。

    反粒子とは言っても、その性質は粒子と全く同じなので、
    反物質でできた世界は、物質でできた世界と何も違わないだろう
    ――反物質でできた月の光の下、反物質でできた車の中で、
    反物質でできた恋人たちが愛し合うことだろう。

    われわれが住むこの宇宙が、反物質でできているのでも、
    物質と反物質が半分ずつでできているのでもなく、
    物質でできているというのは、後で明らかになる深い理由により、
    たまたまそうだったに過ぎない、というのが、今日の物理学者の
    考えなのである。

  • しかしディラックは、ボーア、ハイゼンベルク、シュレーディンガー
    の量子力学は、見事な仕事ではあるけれども、
    ある種の系にしか適用できないということに気がついた。

    この理論が記述するのは、アインシュタインの相対性理論ではなく、
    ニュートンの法則が支配する古典的な系からの類推で作り上げられた
    系だったのである。


    ディラックは、物理的なイメージよりは数学的な視点から
    考えるのが得意で、量子力学を、アインシュタインの相対性理論の
    法則と矛盾しないようなものにしようと考え、
    様々なタイプの方程式をあれこれいじり始めた。

    そうした方程式の中に、電子の 「スピン」 という性質を
    組み込むことを可能にする、複数の成分を持つものがあった。

    スピンと名付けられたのは、あたかも小さなコマが
    回転しているかのように、電子が角運動量を持つためだった。

    また電子は、任意の軸の周りに、時計回りにも、反時計回りにも
    回転することができる。

    1929 年、ディラックは問題の本質にたどり着いた。

    電子が光の速度よりも遥かに小さな速度で運動している場合は、
    シュレーディンガーの方程式は、電子の振る舞いを正確に記述する。

    ディラックが気づいたのは、電子がもっと大きな速度で
    運動する場合には、行列を使ってシュレーディンガー方程式を
    書き換えればよいということだった。

    するとその方程式は、4つの方程式からなる連立方程式になる。

    そのように書き換えれば、相対性理論と量子力学とを矛盾なく
    組み合わせて、電子が大きな速度で動くときの系の振る舞いを、
    原理的には記述できたのである。


    ■ 反粒子の存在

    しかし一つ問題があった。

    ディラックが得た方程式は、電場や磁場と相互作用する電子の
    振る舞いを記述してくれるはずのものだった。

    ところが、もしもその方程式が正しいとすると、電子とそっくりだが、
    電荷の符号が反対であるような新粒子が存在することになるのである。

    その当時、自然界に存在することが分かっている素粒子で、
    電子とは符号が反対の電荷を持つ粒子は、陽子だけだった。

    しかし陽子は電子とは似ても似つかない。

    なにしろ陽子は電子よりも 2000 倍も重いのだ。

  • 最初ボーアは、原子の内部にある電子は、ちょうど惑星が太陽の
    周りを好転するように、原子の中心にある原子核の周りを
    軌道運動しているという説を提唱したが、原子のスペクトルに
    ついて観測から得られている規則を説明するためには、
    原子内の電子は、「量子準位」 と呼ばれた安定した軌道を
    占めるしかなく、勝手に螺旋を描いて原子核に落下することは
    できないと考えるしかなかった。

    電子がそれらの準位間を移動するためには、特定の離散的な値の
    振動数を持つ光――量子――だけを、吸収したり放出しなければ
    ならない。

    ここでいう量子は、1905 年にマックス・プランクが、
    高温の物体から放出される放射の性質を理解するために
    提案したものである。

    しかしボーアが設けた 「量子化規則」 は、
    その場しのぎのルールと言わざるを得なかった。

    1920 年代には、シュレーディンガーとハイゼンベルクが、
    それぞれ別個に、ボーアの規則は第一原理から導けることを示した。

    ただしそのためには、電子が従う力学法則は、野球のボールのような
    マクロな物体の運動を支配している法則とは別でなければならない。

    電子は粒子として振る舞うだけでなく、空間に広がる波としても
    振る舞うことができる(シュレーディンガーの 「波動関数」 に
    波動という言葉が含まれるのはそのためである)、電子の性質を
    測定してどんな結果が得られるかは確率的にしか予測することが
    できず、同時に正確に測定することのできない物理量の
    組み合わせが存在するというのだ(それがハイゼンベルクの
    「不確定性原理」 の内容である)。


    ディラックが明らかにしたのは、量子的な系を記述するために
    ハイゼンベルクが提案した数学は(その仕事に対し、彼は
    1932 年のノーベル賞を授与された)、マクロな物体の
    振る舞いを支配する、よく知られた古典力学の法則から、
    注意深い類推を働かせることによって導けるということだった。

    さらにディラックは、シュレーディンガーの数学的な
    「波動力学」 も同様に導くことができ、シュレーディンガーの
    方法とハイゼンベルクの方法とは、形式的には同等であることを
    示したのである。

  • しかしいったいどんなものなら、
    そんな項として表すことができるのだろうか?

    その答えは、「無」 である。

    ここで 「無」 というのは、普通は 「空っぽの空間」 と
    言われているものだ。

    空間の中にある領域を考え、その領域の内部に存在するものすべて
    ――チリ、ガス、人間、さらにはその領域を進んでいく放射さえも
    ふくめてすべて――を取り去ったとき、あとに残された空っぽの
    空間に何らかの 「重さ」 があるなら、それをアインシュタインが
    ひねり出した宇宙項として表すことができるのである。


    しかしこうなると、アインシュタインの宇宙項は、
    ますます馬鹿げたものに見えてくる。

    空っぽの空間にどれほどのエネルギーが含まれているのだろうか?

    実は、アインシュタインの特殊相対性理論から導かれる結果を
    量子的な宇宙に組み込むと、空っぽの空間は、
    ひどく奇妙な性質を持つようになるのである。

    あまりにも奇妙なので、それに気づいて詳しく調べた
    物理学者たちさえも、そんなものが現実の世界に本当に
    存在しているとは、容易には信じられなかったほどだった。


    ■ 量子力学拡張

    相対性理論を量子力学に組み込むことに初めて成功したのは、
    素晴らしい頭脳を持つ寡黙なイギリス人の理論物理学者
    ポール・ディラックだった。

    彼は量子力学を作るにあたり、指導的な役割を果たした人物でもある。

    1912 年から 1927 年にかけて、量子力学の建設に最も大きな貢献を
    したのは、ずば抜けた頭脳を持ち、この分野のシンボルのようだった
    デンマーク人理論物理学者ニールス・ボーアと、オーストリア人の
    エルヴィン・シュレーディンガーおよびドイツ人のヴェルナー・
    ハイゼンベルクという、二人の気鋭のスーパースターだった。

    まずボーアが提唱し、シュレーディンガーとハイゼンベルクが
    洗練された数学的記述を与えた量子の世界は、日常的な物質との
    関わりから作り上げてきた常識が一切通用しない世界だった。

  • その左辺の量を決定するのが、右辺に置かれている諸量であり、
    それらは宇宙に存在する様々なタイプのエネルギーと
    物質の密度を表している。

    アインシュタインが気づいたのは、方程式の左辺に小さな定数項を
    付け加えることは、物体間の距離が大きくなるにつれて弱まる
    普通の引力的な重力に加え、全空間で常に一定の強さであるような、
    小さな斥力を付け加えることに相当するということだった。

    定数として付け加えられた力は、もしもその値が十分に小さければ、
    人間のスケールではもちろんのこと、ニュートンの重力法則が
    見事に成り立つ太陽系のスケールでさえ、検出にかからないだろう。

    しかし、その力の強さは全空間を通じて一定なのだから、
    銀河系のスケールほども大きくなれば、遠く離れた天体同士に
    作用する引力に対抗できるほどの強さになるだろう。

    その結果として、最も大きなスケールでは、宇宙を静止させて
    くれるだろう、とアインシュタインは考えたのだ。

    彼はこうして付け加えた項のことを 「宇宙項」 と呼んだ。

    しかしそれは方程式に付け加えられた単なる定数に過ぎないので、
    今日では 「宇宙定数」 と呼ばれている。

    宇宙は確かに膨張しているということを認めてからは、
    アインシュタインはこの項を捨て、自分の方程式に宇宙項を
    付け加えたことを、人生で最大のヘマと呼んだという。


    しかしその定数を捨てることは、
    それほど簡単な話ではなかったのである。

    それはちょうど、練り歯磨きをチューブから絞り出しておいて、
    もう一回チューブの中に引っ込めようとするようなものだ。

    今日、宇宙定数は全く異なる観点から見直されており、
    たとえアインシュタインが宇宙項を付け加えなかったとしても、
    きっと他の誰かが付け加えることになっていただろう。


    アインシュタインの項を、彼の方程式の左辺から右辺に
    動かすことは、数学者にとっては小さな一歩だが、
    物理学者にとっては大きな飛躍である。

    数学的には単なる移項だが、宇宙のエネルギーに寄与する諸項が
    置かれている右辺に動かされた途端、その項は物理的には
    全く別のもの――つまりは、全エネルギーに寄与する何か
    新しいもの――を表すことになるのである。

  • 実はわたしは 1995 年という早い時期に、シカゴ大学の物理学者
    マイケル・ターナーと共著の論文で、当時広く受け入れられている
    宇宙像が正しいはずはなく、平坦な宇宙(理論的は平坦であるはずだ
    と思われていた)と、銀河団形成および銀河団内部の運動に関する
    観測結果のいずれとも矛盾しない唯一の可能性は、われわれの宇宙は、
    アルベルト・アインシュタインが 1917 年に考えついた途方もない
    アイデアに端を発する、遥かに奇妙な宇宙だと考えることだけだ
    と主張していたのである。

    アインシュタインは、この宇宙は静止していなければならないと考え、
    自分の理論が予測する宇宙と、静止している宇宙との
    あからさまな矛盾を解決するために、そのアイデアを採用し、
    後にそれを捨てたのだった。


    思い起こしてみれば、当時のターナーとわたしの動機は、
    宇宙の幾何学と物質量との矛盾をきちんと解消したいというよりは
    むしろ、当時支配的だった説は何かおかしいと指摘することにあった。

    われわれのアイデアは、本気で信じるにはあまりに馬鹿げていたので、
    それから3年後に、その異端的なアイデアが正しかったことが
    分かったとき、一番驚いたのは他ならぬわれわれだったろうと思う。


    ■ アインシュタインの宇宙項

    1917 年の時点に話を戻そう。

    このとき、アインシュタインは既に一般相対性理論を完成させており、
    水星軌道の近日点の歳差運動を説明できたときには、
    心臓がドキドキするのを感じたのだった。

    とはいえ彼は、自分がその中で生きているところの宇宙は
    静止しているのに(と彼は考えていた)、自分の理論はそれを
    記述しないという難局に直面していたのである。


    もしも彼が自分の確信を貫く勇気を持っていたなら、
    宇宙は静止してはいないはずだと予言していたかもしれない。

    しかし彼はそうはしなかった。

    そうする代わりにアインシュタインは、一般相対性理論を作るに
    あたって彼を導いた数学的理論と全く矛盾せずに、
    宇宙を静止させてくれる、小さな変更を加えてもいいことに
    気づいたのである。

    アインシュタインの一般相対性理論の方程式は、
    細かいことを言い出せば複雑だが、その構造はスッキリしている。

    方程式の左辺は宇宙の曲率を記述し、
    物質と放射に働きかける重力の強さを表している。

  • 理論家たちは、宇宙は平坦だと言い当てたことで、
    「よくやった」 とお互いの肩を叩きあったかもしれない。

    しかし自然は、質量を測定した結果と、宇宙の曲率を測定して
    推定された宇宙の幾何学との矛盾を解決する方法を、
    その手の内に隠し持っていたのである。

    それは誰も予想だにしない驚くべき展開だった。

    宇宙を平坦にするために必要な行方不明のエネルギーは、
    まさに目と鼻の先に隠れていたのである。


    第四章 ディラックの方程式

      ミクロなスケールの世界を記述する量子力学。
      そこでは、何もないところから仮想粒子が生成消滅する。
      特殊相対性理論と量子力学を結び合わせたディラックは、
      宇宙の始まりにも関係する重大な発見をする。

    一歩進んで二歩下がる――宇宙を知り、それに目鼻立ちを与えよう
    というわれわれの研究は、まさにそんな状況に思われた。

    観測から宇宙の曲率がついに明らかになり、理論家たちがだいぶ前に
    予想していた通りだったことが証明されたのはたしかに前進だったが、
    陽子と中性子の存在量から説明できるより 10 倍も多くの物質が
    存在することが既に知られていたとはいえ、宇宙が平坦であるために
    必要な物質量の 30% にも達する大量の暗黒物質をもってしても、
    宇宙の全エネルギーを説明するにはまるで足りなかったのである。

    宇宙の幾何学を直接観測したところ、宇宙は確かに平坦だった
    ということは、宇宙のエネルギーの 70% は、未だ所在不明だ
    ということを意味していた。

    そしてその所在不明のエネルギーは、銀河の内部やその周辺にも、
    さらには銀河団の内部やその周囲にも、見当たらなかったのである。


    しかし実状は、わたしがここに描き出したほど
    衝撃的だったわけではない。

    宇宙の曲率が直接測定されたり、銀河団の全質量が求められたりする
    前から、それまでの理論的な宇宙像――宇宙を平坦にさせるに
    十分なだけの暗黒物質(今日わかっている暗黒物質の3倍に当たる)
    が存在すると仮定するもの――は、観測結果と矛盾することを
    示唆する兆候はあったからだ。

  • ■ WMAP も裏付け

    ブーメラン実験の結果が発表された後、人工衛星に搭載された、
    遥かに感度の高いマイクロ波背景放射探査装置、ウィルキンソン・
    マイクロ波異方性探査機 Wilkinson Microwave Anisotropy Probe、
    略して WMAP がNASAによって打ち上げられた。

    この探査機はベル研究所の科学者たちに先を越されていなければ
    宇宙マイクロ波背景放射を発見していたはずの、プリンストン大学
    チームの物理学者の一人であった故デーヴィッド・ウィルキンソンに
    ちなんで名付けられたものである。

    WMAP が打ち上げられたのは、2001 年 6 月のことだった。

    探査機は地球から 160 km の距離に達して、太陽の光が到達しない
    地球の裏側で、太陽光に邪魔されることなくマイクロ波の空を
    見ることができた。

    7 年間に渡ってマイクロ波領域で全天を撮影し、
    前例のない正確さで測定を行った(全天の観測を行った
    というところが、ブーメラン実験とは異なる点だ。
    ブーメランでは、眼下に地球があるせいで、
    宇宙の一部分だけしか撮影できなかったのだ)。

    図 3-8 は、ちょうど地球儀の表面を平らな地図に投影した場合と
    同じように、全天が平面上に射影されている。

    われわれの銀河系の円盤面(銀河面)が、この図の赤道に沿う向きに
    なっており、銀河平面と 90 度をなす上方に、天の北極がある。

    天の南極は、銀画面と 90 度をなす下方にある。

    しかし、最終散乱面からやって来る放射のみを見るために、
    銀河系の映像は取り除かれている。

    こうした極めて精度の高いデータが得られたことで、
    宇宙の幾何学について、遥かに正確な予測ができるようになった。

    ブーメラン実験と同様の画像が作成され、
    WMAP のデータは、1% の誤差の範囲内で、
    われわれが住むこの宇宙は平坦だということを裏付けたのである。

    理論形の予想は正しかったということだ。

    とはいえ、前章で述べた結果と、こうして得られた結果との間には、
    無視するわけにはいかない矛盾がある。

    銀河や銀河団の質量を測定することで宇宙の重さを測ると、
    平坦な宇宙を作るために必要な質量の、わずか 1/3 の質量しか
    存在しないことになるのだった。

    この矛盾をなんとか解決しなければならなかった。

    幻想譚の愉しみ ■ WMAP も裏付け  ブーメラン実験の結果が発表された後、人工衛星に搭載された、 遥かに感度の高

  • 簡単な二次元の例えを使うと、より分かりやすいかもしれない。

    二次元では、「閉じた幾何学」 は球面に似ており、
    「開いた幾何学は」 は鞍の形に似ている。

    そんな面上に三角形を描けば、先ほど説明した効果を実際に
    見ることができる(図 3-5)。

    球面上では直線は膨らんだようになり、
    鞍の形をした面上では、反り返ったようになる。

    そしてもちろん、平面上では、直線は真っ直ぐなままだ。


    結局、喉から手が出るほど知りたいのは次のことである。

    ブーメラン画像の中のまだらは、どれぐらいのサイズなのか?

    ブーメラン共同研究はこの問いに答えるために、閉じた宇宙、
    平坦な宇宙、開いた宇宙のそれぞれについて、まだらが
    どのように見えるかをコンピュータ・シミュレーションした画像を
    用意し、現実のマイクロ波の空の(分かりやすいように濃淡を付けた)
    画像と比較してみた(図 3-6)。


    閉じた宇宙のシミュレーション画像(下段左下)をよく見ると、
    平均して、まだらは現実の宇宙のそれよりも大きいことが分かる。

    開いた宇宙のシミュレーション画像(下段右下)では、
    平均すれば、まだらは現実の宇宙のものよりも小さい。

    そして、平坦な宇宙のシミュレーション画像(下段中央)は、
    大きくも小さくもなく、「丁度良い」 サイズであることが分かった。

    つまりこの観測結果は、理論家たちが望んでいた数学的に美しい
    宇宙は、銀河団の質量を測定した結果からはかけ離れたものだった
    にもかかわらず、やはり正しかったことが裏付けられたように
    見えたのである。


    それどころか、平坦な宇宙の場合に予想される画像と、
    ブーメランによって得られた画像との一致ぶりは、
    説明に困るほどのものだった。

    ブーメラン・チームは、得られた画像のまだらを調べて、
    最終散乱面の時刻に収縮を始めることのできた最大のものを探した。

    そして次のようなグラフを得たのである。

    この図の中で、黒丸がデータ点を表している(図 3-7)。

    実線は、宇宙が平坦である場合に予測される理論値だが、
    ご覧の通り、最も大きなピークは、角度にして(横軸)1度に
    近いところにあるのだ。

    幻想譚の愉しみ 簡単な二次元の例えを使うと、より分かりやすいかもしれない。  二次元では、「閉じた幾何学」 は球面に

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