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    gka***** 9月21日 06:26

    考古学ニュースより・・・コピペです。

    ●縄文と弥生をつなぐ稲作遺物が出土 弘前・清水森西遺跡で2200年前の炭化米(遠賀川式土器とともに弥生米・縄文米が混在して出土)
    東奥日報 9/19(水) 9:03配信
     「弘前大学人文社会科学部北日本考古学研究センター(センター長・関根達人教授)は、2017年度から2カ年で調査している青森県弘前市十面沢の弥生時代遺跡「清水森西遺跡」で、約2200年前の炭化米などを発掘したと18日、公表した。同センターによると、弥生時代の炭化米がまとまって出土したのは県内5例目。」

     「同時に、在地系の「五所式土器」とともに、初期の水田稲作の西から東への伝播(でんぱ)の指標とされ西日本に広く分布する「遠賀川(おんががわ)式土器」が出土した。土器に付着した炭化物の年代測定では約2260年前との結果が出た。」


     「縄文式の祭祀(さいし)に使ったとみられる土偶や、石鏃(せきぞく)も同時に見つかり、弥生時代の特色である稲作と同時に、縄文文化や狩猟の習慣がまだ暮らしの中に残存していたことも明らかになった。」
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180919-00000002-webtoo-l02

  • >>13958

    > 伝説で言えば、姜姓炎帝が羌、姫姓黄帝が殷なのかもしれません(?)。

    ウィキ「漢族」項
    (1)周王朝(BC 1066~BC 256)の創立者である周武王が商王朝(殷王朝ともいわれる。BC 16世紀~BC 1066)の末代の商紂王を討ち取った後中原に定住し、その一族を中国の伝説上の先聖王である神農・黄帝・堯・舜をちなんで「華族」と称した。

    (2)夏王朝(BC 21世紀~BC 16世紀)の創立者の大禹の末裔が「夏族」と称されていたことから、中原に居住していた族群を「華夏族」と称するようになったと言われている」。

    そうすると、東夷出身の殷がすっぽり抜けた形となっているが、姜姓・炎帝神農=羌・チベット系O-M117、姫姓・黄帝=テュルク・北方漢系O-F444ということになる。

    契は夏の創始者禹の司徒。
    殷の「契」は帝嚳の次妃の子として、五帝の系譜に入っているが、華夏族における名誉華夏またはステップ・チャイルドのようなものとして入り込んだと考えられる。

  • >>13995

    > > 南京の話は、農民と都市民はまったく異なる存在で、農民は都市から隔てられた存在だという意味でしたものです。
    > > それは夏殷周の時代からまったく変わっていないということを言いたかったわけです。
    >
    > 変わっていると思いますよ。日本でも籠城の際、農民も城に入れて戦った例が見られます。
    > http://poliles.com/%E5%9F%8E%E4%B8%8A%E3%82%8A/
    > 捕まえられた農民は売り飛ばされたそうです。まあ多くはなかったと思いますが。

    この話は、前にも読んだことがあります。
    この記事の行為は、実質的には「誘拐、身代金要求」ですよね。
    そして、その者の縁者が身代金を支払わなければ、おそらく人買いに売ったのでしょう。
    ですので、この誘拐は、自家のための奴隷狩りとは質を異にしているように思いますね。

    > > > じゃあ、同国人を奴隷として差し出したと言う事ですか?
    > >
    > > 中国史書にみえる倭國からの貢物として挙げられている「生口」は漢字としては戦争捕慮の意味ですが、それがどのような属性の者であったのかは判然としませんね。
    > > 男も女もいます。∩∩
    >
    > 戦争で勝った方が負けた国の男女を貢物にしたのでしょう。

    その具体的な証拠があれば、いいですがね。∩∩

  • >>13999

    同害報復は普通に行われる国際社会のルールでもあるので、良しとしましょう。
    血の復讐ではなく、他のもので償わせる原状回復の方法もありますし。

  • >>13998

    > 7.は、身内を殺されたり集落を滅ぼされたりした場合でしょうね。
    >
    > 「血の復讐」が残っているのはカフカスにも当てはまる。
    > 「山の民」共通の民族性でしょうか。
    >
    > さっぱりしそうだけど、違うのかな?

    復讐はさっぱりしていないでしょう?復讐の連鎖が起きる可能性が高い。

  • >>13988

    7.は、身内を殺されたり集落を滅ぼされたりした場合でしょうね。

    「血の復讐」が残っているのはカフカスにも当てはまる。
    「山の民」共通の民族性でしょうか。

    さっぱりしそうだけど、違うのかな?

    > > 羌の民族性(羌学の大家・袁隆旺による):
    > >
    > > 1. さばさばして、さっぱりしている。
    > > 2. 勇敢な性格。
    > > 3. 忍耐強い性格。
    > > 4. 思想の根底に平等を持っている。
    > > 5. 強力な指導者を望まない。
    > > 6. 平和的(トーテムを羊に変えた)。
    > > 7. 仇討ち・復讐を好む。
    >
    > 1、と7、は相反するような。

  • >>13981

    しかしながら、羌族やクルグズ人が民族名称を残して現存している理由もそこにある!
    モンゴル・カザフなど新参者に過ぎない。

    大昔からその名を残しつつ現存する民族集団は、古い順に
    1. 羌族
    2. 漢族、クルグズ(堅昆)人
    4. タジク(大食)人

    このうち3つはいずれも「山の民」である。


    > 羌族が匈奴やテュルク、モンゴルのような大勢力を築けなかった最大の理由は、山という居住空間にあります。
    >
    > 山に拠点を置くということは防衛上有利ですが、広域のまとまりを作りづらいのです。
    >
    > また、遊牧民というのは個人主義が強いですから普段は纏まらない。強力な指導者を望まず、機を見て自分が指導者になろうとする。
    > クリルタイという制度に(自由民の間での)平等の精神も現れていますね。
    >
    > これは、現在の国家の形にも当てはまります。
    > 中央アジアで遊牧民的伝統を残すのはカザフ人とクルグズ人ですが、クルグズ人は羌族と同じ「山の民」です。一方、カザフ人は草原・半砂漠の民。
    >
    > 独立から現在までカザフスタンではナザルバエフ大統領が首長ですが、クルグズスタンは2回の「革命」またはクーデターを経験しています。
    >
    > 旧ソ連で同じように革命を経験したグルジア(ジョージア)もまた「山の民」です。
    >
    > 下記の羌族の民族性は、そのまま中央アジアのクルグズ人やグルジア人に当てはまります。
    > 民主主義・人権の観点からは、クルグズ人やグルジア人の民族性の方が適していると言えるでしょう。
    >
    > 羌の民族性(羌学の大家・袁隆旺による):
    >
    > 1. さばさばして、さっぱりしている。
    > 2. 勇敢な性格。
    > 3. 忍耐強い性格。
    > 4. 思想の根底に平等を持っている。
    > 5. 強力な指導者を望まない。
    > 6. 平和的(トーテムを羊に変えた)。
    > 7. 仇討ち・復讐を好む。

  • >>13994

    > > > > 吉野ケ里や愛知の朝日遺跡、鳥取の妻木晩田遺跡などはかなりの防御的施設だったようです。
    > > > > 妻木晩田は環濠と言うより、城と言ってもいいくらい。私はこれを満州あたりから直接日本に来たものと思っています。ほかの環濠遺跡は形だけ。∩∩
    >
    > この妻木晩田遺跡の環壕には狼煙場や物見楼などがあって、二重の環壕が巡っていたそうですね。
    > この尾根には、元々は四隅墓などの墓域があったそうです。
    > その墓域に巡らして環壕が設けられていたそうですから、環壕の元来の目的は墓域の区画・保護施設だと思われますね。
    > ただ、山の上に宗廟を置き、山の中腹でこれを取り囲むように石垣をつくり、麓に住民が居住するというのが朝鮮半島の古代の大型集落のあり方だそうですので、妻木晩田の環壕は、朝鮮半島由来という視野も必要かも知れませんね。
    >
    > > > > > 中華では現在も都市戸籍と農民戸籍の別が厳然とありますように、城壁で囲った街の住民と外の農民とは別の存在ですね。古い時代の河北の城壁の中の住人は遊牧系が定着した部族員たちだった
    > > > > > と思います。そして、外の農民は別種族の者だったのでしょう。
    > > > >
    > > > > 戦争の時は農民も囲いの中に入れて戦ったのでは?
    > > > > 外の農民はさらわれてしまう。敵を撃退しても農民が居なくなったら、大打撃です。
    > > >
    > > > 南京攻略の時の様子をみれば分かりますが、蒋介石らは城外の農民には何の責任も負っていないわけですね。
    > > > 農民たちが避難するのも勝手なのですが、蒋介石は農民を城の中へは避難させません。彼らを護る義務もないのです。蒋介石にあるのは一方的な租税徴収権なのです。それが中国の王権なのです。
    > >
    > > 古代と近代を比較するのは無理でしょう。
    >
    > 南京の話は、農民と都市民はまったく異なる存在で、農民は都市から隔てられた存在だという意味でしたものです。
    > それは夏殷周の時代からまったく変わっていないということを言いたかったわけです。

    変わっていると思いますよ。日本でも籠城の際、農民も城に入れて戦った例が見られます。
    http://poliles.com/%E5%9F%8E%E4%B8%8A%E3%82%8A/
    捕まえられた農民は売り飛ばされたそうです。まあ多くはなかったと思いますが。
    遊牧民国家ではすべて農民を囲い込んでいた。

    > > じゃあ、同国人を奴隷として差し出したと言う事ですか?
    >
    > 中国史書にみえる倭國からの貢物として挙げられている「生口」は漢字としては戦争捕慮の意味ですが、それがどのような属性の者であったのかは判然としませんね。
    > 男も女もいます。∩∩

    戦争で勝った方が負けた国の男女を貢物にしたのでしょう。

  • >>13993

    > > > 吉野ケ里や愛知の朝日遺跡、鳥取の妻木晩田遺跡などはかなりの防御的施設だったようです。
    > > > 妻木晩田は環濠と言うより、城と言ってもいいくらい。私はこれを満州あたりから直接日本に来たものと思っています。ほかの環濠遺跡は形だけ。∩∩

    この妻木晩田遺跡の環壕には狼煙場や物見楼などがあって、二重の環壕が巡っていたそうですね。
    この尾根には、元々は四隅墓などの墓域があったそうです。
    その墓域に巡らして環壕が設けられていたそうですから、環壕の元来の目的は墓域の区画・保護施設だと思われますね。
    ただ、山の上に宗廟を置き、山の中腹でこれを取り囲むように石垣をつくり、麓に住民が居住するというのが朝鮮半島の古代の大型集落のあり方だそうですので、妻木晩田の環壕は、朝鮮半島由来という視野も必要かも知れませんね。

    > > > > 中華では現在も都市戸籍と農民戸籍の別が厳然とありますように、城壁で囲った街の住民と外の農民とは別の存在ですね。古い時代の河北の城壁の中の住人は遊牧系が定着した部族員たちだった
    > > > > と思います。そして、外の農民は別種族の者だったのでしょう。
    > > >
    > > > 戦争の時は農民も囲いの中に入れて戦ったのでは?
    > > > 外の農民はさらわれてしまう。敵を撃退しても農民が居なくなったら、大打撃です。
    > >
    > > 南京攻略の時の様子をみれば分かりますが、蒋介石らは城外の農民には何の責任も負っていないわけですね。
    > > 農民たちが避難するのも勝手なのですが、蒋介石は農民を城の中へは避難させません。彼らを護る義務もないのです。蒋介石にあるのは一方的な租税徴収権なのです。それが中国の王権なのです。
    >
    > 古代と近代を比較するのは無理でしょう。

    南京の話は、農民と都市民はまったく異なる存在で、農民は都市から隔てられた存在だという意味でしたものです。
    それは夏殷周の時代からまったく変わっていないということを言いたかったわけです。

    > じゃあ、同国人を奴隷として差し出したと言う事ですか?

    中国史書にみえる倭國からの貢物として挙げられている「生口」は漢字としては戦争捕慮の意味ですが、それがどのような属性の者であったのかは判然としませんね。
    男も女もいます。∩∩

  • >>13992

    > > > 環濠集落は中華発祥ですが、稲作とともに持ち込まれた環濠の用い方は、倭人が必要とした用い方であり、中華にある環濠の用いられ方とは異なった点が多々あるそうです。
    > > > これまで防御のためというのが通説でしたが、最近は防御性は見直されつつあるようですね。
    > >
    > > 吉野ケ里や愛知の朝日遺跡、鳥取の妻木晩田遺跡などはかなりの防御的施設だったようです。
    > > 妻木晩田は環濠と言うより、城と言ってもいいくらい。私はこれを満州あたりから直接日本に来たものと思っています。ほかの環濠遺跡は形だけ。∩∩
    >
    > > > 中華では現在も都市戸籍と農民戸籍の別が厳然とありますように、城壁で囲った街の住民と外の農民とは別の存在ですね。古い時代の河北の城壁の中の住人は遊牧系が定着した部族員たちだった
    > > > と思います。そして、外の農民は別種族の者だったのでしょう。
    > >
    > > 戦争の時は農民も囲いの中に入れて戦ったのでは?
    > > 外の農民はさらわれてしまう。敵を撃退しても農民が居なくなったら、大打撃です。
    >
    > 南京攻略の時の様子をみれば分かりますが、日本軍の前進とともに付近の農民は勝手に安全地域まで避難しています。一方、南京城の中では元々の住民たちは国際安全区域に入って密集しています。そして、日本軍の攻城が始まる前に蒋介石らは南京城から逃げ、下級将兵らは置き去りにされました。
    > つまり、蒋介石らは城外の農民には何の責任も負っていないわけですね。
    > 農民たちが避難するのも勝手なのですが、蒋介石は農民を城の中へは避難させません。彼らを護る義務もないのです。蒋介石にあるのは一方的な租税徴収権なのです。それが中国の王権なのです。

    古代と近代を比較するのは無理でしょう。

    > > > その点、日本は一応、同種ですからね。魏志倭人伝は、東のクニの者たちも同じ「倭種」だと書いてるくらいですから。
    > >
    > > 貢物にされた奴隷も居たのだから、倭種同士の戦争で敗れたほうは奴隷にされたのでしょう。
    >
    > 弥生時代では、そうした隷属民の存在を示す考古学上の知見がみられないようです。∩∩

    じゃあ、同国人を奴隷として差し出したと言う事ですか?
    故○○が「日本兵を労役に使ってくれ」と言ったことを思い出しますね。

  • >>13989

    > > 環濠集落は中華発祥ですが、稲作とともに持ち込まれた環濠の用い方は、倭人が必要とした用い方であり、中華にある環濠の用いられ方とは異なった点が多々あるそうです。
    > > これまで防御のためというのが通説でしたが、最近は防御性は見直されつつあるようですね。
    >
    > 吉野ケ里や愛知の朝日遺跡、鳥取の妻木晩田遺跡などはかなりの防御的施設だったようです。
    > 妻木晩田は環濠と言うより、城と言ってもいいくらい。私はこれを満州あたりから直接日本に来たものと思っています。ほかの環濠遺跡は形だけ。∩∩

    > > 中華では現在も都市戸籍と農民戸籍の別が厳然とありますように、城壁で囲った街の住民と外の農民とは別の存在ですね。古い時代の河北の城壁の中の住人は遊牧系が定着した部族員たちだった
    > > と思います。そして、外の農民は別種族の者だったのでしょう。
    >
    > 戦争の時は農民も囲いの中に入れて戦ったのでは?
    > 外の農民はさらわれてしまう。敵を撃退しても農民が居なくなったら、大打撃です。

    南京攻略の時の様子をみれば分かりますが、日本軍の前進とともに付近の農民は勝手に安全地域まで避難しています。一方、南京城の中では元々の住民たちは国際安全区域に入って密集しています。そして、日本軍の攻城が始まる前に蒋介石らは南京城から逃げ、下級将兵らは置き去りにされました。
    つまり、蒋介石らは城外の農民には何の責任も負っていないわけですね。
    農民たちが避難するのも勝手なのですが、蒋介石は農民を城の中へは避難させません。彼らを護る義務もないのです。蒋介石にあるのは一方的な租税徴収権なのです。それが中国の王権なのです。

    > > その点、日本は一応、同種ですからね。魏志倭人伝は、東のクニの者たちも同じ「倭種」だと書いてるくらいですから。
    >
    > 貢物にされた奴隷も居たのだから、倭種同士の戦争で敗れたほうは奴隷にされたのでしょう。

    弥生時代では、そうした隷属民の存在を示す考古学上の知見がみられないようです。∩∩

  • >>13986

    > 日本人の原郷 横断山脈>

    パラノイアdosは「深いの語源が中国語の黒だ」と胸張ったが、ワイが「それは間違い、フィンランド語やエストニア語のウラル語に同系の語彙がある」としたところ、パラノイアdosはそれが悔しくて顔真っ赤にしたが、「日本語の意外な歴史」が自分のブログだと言うわけにいかないので、悶絶中。
    それにパラノイアdosが上げた黒の発音も間違ってるぽい。
    黒の発音は、ファクが正しい。
    フォクではない。
    ファクは深いのフカへは変化しにくい。
    いずれにしても、深いの語源が中国語の黒だというパラノイアdosの断定は、超絶間違いだ。
    深いと同系なのは、ウラル語の語彙だ。
    わははははは。

  • >>13988

    > 遊牧民を、山と草原に分けて考えると言うのは新しい視点ですね。
    > 初めて聞いたことなので検討してみましょう。

    もちろん私の自前ではないですが、横文字で言えば、チベット人やブータン人、クルグズ人などは、山を垂直に移動するトランスヒューマンス(Transhumance、移牧)の牧民です。

    彼らが持っている薬草などの伝統的知識が見直されているようですね。

  • >>13985

    > > > ですので、遊牧民は基本的には奴隷を持たないと思います。
    > > > しかし、彼らが定着しますと、動物の扱いには馴れていますから、労働力のために人間を囲い込んだと思いますね。
    > >
    > > 日本では領民を囲い込むための城は作られませんでした。弥生時代の環濠遺跡は囲い込みもあったのかな?
    >
    > 環濠集落は中華発祥ですが、稲作とともに持ち込まれた環濠の用い方は、倭人が必要とした用い方であり、中華にある環濠の用いられ方とは異なった点が多々あるそうです。
    > これまで防御のためというのが通説でしたが、最近は防御性は見直されつつあるようですね。

    吉野ケ里や愛知の朝日遺跡、鳥取の妻木晩田遺跡などはかなりの防御的施設だったようです。
    妻木晩田は環濠と言うより、城と言ってもいいくらい。私はこれを満州あたりから直接日本に来たものと思っています。ほかの環濠遺跡は形だけ。

    > ただ、部族員以外の隷属民のための居住地、その墓域というものは、弥生時代にはみつかっていないようですね。

    戦争があった痕跡は吉野ケ里と出雲鳥取でしか見つかっていませんね。
    倭國大乱と言えば、ここしか可能性がない。

    > > 日本では労働力の不足は無かったのでしょうね。
    > > 城は定着しなかった。
    >
    > 中華では現在も都市戸籍と農民戸籍の別が厳然とありますように、城壁で囲った街の住民と外の農民とは別の存在ですね。古い時代の河北の城壁の中の住人は遊牧系が定着した部族員たちだった
    > と思います。そして、外の農民は別種族の者だったのでしょう。

    戦争の時は農民も囲いの中に入れて戦ったのでは?
    外の農民はさらわれてしまう。敵を撃退しても農民が居なくなったら、大打撃です。

    > その点、日本は一応、同種ですからね。魏志倭人伝は、東のクニの者たちも同じ「倭種」だと書いてるくらいですから。

    貢物にされた奴隷も居たのだから、倭種同士の戦争で敗れたほうは奴隷にされたのでしょう。

    > また、平安の皇居も、ちょっと梯子をかけたらすぐ乗り越えられるほどの高さしかありません。あれは、単なる垣ですね。
    > ただ、城壁を造らなくても枕を高くして眠れる日本の天皇を、中華の皇帝は高い城壁の中で羨んでいたかもしれませんね。∩∩

    中国の都を真似たからでしょう。
    唐のころは奴隷を必要としない位、人口が多くなっていた。

  • >>13981

    > 羌族が匈奴やテュルク、モンゴルのような大勢力を築けなかった最大の理由は、山という居住空間にあります。
    >
    > 山に拠点を置くということは防衛上有利ですが、広域のまとまりを作りづらいのです。
    >
    > また、遊牧民というのは個人主義が強いですから普段は纏まらない。強力な指導者を望まず、機を見て自分が指導者になろうとする。
    > クリルタイという制度に(自由民の間での)平等の精神も現れていますね。
    >
    > これは、現在の国家の形にも当てはまります。
    > 中央アジアで遊牧民的伝統を残すのはカザフ人とクルグズ人ですが、クルグズ人は羌族と同じ「山の民」です。一方、カザフ人は草原・半砂漠の民。
    >
    > 独立から現在までカザフスタンではナザルバエフ大統領が首長ですが、クルグズスタンは2回の「革命」またはクーデターを経験しています。
    >
    > 旧ソ連で同じように革命を経験したグルジア(ジョージア)もまた「山の民」です。
    >
    > 下記の羌族の民族性は、そのまま中央アジアのクルグズ人やグルジア人に当てはまります。
    > 民主主義・人権の観点からは、クルグズ人やグルジア人の民族性の方が適していると言えるでしょう。

    遊牧民を、山と草原に分けて考えると言うのは新しい視点ですね。
    初めて聞いたことなので検討してみましょう。

    > 羌の民族性(羌学の大家・袁隆旺による):
    >
    > 1. さばさばして、さっぱりしている。
    > 2. 勇敢な性格。
    > 3. 忍耐強い性格。
    > 4. 思想の根底に平等を持っている。
    > 5. 強力な指導者を望まない。
    > 6. 平和的(トーテムを羊に変えた)。
    > 7. 仇討ち・復讐を好む。

    1、と7、は相反するような。

  • >>13986

    > それよりは、「氐羌人、みんなの家」の方が良いでしょう?
    > 日本人のDNAの7割人が全て「氐羌人」とくにギャロン・現代羌族に入っている。

    なぜ、氐羌人が日本人を内蔵してしまうほどに多様かといえば、
    彼らが他集団に寛容な遊牧民であったからに他ならないと思います。

  • >>13983

    もちろん、O1b2やD1b1を強調しても良い。良い方向でね。
    たとえば、韓国に関心を持つとか、ネグリートやその親戚みたいなオーストラロイドにシンパシーを持つとかね。

    強調しすぎると、独善的な変なことになる。
    韓国と日本のO1b2はどちらが先かに専念したり、他のDとは違いD1b1だけ北方ルートだとか盲信したりね。

    君たちは後者の方に大きく偏っているの。

    それよりは、「氐羌人、みんなの家」の方が良いでしょう?
    日本人のDNAの7割人が全て「氐羌人」とくにギャロン・現代羌族に入っている。

    D1bの古人骨が華中東進ルートで出てくれば、尚良い。
    日本人の原郷をギャロン地域とすることさえできる。

    日本人の原郷 横断山脈>

    Y-DNAで見る日本人のルーツ もちろん、O1b2やD1b1を強調しても良い。良い方向でね。 たとえば、韓国に関心を持つとか、ネグリ

  • >>13980

    > > ですので、遊牧民は基本的には奴隷を持たないと思います。
    > > しかし、彼らが定着しますと、動物の扱いには馴れていますから、労働力のために人間を囲い込んだと思いますね。
    >
    > 日本では領民を囲い込むための城は作られませんでした。弥生時代の環濠遺跡は囲い込みもあったのかな?

    環濠集落は中華発祥ですが、稲作とともに持ち込まれた環濠の用い方は、倭人が必要とした用い方であり、中華にある環濠の用いられ方とは異なった点が多々あるそうです。
    これまで防御のためというのが通説でしたが、最近は防御性は見直されつつあるようですね。
    ただ、部族員以外の隷属民のための居住地、その墓域というものは、弥生時代にはみつかっていないようですね。

    > 日本では労働力の不足は無かったのでしょうね。
    > 城は定着しなかった。

    中華では現在も都市戸籍と農民戸籍の別が厳然とありますように、城壁で囲った街の住民と外の農民とは別の存在ですね。古い時代の河北の城壁の中の住人は遊牧系が定着した部族員たちだった
    と思います。そして、外の農民は別種族の者だったのでしょう。
    その点、日本は一応、同種ですからね。魏志倭人伝は、東のクニの者たちも同じ「倭種」だと書いてるくらいですから。
    また、平安の皇居も、ちょっと梯子をかけたらすぐ乗り越えられるほどの高さしかありません。あれは、単なる垣ですね。
    ただ、城壁を造らなくても枕を高くして眠れる日本の天皇を、中華の皇帝は高い城壁の中で羨んでいたかもしれませんね。∩∩

  • >>13983

    > > 殷人は南から北上してきた農耕民をいち早く支配下に置いて、農奴として働かせることに成功して文明を開化させた。
    > > 一方の羌族は相変わらず牧畜をしていた。

    私もそう思います。

    D1b1(日本人の3割)とO1b2(3割)を強調すると必ず「中国大陸から追い出された・殲滅された」という被害妄想に陥ります。

    実際には、移動の時期的に、D1b1と中国のハプログループは大陸系と接触していません。北方集団の一部が東シナ海ランド近くまで降りてきて交雑し、D1b1を北方化したというシナリオは有り得ますが。

    O1b2の場合は、全くの被害妄想とは言えません。事実、殷は南方から北上してきた農耕集団を農奴化し、国力を強めたと言えそうだからです。
    殷周革命によって農奴は華夏系O-M134(9%)によって結果的に解放されたとも言えますが、旧支配層もろとも半島に追い出したとも言えるでしょう。

    しかし、そんな大昔のことを何時までも根に持っても仕方がありません。権力に利用されるだけですよ。

    華夏系O-M134の羌・チベット系O-M117(5%)と殷人とは宿敵の関係にありました。羌人が殷人を土地から追い出したり、殷人の開墾によって羌人の牧草地が奪われたり、羌人が殷の祭祀のための生贄とされたり、漢の時代には羌が大征伐されたり…

    しかし、チベット問題はあるものの、我々は「大昔のわだかまり」を既に克服しているのです!殷も羌もN1・O1a・C・D1a集団も元は同じ「氐羌集団みんなの家」!

    やはり、「21世紀の常識・DNA時代の新しい日本人のアイデンティティ」は氐羌人以外に見つけることは困難でしょう。

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