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  • 18956 18937
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  • >>18952

    > > 天皇なんて意味ない。
    > > 天皇が国民統合の理念なんて、なんて遅れた土
    > > 人なんだと思う。
    >
    >  そういう政治思想の人がいてもおかしくはないが、まあそれが「進んでいる」と思うのは、作家ウに過ぎない。単位洗脳されているだけだよ
    >

    えたいのしれない地元のオッサン!笑
    政治思想うんぬんじゃなくそれがフツーの感覚でしょ。

    明治以前は天皇なんてただの祈祷師で、今でも得体のしれない儀式してるし。正直キモいよ。

  • >>18721

    > > > 何故だか、HNさんは騎馬民族に憧れているらしい。

    > >  騎馬民族説は、基本的に左翼に歓迎された。dos君も知らないわけでは無いだろうが。
     その理由は、天皇=大王家が半島由来で、日本人を征服した、というイメージで、一般の日本人と天皇家を切り離せると考えたからだ。


    > いや、D1bの北方ルートを半年前まで熱心に主張していたから。D1bが騎馬民族化して日本に来たとでも妄想してるんじゃないかと。

     あのねえ,D1bが縄文系主流派だと何回も言っているのに、騎馬民族であると考えている筈もないでしょうが。

    > D1bの北方ルートは7割くらいあり得るって言ってました。

    それは、崎谷満氏や、その前の分子人類学時代の尾本、根井、徳永氏らのデータを信じたから、北回り説で単純に説明できる方が、合理的だった。南方から北上し、北方系モンゴロイドになってから、日本列島に入って来るというのは、現代日本人がその形質の殆どが北方系である以上、縄文人の相当部分も、東北アジアから日本に入った事になる

    > それはあり得ないにしても、「マンモス・ハンター」の子孫とかを夢想してたんじゃないですか?

    > 大陸集団に根絶やしされたとも言ってました

    残っていなければそう考えざるを得ないが、私は言った記憶はないが
    マンモスハンターは,NHKのモンゴロイド・プロジェクトを基本にした5冊シリーズのイメージの影響が大きい。抑々私が徳永氏のHLAデータに触れて、最終的に、南方系説(当時は西田氏のTB語族説が最後の頼りだった)から転向したのは、モンゴロイド・プロジェクトの成果を、『科学朝日』~『Scias』やら,NHKの本で受容したからだ

    > 縄文人が大陸渡って遊牧民になったという無党派さん説と実は似ている
    右も左も思考が偏向した人たちって結局同じなんだなぁと見ていました

    無党派さんは、根が反米、反欧米、反キリスト教主義で、実はNationalistではないか?と思う。
    だからずっと相手をしていた

    > 「D1Bが、いわゆるヒマラヤの西回りだとは今は考えてはいない」。これは結構なことです

     崎谷満氏のミスリードの影響は大きい。彼が極端な北回り論者だった。で、他に南回り論者の、分子人類学者の発言、というのは、殆どなかった。形質人類学者のものはあったが。
    要するに、発表されたデータの影響だ

  • >>18711

    > とても重要な点で、新撰姓氏録、これがあります。日本で最初に内と外を意識したものだと思います。
    >
    > これは目的は皇族を語る氏族が多くてそれを正すためです。
    >
    > 帰化系は何より出自が明らかなのでそれが重要だったと思います。逆に言えば、それより前の大陸系の出自は誰も知らないんですよ。
    >
    > その点から天皇家の古い土着民の意識は全く感じられません。
    >
    > えたいのしれない地元のオッサンが、いち早く渡来系と混血した場合、今更その出自に拘って文字もない時代に認識してるなんてありえないんですよ。あるなら、そういうのを意識して残すはずです。
    >
    > それを逆に遠くから来たような神話で固めるとは…。
    >
    > 私はHNさんの担ぎ上げられた地元の盟主は反対の立場です。もっと初期天皇家は積極的な企業家のようなバイタリティを感じます。すぐに先進文化に飛びこんだアグレッシブな人物像しか浮かびません。

     実は、考古学的に、列島での、弥生文化の受容のプロセスが、詰められてきている。とにかく慎重なのですよ。書店店頭に、考古学者のその手の本が、受賞したと宣伝されて並んでいます。寺前氏だったか・・・(目が悪いので、、昔なら買うのですが、今は買いません。著者名も読めない)

  • >>18952

    >  渡来系弥生人側が、現地の首長を担ぎ上げて、摩擦を避けた。で、農耕を受容した在来系弥生人(縄文系の弥生化した集団)の王家が、大王家になる。当然彼らのidentityは、「弥生人」=倭人のものになる

    ネーション創出の願望でしょ。
    今のD1b1は都落ちした天皇一族がバラ撒いた種でしょ。
    縄文人じゃないよ。

  • >>18706

    > >  上記、私は、渡来系弥生人=倭人の出自だと考えていたが、今はD1b2系統だという、トピ主のssnさん⦅の⦆主張を受容しているよ。

    > 天皇なんて意味ない。
    > 天皇が国民統合の理念なんて、なんて遅れた土
    > 人なんだと思う。

     そういう政治思想の人がいてもおかしくはないが、まあそれが「進んでいる」と思うのは、作家ウに過ぎない。単位洗脳されているだけだよ

    > 天皇の存在理由は、統合ではなく支配だ。

     支配と統合は、ある意味不可分だ

    > 天皇がD1b1ってことにも意味がない。
    > チェンジさんが見抜いたように、天皇に土着のアイデンティティーなんてなかったし、
    > むしろ縄文人など蔑むべき対象だった。
    > でなきゃ、国巣とか蝦夷とかを殺しまくらないでしょ。

    > 本当にどうやって彼ら弥生人に取り入ってのし上がったのか、このプロセスが分かったら面白いなと思うだけ。

     渡来系弥生人側が、現地の首長を担ぎ上げて、摩擦を避けた。で、農耕を受容した在来系弥生人(縄文系の弥生化した集団)の王家が、大王家になる。当然彼らのidentityは、「弥生人」=倭人のものになる

  • >>18700

    > > > 本論文は,朝鮮半島の南部,洛東江流域に三韓時代から三国時代に小国家連合として独自の文化を形成した加耶について,その成立と歴史的背景を考古学的に解明することを意図した研究で,5章15節の本文と表,図,文献目録で構成されている。
    > > (中略)
    > > > いまさらの話ではあるが、伽耶に騎馬民族が現れたのは、4世紀後半であり、新羅伽耶古式陶質土器が現れたのもこの時期、
    日本ではまだ弥生時代後期の事である

    > >  古墳時代の開始を5世紀だあ~と一人頑張って、上記所説が自身の仮説の支持材料になる、と思っても駄目ですよ

    > ▶青谷上寺地遺跡人(2世紀後半~3世紀)
    ・倭國大乱:2世紀後半

    > ▶市尾カンデ遺跡(4世紀末から5世紀初め)
    これまで5世紀後半以降とされていた渡来人の本格的な定住時期が大幅に早まる。
    ・五胡十六国時代:4ー5世紀
    ・古墳時代:3世紀中頃ー7世紀
    (・騎馬民族説:4世紀後半ー5世紀)

    > うん。繋がりますね。大陸の動きと連動している
    HNさんはもっと視野を広くするべきでしょう

     あほらしい。大陸南部の、会稽郡に献見した東鯷人や「倭人字磚」の話まで踏まえているのに、何を言うやら。
     君は新規サン勇者だから、他分野の祭祀ンオ知見や定説を、基本として、話を組み立てられるから、それら盧相反する過去のでーたなどを考慮せずに済んでいる、追わば「高初者の利点」がある。逆に、知ら兄事も多い。それがわかっていないというか、気付いていない部分もある。 専門分野の言語学は勿論の甥張りでよい


    > 洋泉社『日本人の起源』:
    > 42頁「日本と朝鮮半島に限局して考えることが多いが、遺伝子の構成は実際には東アジアにおける農耕民の拡散と移動という視点から捉える必要がある」。
    >
    > 43頁「現代人のゲノムと変わらいない弥生人の時点でも列島の大部分に縄文人が居住していたことを考えると、さらに大陸からの流入を考えないと説明がつかない・・・古墳時代人骨のDNA分析は新たな日本人形成のシナリオを生むはずだ」。
    >
    > ーーーー
    > 参考:
    > ・後漢:羌族を陝西省・山西省に強制移住により居住地拡大。内地の羌族の反乱。
    > ・三国時代:黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から西晋による中国再統一(280年)まで。中原進出の羌族が増える。

  • >>18947

    日本のO1b2は水稲栽培を齎していないと思うよ。
    漁民で半島で稲作を学んだ。
    教えたのはO1b1とかO-JST002611、M7じゃないかな。

  • >>18947

    混合説はアホの局地だからやめなさい。
    実験じゃないんだから。

    借用語はあるが、言語をゲノムの混ざり合いみたいに捉えてはいけない。

  • >>18944

    ウズベク人のおばさんが立ち小便してるのは見たことがある。
    夜だったが、後ろでジョボジョボジョボと音がして振り返ったら立ち小便していた。音にびっくり。笑

  • >>18698

    > >  でmtDNAやY-DNAのデータを加えて、日本語の起源地を、徐々に南西方向に下げて、山東になったわけだ。で語彙を考慮して、AA語族のアルタイ化説になった。
    > >
    >
    > 語彙を考慮して云々...てね、
    > そんな都合よく構文だけがアルタイ的に変わる筈ないでしょう?
    > HNさんて、全く現実の言語を知らない人ですよ。

     あのねえ、混合語説を唱える言語学者は、皆、そういうスタンスだと思うよ。
     まあ、それは別にして、水稲農耕に関連した語彙群は、当然それを主生業とする以上、アルタイ系と言うか、アルタイ化しても、残存する事になる。
     黄河流域で、水稲農耕が起源したわけでは無い

  • >>18694

    > > > htt(中略)
    金海市・大成洞古墳群 4世紀の木槨墓2基を発見 うち1基は鮮卑族との交流を示す遺物が出土
     金海・大成洞古墳博物館は7日、大成洞古墳群に対する第7次学術発掘調査を行った結果、4世紀前半に作った王陵級大型木槨墓2基(88号墳と91号墳)を確認したと発表した。
     2つの古墳は木槨長さが8mを超える超大型級木槨墓。 88号墳からは銅矛、銅鏃、鉄鏃、巴形銅器(4脚)などが出土。91号墳からは、銅鍑、銅盆、銅碗、馬具(金銅辻金具(注1)、金銅馬鈴など)など、北方の鮮卑族との交流を示す遺物と筒形銅器が出土
    金官伽耶で既に4世紀前半に金銅製馬具を使っていたことは、これまでの通説を変える発見となる。(中略)
    *これは間違いなく騎馬民族が伽耶に来ていて、支配していた事の証拠であろう
    申敬澈教授が大昔に唱えた騎馬民族到来を支持するものである

    > > > 申敬澈氏の学位論文に対する評価
    本論文は,朝鮮半島の南部,洛東江流域に三韓時代から三国時代に小国家連合として独自の文化を形成した加耶について,その成立と歴史的背景を考古学的に解明することを意図した研究で,5章15節の本文と表,図,文献目録で構成されている。
    (中略)
    いまさらの話ではあるが、伽耶に騎馬民族が現れたのは、4世紀後半であり、新羅伽耶古式陶質土器が現れたのもこの時期、
    日本ではまだ弥生時代後期の事である

    > >  古墳時代の開始を5世紀だあ~と一人頑張って、上記所説が自身の仮説の支持材料になる、と思っても駄目ですよ

    > 邪馬台国畿内説にとっては都合が悪いだろうね
    この文文献により、新羅や伽耶の成立は4世紀後半であることが確定したんだよ。そして新羅伽耶古式陶質土器が日本では弥生時代の土器と共範しているのだから、4世紀後半は日本は弥生時代だったことも確定した
    邪馬台国畿内説は逆立ちしても成り立たない

     よく読みました?
    鮮卑との「交流」を告げる証拠という評価であり、鮮卑が来たという「考古学的証明」にはなっていない。
     自説に都合よく、勝手読みする無党派さんの得意技を又発揮しただけ。
     騎馬民族は、朝鮮半島南部には来ていない、という説もまだ考古学者には多い。おそらくその方が主流かも知れない。
     私は鮮卑ではなく、扶余(騎馬民族と言うより半農半猟だが)なら来たとしても良いとはおもっているが

  • >>18693

    > > > The peopling of the Himalayas may be quite late relative to other areas of eastern Eurasia, being settled only in the past 5000–7000 years (Huang, 1994). This region is now occupied by many populations speaking Sino‐Tibetan languages.
    > > >
    > > > チベットに人が入ったのは遅い。氷河時代が終わって温暖化がピークに達したころ。
    > > > そして、本格的にチベットで人の営みが行われたのは,2000年前くらいになる。
    > > > シナ・チベット語と括られるのは、シナ語が完成してしばらく経ってから、シナ人が入植したからに過ぎない。
    > > > 羌族が匈奴の影響で騎馬民族化して北方から、東から漢時代後半の動乱に追われた農耕民が入植した。
    > > > チベットのD1aがこのときに入植したのか、それとも温暖化のピーク時(6000年前)に来たのかは、古人骨の遺伝子を調べるしかない。
    > >
    > >  上記引用文では、「ヒマラヤ」と書いてあり、青蔵高原とか西蔵高原⦅とか⦆記載していない。ヒマラヤ山脈の⦅幸地⦆を通過して、チベットに新人が到達したわけでは無い。
    > > 河川沿いに北上して、河源地域、いわゆる星宿海辺りに達したのと、北周りで河西回廊から、青蔵高原医入ったかになる

    > 誤読。
    > チベットの歴史について述べたものだ。引き続いて述べられた分には入ってきた方向が、北と東の2方向から入ってきたとも書いてあった。

     だとすれば、旧説。チベット高原医人が居住したのは、もっとずっと前だという、『日経サイエンス』の記事を引用したのは、数年前だったと思うが、無党派さんの上記引用文で、チベット高原医人が入植したのは、他地域よりずっと遅く,5000~7000年前、としたのはHuang、1994、が根拠。20年以上前の旧説を、自説に都合がよいからと言って、引っ張って来ても、時代遅れで使い物にならない

  • >>18692

    (略)
    m)LGMには中国南部まで下がっていたはず。そこまで気が回らない阿保だね
    南米人は間違いなく縄文人と同時か、縄文人より早い時期の分岐
    そして南米のほうが考古学的に早く移動している
    マリタ人はその後になるわけで南米が15千年前なら、マリタ人は12~3千年前の分岐

    hn)集団Yが南米人に遺伝子流動を起こしたことは先ず間違いないが、南米先住民の形質の殆どはベリンジア通過の「最初のアメリカ人」

    m)南米先住民にアボリジニの遺伝子が濃く残って居るのにそんなことが言えるの?

    hn)集団Yと最初のアメリカ人が南米の先住民に残した遺伝子の比率は、1:50ぐらあい。で集団Yが、シベリア・と北米を通過した場合には、その比率はもっと上昇するが、知れたもの

    m)もはや脳軟化症

    hn) 遺伝人類学のデータ

    m) そんなデータない

    > > ライクが『交雑する人類』の中で出し、、無党派さんが気付かずに引用した図

    > あの図に1:50なんて書いてない

     当たり前。ライクの分にはちゃんと書いてある。で、集団Yの遺伝子流動を受けた比率を示したのが、「亜の図」であり、ハーヴァード大学遺伝学教室と記載があった。
     図一つで、お手軽に済まそうとするから、そういう事になる

    m)南米先住民にコテカと言うパプアと共通する風俗があるのにそんなことが言えるの?
    南米先住民も里芋を栽培しているよ
    熱帯ジャポニカではないかと思われる稲も南米にあるよ

    hn)民俗学的習俗の類似は環境(熱帯森林)という環境の共通性に対する適応でも説明可能だし、コテカが何時出来た習俗かも不明。南島語族ポリネシア語派の南米との往復があった事は判っている

    m)ない。ポリネシア人はコテカなんてやっていない

    hn)航海民にコテカの風習など残るはずもない

    m)あんたの説では台湾発のポリネシア人がコテカを伝えたんでしょ?
    それともシベリア人?

    > > 南米で独立して考案されたか、ポリネシア人経由かは不明

    > 歴史の中のトイレ事情という本に、日本にも南米人と同じような風習が江戸時代まで残っていたと書いてある
    日本のもパプアから伝わった風習だと思うよ
    その本には「京都の婦人は街中でケツをまくってタチションをしていた」とも書いてあった^^

    全部伝播だと言う話にはならない。女の立小便は昔はどこにでも

  • >>18689

    > > > 日本人は遼河地域のN1, O2, C2に基礎があります。これはハプログループでも全ゲノムでも疑い得ない事実。
    > > > 紅山文化以後、彼らが融合し日本人になった。
    > >
    > >  実の所、私が、徳永勝士氏のHLAハプロタイプを根拠にして、倭人遼河起源説を主張した時は、おおむねそういう説だった。
    > >  でmtDNAやY-DNAのデータを加えて、日本語の起源地を、徐々に南西方向に下げて、山東になったわけだ。で語彙を考慮して、AA語族のアルタイ化説になった。
    > >
    >
    > で、その後、yDNAハプログループでO-M134=TBということが分かった。
    >
    > また、遺跡の古人骨の解析が進んで、甘青地域から内モンゴル東南部・遼東へのO2またはO-M134の動きも明らかになった。
    >
    > このコースでは山東への東進ルートより言語が保存されている可能性が高い。
    > 無理してAAとアルタイ諸語を奇妙に結びつける必要はない。違うかい?

     「水稲農耕」との関連で,AA語族を外せないので、その担い手が、Y-O1b2集団だった、という事になる。Y-O2波、黄河系統の雑穀農耕の担い手ではあっても、水稲農耕と結びつけるのは、やはりまだ難しい。
     ただし、「ある対価」ではなく、TB化(AA語族のO1b2集団が)という選択肢は、ある。しかし遼河系統が、(原)ウラルが出発点であるならば、TB語族を持ち出すわけにもいかない。結局、山東にO1b2が、いつ来たのかが問題になる。それが古人骨で決定すれば、その結果次第で考える。

  • >>18688

    (略)
    m)日本の考古学者も、韓国の考古学者も、弥生時代は韓国から来たと初めから決めつけて、遺物の解釈をしているの
    冷徹に年代を解釈してみな
    弥生土器の年代と韓国の無紋土器の年代は歴博の測定では同時期なのだ

    hn) 誤認

    m)自分の信奉する、歴博のデータが信用できないのか?

    > > わからない人ですね。なるほど歴博は、韓国で言う青銅器時代の無文土器時代の松菊里式の開始時期まで、日本の弥生時代の開始期を遡及させたが、韓国の無文土器・青銅器時代は先松菊里時代もあるのですよ。そこまで弥生時代は遡及していない。だから「誤認」だといった

    > 青銅器が伝わったのが韓国が先であることは否定しないさ。稲作開始は500年以降なんだよ
    事実誤認はあんたのほうだ

     もはや、他人の客観的な事実提示す羅、自説に合わないと、無視出来る無党派脳にはなにを提示しても無駄ですから、このトピを覗いている他の方への、情報提供、或いは注意を促す意味での書き込みです。
     とっくに小畑博己氏『タネをまく縄文人』から、韓国のイネの炭素14年代を示しましたし。、韓国の場合は、イネ炭化物の炭素年代、イネ花粉、プラントオパール、それにレプリカSEM法に依る年代が全て、一致して、日本の年代より古い事は、何回も説明済みです。当然、稲作開始は、韓国青銅器時代の先松菊里式時代以前、つまり日本御弥生時代開始期より古い時代に、遡る

     以後の部分も、先ず考古学的事実を、都合のよいようにしか解釈していないで、たわごとを述べているだけなので、レスは省略する。
     無駄レスをする時間は、無くなった

  • >>18940

    テュルクのQは阿徳氏がQ1aなんじゃ?という話。王族はR1aなんじゃ?とされる。
    これらは、ただ、スキタイ、匈奴の延長線で残っていたハプルグループと解するのが妥当だと思う。

    私もテュルクは東方で成立したと考えている。
    東方ならば、O-F444かC2となる。古人骨の状況からO-F444が適当だと考える。

    鮮卑拓跋・慕容の王族ハプロがO-F444とされているだけでなく、この地域の契丹の後裔であるカザフ人にO-F444が多く見られるということも支持材料になる。

    何度も書いているが、とくに新彊カザフ人とアルタイ・カザフ人で高頻度。
    新疆カザフの半分弱を占める。彼らの部族はナイマン部だ。

    Qは単に突厥の王族がこのハプロだったんじゃないかという話に止めておいた方が良い。
    天皇一族のyDNAにも通じるところがある。
    縄文人を代表する勢力としての天皇ではなく、率先して弥生化し権力を持った者のハプログループが偶然にy-D1b1だったということだ。

  • >>18685

    > >  C2がアルタイ言語連合~アルタイ語族だろうとは考えているが、勿論、古アジア語族など他言語の話者にも居る.Qは、アメリンドなどを除き、現代では特定の言語との関連はないが、まあチュルクかな?という程度だ。
    > >

    > えー、HNさん、インディアンの言語とテュルク語に系統関係あると思ってたの?
    > えー、うっそー、やだー笑

     dos君も誤読を得意とするのかね?
     語族形成期以前御言語は、基本的に残存しない、残っている場合は、ニュー・君あの諸言語のように、まとまりを欠くしょうげんご群御集まる地域だ、と言っている。
     むしろ言語学界の常識的見解だろうと思うが、チュルク語族が成立した当初の担い手のY-DNAは,Q系だったかな?という推測だ。語族形成期以前に北米に渡ったQ系を、グリーンバーグが、アメリンドだ奢族として、まとめたが、まあ、パプア諸言埔を、一つの大語族にまとめたのと同じ虞来の意味合いだろう。
     チュルク語z句が、形成された時、どういう機序で形成されたかは不明だ。他の先行して形成された語族の刺激もあっただろう。

     しかし、このトピを1週間ぶりか10日ぶりにに覗くが、その感動なっているのやら。
    日本語の起源トピは、とりあえず、数日前に読み、追いついたところで、最後の書き込みをした。今後覗く時間は取れないだろう。

  • 義渠は、岐山・梁山・涇水・漆水の北に居住していた[1]とされる。また涇北に義渠の戎があった[2]とされる。

    義渠は「4つの河」を意味するという説がある:
    義渠Indeed, the word "Yiqu" borrowed into ancient Chinese with the characters "義渠" (Old Chinese: /*ŋ(r)aj-s [ɡ](r)a/) may be an Old Qiang toponym meaning "Four Waters", which corresponds to the four rivers which meet at the old Yiqu capital at present-day Miaojuping.

    ギャロン語カンゼ諸方言に「水」γərə、γrə系が多し。wurəも。
    現代羌族語よりもギャロン語に近い。

    一方で、火葬の習慣からトカラ人説もあるようだ:
    岑仲勉根據語言學及火葬習俗等,考證他們可能是吐火羅族的分支,起源於印度,移往新疆,在春秋時代移居到隴西居住[1]。

    とすると、匈奴の羌渠というのは「姜水」という意味になる。西安と天水の中間に位置する宝鶏市あたり。
    姜姓
    地名説
    三皇五帝の一人である炎帝神農氏が姜水のほとりで長じたことを起源とする。「姜水」については、現在の清姜河(渭水の支流)、あるいは岐山県の岐水という2つの解釈がある。

    Y-DNAで見る日本人のルーツ 義渠は、岐山・梁山・涇水・漆水の北に居住していた[1]とされる。また涇北に義渠の戎があった[2]とさ

  • mtDNAの仕分け

    (1) y-Cーmt-A、B、D、G
    南中国にまずいたのはCだから当然重視すべきだろう。
    A、D、GあたりはCの配偶。G以外、ともにアメリカ大陸
    に渡ってもいる。
    ・AとGはTBにも多い。

    (2) 中国南部・沿岸地域で影響力を持ったO1ーB、F、D5
    のあと、南中国にはO1が来た。
    配偶はB、Fか。BはO1と海に展開する。
    CからD5を受け取る。
    ・FはTBにも多い。

    (3) 中国北部で影響力を持ったNとO2

    ① 次にヒマラヤから東進したのはN。さらに、O2。
    NとO2はシベリア以外、分布が似ている。東チベットにはNとO2が共存するローバ人がいるし、雲南TBにはNが多い民族がかなりいる。モンゴル高原の緯度でも同様。
    とくにO2は中国内地では新参なので、先行集団から女系を得たことを考慮しないといけないだろう。

    ② この2つの元の配偶は、チベット・モンゴルにも見られるM8a、M10あたりが順当か。
    西シベリアに行ったウスチ・イシム人(y-K2a*/NO*、mt-R*)は現代チベット人に最も近いのだから、北方へ向かったmt-N・R系も引き連れていただろう。
    AとF、N9それからGあたりも候補となりうる。

    O2のうちO-JST002611〜O-M7はO1のBを受け取る。これらは、島しょ部にもかなり見られる。
    ・O-M7のHMはB。

    ③ CからD4を受け取る。O1の配偶のうちの内陸分布型Fはこれらが受け取り北方に運んだと見て良さそうだ。
    AもC2からO2・NとQにバトンタッチされる。
    GはZのようにNがCから受け取り、西へ運んだ。

    (4) Dは人口も少なく局地分布型なので、D1aは同じく内陸分布のM9a、D1bは海岸・島嶼分布型としてM7で良い。

  • 中国人にO-M134は3割もいるはずなのに、DNA版では静かなんだが、なんでかなぁ?
    何故かうるさいのは中国人O1aばかり。笑
    まあ、最大ハプロが静かなのは健全だろう。
    日本のD1b1・O1b2五月蝿すぎ。笑

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