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  • 九州説の安本美典氏は5~8世紀の間に即位した天皇の一代平均在位年数が10.88年、
    古くなると若干在位が短くなるという統計から5世紀以前の天皇平均在位を10年とし、
    神武天皇を3世紀後半、卑弥呼を九州にいた天照大神としました。

    さてそうでしょうか。

    考古学的にも文献史的にも応神天皇元年390年が有力となってきた昨今、
    もう一度平均在位を計算し直してみました。
    平均在位と言っても短すぎるのも長すぎるの正確な数値が出ないと思われますので、
    30代を基準に25代~35代をランダムに採って見ました。

    ・25代平均  応神天皇390年~39代弘文天皇没672年  11,28年
    ・28代平均  応神天皇390年~42代文武天皇没707年  11,32年
    ・30代平均  応神天皇390年~44代元正天皇没724年  11,13年
    ・33代平均  応神天皇390年~47代淳仁天皇没764年  11,33年
    ・35代平均  応神天皇390年~49代光仁天皇没781年  11,17年

    いかがでしょう、11年弱が平均在位です。
    さらに古くなると在位が短くなると言う事ですから【11年】が妥当でしょう。

    では平均在位11年で神武天皇まで計算してみます。
    ただし神功皇后は確実な一代と見なし、15代遡ります。

    11年×15代=165年。
    応神天皇390年ー165年=225年。

    神武元年は3世紀前半となりました。
    卑弥呼の時代に重なります。

    では卑弥呼とは誰か。

    何の事はない、初代皇后ヒメタタライスズ媛でしょう。
    歴史上、卑弥呼に最も近い名前を持ってます。
    ではヒメタタライスズ媛が宗教的権威を備えていたか?
    彼女の父(祖父説もある)はあの大物主です。宗教的権威を備えていないわけがない。

    当時は通い婚の時代であり、この通い婚という制度は必然的に嫁の実家が権力を得ます。
    これが実質最高権力者が大物主であった【邪馬台国】の実態でしょう。

    ではトヨは誰かと言えば4代天皇懿徳の皇后、天豊津媛命です。
    「ヒメ」と「トヨ」がこんなにはっきり出てるのに誰も気付かない。

    http://inoues.net/waj.html

    誰一人気付いてません。
    もはや総ハゲ状態です。

    なおzarakoku氏の書き込みは禁止させてもらいます。
    それでも書き込んでくる場合は一切無視してください。

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  • 2460 2441
  • >>
  •     事代主

         ┣━━━━━━━┓    

      クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴(248年没)━━神武

         ┃       
         ┣━━━━━━━━━┓

        建飯勝    ヌナソコナカツ媛━━ 安寧

                       ┃
                      息石耳
                       ┃
                      トヨ津
                       ┃
                       孝昭
                       ┃
                     天足彦国押人命
                       ┃
                     和邇日子押人命

  • >>2458

    > 卑弥呼の名前は日の御子か、それとも姫皇女か
    >
    > いずれにせよ、比定できる女性は無数にいる。
    >


    いえ、崇神が4世紀前半ならば、もう一人しかいません。
    中平銘鉄刀が出た東大寺山古墳は和邇氏の墳墓。
    和邇氏はトヨ=天トヨ津から産まれた孝昭天皇から始まってます。
    トヨ津の祖母は王女・ヌナソコナカツ姫。
    王とは鴨王・クシヒガタ。
    ならばヒミコは一人。
    ヒミコことヒメ踏鞴の姪がヌナソコナカツ姫。


    もう決定です。

  • >>2455

    卑弥呼の名前は日の御子か、それとも姫皇女か

    いずれにせよ、比定できる女性は無数にいる。

    この点、臺與トヨとは異なる。

  • 和邇氏の墳墓・東大寺山古墳出土の中平銘鉄刀は卑弥呼が貰った刀としか説明できない。
    では和邇氏とは何者か。

                    
                    天トヨ津
                     ┃
                    孝昭天皇
                     ┃
                  天足彦国押人命
                     ┃
                  和邇日子押人命
                     ┃
                   彦国姥津命


    トヨから始まる。
    ではトヨは誰の子か?
    息石耳命(おきそみみのみこと/いきそみみのみこと)の子である(母不詳)。
    では息石耳命は誰の子か?
    ヌナソコナカツ姫の子である。
    ではヌナソコナカツ姫は誰の子か。
    ヒメ踏鞴の兄で鴨王こと天日方奇日方命の子である。
    つまりヌナソコナカツ姫は王女である。
    ヒミコことヒメ踏鞴の姪である。

    和邇氏は見事に王権と繋がっていた。

    邪馬台国は解明したのである。
    和邇氏は天理だが、卑弥呼ことヒメ踏鞴は葛城。

    邪馬台国の王都は葛城であった。

  • >>2455

    >日本書紀では卑弥呼を隠していません
    >神功皇后に充てている。

    4世紀後半の神功皇后を3世紀初頭の卑弥呼に当てているのは、
    干支を2運120年ずらし卑弥呼を隠してるという事になります。
    そして神功皇后紀にわざわざ魏志を引用してるということは、
    読み手に卑弥呼と神功皇后を間違えて欲しかったのです。

    >帥升の朝貢を隠したければ書かなければそれでいい。

    もちろん書いてません。
    朝廷が一番隠したかったことですから。
    そして倭國王帥升ことスサノオを神話にしてしまいした。

  • >>2452

    日本書紀では卑弥呼を隠していません

    神功皇后に充てている。

    帥升の朝貢を隠したければ書かなければそれでいい。

  • >>2440

    > >和珥氏(和爾氏)の語義が、王族だという意味で「王氏」だという説の方が面白いように思います。「おう」は現代語音では「おう」ですが昔であれば「わう」とかW系の半子音が語頭にあった。
    >
    > 和爾氏本拠地
    > 和爾坐赤坂比古神社
    > 奈良県天理市和爾町
    > 祭神「阿田賀田須命」
    >
    > 阿田賀田須という人物、これ最後の大物主ですね。
    > 鴨王ことクシヒガタの5世代後の人物で、おそらくモモソヒメの亭主と言われるのもこの人でしょう。
    >
    > モモソヒメが箸でホトを突くという不思議な死、そしてこの人物を最後に太古から続く鴨王朝が絶たれ、
    > オオタタネコが置かれ、出雲の神宝が奪われ(出雲振根事件)山陰出雲では四隅突出墳墓が終わり、
    > 出雲国造が置かれ、崇神がハツクニシラスとなる、つまりクーデターですね。
    >
    > という事は大神神社で祀られてる大物主とはこの阿田賀田須という人物でしょうね。
    >
    > 和爾氏と言えば孝昭天皇の末裔と言われてるのでその事ばかり頭にありました。
    > いやこれは面白い、全然気づかなかった。

     もう一つ、「和邇氏」の「邇」という漢語の意味には「近い」という議義もあります。で「和」が「王」という漢語の音写であるならば、「和爾」氏という氏族の名称の語義は、「王に近い」氏族だという意味を籠めた氏族名称だと言う事になります。これについては昔私は「邪馬台国」トピで書いたことがありますが、欠史八代とされる初期大王家(天皇家)から分出したとされる氏族群の内、有力な氏族は、「多臣」と「和爾臣」ですが、「多」氏は「大」「多」という語義の氏族名、「和爾」氏が「王に近い」という氏族名を持つのは、極めて重要な意味があると考えています。即ちこのような重要な意味のある氏族名を有し、それが大王家や物部、大伴、或いは葛城氏など武内宿祢後裔を称する氏族群、大彦命後裔を称する阿部臣以下の氏族群に「認められていた」と言う事は、実際に彼らが初期の大王家から分出した氏族群である、と認識されていたと言う事であろうと思います。即ち「欠史八代」の諸大王は実在し、且つ大王家の実際の祖先だと大和政権内の諸豪族で認識が共有されていた、と考えるべきだと言う事です。
     欠史八代の実在を証明する上代日本語資料としての氏族名称、という捉え方が可能だと思います。

  • >>2452

    >大和朝廷でも綏靖以下開化あたりまで物語が無い。
    >女王が居たらもっと記紀に痕跡が残っているでしょう。


    7代孝霊の后の名前まで載ってるのに、
    孝霊はじめ8代の事績がないのは、
    載せることが出来なかったわけです。
    時代的に考えても卑弥呼や台与と直結するからです。

    卑弥呼を隠す、それが目的だったので、
    神武東征紀で猛々しい男王を強調。
    そして時代を大きくずらしたのです。

    その先には帥升ことスサノオの土下座隠しがあった。

  • >>2449

    行程、里程の話はずっとやってきたので結論はほぼ出ています。

    邪馬台国時代のことは記載された文章がないので卑弥呼が不明なのは当然。

    大和朝廷でも綏靖以下開化あたりまで物語が無い。
    女王が居たらもっと記紀に痕跡が残っているでしょう。

  • 和邇氏の東大寺山古墳から「中平」の紀年銘を持つ鉄刀が出た
    最近では発掘にも参加した金関恕(ひろし)氏(大阪府立弥生博物館館長、天理大学名誉教授)が
    考古学雑誌第99巻2号(2017年3月)で、
    邪馬壹国の女王・卑弥呼がもらった「五尺刀」がこれにあたるのではないかなど見解を述べておられる。

    和邇氏はヒミコの系統である

                   ヒメ踏鞴(248年没)
                     ┃ 
                    トヨ津
                     ┃
                    孝昭天皇
                     ┃
                  天足彦国押人命
                     ┃
                  和邇日子押人命
                     ┣━━━━━━━┓
                   彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
       ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
     伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
      ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
     彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
    (武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
           八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
          (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)
           【安那氏祖】  【春日氏祖】  【猪甘氏祖】
                   【真野氏祖】
                   【壬生氏祖】

  • >>2449

    行程、里程の話はずっとやってきたのに結論は出ません。

    ならば卑弥呼が誰かを考えればいい。
    九州には候補がいないし王権があった謂れがない。
    アマテラスだと言ったところでどこに住んでいたのかもわからない。

    弥生時代の硯がみつかり、すでに文字があったはずなのに、
    文献で証明できないのは九州に王がいなかった証拠。

  • >>2447

    郡から狗邪韓国まで7000里

    郡から邪馬台国まで12000里。

    これからすれば九州です。

  • >>2447


    >倭人伝を素直に読めば九州です。

    素直って何ですか。
    短里の時点で素直ではない。

  • >>2444

    九州には吉野ヶ里や平塚川添遺跡が有る

    ここを邪馬台国だと断定することは出来ないが、邪馬台国も同規模ぐらいであったでしょう。
    九州に邪馬台国が存在した可能性は十分あります。

    倭人伝を素直に読めば九州です。
    捏造する必要は無かった。


  • 和邇赤坂彦神社の祭神は阿田賀田須。
    太古から続く出雲王朝のラストエンペラーだ。
    だから卑弥呼の五尺刀(天理大学名誉教授 金関 恕氏)を和邇氏が受け継いでいた。

    そのラストエンペラーを倒したのが崇神だ。

    ラストエンペラー阿田賀田須の5世代前に卑弥呼がいる。
    阿田賀田須と卑弥呼は同じ王族で同族だ。
    曲学さんこと桂川さんはまだウナビ媛だと言ってるが時代が違う。

    本当の卑弥呼はもう1人しかいない。

  • >>2444

    九州には王権があった謂れがない。
    消されたとか、封印されたなんて話は無理、
    王権の謂れがあれば何かしらの痕跡が残る。

    記紀は中国史書への対抗策として編纂された。
    神功皇后の時代を大きくずらし卑弥呼を隠したのもそのため。

  • >>2441

    記紀が捏造されているなら、まず倭人伝をもとに邪馬台国の場所を算定すべきです。

    では、その倭人伝のみで解釈して、邪馬台国はどこか。
    東に行っていないので九州しか考えられない。
    日数の問題は起点をクジャ韓国に戻って算定すれば十分当てはまる。

  • スサノオ(帥升) アマテラス           107年
    ・              オシホミミ
    ・             ニニギ
    ・             ホオリ
    事代主           フキアエズ
    ①奇日方(鴨王)◎ヒメ踏鞴ー神武        200年頃
    ②建飯勝          綏靖         220年頃
    ③建甕尻          安寧         240年頃
    ④豊御気主    ◎トヨ津ー懿徳 孝昭      260年頃
    ⑤大御気主         孝安 孝霊      280年頃
    ⑥阿田賀田須        孝元 開化      300年頃
    崇神(ハツクニシラス)             318年没

    ①から⑥までが大物主である。
    最後の大物主⑥阿田賀田須を祖とする和邇氏の東大寺山古墳から
    「中平」の紀年銘を持つ鉄刀が出た。

    最近では発掘にも参加した金関恕(ひろし)氏(大阪府立弥生博物館館長、天理大学名誉教授)が、
    考古学雑誌第99巻2号(2017年3月)で、
    邪馬壹国の女王・卑弥呼がもらった「五尺刀」がこれにあたるのではないかなど見解を述べている。

    阿田賀田須が王族、つまり卑弥呼と同族であった証拠である。

    ヒミコとはヒメ踏鞴五十鈴媛である。

  • ■ヒメ蹈鞴五十鈴媛

    日本書紀では「媛蹈鞴五十鈴媛命」
    ヒミコなら「蹈鞴」や「五十鈴」は何なのだとの疑問が湧く。

    逆説的に言えば媛蹈鞴五十鈴媛命だからこそヒミコなのだ。

    日本書紀は神功皇后を120年古くずらし卑弥呼の時代にあて、魏志の記事を引用している。
    これは本当の卑弥呼が誰なのか知っているからこそ隠しているのである。
    その日本書紀で「姫命」「媛命」「日女命」「比売命」「日巫命」などと誰でもヒミコだと分る名前を表記するわけがない、隠した意味がなくなるからだ。
    ヒミコとはただ普通に周りから「ヒメ」と呼ばれていた日本語の発音を魏使が漢字で「卑弥呼」と表したのであろう。

    古事記では「富登多多良伊須須岐比売」(ホトタタライススキヒメ)だとし、
    この名前を嫌がって「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)と変えたとしている。
    変えたのなら最初から「比売多多良伊須気余理比売」と書けばいい。
    これはヒメからくる卑弥呼のイメージ、そこからできるだけ遠ざけようという魂胆が垣間見える。
    どこの世界に娘に陰部の名前を付ける親がいるものか、これは意図的な創作であろう。
    私は帝紀・旧辞には「姫命」「媛命」「日女命」「比売命」「日巫命」などヒミコと分る名前が記されていたと推測する。
    それをそのまま書けなかった。
    かといって全然違う名前にしたり、存在を消すなんてことはできない、
    それは祖先への冒涜になる。
    考えられるのはアレンジである。
    ヒメにプラスαしていけば第一印象で容易にヒミコと分からない。
    よって7世紀の出雲族の象徴「踏鞴」と妹と同じ「五十鈴」を足した。
    その結果が媛踏鞴五十鈴媛になったと推測する。

  • >>2437

    神武以下男系の天皇

    単純に考えるべきでは?

    倭人伝を読んだら邪馬台国が何処にあるか、ほぼ分かる。
    それと整合性が有るのが記紀。

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