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    邪馬壹国の位置は「魏志・倭人伝」に記されている行程記事に明確に記されています。コノ行程記事を正しく、解析スルには行程記事解析の”心得”が必要です。クイズ的で参加される皆さんには失礼だとは思いますが、結論に対して批判するだけよりも考察しながら解析して、いく方がオモシロイので行程記事解析に入る前に先ずは「解析の心得」からという事でお願いします。

    謎解き:「水行」と「船行」は同じ”水域”を行程する訳ですが陳寿は何故、「水行」とは別に「船行」という表示をしたのでしょう?

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    言語虫 1月18日 05:00

    ★「ひ」は、「日」。意味解釈は「天皇家」。
    ★「つ」は、「付」。
    ★「せ―」は、「政」。意味解釈は「張政」。
    ★「ご」は、「後」。
    ★「ひ」は、「日」。意味解釈は「天皇家」。
    ★「つ」は、「付」。
    ★「つらい」は、「連らい」。意味解釈は「連ねる」。

    「五 瀬 五五  瀬 」
    「いつせ ごいつつらい」
    「ひつせ ごひつつらい」 
    「日付政 後日付連らい」

    ★人名「五瀬」の定義は「日付政 後日付連らい」

    ★解説・・・「天皇家に張政が入り込み天皇家の男王となり、以後、王理は張政一族が連ねる」。

    ■五瀬命の正体・・・邪馬台国(九州)を属国としてではなく、魏の直轄管理にするために司馬懿は塞曹掾史として、張政を邪馬台国(九州)へ派遣し、女王卑彌呼の処分を命令しました。張政は女王卑彌呼を処刑した後、天皇家を統制する為に“傀儡”として、女王卑彌呼の跡目に「壹與を在位」させました。運命というモノには逆らえないと言いましょうか、途中で司馬懿が死去した為、司馬懿の策謀は張政が“受け継ぐ”事になりました。張政は生前の司馬懿が策謀していた通り、“天皇家に入り込み”ました。彼は「五瀬命⇒日付政」として、天皇家の王道を歩く事にナリマスが、張政一族が天皇家の王理を継承したのは倭王武までデス。“倭王武は神武天皇の事”ですが、「倭王武⇒神武」が天皇家の初代天皇にも関わらず、神武の出目が張政一族、詰まり、“漢民族”だった故に後世、天皇家が「祀ろわぬ者」として、彼の陵墓を放棄した所以です。明治天皇が国民を戦争へと煽る為に神武を“持ち上げた”だけであり、其れまでの神武の墓は千五百年間、天皇家に放置されたままでした。神武の墓は跡形もなく、“田んぼ”だったワケです。

  • 『記・紀』に登場する人名の中で“実在した人名”は「単独で定義(所以)を為す」ように意図的に“選字”されています。塞曹掾史張政は五瀬命である“裏付け”の一つです。
    ■『漢字の力』~熟語の秘密 人名「五瀬命」の定義

    ●「五」の音訓は「いつ」「ご」「いつつ」。
    ●「瀬」の音訓は「せ」「らい」。

    ★適切な文字配列は「五瀬」「五」「五瀬」。
    ★適切な音訓配列は「いつせ」「ご」「いつつらい」。

    「いつせごいつつらい」

    ●解析は以下の通りです。

    「いつせごいつつらい」
    ↓「い」は「ひ」に変換する。
    「ひつせごいつつらい」
    ↓「せ」に「伸音」を付加する。
    「ひつせーごいつつらい」
    ↓「い」は「ひ」に変換する。
    「ひつせーごひつつらい」

    是で解析は完了です。
    後は適切な漢字を当てると以下の通りになります。

  • ■「竈山神社」 其の二 「本居宣長の独り言」

    この歌は本居宣長さんが寛政6年(1794年)に竈山神社へ参詣した時に詠んだ歌ですが、宣長さんがこの歌に隠記している内容は「五瀬命(張政)が天皇家の血筋では無い」という証言です。

    ●「雄叫びの 神代の神子ゑ 思ほへて 嵐激しき 竈山の松」

    ★隠記の原文⇒「他化乞うも帝等、外儀かい、庇連り永」

    ★「他(タ)化(ケ)」とは、「人を教え導く事」。
    ★「乞(コ)う」とは、「願う」⇒「頼む」。
    ★「帝(テー)等(ラ)」とは、「天皇家」。
    ★「外(ゲ)儀(ギ)かい」とは、「外面に現れた威儀や立ち居振る舞い」。意味解釈は「言いたくない素振り」
    ★「庇(アバ)連(ツ)り」とは、「かばい続ける」。
    ★「永(ナガ)」とは、「永年」。

    ★解説・・・「(墓の主、五瀬命について、)教え導いて欲しいと(天皇に)頼むが天皇家は(天皇家の秘密が露見する事を恐れ)庇い続け、其れは長年に亘る。」という、内容です。

    是は竈山の“墓の主”である「五瀬命が天皇家の血筋では無い」事を暴露したモノで、この事実を天皇家が“隠し続けている”事も事実であると述べています。実際に宣長さんが天皇家に“教示を願い”出たのでは無く、この内容は天皇家の秘密を“全てを知って”いて、その上で“自問自答”という、カタチで、宣長さんが 天皇家の血統の“真実を明かした”という事です。宣長さんは『古事記』を解読して、私が“知り得た”ように宣長さんもまた、天皇家の“血統の真実を知った”ワケですが、かと言って、この事実を“表沙汰には出来ない時勢”でしたから、宣長さんが光格天皇や皇族に窺いを立てる事は“不可能”です。宣長さんも天皇家も竈山の“墓の主”五瀬命が誰であるか?は“知って”いたワケで、宣長さんが歌という方法で、“自問自答”スタイルにしたのは、「天皇家を揶揄った」と言いますか、一種の“暴露手段”ですネ。

  • 竈山神社の場合の鎮座神の配列は、「左殿」と「右殿」に分かれています。何方の殿を先に“読む”のか?は、上座下座という分け方もありますが、確実な方法は両殿の最後に鎮座している神名の最後の「音」で、判明します。

    ★「左殿の最後は「神日本磐余彦命⇒カムヤマトイワレ」ですから、最後の音は「レ」です。「レ」は終了しない接助詞「母音⇒エ」。右殿は「頭八咫烏命⇒ヤタガラス」なので、最後の音は「ス」で、是は“終了形”です。なので、「主神⇒左殿⇒右殿」の順にアイテム(神名)を読み取るのが“正しい、読み方”という事になります。モシ、この解説で、意味がイマイチ、理解できない人が居られましたら、ご遠慮なく、質問してクダサイ。(^^♪

    ▲竈山神社の記録は以下の通りです。

    ★神名に付属する「命」「彦」「天」「神」は全て、削除する。

    ★隠記アイテム⇒「和田竈山」「竈山神社」「彦五瀬」「稲飯御毛入沼日本磐余」「高倉下可美眞手日方竒日方種子富道臣大久米椎根津頭八咫烏」

    ★隠記の原文⇒【我意む五瀬 靡 蹴りぬば、賜ぶれ、違らうてジタね 黄幢未知ぐ見し、佞ず仇がらず】

    ★「靡」の意味解釈は、「同意」。
    ★「蹴」とは、「破棄」。
    ★「ジタ」とは、「足掻く」。
    ※類語⇒「ジタバタ」「タジタジ」
    ★「黄幢」とは、「軍旗」。意味解釈は「魏の黄幢」

    解説・・・「自分の思い通りにしようとする五瀬(張政)。 同意を破棄しなければ、(同居権を)与えてもヨイが全く、同意せず、ジタバタし、黄幢は誰も見た事も無いし、知らないモノを見せつけて、調子のイイ事を言わず、敵視するな!」という、内容です。

  • ■『神社の記録』~竈山神社「五瀬命の墓」

    ●神社名  竈山神社

    ●所在地  和歌山県和歌山市和田村竈山

    ●主祭神  彦五瀬命

    ●左脇殿  稲飯命
          御毛入沼命
          神日本磐余彦命

    ●右脇殿  高倉下命
          可美眞手命
          天日方竒日方命
          天種子命
          天富命
    道臣命 
    大久米命
    椎根津彦命
    頭八咫烏命

    『記・紀』や神代文字で編集されている文献は書き物ですから当然、“順番に読み”取れば、ヨイのですが、同じ「歌道法」で記録されている『神社の記録』を解析スル上で、注意するべき点は「格付けされた神名の順列」です。最適なテキストは神社庁が各県で刊行している『神社誌』でしょうか。鎮座神の羅列を間違うと隠記されている記録を読み取る事は不可能です。また、古い時代に行われた“ワケアリ”の“合社”は無暗では無く、新たな情報を付記する為の“計算づく”なのでヨイのですが、明治に行われた神社改革で行われた合社は「記録を破壊する」ワケで“狂気の沙汰”と言いますか、イタダケません。

  • ■『倭傳』記録から、分かる「塞曹掾史張政の野望」其の十九 

    ■神武(武)は“祀ろわぬ者”

    神武(武)天皇の墓が明治天皇によって、再興された事は周知の通りです。明治天皇が神武(武)天皇の墓を再建するまでは神武(武)の墓は“田んぼ”でした。「神武(武)天皇は祀られていなかった」ワケです。初代天皇でありながら、天皇家から、“見捨てられていた”のは「神武(武)天皇が天皇家の血統では無かった」からです。

    張政は“漢民族”です。そして、天照一族(天皇家の祖)は“朝鮮民族”です。是で、神武(武)の墓が明治まで、天皇家が「祀ろわぬ者」として、放置され、無視されて続けて来たのか?を御理解して、戴けたと思います。

    ★神武(武)は漢民族であり、天照一族(天皇家の祖)の血統でも無く、また、朝鮮民族でも無かった事が原因。

    教科書では、天皇家の初代天皇は神武天皇と教えて置きながら、神武天皇の墓が明治まで放置されていた事実を“ウヤムヤ”にし、恰も古代(皇歴2600年)から、神武(武)天皇の陵墓が存在していたかのように騙す。日本という、国名も唐の時代からでアッタ事は其の理由までも文献が証明しています。ネットが是だけ普及しているワケですから、ほんのチョット、調べれば、日本史教科書が嘘ダラケである事は“明白”です。

    「五瀬命と張政が“同一人物”」であった事を裏付ける“決定的な証拠”を先人たちが残した『神社の記録』と『和歌』から、開示して置きます。

  • 後は適切な漢字を当てると以下の通りになります。

    「一 千 瀚 海 一  大 卑狗 卑奴母 離 三 百    三 千」    
    「ひ せんかんかいひ  おーひく ひなお り み ひゃ く さんち」
    「ひ せぶがむがいいー お びく ひなおーり み いーはく さぶち」
    「日 要求が無涯 言い、誘  く。日為王 理。彌 言いは狗 荒ぶ地」

    ★「日」とは、「天皇家」。
    ★「せぶ⇒要求」は、「せぶる」「せびる」。
    ★「無涯」とは、「無限」。意味解釈は「底無し」
    ★「日為⇒ヒナ」の意味解釈は、「天皇家が統治する国」。
    ★「王理」とは、「王統の継続」。
    ★「彌」とは、「天皇家の最高位」。意味解釈は「女王卑彌呼」
    ★「狗」とは、列島先住民族「倭種」。意味解釈は「九州島の倭種」。
    ★「荒ぶ地」とは、「荒れ果てた未開地」。意味解釈は九州南部に位置していた狗奴國(球磨郡)と侏儒國(四国)

    ★原文⇒「日 請求が無涯 言い、誘く。日為 王理。彌 言いは狗 荒ぶ地」

    ★解説・・・「ヤマト民族に対する天皇家の要求は底無しで、騙し、誘う。天皇家の覇は不動。女王卑彌呼は言う、狗の民は未開地へ追放」

  • ●解析は以下の通りです。

    「ひせんかんかいひおーひくひなほりみひゃくさんち」
    ↓「ん」は「む」に変換し、「濁点」を付加し、「ぶ」に変換する。
    「ひせぶかんかいひおーひくひなほりみひゃくさんち」
    ↓「か」に「濁点」を付加する。
    「ひせぶがんかいひおーひくひなほりみひゃくさんち」
    ↓「ん」は「む」に変換する。
    「ひせぶがむかいひおーひくひなほりみひゃくさんち」
    ↓「か」に「濁点」を付加する。
    「ひせぶがむがいひおーひくひなほりみひゃくさんち」
    ↓「ひ」は「い」に変換し、「伸音」を付加する。
    「ひせぶがむがいいーおーひくひなほりみひゃくさんち」
    ↓「おー」の「伸音」を削除する。
    「ひせぶがむがいいーおひくひなほりみひゃくさんち」
    ↓「ひ」に「濁点」を付加する。
    「ひせぶがむがいいーおびくひなおりみひゃくさんち」
    ↓「ほ」は「お」に変換し、「伸音」を付加する。
    「ひせぶがむがいいーおびくひなおーりみひゃくさんち」
    ↓「ひゃく」の正しい仮名表記は「ひはく」。
    「ひせぶがむがいいーおびくひなおーりみひはくさんち」
    ↓「ひ」は「い」に変換し、「伸音」を付加する。
    「ひせぶがむがいいーおびくひなおーりみいーはくさぶち」
    ↓「ん」は「む」に変換し、「濁音」を付加し、「ぶ」に変換する。


    是で解析は完了です。

    ・・・続きます。

  • ■『魏志・倭人傳』~超賢人 陳壽の筆法 「ヤマト言葉」の秘密 其の八

    次の一文の中に潜む“隠記アイテム”は

    ★「一海」「千餘里」「瀚海」「一大國」「卑狗」「卑奴母離」「三百里」「三千許家」

    【一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢林有三千許家差有田地耕田猶不足食亦南北市。】

    ★「海」「餘里」「國」「里」「許家」は削除します。

    ★「一海」は「ひ」
    ★「千餘里」は「せん」
    ★「瀚海」は「かんかい」
    ★「一大國」は「ひおー」
    ★「卑狗」は「ひく」
    ★「卑奴母離」は「ひなほり」
    ★「三百里」は「みひゃく」
    ★「三千」は「さんち」

    「ひせんかんかいひおーひくひなおりみひゃくさんち」

    ・・・続きます。

  • 「一  千 對 馬 卑 狗 卑奴母離四 百   千 」
    「ひ  せんたいうまひ く ひなほりし ひゃく せん」
    「いー せむたびうばい く いなおりし ひはく せむ」
    「言い、攻む度、奪 い。狗 居直 りし、日は狗 責む」

    ★「言い」は、前文の「結じ」に掛かる。⇒「・・・結じ言い。」
    ★「奪い」の意味解釈は、「略奪」。
    ★「狗」とは、列島先住民族「倭種」。意味解釈は「九州島の倭種」。
    ★「居直り」とは、「不利の立場にある者が、急に脅すような強い態度に出る」。
    ★「日」とは、「天皇家」。



    ★解説・・・「天皇家は侵攻する先々で、略奪を繰り返した。この天皇家の仕打ちに対し、狗の民は“立ち向い”抵抗するが、天皇家は狗の民を弾圧(殺戮)した。」という、内容です。

    陳壽さんが「ヤマト言葉」で述べている“狗の民虐殺”は邪馬台国(九州)が建国されたと依処からでは無く、後漢末期に女王卑彌呼が在位してから、起きた事件で是は『記・紀』の「天地初」のウラの内容と“一致”します。言い変えれば、火の民の“長”、『魏志・倭人傳』では、男王卑彌弓呼(ヒミクコ)という名称で登場しますが、女王卑彌呼(天皇家)が在位する以前は天皇家は“男王”が入れ替わり、王座を奪い合いましたが、邪馬台国(九州)建国の際(紀元前二世紀)にヤマト民族の長(九州)との間に「糾ふ」協定が締結されていましたから、范曄さんの似字二意のワザ「“拘”奴國」を見ての通り、狗の民は天皇家から、“居住の制限”こそ、受けてはいましたが、狗の民の大虐殺は起こっていません。徹底した狗の民大虐殺は天皇家に女王卑彌呼が在位した後漢末期からですね。

  • ■『魏志・倭人傳』~超賢人 陳壽の筆法 「ヤマト言葉」の秘密 其の七

    次の一文の中に潜む“隠記アイテム”は「一海」「千餘里」「對馬國」「卑狗」「卑奴母離」「四百餘里」「千餘戸」。

    【始度“一海”“千餘里”至“對馬國”其大官曰“卑狗”副曰“卑奴母離”所居絶島方可“四百餘里”土地山險多深林道路如禽鹿徑有“千餘戸”】

    ★「海」「餘里」「國」「餘戸」は削除します。


    ★「一海」⇒「ひ」
    ★「千餘里」⇒「せん」
    ★「對馬國」⇒「たいうま」
    ★「卑狗」⇒「ひく」
    ★「卑奴母離」⇒「ひなほり」
    ★「四百餘里」⇒「しひゃく」
    ★「千餘戸」⇒「せん」

    「ひせんたいうまひくひなほりしひゃくせん」

    ●解析は以下の通りです。

    「ひせんたいうまひくいなほりしひゃくせん」
    ↓「ひ」は「い」に変換し、「伸音」を付加する。
    「いーせんたいうまひくひなほりしひゃくせん」
    ↓「ん」は「む」に変換する。
    「いーせむたいうまひくひなほりしひゃくせん」
    ↓「い」に「濁点」を付加し、「び」に変換する。
    「いーせむたびうまひくひなほりしひゃくせん」
    ↓「ま」に「濁点」を付加し、「ば」に変換する。
    「いーせむたびうばひくひなほりしひゃくせん」
    ↓「ひ」は「い」に変換する。
    「いーせむたびうばいくひなほりしひゃくせん」
    ↓「ひ」は「い」に変換する。
    「いーせむたびうばいくいなほりしひゃくせん」
    ↓「ほ」は「お」に変換する。
    「いーせむたびうばいくいなおりしひゃくせん」
    ↓「ひゃく」の正しい仮名表記は「ひはく」。
    「いーせむたびうばいくいなおりしひはくせん」
    ↓「ん」は「む」に変換する。
    「いーせむたびうばいくいなおりしひはくせむ」

    是で解析は完了です。
    後は適切な漢字を当てると以下の通りになります。

  • 【其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王】『魏志・倭人傳』

    ★「狗奴國⇒クナ国」とは、狗の民が形成する範囲

    范曄さんは四国も「拘奴國」だと、明記しています。

    【自女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王『後漢書・倭傳』】
    【女王國東渡海千餘里復有國皆倭種】『魏志・倭人傳』

    “チョット”した范曄さんの筆法を紹介して、置きますが、『魏志・倭人傳』の「狗奴國」と『後漢書・倭傳』の「拘奴國」。見落としてしまいそうですが、ヨク見ると、「狗」と「拘」は異字です。(^^♪是は陳壽さんの筆法、「似字二意」の筆法を范曄さんが倣った、結果ですが、「拘」文字は「狗」文字に似ています。是を「似字」と言います。「拘」は「狗」に似た文字なので、二意は「拘」の文字に有ります。一つは「狗」の意味。そして、もう一つは「拘束」です。詰まり、似字が意味している事は「狗の民が四国に監禁されていた」事を意味します。范曄さんの似字二意の「狗⇒拘」記載は陳壽さんの『魏志・倭人傳』のウラの部分、「ヤマト言葉の隠記」を充分に理解していたから、為せるワザです。(^^♪こういう類は歴代の倭傳に多々、ありますので、そういう記事に触れる事が有れば、解説します。

    狗の民とは歴史用語でいう、「縄文人」の事です。天皇家が徹底した、狗の民の虐殺は『記・紀』でいう、「熊襲狩」「蝦夷狩」の事です。今から、二千二百年前、天皇家が九州に邪馬台国(九州)を建国した時に国内では狗の民の大虐殺が有りました。短期間では無く、九州島に限っては三百年間も続いています。東征後も天皇家の狗の民虐殺は続き、天皇家に反抗する一部の火の民事、“ゑびす”と共に狗の民は東北に逃れました。周知の蝦夷“アテルイ”が天皇家の騙し撃ちによって、火の民の天皇家へ抵抗は消滅しました。、狗の民は更に北へ逃れました。僅かに残ったのが「アイヌ民族」です。邪馬台国(九州)時代南(沖縄)へ逃れたも狗の民も然りです。

    此処までのヤマト言葉を繋げマス。

    ★「倭地 武 奪いと度、火 結く。日 暴み 殺がむ狗。日 崇ぬ詰じ・・・」

    文節の“キリ”が悪いので、もう、続けます。

  • 「韓 狗邪 韓 七千」
    「カンクヤ カンナチ」
    「ガムクヒアガヌナジ」

    「がむく ひ あがぬ なじ」 
    「かむ狗。日 崇 ぬ 詰じ」 

    ★「がむ」は、「殺⇒そ」に掛かる動詞。「殺ぐ」⇒「殺がむ」。
    ★「殺がむ」の意味解釈は「殺戮」
    ★「狗」とは、列島先住民族「倭種」。意味解釈は「九州島の倭種」
    ★「日」とは、「天皇家」。

    ★解説・・・「天皇家は太古の石器時代からの先住民族倭種を“徹底して、殺戮”した。天皇家は、狗の民殺戮を非難するヤマト民族を罵った」

    以前、『記・紀』の“読み方”で神代紀の「天地初」を解析を公開し、解説しましたが、この部分に隠記されイタのは後漢末期に公孫の策謀によって、初代女王卑彌呼が登場し、「天皇家の骨格が確立された」時期に起きた九州島の狗の民の殺戮の内容でした。天皇家は狗の民を火の民と分離し、狗の民は九州南部に隔離されました。九州南部に現在まで、残っている「球磨郡⇒クマ」という地域名は其の“名残り”です。因みに『魏志・倭人傳』では「狗奴國⇒クナ」という名称で記載されており、狗奴國(球磨郡)には狗古智卑狗という官が居ましたが女王卑彌呼に属していません。因みに「男子爲王」と有りますがこの男王は「卑彌弓呼⇒ヒミクコ」の事です。男王卑彌弓呼の情報については以前、「君が代」の秘密で解説した通りです。

  • ■『魏志・倭人傳』~超賢人 陳壽の筆法 「ヤマト言葉」の秘密 其の六

    「倭人傳」【倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國】

    此処までの“隠記アイテム”は「倭人傳」「倭人在」「帶方郡」「百餘國」「三十國」でした。

    次の一文の中に潜む“隠記アイテム”は「韓国」「狗邪韓國」「七千餘里」です。

    【從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里】

    ★「国」と「餘里」は削除します。
    ※「餘里」の「餘」を削除するのは後文に“○○○餘里”が“連続”するからです。

    ★「韓」は「カン」
    ★「狗邪韓」は「クヤカン」
    ★「七千」は「ナチ」

    ●解析は以下の通りです。

    「カンクヤカンナチ」
    ↓「カ」に「濁点」を付加する。
    「ガンクヤカンナチ」
    ↓「ン」は「ム」に変換する。
    「ガムクヤカンナチ」
    ↓「ヤ」は「ヒ」と「ア」の合音なのでに分離する。
    「ガムクヒアカンナチ」
    ↓「カ」に「濁点」を付加する。
    「ガムクヒアガンナチ」
    ↓「ン」は「ヌ」に変換する。
    「ガムクヒアガヌナチ」
    ↓「チ」に「濁点」を付加し、「ジ」に変換する。
    「ガムクヒアガヌナジ」

    是で解析は完了です。
    後は適切な漢字を当てると以下の通りになります。

  • 「帶 方 百    餘  三 十」
    「タイホーヒャク  ヨ  ミ ソ」
    「タビホ イハク  ヒボーミ ソ」
    「度 火 結 く。 日暴 み 殺」

    ★「火」とは、「火の民」。意味解釈は「ヤマト民族」
    ★「結く」とは、「拘束」。
    ★「日」とは、「天皇家」。
    ★「ソ⇒殺」は次のアイテムに接合します。
    ★解説・・・「再三に亘って、火の民を拘束した。天皇家は猛烈に暴れ、殺・・・」

    此処までのヤマト言葉を繋げます。

    ★「倭地 武 奪いと度、火 結く。日 暴み 殺・・・」

    解析の途中ですが、見ての通り、陳壽さんの『倭傳』編纂は「漢文の“下”に和文を重ねている」ワケで、漢文の配置は巧妙に“計算づく”です。陳壽さんは「歌道法」を取り入れていますが編集は歌道よりも遥かに難易度が高いワザで、是が「超賢人陳壽」という所以です。

  • ■『魏志・倭人傳』~超賢人 陳壽の筆法 「ヤマト言葉」の秘密 其の五

    「倭人傳」【倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國】

    陳壽さんが次に隠記アイテムとしたのは「帶方郡」「百餘國」「三十國」・・・です。

    ★「郡」と「国」は削除します。

    ★「帶方」は「タイホー」
    ★「百餘」は「ヒャクヨ」
    ★「三十」は「ミソ」

    「帶 方 百  餘三十」
    「タイホーヒャクヨミソ」

    ●解析は以下の通りです。

    「タイホーヒャクヨミソ」
    ↓「イ」に「濁点」を付加し、「ビ」に変換する。
    「タビホーヒャクヨミソ」
    ↓「ホー」の「伸音」を削除する。
    「タビホヒャクヨミソ」
    ↓「ヒャク」の正しい仮名表記は「ヒハク」。
    「タビホヒハクヨミソ」
    ↓「ヒ」は「イ」に変換する。
    「タビホイハクヨミソ」
    ↓「ヨ」は「ヒ」と「オ」の合音なのでに分離する。
    「タビホイハクヒオミソ」
    ↓「オ」に「濁点」を付加し、「ボ」に変換し、「伸音」を付加する。
    「タビホイハクヒボーミソ」

    是で解析は完了です。
    後は適切な漢字を当てると以下の通りになります。

  • 少し、余談ですが、この事実を『記・紀』では「神代紀」に記録されています。天皇家はヤマト民族ではナク、古代朝鮮民族扶余の末裔で朝鮮半島から南下し、九州島を侵略支配し、紀元前二世紀に邪馬台国(九州)を建国しました。所謂、天皇家は“外から来た者”で、是を“隠す”為に「南下」を「天孫降臨」に“置き換え”て、天皇家は「天から降り、神力で列島を形成した」という、「神話」を創り上げたという事ですが、藤原派も天皇が“喜ぶ”ような神話を作成しましたが、編纂に“ヌカリ”は有りません。以前、『記・紀の読み方』で「天地初」の隠記部分を提示しました通り、「神代紀」の裏にチャンと史実が隠記されています。

    イザナキ・イザナミを始めとする『記・紀』に登場する神名や命名は全て、架空です。是等は、“史実を隠記する為のアイテム”で有り、神事・祭事として、絶える事無く、伝承され続けてイルのは「作り話の中に史実を託し、保存するため」です。科学が進歩した今日、「神話が事実でない」事はコドモでも理解できる時代ですが、古代史や神社仏閣に興味のある“大の大人”が神話と現実を混同し、妄想する事はイタダケマセン。

  • 「わ ち ぶ うばいと」
    「倭 地 武 奪 いと」

    ★「倭地」の意味解釈は、「九州」。
    ★「武」とは、「戦」。意味解釈は「侵攻」
    ★「と」は、「接助詞」。

    ★解説・・・「九州を侵略し、奪うと・・・」

    是は天皇家が韓半島から、対馬⇒壱岐⇒九州へ侵攻し、九州全土へ侵攻して、邪馬台国を建国するに至った“経緯”です。

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