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     住吉大社の創祀はいつ頃でしょうか?
     書紀神功皇后紀から類推すると四世紀後半から四世紀末頃ではないかと思いますが、いかがでしょう。
     また、住吉三神の出自は?
     例えば綿津見三神は阿曇氏が、多紀理比売、市杵嶋比売、田寸津比売の三女神は胸形氏がそれぞれ奉斎していますが、住吉三神の奉斎氏族は?

     伊勢神宮(内宮)の創祀は、丁巳年、477年ではないでしょうか。
     ただし外宮(豊受大神)についてはよくわかりません。根拠はないのですが、朧気ながら息長氏が祀らせたのではないかと思ってます。下記の対応関係があるのではないか。
     息長氏―天武天皇
     息長帯比売―誉田別
     外宮(豊受大神)―内宮(天照大神)
     そもそも、息長帯比売が実在したのかどうか?

     誉田別の生地は、糟屋郡宇美町か、前原の蚊田か。
     二丈町に鎮懐石八幡がありますので、蚊田は、筑後国御井郡賀駄ではなく、筑前国怡土郡長野村蚊田でしょう。
     怡土にも宇美八幡がありますが、宇美町から勧請したものらしい。
     
     天照大神のご神体としての八咫鏡。
     原田大六氏、森浩一氏は平原の超大型内行花文鏡だと言ってます。私もその説を支持するものですが、とすれば、その形跡、つまり北部九州から大和への東進の形跡があるはずなのですが、四世紀後半以降の岩橋千塚、新沢千塚古墳群は北部九州と言うより海を越えて渡来した人々のようにも見える。

     と言うわけで「ようわからん」ことばかりです。
     ご意見をお聞かせください。

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