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     中国正史の三篇の対比だけで全ての謎は解ける。
     後漢書と三国志(魏志倭人伝)と隋書である。多くの漢籍を対比するのはナンセンスである。范曄と陳壽と裴世清は前史の不整合を正している。范曄と陳壽の長幼とから後漢書の内容が三国志(魏志倭人伝)をなぞっている、と謂うのも誤認である。若し、その通りであれば、「邪馬臺國」は登場せずに「邪馬壹國」とした筈である。
     「邪馬臺國」と「邪馬壹國」は誤記でどちらかが間違いとするのも間違いである。 どちらも、卑彌呼の居所を述べた倭人の説明文言を中国正史の書記官の勘違いから国名とした。
    ・後漢書⇒「山たィ」(九州弁で?山?ですョ)と、言ったのを音写して「邪馬臺國」とした。
    ・三国志(魏志倭人伝)⇒今でも、卑彌呼は「邪馬臺國」に居るか?。倭人は「山ン(九州弁の格助詞の音便変化)うヰ(上)」の音写から「邪馬壹國」とした。
    ・隋書⇒裴世清は現地踏査の上、前史二編とも勘違いである事に気付いた。「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」⇒魏志に所謂邪馬臺(國の文字を外している)とは、「邪靡堆(臺の宮殿基台ではなく)」だったのか、と。これは、直前の「其(都の)地勢東高西下」から謂って、「水縄連山(耳納山地)」の山容と筑後川の西流を言い表している。
     「邪靡堆」の文字使いも小憎らしいほど、謂い得ている。即ち、黒髪「靡く(壱千本の谷沢に刻まれている)」様な「堆(うずたか)い」山容の水縄連山(耳納山地)を指しているのである。

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