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  •  大河ドラマ「花燃え」で、昨日、坂本龍馬が出てきたが、
     龍馬暗殺の定説は、幕府の見廻組である与頭・佐々木只三郎らとその部下6人(今井信郎・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・土肥伴蔵・桜井大三郎)が坂本龍馬を殺害したとされている。

     しかし、大政奉還当時は、土佐藩は幕府とともに動いてもおり、坂本龍馬が暗殺された当時は土佐藩は、容堂など慶喜を担いで国政をしようとしていた。言わゆる公武合体派的に動こうとした。
     そして、過激な薩摩や長州と行動を同じくしていた龍馬や中岡伸太郎の排除が土佐藩の急務でも、実はあった。

     尊攘派の土佐勤王党を弾圧粛清してもいた土佐藩の公武合体の動きは容堂の意でもあり、公武合体派の幹部(寺村道成ら)は、会津藩とも関係が深い見回り組と組んで、龍馬と中岡を同時に暗殺した。

     しかし、明治維新では、二人の暗殺は土佐藩の立場を崩壊させるもので、
     土佐藩は維新直後には危うい立場だった。

     そして、この事実は明治維新後には土佐藩や容堂を窮地に追い込むとして、上士で参政でもあった後藤象二郎や海援隊の佐々木高行らが、隠ぺい工作を行い、幕府側の見回り組だけの仕業にした。

     龍馬と中岡の暗殺に関する資料は、ほとんどが、旧土佐藩の基に、土佐藩を擁護し容堂を救うために、歪曲されねつ造されたものが多い。

     維新後には土佐の武士は土佐勤王党を過大に扱っているのだが、当時の土佐藩は、実は、かなり幕府寄りだったのだ。それを救ったのが、板垣退助だったのである。

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