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  • 205(最新)

    nas***** 10月21日 11:15

    >>204

    途中で投稿してしまったので、追加。

    美智子さまのお誕生日おめでとうございます。

  • >>203

    天皇陛下のご成婚

    と言っても皇太子殿下の時

    日本中、大歓迎ムード。

    取り分け美智子さまに対する憧れは絶大なものが有った。

    因みに皇太子殿下は個性が薄かった。
    それが未来の象徴天皇のあり方だったとの国民の合意が有った様に思われます。

  • >>202

    天皇は東奔西走して国民と共にあるべきだ。

    その信念が今上陛下にあるんでしょう。

    それも一つの在り方。

    そうなると摂政では務まらないのかな。

    そこが考えの違う所。

    そんな事を考えてみると、3年ぐらいは摂政を置いて、しかる後にご譲位で良いのではないか。

  • >>201

    今上陛下の御譲位発言

    余程の信念があったと思えます。

    ある程度、歳を取ったら、譲るのが良いとの結論なんでしょう。
    それはご自分の体験からだろう。
    高齢に成ったら引退する。
    摂政では駄目なことが今ひとつわからない。

    詰まる所、大喪の礼と即位の礼が続くのが大変だったんだろう。
    おそらく昔は簡素に行われていたが、今の国際化時代、そうもいかない。

    いずれにせよ、取りあえず摂政を置くべきでしょう。

  • >>199

    昭和天皇と御譲位(2)

    実は敗戦直後、講和条約後は譲位を考えたようだ。

    しかし敗戦直後はマックに会って止めたか。
    あるいはご巡行で譲位を望む声など聞かれなかったので止めたか。

    講和条約発効の時でも然り。

    国民と共に復興に邁進すべきと考えたようでもある。

    それに比べれば高齢に成ったぐらいで譲位するなどという事は考えもつかなかったに違いあるまい。
    全身全霊で公務を執行するという事は、実際の公務が老齢で出来なくなるかどうかの問題ではなく、精神の持ちようだと解釈していたのではないか。

  • >>199

    帝王であるならば周りから言われて譲位するのは適当でない。

    しかし自ら言い出すのは民主的象徴天皇としては問題が無くはない。

    これはジレンマですね。

    結局、個別的に譲位は成立不可能。

    詰まる所、定年制のような客観的基準を設定する外ないのではないか。

  • >>198

    昭和天皇と御譲位

    マッカーサーに強圧的に命令されたのならともかく、自分から譲位すると言い出したなら非を認めたことに成る。
    それは国民にとっても耐え難い事だ。
    マックの命令だとさえ思われかねない。

    そもそも敗戦責任があろうと、譲位は直接関係は無い。

    かような思いを晩年まで持ち続けたため、高齢による譲位の発想は微塵も無かったのでしょう。

  • >>197

    昭和天皇について

    憲法、皇室典範について、その条規に従って行動された。
    これは昭和天皇が明治天皇を尊敬していたからでもある。
    皇室典範においても然り。
    譲位が有ってはならないと確信されたか。

    国民の象徴だからこそ譲位が不要と考えた。

    実は昭和天皇は戦前から実質象徴天皇だと思っていたか。
    それゆえ、戦後の憲法も比較的安々と受け入れたのでしょう。

  • >>196

    昭和天皇の晩年

    高齢で体調不良に成っても譲位はおろか摂政を付ける事にも考え及ばなかった。
    単なる思考力低下ではないだろう。
    およそ信念があったと思われる。

    敗戦、講和条約締結の時にも譲位を考えたくらいだったようだ。
    それでも思いとどまった。
    回りの意見もあっただろうが、法に遵ったという面が強かったのではないか。
    摂政を置くにしても、発案者であってはならず、皇室会議で決めるべきことであるとした。

    遵法精神が非常に強かったのだと思われます。

  • >>195

    渡部 昇一

    先ごろお亡くなりに成りました。
    自分にとっては大いに啓発された重要な人物。

    当初は「知的生活の方法」「日本語のこころ」という題名の本をたまたま立ち読みして好奇心が涌き、買ったのが出会い。
    その後、「諸君」などの雑誌で自由主義的な論調を張ったが、同感できるものが多かった。
    「甲殻類の研究」なんかは面白かった。
    英語教育論争なども意義があった。

    他にも書きたいことは山ほどあるが、時間が無くなったのでここで。

  • >>194

    ペギー葉山

    お隠れに成りましたので合掌

    有名に成ったのは「南国土佐を後にして」のヒットから。
    この歌は元は軍歌で歌い継がれてきたもの。
    本来の作詞作曲者は不明というか、自然と出来上がった要素が強い。言わば軍隊の民謡。

    それを戦後的に作り直してヒット曲となった。
    皆の郷愁を誘うのは故郷から都会に出てくる人が多くなったから。
    言わば時代の変化です。
    軍隊なら生きていれば故郷に帰れるが、都会に出たら戻れない。
    その気持ちが、より心を打つのでしょうか。

    「ドレミの歌」「学生時代」などは古き良きNHK的な感じがした。
    フォーク調の「雲よ風よ空よ」も良かった。
    元はジャズ歌手でしたが、それが基礎、基本にあったと言えるでしょう。
    何より生涯現役で歌謡界に貢献したことは素晴らしい。

    今、後を継ぐような、匹敵するような人がいるでしょうか。
    どう見てもいないようだ。それが悲しい。

  • >>193

    >中島みゆきのライバルは誰か<

    考えて見たら五輪真弓でしょうね~。

    歌う対象や内容は違うが、心の底から訴えかけるような所は似ている。


    ところで、現今の歌手と言うか歌い方、まず発音からして日本語に成っていない。
    歌詞の意味も不明に近い。
    いつからこんな風に成ってしまったのか。
    スマップ辺りまではまだ何とかなっていたと思うのですがね~。

  • >>192

    竹内まりや(夫妻)、中島みゆき

    ユーミンのライバルは誰か。
    本人は 中島みゆき だと言っているがジャンルが違うと思う。
    中島はいわば社会派というかソウルな歌が多い。
    むしろ、気の合う音楽仲間ではないか。

    自分は竹内まりや夫妻がライバルだと思う。
    しかしそれは言いたくないのだろう。
    年齢は一年下で55年生まれ、夫の山下達郎は一年上の53年生まれ。
    丁度、挟まれている。
    因みに松任谷正隆は51年生まれで、ユーミンは54年生まれ。
    両方の夫は元はアレンジャーで似ている。

    中島みゆきは52年生まれなのでライバルとするには丁度言いやすい。
    後輩をライバルとは言いたくないだろう。

    やや似た感じの五輪真弓は51年生まれで先輩に成ってしまうので言い難い。
    もちろん森山良子は48年生まれの大先輩なので比較はできがたい。
    デビューした頃は森山良子と五輪真弓を足して二で割ったような感じと言う人もいたぐらいだ。

    意外にもハイファイセットの山本潤子は49年生まれで、かなり先輩。
    高田渡、松本隆、さとう宗幸、堀内孝雄、南こうせつ、葛城ユキ、松崎しげる、本田路津子、矢沢永吉、森田健作も同じ年生まれだ。

    ところで中島みゆきのライバルは誰か。
    考えてみたが、今の所、女では見当たらない。
    それだけ個性的なのだろう。

  • >>191

    松任谷由実 ニューミュージックの女王

    ユーミンは次々にヒットを飛ばす中、1976年に結婚して名字も変える。
    生まれは54年だから、計算すると22歳。
    因みに百恵ちゃんは59生まれで、21歳で結婚しているが、80年の事だった。
    今から見ると殆ど同時代の人で、しかも大人だったな。

    名前を変えたのは音楽活動はせいぜい副業としてやるつもりだったからなのでしょう。
    子供が出来るまでは恋愛感覚で歌って行こうと思ったのかも知れない。
    ところで、ユーミンと言う愛称が本格化したのは結婚してからかな。
    荒井由実時代のイメージを保ってい欲しいとのファンの心がそうさせたとも思える。

    オイルショックと低成長、ソ連の脅威が増す、やや暗い時代だった。
    この世相の中で癒しと光を求めてユーミンや百恵えちゃんの歌が有ったのではないか。

    80年代に入り、徐々に日本が自信を持ちバブルに繋がる時代となった。
    丁度、松田聖子の時代と重なる。
    レコードの売り上げもさることながら、その資金力も有って豪華なコンサートを開く。
    残念ながら自分は貧乏なので行っていない。
    やっとレコードを買ったぐらいだ。

    音楽家としても大成した。
    しかしどうだろう、バブル崩壊とともに影が薄くなったか。
    スキーソングなども広瀬香美に取って代われた。
    夢のスポーツから庶民の娯楽に変わったから、という事もあるだろう。
    サーフィンも高速道路のドライブも、普通に近い物になった。

    その辺で新境地を開拓出来たらば良かったのにと思う所だ。
    これは言ってはいけない事かもしれないが、もし子宝に恵まれていればどうであっただろうか。
    何時までも恋愛路線ではちょっと引ける。
    荒井由実の名でのコンサートをしたりするが、それでは懐メロになってしまう。

    それはそうと、押しも押されぬ大人物である事には変わりない。
    最初に女王と書いたが、むしろ女神ではあるまいか。
    それも音楽界全体での女神だ。
    彼女の歌に救われた人が沢山いたはずである。

  • >>189

    荒井由実  ニューミュージックの誕生

    低迷、廃退的に成ったフォーク界を蘇生したのはこの人。
    彼女は単発的ヒットを飛ばしたのではなく謂わば山脈であった。

    丁度、経済的にも石油ショック後、癒しの曲が求められていた時代にマッチしたのだ。
    もし男があのような軟弱な歌を歌ったら忌避されていたでしょう。

    個人的に深く感慨があったのは「12月の雨」。
    その他の曲の殆どは後にレコードを買って聞いたもの。
    それでも、もっと早く買えば良かったと後悔した。

    テレビには余り出なかったし、紅白にも出場は拒否したようだ。
    これはどうだったのかな。
    コンサート重視の姿勢は分かるのだが残念です。

  • >>188

    フォークとは何か

    随分とフォークに拘(こだわ)るようだが、自分的には最も感動を受けたのだから仕方が無い。
    フォークとは、アメリカ民謡に端を発し、その延長上のアメリカンフォークを基に、日本でも似たような曲調で歌われたもの。
    それプラス、民衆の唄と言う意味でアマチュアリズムが根底に無ければなるまい。
    学生フォークならそれを満たしている。
    では社会人ならどうか。
    商業主義でなく本業を別に持っているならいいだろう。
    あるいはヒッピー的に自由に歌っている人。
    高田渡にはその要素が濃厚。

    しかしながら有能ならどうしても専門的に成り、プロ化する。
    それはそれでいいのだが、フォークでは無くなってしまう。
    発展的解消とでも言うべきか。
    岡林は音楽家に成ってしまった。

    それでもフォーク調歌謡が終わったのが71年か。
    象徴的な曲目として、小椋佳の「さらば青春」を挙げたい。
    銀行員として生業を持ち作詞作曲して歌うのだから正にフォークだ。
    しかし、その後、実質プロに成ってしまう。
    「♪僕は呼びかけはしな~い」との冒頭は象徴的です。

    この曲は長谷川きよしの「卒業」にも通ずる感じがする。
    歌詞の通り「さようなら~~♪」だ。

  • >>187

    その後のフォーク調歌謡

    思いつくまま並べてみたい

    学生街の喫茶店「ガロ」 商業的だが、まあ良い歌

    心の旅「チューリップ」 フォークと言うよりロック的歌謡曲

    神田川「かぐや姫」 中身はそれなりでも商売っ気が丸出しに見えた

    母に捧げるバラード「海援隊」 内容的にも好きくない

    赤とんぼの唄「あのねのね」 ここまで来ればお笑いタレント

    ふれあい「中村雅俊」 教科書的若者文化の押し付けに見えた

    結婚するって本当ですか「ダカーポ」 トワエモアに追い付かず

    精霊流し「グレープ」 女々しすぎる感じがした

    こういう中でも

    風と落ち葉と旅人と「チューインガム」 これは清々しい名曲

    さなちゃん。ポスターカラー「古井戸」 昔のフォーク調
     
    ぼくの好きな先生「RCサクセッション」 忌野清志郎の初期の名作

    あなた「小坂明子」 乙女チック歌謡曲

    少女。煙草のけむり「五輪真弓」 音楽的に好感あり

    岬めぐり「山本コータローとウイークエンド」 軽快でいて心に滲みる

    なんかは良かったね。

  • >>186

    陽水 拓郎 フォークの終焉

    フォークソングブームは69年に最高潮を迎え、70年が退潮ぎみとなり、71年にはフォーク調歌謡に成った。

    72年には陽水、拓郎の時代となり変質する。
    吉田拓郎の「結婚しようよ」はその象徴。
    初めはフォークシンガーと言えたが、レコードを売ることにも熱心だった。
    音楽家としての才能は紛れもなくある。
    もともとボブデイランに多大に影響されていた。

    井上陽水は「夢の中へ」「心もよう」などでヒット。
    陽水はビートルズの影響を受けたためか、最初からフォークとは言えなかった。
    テレビに出なかったのは売り上げのための作戦か。
    この点において、二人は嫌味が有る。

    音楽的にこのお二人は例えていえば陰と陽。
    陽水は受験生や孤独な人、拓郎はポピュラー向けかな。

    この当時、比較的豊かに成ってレコードが買いやすくなった。
    あまりテレビに出るとワザワザ買うほどの曲でも無いと思われるのを恐れたか。(笑)

  • >>185

    長谷川きよし 「別れのサンバ」

    フォークとは言いがたいが、近い曲。
    題名にサンバとあるがバラードでしょう。
    この歌も衝撃的で大ヒットした。
    音楽性も高いし、透き通るような声もいい、ギターも上手い。

    何を歌っても長谷川きよし流の傑作にしてしまう。
    この頃の代表的歌手として取り上げるべき人。
    政治性なども超越していた。

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